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「御田植祭(おたうえさい)」「流鏑馬奉納(やぶさめほうのう)」「鹿島神宮」(鹿嶋市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で明日、5月1日(火)に開催されます「御田植祭(おたうえさい)」「流鏑馬奉納(やぶさめほうのう)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、皇紀元年の創建と伝えられ、「東国三社(とうごくさんしゃ)」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつにも数えられている「名社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」は「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「経津主神(ふつぬしのかみ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれる「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」です。
 「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉期以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「桜門」・「宝物」類の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 また「鹿島神宮」には、80以上もある「年中行事」の中では、「祭頭祭(さいとうさい)」(2011年3月6日・2012年3月2日のブログ参照)、「神幸祭」、また12年に1度「午年」ごとに行われる「御船祭」が特に有名なのだそうです。

 「鹿嶋騁躬(かしまうまゆみ)」は天慶3年(940年)「平貞盛」と「藤原秀郷」によって「将門追討祈願」のためにはじめられ、鎌倉初期の養和元年(1181年)に「鹿島家」が「惣大行事家」として、この「伝統行事」を継ぎ、今日に至っているといわれています。

 「鹿嶋市宮中地区商店街通り」にある「鹿島神宮」では、毎年5月1日に「本殿」前、「奥参道」で「御田植祭(おたうえさい)」と「流鏑馬奉納(やぶさめほうのう)」が開催されます。
 「御田植祭」は、「五穀豊穣」を祈願し、「赤いタスキ」をつけた「童女たち」が「笛」や「太鼓」に合わせて「輪」になり「田植舞」を舞う「祭」で、「流鏑馬奉納」は「武士」が「馬上」より「鏑矢(かぶらや)」を射る「弓技」として知られ、毎年多くの「見物客」で賑わいます。
 「鹿島神宮御田植祭」「流鏑馬奉納」は、雨天決行で行われ、荒天時には実施を検討するそうです。

 「御田植祭」では、「鹿島神宮」「本殿」前に作られた「特設会場」で行われ、「花笠」をかけた7歳以下の「童女」が「赤いタスキ」をつけて「田植姿」となり、「輪」になって「田植舞」を奉仕します。
 「御田植祭」の「舞」を踊る際には「笛」や「太鼓」が演奏され、「笛」や「太鼓」に合わせて「舞」を踊ります。
 愛らしく「舞」を踊る「童女」の「姿」を見ると、心が休まるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮御田植祭」では、7歳以下の「子ども」であれば、当日受付し、参加することも可能だそうです。

 「流鏑馬奉納」は、「鹿島総大行司家」により奉仕され、引き続き「流鏑馬奉納」が「鹿島流流鏑馬」により行われます。
 当日「奥参道」に約200mの「馬場」が作られ、「和種馬」を駆って「的」に「鏑矢」を射ります。
 毎年その勇壮な「姿」で、多くの「見物客」で賑わう「流鏑馬奉納」では、「的」に「矢」が当たるたびに大きな「歓声」が上がるそうです。
 「流鏑馬奉納」では、駆け抜ける「馬の蹄(ひづめ)」の「音」と、「馬上」から放たれた「矢」が当たった「音」が会場の「奥参道」に響き渡ります。
 また「矢」が当たった「的」ですが、非常に「縁起」の良いものとされています。

 「皐月(さつき)」に行われる「鹿島神宮」の「神事」「御田植祭」「流鏑馬奉納」。
 この機会に「鹿嶋市」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「御田植祭」「流鏑馬奉納」詳細

 開催日時 5月1日(火) 13時〜 御田植祭 (流鏑馬奉納は13時半〜)

 開催会場 鹿島神宮 鹿嶋市宮中2306-1
 御田植祭  本殿前
 流鏑馬奉納 奥参道

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「流鏑馬」の「由来」ですが、「やばさめ」が転じて「やぶさめ」となり、「流鏑馬」を行う際、「鏑矢」を用いることから「流鏑」の「字」を当てたと言われています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1087 |
| 地域情報::鹿島 | 11:51 AM |
「第12回おせん様の藤まつり」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「藤まつり特設会場」で明日、5月1日(火)〜13日(日)の期間開催されます「第12回おせん様の藤まつり」です。

