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「佐原まちあるき」その3「樋橋(とよはし)の落水(じゃあじゃあ橋)」(香取市)
 本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市」「重要伝統的建造物保存地区」の「店舗」などを紹介する企画「佐原まちあるき」です。
 第3回の今回は「佐原の町並み」の中心を流れる「小野川」に架かる「樋橋(とよはし)」(じゃあじゃあ橋)です。

 「さわら」の地名は、1218年に「千葉介成胤」が「香取大神宮寺観音」へ宛てた「寄進状」に「在佐原村名田二段」と記されているのが「初見」だそうです。
 しかし、古代から「香取神宮」に関した「集落」、もしくは「農村集落」があったと推考する「学説」が多いようです。
 現在の「佐原の町並み」の範囲は、中世末から近世にかけて形成されたものだそうです。

 まちの「組織」をもみると、天正年間に「新宿」が開起し、1608年には、「本宿組」・「下宿組」・「浜宿組」・「仁井宿組」の5組が記録され、江戸時代中期には、「本宿」11町内、「新宿」14町内の記録があり、この時期にほぼ現状の「町内組織」が出来上がったものと思われます。
 「佐原村」の規模は、周辺に類例を見ない「大都市」であり、1838年の「佐原村差書上」によりますと、「新田」を含め、「家」1163軒、「人口」5647人の記録が残っています。

 古くから人々が住み「さわら」が発展していたことを今に残すひとつが今回ご紹介する「樋橋」です。
 「樋橋」が架かっている「小野川」は「佐原の市街」を東西に分けて流れています。
 「樋橋」は、もともと江戸時代の前期に「小野川」上流でせき止めた「佐原村用水」(「農業用水」)を、「小野川」の「東岸」から対岸の「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅」方面)の「田」に送るため(通すため)に、「小野川」に架けられた大きな「樋(とよ)」(「大樋(おおとよ)」)であったそうです。

 その「樋」の上に「板」を渡して「人」が渡るようになり、「樋橋」となったそうです。
 300年近く使われ、戦前(昭和時代)に「コンクリート」の「橋」になってからも「橋」の下側につけられた「大樋」に流れる「水」が、「樋橋」の両側から「小野川」にあふれ落ちて「ジャージャー」と「音」を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の「通称」(愛称)で親しまれていました。

 「樋橋」は、昭和時代に「コンクリート橋」、1992年(平成4年)に現在の「橋」になりました。
 今の「橋」は「観光用」につくられたもので平成4年に「橋」をつくる際に、かつての「じゃあじゃあ橋」のイメージを再現するため、「水」を落ちるように造られました。
 現在の「じゃあじゃあ橋」は9時から17時まで30分間隔(30分ごとに)で「水音」を聞かせてくれます。

 「じゃあじゃあ橋」の架かっている場所ですが、「伊能忠敬旧宅」の前にあり、「じゃあじゃあ橋」を渡ると向かい側には「伊能忠敬記念館」(2011年3月8日・2012年1月29日のブログ参照)があります。

 ちなみに「樋橋」の「落水」は、1996年(平成8年)に「環境省」の「日本の音風景100選」(残したい日本の音風景100選)に選定されています。

 「小江戸」「佐原の町並み」に映(は)える「風情(ふぜい)」のある「水音」は、今も昔も「小野川」に響き渡っています。
 「樋橋」を愛でに「香取市佐原」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「樋橋」や「小野川」沿い「佐原の町並み」は、「AKB48(エーケービーフォーティーエイト)」の「言い訳Maybe(メイビー)」のPV(プロモーションビデオ)に登場しています。













| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=940 |
| 地域情報::香取 | 11:36 AM |
「第1回NARITAサッカーフェスタ」〜水沼貴史フレンズファミリークリニック&フレンドリーマッチ〜(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田市中台運動公園陸上競技場」で今週末の2月18日(土)に開催されます「第1回NARITAサッカーフェスタ」〜水沼貴史フレンズファミリークリニック&フレンドリーマッチ〜(以降「第1回NARITAサッカーフェスタ」と表記)です。

 「第1回NARITAサッカーフェスタ」は、「日本サッカー」を支え、Jリーグで「選手」「コーチ」「監督」として活躍されてこられた「往年の名選手」の皆さんが「成田」の「地」で「フットボール(サッカー)」の魅力を伝えるべく行われるイベントです。

 「第1回NARITAサッカーフェスタ」に参加される元「Jリーガー(サッカー選手)」は、「水沼貴史」さん、「長谷川健太」さん、「福田正博」さん、「水内猛」さん、「奈良橋晃」さんほかとなっています。

 「水沼貴史」さんは、埼玉県浦和市(現「さいたま市浦和区」)出身の元プロサッカー選手で、往年の名選手「木村和司」さん「金田喜稔」さんらとともに「日産」の「黄金期」を築いた「プレーヤー」です。
 なお「水沼貴史」さんは、Jリーグ以外の各カテゴリー(小・中・高・大、社会人)で「優勝」を経験した数少ない「選手」です。
 「日本代表」でも活躍し、Jリーグ発足前から「日本サッカー界」を支えた「人物」としても知られています。
 現役引退後は、「サッカー解説者」、OBでもある「法政大学」、「横浜F・マリノス」の「コーチ」を歴任、2006年に「成績不振」で辞任した「岡田武史」監督の後を受け、「監督」に就任しています。
 ちなみに「マリノス出身」の元選手が「横浜F・マリノス」の「監督」になったのが、「水沼貴史」さんだそうです。

