本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市」「重要伝統的建造物保存地区」の「店舗」などを紹介する企画「佐原まちあるき」です。
第3回の今回は「佐原の町並み」の中心を流れる「小野川」に架かる「樋橋(とよはし)」(じゃあじゃあ橋)です。
「さわら」の地名は、1218年に「千葉介成胤」が「香取大神宮寺観音」へ宛てた「寄進状」に「在佐原村名田二段」と記されているのが「初見」だそうです。
しかし、古代から「香取神宮」に関した「集落」、もしくは「農村集落」があったと推考する「学説」が多いようです。
現在の「佐原の町並み」の範囲は、中世末から近世にかけて形成されたものだそうです。
まちの「組織」をもみると、天正年間に「新宿」が開起し、1608年には、「本宿組」・「下宿組」・「浜宿組」・「仁井宿組」の5組が記録され、江戸時代中期には、「本宿」11町内、「新宿」14町内の記録があり、この時期にほぼ現状の「町内組織」が出来上がったものと思われます。
「佐原村」の規模は、周辺に類例を見ない「大都市」であり、1838年の「佐原村差書上」によりますと、「新田」を含め、「家」1163軒、「人口」5647人の記録が残っています。
古くから人々が住み「さわら」が発展していたことを今に残すひとつが今回ご紹介する「樋橋」です。
「樋橋」が架かっている「小野川」は「佐原の市街」を東西に分けて流れています。
「樋橋」は、もともと江戸時代の前期に「小野川」上流でせき止めた「佐原村用水」(「農業用水」)を、「小野川」の「東岸」から対岸の「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅」方面)の「田」に送るため(通すため)に、「小野川」に架けられた大きな「樋(とよ)」(「大樋(おおとよ)」)であったそうです。
その「樋」の上に「板」を渡して「人」が渡るようになり、「樋橋」となったそうです。
300年近く使われ、戦前(昭和時代)に「コンクリート」の「橋」になってからも「橋」の下側につけられた「大樋」に流れる「水」が、「樋橋」の両側から「小野川」にあふれ落ちて「ジャージャー」と「音」を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の「通称」(愛称)で親しまれていました。
「樋橋」は、昭和時代に「コンクリート橋」、1992年(平成4年)に現在の「橋」になりました。
今の「橋」は「観光用」につくられたもので平成4年に「橋」をつくる際に、かつての「じゃあじゃあ橋」のイメージを再現するため、「水」を落ちるように造られました。
現在の「じゃあじゃあ橋」は9時から17時まで30分間隔(30分ごとに)で「水音」を聞かせてくれます。
「じゃあじゃあ橋」の架かっている場所ですが、「伊能忠敬旧宅」の前にあり、「じゃあじゃあ橋」を渡ると向かい側には「伊能忠敬記念館」(2011年3月8日・2012年1月29日のブログ参照)があります。
ちなみに「樋橋」の「落水」は、1996年(平成8年)に「環境省」の「日本の音風景100選」(残したい日本の音風景100選)に選定されています。
「小江戸」「佐原の町並み」に映(は)える「風情(ふぜい)」のある「水音」は、今も昔も「小野川」に響き渡っています。
「樋橋」を愛でに「香取市佐原」に訪れてみてはいかがでしょうか?
備考
「樋橋」や「小野川」沿い「佐原の町並み」は、「AKB48(エーケービーフォーティーエイト)」の「言い訳Maybe(メイビー)」のPV(プロモーションビデオ)に登場しています。
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地域情報::香取 | 11:36 AM |