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「久能獅子舞」(富里市)
 本日ご案内するのは、近隣市「富里市」「駒形神社」で明日、4月3日(火)に開催されます「久能獅子舞(くのうししまい)」です。

 「富里市七栄」にある「7Aスクエア」前の「交差点」を「久能方面」に進み、「久能カントリー倶楽部」の「コース」が道路の両脇に広がる先に、「久能獅子舞」が行われる「駒形神社」が在ります。
 「駒形神社」周辺には、小さな「公園」と「消防団」があり、「参道」を入って左右に「境内社」が鎮座しています。
 「境内社」は「妙正大明神」・「廿三夜月天王」・「五社様」(五角柱地神塔)他と「鳥居」外に「南無道祖神」があります。

 「久能獅子舞」は、江戸中期から始まった「伝統的行事」で、例年4月3日と8月に「五穀豊穣」や「交通安全」を願って「駒形神社」の「殿前」で演じられています。
 約300年前から行われていると言い伝えられており、「富里市」に現存する「郷土芸能」の中で最も古いものといえます。

 「獅子舞」は、「頭」の大きなものから順に「雄獅子」、「中獅子(雄)」、「雌獅子」と呼ばれる3匹の「獅子」によって演じられ、「笛」や「大小太鼓」の「囃子」に合わせて「舞」を踊ります。
 また「久能獅子舞」は、別名「やきもち獅子」とも呼ばれており、1匹の「雌獅子」をめぐる2匹の「雄獅子」のストーリーが展開されます。
 「獅子舞」は、1匹の「雌獅子」を2匹の「雄獅子」が取り合いをする「喧嘩(けんか)の舞」、「争い」の「愚かさ」を知り、仲直りをする「仲直りの舞」、その他、「三切太鼓」、「雄獅子の舞」、「雌獅子の舞」、「中獅子の舞」から構成されています。

 「久能獅子舞」は、4段の「場」から構成されていて、「1段目」の「場」では、「雌獅子」と「雄獅子」がそれぞれの「個性」を表し、「2段目」では、3匹が入り乱れ仲良く踊りに興じます。
 「3段目」では、「雄獅子」2匹による「雌獅子」の「独占争い」が始まります。
 「争い」は、「話し合い」という「形」で始まりますが、何度「話し合い」をしても折り合いがつかず、そのうちに「雄獅子」同士の「喧嘩」が始まってしまいます。
 「喧嘩」の様子はユーモラスで、「勝ち獅子」は右に左にと大きく飛び回り、倒れて「負け獅子」が立ち上がろうとしているところに出向き、「どうだ!参ったか」というような「しぐさ」を見せるそうです。

 結局、「勝負」(喧嘩)は「引き分け」となって「舞」は、「4段目」に移ります。
 2匹の「雄獅子」は「争い」の「愚」を悟り、最初のように「3匹の獅子」は仲直りして「舞」は終わるそうです。

 「富里市」近隣で行われている「獅子舞」は、勇壮なものが多いように見受けられますが、「久能獅子舞」は、勇壮な場面の中にユーモラスな動きを含め、「民族芸能」としての「娯楽性」を備えています。

 約300年続く「富里市久能」に伝わる「久能獅子舞」。
 独特でユーモラスでありながら勇壮な「伝統芸能」を見に「駒形神社」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「久能獅子舞」詳細

 開催日時 4月3日(火) 15時頃

 開催会場 駒形神社 富里市久能553-1

 問合わせ 富里市生涯学習課 0476-93-7641

 備考
 「久能獅子舞」は、「富里市」の「市指定民族文化財」(「無形民族文化財」)に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1028 |
| 地域情報::成田 | 11:30 AM |
「黄門桜」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」の「黄門桜」です。

 「水戸黄門」は、「水戸藩主」で「権中納言」であった「徳川光圀」の「別称」であり、世直しのために「日本各地」を漫遊したという「物語」の題名でもあります。
 実在の「水戸藩主」である「徳川光圀」は、「国史編纂」(「大日本史」)のために「史局員」の「儒学者」らを「日本各地」へ派遣して「史料蒐集」を行っていますが、「徳川光圀」自身は「世子時代」の「鎌倉遊歴」と「藩主時代」の江戸と国元の往復や領内巡検をしていたそうです。

 「徳川光圀」は同時代の「伝記史料」において「名君」として評されているが庶民の間でも知名度は高く、亡くなったときには「天が下 二つの宝 つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」という「狂歌」が流行ったそうです。
 「水戸黄門漫遊譚」の成立には、この様な名君として評判や、幕末における「水戸学」の浸透が後の「物語」の形成に影響していると思われます。
 また「史実」の「徳川光圀」は、家臣の「佐々十竹」(佐々宗淳)らを各地へ派遣しており、「彰考館」総裁であった「佐々」と「安積澹泊(あさかたんぱく)」(安積覚兵衛)の二人が、後の「助さん」・「格さん」のモデルと見られています。

 「黄門桜」は、元禄11年(1698年)に「水戸黄門」こと「徳川光圀」公が「飯高寺(はんこうじ)」(2010年10月9日・2011年4月22日・10月7日のブログ参照)へ訪れたことを記念して植えられた「並木桜」のうち唯一現存する由緒ある「一本桜」です。

 この「桜」の「由来」は、「飯高寺」所蔵の「飯高檀林御由緒明細書」によりますと、
 「元禄11年(1698年)寅春、黄門源義公様(水戸黄門)、飯高寺へ御入り遊ばしなされ、(中略)元禄12年卯春、黄門様御意にて下総佐原より飯高檀林まで、並木松桜植えられ(下略)」
 とあります。

 このことから、この「桜」は約300年前に「佐原」(現「香取市」)から「飯高檀林」までの間に植えられた「並木」のうちの1本であり、現存する最後の「由緒」ある「黄門桜」であると考えられています。

 「黄門桜」ですが、「幹周り」5.5m、「樹高」約7m、「葉張り」約16mの「山桜」の一種で、「ソメイヨシノ」より一週間くらい遅く「開花」するそうです。
 なお「黄門桜」は、「匝瑳市」の「市指定天然記念物」で、「桜」を保護するために、「駐車場」は「飯高寺」を利用下さいとのことです。

 現存する「並木桜」の唯一の「一本桜」「黄門桜」。
 300年の時を経て、今もなお「匝瑳市飯高」に、その「すがた」をあらわしています。

 「黄門桜」詳細

 開催会場 匝瑳市飯高2088-4

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「黄門桜」は昨年(2011年)は4月15日に、ほぼ満開になったそうです。
 また「黄門桜」の前の「道」は幅がとても狭いことから「黄門桜」の保護のため、「黄門桜」のそばの「駐車」はご遠慮下さいとのことです。
 そのため、2か所ある「ふるさと自然散策道」の「駐車場」や「飯高寺」の「駐車場」をご利用下さいとのことです。
 また「黄門桜」周辺には「国指定重要文化財」である「飯高寺」を代表とする「寺社」、「杉」や「シイ」などの巨木など見処がたくさんあり、ゆっくり「散策」を楽しめるエリアになっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1027 |
| 地域情報::匝瑳 | 01:28 PM |

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