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「稲生神社のひげなで三杯」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「今泉・稲生神社」で1月15日(水)に開催されます「稲生神社のひげなで三杯」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」「北東部」の「市」で、2006年(平成18年)1月23日に「八日市場市」と「匝瑳郡」「野栄町」が合併して誕生し、「発足時」の「人口」は約4万2000人だったそうです。
 (現在の「匝瑳市」の「人口」は39235人です。(平成25年12月31日現在))

 「匝瑳市」「野田地区」ですが、「匝瑳市」「南部」、「旧・野栄町」の「東部」に位置する「旧・野田村」にあります。
 「野田村」ですが、「野手」、「今泉」、「新堀」の「3村」を合併して設置され、「関係諸村」の「総代」および「所轄戸長」から、「合併案」に「異議」のない「旨」の「答申」が、1888年(明治21年)10月17日になされました。
 この「3村」は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」を「同一」としているばかりでなく、いずれも「農業」を営んで大体、「生活状態」を同じくし、さらに「用水施設」等も「関係地域」限りで「共同関係」をもつなど、「合併」に「適当」な「状態」にあったそうです。

 「今泉・稲生神社」は、「匝瑳市」「野田地区」にある「神社」で、「御祭神」は「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)」を祀っています。
 「匝瑳市」には、「市域」に「稲生神社」が数多く創建されており、今回ご案内する「ひげなで三杯」が行われるのは、「今泉・稲生神社」となっています。
 「匝瑳市」「野田地区」「今泉」にある「稲生神社」では、1月15日に今年一年の「家内安全」・「五穀豊穣」などを祈願して「ひげなで三杯」が行われています。

 「稲生神社のひげなで三杯」は、「野田地区」「今泉」の「16集落」の「当番区」が、昔からの「しきたり」により、「裃(かみしも)」、「袴姿(はかますがた)」の「座奉行」(「小学校」入学「前後」の「子ども」)二人が「東西」に分かれて、「他」の「集落」の「氏子」を「小椀」、「中椀」、「大椀」の「順」で「杯」を接待したあと、「酒豪」二つづつが「東西」に分かれて「酒」を競って飲む「行事」だそうです。

 「稲生神社のひげなで三杯」の競い合う「杯」ですが、「大椀」(約1.5合)と「小椀」(約0.7合)の二つがあり、「対戦相手」の「了解」のもとで「どちら」で競い合うかが決められ、「髭(ひげ)を撫(な)でる」と「三杯飲み干す」という「ユニーク」な「ならわし」となっています。
 なお「稲生神社のひげなで三杯」の「勝敗」ですが、「杯」を「一気」に飲み干すたびに、その「豪快さ」から見ている「方々」から「オーッ」という「歓声」や大きな「拍手」、「ため息」に包まれるそうです。

 「今泉・稲生神社」で行われる「ユニーク」な「行事」「稲生神社のひげなで三杯」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「稲生神社のひげなで三杯」詳細

 開催日  1月15日(水)

 開催会場 今泉・稲生神社 匝瑳市今泉

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「稲生神社のひげなで三杯」では、「行事」の「最後」に「当番」の「引き継ぎ」があるそうです。
 なお「稲生神社のひげなで三杯」の「来年」の「当番」の「人」は、「稲生神社」の「鳥居」をくぐるまで振り向いてはいけないそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1967 |
| 地域情報::匝瑳 | 11:49 AM |
「正月例祭・神的行事」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「玉崎神社」で1月15日(水)に開催されます「正月例祭・神的行事」です。

 「玉崎神社」(2012年1月1日のブログ参照)は、「旭市」「飯岡」(下総国海上郡)にある「神社」で、「下総国二宮」(論社)で、「旧社格」は「郷社」です。
 「玉崎神社」の「御祭神」ですが、「玉依姫尊(たまよりびめのみこと)」で、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を配祀しています。

 「玉崎神社」の「由緒」ですが、「社伝」によりますと、「景光天皇40年」の「創建」とされており、以下のような「伝承」が伝えられています。

 「日本武尊」が「東征」の折、「相模(さがみ)」より「上総(かずさ)」に渡ろうとした際、「海難」に遭い、その際「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が

 「これは海神の御心に違いない」

 と言って入水したことにより、無事に「上総国」に着くことができ、「葦浦」(「鴨川市」「吉浦」)を廻り「玉の浦」(九十九里浜)に渡ることができました。
 そこで、「日本武尊」は、その「霊異」を畏(かしこ)み、「海上平安」、「夷賊鎮定」のために、「玉の浦」の「東端」「玉ヶ崎」に、「海神」の「娘」であり「神武天皇」の「母」である「玉依姫尊」を祀ったと伝えられています。
 後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」というようになったのは、「海神」を「竜宮の神」に不会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためといわれています。

 「玉崎神社」は、中世には「下総国二宮」「玉の浦総社」と称され、「武門武将」の「崇敬」厚く、「平貞盛」・「源頼朝」・「千葉常胤」等が参拝され、それぞれ「祈願」や「奉賽」のために「奉幤」や「社殿」の「造営」にかかわられたそうです。
 しかし、「竜王岬」の「欠損」がはなはだしく、加えて、天文2年に「兵火」にかかって「社殿」は「鳥有」に帰したので、「現今の地」に御遷座したそうです。

 江戸時代にはいって、「上総国一宮」「玉前神社(たまさきじんじゃ)」とともに「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)を鎮護する「神社」として広く崇(あが)められ、「佐倉藩主」「堀田氏」・「久留里藩主」「黒田氏」等「武人」の「崇敬」はもとより、「平田篤胤」・「平田銕胤」・「大国隆正」等の「文人」が参詣しています。
 この頃の「飯岡」は、「九十九里」の「代表的」な「漁場」として「隆盛」を極め、「相模」・「三河」・「紀伊」・「阿波」・「和泉」・「安芸」等の「国々」よりの「移住者」も多く、「天保水滸伝」に名高い「飯岡助五郎」も「この地」に渡って「社領地」に住み、「玉崎神社」の「潮祭」には「一党」を引き連れ参拝し、「奉納角力」を執行したそうです。
 近年「玉崎神社」には、「画家」「竹久夢二」等も参詣し、「飯岡の明神様」として「御神威」赫々(かくかく)たるものがあるそうです。

