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「14日(月)計画停電」(銚子市)
 本日は「計画停電」をアップします。
 なお実施時間は同一区内でも地域により違う場合があるそうです。

 「計画停電」とは、予見性のないまま、大規模な停電にならないように、計画的に停電をすることです。

 3月14日の銚子近隣ならびに銚子市の「計画停電」(予定)は下記の通り。

 銚子市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度

 旭市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度
 (旭市は第3グループにも表記あり、その場合は12時20分〜16時の時間帯の内 3時間程度)

 東庄町 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度

 香取市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度
 (香取市は第2グループにも表記あり、その場合は9時20分〜13時の時間帯の内 3時間程度
 また第5グループにも表記あり、その場合は15時20分〜19時)

 多古町 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度
 (多古町は第2グループにも表記あり、その場合は9時20分〜13時の時間帯の内 3時間程度)

 神崎町 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度
 (神崎町は第2グループにも表記あり、その場合は9時20分〜13時の時間帯の内 3時間程度)

 茨城県神栖市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度

 茨城県鹿嶋市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度

 茨城県潮来市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度

 茨城県稲敷市 第5グループ
 15時20分〜19時の時間帯の内 3時間程度
 (稲敷市は第3グループにも表記あり、その場合は12時20分〜16時の時間帯の内 3時間程度)

 成田市 第3グループ
 12時20分〜16時の時間帯の内 3時間程度
 (成田市は第2グループにも表記あり、その場合は9時20分〜13時の時間帯の内 3時間程度
また、成田市は第5グループにも表記あり、)

 匝瑳市 第3グループ
 12時20分〜16時の時間帯の内 3時間程度

 芝山町 第2グループ
 9時20分〜13時の時間帯の内 3時間程度

 山武市 第1グループ
 6時20分〜10時の時間帯の内 3時間程度

 大網白里町 第1グループ
 6時20分〜10時の時間帯の内 3時間程度

 九十九里町 第1グループ
 6時20分〜10時の時間帯の内 3時間

 以上です。
 ご参照下さい。

 なお詳しいことは「東京電力(株)銚子支店」 0479-22-5500まで、お問い合わせ下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=415 |
| 地域情報::銚子 | 09:42 AM |
「酒造まつり2011」中止のお知らせ(神崎町)
 先(3月9日)のブログでアップした明日開催予定でありました「発酵の里こうざき」「酒蔵まつり2011」は、「東北地方太平洋沖地震」の影響により、中止となったそうです。

 関係者の皆様のご無念、被災された方々にお悔やみ申し上げます。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=413 |
| 地域情報::香取 | 07:06 PM |
「高村光太郎」「犬吠の太郎」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元銚子市にゆかりのある作品を残された「高村光太郎」の「犬吠の太郎」です。

 「高村光太郎」は、日本の彫刻家・詩人・評論家です。
 本職は彫刻家・画家でありますが、今日(こんにち)では「道程(どうてい)」「智恵子抄」等の詩集が著名で、教科書にも多くの作品が掲載されているため、詩人として知られていることが多い。
 著作には、評論や随筆、短歌もあります。

 彫刻家の「高村光雲」の三兄弟の長男として生まれた「高村光太郎」。
 東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学後、文学にも関心を寄せ、在学中に「与謝野鉄幹」の「新詩社」の同人となり、「明星」を寄稿。
 「彫刻科」卒業後、「西洋学科」に移った後、留学に出て帰国後、「パンの会」に参加し「スバル」などに美術批評を寄せています。

 彫刻家・詩人の「高村光太郎」は大正元年(1912年)に犬吠に写生に来て、宿をとりました。
 そこに「長崎の太郎」
と呼ばれる男性がいるのを知り、それを題材にして作ったのが「道程」に収録された「犬吠の太郎」という詩なのだそうです。
 「太郎、太郎 犬吠の太郎、馬鹿の太郎」というフレーズから始まるこの詩のモデルは実在の人物の本名「阿部清助」、地元では「長崎の太郎」と呼ばれ人々に親しまれていたのを「高村光太郎」が「犬吠の太郎」と変えて創作したものだそうです。
 ちなみに「犬吠の太郎」は、「銚子市観光協会」の「銚子百選」に選ばれています。

