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「鹿島神宮神幸祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で9月1日(土)・2日(日)に開催されます「鹿島神宮神幸祭」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
 「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄え、現在は「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「住友金属工業」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心に「工業」が盛んな「都市」です。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「サッカー」が定着しています。

 「鹿嶋市」は、「東京」から80km圏に位置し、「市」の「東側」「太平洋」「鹿島灘」(6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」、「海水浴場」を持ち、「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」に隣接している「自治体」ですが、「潮来市」、「神栖市」、「行方市」、「鉾田市」となっています。

 「鹿島神宮」は、「創建」「神武天皇」「即位年」の「皇紀元年」(紀元前660年)といわれている「神宮」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」は、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」としており、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり「剣聖」・「塚原卜伝(つかはらぼくでん)」(2011年11月29日のブログ参照)を生んでいます。
 「鹿島神宮」は「皇室」・「公家」・「武士」に関わらず長く「尊崇」されつづけ、現在に至っています。
 「鹿島神宮」「本殿」は「国」の「重要文化財」となっており、「宝物館」には「茨城県」唯一の「国宝」である「直刀」「ふつみたまのつるぎ」が展示されています。
 「鹿島神宮」には、そのほか「国」・「県指定」の「文化財」も多く保有しています。
 また「鹿島神宮」「境内」の「鹿園」には「奈良春日大社」から譲り受けた「鹿」がおり、「Jリーグ」の「名門」「鹿島アントラーズ」の「チーム名」「鹿の枝角(antler)」は、ここの「鹿」にちなんでいます。

 「神幸祭」とは、「神霊」の「行幸」が行われる「神社」の「祭礼」で、「神幸式」ともいわれています。
 多くの場合、「神霊」が宿った「御神体」や「依り代」などを「神輿」に移し、「氏子」「地域内」への「行幸」、「御旅所」や「元宮」への「渡御」などが行われます。
 「神輿」や「鳳輦」の「登場」する「祭礼」のほとんどは、「神幸祭」の一種であるといえるようです。
 「神幸祭」は、「神の行幸」の「意味」で、「広義」には「行幸」の「全体」を、「狭義」には「神社」から「御旅所」などの「目的地」までの「復路」の「過程」に「還幸祭(かんこうさい)」という「言葉」が用いられます。
 「神幸祭」・「還幸祭」・と同じ「意味」の「言葉」に「渡御祭(とぎょさい)」・「還御祭(かんぎょさい)」という「言葉」があり、「渡御祭」も「広義」には「行幸」(渡御)の「全体」を指すそうです。

 「神幸祭」は本来、「神霊」を「集落」内の「祭壇」に迎える形であったものが、「祭壇」が「祭祀」の「施設」として「神社」に発展すると、迎える「行為」が逆の「過程」の「里帰り」として残り、「神幸祭」が行われるようになったと考えられています。
 このため、「磐座」などの「降臨の地」が「御旅所」となり、現在では「元宮」や「元」の「鎮座地」である場合が多いようです。
 「御旅所」に向う「神幸祭」のおおまかな「流れ」は、
 1 神輿などを神霊を移す。(神事)
 2 神社から御旅所への渡御
 3 御旅所での神事や奉納(御旅所祭)
 4 御旅所から神社への還御
 5 神霊を還す神事
 となっており、この「過程」が「数日間」に及ぶ場合もあります。
 2や4の「過程」において、「氏子」「地域内」を巡行する場合が多く、「御旅所」などに向かわない場合には、「神霊」が「氏子地域」を見回る、或いは、ある特定の場所で「神事」などを行うために「行幸」されます。
 「神輿」を「巡幸」のために「神社」の「境内」から出すことを「宮出し(みやだし)」、「巡幸」を終えた「神輿」が「神社」に入ることを「宮入り(みやいり)」といいます。
 この「語」は、「稚児」や「氏子」から奉納される「山車(だし)」などが「神社」から出る・入る場合にも用いられます。

 「鹿島神宮」では、9月1日(土)10時から「本殿」で「例祭」が行われます。
 「例祭」は「鹿島神宮」「年間」の「諸祭儀」で最も「重儀」な「祭儀」で、「神恩」に感謝し、「皇室」の「弥栄」と「国家」の「安泰」、「国民」の「安寧」と「五穀豊穣」が祈られます。
 「例祭」当日は、「宮内庁(くないちょう)」より「御使(おんつかい)」の「御差遣」をうけ、また「神社本庁」より「献幣使」をお迎えして「厳粛」の内に斎行されます。

 「鹿島神宮神幸祭」は、「鹿島神宮」の「神輿」が「本殿」より出御し、「大町通り」を通り「行宮(あんぐう)」(仮所)に渡るという「祭り」です。
 「鹿島神宮神幸祭」では、「神様」の「御分霊」が奉遷された「御神輿」が「平井与丁」に担がれ「神職」や「供奉員」をが「神幸行列」を整えます。