 また「神道集」に

 「玉崎大明神者、此国二宮」「同本地十一面観音」

 とあり「下総国二宮」とする「説」もあり、また永録期に「上総国一宮」である「玉前神社」が「戦火」を避けて「神体」を移したとも伝えられています。

 「正月例祭・神的行事」ですが、「玉崎神社」「祈念祭」「流鏑祭」として行われる「神事」で、「玉崎神社」「神庭」に「斎場」を設け、「弓矢」で「的(まと)」をいるとともに、「元朝」の「筒粥の神事」とあわせて、「一年」の「吉凶」を「卜占(ぼくせん)」するそうです。
 「玉崎神社」「筒粥の神事」ですが、毎年1月7日に「宮司(ぐうじ)」・「禰宜(ねぎ)」にのみ「厳粛(げんしゅく)」に行われ、「筒粥の神事」は「一般非公開」なのだそうです。

 「下総国二宮」「玉崎神社」で行われる「新春恒例」の「神事」「正月例祭・神的行事」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「正月例祭・神的行事」詳細

 開催日時 1月15日(水) 9時半頃〜

 開催会場 玉崎神社 旭市飯岡2126

 問合わせ 玉崎神社 0479-57-2278

 備考
 「玉崎神社」の現在の「拝殿」は、当時、「飯岡浜」が「玉崎神社」「御神徳」により「浜大漁」に沸き、「百両」の「寄進」を得て嘉永5年(1852年)に再建されたものだそうです。
 「玉崎神社」「拝殿」は、2005年(平成17年)3月29日に「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1969 |
| 地域情報::旭 | 10:27 AM |
「大鏡開き」(九十九里町)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「九十九里町」「九十九里町商工会館前」で1月13日(祝・月)に開催されます「大鏡開き」です。

 「九十九里町」は、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「ほぼ中央」に位置し、「首都圏」から約60km圏域にある「人口」17674人(2014年1月1日現在)、「世帯数」7250世帯の「まち」です。
 (男性 8667人・女性 9007人)
 「九十九里町」は、昭和30年(1955年)(「片貝町」、「豊海町」、「鳴浜村」「作田地区」)が合併し誕生、現在に至っています。

 「九十九里」と言えば「海」、「夏」の「海水浴シーズン」ばかりでなく「四季」を通じて「質」の良い「波」を求めて、たくさんの「サーファー」がやってきます。
 「九十九里」では、「釣り」や「伝統漁法」の「地曳網体験」も楽しめ、「乗馬」や「ハーブ」の「摘み取り」、「ガラス製作」などの「体験施設」もあります。
 「九十九里町」には、「大型」の「海水浴場」がたくさんあり、「都心」からの「アクセス」も「良好」な「ビーチ」が多く、たくさんの「海の家」が立ち並び、「九十九里名物」の「はまぐり」(2012年12月17日のブログ参照)を食べたりすることもできます。
 「九十九里町」の「海水浴場」ですが、以下の通りとなっています。

 「作田海岸」

 「堤防のある風景」が「サーファー」の「定番」、「貝」の「かけら」で「砂浜」がとても白く見えます。

 「片貝中央海岸」

 「沢山」の「人」が訪れる「片貝海岸」、「年間」を通して多くの「人」が「海」と触れ合ってます。

 「不動堂海岸」

 「マリンスポーツ」・「海水浴」・「散歩」・「グルメ」となんでも「誰」でも、楽しめる「海」といえばココだそうです。

 「真亀海岸」

 「国民宿舎」「サンライズ九十九里」の「目の前」の「海水浴場」。
 「散歩」に「最適」。

  「九十九里浜」では、獲れた「新鮮」な「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)は、「いわし漁」で栄えてきた「九十九里」ならではの「料理法」があるそうです。
 また上記のように「地元」で獲れる大きな「ハマグリ」は、「焼きハマグリ」が「絶品」で、「プリっぷり」の「歯ごたえ」と「じゅわっ」と広がる「旨味」を「潮風」香る「お食事処」にて食す「九十九里」の「鉄板」の「食べ物」となっています。

 「大鏡開き」は、「九十九里商工会駐車場」(「片貝中央海岸」すぐ手前)を「会場」にして行われる「九十九里町」の「新春行事」です。
 「九十九里町」では、昨年(2013年)12月23日(祝・月)に行われました「大鏡餅つき大会」(2013年12月22日のブログ参照)にて「日本一の大鏡餅」を作るための「お餅つき大会」「元旦祈願祭」「大鏡餅つき大会」を開催しました。
 「元旦祈願祭」「大鏡餅つき大会」で作られた「日本一」の「大鏡もち」は、今年(2014年)の「元旦」に行われました「元旦祈願祭」(2013年12月27日のブログ参照)で飾られ、同時開催された「元旦祭」にて「観光客」、「地元客」に披露されました。
 また「大鏡餅つき大会」で作られ、「元旦祈願祭」にて飾られた「大鏡もち」は、「元旦イベント」として、「初日の出遙拝セレモニー・イベント」、「大鏡餅重量あてクイズ」等が行われました。

 「大鏡開き」ですが、「元旦祈願祭」で飾られた「大鏡もち」を「鏡開き」する「イベント」で、「縁起」の良い「鏡開き」の「お餅」の「一部」を差し上げるそうです。
 また「大鏡開き」「当日」には、「お雑煮」、「お汁粉」の「お振る舞い」をするそうです。

 「恒例」の「年末年始」の「九十九里町」の「元旦祈願3イベント」の「トリ」を飾る「イベント」「大鏡開き」。
 この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大鏡開き」詳細

 開催日時 1月13日(祝・月) 10時〜

 開催会場 九十九里町商工会前駐車場 山武郡九十九里町片貝6928-330

 問合わせ 0475-76-4165

 備考
 「九十九里町」で行われている「元旦祈願祭」ですが、「九十九里町」の「願い」である「浜大漁、岡万作」、また「九十九里町」に「恵み」をもたらす「お天道様」と「海」に「感謝」し、一年の「無事息災」を祈念し、「老若男女」、「町民」「多数」の「参加」により、「元気」な「九十九里町」の「話題」を「全国」に発信するために開催しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1965 |
| 地域情報::九十九里 | 08:48 PM |
「金原の大篝(かなばらのおおかがり)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「三社神社」で1月13日(祝・月)に開催されます「金原の大篝(かなばらのおおかがり)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」からは70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあります。
 「匝瑳市」の「市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 (「国道296号線」は、「匝瑳市」の「中央」の「西方」を「南北」に走っています。)
 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。

 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面しています。
 「匝瑳市」と「隣接」する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。

