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2012,02,20, Monday
「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」(銚子市)
author :
犬吠埼観光ホテル
本日二つ目にご案内するのは、地元「銚子市」の「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」です。
「銚子市」の「菅原大神」ですが、「桜井町」にある「桜井里」の「鎮守」です。
「菅原大神」は、1131年(天承元年)11月の創建とされ、現在の「社殿」は昭和62年に建立されています。
「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真(すがわらみちざね)」公を祀(まつ)る「神社」です。
「菅原道真」は、承和12年6月25日(845年8月1日)〜延喜3年2月25日(903年3月26日)は、「日本」の平安時代の「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」です。
「参議」・「菅原是善」の「三男」で、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」・「太政大臣」。
「菅原道真」は、「宇多天皇」に重用されて「寛平の治」を支えたひとりであり、「醍醐朝」では「右大臣」にまで昇りました。
しかし、「左大臣」「藤原時平」に讒訴(ざんそ)され、「大宰府」へ「権帥」として左遷され現地で没しました。
(「讒訴」とは、人を陥れるために悪く告げ口をすること。)
死後「天変地異(てんぺんちい)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の対象となったそうです。
現在は「学問の神様」として親しまれています。
「銚子市」西部にある「菅原大神」は、「学問の神様」である「菅原道真」を祀っており、地元では「天神さま」と呼ばれていますが、「子授け」の「ご利益」があることでも全国的に有名です。
特に「菅原大神」で、毎年「春」(2月25日)(2011年2月21日のブログ参照)と「秋」(11月25日)(2011年11月23日のブログ参照)に行われる「例祭」には、多くの人で賑わいます。
賑わう理由は、「菅原大神」にある大小90個の「子産石」と呼ばれる「丸い石」が納められており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると言い伝えられているからです。
「菅原大神」の「子産石」は、昔離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫(たまよりひめ)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていました。
それが、何らかの事情により「菅原大神」に移されて以来、「子授けのご利益」を得たいと願う人々が参詣するようになったそうです。
昭和60年上半期(1985年4月1日から10月5日)に放映されましたNHK連続テレビ小説第34作「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子産石」を抱くシーンが放映されたことで、その名が全国的に広まったそうです。
現在でも「菅原大神」「例祭日」には、「子宝」を願う人や、めでたく「子宝」に恵まれて「お礼参り」に訪れる「人」など、多くの「参詣者」で賑わいます。
今週末(2月25日)に行われる「菅原大神」「春の例祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?
備考
「子産石」を抱くシーンでも知られている「澪つくし」は、「銚子市」を舞台とした「ドラマ」で、当時は人気を博していました。
「朝日新聞」2010年9月25日付の「beランキング」「心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では、「澪つくし」の主役だった「沢口靖子」さんが第4位でした。
ちなみに第1位は「樫山文枝」さん「おはなはん」(1966年放送)、第2位は「田中裕子」さん「おしん」(1984年放送)、第3位は「国仲涼子」さん「ちゅらさん」(2001年放送)だそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=954 |
|
地域情報::銚子
| 11:17 AM |
2012,02,20, Monday
「旭の花」「椿(つばき)」(旭市)
author :
犬吠埼観光ホテル
本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」の「市の花」「椿(つばき)」です。
「椿」は、「ツバキ科ツバキ属」の「植物」、学名「Camllia japonica」(通称ヤブツバキ)の「和名」であり、「日本原産」の「常緑樹」です。
「照葉樹林」の代表的な「樹木」で、「花期」は「冬」から「春」にかけてにまたがり、早咲きのものは「冬」さなかに咲きます。
「花椿」は「春」の「季語」ですが、「寒椿」、「冬椿」は「冬」の「季語」で、「椿」は「海柘榴」とも表記されます。
「椿」は、「花」が美しく利用価値が高いので「万葉集」の頃からよく知られていましたが、特に近世に「茶花」としても好まれ多くの「園芸品種」が作られています。
「椿」の「花」は、「花びら」が個々に散るのではなく、「萼」の部分から丸ごと落ちます。
それが「首」が落ちる様子(打ち首=死)を連想させる為に入院している方の「お見舞い」に持っていくことはタブーとされています。
「旭市」の「市の花」になっている「椿」ですが、「幽学公園」内の「椿の里」として521種類、約3000本の「椿」が植えられています。
「遊歩道」が整備され「道脇」に「椿」が咲き誇ります。
「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)は「大原幽学遺跡」の「旧宅」(国指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)を中心に「史跡公園」化したものです。
園内には「大原幽学」関係「資料」や「郷土」の「歴史」と「民俗」に関する「資料」を公開する「施設」として「大原幽学記念館」があります。
「大原幽学記念館」は、「農村改革」に取り組んだ「大原幽学」の「関係資料」などがあり、「農村発展」の「歴史」に親しむことが出来ます。
「大原幽学遺跡史跡公園」には、中世「城址」である「長部城址」と「幽学」ゆかりの近世の「遺跡」を含んだ緑豊かな園内には見所がたくさんあります。
特に、2月下旬から4月下旬までは、園内にある約3000本の「椿」が見頃を迎えます。
全国から集められた色とりどりの「椿の花」が咲き誇る様はたいへん素晴らしいそうです。
また「旭市琴田」にある「海宝寺」にも「椿」が咲き誇るそうです。
「海宝寺」では、早春に「本堂」裏に作られた長さ約250mの「ミニ四国八十八か所霊場参拝路」に沿って「椿」が咲いているそうです。
「海宝寺」には「県指定有形文化財」「絹本著色釈迦涅槃図」があり、4月上旬には、樹齢100年を越える「吉野桜」が見事な「花」を咲かせるそうです。
「旭市」の「花」が「椿」に制定されたのは平成17年10月29日で、制定にあたり「旭市民」の皆さんに「アンケート」をとり、572名の方々から「市の花」について応募があり、「アンケート結果」を基に、「旭市の花・旭市の木選定委員会」で協議・検討した結果、「旭市の花」「椿」、「旭市の木」「黒松(クロマツ)」と決定しました。
「旭市の花」「椿」の制定理由は、「大穀倉地帯」である「干潟八万石」は、かつて「椿の海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれ、その「ツバキ」の「名」は馴染み深いものがあります。
その「ツバキ」にちなみ、制定されたそうです。
また「旭市の木」「黒松」は「白砂青松」と謳われる「九十九里浜」を代表する「木」であり、広く「旭市内」に生育し、「潮風」から守ってくれるなど、力強く頼りがいのある「木」ということで制定されています。
濃い緑の中に咲く「椿」の「花」は映え、「旭市民」に広く親しまれています。
「季節の花」「椿」を愛でに「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
備考
「旭市」の「市名」の「旭」という「名前」の「由来」ですが、1573年の「室町幕府」滅亡後、当地を納めていた「戦国武将」・「木曽義昌」(朝日将軍・「木曽義仲」の19代子孫)は「善政」をしき、「市民」(領民)に慕われました。
1852年「京都」の「歌人」・「野々口隆正」が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、「義昌」公を偲んだ「歌」を詠み、これが「旭」の「名前」の「由来」となったと言われています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=953 |
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地域情報::旭
| 11:17 AM |
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