ご予約・お問合せ 0479-23-5111(代) 受付時間)9:30〜20:00 チェックイン)15:30 チェックアウト)10:00
犬吠埼観光ホテルホームページ
波打ちぎわの天然温泉露天風呂
トップページ
■CALENDAR■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29    
<<前月 2012年02月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■POWERED BY■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■


携帯からもご覧いただけます

「佐原囃子」(香取市)
 本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市」の「伝統芸能」「佐原囃子(さわらばやし)」です。

 「佐原囃子」は、「香取市」の「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)などで演奏される「祭囃子」です。
 また「佐原囃子」は、「神田囃子」、「京都祇園囃子」と並ぶ「日本三大囃子」のひとつと数えられています。

 「佐原囃子」は、「佐原の大祭」(夏と秋 年に2回開催)の「山車(だし)」に「下座連(げざれん)」と呼ばれる「囃子手」が乗車して演奏される「お囃子」です。
 もともと「佐原」周辺の「神楽」の「囃子方」が「山車」に乗り込み、「神楽囃子」を演奏したものに、「江戸」の様々な文化を取り入れようとした「佐原」の「町衆達」が、文化文政期に活躍した「義太夫(ぎだゆう)奏者」・「豊竹式太夫」を「客人」として迎え入れ、構想12、3年かけて作り上げられたのが、今日の「佐原囃子」なのだそうです。

 約400年前の天正年間(1573〜1592年・安土桃山時代)に、「田楽」、「散楽」(猿楽)、「神輿囃子」が元になり、享保年間(1716〜1736年・江戸時代中期)に「江戸文化」の影響を受けて発達したといわれています。
 (「大杉囃子」が「源流」との「説」もあります。)
 「下新町」の「能化塚(のげづか)」に「豊竹式太夫」の「墓」があり、「江戸」の「一流芸人」の「墓」があることは、上記のことを物語る何よりの証拠となっています。

 「佐原地方」では「囃子」のことを「下座(げざ)」とも言います。
 「佐原囃子」には、ゆったりとした「情緒的な曲」や「軽快な曲」など数十の「曲目」があり、「役物」・「段物」・「端物」の3つに分類されます。

 「役物(やくもの)」は「山車」の出発時や到着時等に演奏される「儀式音曲」的なものだそうです。
 「役物」の「主な曲目」は、「さんぎり(砂切)」、「馬鹿囃子」、「花三番叟」、「ひしぎ」(花三番叟の高音の部分曲)、「引き返し」となっています。

 「段物」は「目抜通り」等で演奏される、非常にゆったりとした「旋律」をもつ「長編音曲」的なものだそうです。
 「祭り」で「大通り」を進む時に演奏する「佐原囃子」で最も重要な「曲目群」だそうです。
 「わたり」と言う「笛」の「高音部」を使った「短いフレーム」をはさみ、演奏開始します。
 「段物」の「主な曲目」は、「さらし」、「巣籠もり」、「吾妻」、「神田」、「八百屋」、「段七」、「盾」、「曽我」などとなっています。

 「端物」は一般的な「山車」の運行時に演奏される「民謡」・「里謡」・「流行歌」を取り入れた「抒情音曲」的なものなのだそうです。
 「端物」は、「民謡」や「はやり歌」、「踊り用」など「テンポ」の速い「曲」です。
 「端物」の「主な曲目」は、「矢車」、「剣囃子」、「猫じゃ」、「おやまか」、「大漁節」、「串本節」、「巣籠もりくずし」、「矢車くずし」、「吉野」、「大和」、「佐原音頭」、「佐原小唄」、「松飾り」、「あんば」、「枯れすすき」、「大杉あんば」、「ラッパ節」、「若いお巡りさん」、「日光和楽」、「船頭小唄」、「八木節くずし」、「華厳の滝」、「ノーエ節」、「恋慕小唄」、「ラバウル小唄」、「ズンドコ節」(海軍小唄)、「木遣」、「鬼節」、「トロ」、「獅子馬鹿」、「二遍返し」、「水郷小唄」、「中山」、「相馬節」などとなっています。

 「役物」と「段物」には、「葛西囃子」や「能楽囃子」、「歌舞伎下座音楽」の影響を強く受けており、その関連性が指摘されています。
 これらの「曲」が「山車」の周囲の雰囲気に応じて演奏され、「祭り」を盛り上げる重要な役割を担っています。
 また、それと同じくして「神聖な祭り」を清める「悪魔祓い」の意味を持っているそうです。

 「佐原の大祭」では、「山車」の運行を取り仕切る「町内」の依頼によって「下座連」が「山車」に乗り「囃子」を演奏します。
 元々「下座連」は「佐原」周辺の「農村部」の「集落」を主な「単位」として構成されてきましたが、戦後「後継者不足」などから、「佐原」の「市街地」内の「有志」により新たな「下座連」が作られ、「山車」に乗るようになってきたようです。