 「三社神社」は、「匝瑳市」「飯倉」に鎮座する「神社」で、「御祭神」は「伊弉諾尊(いざなみのみこと)」、「事解男命(ことさかのおのみこと)」、「速玉男命(はやたまおのみこと)」を祀っています。
 「三社神社」は、「JR総武本線」「飯倉駅」「下車」、「飯倉台」の「住宅地」を通り抜けて約10分ほど歩くと、「山の端」に「神社」の「鳥居」が見られるそうです。
 「三社神社」は、「石段」を上り詰めると、深い「木々」に囲まれ、「社殿」が建っており、「拝殿」、「本殿」となっており、「本殿」には細かい「彫り物」がなされているそうです。
 「三社神社」の「由緒」ですが、以下の通りとなっています。

 この地、匝瑳庄は熊野神宮領であった。
 詳らかではないが、南紀熊野より飯倉西ノ内の地に勧請し、飯倉郷の鎮守にして、当時十八ヶ村の鎮守として崇敬され、元禄五年壬申の年に再営されたものとされています。
 (御祭神、由緒ともに「匝瑳郡誌」参照)

 「金原の大篝」は、「金原の御奉謝(かなばらのおびしゃ)」ともいわれる「三社神社」で毎年「成人の日」の「未明」行われている「大篝」と「御的神事」です。
 「金原の大篝」は、「成人の日」の「前日」の「午後」から「当番」の「人々」の「手」で準備され、「松薪」や「青竹」などが「円錐形(えんすいけい)」に「大人」の「背丈」よりも高く山のように積み上げられます。
 「金原の大篝」では、「三社神社」「社殿」で「儀式」を行った後、「大篝」(「高さ」約6m、「周囲」15m)に「火」が入り、「火」が入ると「参拝」の「人」も集まり、「篝火(かがりび)」を囲み「御神酒(おみき)」が振る舞われるそうです。
 「金原の大篝」の「大篝火」は、赤々と燃え上がり、時折「青竹」が勢いよくはじけ、まさに「悪疫」を払う「炎の神事」となっています。
 「三社神社」「拝殿」回りには、「弓」と「矢」・「的」があり、「大篝」に「火」を入れた後、「七五三」の「男子」、15歳を迎えた「男子」が「的」を射ることから「金原の御奉謝」とも呼ばれています。
 なお「金原の大篝」の「炎」にあたると「風邪」を引かないといわれています。

 「飯倉郷十八ヶ村」の「鎮守」「三社神社」で開催される「成人」を祝い「悪疫」を払う「炎の神事」「金原の大篝」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「金原の大篝」詳細

 開催日時 1月13日(祝・月) 朝6時頃〜

 開催会場 三社神社 匝瑳市金原275

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「匝瑳市」では、「平成26年度成人式」を1月12日(日)に「市民ふれあいセンター」「3F大ホール」にて開催するそうです。
 (「受付」10時〜・「開式」10時30分〜)
 「平成26年度成人式」の「対象」ですが、平成5年(1993年)4月2日から平成6年(1994年)4月1日生まれの「匝瑳市内」「在住者」および「出身者」だそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1964 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:53 AM |
「平成25年度銚子市成人式」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で1月12日(日)に開催されます「平成25年度銚子市成人式」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併し、発展してきました。

 「銚子市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」に位置し、「全国屈指」の「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)の「まち」でもあり、「市」の「北部」には「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れており、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
 「銚子市」は、「首都」「東京」から100km圏内、上記のように「関東平野」の「最東端」に位置し、「北」は「利根川」、「東」と「南」は「太平洋」に面しています。
 「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年12月20日・12月8日・12月6日のブログ参照)と「漁業」で発展し、「農業」は「露地野菜」を中心に発展した「観光都市」です。

 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市」で最も高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は「北総台地」「最高峰」となっています。
 「銚子市」では、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、「比較的」「農業」に適しています。

 「銚子市」は、「周囲」が「海」、「川」に囲まれているため「海洋性気候」となっており、「湿度」は高めであり、「気温」は「年間平均気温」が約15℃で「夏」涼しく「冬」暖かい「気温」となっています。
 「銚子市」の「夏場」は、「関東平野部」の「都市」では珍しく「日中」でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったになく、「熱帯夜」になることもあまりありません。
 一方、「冬場」は「南九州」並みに「温暖」で「気温」が「氷点下」になることはほとんどなく、「雪」が降ることは非常に珍しいそうです。
 また「銚子市」では、「トマト」、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月5日のブログ参照)、「スイカ」、「イチゴ」(2011年1月18日のブログ参照)など「海洋性気候」に適した「野菜」や「果物」が栽培されています。
 また「銚子市」は、「年間」を通して「比較的」「風」が強く、「風力発電所」の「風車」が34基稼働しています。

 「銚子市青少年文化会館」は、「市民会館」、「児童文化センター」・「都市青年の家」からなる「施設」で、それぞれの「機能」を活かしながら「総合的」に運営しています。
 また「銚子市青少年文化会館」は、「自主文化事業」を通して「芸術文化」に親しめる「機会」を提供することにより、「地域文化」の「向上」を図っています。
 「銚子市青少年文化会館」は、「市民」の「憩いの場」、「交流の場」として多くの方に利用されています。

 「銚子市青少年文化会館」の「施設内容」ですが、「市民会館施設」として「大ホール」、「楽屋」等、「児童施設」として「中ホール」、「小ホール」、「展示室」、「工作室」、「プラネタリウム室」等、「青年施設」として「会議室」、「和室」、「学習室」、「視聴覚ライブラリー室」等となっています。

 「成人式」とは、「日本」の「地方公共団体」などが、「成人式」を行う「年度内」(多くは「成人の日」付近)に「成人」に達する「人々」を招き、「激励」・「祝福」する「行事」(イベント)、「講演会」や「パーティー」を開いたり、「記念品」を贈ったりするそうです。