 「鹿島神宮神幸祭」は9月の初めに行われ、「街中」には5台の「山車」が「鹿島囃子」の「調べ」にのって巡行します。
 「鹿島神宮神幸祭」「初日」には、「神輿」出御の「道筋」を照らす「明かり」として、別に「提灯祭」と呼ばれる「祭事」も行われます。

 2日目の9月2日(日)は、「行宮祭」が10時に「行宮」(楼門前)で行われ、「行宮祭」とは「仮」の「御座所」となった「行宮」に奉安された「御神輿」の前で行われる「祭儀」です。
 「祭典」には「巫女」による「悠久の舞」が奏され、終了後には「鹿島踊り保存会」による「鹿島踊」が奉納されています。

 また「還幸祭」が、15時から行われ、「行宮」から「大町通り」を通り、「鹿島神宮」に戻ります。
 「御神輿」の「担ぎ手」が「平井与丁」から「小宮作与丁」に代わり、「神幸祭」を返す「姿」で行われます。
 この「祭儀」を以て二日間にわたる一連の「祭事」・「行事」は滞りなく終了となります。

 なお「鹿島神宮」「例祭期間」の「神賑行事」ですが、「波崎手子后神社」「大潮祭礼太鼓」(「本殿」前「祭場」)、「よさこいソーラン奉納」「アミーゴ」(「本殿」前「特設舞台」)、「桜鈴芸座連奉納演奏」(「本殿」前「特設舞台」)、「鹿島神宮道場剣士隊奉納演武」(「本殿」前「特設舞台」)、「鹿島踊り」「鹿島踊り保存会」(「楼門」前「お仮屋」)、「鹿島神傳直心影流奉納演武」(「本殿」前「特設舞台」)が行われます。

 強い「御神徳」を広く「世」に示し、「朝野」を問わず厚い「尊崇」を集める「常陸国一宮」「鹿島神宮」で行われる「重要な祭儀」「例祭」「神幸祭」。
 「神幸祭」が行われるこの機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮神幸祭」詳細

 開催日時 9月1日(土)・2日(日) 10時〜22時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 「鹿島神宮神幸祭」

 9月1日(土)

 10時〜

 例祭 (本殿)

 14時半〜20時

 提灯まち 鹿島神宮第2駐車場〜末社稲荷社前

 20時〜

 鹿島神宮本殿〜大町通り〜行宮

 9月2日(日)

 10時〜

 行宮祭 行宮(楼門前)

 15時〜

 還幸祭 行宮〜大町通り〜鹿島神宮本殿

 「神賑行事」

 9月1日(日)

 11時頃

 波崎手子后神社大潮祭礼太鼓 (本殿前祭場)

 17時半

 よさこいソーラン奉納 アミーゴ (本殿前特設舞台)

 18時半

 桜鈴芸座連奉納演奏 (本殿前特設舞台)

 19時半

 鹿島神宮道場剣士隊奉納演武 (本殿前特設舞台)

 9月2日(日)

 11時頃

 鹿島おどり 鹿島踊り保存会 (楼門前お仮屋)

 13時

 鹿島神傳直心影流奉納演武 (本殿前特設舞台)

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」のある「鹿嶋市」は、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島神宮神幸祭」で巡行する5台の「山車」ですが、「新町」は、「聖徳太子」、「仲町」は「天照皇大神」、「大町」は「塚原卜伝」、「角内町」は「武甕槌大神」、「櫻町」は「日本武尊」となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1271 |
| 地域情報::鹿島 | 11:01 PM |
「第34回鹿嶋市復興花火大会」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「北浦」湖上で今週末の8月25日(土)に開催されます「第34回鹿嶋市復興花火大会」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」です。
 「鹿嶋市」は、「東京」から80km圏に位置し、「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘」(6月16日のブログ参照)に面していることから、「海岸」、「海水浴場」をもち、「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「茨城県」の他の「市町村」よりも「南東」に存在し、「総武本線」の「分岐線系統」である「鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来市」内)の「沿線」であること、「茨城県内」の他の「主要都市」への「交通網」が未発達であることなどから、「千葉県」の「香取市」、「成田市」、さらには「千葉市」などとの関係が深いそうです。

 「北浦」は、「茨城県」にある「霞ヶ浦(かすみがうら)」を構成する「湖」のひとつで、「茨城県」「南東部」にある「湖」です。
 「北浦」は、「鹿嶋市」、「鉾田市」と「行方市」、「潮来市」、「神栖市」に囲まれた「南北」25kmの「細長い形」をなし、「面積」は36.1平方km、「周囲」68km、「水深」7mの「富栄養湖(ふえいようこ)」です。
 (「富栄養湖」とは、「調和型」の「湖」に分類され、「窒素」、「リン」などの「栄養塩濃度」が高く、「生物生産力」の大きい「湖」。)
 「北浦」は、「鹿島」、「行方」両「台地」の間の「侵食谷状」の「低地」に「水」をたたえ、かつて「南端」は「霞ヶ浦」に連なっていたそうです。
 「湖岸」は「鋸歯(きょし)状」に「岬」と「入り江」が交互し、「北」から「巴(ともえ)川」が注ぎ、「南」は「鰐川」、「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)、「常陸(ひたち)川」を経て「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に流出しています。

