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「髭撫(ひげなで)祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「側高神社(そばたかじんじゃ)」で1月12日(日)で開催されます「髭撫(ひげなで)祭」です。

 「側高神社」は、「香取市」「大倉」にある「神社」で、「社格」は「香取神宮摂社」、「郷社」で「利根川」「下流域」には「そばたか」と「社名」を読む「神社」が多く分布していますが、「当社」「側高神社」はそれらの「本社」とされています。
 「側高神社」の「創建」ですが、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と同じ、「神武天皇18年」の「創建」と伝えられ、「側高神社」「御祭神」は昔から「神秘」とされており、明らかではないそうですが、現在は「一般名称」として「側高大神」と称されています。
 「香取郡誌」では、「主祭神」を「高皇産霊尊(たかむすびのみこと)」・「神皇産霊尊(かみむすびのみこと)」、「相殿神」を「天日鷲命(あめのひわしのかみ)」・「経津主命(ふつぬしのみこと)」・「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」・「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」・「姫御神(ひめみかみ)」としています。
 この「御祭神」の中に「忌部氏系」の「天日鷲命」が見られることと「側高神社」の「成立」との「関係性」が指摘され、また「経津主神」(香取神宮御祭神)の「后神」が「御祭神」であるという「説」もあります。
 「側高神社」は、「香取神宮」「第一」の「摂社」であり、慶長・元禄と「江戸幕府」の「造営」があり、1908年(明治41年)に「大倉」「字石神代」の「落文神社(おとしぶみじんじゃ)」と「大倉」「字一夜山」の「一夜山神社」(「痘痩除け」として「信仰」)が合祀されました。

 「側高神社」の「概史」ですが、「香取志」には「側高神社」は「香取神宮」の「第一摂社」とあり、古くより「香取神宮」との「関係」が深かったことがうかがわれます。
 寛元元年(1243年)の「文書」には「香取神宮」とともに「造替」があったことが見え、鎌倉時代には「社殿」は「一間」で「茅葺」、「作料官米」30石が「造営」に充てられた「旨」が見えます。
 慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)の「江戸幕府」による「香取神宮」「修造」の際にも、同時に「側高神社」の「修造」が行われ、これらの「古文書」には「脇鷹」「曽波鷹」という「表記」も見られるそうです。
 「側高神社」は、1916年(大正5年)「御大礼記念」として「社殿」を改造、1931年(昭和6年)には「国鉄成田線」「工事」のために「神井」を「現在地」の「鳥居」脇に移設、「県道」(現「国道356号線」)から「階段」を新設しています。
 (現在は通行不可)

 「側高神社」の「社伝」では、上記のように「香取神宮」と同じ「神武天皇18年」の「創建」といわれています。
 また「側高神社」「社伝」には、以下のような「伝承」が残っています。

 昔、「側高神」が「香取神」の「命」により、「陸奥」(東北地方)の「馬」2000疋を捕えて、「霞ヶ浦」の「浮島」まで帰ってきたところ、「陸奥神」が「馬」を惜しんで追いかけてきました。
 そこで「側高神」は「霞ヶ浦」を「干潮」にして「馬」を「下総」に渡らせ、次いで「満潮」にして「陸奥神」を渡れなくしたといわれています。

 以上の「伝承」から、「側高神社」が、古代に担った「役割」が推察されます。
 また「側高神社」の「末社」「落文神社」には、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「神」が「香取神宮」の「神」に「文」を出し、「使いの鹿」が「漁師」に狙われた「時」に「文」を落とし、その「心労」のために死んだ「鹿」を祀ったもの、後に「文」が見つかった「場所」が近くの「披露」との「伝承」があります。

 「側高神社」の「文化財」ですが、「本殿」が「千葉県」の「県指定有形文化財」(昭和57年4月6日指定)に指定されています。
 「側高神社」「本殿」は、「一間社流造」の「本殿」で、「採色文様」や「彫刻」には桃山時代の「建築様式」の「特色」が見られます。
 「側高神社」は、「香取神宮」の「修造」との「関係」や「建築様式」から、慶長年間に「畿内」「出身」の「名工」に学んだ「工匠」の「手」と見られており、「側高神社」「本殿」は、「地方色」の強い「建築物」で、「貴重」なものとして、上記のように「千葉県」の「文化財」に指定されています。

 「髭撫祭」は、約800年前・鎌倉時代の建保2年から続いている「側高神社」に伝わる「伝統行事」で、「香取神宮」「御祭神」「経津主神」の「御神徳」を称え「国土の平安」・「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「質朴勇壮」な「酒祭」です。
 「髭撫祭」は、「氏子」の間で「祭り当番」を引き継ぐ「儀式」として、「西側」に座した「当番」が「東側」に座す「新当番」に「酒」を勧める際、「立派」な「髭」を撫(な)でることから「ひげなで祭」と呼ばれるようになりました。

 「髭撫祭」は、「1月第2日曜日」の午後に行われる「地区」の「当番引き継ぎ行事」(「他地区」でいう「オビシャ」)で、始められた「当初」から、「弓」を射らず、「祭当番」の「引き継ぎ式」(引渡し式)と、「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念する「杯事」のみを行います。
 「髭撫祭」では、まず「神職」により、「祭当番」の「引き継ぎ式」(「神祭」をする「当番」の「引き継ぎ式」)が行われ、それに続き、「七引き合いの杯事」が行われます。
 「七引き合いの杯事」では、「羽織袴(はおりはかま)」を着た「新旧当番地区」の「人」が「互い」に向き合って座り、「髭(ひげ)」を撫(な)でたら大きな「椀(わん)」で「お酒」を飲みあうそうです。
 これは「髭」をなでられた「新当番」は「大椀」で「何杯」でも応じなければならない「作法」によるものだそうで、「髭撫祭」では上記のように「紋付きはかま姿」で「大仰」に「カイゼル髭」を撫(な)でる「姿」が「笑い」を誘うなんとも「ユーモラス」な「奇祭」だそうです。
 また「髭撫祭」「当日」に「会場」である「側高神社」「境内」では「甘酒」などもふるまわれ、「寒さ」を忘れて楽しめるそうです。
 「髭撫祭」は、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」(昭和52年6月1日指定)に指定されており、「千葉県」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。

 「香取神宮」との「関係」の深い「香取神宮第一摂社」「側高神社」で開催される「伝統」ある「ユーモラス」な「奇祭」「髭撫祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「髭撫祭」詳細

 開催日時 1月12日(日) 13時半〜

 開催会場 側高神社 香取市大倉5

 問合わせ 側高神社 0478-57-1545

 備考
 「髭撫祭」の「会場」「側高神社」には、「四箇の甕」と呼ばれる4つの「甕」があります。
 「四箇の甕」は、「春の甕」、「夏の甕」、「秋の甕」、「冬の甕」と呼ばれる「4つの甕」で、「四箇の甕」は、それぞれの「甕」の中の「雨水量」が「その年」の「降水量」を占うと伝えられています。

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