 「成人式」の「由来」ですが、「成人」を祝う「儀礼」は古くからあり、「男子」には「元服」・「褌祝」、「女子」には「裳着」・「結髪」などがあり、「文化人類学」や「民族学」では、こうしたものを「通過儀礼」(イニシエーション)のひとつとして扱います。
 「日本」における「今日」の「形態」の「成人式」は、「終戦」間もない1946年(昭和21年)11月22日、「埼玉県」「北足立郡」「蕨町」(元・蕨市)において実施された「青年祭」が「ルーツ」となっています。
 「敗戦」により「虚脱」の「状態」にあった当時、「次代」を担う「青年達」に明るい「希望」を持たせ励ますため、当時の「埼玉県蕨町青年団長」「高橋庄次郎」氏が「主唱者」となり「青年祭」を企画、「会場」となった「蕨第一国民学校」(現・蕨市立蕨北小学校)の「校庭」に「テント」を張り、「青年祭」の「プログラム」として行われました。
 この「青年祭」「成年式」が「全国」に広まり、現在の「成人式」となりました。
 「蕨市」では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年(昭和54年)の「成人の日」には「市制施行20周年」、「成人の日制定30周年」を記念して「蕨市内」の「蕨城址公園」に「成年式発祥の地」の「記念碑」が「蕨市」によって建立されました。

 「蕨市」の「青年祭」に「影響」を受けた「国」は、1948年(昭和23年)に「公布」・「施行」された「祝日法」により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の「趣旨」のもと、「翌年」(1949年)から1月15日を「成人の日」として制定し、それ以降、ほとんどの「地方」で「成人式」は「この日」に行われるようになったそうです。
 その後、1998年(平成10年)の「祝日法改正」(通称・ハッピーマンデー法)に伴って、2000年(平成12年)より「成人の日」は「1月第2月曜日」へ移動しています。

 「新成人」の「定義」、「成人式」の「参加対象」となる「成人」は、「前年」の「成人の日」の「翌日」から「その年」の「成人の日」までに「誕生日」を迎える「人」を「祝う日」となっています。
 しかし、最近(特にハッピーマンデー制度導入以降)は「前年」の「4月2日」から「その年」の「4月1日」に「成人」する「人」を「式典参加」の「対象」にする、いわゆる「学齢方式」が定着するようになっています。
 「年齢方式」の場合、「誕生日」の遅い「早生まれ」の「人」が「他」の「参加者」が殆ど「見ず知らず」の「人」になってしまったり、「ハッピーマンデー制度」により「その年」の「成人の日」は「19歳」で「翌年」の「成人の日」は「21歳」という「ケース」がある(1987年1月9日〜13日生まれの場合など)ためとも言われています。

 「他」に「北海道」「札幌市」と「広島県」「広島市」では、この「1年間」に「20歳」の「誕生日」を迎える「人」を「成人式」「参加」の「対象者」とする「暦年方式」が用いられていたそうです。
 しかし、「大学受験」で「1浪」しただけで「式典参加」が「困難」になる場合が多いうえ、「前年」に「他市町村」で「成人式」の「対象」とならなかった「人」が「翌年」、「進学」や「転勤」で転入した場合、2年続けて参加できなくなるなど「若者」の「不評」が多かったことから、「両市」とも2000年以降は「学齢方式」に変更されています。
 1960年代までは、「新成人」は半数以上が既に「社会」に出ている「勤労青少年」でしたが、1970年代以降、「大学・専門学校進学者」(率)の「増加」や「中卒・高卒就職者」の「減少」から、「新成人全体」に占める「在学者」の「割合」も「年々」増加しており、現在に至っているそうです。

 「平成25年度銚子市成人式」は、「成人の日」の「前日」の1月12日(日)10時から「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で開催される「催し」です。
 今年(2014年)の「成人式」「該当者」ですが、平成5年(1993年)4月2日から平成6年(1994年)4月1日までに生まれた「人」で、「銚子市」に「住民登録」がある「人」が649人(男・349人/女・300人)、「市外」に在住していますが「故郷」・「銚子」で「成人式」を迎える「人」90人(男・45人/45人)で、「合計」739人の「出席」が見込まれているそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」では、10時から15分間は「小・中学校時代」の「卒業アルバム」から収録した「音と映像によるスイートメモリーズ」を上映し、「幼さ」を残した「小・中学生時代」の「写真」などが写し出されるそうです。
 その後「平成25年度銚子市成人式」では、10時20分から「式典開始」となり、「鈴木猛志」「銚子市教育委員長」の「開会の言葉」、「国家斉唱」につづいて「オペラ歌手」・「越智まりこ」さん「リード」により「銚子市歌」が斉唱されます。
 「平成25年度銚子市成人式」では、「式辞」を「越川信一」「市長」、「激励の言葉」を「石毛之行」「千葉県議会議員」、「信田光保」「千葉県議会議員」、「根本茂」「銚子市議会議長」が述べ、「若者たち」を祝福するそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」の「成人の抱負」を発表するのは「旧・第四中学校」「代表」の「大内秀恭」さんと「旧・第八中学校」「代表」の「鈴木春菜」さんの「二人」が行い、「今」まで歩んできた「道」、そして支えてくれた「家族」や「友人たち」への「感謝」、「将来」の「抱負」を述べるそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」の「フィナーレ」は「ちょうし少年少女合唱団」による「歌」「君をのせて」を歌い、「閉式の言葉」は「銚子市社会教育委員」の「岩瀬益子」「委員長」が述べるそうです。
 ちなみに今年の「成人たち」に贈られる「記念品」は今までと「趣向」を変え、「千葉県指定伝統工芸品・萬祝染コースター」となっているそうです。

 「銚子市青少年文化会館」で開催される「恒例行事」「平成25年度銚子市成人式」。
 「新成人」の「多幸」を祈念しています。

 「平成25年度銚子市成人式」詳細

 開催日時 1月12日(日) 10時〜

 「平成25年度銚子市成人式」「スケジュール」

 10時00分 音と映像によるスイートメモリーズ

 10時20分 式典

 11時00分 終了予定

 開催会場 銚子市青少年文化会館大ホール 銚子市前宿町1046

 問合わせ 銚子市生涯学習課社会教育班 0479-24-8739

 備考
 となりまち「神栖市」も「成人の日」の「前日」1月12日(日)に「神栖市文化センター」「大ホール」にて「平成25年度神栖市成人式」が開催されます。
 ちなみに「神栖市」で「新成人」(対象・平成5年4月2日から平成6年4月1日に生まれた人で市内在住(住民登録あり)または「実家」が「市内」の「方」)となる「人数」ですが、 1009人だそうです。

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| 地域情報::銚子 | 05:46 PM |
「小高のはだか参り」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「妙長寺」から「八坂神社」で1月12日(日)に開催されます「小高のはだか参り」です。

