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「水神社」「永代大御神楽」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「水神社」で2月2日(日)に開催されます「水神社」「永代大御神楽」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏にあり、「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」となだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」の「市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。
 「旭市」は、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、平成17年(2005年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」が誕生しています。

 「水神社」は、1301年に創建され、「旧・海上町」「後草地区」では古くから「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「神社」です。
 「水神社」の「鳥居」ですが、天和3年(1683年)建立の「銘」がある「鳥居」で、「石鳥居」としては「千葉県」でも古い「鳥居」なのだそうです。
 しかし「水神社」「石鳥居」は、1971年(昭和46年)に「台風25号」のために倒れ、「貫」が折れてしまい、取り替えたそうです。
 また「水神社」の「鳥居の様式」ですが、「明神鳥居」となっており、「願主別当金蔵院住持長宝石工 六兵衛作之」の「銘」が読むことができます。

 「水神社」「永代大御神楽」は、「旭市」「後草地区」の「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「水神社」で毎年2月の「第1日曜日」に奉納されている「神楽」です。
 「水神社」「永代大御神楽」は、鎌倉時代から800年も続いており、「永代大御神楽」の「内容」ですが、「豊年万作」を記念して「春先」に奉納した「岩戸神楽」の「系列」といわれる「内容」となっています。
 「水神社」「永代大御神楽」は、古式ゆかしい「衣装」に「身」を包んだ「優雅」な「舞」は、いにしえの「情景」を今に色濃く伝えています。

 「水神社」「永代大御神楽」は「昔」、「旧暦」の2月8日の「村祈念」に行われていましたが、その後「新暦」の2月1日に「日程」が変わり、現在「水神社」「永代大御神楽」は2月の「第1日曜日」に実施されています。
 「水神社」「永代大御神楽」では「オドウ」(当番制)と決まった「家」から「神社」に参進の上、「神楽殿」(神楽舞台)で演舞することになっています。
 「水神社」「永代大御神楽」の「特長」ですが、「オドウ」と呼ばれる「当屋制」が残っていることで、「後草地区」は「字(あざ)後草区」(335戸)と「字(あざ)広原区」(約600戸)で構成され、1年交代で「オドウ」を務めており、2010年(平成22年)の「オドウ」は「後草区」の「担当」であったそうです。

 「水神社」「永代大御神楽」の「内容」は「記紀神話」に基づく「岩戸神楽」で、「手力男」が「具体的」に「岩戸」を開ける「所作」がないそうで、これは「千葉県」「北東部」の「下総神楽」の「特長」なのだそうです。
 「水神社」「永代大御神楽」の「内容」ですが、「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」の「乱暴」な「行状」に怒り「天の岩戸」に隠れた「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「神話」を演じるものとなっています。

 「水神社」「永代大御神楽」は次の「十二座」から成り、以下の通りとなっています。

 1 猿田彦命(さるたひこのみこと)(天狗)
 2 天鈿女命(あまのうずめのみこと)
 3 三(参)宝荒神
 4 八幡大神
 5 天手力夫命(あまのたぢからのみこと)
 6 榊葉
 7 稲荷保食命(稲荷キリ)
 8 田神(田ノ神)・種播(稲荷と狐)
 9 春日大神
 10 恵比寿大黒
 11 乙女の命(乙女)
 12 素盞鳴尊(すさのおのみこと)(〆切)

 となっています。
 (現在9「春日大神」は40年以上演じていないそうです。)

 「後草地区」の「鎮守」「水神社」で行われる「古式」ゆかしい「伝統神楽」「水神社」「永代大御神楽」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水神社」「永代大御神楽」詳細

 開催日時 2月2日(日) 12時頃〜

 開催会場 水神社 旭市後草1923

 問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728

 備考
 「水神社」「永代大御神楽」に使われる「神楽面」は16面だそうです。
 また「水神社」「永代大御神楽」は「千葉県」の「県指定無形文化財」(昭和29年指定)に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1996 |
| 地域情報::旭 | 01:46 PM |
「豊ヶ浜運動公園(とよがはまうんどうこうえん)」「豊ヶ浜フットサル場」オープン(神栖市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「神栖市」「豊ヶ浜運動公園とよがはまうんどうこうえん」「豊ヶ浜フットサル場」オープンです。

 「神栖市」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面し、「南」は「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)(常陸利根川)が流れています。
 「神栖市」にはかつては「広大」な「面積」の「池」「神之池(ごうのいけ)」(2012年3月27日のブログ参照)がありましたが、現在は「鹿島開発」のため一部を残して「大部分」が埋め立てられています。
 「神栖市」は、2005年(平成17年)8月1日に「神栖町」と「波崎町」が合併し、「人口」9万人余り(当時)の「市」として誕生しました。
 (2014年1月末日現在「神栖市」の「総人口」は94433人(うち「外国人住民」2103人))

 「神栖市」は、「茨城県」の「最東南端」に位置する「市」で、隣接している「鹿嶋市」とともに「鹿島臨海工業地帯」を形成しています。
 また「神栖市」は、「鹿嶋市」、「潮来市」、「鉾田市」、「行方市」とともに「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。
 「神栖市」は以前「農業」と「漁業」が中心の「地域」でしたが、1960年(昭和35年)に始まった「鹿島開発」によって「世界的」にも珍しい「堀込式人工港」「鹿島港」を「核」に、「鉄鋼」・「石油」を中心とした「重化学コンビナート」の「街」として発展、「工場立地企業」からの「税収」により「財政」は豊かで、「福祉」が充実しており「県外」からの「転入者」も多く、このため「鹿嶋市」との「広域市域合併構想」は、「自主財源」の「確保」の「観点」から「反対」されており、「鹿嶋市」との「合併」は合意されていません。

 「神栖市」の「旧・波崎町地区」は「太平洋」に面し、「夏」涼しく「冬」温暖な「気候」であることから「アウトドアスポーツ」を「観光」の中心に据えており、「海水浴」、「マリンスポーツ」から「サッカー」、「テニス」、「トライアスロン」にいたるまで幅広い「スポーツ」が楽しめるそうです。
 (「波崎海水浴場」(2012年7月13日・2011年7月19日のブログ参照)は、「環境省」の「快水浴場百選」に選定されています。)
 「神栖市」では特に「民間」の「サッカーグラウンド」は「70面」以上有しており、「サッカー合宿」の「メッカ」として「全国的」に有名です。