 銚子にゆかりのある「高村光太郎」の足跡を訪ねに春の犬吠路にお出かけください。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=411 |
| 地域情報::銚子 | 12:58 PM |
「仁勇・不動」醸造元「鍋店株式会社」(神崎町)
 本日ご紹介するのは、近隣市 香取郡神崎町の清酒「仁勇・不動」醸造元「鍋店(なべだな)株式会社」です。

 「鍋店株式会社」は、先(3月9日)のブログでアップした「発酵の里こうざき 酒造まつり2011」で「寺田本家」と合同で主催している神崎町を代表する蔵元のひとつです。
 「鍋店」の由来ですが、古く江戸時代に遡(さかのぼ)り、「金座」や「銀座」、または「釜座」などのいわゆる「座」のひとつである「鍋座」に由来するそうです。
 当時「鉄類」は有事の際には武器製造の重要な材料であった為、幕府はこの「鉄類」の製造権利を信用ある地方の「素封家」に与えていましたが、「鍋店株式会社」の祖先はその「鍋座」を幕府より預かり管理していたそうです。
 一方、元禄2年(1689年)に「佐倉藩」より現在の製造免許にあたる「酒造株」(1050株)を戴き、「成田山」門前にて醸造を開始したそうです。
 当時「老舗」のことを「お店(おたな)」と呼んでいたそうで、「鍋座」の「鍋」と「お店」の「店」が結びついて「鍋店(なべだな)」と呼ぶようになったと伝えられているそうです。
 (HPより抜粋)

 「鍋店株式会社」の沿革ですが、前述した通り「江戸時代」の元禄2年(1689年)徳川幕府5代将軍「徳川綱吉」の時代、当時の佐倉藩より1050石の酒造株を与えられ「成田山新勝寺」門前で酒造りを始めたそうです。
 創業当時の銘柄は「蓬莱山」だったそうです。
 天明年間(1775年)、政治が安定し、念願の1000石蔵となりました。
 その後明治32年、「香取郡神崎町」に「出蔵」を設立。
 銘柄は「香神」。
 明治42年(1909年)「兵庫県魚崎町」(現・神戸市灘区)に「出蔵」を設立。
 銘柄は「仁勇」。
 大正2年(1913年)「鍋店合名会社」設立。
 大正3年(1914年)「印旛郡六軒」(現・印西市)に「出蔵」を設立。
 銘柄は「利根正宗」。
 大正10年(1921年)「鍋店株式会社」設立。
 昭和17年(1942年)第2次世界大戦下、極端な物不足から発令された「企業整備令」により3つの蔵を閉鎖し、敷地が広く、水質の良い「神崎蔵」に集約。
 平成9年(1997年)社員による「酒造り」開始。
 平成16年(2004年)日本酒の専門店向け製品である「不動シリーズ」発売開始。
 現在に至るそうです。

 「鍋店株式会社」は第19代蔵元「大塚完」氏が経営され、酒造りは昔から「新潟杜氏」や「南部杜氏」に代表される「杜氏さん」達にお願いしてきましたが、「自分たちの力で個性のある酒」を造るため、沿革で記載したように平成9年より自社スタッフによる酒造りを開始したそうです。
 「蒸米」「麹(こうじ)」「もろみ」に至る酒造りという「生まれ」から、「折り下げ」「濾過(ろか)」「火入れ」「貯蔵」そして「瓶詰め」に至る「育ち」まで、すべての工程を自社スタッフで行い、各工程での酒の品質状況を常に把握することにより、多くのお客様から「おいしい」と感じてもらえる製品を出荷することを第一に考えているそうです。

 「鍋店株式会社」の商品ラインナップは大きく分け、「仁勇」、「不動」、「千葉県産米酒」、「リキュール」です。

 「仁勇」では「鍋屋源五右衛門」(大吟醸五年古酒)、「大樹」(大吟醸)、「花山水」(大吟醸)、「純米吟醸」、「天恵」(有機米 山廃特別純米)、「極辛口」(本醸造)の6種。

 「不動」では「不動」(吊るし無濾過 純米大吟醸生原酒)、「不動」(吊るし無濾過 純米吟醸生原酒)、「不動」(山廃純米酒)(一度火入れ無炭素濾過)、「不動」(特別純米酒)(一度火入れ無炭素濾過)、「不動」(本醸造 超辛口)(一度火入れ無炭素濾過)の5種。

 「千葉県産米酒」「リキュール」では、「神崎蔵」(特別純米)、「八千代桜」(特別純米)、「むらの酒」(特別純米)、「富里」(純米吟醸)、「こだわり梅酒」とあります。
 (すべてのお酒は、「国産米100%」で醸造されています。)

 香取郡神崎に歴史ある蔵元「鍋店株式会社」「神崎酒造蔵」あり。
 この機会に訪ねてみてはいかがでしょうか?