 「匝瑳市(そうさし)」は、「千葉県」「北東部」の「市」で、2006年(平成18年)1月23日に「八日市場市」と「匝瑳郡」「野栄町」が合併して誕生し、発足時の「人口」は約4万2000人だったそうです。
 (現在の「匝瑳市」の「人口」は39235人です。(平成25年12月31日現在))
 「匝瑳市」の「市名」の「由来」は「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことだそうで、「匝瑳市」は、「竹内正浩」さんの「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」として紹介されています。
 「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「小高のはだか参り」は、毎年「成人の日」の「前日」、午後10時(22時)〜11時(23時)頃に行われる「恒例」の「真冬」の「水ごり行事」です。
 「小高のはだか参り」には、「妙長寺」の「門前」に集まった「下帯」1本の「若者たち」が「辻」で「水垢離(みずごり)」をし、「身」を清めた後、「駆け足」で約500m離れた「八坂神社」まで行き、「無病息災」・「家内安全」・「五穀豊穣」を祈願するそうです。
 「小高のはだか参り」では、「帰り」は「手」を取り合い、「ヒーヒーガンガン」と面白い「かけ声」をあげながら戻ってきて、最後は「お供え餅」も奪い合って終わるそうです。

 「小高のはだか参り」の「参加者」は40人前後と「規模」は小さな「祭り」ですが、「奇祭」として「遠方」からの「見物客」も「年々」増えているそうです。
 「小高のはだか参り」の「見どころ」のひとつ「水垢離」では、汲み置かれた「水」を「手桶」で勢いよく浴びる「場面」です。
 「水垢離」の「場面」ですが、凍(い)てつく「寒さ」の中での「水垢離」の際、「体」から「湯気」が湧き出て、その「勇壮さ」に見ている者も興奮してしまうそうです。

 「小高のはだか参り」の「始まり」は、今から300年前、あるいは500年前から行われてきたといわれていますが、詳しい「資料」が残っていないため、どのようにして行われてきたのかは定かではありませんが、「小高のはだか参り」でお参りされる「八坂神社」は「男性器」を模った「棒」が祀られている「子宝の神様」でもあり、「小高のはだか参り」が「成人の日」の「前夜」に行われていることからも、「子孫繁栄」を願って始められたのではないかといわれています。
 (「小高のはだか参り」は、江戸時代後期に「日蓮宗」の「僧侶」の間で行われていた「水垢離」の「行」が「起源」という「説」もあり、以後、「八坂神社」の「子授け信仰」と結びつき今日の「姿」の「お祭り」として定着したともいわれています。)

 「小高のはだか参り」が行われる「匝瑳市」では、「小高のはだか参り」「会場」近くには「駐車場」はないため、

 「近所のご迷惑にならないようご協力ください。」

 と呼びかけています。

 「真冬」の「飯高地区」「小高」の「寺社」「妙長寺」から「八坂神社」で行われる「勇壮」な「祭り」「小高のはだか参り」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小高のはだか参り」詳細

 開催日時 1月12日(日) 22時〜23時頃

 開催会場 妙長寺〜八坂神社
 匝瑳市小高194(妙長寺)
 匝瑳市東谷498(八坂神社)

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「小高のはだか参り」では、「参加希望」の「問い合わせ」が時々あるそうですが、「真冬」の「夜」の「水垢離」はとても寒く、実際の「参加者」は、「小高のはだか参り」を終えると「地元・近所」の「家」の「お風呂」を借りているため、「一般人」の「参加」は事実上「無理」があるようです。
 また「小高のはだか参り」の「会場」「妙長寺」、「八坂神社」には「トイレ」がありませんのでご注意下さい。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:45 AM |
「新年献詠祭被講式」(香取市)
 本日二つ目にご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月14日(火)に開催されます「新年献詠祭被講式」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」にある「神宮」で、「式内社」(名神大社)であり、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」が祀られています。
 「香取神宮」は上記のように「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「御称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 また江戸時代から「人気」であった「東国三社参り」(2010年10月23日のブログ参照)は、「お伊勢参りのみそぎの三社参り」として篤い「信仰」を集めています。
 ちなみに「東国三社」とは、「香取市」の「香取神宮」、「茨城県」「鹿嶋市」の「鹿島神宮」、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)の「三社」のことです。

 「下総国一宮」「香取神宮」は、「四季折々」の「風情」で迎えてくれる「荘厳」な「香取の森」の中に鎮座しています。
 「香取神宮」の約37000坪の「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 「香取神宮」「境内」の「神社」ですが、「奥宮」、「鹿島新宮」、「又身神社」、「桜大刀自神社」、「匝瑳神社」、「向栄神社」ほか「九社」が祀られています。
 「香取神宮」では、弘仁3年(812年)以降、20年ごとに「式年遷宮」が定められていましたが、元禄13年(1700年)に「香取神宮」「本殿」が建立されてからは、「遷宮」は行われなくなったそうです。
 また「香取神宮」では、12年に一度、「香取神宮式年神幸祭」が「午年(うまどし)」に行われており、「午年」である本年(2014年)の4月15日(火)・16日(水)の「二日間」「盛大」に執り行われます。

 「献詠(けんえい)」とは、「宮中」や「神社」などに、「自作」の「詩歌(しいか)」をたてまつる(献上する)こと、また、その「詩歌」のことです。
 「住吉大社」では「新年献詠祭」、「松苗神事」、「観月祭」と「年三回」にわたって「献詠祭」が行われており、これらすべて「一般の方」からも「歌」を募集しているそうです。

 「新年献詠祭被講式」は、「香取神宮」「新春」の「恒例」の「祭事」で、「新年」「最初」(始め)に「香取神宮」「御神前」に「短歌」を奉納する「神事」です。
 「新年献詠祭被講式」では、「香取神宮献詠会員」より献ぜられた「短歌」を、「古来」から伝わる「独特」の「節(ふし)」を付けて「短歌」を歌い、「香取神宮」「御神前」に奉納するそうです。
 「新年献詠祭被講式」の「見学」ですが、「香取神宮」「社殿」の「外」からとなるそうです。

 「由緒」ある「香取の森」に鎮座する「香取神宮」で行われる「新春恒例」の「歌会始」「神事」「新年献詠祭被講式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新年献詠祭被講式」詳細

 開催日時 1月14日(火) 10時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「新年献詠祭被講式」は、上記のように「香取神宮」の「神様」に「短歌」を献上する「祭事」ですが、「宮内庁」の「歌会始」に倣(なら)い、催行されるそうです。

