晴れ間の続く犬吠埼。
今日は陽気も暖かく良い日和です。
そんな中、本日ご案内するのは、近隣市 茨城県鹿嶋市「鹿島神宮」で3月9日(水)に催行される神事「祭頭祭(さいとうさい)」です。
「祭頭祭」は、年間80回を数える「鹿島神宮」の行事の中で、もっとも規模が大きく勇壮な祭なのだそうです。
「鹿島神宮」の祭典「祭頭祭」の歴史は古く、その起源は奈良時代の「天武朝」と言う説や平安時代とも言われていますが、文献によると「建仁4年」(1204年)とされ、その際には片野の「長保寺」と平井の「宝持寺」が祭の世話役を勤めていたそうです。
明治時代までの「神仏習合」の時代には2月15日の「釈迦入滅」の「常楽会」(涅槃会)と習合されていたようです。
その名残から今でも「祭頭祭」の男子「大総督」を「新発意」と言うそうです。
(「新発意」とは「一軍の将」として「ト定後」に選ばれる5歳前後の男児、「大総督」、「小僧さま」と呼ばれる)
また勇壮な「棒祭り」からいくさの神として「鹿島神宮」の神徳と重ね「悪路王退治の余風(昔からの風習)」という解釈がされていた時代もあるようです。
(「悪路王」とは「吾妻鏡」などに登場する悪人、「坂上田村麻呂」や「鎮守府将軍・征新羅将軍」であった「利仁将軍」に討伐される)
昭和初期には、出兵する兵士を鼓舞する「防人(さきもり)の祭り」とされていたそうです。
しかし「祭頭祭」は本来、地元に密着した「五穀豊穣」「天下泰平」を祈る記念祭の一種であり、祭りが終わると「鹿行(ろっこう)地区」では農作業が本格化するようです。
「祭頭祭」は、10時から前年の「春季祭」でト定(「吉凶」を占い定めること)された左方・右方両当番「字」の「大総督」が「狩衣装」で家族や役員に護られながら社殿にあがり、執行されます。
「祭頭祭」のあと「大総督」や両字の人々は、本陣に定めたホテルなどで休憩後、正午前から巡行が始まります。
行列の先頭「囃し人」の一人が、「天下泰平 春季祭」などと書いた軍配団扇を振り回しながら進み、そのあとを「大総督」が続く。
「大総督」は「甲冑」に身を固め、「大黒頭巾」を被った人に肩車され巡航します。
続いて役員や家族、神職が進み、「囃し人」がそれに続き、総勢1000人以上(両方)にもなる大行列をつくるそうです。
色鮮やかな衣装に5色のを襷(たすき)を背負った「囃し人」たちが10人から20人の班に分かれ、太鼓を腰につけて叩く人の周りを囲んで「鹿島神宮祭頭祭歌」を歌いながら6尺(約2メートル)の「樫の棒」を「太鼓」の音に合わせて、組んではほぐし、ほぐしては組みながら「参道」を練り歩きます。
また各班には、企業などが奉納した「馬簾」が煽るようです。
「囃し」が終わると本陣で休憩後、「狩衣」の「大総督」や役員、家族は、18時からの「春季祭」に参列します。
「春季祭」では来年の当番「字」がト定されます。
ト定された2つ「字」は、「物申神職」(一年間祭事を担当する神職)により来年の各当番が読み上げられるようです。
ト定された「字」は、「鹿島神宮」の「大神」より神を来臨さしめ、「降神祭」により「鹿島神宮」の「分霊」を一年間「字」に合祀され、見そなわし(神が見守り)、安寧(おだやかで平和)と弥栄(いよいよの繁栄)をもたらされるといわれています。
「祭頭囃し」の奉納は、この一年間の報祭(祈願成就のお札の祭り)であるそうです。
鹿島地方に春を告げる、華やかで勇ましい祭「祭頭祭」。
春の鹿島路にお出かけしませんか?
「祭頭祭」詳細
開催日時 3月9日(水)10時〜
開催会場 鹿島神宮周辺
所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
祭礼スケジュール
10時〜 祭頭祭(神事)
会場 神宮社殿
11時50分〜 囃子行列
左方 11時50分〜
右方 12時半〜
会場 商店街
14時40分〜 囃し行列
左方 14時40分〜
右方 15時半〜
会場 神宮境内
18時半〜 春季祭(神事)
会場 神宮社殿
問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209
備考
「鹿島神宮」「祭頭祭」にあわせ「宮中ふるさと市」が開催されるそうです。
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