 「フットサル」(Futsal)は、「基本的」には「室内」で行われる「サッカー」(Soccer)に似て非なる「競技」です。
 「フットサル」は、長らく「非公式」に行われ「統一ルール」というものが存在しませんでしたが、1989年に「国際サッカー連盟」(FIFA)が「フットサル」も管轄することとなり、1994年には「世界共通」の「統一ルール」をまとめています。

 「フットサル」の「名称」の「由来」ですが、「futbol」(スペイン語)・「futebol」(ポルトガル語)と、「室内」を表す「salon」(スペイン語)・「salao」(ポルトガル語)の「合成語」、「スペイン語」の「futbol de salon(フットボール・デ・サロン)」(意味は「室内で行うサッカー」)の「名称」が、いつの間にか短く略され、「フットサロ」→「フットサル」と変化して、定着していったようです。

 「フットサル」の「歴史」ですが、「フットサル」が始まった「説」は二つあるそうです。
 まず、一つは「南米」を中心に発展してきた「サロンフットボール」とは「弾まないボール」のことで、「サロンフットボール」は、1930年(昭和5年)に「ウルグアイ」で考案されたそうで、また「ブラジル」でも同様のものが考案されたそうです。
 「フットサル」の「最初」の「統一ルール」は、「サンパウロ」で出版されたものとされており、「サロンフットボール」は、その後「南米全域」へと広まっていったそうです。
 「フットサル」は、1965年(昭和40年)からは「南米選手権」が開催され、1979年(昭和54年)まで続けられ、1961年(昭和36年)には、「国際サロンフットボール連盟」(FIFUSA・Federacion International de Salon・Futsal Federation)が設立され、1982年(昭和57年)に「世界サロンフットボール選手権」が「サンパウロ」で開催され、後に「世界フットサル協会」(AMF・Asociacion Mundial de Futbol de Salon・World Futsal Association)となりました。

 もう一つは、「サッカー」の「母国」「イギリス」より発祥して「ヨーロッパ」や「アメリカ」、「オーストラリア」などに広まった「インドアサッカー」です。
 「インドアサッカー」は「普通」の「サッカー」と同じ「ボール」を使って、「壁」も使って行われる「競技」です。
 「インドアサッカー」は「ルール」や「名称」も「国々」によってまちまちで、「スペイン」では「フットボール・サラ」、「ドイツ」では「ハレン・フースバル」、「イタリア」では「カルチェット」、「オランダ」で「ザール」と呼ばれるものがそれに当たります。
 「ヨーロッパ」では、「ザール」の「ルール」を元にして「UEFA」が「インドアサッカー」の「ルール統一」を図ったそうです。
 「FIFA」は、こうした「ミニサッカー」が「世界中」に広まるのをみて「ルール」の「統一」を始め、1989年(昭和64年(1月1日〜7日)・平成元年(1月8日〜12月31日))には「初」の「世界大会」を「オランダ」で開催しました。
 「第2回」の「大会」は「香港」で開催され、「FIFA」と「FIFUSA」による「ルール」の「統一化」が図られました。
 このときの「ルール」の「問題点」を改正し、1994年(平成6年)より「競技名」を「フットサル(FUTSAL)」と改められました。

 「豊ヶ浜運動公園(とよがはまうんどうこうえん)」は、「神栖市」「波崎」にある「公園」で、「波崎体育館」に程近くにある「公園施設」です。
 「豊ヶ浜運動公園」の「面積」は0.31ha(ヘクタール)(間口200m×奥行139mぐらい)で、「開設日」は1976年(昭和51年)となっています。
 「豊ヶ浜運動公園」「周辺」には、上記のように「波崎体育館」、「豊ヶ浜野球場」(軟式野球専用グラウンド・センター118m、両翼88m)、「波崎プール」(現在は休止中)などがあります。
 ちなみに「波崎体育館」の「内容」ですが、「競技場」(面積1490.75平方m(44.5m×33.5m)「バスケットボール」2面・「バレーボール」3面・「バトミントン」8面)、「柔道場」(面積158.76平方m(12.6m×12.6m)「柔道」1面(たたみ98畳))、「卓球室」(面積147平方m(14.0m×10.5m)「卓球台」4台)、「トレーニング室」(面積86.04平方m(13.68m×6.29m))、「研修室」(面積148.84平方m(12.2m×12.2m)「剣道」1面)、「控室」(面積22.6平方m「小会議室」)、「和室」(面積88.2平方m(12.6m×7.0m)「たたみ」56畳)となっています。

 「豊ヶ浜運動公園」では、「波崎地域」の「地域力」を高めるため、「砂丘荘」「跡地」「周辺」を「一体的」に整備することにより「イメージアップ」を図り、「地域住民」の「交流」と「賑わい」を創出するために「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」に基づく「砂丘荘跡地周辺整備事業」を行っていました。
 「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」の「趣旨」、「目的」ですが、「国民宿舎」「砂丘荘」「跡地」「周辺」約7haについて、「集積」する「スポーツ関連施設」などの「既存施設」の「有効活用」を図りながら、「民間活力」の「導入」を「視野」に入れた「核施設」と「地域」の「活性化」や新たな「魅力」の「創出」に向けて、「計画地全体」の「整備」を目指した「土地利用」を「具現化」するための「基本計画」となっていました。
 「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」の「対象地区」ですが、「神栖市」「波崎地域」、「対象地区内」には、「国民宿舎」「砂丘荘」「跡地」及び「波崎体育館」、「豊ヶ浜運動公園」(野球場)、「波崎プール」などの「スポーツ施設」が集積しており、周辺には「はさき生涯学習センター」、「はさきおさかなセンター」、「童子女の松原公園」(2012年5月29日のブログ参照)などが立地しているとともに「日本の海水浴場88選」に選ばれた「波崎海水浴場」と「波崎漁港」も隣接している約7haの「用地」で、「用地」はほとんどが「市有地」ですが、一部「民有地」(約4000平方m)も含んでいるそうです。

 「砂丘荘跡地周辺整備事業」により「豊ヶ浜運動公園」「周辺」は2012年12月に整備され、新しく「豊ヶ浜運動公園」(砂丘荘跡地エリア)が開園し、広い「公園内」には「芝生広場」や「ゴムチップ」で舗装された「園路」、「休憩所」として「あずまや」などがあり、「多目的」に楽しめる「公園」に整備されたそうです。
 (芝生内は現在養生期間のため立ち入り制限中)
 そして、この度(たび)「豊ヶ浜運動公園」では、「波崎体育館」「脇」に「豊ヶ浜フットサル場」が新しくオープンしました。

