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「銚子電鉄」の「沿革」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子電鉄」の「沿革」です。

 「銚子電鉄」は、全長6.4kmある「銚子駅」から「外川駅」までの10駅を約20分で結ぶ「観光客」の皆さんに人気の「電車」です。
 「銚子電鉄」の距離は、「芝山鉄道」(千葉県・2.2km)、「紀州鉄道」(和歌山県・2.7km)、「岡山電気軌道」(岡山県・4.7km)、「水間鉄道」(大阪府・5.5km)、「流鉄」(千葉県・5.7km)に次いで、全国で6番目に短い「鉄道」なのだそうです。

 「銚子電鉄」の「沿革」ですが、「銚子」から「犬吠埼」、「外川」方面に至る「鉄道」の「敷設」を「総武鉄道株式会社」(「総武本線」を敷設した会社)が、「外川」まで延長しようとしたことから始まります。
 「総武鉄道株式会社」が、1901年(明治34年)5月1日に「免許」を取得しましたが、「利用者」の増加が見込めないなどの理由で「敷設」を断念。
 その後、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)や13代目「田中玄蕃」、「小野田周斎」など「銚子」の有力者の間で「鉄道敷設」の議論が起こり、1909年(明治42年)12月9日に「銚子人車鉄道」の「計画」を「政府」に申請。
 「計画」によれば、「銚子駅」から「外川」までの「本線」と、途中で「犬吠埼灯台」までの「支線」を「敷設」するものでしたが、結局は実現しませんでした。

 1912年(明治45年)になって「銚子人車鉄道」の「発起人」たちは、改めて「銚子」〜「外川」間に「蒸気鉄道」の「敷設」を申請、1913年(大正2年)1月15日に「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立。
 同年12月28日に「銚子」〜「犬吠」間が開業し、途中に「仲ノ町(なかのちょう)」、「観音」、「本銚子(もとちょうし)」、「海鹿島(あしかじま)」の「駅」を設置しました。

 念願が叶った「銚子遊覧鉄道」ですが、開業当初より「経営」は不振であったとのことです。
 そのような中、1914年(大正3年)7月に「第一次世界大戦」が勃発すると、「鉄材」の「価格」が高騰したことを機に、「銚子遊覧鉄道」が「経営不振状態」を理由に、「重役会議」で「鉄材」を売ることで「総資本金」を回収することが出来ると判断、「レール」や「蒸気機関車」、「客車」、「貨車」を売却し、「銚子遊覧鉄道」は、1917年(大正6年)11月20日に廃止しました。
 (公式な営業廃止日は11月30日だそうです。)

 残った旧「線路用地」ですが、廃止時の「沿線住民」との協定により、何らかの「交通手段」のために用いることとされていた為、売却できず、「駅舎」などもそのまま残っていて「会社清算人」が保有していたそうです。
 翌年の3月に「銚子遊覧鉄道」の旧重役が中心となり、「政府」に対して「国鉄」の「犬吠延長」に働きかけたそうですが、実現しませんでした。
 ちなみに旧「線路用地」は、一時「犬吠埼の老舗ホテル」の「自動車部」が運行する「乗合自動車(バス)路線」として利用されており、これは「日本最初」の「自動車専用道路」と考えられているそうです。

 1921年(大正10年)10月13日、旧「銚子遊覧鉄道」の「発起人」などによって「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、「路線」も「外川」まで延伸され、1923年(大正12年)7月5日に開通しました。
 しかし「銚子鉄道」は「ガソリン機関車」を利用し運行していましたが、故障続きであったそうです。
 そのため、「鉄道省」から「蒸気機関車」を借用して運行していました。
 ついに「ガソリン機関車」が故障が多いことや「借用」での「蒸気機関車」の運行から「鉄道省」より「文書勧告」されてしまいました。

 そこで「文書勧告」に対し、「銚子鉄道」は、「蒸気動力」ではなく、「電化」することを選んだそうです。
 当時「銚子鉄道」「大株主」の「子息」が「長野県」の「伊那電気鉄道」(現在のJR飯田線の一部)の「取締役」になっていた関係があり、結び付きがあったことから、「増資資金」の「全額」を求めて工事が進められ、1925年(大正14年)7月1日に「電化」開業しました。
 またその際、使用する「電車」は、「伊那電気鉄道」で不要になった3輌を譲り受けました。
 同じ日に、「上下線」が交換可能な「笠上黒生駅」を設置。
 「電化」後の「経営」は順調で、「松岸」や「川口」方面への延長が計画されましたが、実現しませんでした。
 1931年(昭和6年)6月21日には、「君ヶ浜駅」が設置されました。

  その後、「太平洋戦争」(第二次世界大戦)末期の1945年(昭和20年)7月19日・20日にかけて受けた「爆撃」(銚子大空襲)で「仲ノ町車庫」と「電車」1輌、そして「変電所」が焼失してしまい、「電車」の運行が不可能になってしまったそうです。
 この時「銚子鉄道」で「廃線」の方針が打ち出されかけましたが、「電気」が無いだけでは「廃線」が出来ないと結論。
 「蒸気機関車」を「国鉄」から借用して同年12月3日に「運行」を再開したそうです。

 「空襲」の被害を受けた「変電施設」は「新潟県」の「蒲原鉄道(かんばらてつどう)」(1999年(平成11年)4月廃線)から中古の「発動発電機」を譲り受け「変電所」が復旧し、1946年(昭和21年)6月10日から「電車」運転が復活。
 そして、1948年(昭和23年)8月20日、現在の「銚子電気鉄道株式会社」と改称され、現在に至っています。

 幾多の困難、情勢に翻弄されながらも、時代と共に生き抜いてきた「銚子電鉄」。
 今日も「銚子電鉄」は「銚子市内」を元気に運行をしています。

 備考
 「銚子電鉄」の「外川駅」は、2007年(平成19年)4月に、「日経新聞」から発表された「訪ねる価値のある駅ベスト10」で、「外川駅」が見事、第10位に入りました。
 「外川駅」の「木造の古い駅舎」と「待合室」内部は、「ローカル線」である「銚子電鉄」の「終点駅」の雰囲気を盛り上げています。













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| 地域情報::銚子 | 10:25 AM |

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