 「鹿嶋市花火大会」は、8月下旬に「北浦」で開催される「花火大会」で、「関東一」の「尺玉」108連発や、「湖上」打ち上げならではの「水中スターマイン」を見どころに約10000発の「打ち上げ数」を誇る「鹿嶋市」の「夏の終わり」の「風物詩」です。
 「夜空」に打ち上げる「花火」と「湖面」に映る「花火」の「二重の美しさ」を感じる「花火大会」で、他の「花火大会」で観ることができない「花火」が「目の前」に広がります。

 「第34回鹿嶋市復興花火大会」ですが、本年(2012年)も「震災」からの「復興」を祈念して、「鹿嶋市復興花火大会」として開催されます。
 「鹿嶋市民」の「皆様」の「笑顔」のために、「復興」への「力」になりますように、「北浦」湖上と「夜空」を「舞台」に、色とりどりの「花火」が大きな「音」とともに広がるそうです。

 「第34回鹿嶋市復興花火大会」は、上記で記載した通り、約10000発の「打ち上げ数」を誇り、「関東一」の「尺玉108連発」を中心に見どころがたっぷりで、「湖上」ならではの「水中スターマイン」なども他の「花火大会」では観ることができない「花火」が「目の前」に広がります。
 また「第34回鹿嶋市復興花火大会」では、「メッセージ付花火」の「参加者」を募集していました。
 (8月17日(金)までで「受付」終了しています。)
 なお、「鹿嶋市」は「花火大会」当日は「道路」が大変混雑するため、「電車」・「バス」などの「公共交通機関」をご利用下さいと呼びかけています。

 「第34回鹿嶋市復興花火大会」「会場」周辺は、当日「交通規制」で「車両」が侵入できなくなるとともに「駐車スペース」が少なく、大変混雑しますので、「臨時駐車場」として「JR鹿島神宮駅」「周辺駐車場」(有料・無料)、「鹿嶋市商工会館」前「駐車場」(無料)、「関鉄バスターミナル跡地」「臨時駐車場」(無料)などをご利用下さいとのことです。
 「花火大会」当日17時より「JR鹿島神宮駅」及び「鹿嶋市商工会館」前、「関鉄バスターミナル跡地」(桜町)から「会場」付近までの「無料シャトルバス」が運行されます。
 「無料シャトルバス」の「運行時間」ですが、「行き」は、「JR鹿島神宮駅発」17時から19時半まで運行、「帰り」は、「大船津臨時停留所発」で20時半から21時半となっています。
 「無料シャトルバス」の「運行区間」ですが、「行き」は、「JR鹿島神宮駅前」〜「鹿嶋市商工会館前」〜「関鉄バスターミナル跡地」〜「花火大会会場」(「大船津臨時停留所」)となっており、「帰り」は、「花火大会会場」(「大船津臨時停留所」)〜「JR鹿島神宮駅前」〜「鹿嶋市商工会館前」〜「関鉄バスターミナル跡地」となっています。
 また今年度(2012年)「カシマスタジアムB駐車場」が利用できませんので、「カシマスタジアムB駐車場」からの「シャトルバス」の「運行」も行われませんので、ご注意下さい。

 また「第34回鹿嶋市復興花火大会」の「場所取り」につきましては、「花火大会」「前日」(8月24日)の16時から可能となるそうです。
 8月24日16時以前の「場所取り」につきましては、「撤去」されるそうですので、ご注意下さい。

 「鹿島」の「夏の終わり」の「風物詩」で、「震災」からの「復興」を祈念し、開催される「花火大会」「第34回鹿嶋市復興花火大会」。
 「花火大会」の行われるこの機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第34回鹿嶋市復興花火大会」詳細

 開催日時 8月25日(土) 19時半〜21時

 開催会場 北浦湖上 鹿嶋市大船津

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「第34回鹿嶋市復興花火大会」は、「悪天候」(「雨天」、「霧」、「強風時」)の場合は8月26日(日)に順延となります。
 「第34回鹿嶋市復興花火大会」は、「鹿嶋市」の「コミュニティ放送局」である「FMかしま」(76.7MHz)(2011年5月15日のブログ参照)で「花火大会」の「模様」を中継するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1264 |
| 地域情報::鹿島 | 08:35 PM |
「第34回水郷潮来花火大会」(潮来市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「潮来市」「水郷北斎公園」で明日、8月18日(土)に開催されます「第34回水郷潮来花火大会」です。