 「豊ヶ浜フットサル場」の「施設概要」ですが、「フットサルコート」1面(40m×20m)の「人工芝」の「フットサル場」となっており、「夜間照明設備」が完備されているそうです。
 「豊ヶ浜フットサル場」の「利用開始日」は2月1日(土)からとなっており、「利用時間」は9時から21時となっています。
 「豊ヶ浜フットサル場」の「予約」ですが、「2月分」の「予約受付」は「波崎体育館」で1月24日(金)より「窓口」「受付」「開始」し、1月25日以降は「電話予約」もできるようになっています。
 ちなみに「豊ヶ浜フットサル場」の「予約」は、「毎月」「最初」の「営業日」から「次月」の「予約」ができるそうです。
 (利用料金は下記「詳細」参照)

 「砂丘荘跡地周辺地区整備事業」により新しく開園した「豊ヶ浜運動公園」内にオープンした「豊ヶ浜フットサル場」。
 この機会に「神栖市」「豊ヶ浜運動公園」「豊ヶ浜フットサル場」で「汗」を流してみてはいかがでしょうか?

 「豊ヶ浜運動公園」「豊ヶ浜フットサル場」詳細

 所在地  茨城県神栖市波崎9579

 利用時間 9時〜21時
 利用開始日は2月1日〜 予約開始は1月24日(金)から「波崎体育館」で予約、25日(土)以降は「電話」による「仮予約」可

 利用料金 神栖市内520円 神栖市外1570円

 問合わせ 波崎体育館 0479-44-5581

 備考
 「豊ヶ浜運動公園」「フットサル場」の「利用」の際、「営利目的」で利用される場合は「別料金」が派生するそうです。
 また「豊ヶ浜運動公園」「フットサル場」の「照明設備」を利用される場合は「別途」210円かかるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1990 |
| 地域情報::神栖 | 09:53 AM |
「ヴァレンタイン企画」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で2月9日(日)に開催されます「ヴァレンタイン企画」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に隣接する「施設」で、「山武郡」「芝山町」にある「人気」の「日本最初」の「航空専門」「科学博物館」です。
 「航空科学博物館」には、「YS-11試作1号機」、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大レプリカ」、「DC-8」の「フライトシュミレーター」、「ボーイング747」の「客室」の「実物大モックアップ」、「成田国際空港」の「模型」などが展示され、「航空科学博物館」「4F」には「成田国際空港」を一望する「展望レストラン」等があります。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、1977年(昭和52年)「地元自治体」の「山武郡」「芝山町」より「成田空港」の「開港」に関連した「博物館」「建設」の「要望」が「運輸大臣」(当時)に提出されました。
 1984年(昭和59年)「博物館」の「建設」・「運営」の「事業主体」となる「財団法人航空科学振興財団」が設立、1988年(昭和63年)に「博物館」「工事」に「着工」、1989年(平成元年)8月1日「航空科学博物館」が開館しました。
 「航空科学博物館」は、1994年(平成6年)に「入館者」100万人を達成、1999年(平成11年)「成田空港」「第1ターミナルビル」内に「ミュージアムショップ」「バイプレーン」を開店、2004年(平成16年)1月18日に「入館者」300万人を達成しました。
 2011年(平成23年)6月23日に「成田国際空港株式会社」が「航空科学博物館」「敷地」(駐車場)内に「成田空港闘争」の「史実」や「反対派」の「ヘルメット」などを展示した「資料館」「成田空港 空と大地の歴史館」を建設し開館、2012年(平成24年)4月1日「公益財団法人航空科学博物館」に移行しています。

 「航空科学博物館」では、「航空」や「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」さまざまな「催し」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」、「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」「航空グッズ」の「販売」(航空ジャンク市)等の「各種イベント」も開催されています。

 「ヴァレンタインデー」あるいは「セントヴァレンタインズデー」(英・St.Valentine's day)は、「2月14日」に祝われ、「世界各地」で「男女」の「愛」の「誓いの日」とされています。
 もともと、269年に「ローマ皇帝」の「迫害下」で殉職した「聖ウァレンティヌス」(テルニのヴァレンタイン)に由来する「記念日」だと、主に「西方教会」の広がる「地域」において伝えられてました。

 「ヴァレンタインデー」の「起源」は「諸説」あり、「ローマ帝国時代」にまでさかのぼるとされる「説」があります。
 当時、「ローマ」では、「2月14日」は「女神」・「ユノの祝日」であったそうで、「ユノ」は「すべての神」の「女王」であり、「家庭」と「結婚」の「神」でもありました。
 翌「2月15日」は、「豊年」を祈願する(清めの祭りでもあります)「ルペルカリア祭」の「始まる日」であったそうで、当時若い「男たち」と「娘たち」は「生活」が別であったそうです。
 「祭り」の「前日」、「娘たち」は「紙」に「名前」を書いた「札」を「桶の中」に入れることになっており、「翌日」、「男たち」は「桶」から「札」を1枚ひきました。
 ひいた「男」と「札」の「名」の「娘」は、「祭り」の間「パートナー」として「一緒」にいることを定められていたそうで、そして多くの「パートナーたち」はそのまま「恋」に落ち、そして「結婚」したようです。

 「ローマ帝国」「皇帝」・「クラウディウス2世」は、愛する「人」を「故郷」に残した「兵士」がいると「士気」が下がるという「理由」で、「ローマ」での「兵士」の「婚姻」を禁止したといわれています。
 「キリスト教」の「司祭」であった「ウァレンティヌス」(ヴァレンタイン)は「秘密」に「兵士」を結婚させていましたが、捕らえられ、処刑されたとされ、「処刑の日」は、「ユノの祭日」であり、「ルペルカリア祭」の「前日」である「2月14日」があえて選ばれました。
 「ウァレンティヌス」(ヴァレンタイン)は「ルペルカリア祭」に捧げる「生贄(いけにえ)」とされたといわれており、このため「キリスト教徒」にとっても、この日は「祭日」となり、「恋人たちの日」となったというのが「一般論」とされています。

