本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」の「黄門桜」です。
「水戸黄門」は、「水戸藩主」で「権中納言」であった「徳川光圀」の「別称」であり、世直しのために「日本各地」を漫遊したという「物語」の題名でもあります。
実在の「水戸藩主」である「徳川光圀」は、「国史編纂」(「大日本史」)のために「史局員」の「儒学者」らを「日本各地」へ派遣して「史料蒐集」を行っていますが、「徳川光圀」自身は「世子時代」の「鎌倉遊歴」と「藩主時代」の江戸と国元の往復や領内巡検をしていたそうです。
「徳川光圀」は同時代の「伝記史料」において「名君」として評されているが庶民の間でも知名度は高く、亡くなったときには「天が下 二つの宝 つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」という「狂歌」が流行ったそうです。
「水戸黄門漫遊譚」の成立には、この様な名君として評判や、幕末における「水戸学」の浸透が後の「物語」の形成に影響していると思われます。
また「史実」の「徳川光圀」は、家臣の「佐々十竹」(佐々宗淳)らを各地へ派遣しており、「彰考館」総裁であった「佐々」と「安積澹泊(あさかたんぱく)」(安積覚兵衛)の二人が、後の「助さん」・「格さん」のモデルと見られています。
「黄門桜」は、元禄11年(1698年)に「水戸黄門」こと「徳川光圀」公が「飯高寺(はんこうじ)」(2010年10月9日・2011年4月22日・10月7日のブログ参照)へ訪れたことを記念して植えられた「並木桜」のうち唯一現存する由緒ある「一本桜」です。
この「桜」の「由来」は、「飯高寺」所蔵の「飯高檀林御由緒明細書」によりますと、
「元禄11年(1698年)寅春、黄門源義公様(水戸黄門)、飯高寺へ御入り遊ばしなされ、(中略)元禄12年卯春、黄門様御意にて下総佐原より飯高檀林まで、並木松桜植えられ(下略)」
とあります。
このことから、この「桜」は約300年前に「佐原」(現「香取市」)から「飯高檀林」までの間に植えられた「並木」のうちの1本であり、現存する最後の「由緒」ある「黄門桜」であると考えられています。
「黄門桜」ですが、「幹周り」5.5m、「樹高」約7m、「葉張り」約16mの「山桜」の一種で、「ソメイヨシノ」より一週間くらい遅く「開花」するそうです。
なお「黄門桜」は、「匝瑳市」の「市指定天然記念物」で、「桜」を保護するために、「駐車場」は「飯高寺」を利用下さいとのことです。
現存する「並木桜」の唯一の「一本桜」「黄門桜」。
300年の時を経て、今もなお「匝瑳市飯高」に、その「すがた」をあらわしています。
「黄門桜」詳細
開催会場 匝瑳市飯高2088-4
問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089
備考
「黄門桜」は昨年(2011年)は4月15日に、ほぼ満開になったそうです。
また「黄門桜」の前の「道」は幅がとても狭いことから「黄門桜」の保護のため、「黄門桜」のそばの「駐車」はご遠慮下さいとのことです。
そのため、2か所ある「ふるさと自然散策道」の「駐車場」や「飯高寺」の「駐車場」をご利用下さいとのことです。
また「黄門桜」周辺には「国指定重要文化財」である「飯高寺」を代表とする「寺社」、「杉」や「シイ」などの巨木など見処がたくさんあり、ゆっくり「散策」を楽しめるエリアになっています。
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地域情報::匝瑳 | 01:28 PM |