 「長谷川健太」さんは、静岡県清水市(現「静岡市清水区」)出身の元プロサッカー選手で、「現役時代」はフォワードとして活躍し、右斜め45度から放つ豪快なシュートや正確なクロスボール(ケンタリング)が売り物でした。
 「長谷川健太」さんは「小学校時代」から活躍し、「静岡県清水東高校」時代には「小学校」時代からの「盟友」「大榎克己」さん(MF)、「堀池巧」さん(DF)と共に「清水東三羽烏」として大活躍しました。
 その後「筑波大学」でも活躍し、「日本サッカーリーグ」一部の日産に入り、「チーム」の2年連続「三冠」(リーグ、天皇杯、JSL杯)に貢献しました。
 1991年に「日産」から「清水エスパルス」に移籍し、「ナビスコカップ」優勝、「Jリーグ2ndステージ」優勝などに貢献。
 「日本代表」にも選出され、「ワールドカップ予選」や「アジア大会」などにも出場しています。
 現役引退後「サッカー解説者」、「浜松大学サッカー部」監督等を歴任し、OBである「清水エスパルス」の監督に就任。
 現在は「サッカー解説者」に復帰しています。

 「福田正博」さんは、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手で、Jリーグが開幕した1993年から引退する2002年まで「浦和レッズ」の「象徴的存在」として活躍し、「サポーター」から「ミスター・レッズ」、「大将」と呼ばれていました。
 高校生時代の3年次の「国民体育大会」(国体)で、「神奈川県選抜」のセンターフォワードとして6得点を挙げる活躍でチームを決勝進出に導き、決勝では「静岡県選抜」を下し、初優勝に貢献しました。
 その後、「中央大学」を経て、「三菱重工業サッカー部」に加入、当時二部に降格していたチームで36得点という圧倒的な力を見せ「得点王」に輝き、「三菱重工」を1年で1部に復帰させる原動力となりました。
 1990年に「日本代表」に初選出、「ダイナスティカップ」、「アジア大会」に出場し活躍、1992年「AFCアジアカップ」優勝にも貢献しました。
 Jリーグ発足当初から「浦和レッズ」で活躍、1995年には「日本人選手」初の「Jリーグ」「年間得点王」となり、チームも優勝争いに絡むなど、チーム成績を向上させました。
 現役引退後、「サッカー」の普及活動に協力する「JFAアンバサダー」や「サッカー解説者」として活躍。
 2008年に古巣「浦和レッズ」でコーチとして復帰、現在は「サッカー解説者」に復帰しています。

 「水内猛」さんは、「神奈川県」出身の元プロサッカー選手で、「福田正博」さんと同じ「浦和レッズ」出身の人気プレーヤーでした。
 出身の「神奈川県立旭高等学校」3年次、「高校選手権」に出場しベスト8進出に導き、2回戦では強豪の「清水東高校」を破る決勝点を決める活躍を見せ、「大会優秀選手」に選出されました。
 高校卒業後、1991年に「三菱自動車工業」へ入社、1992年からは「浦和レッドダイヤモンズ」に入団し、Jリーグ開幕後の1993年は、「柱谷幸一」さんや「福田正博」といった「主力選手の負傷」などもあって、レギュラーに定着、苦しい状況の中、チームを引っ張り、その明るいキャラクターからファンを虜にしました。
 なお「水内猛」さんは、2005年4月にTBSアナウンサーの「小倉弘子」さんと結婚しています。

 「奈良橋晃」さんは、「千葉県千葉市花見川区」出身の元プロサッカー選手です。
 「攻守」に長ける「右サイドバック」で、Jリーグや日本代表で活躍した選手です。
 「千葉英和高校」を卒業後、1990年に「日本サッカーリーグ」1部の「フジタ」(現「湘南ベルマーレ」)に加入、同時に「日本ユース代表」にも選ばれ、旧「ベルマーレ平塚」では「左サイドバック」の「岩本輝雄」さんと共に、「超攻撃型サイドバック」としてチームを牽引、1993年の「ジャパンフットボールリーグ」1部では「サイドバック」にも関わらず「アシスト王」に輝いています。
 1997年に「鹿島アントラーズ」に移籍。
 当時「鹿島アントラーズ」に在籍していた「右サイドバックの名手」「ジョルジーニョ」(現「鹿島アントラーズ」監督) を尊敬しており、念願の移籍を果たしました。
 「鹿島アントラーズ」では数々のタイトルを獲得し、チームの主力として貢献しました。
 日本代表でも活躍し、日本初出場の「フランスワールドカップ」では「右サイドバック」として全3試合に出場しました。
 2007年に「ベルマーレ平塚」に復帰し、一年後に「現役引退」。
 引退後に「JFAアンバサダー」に就任、現在はNHKやスカパーなどで「サッカー解説者」として活躍されています。

 今回開催される「第1回NARITAサッカーフェスタ」では、「ファミリークリニック」、「フレンドリーマッチ」、「懇親会・トークショー」を行います。

 「ファミリークリニック」は、9時30分〜11時00分まで行われ、「ゲスト」による「親子」で楽しめる、「サッカー」を通じた「コミュニケーション」です。

 「フレンドリーマッチ」は、12時00分〜16時00分に行われ、「ゲスト」の皆さんと一緒に「ゲーム」が楽しめます。

 「懇親会・トークショー」は18時30分〜20時30分に「U-シティホテル成田」で行われ、「水沼貴史」さんによる「トークショー」が開催されるそうです。

 「第1回NARITAサッカーフェスタ」の参加者は応募は締め切られましたが、「会場」の「競技場スタンド」は一般見学無料となっています。

 「日本サッカー界」を牽引されてきた「往年の名選手」に会いに「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第1回NARITAサッカーフェスタ」〜水沼貴史フレンズファミリークリニック&フレンドリーマッチ〜詳細