 「日本」では、「ヴァレンタインデー」は1958年(昭和33年)ころから流行したそうですが、ただし、その「内容」は「日本独自」の「発展」を遂げたものとなっています。
 「ヴァレンタインデー」は、「戦前」に来日した「外国人」によって「一部」行われ、「戦後」まもなく「流通業界」や「製菓業界」によって「販売促進」のために「普及」が試みられましたが、「日本社会」に定着したのは、1970年代後半であったそうです。
 「ヴァレンタインデー」は、「主として女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型ヴァレンタインデー」の「様式」が成立したのもこのころであったそうです。
 なお、「ヴァレンタインデー」に「チョコレートを渡すのがいいのでは?」と「最初」に考案して実践したのは、「大田区」の「製菓会社」だそうです。
 「現代日本社会」における「ヴァレンタインデー文化」の、「起源」、「普及過程」、「社会的機能」、「歴史的意義」などについては、「民俗学」、「社会学」、「宗教学」、「歴史学」(文化史、商業史)の「各分野」から研究されるべき「事項」でありますが、「ヴァレンタインデー」に関するまとまった「研究」は存在しないそうです。

 「日本」では「ヴァレンタインデー」に、「女性」が「男性」に「愛情」の「告白」として「チョコレート」を贈る「習慣」があります。
 「欧米」でも「恋人」や「お世話」になった「人」に「チョコレート」を贈ることはありますが、決して「チョコレート」に限定されているわけではなく、また「ヴァレンタインデー」に限ったことでもないそうです。
 「女性」から「男性」へ贈るのがほとんどという点と、「贈る物」の多くが「チョコレート」に限定されているという点は、「日本」の「ヴァレンタインデー」の大きな「特徴」でありますが、「最近」では、「チョコレート」にこだわらず、「クッキー」や「ケーキ」、「マフラー」などを贈る「人」もいるそうです。
 また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、「同性間」(主に女性)で贈り合ったりする「友チョコ」、「男性」が「女性」に渡す「逆チョコ」というものもみられます。

 「日本型ヴァレンタインデー」の「特徴」を整理すると、以下の3点となるそうです。

 贈答品にチョコレートが重視される点
 女性から男性へ一方的贈答である点
 (女性の)愛情表明の機会だと認識されている点

 このほか、「職場」における「贈答習慣」が強い点や、「キリスト教」との「直接的関連」はほとんど意識されていない点も「日本型ヴァレンタインデー」の「特徴」です。

 「ヴァレンタイン企画」ですが、「航空科学博物館」の「企画」で、2月9日(日)に行われます。
 「ヴァレンタイン企画」の「内容」ですが、「ヴァレンタインデー」(正式には2月14日)にちなみ行われる「企画」となっており、「航空科学博物館」に入館された「皆様」に「プチチョコレート」を「プレゼント」するという「内容」になっています。

 「航空科学博物館」「ヴァレンタイン企画」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ヴァレンタイン企画」詳細

 開催日  2月9日(日)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 9時〜17時

 休館日  月曜日(「祝日」の場合は翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、「クープ・ド・クール2014年ヴァレンタインイベント」と題し、「フランス」の「ヴァレンタイン村」から届く「メッセージサービス」を行っています。
 「日本」から「フランス」の「ヴァレンタイン村」に「想い」を記した「メッセージカード」を送ると「村長」がその「想い」を認め、「メッセージ」を承認した上で返信する「日本郵便」の「サービス」だそうです。
 「メッセージカード」には「村長」の「署名」と「オリジナルスタンプ」が押印され、また「フランス」から「日中」に届く「封筒」には、「フランス」の「デザイナーズ切手」に「ハート」の「消印」を押してお届けするそうです。
 イベント開催日時は以下の通りとなっています。

 2014年2月8日(土)・9日(日)・11日(祝・火)・14日(金) 11時00分〜16時00分

 「クープ・ド・クール」キット(切手代のみ)一部410円となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1989 |
| 地域情報::成田 | 11:55 AM |
「香取神宮」「節分祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で2月3日(月)に開催されます「香取神宮」「節分祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪(12万3千平方m)ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 「香取神宮」「境内」は、「香取の森」と呼ばれ、「千葉県」の「県天然記念物」に指定されており、「広大」な「境内」には「老杉」がうっそうと茂り、「別名」「亀甲山」といわれています。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」(1953年(昭和28年)3月31日「国宝」指定)や「重要文化財」に指定されている「小瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)」(1953年(昭和28年)3月31日「重要文化財」指定)、「双竜鏡(そうりゅうきょう)」(1953年(昭和28年)11月14日「重要文化財」指定)などがあり、「香取神宮」には「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「節分祭」は、「古式」に則った「節分祭」・「節分追儺式(せつぶんついなしき)」が「毎年」2月に行っています。
 本年(2014年)も「香取神宮」では、「立春」「大吉」を迎えるにあたり、「厄」をお祓いするため、2月3日(月)に「香取神宮」「本殿」にて、「節分祭」・「節分追儺式」が「斎行」されます。
 「節分追儺式」は、明治時代の「初期」から伝わる「香取神宮」「独特」の「厄払い」の「行事」で、「節分追儺式」では、「御祓い(おはらい)」、「祝詞奏上(のりとそうじょう)」の後、「剣」を「手」に舞う「神人追儺の儀」、「香取神宮」「本殿」で「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」を打ち鳴らす「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」、「音」に驚いた「赤鬼」、「青鬼」が飛び出してくると「福娘」に扮した「二人」の「巫女(みこ)」が「鬼は外!」と「豆」をぶつけ「香取神宮」「拝殿」の「外」へ追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。

 「香取神宮」「節分祭」では、「儀式」「節分追儺式」が終わりますと「大相撲」の「力士」が「特別奉仕年男」として「豆撒き」が行われます。
 また「節分追儺式」の後に、「年男」「年女」や「大相撲」の「力士」らが並び、待ち構える「参拝客」がに「福豆」・「福銭」や「景品」の「引き換え券」などがまかれます。
 「景品」の「引き換え券」は、「地元商店街」からの「協賛景品」と交換することができるそうです。

 ちなみに今年(2014年)の「香取神宮」「節分祭」「節分追儺式」には、「大相撲」の「錣山親方(しころやまおやかた)」(元・寺尾関)、「豊真将関(ほうましょうぜき)」を「特別年男」にお迎えし、催行するそうです。

 「日本屈指」の「神宮」「香取神宮」で開催される「新春恒例の行事」「節分祭」「節分追儺式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「節分祭」「節分追儺式」詳細

 開催日時 2月3日(月) 13時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-2804

 備考
 「節分祭」「節分追儺式」が行われる「香取神宮」では、「境内」や、「旧参道」の「梅の花」がほころび始め、あちらこちらにも、小さな「春」の「足音」が見つけられているようです。





