 「潮来市」は、「茨城県」「東南部」に位置し、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面している「市」で、「面積」は71.41平方kmとなっています。
 「潮来市」は、「東西」が約12km、「南北」が13kmにあり、「北部」には海抜30mから40mの「行方台地」が「南北」に続いており、「東部」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)に面し、「西部」は「霞ヶ浦」と「北利根川」、「南部」は「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)というように、「水辺」に囲まれた「自然」豊かな「まち」です。
 「潮来市」は、「四季」を通じて穏やかで、「夏」涼しく「冬」穏やかな「海洋性気候」となっています。
 「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日に「行方郡潮来町」が「牛堀町」を編入し、同日「市制施行」しています。

 「水郷北斎公園」は、「北利根川」沿いに約1km続く「公園」で、「せせらぎ」が聞こえる「見晴らし」の良い「くつろぎポイント」です。
 「葛飾北斎(かつしかほくさい)」が描いた「常州牛堀」にちなんで名付けられました。
 「常州牛堀」は、「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」のひとつで、「冨嶽三十六景」は、「葛飾北斎」の「代表作」にして「浮世絵風景画」の「代表作」です。
 ちなみに「冨嶽三十六景」には、「東京都」、「神奈川県」、「静岡県」、「山梨県」、「愛知県」、「長野県」、「千葉県」、「茨城県」の「浮世絵風景画」が全46図が描かれており、「茨城県」では「牛堀」が唯一描かれています。

 「水郷北斎公園」は、「消波ブロック」の上に整備されており、「釣り」の「絶好のポイント」となっており、週末ともなると大勢の「釣客」が訪れるそうです。
 また「水郷北斎公園」は、「ウェイクボード」、「水上スキー」と言った「マリンスポーツ」も盛んに行われています。
 「水郷北斎公園」は、毎年8月中旬に開催されている「水郷潮来花火大会」の「会場」となり、「水上」から打ち上げられる迫力ある「花火」が間近で見られる「場所」としても知られています。

 「水郷潮来花火大会」は、「夏の風物詩」である「花火」を、「潮来市」の「シンボル」というべき「水郷」の「水辺」において開催することにより、「経済不況」を吹き飛ばし、「潮来」に「元気」と「活力」をもたらす「契機(けいき)」とすることを目的として開催されています。

 「水郷潮来花火大会」の「歴史」ですが、「花火大会」は、昭和25年に「第1回」が開催。
 「北利根橋」の「ポプラ並木」とともに、「水郷」の「夏の風物詩」として「名物」となり、「地域」の人々に親しまれていました。
 しかし、「車社会」の「進展」とともに、周辺に「交通渋滞」を引き起こすなどの「理由」から昭和44年に「幕」を下ろしました。
 その後、当時の「花火」を知る方々の「復活」を求める「声」に応え、平成10年に「復活」。
 「装い」も新たに「水郷潮来花火大会」が開催されています。

 「第34回水郷潮来花火大会」は、「茨城県」「潮来市」で行われる「花火大会」で、「夏の夜空」に咲く「大輪」、心を打つ「美しさ」と「迫力」のある「花火大会」です。
 「第34回水郷潮来花火大会」では、「スターマイン」や「フラワーガーデン」など、3000発の「花火」が「夏」の「夜空」を染めるそうです。
 今年(2012年)の「水郷潮来花火」の「見どころ」は、「水面」に映える「水中スターマイン」と、「音楽とのシンクロ花火」となっています。
 「水郷潮来花火大会」では、様々な「趣向」を凝らした「迫力」のある「花火」が打ち上げられるようです。

 「第34回水郷潮来花火大会」では、42種類の「花火」と大きく分けて2幕で行われ、「第1幕」「welcome to 潮来」、「第2幕」「二次の彼方へ」が行われます。
 また「第1幕」「タイトル」は、「常夏の夜」、「潮来のあやめ」、「潮来の色彩美」、「第2幕」は「潮来の夜空」、「夏のかほり」、「星に願いを」となっており、「オープニング」「光と音のシンフォニー」、とりを飾るのは「グランドフィナーレ」となっています。

 「第34回水郷潮来花火大会」に「車」でお越しの場合の「駐車場」ですが、「牛堀公民館」、「ショッピングプラザ ラ・ラ・ルー」、「かすみ保険福祉センター」となっています。
 「牛堀公民館」は、「駐車台数」約50台、「会場」まで「徒歩」10分、「ショッピングプラザ ラ・ラ・ルー」は、「駐車台数」約300台、「会場」まで「徒歩」10分、「かすみ保険福祉センター」は、「駐車台数」約100台、「会場」まで「徒歩」20分となっています。
 「花火大会」当日の「会場」周辺の「道路」は大変混雑しますので、ご注意下さい。