 開催日時 2月18日(土) 9時半〜

 開催会場 成田市中台運動公園陸上競技場

 問合わせ ファックス番号 0476-26-8356
 MAIL naritafootballfesta@yahoo.co.jp

 備考
 「第1回NARITAサッカーフェスタ」〜水沼貴史フレンズファミリークリニック&フレンドリーマッチ〜には、元「横浜F・マリノス」の「平間智和」さん、「井手口純」さんも参加するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=939 |
| 地域情報::成田 | 11:27 AM |
「印西八景」(印西市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「印西市」の「印西八景」です。

 「印西市」は、2008年に「印西市」・「印旛村」・「本埜村」の1市2村の「枠組み」で、「市町村合併」の特例等に関する法律(新合併特例法)の期限である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する話し合いを行うために、2008年10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」及び「議会議員の代表」により構成され設置されました。
 そして翌2009年1月9日に「合併協議会」が設置されました。

 合併の期日を2010年(平成22年)3月23日とし、合併方式は「印西市」に「印旛村」・「本埜村」を編入する「編入合併」、新市の名称は「印西市」とすることで合意、「合併申請」が行われ、2010年3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り、2010年3月23日に「新・印西市」が誕生することとなりました。

 「印西市」には、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」等があります。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原」は「印西市」北西部にあたり最も人口が多く、「北総線」および「国道464号」に沿って発展していて、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」になっており、「印西市」や「千葉ニュータウン」における「経済・商業」の中心地(新市街地)となっています。

 「木下地区」は、旧「木下町」で「印西市」の北西部に位置し、「印西市役所」や「警察署」が所在する「行政」の中心地です。
 古くからの町並みが残る「旧市街地」であり、「利根川」および「木下街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」は「印西市」の東南部に位置し、旧「印旛村」地区にあたり、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日医大駅」を中心とした「千葉ニュータウン」「いには野」地区では「宅地化」が進行しています。
 一方で「谷津田」をはじめ「自然」も多く残されており、樹齢300年を超える「吉高の大桜」(のブログ参照)や「ナウマン象発掘」の地などの「観光名所」があります。

 「本埜村」は、「印西市」の北東部に位置し、旧「本埜村」地区にあたり、「北印旛沼」に面して「水田」が広がり、冬には「越冬」のために800匹を越す「白鳥」が飛来します。
 一方で「印西牧の原駅」北側の「千葉ニュータウン」「滝野」地区では「宅地化」が進行しています。
 また「成田空港」に近いため、近年「国道464号線」の「沿道」の「みどり台」などには「研究所」や「物流センター」などの進出が目立っています。

 「印西市観光協会」では「印西市」の「見処」を選定した「印西八景」というものを発表。
 広大な面積を誇る「印西市」から選ばれました「印西八景」はどれも味わい深い「観光スポット」となっています。

 「印西八景」は、平成8年に選定し、「大六天の手賀沼」、「長楽寺の晩鐘」(県の有形文化財)、「利根川の朝霧」、「木下公園の貝層」(国指定の天然記念物)、「光堂の雪景」(「宝珠院観音堂」の別名。国指定重要文化財)、「こすもす大橋の夕映」、「結縁寺の彼岸花」(国指定重要文化財「銅像不動明王立像」が安置)(2011年9月27日のブログ参照)、「小林牧場の櫻花」(房総の魅力500選)を選定しました。

 「大六天の手賀沼」は「永治プラザ」からほど近い「永治小学校」プール脇、「水田」の彼方に「手賀沼」の水面が美しく映えます。
 「長楽寺の晩鐘」は「三段組」で鋳上げられた「梵鐘」で、この「梵鐘」の中には「銘文」が刻まれています。
 「利根川の朝霧」は別名「坂東太郎」と呼ばれる「利根川」の朝景、「利根川」では「鯉」や「ふな」など「釣り客」で賑わい、特に「印西」の「土手」からの「雄姿」は見事です。
 「木下公園の貝層」は「県立印旛高校」入口にあり、約13〜8万年前の「貝化石」を多量に含む「地層」です。
 「光堂の雪景」は「宝珠院観音堂」の「別名」で「室町後期」の建立で簡素を特徴とする「禅宗様式」で「茅葺き」の「お堂」です。
 「こすもす大橋の夕映」は「北総公団線」にかかる「橋」で、「空気」の澄んだ「冬の夕暮れ時」には、遠く「富士山」を望むこともできるそうです。
 「結縁寺の彼岸花」は「銅像不動明王立像」が安置され、毎年9月28日に開帳されます。
 「秋」には「彼岸花」や「コスモス」が周辺を彩り、より一層風情を漂わせます。
 「小林牧場の櫻花」は「ソメイヨシノ」や「八重桜」など300本を越える「桜」があり、県内有数の「桜の名所」です。

 「印西」の魅力集めた「印西八景」。
 四季折々の風景・表情は、「印西市民」の感動をうんでいる「観賞スポット」のようです。

 備考
 「印西市観光協会」では「印西七福神めぐり」(1月16日のブログ参照)も推進しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=938 |
| 地域情報::成田 | 10:35 AM |
「浄国寺お宝巡り」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「浄国寺」で2月16日(木)で行われる「浄国寺お宝巡り」です。

 「浄国寺」(2010年11月23日のブログ参照)は、「銚子市春日町」にある「一立山 無衰院 浄国寺」という「浄土宗」の「寺院」で、創建は1255年(建長7年)「記主禅師」(然阿良忠上人)が開山したと伝えられています。