 「佐原囃子」で使用する「楽器」とその「人数」ですが、「笛」(篠笛)は5〜8人、「大皮(おおかわ)」(太鼓)は1人、「鼓(つづみ)」(小鼓)は3〜5人、「大太鼓」は1人、「ツケ」(締太鼓)は1人、「鉦(かね)」(摺り鉦)は1人となっています。

 「佐原囃子」系の「下座連」は「香取市」を始めとして「潮来市」や「鹿嶋市」、「成田市」など「千葉県北東部」から「茨城県南東部」にかけての「地域」に分布しています。

 今も「香取市佐原」に受け継がれている「伝統芸能」「佐原囃子」。
 風情のある「佐原の町並み」と共に未来に遺してもらいたい「佐原文化」のひとつです。

 備考
 「佐原の大祭」を担う「佐原囃子」についても「佐原の山車行事」として2004年2月16日に「重要無形民族文化財」に指定されています。
 「佐原囃子」は、「佐原町並み交流館」隣の「忠敬茶屋」で「CD」を販売しています。








| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=960 |
| 地域情報::香取 | 09:13 AM |
「多古町ダンスフェスティバル2012」(多古町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「多古町」「多古町コミュニティプラザ」「文化ホール」で明明後日(しあさって)の2月26日(日)に開催されます「多古町ダンスフェスティバル2012」です。

 「多古町コミュニティプラザ」で行われる「多古町ダンスフェスティバル2012」は、「フラダンス」や「ピアダンス」、「社交ダンス」を中心に「ヒップホップ」、「バレエ」、「タップダンス」、「ベリーダンス」、「よさこいソーラン」、「日本舞踏」の9種類の「ダンス」を1度に見ることができます。

 「子どもから大人までダンスの楽しさを味わおう!」とうたっている通り、思わず踊り出したい、また見て楽しい9種類の「ダンス」を午前、午後の2回発表するそうです。
 また、「多古町ダンスフェスティバル」は、入場無料の催しとなっています。
 「多古町ダンスフェスティバル」終了後は、「多古町散策マップ」「たこるんぱ」(2月10日のブログ参照)を片手に「多古町」を散策してみてはいかがでしょうか?

 「多古町」のダンス愛好家の集まる「ダンス」の美しさ、楽しさが伝わる「多古町ダンスフェスティバル2012」を見に「多古町コミュニティプラザ」「文化ホール」に訪れてみませんか?

 「多古町ダンスフェスティバル2012」詳細

 開催日時 2月26日(日) 10時〜15時半

 開催会場 多古町コミュニティプラザ 文化ホール 香取郡多古町多古2855

 問合わせ 勝又ダンススクール 0479-76-4560

 備考
 「多古町ダンスフェスティバル2012」当日は、「パン」や「おにぎり」、「飲み物」等を「多古町コミュニティプラザ」「文化ホール」ロビーにて販売するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=959 |
| 地域情報::成田 | 09:09 AM |
「城山公園さくら開花予想クイズ」(香取市)
 本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市」で行われています「城山公園さくら開花予想クイズ」です。

 「香取市」「小見川地区」には、「北総」を代表する「桜」の「名所」のひとつ「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)があります。
 「小見川城山公園」には、70種余、約6000本のさまざまな「樹木」が植えられ、四季を通じていろいろな「花木」が楽しめる「公園」となっています。
 四季の中でも「春」には、1000本の「ソメイヨシノ」と4000本の「つつじ」が「小見川城山公園」のある山一体に咲き乱れ、訪れる「人」の「目」に「花」の持つ「魅力」溢れる「光景」がひろがります。

 「小見川城山公園」のある「香取市」「小見川地区」では、毎年「城山公園さくら開花予想クイズ」を実施しています。
 そして本年(2012年)も「城山公園さくら開花予想クイズ」を行うそうです。

 「開花」とは、「対象樹」となっている「城山公園観光案内所」脇の「大桜」(ソメイヨシノ)が5輪開いたときを「開花」としています。

 「城山公園さくら開花予想クイズ」の「応募方法」ですが、3月9日(金)(当日消印有効)までに、「はがき」に「開花予想日」・「郵便番号」・「住所」・「氏名」・「年齢」・「電話番号」・「このクイズを何でお知りになったか」を記入し、〒289-0393 香取市羽根川38 水郷小見川観光協会事務局「城山公園さくら開花予想クイズ」係 まで応募下さいとのことです。
 (応募は1人1枚に限らせて頂くそうです。)

 「城山公園さくら開花予想クイズ」で当たる「賞品」ですが、「クイズ」の「正解者」の中から「抽選」で1人に「32型液晶テレビ」、3人に「水郷おみがわ花火大会」(2011年7月28日のブログ参照)「花火大会桟敷席(さじきせき)」(6人用)をプレゼントされるそうです。
 また「特別賞」として、「応募者」全員の中から3人に「城山公園特製高級箸」(当選者名前入り)が当たります。

 「北総随一」の「桜」の「開花予想クイズ」に参加してみませんか?