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| 地域情報::香取 | 06:37 PM |
「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」で1月12日(日)に開催され「8区間」22.9kmを駆け抜ける「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「岬」あり、「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 また「銚子市」は、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「歴史」と「伝統」を実感できる「醤油工場」(2010年12月20日・12月8日・12月6日のブログ参照)、さらには、これらの「産業基盤」から産出される「豊富」で「新鮮」な「食材」や「特産品」を備えるなど、多くの「地域資源」に恵まれた「魅力」あふれる「まち」です。

 「銚子市」の「位置」・「地勢」ですが、「首都」「東京」から100km、「東経140度50分」、「北緯35度44分」、「関東平野」の「最東端」に位置しています。
 「銚子市」は、「北」は「利根川」を隔て「茨城県」の「神栖市」に対し、「東」から「南」は「太平洋」に臨み、「利根川」沿い「北西方面」は「東庄町」(2012年4月15日・4月5日のブログ参照)と、「太平洋側」「南西方面」は「旭市」と接しています。
 「銚子市」の「面積」は83.91平方kmで、「沖」を流れる「暖流」・「寒流」の「影響」を受け、「夏」は涼しく「冬」は暖かい「気候」となっています。

 「青木半治」氏(2011年1月4日のブログ参照)は、「日本」の「スポーツ指導者」、「日本陸上競技連盟」「第5代会長」で、「日本体育協会」「第11代会長」また「国際陸上競技連盟」と「アジア陸上競技連盟」でも「役員」を歴任し、「副会長」を務め、後に「終身名誉副会長」を務められました。

 「青木半治」氏は、「千葉県」「長生郡」「太東村」(現「いすみ市」)出身で、「旧制銚子商業学校」(現在の「千葉県立銚子商業高等学校」)卒業、1938年(昭和13年)に「早稲田大学」「商学部」を卒業されました。
 その後「青木半治」氏は、「日立製作所」に入社し、同年「日本陸上競技選手権大会」の「砲丸投げ競技」で「優勝」、その後は、「三徳工業」、「昭和電工」を経て、1945年(昭和20年)に独立し、1946年(昭和21年)「青木金属工業株式会社」を設立、「会社経営」の傍(かたわ)ら、「母校」の「早稲田大学」「陸上部監督」を務められました。
 また「青木半治」氏は、「早稲田大学」「陸上部監督」を務めた際の「部員」に、元「衆議院」「議長」の「河野洋平」氏が入部されていたそうです。

 その後「青木半治」氏は、1959年(昭和34年)に「日本陸上競技連盟」の「常務理事」、1961年(昭和36年)に「理事長」に就任、同年に「日本体育協会」「評議員」及び「理事」に就任されました。
 その後「青木半治」氏は、上記のように「日本陸上競技連盟」、「日本体育協会」、「国際陸上競技連盟」、「アジア陸上競技連盟」でも活躍され、「陸上競技」の「発展」に寄与されました。
 「青木半治」氏は、数多くの「功績」を残し、2010年(平成22年)5月30日、「急性心不全」のため「東京都内」の「病院」で94歳で死去されました。

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「陸上競技会」を率先されてきた「青木半治」氏の「名前」を冠し、今年(2014年)で「65回目」を数える「歴史」ある「銚子市」の「新春」を彩る「駅伝大会」で、「銚子市内」や「観光名所」を駆け抜ける「一大スポーツイベント」です。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「大会」の「主旨」ですが、「体育」・「スポーツ」の「普及」及び「中学生」相互の「親睦」を図り、「スポーツ」を通して「心身」の「健全」な「育成」と「社会体育」の「振興」を推進するために開催されています。

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「大会」の「歴史」ですが、「終戦後」の「混乱期」である1949年(昭和24年)、「青木半治」氏を「筆頭」に、「銚子市内」に集った「陸上競技愛好者」により「協議会」が開かれ、「協議」は

 「戦後の混乱した世相から、スポーツを通じて何事にも全力であたる気構えをつくろう」

 との「意見」で一致したそうです。
 そして翌昭和25年(1950年)、「千葉県立銚子商業高校」「陸上競技部」が「運営」の中心となり、「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「第1回大会」が開催されたそうです。
 「第1回大会」の「参加範囲」は、「銚子市」、「海上郡」、「匝瑳郡」、「香取郡」の「16校」が参加し、「八日市場中学校」が2時間26分19秒の「記録」で「優勝」したそうです。
 以降「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は「回」を重ねる毎に「参加校」も増加し、現在では「80校」を超える「関東近県」では「最大規模」の「駅伝大会」となっています。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「第42回大会」より、当時「日本体育協会」「会長」であった「青木半治」氏より、「本大会」に「カップ」が寄贈され、「青木半治杯」の「名」を冠することとなりました。
 ちなみに「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」ですが、平成7年(1995年)に「日本陸上競技連盟創立70年記念式典」に於いて、「本大会」が高く評価されたそうです。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、例年「問題」となっていた「国道356号線」及び「銚子大橋」(2010年12月17日のブログ参照)付近の「渋滞」を解消するため、「第58大会」から「数回」に及ぶ「コース」の「変更」が行われ、「現在」の「コース」となっています。

 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、「8区間」22.9kmの「起伏」に富んだ「コース」となっています。
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「銚子市街地」から「外川」、「犬吠埼」をめぐって「早春」の「銚子半島」を一周する「総延長」22.9kmの「コース」を、「関東各地」の「中学生」の「皆さん」が駆け抜け、「コース」は8つの「区間」に分けられており、「スタート地点」から「5区」の「地球が丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)までの「高低差」は60m以上に及び、「選手たち」は「タスキ」を繋ぎ、約1時間強で「コース」を走り抜きます。
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の詳しい「コース」ですが、以下の通りとなっています。

 1区 (4.9km) シンボルロード・駅前大通り 河岸公園(2013年8月16日のブログ参照)前〜名洗

 2区 (2.8km) 名洗〜銚子市漁業協同組合外川支所

 3区 (3.1km) 銚子市漁業協同組合外川支所〜千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口

 4区 (2.0km) 千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口〜地球が丸く見える丘展望館

 5区 (2.3km) 地球が丸く見える丘展望館〜犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)

 6区 (2.8km) 犬吠埼灯台〜黒生

 7区 (2.0km) 黒生〜川口神社(2010年12月22日のブログ参照)

 8区 (3.0km) 川口神社〜市役所

 ゴール     銚子市役所前

 また「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「レース」前後には「交通規制」が行われますので、「駅伝大会」「当日」は「コース道路上」の「駐車禁止」と「交通規制」について呼びかけています。
 (詳しくは「銚子市」HP参照)