 「浄国寺」境内には、樹齢100年にも及ぶ「雌雄一対」の「大銀杏」、「松」、「梅」などの「古木」があり、「開花時期」には多くの人が訪れます。
 「浄国寺」の「庭」は「銚子のおすすめスポット」のひとつで、特に樹齢300年以上になる「梅」の「木」が有名です。
 また「浄国寺」の「梅」(2011年2月4日のブログ参照)は、「銚子地方」の「標本木」(標準木)で、「銚子」の「春」の「訪れ」を知らせる「木」として知られています。

 今月の2月7日(火)に、「銚子地方気象台」(2011年1月5日のブログ参照)の「職員」が、「浄国寺」境内にある「標本木」の数輪の「開花」を確認、「銚子地方」の「梅」の「開花」が宣言されました。
 「梅」の「開花宣言」されましたが、「浄国寺」境内に約50本ある「白梅」や「紅梅」の「木」に見られる「花びら」は数えるほどで、多くの「枝」には膨らみかけの「つぼみ」なので、見頃は少し先のようです。

 「浄国寺」には、「松尾芭蕉」や「渡辺華山」、「小林一茶」など、多くの「文人・墨客」が訪れていたようです。
 「浄国寺」境内には、「松尾芭蕉の句碑」があり、古くから文化人と繋がりがあったことを今に伝えています。

 また「浄国寺」では、昨年(2011年)3月11日に発生した「東日本大震災」と「福島第1原発事故」で「避難生活」を余儀なくされている「子どもたち」や「放射線量」が高く限られた時間しか外で遊べない「福島の子どもたち」を「銚子」に招き、「銚子の自然」と「心の交流」、「子守唄」の癒しの力によって、リフレッシュしてもらう催し「子ども寺子屋イン銚子」(2011年11月24日のブログ参照)など「社会貢献活動」を積極的に行っていることでも知られています。

 今回行われる「浄国寺お宝巡り」ですが、開催日2月16日(木)に「第一部」「第二部」の2回行われます。
 「お宝巡り」「第一部」、「第二部」共に先着各20名定員の企画で、参加締切は明日(2月13日)までとなっています。

 当日の流れですが、「住職」による「寺宝」解説が行われ、その後「銚子ボランティアガイド観光船頭会」による「浄国寺」境内、「寺宝」案内となっています。

 「銚子の名刹」「浄国寺」の「寺宝」が見られるこの機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「浄国寺お宝巡り」詳細

 開催日時 2月16日(木) 10時〜 14時〜

 開催会場 浄国寺 銚子市春日町23

 スケジュール

 第一部

 9時45分 受付開始

 10時00分 住職による「寺宝」解説

 10時20分 銚子ボランティアガイド観光船頭会による境内「寺宝」案内

 11時00分 解散

 第二部

 13時45分 受付開始

 14時00分 住職による境内「寺宝」解説

 14時20分 銚子ボランティアガイド観光船頭会による境内「寺宝」案内

 15時00分 解散

 問合わせ 銚子市産業観光部観光商工課観光班 0479-24-8707

 備考
 今年(2012年)の「銚子地方」の「梅」の「開花」ですが、昨年(2011年)より26日遅く、平年と比べても18日遅いそうです。













| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=937 |
| 地域情報::銚子 | 10:28 AM |
春のお献立♪になりました
旅の楽しみのひとつはお食事音符

本日よりお夕食が春のお献立になりました。

旬の食材を意識して取り入れたメニューとなっております。


喜んでいただけますようにハート






竹コースのお客様のお食事です。


| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=936 |
| 地域情報::銚子 | 10:31 PM |
「銚子電鉄」の「沿革」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子電鉄」の「沿革」です。

 「銚子電鉄」は、全長6.4kmある「銚子駅」から「外川駅」までの10駅を約20分で結ぶ「観光客」の皆さんに人気の「電車」です。
 「銚子電鉄」の距離は、「芝山鉄道」(千葉県・2.2km)、「紀州鉄道」(和歌山県・2.7km)、「岡山電気軌道」(岡山県・4.7km)、「水間鉄道」(大阪府・5.5km)、「流鉄」(千葉県・5.7km)に次いで、全国で6番目に短い「鉄道」なのだそうです。

 「銚子電鉄」の「沿革」ですが、「銚子」から「犬吠埼」、「外川」方面に至る「鉄道」の「敷設」を「総武鉄道株式会社」(「総武本線」を敷設した会社)が、「外川」まで延長しようとしたことから始まります。
 「総武鉄道株式会社」が、1901年(明治34年)5月1日に「免許」を取得しましたが、「利用者」の増加が見込めないなどの理由で「敷設」を断念。
 その後、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)や13代目「田中玄蕃」、「小野田周斎」など「銚子」の有力者の間で「鉄道敷設」の議論が起こり、1909年(明治42年)12月9日に「銚子人車鉄道」の「計画」を「政府」に申請。
 「計画」によれば、「銚子駅」から「外川」までの「本線」と、途中で「犬吠埼灯台」までの「支線」を「敷設」するものでしたが、結局は実現しませんでした。

 1912年(明治45年)になって「銚子人車鉄道」の「発起人」たちは、改めて「銚子」〜「外川」間に「蒸気鉄道」の「敷設」を申請、1913年(大正2年)1月15日に「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立。
 同年12月28日に「銚子」〜「犬吠」間が開業し、途中に「仲ノ町(なかのちょう)」、「観音」、「本銚子(もとちょうし)」、「海鹿島(あしかじま)」の「駅」を設置しました。