 「鍋店株式会社」「神崎酒造蔵」詳細

 所在地  香取郡神崎町神崎1916

 本社住所 成田市本町338

 問合わせ 鍋店株式会社 0476-22-2662 (本店)

 備考
 平成4年11月から「成田山」門前に「蔵元直営店」として「蔵元グルメ鍋屋源五右衛門」を開店。
 建物は大正11年に建てられた「総檜の土蔵造り」を改装したものだそうです。
 「仁勇」「不動」製品を全て取り揃え、試飲も出来るそうです。
 また「鍋店株式会社」では「酒粕」を生地に練り込んだ「酒饅頭」も製造販売しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=410 |
| 地域情報::香取 | 04:37 PM |
「発酵の里こうざき」「酒蔵まつり2011」(神崎町)
 晴れて爽快な犬吠埼。
 陽射しも温かく日和が良い日が続いています。

 そんな中、本日ご紹介するのは、今週末の日曜日(3月13日)に近隣市 香取郡神崎町「鍋店(なべだな)株式会社」「株式会社 寺田本家」が合同で開催する「発酵の里こうざき」「2011酒造まつり」です。

 300年以上続く2軒の酒蔵「鍋店(なべだな)神崎酒造蔵」「寺田本家株式会社」の「蔵まつり」同時開催を中心に、周辺の街道を歩行者天国とし、地元産品等、露店が軒を並べるようです。

 清酒「仁勇」「不動」醸造元「鍋店(なべだな)神崎酒造蔵」(香取郡神崎町神崎本宿1916)を会場に「第13回 仁勇蔵祭り」開催。 「第13回 仁勇蔵祭り」では先着1万名様に「仁勇ぐい呑み」をプレゼント。
 (20歳以上に限り贈呈)
 当日は、受付票を記入してからの入場となります。
 「第13回 仁勇蔵祭り」では、「鍋店株式会社」の各種限定酒が4点用意されるようです。
 其の一 大吟醸吊るし搾り生原酒
 其の二 純米大吟醸かすみ生原酒
 其の三 純米吟醸吊るし搾り生原酒
 其の四 吟醸生原酒
 各720ml

 そして特別限定品「蔵元秘蔵特別限定酒」も用意されるそうです。。
 (詳細は当日発表)

 「寺田本家」では、お酒の試飲・販売、蔵見学ツアー、ぽかぽか足湯、町中には発酵製品をはじめさまざまな露天もたくさん並ぶそうです。
 詳しく紹介しますと「寺田本家」会場で開催される「第5回 お蔵フェスタ」では、「お蔵見学ツアー」「オーガニックマーケット」「おいしい!!集まれ天然酵母のパン屋さん」「酵素風呂(足湯)」「神崎・発酵の里」「子供のあそび場」「青空カフェ+ごはん」「寺田本家の社長さんトーク」「すてきな作家さん」「フェアトレードショップ」「フリーライブ(4会場)」「和太鼓ライブ」等、さまざまなイベントを催行。
 なお、「寺田本家」「第5回 お蔵フェスタ」には「マイカップ」「マイぐい呑み」「マイ食器」「マイ箸(はし)」「マイバック」持参にご協力お願いしますとのこと。

 神崎町がひとつになる素晴らしい催し「発酵の里こうざき 酒造まつり2011」に訪れてみませんか?

 発酵の里こうざき 酒蔵まつり2011 詳細

 開催日時 3月13日(日)9時〜16時(最終入場15時半) (雨天決行)

 開催場所 鍋店神崎酒造蔵・寺田本家周辺

 所在地  香取郡神崎町神崎本宿先

 料金   入場無料(飲食等は別料金)

 駐車場  神崎ふれあいプラザ 神崎町役場 臨時駐車場

 最寄駅  JR成田線「下総神崎駅」

 当日は「下総神崎駅」〜「駐車場」〜「会場」までは「シャトルバス」を運行されます。

 問合わせ 神崎町まちづくり課 0478-72-2114

 備考
 昨年は「鍋店株式会社」主催「第12回 仁勇蔵祭り」には、1万2千人程の来場があり、「発酵の里こうざき 酒造まつり」全体では2万人以上が来場したそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=409 |
| 地域情報::香取 | 10:55 AM |
「伊能忠敬記念館」「国宝への歩み」(香取市)
 天気の良い火曜日を迎えた犬吠埼。
 昨日の雨が止み、洗い流されたようにスッキリした陽気です。