 「水郷情緒」溢れる「潮来市」の「夏の風物詩」のひとつ「第34回水郷潮来花火大会」。
 「花火大会」を見に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第34回水郷潮来花火大会」詳細

 開催日時 8月18日(土) 19時半〜

 開催会場 水郷北斎公園 潮来市牛堀地先

 問合わせ 潮来市観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「潮来市」の「面積」ですが、平成21年3月10日付けで「総務省」「告示第120号」により、「霞ヶ浦」、「北浦」及び「鰐川」の「水面境界」が確定し、「面積」が68.35平方kmから71.41平方kmに変更となっています。
 「第34回水郷潮来花火大会」は、「悪天候」の場合は「翌日」に順延、「翌日」「悪天候」の場合は「翌々日」まで順延となるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1260 |
| 地域情報::鹿島 | 11:20 AM |
「万燈会(まんとうえ)」(潮来市)
 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「水雲山潮音寺」で明明後日(しあさって)の8月13日(月)〜16日(木)の期間開催されます「万燈会(まんとうえ)」です。

 「潮来市」は、「茨城県」「東南部」に位置し、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面しています。
 「潮来市」は「東西」が約12km、「南北」が13kmあり、「北部」には「海抜」約30mから40mの「行方大地」が「南北」に続いています。
 「東部」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)に面し、「西部」は「霞ヶ浦(かすみがうら)」と「北利根川」、「南部」は「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)というように、「水辺」に囲まれた「そとなさかうら自然」豊かな「まち」です。
 また「気候」は「四季」を通じて穏やかで、「夏」涼しく「冬」穏やかな「海洋性」の「気候」となっています。

 「水雲山潮音寺」は、「法相宗」「大本山」「薬師寺」の「東関東別当」で、「薬師寺」の「伝統」を受けつぎ、特定の「檀家」を持たず、「葬儀」をしない、「お墓」を持たない「お寺」だそうです。
 (水雲山潮音寺HPより抜粋)

 「潮音寺」では、私たちに「命」と今日の「繁栄」を与えてくださった「ご先祖さま」に「感謝」をし、さらぬは「世界平和」を願うことによって、「命」の「流れ」や「報恩感謝」の「心」、「和の心」を思い学ぶ「時間」と「場所づくり」の為に「万燈会」が8月13日〜16日の「日程」で執り行われます。

 「万燈会」とは読んで「字」の如く、「万の灯」を「神仏」に献じる「会」(まつり)だそうで、「今昔物語」によって「潮音寺」の「本山」である「薬師寺」にて古くから行われていたことを知ることができるそうです。
 「潮音寺」では「薬師寺」の「正式」な「別院」となった平成16年よりこの「行事」を「宗派」、「宗教」の枠にとらわれず、誰もが自由に参加できる「形式」にて開始し、初年度は8月15日の1日に「三千灯」をかかげ、そこに広がった「幽玄の世界」は「言葉」を絶するものだったそうです。

 爾来、5年にして「献灯数」は当初の約17倍の「五万灯」を数え、「行事」も8月12日〜16日の「5日間」となったそうです。
 年々、「行事」自体も順調に執行されるようになり、それに伴って「参加者」も増加し、平成20年には「潮来市」の「観光資源」のひとつに選ばれ、さらに平成21年には「切手」の「図案」にも採用されました。

 「平和と感謝」を「スローガン」に豊かな「心つくり」の「場」として、また「地域振興」を願い開催されます「水雲山潮音寺」「万燈会」。
 「万燈会」が行われるこの機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「万燈会」詳細

 開催期間 8月13日(月)〜8月16日(木)

 点灯時間 18時半〜22時半 (境内一円)

 奉納行事 18時半〜(1回目) 20時〜(2回目) 時間は変更になる場合があります。

 「万燈会」「行事」「日程」

 8月13日(月) 狂言 茂山逸平師 茂山宗彦師 島田洋海師

 8月14日(火) 狂言 茂山逸平師 茂山宗彦師 島田洋海師

 8月15日(水) パーカッション スティーブエトウ氏 レナード衞藤氏

 8月16日(木) 変面 張紹成氏

 開催会場 水雲山潮音寺 茨城県潮来市

 問合わせ 潮音寺 0299-66-0623

 備考
 「水雲山潮音寺」「万燈会」では、「献灯」を行っています。
 「別紙祈願帳」に「芳名」と「願文」を書き、「専用の封筒」にて申し込み、「潮音寺」にて「献燈器」に代筆されるそうです。
 お一人様「何燈」でも「献燈」でき、「献灯料」は、一燈500円だそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1248 |
| 地域情報::鹿島 | 09:01 AM |
「潮来祇園祭禮」(潮来市)
 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「潮来市潮来地区」「素鵞熊野神社(そがのくまのじんじゃ)」で今週末の8月3日(金)〜8月5日(日)の期間開催されます「潮来祇園祭禮」です。