 念願が叶った「銚子遊覧鉄道」ですが、開業当初より「経営」は不振であったとのことです。
 そのような中、1914年(大正3年)7月に「第一次世界大戦」が勃発すると、「鉄材」の「価格」が高騰したことを機に、「銚子遊覧鉄道」が「経営不振状態」を理由に、「重役会議」で「鉄材」を売ることで「総資本金」を回収することが出来ると判断、「レール」や「蒸気機関車」、「客車」、「貨車」を売却し、「銚子遊覧鉄道」は、1917年(大正6年)11月20日に廃止しました。
 (公式な営業廃止日は11月30日だそうです。)

 残った旧「線路用地」ですが、廃止時の「沿線住民」との協定により、何らかの「交通手段」のために用いることとされていた為、売却できず、「駅舎」などもそのまま残っていて「会社清算人」が保有していたそうです。
 翌年の3月に「銚子遊覧鉄道」の旧重役が中心となり、「政府」に対して「国鉄」の「犬吠延長」に働きかけたそうですが、実現しませんでした。
 ちなみに旧「線路用地」は、一時「犬吠埼の老舗ホテル」の「自動車部」が運行する「乗合自動車(バス)路線」として利用されており、これは「日本最初」の「自動車専用道路」と考えられているそうです。

 1921年(大正10年)10月13日、旧「銚子遊覧鉄道」の「発起人」などによって「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、「路線」も「外川」まで延伸され、1923年(大正12年)7月5日に開通しました。
 しかし「銚子鉄道」は「ガソリン機関車」を利用し運行していましたが、故障続きであったそうです。
 そのため、「鉄道省」から「蒸気機関車」を借用して運行していました。
 ついに「ガソリン機関車」が故障が多いことや「借用」での「蒸気機関車」の運行から「鉄道省」より「文書勧告」されてしまいました。

 そこで「文書勧告」に対し、「銚子鉄道」は、「蒸気動力」ではなく、「電化」することを選んだそうです。
 当時「銚子鉄道」「大株主」の「子息」が「長野県」の「伊那電気鉄道」(現在のJR飯田線の一部)の「取締役」になっていた関係があり、結び付きがあったことから、「増資資金」の「全額」を求めて工事が進められ、1925年(大正14年)7月1日に「電化」開業しました。
 またその際、使用する「電車」は、「伊那電気鉄道」で不要になった3輌を譲り受けました。
 同じ日に、「上下線」が交換可能な「笠上黒生駅」を設置。
 「電化」後の「経営」は順調で、「松岸」や「川口」方面への延長が計画されましたが、実現しませんでした。
 1931年(昭和6年)6月21日には、「君ヶ浜駅」が設置されました。

  その後、「太平洋戦争」(第二次世界大戦)末期の1945年(昭和20年)7月19日・20日にかけて受けた「爆撃」(銚子大空襲)で「仲ノ町車庫」と「電車」1輌、そして「変電所」が焼失してしまい、「電車」の運行が不可能になってしまったそうです。
 この時「銚子鉄道」で「廃線」の方針が打ち出されかけましたが、「電気」が無いだけでは「廃線」が出来ないと結論。
 「蒸気機関車」を「国鉄」から借用して同年12月3日に「運行」を再開したそうです。

 「空襲」の被害を受けた「変電施設」は「新潟県」の「蒲原鉄道(かんばらてつどう)」(1999年(平成11年)4月廃線)から中古の「発動発電機」を譲り受け「変電所」が復旧し、1946年(昭和21年)6月10日から「電車」運転が復活。
 そして、1948年(昭和23年)8月20日、現在の「銚子電気鉄道株式会社」と改称され、現在に至っています。

 幾多の困難、情勢に翻弄されながらも、時代と共に生き抜いてきた「銚子電鉄」。
 今日も「銚子電鉄」は「銚子市内」を元気に運行をしています。

 備考
 「銚子電鉄」の「外川駅」は、2007年(平成19年)4月に、「日経新聞」から発表された「訪ねる価値のある駅ベスト10」で、「外川駅」が見事、第10位に入りました。
 「外川駅」の「木造の古い駅舎」と「待合室」内部は、「ローカル線」である「銚子電鉄」の「終点駅」の雰囲気を盛り上げています。













| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=935 |
| 地域情報::銚子 | 10:25 AM |
「多古町散策マップ」「たこるんぱ」(多古町)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「多古町」の「多古町散策マップ」「たこるんぱ」です。

 「多古町」は、豊かな「自然」と「歴史」に彩られ、昔の「面影」を残す「まち」です。
 「多古町」では、昨年(2011年)「多古町散策マップ」兼「観光情報マップ」「たこるんぱ」を作製、発表しました。

 「たこるんぱ」は、「道の駅多古あじさい館」をスタートし、「田んぼ」の中の「道」を通り、「歴史の面影」を残す「中地区」、さらに「食」と「情緒」を味わえる「まちなか」へ至る「コース」となっています。
 「たこるんぱ」を制覇(コンプリート)すると、「多古町」の「名刹」・「古刹」や「由緒」ある「建造物」、懐かしい「味」に出合うことができます。

 「多古町」では以前にも「観光名所」などを紹介している「ガイドマップ」はありましたが、町内をゆっくりと周遊してもらうための各ポイントを盛り込んだ「ルートマップ」の作製は初めての「試み」であったそうです。
 今回作製された「たこるんぱ」は、豊かな「自然」や「歴史文化」を今なお多く残す「多古町の魅力」を「写真」や「一口情報」も載せながら紹介しています。

 ちなみに「たこるんぱ」とは、「多古町」は誰もが楽しめる「散歩まち」ということで、「たこまち」を、「るんるん気分」で、「ぐるんと散歩」から、「たこ」(「たこまち」の「たこ」)「るん」(「るんるん」「ぐるん」の「るん」)「ぱ」(しめは「散歩」の「ぽ」でなくなぜか「ぱ」)で「たこるんぱ」となったそうです。
 (最後を「ぱ」にしたことには、特別な意味はなく、韻(いん)によるものではないかと思われます。)