 「城山公園さくら開花予想クイズ」詳細

 詳細は「ブログ」文中記載。

 問合わせ 香取市商工観光課小見川担当 0479-82-1117

 備考
 「城山公園さくら開花予想クイズ」の過去の結果(桜の開花日)ですが、「2009年」は「3月23日」、一昨年(おととし)「2010年」は「3月27日」、昨年「2011年」は「4月2日」で「応募総数」255人、「正解者」は4人でした。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=958 |
| 地域情報::香取 | 08:56 AM |
「神崎ヤングフェスティバル」(神崎町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「神崎町」「神崎ふれあいプラザ」で明明後日(しあさって)の2月25日(土)に開催されます「神崎ヤングフェスティバル」です。

 「神崎町」の若者たちの祭典として「神崎ヤングフェスティバル」が開催されます。
 毎年多くの「若者たち」が出演し、日頃の「音楽活動」や「ダンス」の成果を発表します。

 今回で10回目を迎える「神崎ヤングフェスティバル」は、年々「ステージ」の内容がパワーアップしているようで、主催しています「神崎町青少年相談員連絡協議会」では、多数の皆さんの観覧を呼びかけています。

 「神崎ヤングフェスティバル」では、「神崎町」内外の「青少年」を対象に自己表現の発表の場を提供し、「交流」・「親睦」を深めることを目的とした「ダンス」、「ピアノ演奏」、「歌」などの「発表会」で、「青少年相談員」は、事業の運営を行っているそうです。

 「神崎ヤングフェスティバル」では近年、回数を重ねるごとに事業が定着化し、一昨年(平成22年)は、「成田高校ダンスドリル部」、「千葉敬愛高校ダンス部」、「富里高校ジャズオーケストラ部」の出場が話題を呼び、多くの「観客」とともに、会場が一体となって盛り上がったそうです。
 「神崎町」では、広域的に「事業周知」を行い、「参加者(参加団体)」の増加と内容の充実を図っているようです。

 「神崎町」で行われる「若者たちの祭典」「神崎ヤングフェスティバル」を観覧しにお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「神崎ヤングフェスティバル」詳細

 開催日時 2月25日(土) 13時〜

 開催会場 神崎ふれあいプラザ 香取郡神崎町神崎本宿96

 問合わせ 神崎町教育委員会 0478-72-1601

 備考
 昨年(2011年)に行われました「第9回神崎ヤングフェスティバル」では、「富里高校ジャズオーケストラ部」「マッド・ハッターズ」の演奏で始まり、「小学生」など26組の「ピアノ演奏」、「軽音楽」、「ダンス」が披露されました。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=957 |
| 地域情報::香取 | 07:33 AM |
「阿玉台貝塚」(香取市)
 本日二つ目にご紹介するのは、となりまち「香取市」「小見川地区」の「阿玉台貝塚」です。

 「阿玉台貝塚」は、「黒部川」に面した丘陵斜面の3ヶ所にわたって分布している「貝塚」です。

 「阿玉台貝塚」は、4地点の「貝層」が環状にめぐるように構成されており、丘陵平坦部の標高が46〜48で、「貝層」は、30〜40mあたりに位置しています。
 「阿玉台貝塚」の存在は古くから周知されていたようで、明治27年(1894年)に「八木奘三郎」・「下村三四吉」両氏によって「発掘調査」が実施されています。
 (昭和32年には、「早稲田大学」の「西村正衛」氏も「発掘調査」を行っています。)
 以来、数次に渡る「発掘調査」が行われ、「縄文時代」中期の「土器」をはじめ多くの「土器」、「石器」、「骨各器」、「貝輪」等が出土しています。

 「阿玉台貝塚」から発見された「土器」は「縄文時代」中期前半の代表的なもので、「出土地名」から「阿玉台式土器」と呼ばれており、「関東地方」における「縄文土器編年」の「標識遺跡」となっていて、学術上価値が高く、全国的にもその名を広く知られている「貝塚」となっています。
 また「阿玉台貝塚」から出土している「阿玉台式土器」は「縄文時代」中期前半の「標式土器」だそうです。

 「阿玉台貝塚」で発見された主要な「貝」は、「ハマグリ」・「シオフキ」・「アカニシ」・「オキシジミ」等の「海水産」のものが発見され、その他に「哺乳類(ほにゅうるい)」・「魚類」・「鳥類」の「骨」なども検出されたそうです。
 このことから、「鹿島灘」から流入してきた「海水」が、「縄文時代」中期にはこの辺りまで迫っていたと思われます。
 「人工遺物」としては、「石器」・「骨角器」・「土製品」などがあります。
 「出土土器」は、「縄文時代」中期の「阿玉台式」が主体を占め、「加曾利EJIS+2D35」・「EJIS+2D36式」・「五領ヶ式」なども出土しています。