 「新春」の「銚子半島」を疾走する「歴史」ある「駅伝大会」「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」詳細

 開催日時 1月12月(日) 11時半〜 (受付8時〜)

 開催会場 銚子市内各所 (コースは上記参照)

 問合わせ 銚子市体育館内駅伝担当 0479-24-9559

 備考
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「当日」の「駅伝大会」の「様子」を「ストリーミングサービス」を用いて「リアルタイム」で中継するそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:04 AM |
「髭撫(ひげなで)祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「側高神社(そばたかじんじゃ)」で1月12日(日)で開催されます「髭撫(ひげなで)祭」です。

 「側高神社」は、「香取市」「大倉」にある「神社」で、「社格」は「香取神宮摂社」、「郷社」で「利根川」「下流域」には「そばたか」と「社名」を読む「神社」が多く分布していますが、「当社」「側高神社」はそれらの「本社」とされています。
 「側高神社」の「創建」ですが、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と同じ、「神武天皇18年」の「創建」と伝えられ、「側高神社」「御祭神」は昔から「神秘」とされており、明らかではないそうですが、現在は「一般名称」として「側高大神」と称されています。
 「香取郡誌」では、「主祭神」を「高皇産霊尊(たかむすびのみこと)」・「神皇産霊尊(かみむすびのみこと)」、「相殿神」を「天日鷲命(あめのひわしのかみ)」・「経津主命(ふつぬしのみこと)」・「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」・「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」・「姫御神(ひめみかみ)」としています。
 この「御祭神」の中に「忌部氏系」の「天日鷲命」が見られることと「側高神社」の「成立」との「関係性」が指摘され、また「経津主神」(香取神宮御祭神)の「后神」が「御祭神」であるという「説」もあります。
 「側高神社」は、「香取神宮」「第一」の「摂社」であり、慶長・元禄と「江戸幕府」の「造営」があり、1908年(明治41年)に「大倉」「字石神代」の「落文神社(おとしぶみじんじゃ)」と「大倉」「字一夜山」の「一夜山神社」(「痘痩除け」として「信仰」)が合祀されました。

 「側高神社」の「概史」ですが、「香取志」には「側高神社」は「香取神宮」の「第一摂社」とあり、古くより「香取神宮」との「関係」が深かったことがうかがわれます。
 寛元元年(1243年)の「文書」には「香取神宮」とともに「造替」があったことが見え、鎌倉時代には「社殿」は「一間」で「茅葺」、「作料官米」30石が「造営」に充てられた「旨」が見えます。
 慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)の「江戸幕府」による「香取神宮」「修造」の際にも、同時に「側高神社」の「修造」が行われ、これらの「古文書」には「脇鷹」「曽波鷹」という「表記」も見られるそうです。
 「側高神社」は、1916年(大正5年)「御大礼記念」として「社殿」を改造、1931年(昭和6年)には「国鉄成田線」「工事」のために「神井」を「現在地」の「鳥居」脇に移設、「県道」(現「国道356号線」)から「階段」を新設しています。
 (現在は通行不可)

 「側高神社」の「社伝」では、上記のように「香取神宮」と同じ「神武天皇18年」の「創建」といわれています。
 また「側高神社」「社伝」には、以下のような「伝承」が残っています。

 昔、「側高神」が「香取神」の「命」により、「陸奥」(東北地方)の「馬」2000疋を捕えて、「霞ヶ浦」の「浮島」まで帰ってきたところ、「陸奥神」が「馬」を惜しんで追いかけてきました。
 そこで「側高神」は「霞ヶ浦」を「干潮」にして「馬」を「下総」に渡らせ、次いで「満潮」にして「陸奥神」を渡れなくしたといわれています。

 以上の「伝承」から、「側高神社」が、古代に担った「役割」が推察されます。
 また「側高神社」の「末社」「落文神社」には、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「神」が「香取神宮」の「神」に「文」を出し、「使いの鹿」が「漁師」に狙われた「時」に「文」を落とし、その「心労」のために死んだ「鹿」を祀ったもの、後に「文」が見つかった「場所」が近くの「披露」との「伝承」があります。

 「側高神社」の「文化財」ですが、「本殿」が「千葉県」の「県指定有形文化財」(昭和57年4月6日指定)に指定されています。
 「側高神社」「本殿」は、「一間社流造」の「本殿」で、「採色文様」や「彫刻」には桃山時代の「建築様式」の「特色」が見られます。
 「側高神社」は、「香取神宮」の「修造」との「関係」や「建築様式」から、慶長年間に「畿内」「出身」の「名工」に学んだ「工匠」の「手」と見られており、「側高神社」「本殿」は、「地方色」の強い「建築物」で、「貴重」なものとして、上記のように「千葉県」の「文化財」に指定されています。

 「髭撫祭」は、約800年前・鎌倉時代の建保2年から続いている「側高神社」に伝わる「伝統行事」で、「香取神宮」「御祭神」「経津主神」の「御神徳」を称え「国土の平安」・「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「質朴勇壮」な「酒祭」です。
 「髭撫祭」は、「氏子」の間で「祭り当番」を引き継ぐ「儀式」として、「西側」に座した「当番」が「東側」に座す「新当番」に「酒」を勧める際、「立派」な「髭」を撫(な)でることから「ひげなで祭」と呼ばれるようになりました。

 「髭撫祭」は、「1月第2日曜日」の午後に行われる「地区」の「当番引き継ぎ行事」(「他地区」でいう「オビシャ」)で、始められた「当初」から、「弓」を射らず、「祭当番」の「引き継ぎ式」(引渡し式)と、「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念する「杯事」のみを行います。
 「髭撫祭」では、まず「神職」により、「祭当番」の「引き継ぎ式」(「神祭」をする「当番」の「引き継ぎ式」)が行われ、それに続き、「七引き合いの杯事」が行われます。
 「七引き合いの杯事」では、「羽織袴(はおりはかま)」を着た「新旧当番地区」の「人」が「互い」に向き合って座り、「髭(ひげ)」を撫(な)でたら大きな「椀(わん)」で「お酒」を飲みあうそうです。
 これは「髭」をなでられた「新当番」は「大椀」で「何杯」でも応じなければならない「作法」によるものだそうで、「髭撫祭」では上記のように「紋付きはかま姿」で「大仰」に「カイゼル髭」を撫(な)でる「姿」が「笑い」を誘うなんとも「ユーモラス」な「奇祭」だそうです。
 また「髭撫祭」「当日」に「会場」である「側高神社」「境内」では「甘酒」などもふるまわれ、「寒さ」を忘れて楽しめるそうです。
 「髭撫祭」は、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」(昭和52年6月1日指定)に指定されており、「千葉県」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。