 「たこるんぱ」の「コース」ですが、「道の駅多古あじさい館」(2010年9月6日のブログ参照)を発着点に、「食べ歩き」は「まちなか」の「団子」や「田舎ずし」などを約4.6キロ、1時間20分のコース。
 「歴史探索」は「日蓮宗」の「古刹」・「日本寺」(2011年6月12日のブログ参照)や、日本で初めて「ダイナマイト」を輸入した「渋谷嘉助」の「旧宅」「正門」(国登録文化財)など「伝統」と「文化」を感じる約8キロ、2時間20分ほどのコース。
 また「たこるんぱ」「全行程」(フルコース)で約3時間、約10キロのコースの「3コース」が設置されています。

 「たこるんぱ」「全行程」(フルコース)は、1「道の駅多古あじさい館」をスタートし、〜徒歩30分〜2「日本寺」〜徒歩15分〜3「峯妙興寺」〜徒歩20分〜4「渋谷嘉助旧宅正門」〜徒歩15分〜5「浄妙寺」〜3徒歩5分〜6「眺望ポイント」〜徒歩7分〜7「飯土井橋」〜徒歩15分〜8「丸木舟」〜徒歩10分〜9「木内家住宅」〜徒歩3分〜10「旧多古郵便局」〜徒歩5分〜11「多古藩陣屋跡」〜徒歩15分〜12「あじさい公園〜10分〜13「道の駅多古あじさい館」に戻ってくるというものです。
 (「徒歩時間」、「距離」は「目安」として利用下さいとのこと)
 (また「見学」や「休憩」を含んでいません)

 「多古町」の「食べ歩き」と「歴史散策」をテーマにした「観光情報マップ」「たこるんぱ」を「手」に、「足」で「多古町」を周遊してみませんか?

 備考
 「たこるんぱ」では、時間がない方のために「食べ歩きコース」のみ(約4.6キロ約1時間20分)と「歴史散策コース」のみ(約8キロ約2時間20分)を作成。
 「食べ歩きコース」は、1〜7〜8〜9〜10〜11〜12〜13(1)となっています。
 「歴史散策コース」は、1〜2〜3〜4〜5〜6〜7〜13(1)となっています。
 「番号」は上記「全行程」(フルコース)にふってある「ポイント名称」を参照下さい。

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| 地域情報::成田 | 09:01 AM |
「奈土のおびしゃ」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「磐裂神社(いわさくじんじゃ)」で明後日(あさって)の2月12日(日)に行われます「奈土のおびしゃ」です。

 「奈土のおびしゃ」は、「成田市」「奈土地区」の「磐裂神社」で行われる150年前から伝わる「祭礼」です。
 古式にのっとり、午前中に「磐裂神社」で「五穀豊穣」と「家内安全」を祈願したあと、「磐裂神社」と「当番」の「官主の家」や「三叉路」の「路上」で「新官主」と「旧官主」が「盃(さかずき)」を交わし、「神様」の「受け渡しの儀式」(神事)を行う珍しい「おびしゃ(御武射)」です。
 「町内各地」で行われる「農村行事」で、「神楽」は、「奈土のおびしゃ」の「祭礼」にて奉納されます。
 この行事は「秋」の「収穫の豊作」を祈るための「行事」のひとつなのだそうです。

 「奈土のおびしゃ」では、上記のように午前中に「集落の鎮守」である「磐裂神社」で「奈土5区」・「6区」「両区」の「役員」が「神社」に「神職」を迎え「神事」を行います。

 「神事」を行った後、昼過ぎ(午後)に「区」ごとに行事が行われます。
 「奈土地区」では「官主」「当番宅」にて「座敷の儀」が行われます。
 「竹」で「結界」を作り、「酒樽」に立てた「神の依代」(「氏子名簿」と「榊」を「奉書紙」に包んだもの)を囲み、「奈土地区」の「戸主」たちが数人ずつ「数座」に分かれて「御神酒(おみき)」を酌み交わし、「座敷の行事」を行います。

 「座敷の儀」の後半、「庭先」で「獅子舞保存会」による「獅子舞神楽」が舞われます。
 前半は「二人立ち」の「獅子舞」、後半は「幣束」と「鈴」を持って一人で舞う「神楽舞い」で、同じ「舞手」が演じます。
 「お囃子」は「笛」、「太鼓」、「鉦」だそうです。

 「座敷の儀」が終わると、新旧「官主」の「引継儀式」に移ります。
 「露払いの幟」を先頭に「次期神主(当番)」、「役員」、「お囃子」の行列が続きます。
 「次期官主(当番)」らは、背中に「神の依代」をさしてもらい、近くの「三又の分かれ道(三叉路)」に出向き、「三又の儀式」により「官主」の引き渡しを行います。
 「幟」に「明星尊天」とあるのは、「磐裂神社」が古くは「明星尊天」と称したことによるそうです。

 「三又の儀」では、「三叉路」に「ゴザ」を敷き、「鶴亀」と「腹合わせ」の「牡牝(おすめす)の活鮒」を飾ります。
 「紋付き袴姿」の新「官主当番」は、背中に「神の依代」を背負っています。
 新旧「当番」が「盃」を交わし、「当番」が引き継がれ、その後、新旧の「当番宅」でそれぞれ「直会」が行われてお開きになるようです。

 古式に則った「成田市」「奈土地区」に伝わる「奈土のおびしゃ」。
 「新春の伝統行事」を見にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「奈土のおびしゃ」詳細