 「阿玉台貝塚」は、「貝層」が見られるほか、「木敷道」の「散策ルート」があります。
 「縄文の小径」の「案内柱」の「坂」を登っていくと、「国指定史跡 阿玉台貝塚」の「石柱」が立っています。
 なお「阿玉台貝塚」は、昭和43年(1968年)に「国の史跡」に指定されています。

 「縄文土器編年」の「標式遺跡」として「学術上」の「価値」が高い「阿玉台貝塚」。
 「阿玉台貝塚」のある「香取市小見川地区」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「阿玉台貝塚」詳細

 所在地  香取市阿玉台字千堂

 問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224

 備考
 「阿玉台貝塚」は現在、地元の「史跡保存会」によって保存・整備されているそうです。
 また「阿玉台貝塚」の近くには「良文貝塚」もあります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=956 |
| 地域情報::香取 | 06:28 PM |
「第9回門前・軽トラ市」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子銀座通り(ココロード銚子)」で今週末の2月26日(日)に開催されます「第9回門前・軽トラ市」です。

 「門前・軽トラ市」(2011年6月3日のブログ参照)は、「軽トラ市」で「銚子」を元気に!と開催されているイベントで、「銚子銀座通り(ココロード銚子)」を「歩行者天国」にして、定期的(月いち)に開催しています。
 主催している「門前・軽トラ市実行委員会」は、「人とのふれあいを大切にした「軽トラ市」で、農産物や加工品、花、日用品等の販売を行い、消費者、生産者、商店の交流を深めていきたい。
 また、観光の一環としてアピールしていきたい。」
 という趣旨で、平成23年度「銚子賞」「市民等団体の自由な発想によるまちづくり活動」部門でみごと、受賞しています。

 「人とのふれあいを大切に」している「門前・軽トラ市」は、毎月1回第4日曜日に「銚子銀座通り(ココロード銚子)」にて開催されています。
 「軽トラ市」当日は、「歩行者天国」になるので、ゆっくり、安全に「買い物」を楽しむことができます。
 また、「音楽活動」や「趣味の品」などの展示、サークルの発表なともあり、「買い物」だけではない、楽しさが味わえます。
 「門前・軽トラ市」は、「よそにはない、魅力的なオンリーワンの「軽トラ市」」を目指しているそうです。

 今回9回目迎える「門前・軽トラ市」の「テーマ」は、「いちご」だそうで、「銚子観音・門前軽トラ市 いちご祭り」と題し開催。
 「摘みたての美味しいいちご」や「いちごスイーツ」、「いちご雑貨」など「いちご」にちなんだ「もの」を販売する「お店」が多く出店するようです。
 また「銚子の名店」「たか倉」(2011年5月21日のブログ参照)の「苺大福」&「苺ロールケーキ」も当日販売。
 (「苺大福」120円、「苺ロールケーキ」160円)
 またフルーティーな「苺のワイン」なども販売するそうです。

 また「かんたんアロマクラフト」「手作りバスボム」を催行。
 寒い季節にぴったりの「入浴剤」を作る企画で、お子様の参加も可能です。
 会場は「新生ミヤスズ」となり「商店街事務所」で費用は500円(材料費込)で、11時〜と13時〜の2回開催で1回「40分ほど」の企画だそうです。

 「郷土色」豊かなローカルな「食」「品」が集まる「門前・軽トラ市」が開催される「銚子銀座通り」にお立ち寄りしてみてはいかがでしょうか?

 「第9回門前・軽トラ市」詳細

 開催日時 2月26日(日) 10時〜15時

 開催会場 銚子銀座通り(ココロード銚子) 銚子市新生町1

 問合わせ 銚子銀座商店街振興組合 0479-25-1666

 備考
 「門前・軽トラ市」では、毎回、「銚子ご当地グルメ」を発信・販売しています。
 「銚子ご当地グルメ」は、「地元産品」、「おいしい」、「ワンコイン」(500円以下)を基準にしているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=955 |
| 地域情報::銚子 | 10:41 AM |
「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」(銚子市)
 本日二つ目にご案内するのは、地元「銚子市」の「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」です。

 「銚子市」の「菅原大神」ですが、「桜井町」にある「桜井里」の「鎮守」です。
 「菅原大神」は、1131年(天承元年)11月の創建とされ、現在の「社殿」は昭和62年に建立されています。
 「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真(すがわらみちざね)」公を祀(まつ)る「神社」です。