 そんな中に、本日ご紹介するのは、となりまち香取市「伊能忠敬記念館」「国宝への歩み」です。

 先(3月5日)のブログでアップした佐原の偉人「伊能忠敬」。
 55歳から71歳まで10回にわたり測量を行い、その結果完成した地図は極めて制度が高く、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。

 「伊能忠敬」が家督を継いだ「伊能家」は、代々「名主」を務める家柄で佐原でも有力な商人だったそうです。
 17歳で「伊能家」10代目当主として「婿養子」で迎えられます。
 家業は主に酒造業を営んでおり、当時の「屋敷絵図」には、酒蔵がいくつも並び盛んであったことがわかります。

 現在「伊能忠敬旧宅」「店舗」「正門」「書院」「土蔵」が「国指定史跡」(昭和5年4月25日指定)に指定されています。

 また「旧宅敷地内」には、江戸時代につくられた農業用水路の一部が残っているそうです。
 かってここを流れた水が「小野川」に流れ落ちジャージャーと音がしたことから、「樋橋」のことを通称「ジャージャー橋」と呼ばれています。
 現在、当時の様子を復元して、30分ごとに水が流れるようになっています。

 「旧宅内」には、「家訓書碑」があり、「第一 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし」「第二 身の上の人ハ勿論、見下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守べし」「第三 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕ニ諸事謙り敬ミ、少も人と争論など成べからず」とあります。

 今回ご紹介する「伊能忠敬記念館」には、「伊能忠敬関係資料」があり、平成22年6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の資料群です。
 「国宝」に指定された資料は、「地図・絵図類」「文書・記録類」「書状類」「典籍類」「器具類」に分類され、忠敬の全国測量に関る資料のほか、孫の忠誨(ただのり)の資料も含まれているそうです。

 「伊能忠敬記念館」は、「佐原時代」(「伊能忠敬」50歳までの前半生を紹介)と「全国測量」(隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介)と「伊能図の完成」(伊能図の数々を紹介)と「地図の世界」(日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介)の四部で余すことなく回覧することが出来ます。

 「伊能忠敬記念館」が開館に至るまでですが、昭和36年に建築されたものの、展示面積が狭く、十分紹介しきれなかったそうです。
 平成元年佐原市(現・香取市)出身の「高木啓司」氏から、功績を伝えるために寄付をいただき、「新記念館建設構想」が始まったそうです。
 平成6年、建築と展示の基本設計を行い、平成7年、建物建設着工、平成8年完成し、平成9年に展示室工事を行い、開館されたそうです。

 「伊能忠敬関係資料」が「国宝」指定の告示がされたことを記念し、主要な資料を4回に分け展示公開されています。
 「特別展 伊能忠敬関係資料 〜国宝への歩み〜展」と題し、会期4回目として本年1月25日(火)〜4月3日(日)開催。

 この機会に「伊能忠敬記念館」「特別展 伊能忠敬関係資料 〜国宝への歩み〜展」を見に香取市佐原にお出かけしてみませんか?

 「伊能忠敬記念館」詳細

 所在地  香取市佐原イ1722-1

 開館時間 9時〜16時半

 見学時間 記念館 20〜30分 旧宅 5〜10分(最終入館16時目安)

 入館料  大人 500円 小・中学生 250円

 休館日  月曜日(月曜が祝日の場合、翌日に順延)

 問合わせ 0478-54-1118

 備考
 「伊能忠敬」ゆかりの香取市佐原には「伊能忠敬旧宅」をはじめ、「伊能忠敬記念館」、1919年(大正8年)建造の「伊能忠敬銅像」、その名をとった「忠敬橋(ちゅうけいばし)」などがあります。
 また「旧宅」近くの「香取市立佐原小学校」の校歌には「忠敬翁」が歌われていて、命日の5月17日には「忠敬祭(ちゅうけいさい)」として「墓参り」などの行事が行われているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=408 |
| 地域情報::香取 | 10:00 AM |
「空から日本を見てみよう」ふたたび(銚子市)
 本日二つ目のブログは、手前みそですが、TV東京の人気番組「空から日本を見てみよう」(3月10日(木) 夜19時58分放送)で当館が放映していただけることになりましたので、そちらを紹介します。