 開催日  2月12日(日) (2月13日以降の直近の日曜日)

 開催会場 磐裂神社 成田市奈土738-1

 問合わせ 成田市大栄支所農産土木課 0478-73-8063

 備考
 「奈土のおびしゃ」の「奈土地区」の「5区」・「6区」の「おびしゃ」は県記録選択「無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::成田 | 08:58 AM |
「成田の梅まつり」(成田市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山公園」で明後日(あさって)の2月11日(祝・土)〜3月11日(日)の1ヶ月の期間開催されます「成田の梅まつり」です。

 「成田の梅まつり」の会場である「成田山公園」(2011年11月8日のブログ参照)は、「成田山新勝寺」(2010年11月16日のブログ参照)「大本堂」の裏手に広がる「成田市民」の憩いの「公園」です。
 「成田山公園」では、「初春」には「梅まつり」(2011年2月10日のブログ参照)、「晩秋」には「紅葉まつり」(2010年11月12日のブログ参照)が行われ、「春」には「桜」、「夏」には「新緑」、「冬」には「雪景色」(積雪時)といった四季折々の「色」や「表情」を見せています。
 「成田山公園」は、「東京ドーム」3個半分も入るほどの「広さ」があります。

 「成田山新勝寺」「大本堂」に向かって「右側」に「成田山公園」の「入口」があります。
 「成田山公園」には、平均樹齢50年を超える約460本の「紅梅」や「白梅」が植えられていて、「観梅(かんばい)」がなんといっても見処です。
 例年2月中旬から3月中旬にかけて咲き、「成田山公園」は「梅の香り」でいっぱいになるようです。

 また「成田の梅まつり」期間中の日曜・祝日(計6日間)には、様々な「催事」を開催されます。
 今年(2012年)の「成田の梅まつり」の「催し」ですが、「観梅の演奏会」、「甘酒進上」、「表千家観梅の茶会」、「観梅の投句コンテスト」、「氷の彫刻展」、「草木染め「花の集い展」」となっています。

 「観梅の演奏会」では、「伝統音楽」の「演奏会」が行われます。
 毎回大勢の「お客様」が「春」を奏でる「音色」に「耳」を傾け、好評な「催し」です。
 (「観梅の演奏会」のスケジュールは下記の「詳細」内に記載)

 「甘酒進上」は、「米麹(こめこうじ)」を使って、その場で手作りした「甘酒」を「無料」でお配りするそうです。
 「甘酒」の「ほんのりした甘さ」は、「公園散策」で冷えた「指先」や「体」を「芯」から温めてくれるようです。

 「表千家観梅の茶会」では、「表千家成田市茶道会」の「皆様」の協力により、「表千家観梅の野点」を「無料」で開催。
 初めて「お茶」を召し上がる方でも参加いただけるそうです。
 (詳しくは下記の「詳細」内に記載)

 「観梅の投句コンテスト」ですが、「兼題」は「梅」です。
 「成田山公園」に設けられた「投句所」「投句箱」にて、1人2句以内として「未発表」に限るという条件で募集。
 「俳句」の「選者」は「成田山新勝寺」「貫主」の「橋本照稔猊下」です。
 「観梅の投句コンテスト」「入選者」には4月下旬に直接通知し、「広報なりた」、「智光」(成田山だより)等にて発表するそうです。
 (下記の「詳細」に記載)

 「氷の彫刻展」ですが、四角い「氷柱」が「職人たち」の手によって様々な形に作り上げられていく過程を「目の前」で観覧することができる「催し」。
 「冬」ならではの「氷」の「芸術品」が並ぶ様子は圧巻だそうです。
 (下記「詳細」内にスケジュール記載)

 「草木染め」「華の集い展」では、3月4日(日)〜3月11日(日)に「成田観光館」で行われ、「自然の草花」を「染料」として、「スカーフ」や「タぺストリー」等の大小さまざまな「布地」に染め込んだ「作品」が展示、「自然の持つ色彩」を堪能できるそうです。

 「季節の花」「梅」を愛でる「成田の梅まつり」。
 催し盛り沢山の「成田山公園」に、訪れてみてはいかがでしょうか?

 「成田の梅まつり」詳細

 開催期間 2月11日(祝・土)〜3月11日(日)

 開催会場 成田山公園 成田市成田

 「観梅の演奏会」

 日程

 2月11日(祝・土) 津軽三味線 (通若会社中)

 2月12日(日)   津軽三味線 (佐藤通弘・通芳)

 2月19日(日)   箏(清翔会)・尺八(竹樹会)

 2月26日(日)   二胡(ワン・シャオフォン)

 3月4日(日)   箏(清翔会)・尺八(竹樹会)

 3月11日(日)   二胡・揚琴・中国琵琶・胡琴来舞

 開催会場 

 成田山公園内「西洋庭園」

 演奏時間

 11時〜 と 14時〜 の2回演奏 (雨天中止)

 「甘酒進上」

 提供場所

 成田山公園内「西洋庭園」

 提供時間

 10時〜15時 (雨天中止)

 「表千家観梅の野点」

 「社中」日程

 2月11日(祝・土) 行方宗岑 先生

 2月12日(日)   八尾宗保 先生

 2月19日(日)   岡嶋宗冨 先生

 2月26日(日)   小林宗芳 先生

 3月4日(日)   矢澤宗文 先生

 3月11日(日)   大塚宗裕 先生

 野点時間

 10時〜15時 (受付終了16時半)

 野点会場

 成田山公園内「文殊の池」上「梅林」

 「観梅の投句コンテスト」

 投句箱設置時間

 10時〜15時

 投句箱設置場所

 成田山公園内「西洋庭園」
 (「宗吾霊堂」「大本堂」前にも設置されています)