 「菅原道真」は、承和12年6月25日(845年8月1日)〜延喜3年2月25日(903年3月26日)は、「日本」の平安時代の「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」です。
 「参議」・「菅原是善」の「三男」で、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」・「太政大臣」。
 「菅原道真」は、「宇多天皇」に重用されて「寛平の治」を支えたひとりであり、「醍醐朝」では「右大臣」にまで昇りました。
 しかし、「左大臣」「藤原時平」に讒訴(ざんそ)され、「大宰府」へ「権帥」として左遷され現地で没しました。
 (「讒訴」とは、人を陥れるために悪く告げ口をすること。)
 死後「天変地異(てんぺんちい)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の対象となったそうです。
 現在は「学問の神様」として親しまれています。

 「銚子市」西部にある「菅原大神」は、「学問の神様」である「菅原道真」を祀っており、地元では「天神さま」と呼ばれていますが、「子授け」の「ご利益」があることでも全国的に有名です。
 特に「菅原大神」で、毎年「春」(2月25日)(2011年2月21日のブログ参照)と「秋」(11月25日)(2011年11月23日のブログ参照)に行われる「例祭」には、多くの人で賑わいます。

 賑わう理由は、「菅原大神」にある大小90個の「子産石」と呼ばれる「丸い石」が納められており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると言い伝えられているからです。

 「菅原大神」の「子産石」は、昔離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫(たまよりひめ)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていました。
 それが、何らかの事情により「菅原大神」に移されて以来、「子授けのご利益」を得たいと願う人々が参詣するようになったそうです。

 昭和60年上半期(1985年4月1日から10月5日)に放映されましたNHK連続テレビ小説第34作「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子産石」を抱くシーンが放映されたことで、その名が全国的に広まったそうです。

 現在でも「菅原大神」「例祭日」には、「子宝」を願う人や、めでたく「子宝」に恵まれて「お礼参り」に訪れる「人」など、多くの「参詣者」で賑わいます。
 今週末(2月25日)に行われる「菅原大神」「春の例祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「子産石」を抱くシーンでも知られている「澪つくし」は、「銚子市」を舞台とした「ドラマ」で、当時は人気を博していました。
 「朝日新聞」2010年9月25日付の「beランキング」「心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では、「澪つくし」の主役だった「沢口靖子」さんが第4位でした。
 ちなみに第1位は「樫山文枝」さん「おはなはん」(1966年放送)、第2位は「田中裕子」さん「おしん」(1984年放送)、第3位は「国仲涼子」さん「ちゅらさん」(2001年放送)だそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=954 |
| 地域情報::銚子 | 11:17 AM |
「旭の花」「椿(つばき)」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」の「市の花」「椿(つばき)」です。

 「椿」は、「ツバキ科ツバキ属」の「植物」、学名「Camllia japonica」(通称ヤブツバキ)の「和名」であり、「日本原産」の「常緑樹」です。
 「照葉樹林」の代表的な「樹木」で、「花期」は「冬」から「春」にかけてにまたがり、早咲きのものは「冬」さなかに咲きます。
 「花椿」は「春」の「季語」ですが、「寒椿」、「冬椿」は「冬」の「季語」で、「椿」は「海柘榴」とも表記されます。

 「椿」は、「花」が美しく利用価値が高いので「万葉集」の頃からよく知られていましたが、特に近世に「茶花」としても好まれ多くの「園芸品種」が作られています。
 「椿」の「花」は、「花びら」が個々に散るのではなく、「萼」の部分から丸ごと落ちます。
 それが「首」が落ちる様子(打ち首=死)を連想させる為に入院している方の「お見舞い」に持っていくことはタブーとされています。

 「旭市」の「市の花」になっている「椿」ですが、「幽学公園」内の「椿の里」として521種類、約3000本の「椿」が植えられています。
 「遊歩道」が整備され「道脇」に「椿」が咲き誇ります。
 「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)は「大原幽学遺跡」の「旧宅」(国指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)を中心に「史跡公園」化したものです。
 園内には「大原幽学」関係「資料」や「郷土」の「歴史」と「民俗」に関する「資料」を公開する「施設」として「大原幽学記念館」があります。
 「大原幽学記念館」は、「農村改革」に取り組んだ「大原幽学」の「関係資料」などがあり、「農村発展」の「歴史」に親しむことが出来ます。

 「大原幽学遺跡史跡公園」には、中世「城址」である「長部城址」と「幽学」ゆかりの近世の「遺跡」を含んだ緑豊かな園内には見所がたくさんあります。
 特に、2月下旬から4月下旬までは、園内にある約3000本の「椿」が見頃を迎えます。
 全国から集められた色とりどりの「椿の花」が咲き誇る様はたいへん素晴らしいそうです。

 また「旭市琴田」にある「海宝寺」にも「椿」が咲き誇るそうです。
 「海宝寺」では、早春に「本堂」裏に作られた長さ約250mの「ミニ四国八十八か所霊場参拝路」に沿って「椿」が咲いているそうです。
 「海宝寺」には「県指定有形文化財」「絹本著色釈迦涅槃図」があり、4月上旬には、樹齢100年を越える「吉野桜」が見事な「花」を咲かせるそうです。