 「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日、「行方郡潮来町」と「行方郡牛堀町」が合併し「潮来市」になりました。
 旧「潮来町」は、1955年(昭和30年)、「潮来町」と「津知村」、「大生原村」、「延方村」が合併して誕生しました。
 合併前の「人口」は25841人(2000年国勢調査)、「面積」は43.88平方km。
 旧「牛堀町」は、1955年(昭和30年)、「香澄村」、「八代村」が合併し、「牛堀村」が発足、同年「町制施行」し、合併前の「人口」は6103人(2000年国勢調査)、「面積」は18.79平方kmとなっていました。

 「水郷」として知られている「潮来」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「下流」にできた「水郷地帯」の一角です。
 「潮来市」では、「サッパ舟」や「あやめ」(2011年5月27日のブログ参照)が有名で、「前川十二橋巡り」、「前川あやめ園」(5月13日のブログ参照)などの「観光スポット」があります。
 「橋幸夫」さんの「潮来笠」や「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」、「」美空ひばりさんの「映画」「娘船頭さん」など、「歌」や「映画」に取り上げられ、現在では「全国区」の「知名度」を誇ります。
 また毎年5月末から6月にかけては、「水郷潮来あやめまつり」(5月14日のブログ参照)が開催されています。

 「素鵞熊野神社」は、1877年(明治10年)、「素鵞神社」と「熊野神社」が合祀され誕生しました。
 「潮来」の「鎮守社」で「潮来祇園祭」(2011年7月31日のブログ参照)は、「素鵞熊野神社」の「例祭」で、「神輿」や「山車」が「潮来市」内を練り歩きます。

 「素鵞神社」の「創建」は天安2年(858年)に「漁夫」によって「浪逆浦」により引き揚げられた「神輿」を祀ったのが始まりとされ以来「4丁目」以西の「鎮守」として信仰されてきました。
 「素鵞熊野神社」は、「辻」の「天王原」に祭られていた「古社」を、文治4年(1188年)に「潮来」の「天王河岸」へ移し、「牛頭天王」と呼んだのが「素鵞神社」のはじまりなのだそうです。
 「牛頭天王」は「八坂神社」の「祭神」で、元来は「インド祇園舎」の「守護神」とされ、「疫病除けの神」として知られています。
 文治4年(1188年)の「遷座」と「牛頭天王」を奉斎した背景には、「潮来地方」での「疫病」の「流行」などがあったものと思われます。
 また「伝承」によれば「熊野三社」を参詣した「村人」が、その「霊験」を尊んで天正年間(16世紀後期)「潮来」に勘請したのが、「本宮」、「新宮」、「那智」の「熊野三社権現」だそうです。
 元禄9年(1696年)に「牛頭天王」は、「水戸藩主」「徳川光圀」公による「一村一社」の「政策」により「現在地」に移り、「熊野三社権現」と相殿となりました。
 さらに天保15年(1844年)、「牛頭天王」は「仏教色」の強い「呼称」から、「神道的」な「素鵞神社」へと「社号」を改め、同時に「熊野三社権現」も「熊野神社」と「名前」がかわったそうです。
 明治10年(1877年)に長く「相殿」であった「両社」は、「素鵞熊野神社」となって現在に至っています。
 「素鵞熊野神社」の「御祭神」は、「須佐之男命(すさのをのみこと)」、「奇稲田比命(くしいなだひめのみこと)」、「速王男命(スサノオノミコト)」の「三神」で、「境内社」として「神明神社」、「大六天神社」、「松尾神社」、「淡島神社」、「金比羅神社」、「愛宕神社」、「大杉神社」、「稲荷神社」を祀っています。

 「潮来祇園祭禮」は、「天王山」に鎮座する「素鵞熊野神社」の「例大祭」で、八百有余年の「歴史」と「伝統」がある「祭禮」です。
 毎年8月の「第一金曜日」から「日曜日」までの3日間かけて行われ、まず「初日」に二体の「神輿」(俗に「天王様」、「権現様」と呼ばれています。)が出御する「御浜下り」ではじまるそうです。
 「中日(なかび)」は「町内渡御」(町内御巡行)、「最終日」には「還御」(お山上り)が行われます。
 「潮来祇園祭禮」に「花」を添えるのは、「三丁目」の「獅子舞」をはじめ、「総数」十四台もの「山車(だし)」、そしてこの「山車」にのった「芸座連」によって奏でられる「潮来囃子」です。
 「潮来祇園祭禮」の「圧巻」は「のの字廻し」や「そろばん曳き」に代表される「曲曳き」で、「若衆」と「山車」、「芸座連」が一体となった様は必見です。
 また、「潮来市」内を流れる「前川」沿いには大きな「幟」がいくつも立てられるなど、「都市部」の「祭礼」にはない「潮来独特」の「風景」を見ることができるそうです。