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| 地域情報::香取 | 01:45 PM |
「さわら雛(ひな)めぐり」「さわら雛舟(ひなぶね)」「お雛さま大募集!」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み」で毎年2月〜3月の期間開催されます「さわら雛(ひな)めぐり」で行われる「さわら雛舟(ひなぶね)」に参加する「お雛さま大募集!」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が現存している「町並み」で、「商家街」の「歴史的景観」を残す「町並み」は「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されています。
 「水運」を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた「佐原」では、「江戸」の「文化」を取り入れ、更に「独自」の「文化」に昇華していました。

 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸優り」

 と「戯歌」に唄われるほど「隆盛」を極めた「佐原の町並み」は、「商都」の「面影」を今に残し、「北総の小江戸」と称されています。

 上記のように「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)沿いなどが「物資」の「集散地」として栄え始めました。
 そして、「小野川」には「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多く作られました。
 その後、明治以降もしばらく繁栄は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年頃までにかけて、「成田」から「鹿嶋」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていたそうです。
 「佐原の町並み」は、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵作りの店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の町並み」は「重要伝統的建造物群保存地区」内の、「市街地」を「東西」に走る「通称」「香取街道」、「南北」に流れる「小野川」沿い、及び「下新町通り」などにその「町並み」を見ることができます。

 「さわら雛めぐり」(2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月10日のブログ参照)ですが、今年(2014年)で「9回目」を迎える「催し」で、「佐原の町並み」、「佐原の商家」などを「会場」にして行われている「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)の「季節」毎に開催している「イベント」のひとつです。
 「佐原まちぐるみ博物館」は、「佐原」の「商家」の「おかみさんたち」により結成された「佐原おかみさん会」(2011年2月5日のブログ参照)によって運営されています。

 「佐原おかみさん会」では、2月8日(土)から3月23日(日)までの「期間」、今年(2014年)で「9回目」となる「第9回さわら雛めぐり〜川面に映える雛装束〜」を行うそうです。
 「第9回さわら雛めぐり」ですが、、「佐原」の古い「商家」に伝わるどこか「憂い」を帯びた「お雛様」を「店先」・「店内」に飾り、「情緒」ある「佐原の町並み」をめぐりながらそれぞれ違った「お雛さま」に会いに「町あるき」(まちめぐり)する「佐原のまち」ならではの「恒例」の「催し」となっています。

 「お雛さま大募集!」は、「佐原おかみさん会」、「観光推進協議会」が共催で3月15日(土)・16日(日)に開催する「さわら雛舟(ひなぶね)」(2013年4月5日のブログ参照)に参加(乗船)する「お雛様(おひなさま)」、「お内裏様(おだいりさま)」、「五人囃子(ごにんばやし)」、「官女」、「稚児」の「募集」です。
 昨年(2013年)に引き続き、「2回目」の「さわら雛舟」は、「第9回さわら雛めぐり」の「メインイベント」として行われる「催し」で、「豪華絢爛(ごうかけんらん)」、平安時代の「雛装束(ひなしょうぞく)」の「雛人(ひなびと)」が「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「雅楽」で「小野川」を「舟」で進むというものです。
 今年(2014年)は、「お雛様」と「お内裏様」だけでなく上記のように「五人囃子」や「官女」、「稚児」の「募集」もしています。

 今年催行される「さわら雛舟」ですが、上記のように3月15日(土)・16日(日)に行われ、「舟」は1日3回運航となっており、「会場」は、「伊能忠敬旧宅」(2012年2月24日のブログ参照)前より「小野川」・「伊能忠敬記念館」(2013年1月26日・2012年4月21日・2011年1月29日のブログ参照)裏「町並み観光観光駐車場」となっています。
 「さわら雛舟」の「内容」ですが、「人」による7艘(そう)の「お雛様」と「香取神宮」の「雅楽」、「下宿区山車」「曳き廻し」と「展示」、「片野聡」「篠笛」「演奏」、「地域」の「物産展」等、「多彩」な「イベント」を予定しているそうです。

 「さわら雛舟」の「募集要項」は以下の通りとなっています。

 内容   平安装束を来て舟に乗船

 締切   2月15日まで

 資格   18歳以上未婚の男女 稚児は小学3年生まで

 募集人数 お雛様(1名)お内裏様(1名)五人囃子(5名)官女(8名)稚児(19名)

 問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
 (申し込み)

 となっています。
 「歴史」あり「風情」あふれる「佐原の町並み」で行われる「人気」の「催し」「さわら雛(ひな)めぐり」の「メインイベント」「さわら雛舟(ひなぶね)」。
 この機会に「お雛さま大募集!」に「応募」してみてはいかがでしょうか?

 備考
 「第9回さわら雛めぐり」の行われる「香取市」「佐原」では、「期間中」「同時開催」として「伊能忠敬記念館」にて「伊能家のお雛様」(1月28日〜3月16日)、「佐原町並み交流館」(2012年1月27日のブログ参照)では「地域のお雛様展」が開催されるそうです。





















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| 地域情報::香取 | 03:13 PM |
「平成26年成田山新勝寺節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で2月3日(月)に開催されます「平成26年成田山新勝寺節分会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

  「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れます。
 「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。
 この「御護摩祈祷」は、「一般の方」でも「大本堂」内でその「一部始終」を参拝することができ、中でも「朝護摩」は、4月から9月は5時30分、10月から3月は6時に厳修されています。
 この「神聖」な「儀式」に参拝しようと、前の「晩」は近くに「宿」をとってこの「朝護摩」に訪れる「ご信徒」の方も数多くおられるそうです。

 「成田山新勝寺」では、「大本堂」からほど近い「光輪閣」から歩いて「大本堂」へとお入りになる約10名の「大導師」・「職衆」の「姿」をご覧になることができ、「身」につけている鮮やかな「法衣」の「色彩」は、「成田山」ならではのものといえます。
 中でも「大僧正」が「身」に着ける「衣装」を特に「緋の衣」といい、「緋色」を用いた大変美しい「衣装」となっています。
 「職衆」も「紫」や「萌黄色」(緑色)・「浅黄色」(黄色)などの鮮やかで「雅(みやび)」な「色彩」を用いた「衣装」を「身」にまとって「大護摩修行」を執り行っています。
 こうした煌びやかな「衣装」の「行列」に、「仏教文化」の「華やかさ」と「修行」の「厳しさ」を垣間見る「思い」があり、またこうした「厳粛」な「姿」をすぐ「目の前」で「毎日」見ることができることからも、「成田山」が常に「庶民」に開かれていることがわかります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、そのうちの「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山新勝寺節分会」(2013年1月25日・2012年1月30日・2011年1月31日のブログ参照)ですが、毎年2月に催行されている「成田山新勝寺」「恒例」の「人気行事」です。
 「成田山新勝寺節分会」には、「毎年」「正月」の「初詣」に匹敵する「参拝客」で賑わい、「場所取り」をする「人」が出るほどの「人気」がある「節分会」として知られています。