 「旭市」の「花」が「椿」に制定されたのは平成17年10月29日で、制定にあたり「旭市民」の皆さんに「アンケート」をとり、572名の方々から「市の花」について応募があり、「アンケート結果」を基に、「旭市の花・旭市の木選定委員会」で協議・検討した結果、「旭市の花」「椿」、「旭市の木」「黒松(クロマツ)」と決定しました。

 「旭市の花」「椿」の制定理由は、「大穀倉地帯」である「干潟八万石」は、かつて「椿の海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれ、その「ツバキ」の「名」は馴染み深いものがあります。
 その「ツバキ」にちなみ、制定されたそうです。
 また「旭市の木」「黒松」は「白砂青松」と謳われる「九十九里浜」を代表する「木」であり、広く「旭市内」に生育し、「潮風」から守ってくれるなど、力強く頼りがいのある「木」ということで制定されています。

 濃い緑の中に咲く「椿」の「花」は映え、「旭市民」に広く親しまれています。
 「季節の花」「椿」を愛でに「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「旭市」の「市名」の「旭」という「名前」の「由来」ですが、1573年の「室町幕府」滅亡後、当地を納めていた「戦国武将」・「木曽義昌」(朝日将軍・「木曽義仲」の19代子孫)は「善政」をしき、「市民」(領民)に慕われました。
 1852年「京都」の「歌人」・「野々口隆正」が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、「義昌」公を偲んだ「歌」を詠み、これが「旭」の「名前」の「由来」となったと言われています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=953 |
| 地域情報::旭 | 11:17 AM |
「円福寺」の「文化財」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「円福寺」の「文化財」です。

 「坂東三十三所観音霊場」(2010年10月13日のブログ参照)「二十七番札所」とて、信仰を集める「円福寺」(2010年11月24日のブログ参照)には、数多くの「寺宝」があります。

 「円福寺」は、「真言宗」の「寺院」で、「山号」は「飯沼山」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知られる「円福寺」は、「利根川」の河口、「日本一の水揚げ量」を誇る「銚子漁港(第1魚市場)」(2010年12月18日・2011年1月26日のブログ参照)に近くにあり、「銚子市」の中心に位置したことから、市街はその「門前町」として発展してきました。
 (「飯沼観音」の門前西側は「銚子銀座通り」(2011年10月1日のブログ参照)となっており、東側には「島田総合病院」や「今川焼の「さのや」(2010年12月16日のブログ参照)があります)

 「円福寺」は、「寺伝」によりますと、724年(神亀元年)漁師が「海」で「十一面観世音菩薩」を「網」ですくい上げ、その後「弘仁年間」(810年〜824年)この地を訪れた「弘法大師」「空海」が開眼したとされています。
 「円福寺」は、鎌倉時代以降、この地を治めた「海上氏」の帰依を受け、寺運は興隆したそうです。
 天正19年、「徳川家康」に「朱印」を賜わり「諸堂」を整備、安政2年(1855年)刊の「利根川図志」は「境内に見せ物軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑はし」とその盛況を写しており、「円福寺」は隆盛を極めていたそうです。
 しかし1945年「銚子大空襲」があり、「多宝塔」以下「観音堂」、「仁王門」、「鐘楼」、「太子堂」、「馬頭観音堂」、「二十三夜堂」、「茶枳尼天堂」、「龍蔵大権現堂」など「諸堂」を焼失しました。
 その後、「銚子のシンボル」である「観音堂」の再建は、昭和46年(1971年)に衆庶の信助により見事に完了。
 「飯沼観音」の「境内」の「大仏」は「銚子」近在の人たちの喜捨で正徳4年(1714年)に鋳造され、平成20年(2008年)「五重搭」(形式「三間五重塔婆」総高33.5m)の完成に伴い、現在の場所に移っています。

 この程「円福寺」では、2月15日(水)に「お宝巡り」を行い、大勢の市民の皆さんが訪れたそうです。
 「円福寺」「お宝巡り」では、市民の皆さん方を笑顔で、「山本佳臣」会長、「鈴木俊男」前会長ら「銚子市ボランティアガイド観光船頭会」の皆さんがご案内をされていました。
 市民の皆さんは「円福寺」の「寺宝」の多さ、その貴重な「品々」を熱心に見入っていたようです。

 「円福寺」の「文化財」ですが、「饒(にょう)」、「梵鐘(ぼんしょう)」、「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」附「釈迦涅槃図由来書」などあり、「寺宝」として「本堂(飯沼観音堂)再建記録」、「水戸光國公御直筆」などがあります。