 今回の「空から日本を見てみよう」ですが、タイトルが「千葉ローカル線」です。
 千葉を走る3つのローカル線を大特集!
 「銚子電気鉄道」、「千葉モノレール」、「小湊鉄道」の上空をひとっ飛び!
 ユニークな建物やローカル私鉄の風情のある街並みを堪能するような内容なのだそうです。

 ちなみに当館(犬吠埼観光ホテル)は、番組中の「銚子電気鉄道」の場面で放映されるようです。

 「空から日本を見てみよう」では、番組冒頭「もしもし、そこのあなた。たまには空から日本を眺めてみるのはどうじゃろう。」というナレーションの通り、ヘリコプターによる空撮映像を用い、2つの雲が空を散歩する設定で日本各地の名所・建物や自然・風景などを探索する番組です。
 空から気になるポイントなどは地上での取材と合わせて紹介されます。
 雲を模したキャラクターの掛け合いを軸に番組は進行。
 くもじい(声・伊武雅刀さん)とくもみ(声・柳原可奈子さん)の面白い掛け合いは必見です。

 TV東京「人気バラエティ・紀行番組」「空から日本を見てみよう」を見てみませんか?

 備考
 「空から日本を見てみよう」は「2009年11月度」の「月間」「ギャラクシー賞」を受賞されたそうです。
 放送時間は、木曜日19時58分〜20時54分(56分間)です。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=407 |
| 地域情報::銚子 | 09:52 AM |
「青柳畳店」(銚子市)
 雨の犬吠埼。
 昨日の暖かさが一転し肌寒い陽気で、この時期は季節の変わり目で猫の目のように陽気が変わります。

 さて、本日ご紹介するのは、地元銚子市「青柳畳店」です。

 当館では、今回(3月2日・3日)に館内の磨き上げ設備投資の一貫として「宴会場」の畳替えと、「大浴場」「脱衣所」のリニューアルとも、「青柳畳店」さんに仕上げてもらいました。
 (下記に写メにてアップしてあります)

 ちなみに、当館は「犬吠埼観光ホテル」と言う名称通り「ホテル」の機能は有していますが、天然温泉や客室(和室)、宴会場と「旅館」の要素を多大に持つ施設なので、和の要素を持つ「畳」をふんだんに取り入れています。

 「畳」のもととなる、日本の風土に最も適した床材「藺草(いぐさ)」。
 「藺草」には「空気浄化」などの機能を持っています。
 「藺草」の「二酸化炭素」の吸着率は、和室に使われる「障子紙」や「襖紙」、「木綿」に比べると約5〜9倍になることがわかっているそうです。
 また「藺草」の特性として「断熱効果」もあるそうです。
 更に「藺草」の吸収作用により、室内の湿度を快適に保つのにも役立っています。
 また「畳」は適度の弾力があり、転んでも安心です。
 弾力性に優れた「畳」は、発育期の子供のバランス感覚を養うのに効果的だと言われています。

 たくさんの「好機能」がある「藺草」「畳」。
 そんな「畳」のスペシャリスト「青柳畳店」は、創業大正十五年の畳店。
 初代店主「青柳平八」氏より継承され、四代続く地元老舗企業です。
 現在は三代目店主「青柳治雄」氏と、東京で修行された四代目「健太郎」氏が引き継ぎ経営されています。

 現在の「青柳畳店」ですが、三代目「青柳治雄」氏は、健康で快適な畳替えを提案され、四代目「健太郎」氏は、畳の付加価値を高めるための研究などを行い、「畳店」として日々精進されています。

 そして四代目「健太郎」氏は、近年「藺草ファブリック」を考案。
 「藺草ファブリック」とは、畳屋さんが作る「エコクッション」。
 畳の製造過程で出る「藺草」の廃材に目をつけ、「藺草ファブリック」に活用したそうです。
 「藺草ファブリック」は何といっても「香り」が特徴なクッションです。
 「畳」「藺草」の特徴のひとつは何といっても香り。
 畳表の匂いは、「藺草」が本来持っている「干し草の香り」に「泥初め」の時に使う「染土」がブレンドされたもの。
 この香り、「快(こころよ)い」と「自然な」の中間に当たり、「嗅覚的」にも優しいと言われていて、香りによる「鎮静効果」(アロマテラピー)があるようです。

 四代続く老舗「青柳畳店」。
 伝統と革新の「青柳畳店」の「藺草ファブリック」を買い求めてみてはいかがでしょうか?