 「潮来祇園祭禮」の開かれる3日間は「閑静な町」が「祭の熱気」に包まれ、14台の勇壮な「山車」が町中を練り歩きますが、それぞれの「山車」の上には「身の丈」4m以上ある「歴史上の人物」などの「大人形」が飾られ、「大天井」が目前を行く様には圧倒されます。
 「潮来祇園祭禮」の「山車」の「形」は、「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)の「流れ」を汲む「佐原型山車」だそうです。

 「素鵞熊野神社」より、「素鵞社」(天王様)と「熊野社」(権現様)の「二体」の「御神輿」が「天王山」より下りて、「仮宮」においでになり、「祭禮中」の3日間「神事」のひとつとして、14町内の「奉納山車」の「曳き廻し」が行われますが、「潮来祇園祭禮」で使用される「山車」はほとんどが、「総欅造り」で「潮来囃子」の「芸座連」が「山車」に乗って演奏する「芸能山車形式」のものだそうです。
 「山車」の「周囲」には「高彫り」という「精巧」かつ「華麗」な「彫刻」がはめ込まれ、「山車」、「飾り物」、「彫刻」、「玉簾」、「額」、「幟」など、江戸・明治時代の「匠の技」を今に伝えるもので、各町内の「財産」として大切に管理されているそうです。

 「素鵞熊野神社」(通称「天王様」)の「例大祭」で、「祇園祭」のひとつ「潮来祇園祭禮」。
 「潮来市」の「夏」を彩る「祭禮」を見に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「潮来祇園祭禮」詳細

 開催期間 8月3日(金)〜8月5日(日)

 開催会場 潮来市潮来地区 素鵞熊野神社 茨城県潮来市潮来1338-2

 問合わせ 潮来市観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「例祭」に奉納される「獅子舞」と「潮来囃子」は、「茨城県」の「県指定無形文化財」に、また「素鵞熊野神社」「境内」の「大欅」は、「茨城県」の「県指定天然記念物」にそれぞれ指定されています。
 また「潮来祇園祭禮」の「山車」のうち「三台」(「上壹丁目」・「下壹丁目」・「四丁目」(天王町))は「茨城県」の「県指定文化財」となっています。

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「延方相撲」「鹿嶋吉田神社」(潮来市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「潮来市」「鹿嶋吉田神社」で明後日(あさって)の7月29日(日)に開催されます「延方相撲」です。

 「潮来市」は、「茨城県」の「南東部」に位置し、「水陸」両方の「交通の要衝」にありました。
 また周囲を「水」に囲まれた「水郷地帯」で、「交通の要衝」としての「地位」は、「交通機関」の「変遷」の中で失われましたが、現在では「水郷」を生かした「観光都市」として知られている。
 「潮来市」の「人口」は30558人(2010年国勢調査)、「面積」は71.41平方kmとなっています。

 古来、「国府」の「石岡」から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが始まりといい、「常陸風土記(ひたちのくにふどき)」(6月3日のブログ参照)にも「板来」の「名前」があるそうです。
 元禄年間、「水戸藩」「第2代藩主」の「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」にしたと伝えられています。
 江戸時代は、「水戸藩」の「飛び地」で、「水運の中継地」として栄え、特に「東北地方」からの「物資」の「中継」が盛んで、「仙台河岸跡」、「津軽屋敷跡」などが残っています。
 「潮来市」内の「中心部」を流れる「前川」沿いに「前川あやめ園」(5月13日のブログ参照)があります。
 「あやめ」が咲く毎年5月末から6月にかけては、「市内最大」の「イベント」「水郷潮来あやめまつり」(5月14日のブログ参照)が開催されています。
 「潮来市」には、「JR鹿島線」が「東西」に横断しているほか、「国道51号線」、「国道355号線」が交差し、また「東関東自動車道」の「終点」ともなっています。

 「鹿嶋吉田神社」は、「潮来市」にある「神社」で、「延方相撲」が行われていることで有名な「神社」です。
 「鹿嶋吉田神社」の「御祭神」は、「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」と「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀っています。
 「鹿嶋吉田神社」は、「延方村」と「島崎村」(現・「潮来市延方地区」)の「鎮守」で、また「鹿嶋吉田神社」は「参道」の「桜」が美しいことでも知られています。

 「延方相撲」の「はじまり」ですが、1672年、「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)の「三角州」を巡って長い間、「延方」と「下幡木」(神栖市)の「利権争い」が絶えないとき、「幕府」の「評定」により「延方有利」に解決した事から1673年、「感謝」を表す為に、「鹿嶋吉田神社」に「相撲」を奉納されるようになったそうです。