 「平成26年成田山新勝寺節分会」ですが、今年(2014年)は「国土安穏」・「万民豊楽」・「五穀豊穣」・「天下為福」に加え、「東日本大震災被災地復興」への「祈り」を込め、「恒例」の「豆まき式」が厳かにも「盛大」に執り行われます。

 「震災に勝つ!福は内!」

 と「成田山新勝寺節分会」は、「復興」への「祈り」を込めた「大発声」が「境内」に響き渡ります。
 「成田山新勝寺節分会」には、「陸前高田市・市長」「戸羽太」様をお迎えし、「第1回目」の「特別追儺(ついな)豆まき式」にご参加いただき、ご参加の「皆さん」と共に「東日本大震災早期復興」を祈願します。
 「平成26年成田山新勝寺節分会」では、「開運豆まき」と「特別追儺豆まき式」を行っていますが、「大相撲力士」や「NHK大河ドラマ」の「出演者」の「皆さん」が「豆」を撒(ま)くことで知られているのは、「特別追儺豆まき式」で、今年も「下記」の方々が「第1回目」と「第2回目」に参加するそうです。
 このように「特別年男」として「力士」や「芸能人」が「豆まき」に参加するようになったのは、現在の「大本堂落慶記念」の「翌年」である昭和44年(1969年)に「NHK朝の連続テレビ小説」の「出演者」の「皆さん」と「大相撲」の「力士」を招いたのが「最初」で「今日(こんにち)」まで続いているそうです。

 「成田山新勝寺節分会」「特別追儺豆まき式」スケジュール

 1回目 11時00分

 2回目 13時30分

 3回目 16時00分

 「大相撲力士」(予定)

 横綱 白鵬

 大関 稀勢の里

 前頭 隠岐の海

 前頭 遠藤

 前頭 舛ノ山

 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」出演者(予定)

 岡田准一  (黒田官兵衛 役)

 中谷美紀  (官兵衛正室 光 役)

 桐谷美玲  (荒木村重正室 だし 役)

 速水もこみち(母里太兵衛 役)

 片岡鶴太郎 (小寺政職 役)

 上記の方々は1、2回目のみの「参加」となります。

 なお「成田山新勝寺節分会」「当日」は、「剣守」が1回につき365体、「大豆」が3回で860kg、「殻付落花生」が3回で400kg撒かれるそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」「当日」は「成田山表参道」周辺で「交通規制」が行われますのでご注意下さい。

 「交通規制」

 10時〜18時

 JR成田駅〜成田山山門(鍋店角)

 10時〜16時

 JR成田駅〜薬師堂

 尚、「当日」の「混雑状況」によっては「規制時間」が延長されることもございますので、「現場」の「警備員」の「指示」に従って「通行」下さいとのことです。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「人気」の「豆まき式」「平成26年成田山新勝寺節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成26年成田山新勝寺節分会」詳細

 開催日時 2月3日(月) 11時〜

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111(8時〜16時)

 備考
 「成田山新勝寺節分会」では、「福は内!」のみ唱え、「鬼は外!」とは唱えません。
 これは昔からの「慣(なら)わし」で、「不動明王」のもとには「鬼」はいないということから唱えないそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」は、上記のように「転禍為福」・「五穀豊穣」を願って、「毎年」「立春」の「前日」に催行されています。

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| 地域情報::成田 | 09:53 AM |
「第32回門前・軽トラ市」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子銀座通り」(ココロード銚子)で1月26日(日)に開催されます「第32回門前・軽トラ市」です。

 「門前・軽トラ市」の「会場」である「銚子銀座通り」(ココロード銚子)(2011年10月1日のブログ参照)は、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)や「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)の近くにある「通り」で、「通り」に面した「銚子銀座通り商店街」は、「飯沼観音」の「門前町」として栄えた「商店街」です。
 「銚子銀座通り」(ココロード銚子)は、1997年(平成9年)に行われました「マイロード事業」により「道路の舗装」や「モダンな街灯」に一新されています。

 3年前(2011年)の6月5日に「第1回目」となる「第1回門前・軽トラ市」(2011年6月3日のブログ参照)が開催されてから「3年目」の「シーズン」に突入した「門前・軽トラ市」。
 「門前・軽トラ市」は、毎月「第4日曜日」「恒例」の「イベント」として、地元「銚子市」はもとより、「近隣市町」から様々な「産品」が持ち寄られ、毎回「テーマ」を設け、賑やかに開催されています。
 (初回(第1回目)は「第1日曜日」に開催されました。)
 ちなみに「門前・軽トラ市」とは、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)を「歩行者天国」にして「地元野菜」、「海産物」、「工芸品」、「お総菜」など「満載」の「軽トラ」で販売している「市」(イベント)です。

 今回行われる「第32回門前・軽トラ市」は、「門前軽トラ市de創作銚子の鍋料理!」と題し、「銚子ジオパーク」&「銚子元気娘。」「関連イベント」が行われます。
 「門前軽トラ市de創作銚子の鍋料理!」では、「金目鯛」(2011年2月14日・2010年10月17日のブログ参照)の「ブイヤベース」の「仕掛人(しかけにん)」の「料理プランナー」が考えた「メイン」に「地元」の「具材」を使った「創作鍋」を「門前・軽トラ市」より発信するそうです。
 「門前軽トラ市de創作銚子の鍋料理!」には、今回のみの「復活」の「銚子金目鯛」の「ブイヤベース」、「魚のつみれ」と「野菜」の「ちゃんこ風スープ」、「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)を「豆乳」・「カレー風味」でいただく「創作汁」、「きんちゃく蟹」・「さるえび」を使った「魚介」の「創作汁」などが販売されるそうです。
 (材料の入手状況によってはメニューが変更になる場合がございますので予(あらかじ)め了承くださいとのことです。)