 「青柳畳店」詳細

 所在地  銚子市長崎町10744-3

 営業時間 8時〜20時

 休業日  日・祭日

 備考
 四代目「健太郎」氏は、ツイッターやブログを展開しています。









| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=406 |
| 地域情報::銚子 | 09:50 AM |
「祭頭祭(さいとうさい)」(鹿嶋市)
 晴れ間の続く犬吠埼。
 今日は陽気も暖かく良い日和です。

 そんな中、本日ご案内するのは、近隣市 茨城県鹿嶋市「鹿島神宮」で3月9日(水)に催行される神事「祭頭祭(さいとうさい)」です。

 「祭頭祭」は、年間80回を数える「鹿島神宮」の行事の中で、もっとも規模が大きく勇壮な祭なのだそうです。

 「鹿島神宮」の祭典「祭頭祭」の歴史は古く、その起源は奈良時代の「天武朝」と言う説や平安時代とも言われていますが、文献によると「建仁4年」(1204年)とされ、その際には片野の「長保寺」と平井の「宝持寺」が祭の世話役を勤めていたそうです。
 明治時代までの「神仏習合」の時代には2月15日の「釈迦入滅」の「常楽会」(涅槃会)と習合されていたようです。
 その名残から今でも「祭頭祭」の男子「大総督」を「新発意」と言うそうです。
 (「新発意」とは「一軍の将」として「ト定後」に選ばれる5歳前後の男児、「大総督」、「小僧さま」と呼ばれる)
 また勇壮な「棒祭り」からいくさの神として「鹿島神宮」の神徳と重ね「悪路王退治の余風(昔からの風習)」という解釈がされていた時代もあるようです。
 (「悪路王」とは「吾妻鏡」などに登場する悪人、「坂上田村麻呂」や「鎮守府将軍・征新羅将軍」であった「利仁将軍」に討伐される)
 昭和初期には、出兵する兵士を鼓舞する「防人(さきもり)の祭り」とされていたそうです。
 しかし「祭頭祭」は本来、地元に密着した「五穀豊穣」「天下泰平」を祈る記念祭の一種であり、祭りが終わると「鹿行(ろっこう)地区」では農作業が本格化するようです。

 「祭頭祭」は、10時から前年の「春季祭」でト定(「吉凶」を占い定めること)された左方・右方両当番「字」の「大総督」が「狩衣装」で家族や役員に護られながら社殿にあがり、執行されます。

 「祭頭祭」のあと「大総督」や両字の人々は、本陣に定めたホテルなどで休憩後、正午前から巡行が始まります。
 行列の先頭「囃し人」の一人が、「天下泰平 春季祭」などと書いた軍配団扇を振り回しながら進み、そのあとを「大総督」が続く。
 「大総督」は「甲冑」に身を固め、「大黒頭巾」を被った人に肩車され巡航します。
 続いて役員や家族、神職が進み、「囃し人」がそれに続き、総勢1000人以上(両方)にもなる大行列をつくるそうです。
 色鮮やかな衣装に5色のを襷(たすき)を背負った「囃し人」たちが10人から20人の班に分かれ、太鼓を腰につけて叩く人の周りを囲んで「鹿島神宮祭頭祭歌」を歌いながら6尺(約2メートル)の「樫の棒」を「太鼓」の音に合わせて、組んではほぐし、ほぐしては組みながら「参道」を練り歩きます。
 また各班には、企業などが奉納した「馬簾」が煽るようです。

 「囃し」が終わると本陣で休憩後、「狩衣」の「大総督」や役員、家族は、18時からの「春季祭」に参列します。
 「春季祭」では来年の当番「字」がト定されます。
 ト定された2つ「字」は、「物申神職」(一年間祭事を担当する神職)により来年の各当番が読み上げられるようです。
 ト定された「字」は、「鹿島神宮」の「大神」より神を来臨さしめ、「降神祭」により「鹿島神宮」の「分霊」を一年間「字」に合祀され、見そなわし(神が見守り)、安寧(おだやかで平和)と弥栄(いよいよの繁栄)をもたらされるといわれています。
 「祭頭囃し」の奉納は、この一年間の報祭(祈願成就のお札の祭り)であるそうです。

 鹿島地方に春を告げる、華やかで勇ましい祭「祭頭祭」。
 春の鹿島路にお出かけしませんか?