 「饒」ですが、奈良時代から使用されている最も古い「仏教法具」の一種で、「密教修法」の際にこれを振って「音」を出して使いました。
 「扁楕球形」の「鈴」と「棒状」のにぎり、上部先端に「三鈷(さんこ)」をそなえた形で、総長28.0cm、「鈴」の長径99cmの「鋳銅製」です。
 「鈴部」は「つぼみ形」で半面には横6cmほどの亀裂があり、ゆがんだ部分から「鈴子」が失われています。
 力強い「三鈷の形」などからみて平安時代初期の製作と考えられ、その製作も優れています。
 この「饒」は江戸時代には既に「円福寺」の「宝物」になっていたようで、「玄蕃日記(げんばにっき)」によると、天保2年(1831年)時の「代官」に「本品」を見せたという記述があるそうです。
 「類品」は、「日光」の「二荒山神社」出土品、「奈良」の「東大寺」、「茨城」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)蔵品などが知られているのみで極めて少ない「資料」なのだそうです。
 「円福寺」の「饒」は「国指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。
 なお「饒」は、現在「奈良国立博物館」に出品されています。

 「梵鐘」ですが、高さ70.3cm、口径50.6cmで三段組で作られています。
 「鐘」の上段から中段への「ふくらみ」は、柔らかな広がりをもち流麗さを感じさせ、「鋳継ぎ」による縦帯の乱れもなく優秀な製作といえます。
 「乳(ち)」は、四段四列で上帯は「素文」、下段には「唐草文」があり、「池(いけ)の間(ま)」の四区にわたり「銘文」が刻まれています。
 二か所の「撞座(つきざ)」は、摩滅が著しいが肉高につくられています。
 「池の間」の「銘文」には、「上総国菅生庄本郷飯富宮社頭」とあり、現在の「袖ヶ浦市」にある「飽富(あきとみ)神社」に所在したものであることが知られています。
 また、享徳11年(1462年)「享徳11年は寛政3年にあたる」の「銘」と「作者」の「河内権守光吉」及び「作者」の「貞吉」の「名」が刻まれています。
 製作の由来、年代、作者が判明している点では貴重なものとされていますが、この「鐘」がいつ、誰によって「飽富神社」から「円福寺」に運ばれた由来は不明なのだそうです。
 「円福寺」「梵鐘」は「千葉県」の「県指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。

 「釈迦涅槃図」は、「釈迦」が「沙羅双樹(さらそうじゅ)」の下で「頭」を北に向け、身体を横たえ、多くの「弟子」や「動物」に見守られて「入滅(にゅうめつ)」する様子を描いた「図」です。
 この「涅槃図」は「掛幅装(かけふくそう)」で、縦354.7cm、横268.6cmの「大幅」で各種の「色糸」で細かく「刺繍(ししゅう)」で描かれており、全国的にも類例は少ないものなのだそうです。
 「釈迦涅槃図」の各部に「寺院関係者」や「近郷」の「村々」の「庶民」などの「寄進者」の「名前」が刺繍されており、このほか遠く「仙台」、「紀州」、「泉州」等の「地名」が見られ、当時の信仰の広がりを知ることができる「資料」となっています。
 また「釈迦涅槃図」は「銘文」によると寛文9年(1669年)に「縫物師」の「京都次郎左衛門」などの「手」により縫い上げられました。
 「釈迦涅槃図」の「一般公開」は、毎年2月15日の「釈迦涅槃会(しゃかねはんえ)」に「円福寺」「涅槃殿(ねはんでん)」で行われています。
 「釈迦涅槃図」附「釈迦涅槃図由来書」は、「千葉県」の「県指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。

 「寺宝」である「本堂(飯沼観音堂)再建記録」は、江戸時代の安永4年(1775年)「本堂再建」(十間四面)の記録で、「第二十一世・了恵(りょうえ)」住職の「落慶入沸法要」の概要を記したものです。
 上下2冊・8巻の「冊子」を修復にあたって「巻き物」にし、本年(2012年)2月15日には2巻が公開されたそうです。
 18世紀の「円福寺」の美しい姿や「銚子」の「海岸線の風景」などが情緒豊かに描かれているそうです。

 「水戸光國公御直筆」ですが、元禄9年(1758年)1月20日、「水戸光國」公が「円福寺」に来山し、「銀」2枚を「御本尊」に供え、揮毫(きごう)した「龍」の「一字」の「墨書」だそうです。

 「寺宝」に多く恵まれ、歴史ある「真言宗」の「古刹」「円福寺」「飯沼観音」。
 「銚子」に訪れた際は、是非立ち寄って参詣してみてはいかがでしょうか?