 「匝瑳市」「匝瑳」の「由来」は、「匝瑳」という「地名」は、現存のものでは、「奈良」「東大寺」「正倉院」に伝わる「庸調(ようちょう)」(「朝廷」に納めた「特産物」)に見られる天平13年(731年)の記録が最も古いとされています。
 「匝瑳」という「地名」の「由来」は、平安時代前期の「歴史書」「続日本後紀」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけて、「畿内」(現在の「近畿地方」)の「豪族」であった「物部小事(もののべのおごと)」という「人物」が、「坂東(ばんどう)」(現在の「近畿地方」)を征した「勲功」によって、「朝廷」から「下総国」の一部を与えられ「匝瑳郡(さふさごおり)」とし、「小事」の「子孫」が「物部匝瑳」氏を名乗ったと伝えられています。

 「匝瑳市木積地区」は、「ふじの里」として知られ、「木積地区」の随所で数百本を数える「ふじ」の「花々」が見られます。
 (約250株の「藤の木」があります。)
 特に「龍頭寺」(2011年5月2日のブログ参照)では、樹齢100年の立派な「大藤」が見られるそうです。
 「ふじの里」「木積地区」では、「福箕(ふくみ)」を創造された「加納おせん様」への「感謝」と「ふじの木」への「御礼」をこめた「おせん様のふじ祭」が開催されます。

 「木積地区」は、今から約700年前、1339年10月13日「木の芽峠」(福井県)の雪の中の戦いに敗れた「新田義貞」の「家臣」16人が1339年より移り住んだ「集落」なのだそうです。
 その「木積地区」で約300年前の江戸時代元禄期、「加納おせん」が、「福箕」を創造し、以後「木積地区」の「伝統工芸品」となって伝っています。
 以降「木積地区」の「藤箕づくり」は、「国」の「重要無形文化財」に指定されているそうです。
 「木積地区」には、「龍頭寺」の「大藤」、「円実寺」の「大つつじ」、300本の「藤棚」など「おせん様のふじ祭」期間中に見処になる「名所」が多くあります。

 「第12回おせん様のふじ祭」は、元禄時代「おせん様」により考案された「木積箕」の「素晴らしさ」と「おせん様」と「木材」となる「藤の木」への感謝する「お祭」です。
 「第12回おせん様のふじ祭」の「ふじ祭」期間は5月1日(火)から13日(日)で、5月5日(祝・土)・6日(日)にイベントを開催。
 5月5日(祝・土)は「国の重要無形民族文化財」「木積箕伝承教室」と「実演・体験」、「米運び競争」、「おせん様のふじ祭歌謡ショー」を、5月6日(日)は「国の重要無形民族文化財」「木積箕伝承教室」と「実演・体験」、「米運び競争」、「おせん様のふじ祭歌謡ショー」が行われます。

 「ふじの里」に伝わる「伝統工芸」「木積の福箕」と鮮やかに「紫の花」が色付く「大藤」。
 「おせん様のふじ祭」の行われるこの機会に「匝瑳市木積地区」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第12回おせん様の藤まつり」詳細

 開催期間 5月1日(火)〜13日(日)

 開催時間 10時〜

 開催会場 藤まつり特設会場 匝瑳市木積57

 問合わせ 実行委員会 0479-73-1514 ゆうきさん

 備考
 「藤」は「子宝」や「延命」の「生命力」を持ち、「不二」(無事)とも言われとても「縁起」の「良い木」です。
 「木積地区」の「藤」の「名所」「龍頭寺」には、貞治2年(1363年)の「板碑」、「観音堂」の「11面観音」、境内にある「白山神社」に「樹齢」700年の「長寿」・「円満」の「ご神木」「夫婦大杉」があり、「龍頭寺」の「境内」には、「加納おせん」の「お墓」もあります。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:56 AM |

 
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