 「祭頭祭」詳細

 開催日時 3月9日(水)10時〜

 開催会場 鹿島神宮周辺

 所在地  茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 祭礼スケジュール

 10時〜  祭頭祭(神事)
 会場  神宮社殿

 11時50分〜 囃子行列
 左方 11時50分〜
 右方 12時半〜
 会場  商店街

 14時40分〜 囃し行列
 左方 14時40分〜
 右方 15時半〜
 会場 神宮境内

 18時半〜 春季祭(神事)
 会場 神宮社殿

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「祭頭祭」にあわせ「宮中ふるさと市」が開催されるそうです。

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佐原の偉人「伊能忠敬」(香取市)
 日本晴れで天気の良い週末を迎えた犬吠埼。
 肌寒い陽気のせいか、立ち寄り湯でご利用のお客様が多くお見えになっています。
 なお、本日の海の様子を写メでアップしました。

 そんな中、本日ご紹介するのは、となりまち香取市佐原の偉人「伊能忠敬」です。

 「伊能忠敬」は、言わずと知れた「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させ、日本の歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした「江戸時代」の商人・測量家です。

 「伊能忠敬」の生涯ですが、「延享2年」(1745年)1月11日、「神保貞恒」氏の次男として「上総国山辺郡小関村」(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主「小関五郎左衛門」家で生まれました。
 (幼名は「三治郎」。)
 6才の時、母が亡くなり、婿養子だった父は兄と姉を連れ実家の「武射郡小堤村」(現・横芝光町)の「神保」家に戻りますが、「三治郎」は、祖父母の元に残り、その後生家を叔父(母の弟)が継ぎ、「三治郎」が10歳の時に父の元に引き取られたそうです。

 「宝暦12年」(1762年)18歳の時に、「下総国香取郡佐原村」(現・香取市佐原)の「伊能」家に「婿養子」に入り、以来しばらくは商人として活動していたそうです。
 「伊能」家は、「酒」、「醤油」の製造、「貸金業」を営んでいた他、「利根水運」などにも関わっていたそうです。
 商人としてかなりの才覚の持ち主であったようで、「伊能」家の再興に一役買い、「佐原の役職」を勤めた記録が残されており、かなりの財を築いたそうです。

 「寛政6年」(1794年)12月、50歳の時に、家督を長男「景敬」に譲り隠居、翌年江戸に出て、「江戸幕府」の「天文方」「高橋至時」に師事し、「測量・天文観測」などを修めたそうです。
 その際「天体観測」を利用し地球の大きさを仮定しますが、「高橋至時」に、基準とする距離の問題点(距離が短すぎ不正確)を指摘され、江戸と蝦夷地ほどの距離を元にすれば推測も可能であろうと一笑に付されたそうです。
 この事が、後に「伊能忠敬」が「測量の旅」に出るきっかけのひとつになったそうです。

 「寛政12年」(1800年)「伊能忠敬」56歳の時に、「第一次測量」を開始。
(「文化13年」(1816年)第10次測量「江戸府内」まで実施)
 幕府は、「伊能忠敬」に全国の測量をさせると共に、「薩摩藩」の偵察の意味合いも重きをおいて全国に派遣させていたとされているそうです。
 最初の測量は「蝦夷地」(現在の北海道)及びその往復の「奥州街道・蝦夷地、太平洋岸・奥州街道(北関東・東北地方)」において180日間実測。
 当時、「伊能忠敬」がその弟子であった「間宮林蔵」に依頼して行わせた測量結果を基に作図が行われたようです。

 第2次測量は、「享和元年」(1801年)「三浦半島・伊豆半島・房総半島・東北太平洋沿岸・津軽半島・奥州街道」を230日間実測。

 第3次測量は、「享和2年」(1802年)「奥州街道・山形・秋田・津軽半島・東北日本海沿岸・直江津・長野・中山道」を132日間実測。

 第4次測量は、「享和3年」(1803年)「東海道・沼津・太平洋沿岸・名古屋・敦賀・北陸沿岸・佐渡・長岡・中山道」を219日間実測。

 第5次測量「文化2年」(1805年)から「幕府直轄事業」となる。
 「東海道・紀伊半島・大阪・琵琶湖・瀬戸内海沿岸・下関・山陰沿岸・隠岐・敦賀・琵琶湖・東海道」を実測。