 「金目鯛のブイヤベース」ですが、3年前(2011年)の10月30日に「銚子漁港」「第三卸売市場」で開催された「第19回銚子市産業祭」(2011年10月26日のブログ参照)にて「お披露目」された「銚子おもてなしブイヤベース」の「リメイク」のようです。
 「銚子おもてなしブイヤベース」ですが、2011年に起こった「東日本大震災」及び「原発事故」による「風評被害」等で「銚子市の産業」が「多大」な「悪影響」を受けていることから、「元気な銚子」「安全・安心な銚子」をPRすることを「開催目的」のひとつに行われた「第19回銚子市産業祭」にて、「銚子の元気伝え隊」の「事業」の「ひとつ」として出品(お披露目)されました。
 「銚子おもてなしブイヤベース」は、「銚子市」の新しい「魚料理」として提案する「スープ」で、「フランス」の「郷土料理」「ブイヤベース」を「銚子」の「魚」、「野菜」、「魚醤」を用い作成された「ブイヤベース」で、「銚子産の素材の良さ」を活かした「温まるスープ」、正に「ブイヤベース銚子ヴァージョン」といえる「逸品」でした。
 その後、「銚子おもてなしブイヤベース」は「銚子ブイヤベース」と「名前」を変え、その年(2011年)の「年末年始」に行われた「Dream Road2012〜キャンドルとスープに込めた明日への想い〜」(2011年12月28日のブログ参照)でも販売されていました。

 「第32回門前・軽トラ市」「門前軽トラ市de創作銚子の鍋料理!」では、上記の「創作鍋」「4種類」の「レシピ」も配布され、気に入った「料理」は「自宅」でもお楽しみいただけるそうです。
 また「第32回門前・軽トラ市」では、「ガラポン抽選会」が開催され、「ガラポン抽選会」は、「ガラポン参加店」で「お買い物」で「抽選券」がもらえ、「抽選券」をもって「ガラポン抽選会」に参加できるようです。

 「第32回門前・軽トラ市」「銚子ジオパーク」&「銚子元気娘。」「関連イベント」では、「銚子元気娘。」の「元気」な「ライブ」が行われ、また「地元」「銚子市」の「よさこいオフィシャルチーム」「黒潮美遊」の「タケちゃん」がレクチャーする「銚子元気娘。」&「銚子ジオパーク」(2012年9月25日のブログ参照)の「キャラクター」「ジオっちょ」(2012年12月9日のブログ参照)と「黒潮サンバ」の「乱舞」の「レッスン」が行われるそうです。
 「黒潮サンバ」は、「銚子大漁節」(2011年8月16日のブログ参照)に続く、「お子さん」から「お年寄り」まで楽しんでいただける「サンバ」となっており、「門前・軽トラ市」「会場」「銚子銀座通り」(ココロード銚子)で「継続乱舞」しているようです。
 また「第32回門前・軽トラ市」では、すっかり「お馴染み」となった「銚子ご当地グルメ」販売も実施するそうです。
 (「銚子ご当地グルメ」は、「銚子銀座商店街振興組合」HPを参照下さい。)

 「飯沼観音」の「門前」に広がる「銚子銀座通り」(ココロード銚子)で開催される「恒例」の「イベント」「第32回門前・軽トラ市」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第32回門前・軽トラ市」詳細

 開催日時 1月26日(日) 10時〜15時

 開催会場 銚子銀座通り(ココロード銚子) 銚子市新生町1

 問合わせ 門前・軽トラ市実行委員会 
      門前軽トラ市実行委員会事務局 0479-25-1666

 備考
 「第32回門前・軽トラ市」は、「荒天時」「中止」になる場合がありますので、ご注意下さい。
 「第32回門前・軽トラ市」では、「岩手県」「大槌町町役場」「水産課」の「方々」が「門前・軽トラ市」にお越しになり、「わかめ」の「トップブランド」・「三陸産わかめ」のPRされるそうです。

















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| 地域情報::銚子 | 01:38 PM |
「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で一月26日(日)に開催されます「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」を楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」に流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」には「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」周辺の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来して、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」が出来るので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめます。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれる「潟湖」の「一部」でしたが、周辺は江戸時代に干拓され、「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「巣箱」は、「動物」が住みつき生活しやすいように作られた「箱」であり、「鳥類」でも「小型のもの」(小鳥)のほか、「昆虫」を含む「小動物」向けの様々な「巣箱」が「製作」・「利用」されています。
 「巣箱」は、「巣」を作りそこに「生活」の「拠点」とする「性質」のある「動物」の「生活」を助けるために、「人間」が「製作」・「設置」するものですが、これらは「家畜」や「ペット」ないし「観察」や「人工増殖」させるために飼育される「動物」を「対象」とする場合もあれば、「野性動物」の「保護」のために「自然」の「環境中」に設置される場合もあります。
 その多くでは、これら「動物」が「人工物」を嫌うことから、「木材」でできたものが「主流」であるそうです。

 「巣箱」の「形態」ですが、「目的」にもよって、さまざまな「巣箱」が存在します。
 「小鳥のための巣箱」ですが、「野性動物」に対して用いられるものの場合、「比較的」よく見るものとしては「小鳥」のために「木の幹」などに設置されるものがあります。
 これは「目的」の「大きさ」の「小鳥」が入りやすい「サイズ」の「穴」が開けられている反面、「蛇」など「肉食」の「天敵」が入り込み難いように工夫された「出入り口」を持ち、また「風雨」で「内部」が「水浸し」にならないよう、「屋根構造」を持っています。
 「英語」では「Birdhouse」と呼ばれるこれらの「箱」は、「小鳥」にとって「快適」な「シェルター」であると同時に、「繁殖」に適した「巣穴」となっており、「繁殖シーズン」になると「小鳥」はこの「巣箱」の中に「木の枝」などを運び込んで「巣」をつくり、その中に「卵」を産んで育てるそうです。

 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」は、「千葉県立東庄県民の森」の「イベント」で、1月26日(日)に開催されます。
 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」の「受付時間」は9時00分から「東庄県民の森管理事務所」にて行い、「カゴ製作」を9時30分から12時00分まで行うそうです。
 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」の「実施内容」ですが、「木」を使って「鳥」の「巣箱」を作り、「鳥たち」も観察するといった「内容」なのだそうです。
 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」の「参加費」ですが、「お一人」500円で、「募集」は「定員」10組となっています。

 「自然」あふれる「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験イベント」「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験」詳細

 開催日時 1月26日(日) 9時半〜12時

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「里山の仕事体験」「巣箱づくり体験 」に「参加」される方は、「作業しやすい服装」、「軍手」等をご用意の上、「参加」下さいとのことです。

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| 地域情報::香取 | 08:36 PM |
「宗吾霊堂節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」で2月3日(月)に開催されます「宗吾霊堂節分会」です。

 「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」(2010年12月23日のブログ参照)は、「成田市」「宗吾」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「鳴鐘山」です。
 「鳴鐘山東勝寺」は、「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」と広く呼ばれており、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」として親しまれています。