 「観梅の投句」賞

 秀句 9句

 成田山新勝寺貫主賞
 成田市長賞
 成田市議会議長賞
 京成電鉄株式会社賞
 JR成田駅長賞
 宗吾霊堂貫主賞
 三橋鷹女賞
 成田市商工会議所会頭賞
 (社)成田市観光協会賞

 入選 20句

 「氷の彫刻展」スケジュール

 3月11日(日)

 9時30分〜 開会式 (大本堂1階表玄関前)

 9時45分〜 競技開始

 12時15分〜 競技終了・審査

 13時00分〜 特別大護摩参詣「成功成就」

 14時45分〜 表彰式

 開催会場

 成田山新勝寺大本堂前広場周辺

 「草木染」「花の集い展」

 開催期間

 3月4日(日)〜3月11日(日)
 (ただし、3月5日(月)は「成田観光館」が「休館日」のためお休み)

 開館時間

 9時〜17時 (入館は16時30分まで)

 開催会場 成田観光館

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田山公園」の「梅」の中で、ひと足先に「春の訪れ」を告げるのは、「蝋梅(ろうばい)」です。
 「蝋梅」は、「ロウバイ科ロウバイ属」に属しており、黄色の「花」を咲かせます。
 小さいながら、寒い「冬」の季節にパッと明るく咲くたくましい「花」で芳香な「香り」を漂わせるそうです。

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| 地域情報::成田 | 11:27 AM |
「飛行機工作教室」「バレンタインコンサート」「航空科学博物館」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で明後日(あさって)の2月11日(祝・土)に開催されます「飛行機工作教室」と翌日2月12日(日)に開催されます「バレンタインコンサート」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「成田国際空港」に隣接する「山武郡芝山町」にある「日本最初」の「航空専門」の「博物館」です。
 1989年(平成元年)8月1日にオープンして以来、2004年には「入館者」300万人を達成し、近年密かなブームである「大人から子供まで楽しめる社会科見学スポット」として親しまれています。

 人気の「航空科学博物館」では、定期的に「企画」「行事」が開催されています。

 2月11日(祝・土)に開催される「企画」は、「1階多目的ホール」で行われます「飛行機工作教室」です。
 「参加方法」は、当日開館時間である10時から受付にて予約し、先着40名の定員で締め切るそうです。
 「内容」ですが、「インストラクター」が上手な「作り方」や「飛ばし方」を説明、よく飛ぶ「飛行機」を作れるようです。

 また翌日の2月12日(日)「航空科学博物館」「バレンタインデーコンサート」が「1階展示室」「特設会場」にて12時〜と15時〜の2回開催されます。
 「バレンタインデーコンサート」では、「ボーカル」に「高田なみ」さんを迎え、「砂本典子」さん、「益田和嘉子」さんによる「コンサート」が行われます。

 「高田なみ」さんは、「富山県」出身の「歌手」・「女性ボイストレーナー」で、「ポップスユニット」「SteptoHeaven」「Sora」のボーカルも務め、2007年よりソロデビューしています。
 「高田なみ」さんは、「nami〜The good days J-pop〜」という「カバーアルバム」も発売。
 「アルバム」には「夏の恋人」(竹内まりや)、「あの日にかえりたい」(荒井由実)、「Down Town」(EPO)、「友だち」(今井美樹)、「みずいろの雨」(八神純子)、「小さなワルツ」(大貫妙子)、「あなたに出逢えてよかった」(平松愛理)、「マイ・ピュア・レディ」(尾崎亜美)、「少女」(五輪真弓)、「夢で逢えたら」(吉田美奈子)が入っています。

 「砂本典子」さんは、「国立音楽大学」「応用音楽学科」卒業、「東京学芸大学」「大学院」「教育学研究科・作曲コース」修了され、「武岡賞」や「ヤマハインターナショナルエレクトーンコンクール'97クラッシック部門」「ファイナリスト賞」等を受賞されています。
 また「イギリス」で短期留学し、「アメリカ」などで学び、「ピアニスト」・「キーボーディスト」として「ミュージカル」「コンサート」などで活躍しています。

 「益田和嘉子」さんは、「東京都」出身で「東京音楽大学」「楽器科」卒業、「ラテンパーカッション」、「クラッシックパーカッション」、「キーボードパーカッション」等、様々な「打楽器」を得意とし、日本の「伝統的なラテンバンド」「東京キューバンボーイズ」や「アニメ音楽界」の「重鎮」である「田中公平」氏のサポートをはじめ、 数々の「コンサート」、「ミュージカル」、「歌番組」、「ドキュメンタリー」、「映画音楽」や「CMのレコーディング」、「イベント」等で活躍中です。

 ちなみに「飛行機工作教室」と「バレンタインデーコンサート」は、「航空科学博物館」の「入場料金」以外、「費用(料金)」は発生しません。

 「航空科学博物館」の2月の企画・イベントに訪れてみてはいかがでしょうか?

 「飛行機工作教室」「バレンタインデーコンサート」詳細

 「飛行機工作教室」

 開催日時 2月11日(祝・土) 13時〜

 「バレンタインコンサート」

 開催日時 2月12日(日) 一回目 12時〜 二回目 15時〜

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 入館料  大人 500円 こども(4歳以上) 200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、「航空アート展」「ヴィンテージポスター」(2011年12月30日のブログ参照)も開催しています。
 開催期間は3月25日(日)まで行っているそうですので、来館の際は鑑賞してみてはいかがでしょうか?

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| 地域情報::成田 | 10:22 AM |

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