 第6次測量は、「文化5年」(1808年)「東海道・大阪・鳴門・高知・松山・高松・淡路島・大阪・吉野・伊勢・東海道」を実測。

 第7次測量は、「文化6年」(1809年)「中山道・岐阜・大津・山陽道・小倉・九州東海岸・鹿児島・天草・熊本・大分・小倉・萩・中国内陸部・名古屋・甲州街道」を実測。

 第8次測量は、「文化8年」(1811年)「甲府・小倉・鹿児島・屋久島・種子島・九州内陸部・長崎・壱岐・対馬・五島・中国内陸部・京都・高山・飯山・川越」を913日間実測。

 第9次測量は、「文化12年」(1815年)「伊能忠敬」は参加しませんでしたが「東海道・三島・下田・八丈島・御蔵島・三宅島・神津島・新島・利島・大島・伊豆半島東岸・八王子・熊谷・江戸」を実測。

 第10次測量は、「文化13年」(1816年)「江戸府内」を実測。
 「文化15年」(1818年)4月13日「伊能忠敬」74歳で死去するが、喪を秘して地図製作を続行し、「文政4年」(1821年)「大日本沿海輿地全図」完成し、没後3年三ヶ月後 喪を公表したそうです。

 「伊能忠敬」の測量が極めて高度なものであったことが幕府に認められ、「第5次測量」からその後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業に育っていったようです。
 「測量」の際「伊能忠敬」は、「地図投影」に必要な地球の大きさを見積もるため、江戸「深川」から「野辺地」に至る路線の測量により、「緯度1度」に相当する「子午線弧」長がおよそ「28里2分」(110.7km程度)に相当すること、またそれを元に、地球全体の外周がおよそ4万km程度であると推測したとされています。
 この値(あたい)は、現在計測されている数値と0.1%程度の誤差であり、「伊能忠敬」の測量の正確さの証左とも言えます。

 こうして作られたのが、「大日本沿海輿地全図」であり、大変精度の高い「日本地図」として評価されたそうです。
 完成したのは、「伊能忠敬」没後の「文政4年」(1821年)。
 (仕上げ作業を担当したのは「高橋至時」の子、「高橋景保」だそうです)
 「伊能忠敬」の死後、上野「源空寺」に埋葬されたそうです。
 (「源空寺」には、「高橋至時」・「高橋景保」・「伊能忠敬」の「大日本沿海輿地全図組三人頭」の墓が並んでいるそうです。)
 また「伊能忠敬」は、佐原「観福寺」にも「遺髪」をおさめた「参り墓」があります。

 ちなみに「伊能忠敬」死後の「文政11年」(1828年)、「シーボルト」がこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、これに関係した「日本の蘭学者」(「高橋至時」の息子「高橋景保」ら)などが処罰されたそうです。
 (シーボルト事件)
 なお「シーボルト」が国外に持ち出した「伊能図」の写本は、日本に開国を迫った「ペリー提督」も持参していたそうです。
 「ペリー提督」は「伊能図」を単なる「見取図」だと思っていたそうですが、「日本の海岸線」を測量してみた結果、きちんと測量した地図だと知り、驚愕したと言われています。

 また「伊能忠敬」は、生前「高橋至時」の弟子になってからは寝る間を惜しみ、「天体観測」や「測量」の勉強をしていたため「推歩先生」(「推歩」とは「暦学」のこと)と言うあだ名で呼ばれていたそうです。
 「天体観測」も詳しい「伊能忠敬」は、日本で初めて「金星」の「子午線」経過を観測した人物なのだそうです。
 晩年の「伊能忠敬」は、「江戸」の「深川」界隈に住居を構え、「全国測量の旅」に出かける際は、安全祈願のために「富岡八幡宮」に必ずお参りに来ていたそうです。
 そのことから、2001年に「富岡八幡宮」境内に「伊能忠敬」の銅像が建てられているそうです。

 香取市佐原には今も「伊能忠敬」が暮らした町並みが残っています。
 佐原の偉人「伊能忠敬」の息遣いを感じに「佐原」にお出かけしてみませんか?

 備考
 「伊能忠敬」の地元「香取市佐原」では、親しみと尊敬の念をこめて「いのうちゅうけい」さんや「ちゅうけい」さんと呼ばれているそうです。





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