 「鳴鐘山東勝寺」の「創建年代」等については「不詳」だそうですが、「鳴鐘山東勝寺」「寺伝」によりますと「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定した際の「戦没者」のために「建立」・「創建」したといわれています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され、「下方字鐘打」に移ったそうです。
 その後「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。

 上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」に祀られている「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の時代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、当時の「佐倉藩」の「苛政」を収められた「人物」です。
 当時の「佐倉藩」は、打ち続く「凶作」と「過酷」な「重税」に「農民」が苦しめられており、「幕府」に「農民」の「窮状」を訴えましたが、その「訴状」は受け入れられず「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、当時禁じられていた「将軍」への「直訴」を決行し、この「直訴」により、「農民たち」を苦しめていた「重税」が見直され、「村々」の「願い」は叶えられたそうです。
 「佐倉藩」の「苛政」は収められたものの、「義民」「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「直訴」したことにより「磔(はりつけ)刑」に処され、承応2年(1653年)8月3日に処刑されてしまいました。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」はその「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を諡号(しごう)し、以来「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」・「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。

 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」・「旧客殿」などとなっています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「持仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
 また「宗吾御一代記館」では、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説されています。
 また「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「御札」から「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれた「名前」からわかるそうです。

 「宗吾霊堂節分会」ですが、「吉例」に則り、「立春」の「前日」に開催しており、「年男」はもちろん「女性」のみ(特別)の「豆まき」も執り行われているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」では「大本堂」「行道縁」から「福豆」、「紅白餅」、「小銭」、「お菓子」などがまかれるそうです。
 「宗吾霊堂節分会」の「開催時間」ですが、「年男」が11時、16時、「特別年女」が14時となっています。
 ちなみに「豆まき」をされる方は、「裃(かみしも)」を着て、上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「大本堂」の「行道縁」から「豆まき」ができ、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」にて「裃」や「福枡」など用意されているそうです。
 (「豆まき」の「参加」は有料となります。)

 また「宗吾霊堂節分会」では「向島鳶職組合」の「皆さん」による江戸時代より引き継がれている「伝統行事」「梯子乗り(はしごのり)」の「実演」(妙技)が「呼び物」になっており、11時と16時に披露されるそうです。
 「宗吾霊堂節分会」には、「厄落とし」のために「何十年」も続けて参加される方も数多く見受けられるそうです。

 「由緒」ある「成田」の「名刹」「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」で開催される「恒例」の「節分行事」「宗吾霊堂節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「宗吾霊堂節分会」詳細

 開催日時 2月3日(月) 11時〜

 開催会場 鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂 成田市宗吾1-558

 問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3131

 備考
 「成田」といえば「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)が「先」に思い浮かぶ方がいらっしゃると思いますが、「成田山新勝寺」は「鳴鐘山東勝寺」より新しい「寺」という「意味」で、この「名」(成田山新勝寺)がつけられているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「梵鐘(ぼんしょう)」(応長元年(1311年)在銘)は「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。

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| 地域情報::成田 | 01:41 PM |
「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で1月28日(火)〜3月16日(日)の期間開催されます「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」です。

 「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)は、「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させ、「日本」の「歴史上」初めて「国土」の「正確」な「姿」を明らかにした江戸時代の「商人」・「測量家」です。
 ちなみに「大日本沿海輿地全図」は、上記のように江戸時代後期の「測量家」「伊能忠敬」が「中心」となって作製された「日本全土」の「実測地図」で「伊能図(いのうず)」とも称されています。
 「大日本沿海輿地全図」の「輿地」とは「大地」(地球)もしくは「世界」のことで、「万物」を載せる「輿(こし)」に「図面」をたとえたもので、「坤輿(こんよ)」ともいい、「マテオ・リッチ」によります「坤輿万国全図」(1602年)なども「同様」の「命名」となっています。
 (「坤」も「大地」を表します。)

 「伊能忠敬」は、「九十九里」に生をうけ、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」へ17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍された「佐原の偉人」です。
 そして「伊能忠敬」は、50歳の時に、「家督」を「長男」「影敬」に譲り「隠居」し、翌年「江戸」(現在の「東京都」)に出て、「測量」・「天文観察」などを納めたそうです。
 その後、寛永6年(1800年)「伊能忠敬」が56歳の時に「第一次測量」を開始し、以後文化13年(1816年)の「第十次測量」「江戸府内」まで「日本」の「国土」の「測量」を実施したそうです。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「郷土の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(たた)えている「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」(2012年2月24日のブログ参照)の「隣」にありましたが、「建設」から「相当」な「年月」がたっており、また「展示面積」の「狭さ」などのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)を挟んだ「対岸」に新しく「設置」されることとなり、「現在」の「地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 現在「伊能忠敬記念館」では、「伊能忠敬関連資料」を多く所蔵しており、2010年(平成22年)6月には、「伊能忠敬記念館」所蔵の「伊能忠敬」「資料」2345点が「国宝」に指定されています。
 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」へ17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居してのちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」には、「国宝」に指定された「測量器具」や「伊能図」の数々が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と「芸術的な美しさ」を備えた「地図」などが展示された「伊能忠敬記念館」は「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」ですが、「伊能忠敬記念館」で行われている「企画展」で1月28日(火)から3月23日(日)までの「期間」開催されます。
 「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」に際し「伊能忠敬記念館」では、以下のように「ご来館」を呼びかけています。

 伊能家には、伊能忠敬から数えて4代目当主の娘たちのお雛さま2組(江戸時代と明治時代)が伝わっています。
 今回、この雛人形や雛飾りとともに、伊能家の女性たちが婚礼の時に着る内掛けや、佐原の郷土玩具として有名な佐原張子の雛人形も展示します。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「歩み」が展示された「museum」で開催される「恒例」の「展示会」「伊能忠敬記念館」「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」詳細

 開催期間 1月28日(火)〜3月16日(日)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 開館時間 9時〜16時半(最終入館は16時)

 休館日  月曜日(祝日の場合は翌日)

 入館料  大人500円 小中学生250円

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「伊能家のおひなさま 佐原のおひなさま」が開催される「伊能忠敬記念館」では、「国宝」「伊能忠敬関連資料」2345点の内、利用の多い「資料」の「ダウンロード」による「提供サービス」「画像ダウンロードサービス」を行ってます。
 詳しくは「伊能忠敬記念館」「HP」をご参照下さい。





















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| 地域情報::香取 | 01:37 PM |

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