 備考
 「円福寺」では、「尊像」を泰安する「涅槃堂」を平成13年(2001年)に、全面的に修復し、新築建立しました。
 総建坪62坪、奈良「正倉院」と同様の「校倉(あぜくら)様式」を取り入れた「宝蔵庫」は、「日本の建築」の「粋」を集めたものとして注目されています。
 「涅槃堂」には、「円福寺」専用にデザインした「美濃の瓦」を使い1階は「展示室」を兼ねた「仏間」、2階は「寺」の「什物」(経典)を収納した「宝蔵庫」で、「銀行」と同じ使用の「材料」を用い、下地に「アルミ板」、その上に「乾燥フローリング」を張り、「床」の「湿気」を防止。
 「壁」・「天井」は「総桐材」で施工し、大きな「桐タンス」となっているそうです。






| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=952 |
| 地域情報::銚子 | 10:45 AM |
「世界一大きなせんべい」(印西市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「印西市」の「世界一大きなせんべい」です。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「千葉市」から約20km、「成田国際空港」から約15kmに位置し、三方を「利根川」、「印旛沼」、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は周辺の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「酒々井町」、「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されています。

 「印西市」の隣接する「自治体」は、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡栄町」、「印旛郡酒々井町」、「茨城県北相馬郡利根町」となっています。
 「茨城県北相馬郡利根町」とは、直接的な往来は出来なくなっていて、「我孫子市」または「印旛郡栄町」を経由する必要があります。
 「千葉県」で「他県」と接していながら直接的な往来ができない「自治体」は、「印西市」のみです。

 「印西市」は、江戸時代には「利根川」の「水運」が盛んで、「物資移送」や「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などで「木下(きおろし)街道」付近にあった「木下(きおろし)河岸」が栄えていたそうです。

 現在の「印西市」「木下(きおろし)地区」では、かつて「利根川」の「水運」で栄えた江戸時代に、「旅人」に「せんべい」を売っていた記録があり、古くから親しまれている「木下せんべい」を更に多くの方に知ってもらい、地域の活性化、「印西市」の知名度アップにつながっていくようにするために、「印西観光協会」、「印西市商工会」、「印西市」、「ボランティア団体」などでつくられている「印西市民まつり実行委員会」は、昨年(2011年)10月22日(土)に「イオンモール千葉ニュータウン」「屋外駐車場」で開催されました「印西市民まつり」(2011年10月21日のブログ参照)の中で「手焼きせんべいギネス挑戦」(炭火で世界一大きなせんべいを焼く)を行いました。
 「手焼きせんべいギネス挑戦」では、惜しくも目標としていた「大きさ」に3cm足りず「ギネス世界記録」(Guinness World Records)に認定されませんでした。

 ちなみにこれまでの「世界一大きいせんべい」に認定されている「世界記録」を持っていたのは「山梨県大月市」の「直径1.3m」の「せんべい」でした。
 「印西市民まつり実行委員会」では、昨年(2011年)11月15日・16日に「木下せんべいギネスに挑戦」に再度挑戦。
 記録達成に際し、「印西市民まつり実行委員会」メンバーは、「生地作り」から「大きいせんべい」を焼く「金網」、「ドラム缶」を半分に切ったものを「炭火焼」に使いと、試行錯誤を積み重ねていったそうです。
 記録挑戦日、11月15日に直径1.8m、約15kgの「うるち米」の「生地」を作り始め、16日に「生地」を「金網」にはさみ数分ごとに裏表と慎重にひっくり返しながら約1時間(50分)かけて7人がかりで焼き上げました。
 「木下せんべいギネスに挑戦」「世界一大きいせんべい」の測定結果は、直径1.6m。
 「せんべい」はサイズを測り、記録を証明する「写真」が撮影された後、「秘伝のたれ」を塗り、細かく割って「市民」の皆さんに振る舞われたそうです。

 そして今年(2012年)1月20日(金)、「印西市民まつり実行委員会」で作った「木下せんべいギネスに挑戦」(炭火で世界一大きなせんべいを焼く)で、「世界一大きいせんべい」として、「イギリス」の「ギネスワールドレコード社」より「ギネス世界記録」(Guinness World Records)に登録(認定)されました。

 なお「ギネス世界記録」認定を受け、「印西市民まつり実行委員会」「山口道博」実行委員長は、1月24日に、「印西市役所」を訪れて、「山崎山洋」市長に報告しています。

 「印西市民まつり実行委員会」の皆さんの諦めず工夫を凝らした結果、「世界一大きいせんべい」は、世界に認められました。
 「世界一大きい木下せんべい」を見に「印西市」に立ち寄ってみませんか?

 備考
 「ギネス世界記録」(Guinness World Records)「認定書」(写し)は、「印西市役所」「ロビー」・「印西市観光情報館」に、「せんべい」の「原寸大」の「パネル」は「印西市役所」「ロビー」、「記録挑戦時」の「写真」は「印西市観光情報館」にそれぞれ展示しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=951 |
| 地域情報::成田 | 11:55 AM |

PAGE TOP ↑

(C) Copyright Inubozaki Kanko Hotel. All rights reserved.