本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」の「市の花」「椿(つばき)」です。
「椿」は、「ツバキ科ツバキ属」の「植物」、学名「Camllia japonica」(通称ヤブツバキ)の「和名」であり、「日本原産」の「常緑樹」です。
「照葉樹林」の代表的な「樹木」で、「花期」は「冬」から「春」にかけてにまたがり、早咲きのものは「冬」さなかに咲きます。
「花椿」は「春」の「季語」ですが、「寒椿」、「冬椿」は「冬」の「季語」で、「椿」は「海柘榴」とも表記されます。
「椿」は、「花」が美しく利用価値が高いので「万葉集」の頃からよく知られていましたが、特に近世に「茶花」としても好まれ多くの「園芸品種」が作られています。
「椿」の「花」は、「花びら」が個々に散るのではなく、「萼」の部分から丸ごと落ちます。
それが「首」が落ちる様子(打ち首=死)を連想させる為に入院している方の「お見舞い」に持っていくことはタブーとされています。
「旭市」の「市の花」になっている「椿」ですが、「幽学公園」内の「椿の里」として521種類、約3000本の「椿」が植えられています。
「遊歩道」が整備され「道脇」に「椿」が咲き誇ります。
「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)は「大原幽学遺跡」の「旧宅」(国指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)を中心に「史跡公園」化したものです。
園内には「大原幽学」関係「資料」や「郷土」の「歴史」と「民俗」に関する「資料」を公開する「施設」として「大原幽学記念館」があります。
「大原幽学記念館」は、「農村改革」に取り組んだ「大原幽学」の「関係資料」などがあり、「農村発展」の「歴史」に親しむことが出来ます。
「大原幽学遺跡史跡公園」には、中世「城址」である「長部城址」と「幽学」ゆかりの近世の「遺跡」を含んだ緑豊かな園内には見所がたくさんあります。
特に、2月下旬から4月下旬までは、園内にある約3000本の「椿」が見頃を迎えます。
全国から集められた色とりどりの「椿の花」が咲き誇る様はたいへん素晴らしいそうです。
また「旭市琴田」にある「海宝寺」にも「椿」が咲き誇るそうです。
「海宝寺」では、早春に「本堂」裏に作られた長さ約250mの「ミニ四国八十八か所霊場参拝路」に沿って「椿」が咲いているそうです。
「海宝寺」には「県指定有形文化財」「絹本著色釈迦涅槃図」があり、4月上旬には、樹齢100年を越える「吉野桜」が見事な「花」を咲かせるそうです。
「旭市」の「花」が「椿」に制定されたのは平成17年10月29日で、制定にあたり「旭市民」の皆さんに「アンケート」をとり、572名の方々から「市の花」について応募があり、「アンケート結果」を基に、「旭市の花・旭市の木選定委員会」で協議・検討した結果、「旭市の花」「椿」、「旭市の木」「黒松(クロマツ)」と決定しました。
「旭市の花」「椿」の制定理由は、「大穀倉地帯」である「干潟八万石」は、かつて「椿の海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれ、その「ツバキ」の「名」は馴染み深いものがあります。
その「ツバキ」にちなみ、制定されたそうです。
また「旭市の木」「黒松」は「白砂青松」と謳われる「九十九里浜」を代表する「木」であり、広く「旭市内」に生育し、「潮風」から守ってくれるなど、力強く頼りがいのある「木」ということで制定されています。
濃い緑の中に咲く「椿」の「花」は映え、「旭市民」に広く親しまれています。
「季節の花」「椿」を愛でに「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
備考
「旭市」の「市名」の「旭」という「名前」の「由来」ですが、1573年の「室町幕府」滅亡後、当地を納めていた「戦国武将」・「木曽義昌」(朝日将軍・「木曽義仲」の19代子孫)は「善政」をしき、「市民」(領民)に慕われました。
1852年「京都」の「歌人」・「野々口隆正」が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、「義昌」公を偲んだ「歌」を詠み、これが「旭」の「名前」の「由来」となったと言われています。
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地域情報::旭 | 11:17 AM |