 「香取神宮」との「関係」の深い「香取神宮第一摂社」「側高神社」で開催される「伝統」ある「ユーモラス」な「奇祭」「髭撫祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「髭撫祭」詳細

 開催日時 1月12日(日) 13時半〜

 開催会場 側高神社 香取市大倉5

 問合わせ 側高神社 0478-57-1545

 備考
 「髭撫祭」の「会場」「側高神社」には、「四箇の甕」と呼ばれる4つの「甕」があります。
 「四箇の甕」は、「春の甕」、「夏の甕」、「秋の甕」、「冬の甕」と呼ばれる「4つの甕」で、「四箇の甕」は、それぞれの「甕」の中の「雨水量」が「その年」の「降水量」を占うと伝えられています。

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| 地域情報::香取 | 11:46 AM |
「栢田仁組獅子舞(はくたじんくみししまい)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「栄地区」「栢田(はくた)」で1月8日(水)に開催されます「栢田仁組獅子舞(はくたじんくみししまい)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」からは70km圏、「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)である「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあります。
 「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。

 「匝瑳市」の「総面積」は、101.78平方kmで、「緑」豊かな恵まれた「大自然」と「歴史」のある「まち」です。
 「匝瑳市」の「北部」は、「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、「里山」の「自然」が多く残されています。
 「匝瑳市」の「南部」は、「平坦地」で「市街地」を除いてほとんどが「田園地帯」となっており、「白砂青松」の続く「九十九里海岸」(九十九里浜)(2012年5月11日のブログ参照)に面しています。
 「匝瑳市」の「気候」は、「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気候」は15度、「東京周辺」に比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」は約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」は「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 (現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、39235人となっています。(平成25年12月31日現在))
 「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。
 「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用しており、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「匝瑳市」「栄地区」ですが、「匝瑳市」の「前身」「旧・野栄町」の「旧・栄村」にあたる「地区」です。
 「旧・栄村」の「創設」ですが、「栢田」・「川辺」・「堀川」の「3村」が合併し設置されました。
 「栄村」に合併された「3村」は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」ともに「単一」である上に、「各村」とも「農・漁業」を「生業(なりわい)」として「人情」、「風俗」、「生活」の「状態」を同じくし、さらに「用水施設」の「経営」・「使用」につき「関係地域」のみにおいて「共同」の「関係」をもつなど、「合併」に「適当」な「状態」にあったそうです。
 「新村名」は、「新村」の「繁栄」に対する「村民」の「希念」を表微して「栄村(さかいむら)」と「命名」されたそうです。

 「匝瑳市」「栄地区」「栢田」では、毎年1月8日、「初茶飯」の「祝い日」に「五穀豊穣」と「無病息災」を祈り、「獅子舞」が「地区」の「各戸」を回って「悪魔払い」をする「栢田仁組獅子舞」が行われています。
 「栢田仁組獅子舞」は、「大人」2人であやつる「獅子」が、上記のように「仁組集落」内の「各戸」を回って「悪魔払い」をすることで、「五穀豊穣」・「無病息災」を祈念する「伝統行事」です。

 「栢田仁組獅子舞」の「起源」ですが、以下の通りとなっています。

 天明年間(1781年〜1788年)の「飢饉(ききん)」や「不作」、「大凶作」が相次ぎ、「上総」や「下総」の「国」に「疫病」が「大流行」しました。
 その折、「上総」の「国」「作田」の「住人」(名前不詳)が、「五穀豊穣」と「無病息災」を祈念して「獅子舞」なる「民俗劇」をつくりだし、「下総」の「国」「木戸村」(現在の「横芝光町」)までこの「芸能」をひろめたといわれています。
 「獅子舞」は、更に「隣」の「木戸村」から「栢田村」「仁組集落」の「有志」が習い、「旧正月」に「各家」をまわり「悪魔払い」をするようになったといわれています。
 「栢田仁組獅子舞」は、戦中から昭和46年(1971年)ころまで中断したそうですが、現在は、「地区」の「全戸」で「保存会」を結成して「伝統」を守っているそうです。

 「栢田仁組獅子舞」では、「獅子舞」の「獅子」が「伴奏」の「囃子」に合わせ、「仁組集落」の「家」をめぐり、「平獅子」、「狂い獅子」、「梯子獅子」などを行い、なかでも「高さ」12mの「梯子」の「上」で舞う「獅子」が「栢田仁組獅子舞」の「特徴」だそうです。
 「栢田仁組獅子舞」の「獅子」は、上記のように「二人立ち獅子舞」で、「演目」は「平獅子の舞」、「鳥刺し」、「和唐内」、「釣り玉」、「梯子獅子」、「狂い」があり、「村回り」では、「平獅子」が舞われるそうです。
 「栢田仁組獅子舞」は、上記のように「仁組地区」、「栢田地区」、「新川(にいかわ)地区」で行われています。

 「栢田仁組獅子舞」が行われる「当日」は、20数軒の「家」に「獅子」が上がり、「笛」や「太鼓」の「音」に合わせて「華麗」な「舞い」を「披露」し、「獅子舞」の「訪問」を受けた「家庭」の「人達」は、「自分」の「体」を「獅子」に触れてもらう(噛んでもらう)と「縁起」がいいと云われ、それぞれが「新年」への「幸せ」を願うそうです。

 「栄地区」「栢田」に伝わる「五穀豊穣」「無病息災」を祈念する「伝統行事」「栢田仁組獅子舞」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「栢田仁組獅子舞」詳細

 開催日  1月8日(水)

 開催会場 匝瑳市栄地区 匝瑳市栢田5931

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「栢田仁組獅子舞」は「作田流」の「獅子舞」で、「作田流」は、「他」の「流儀」と「比較」し最も「動き」の早い「勇壮」な「獅子舞」とされ、さらに、「七間」におよぶ高い「梯子」の上での「梯子獅子」の「芸」は「高度」な「技術」を「必要」とするそうです。
 「栢田仁組獅子舞」は、1984年(昭和59年)2月24日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::匝瑳 | 08:49 AM |

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