 「延方相撲」の「由来」は次の通りです。

 江戸時代初期「徳島」一帯(地区)では「漁場」をめぐる「紛争」や、また「農耕地」の「利権論争」、「耕作権」の「問題」など「紛争」が絶えませんでしたが、寛文12年(1672年)7月27日この「紛争」に対して「江戸幕府」より「御評定」があり
 「この地は水戸南領に属す。」
 という「採決」がありました。
 「村人」はこれを喜び合い寛文13年(1673年)「相撲祭」を「延方村鎮守」「鹿嶋吉田神社」に奉納して感謝したことにはじまり、「江戸勧進相撲」の「格式」をもって今日に伝えられています。

 「相撲祭」は、「祭礼」までの約1ヶ月前から種々の「行事」が始められ、「当番地区」においては6月の「見届け行事」に始まり、「神前会議」、「当番誥家開き」、「衣装揃え」、「地取り祭」まで「地区」総がかりで行われるそうです。
 「祭礼」の「当日」、早朝より「当番地区」から「神社」までは「宮行司」、「警護」、「世話人」、「総代」、「花相撲」と古式床しい「行列」によってくり出されます。
 「相撲」は「鹿嶋吉田神社」境内「本殿」前に築かれた「土俵」で、「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」など「古式」の「取り組み」48番が取り納められます。

 「延方相撲」「例祭当日」の「流れ」ですが、「当番地区」から「神社」への「古式」豊かな「行列」が繰り出され、「神事」のあと、3歳から7歳の「小児」による「花相撲」によって「奉納相撲」が開始、その後「古式」に則った「48番」が奉納となります。

 「江戸勧進相撲」の「格式」を持って現在に伝えられている「鹿嶋吉田神社」の「延方相撲」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「延岡相撲」「鹿嶋吉田神社」詳細

 開催日  7月29日(日)

 開催会場 鹿嶋吉田神社 潮来市新宮1885

 問合わせ 潮来市観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「鹿嶋吉田神社」「延方相撲」は、昭和39年7月31日に「茨城県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::鹿島 | 02:38 PM |
「夏越大祓(なごしおおはらい)」「鹿島神宮」(鹿嶋市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で明後日(あさって)の6月30日(土)に開催されます「夏越大祓(なごしおおはらい)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県鹿嶋市」にある「神社」で、「式内社」、「常陸国一宮」です。
 「鹿島神宮」の「旧社格」は「官幣大社」、現在は「神社本庁」の「別表神社」で、「全国」にある約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)と「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうです。
 「鹿島神宮」の「初詣」には「全国」から60万人以上が参拝し、「参拝者数」では「茨城県」2位だそうです。

 「鹿島神宮」では、「夏越祓(なごしのはらえ)」について、「伝承」があり、「鹿島」の「古老(ころう)」曰(いわ)く「鹿島」では、「境内」に「チガヤ」で作った「輪」をくぐると「病気」が避けられと言われています。
 「チガヤの輪」は「邪神」を和(なご)めると伝えられています。

 「鹿島神宮」の「夏越大祓」(大祓式)は、午後3時(15時)「鹿島神宮」「本殿」前で行われます。
 「鹿島神宮」「大祓」についてですが、1月から6月までの「罪穢(つみけが)れ」を祓う「神事」です。
 「人形(ひとがた)」で「身体」を撫で、「息」を三度吹きかけて「心身」の「罪穢れ」を移します。
 その「人形」は30日の「神事」ののちに「お焚き上げ」し、その「灰」を「御手洗側」に流すそうです。
 また、6月1日からは「鹿島神宮」「境内」に「茅の輪」を設置し、「大祓用」の「人形」と「無病息災」・「延命長寿祈願」の「茅の輪(ちのわ)」の「お守り」を授与しています。

 「鹿島神宮」「夏越大祓」当日に参列できない方は、6月1日から30日の「一ヶ月間」に「鹿島神宮」で、以下の「要領」で「罪」や「穢れ」を祓い、「心」の「清澄」を取り戻すことができるそうです。
 「神事」の「流れ」ですが、「境内」の「本殿」前に設置される「茅の輪」をくぐって、「罪」や「穢れ」を祓います。
 「茅の輪」の「くぐりかた」ですが、「鹿島神宮」「楼門」を「背」に、「本殿」方向に「茅の輪」に望みます。
 一度「輪」をくぐり、「左回り」で、もう一度「輪」をくぐります。
 くぐったら今度は「右回り」でもう一度「輪」をくぐります。
 そして、もう一度「左回り」でくぐって、そのまま真っ直ぐ「本殿」に向かいます。

 その後、「社務所」もしくは「特設テント」にて、「初穂料」を渡して、「人形」を受け取ります。
 (「初穂料」は、随意だそうです。)
 「人形」に「自分の名前」と「生年月日」を記載します。
 「人形」で「自分の身体」を撫で、「息」を三度吹きかけ、「罪穢れ」を「人形」に移します。
 「人形」を「専用の箱」に入れます。
 以上が「手順」となり、6月30日(土)の「夏越大祓」の「神事」に参列できなくても、「人形」が「参拝者」に代わって「祓い」を受けてくれることにより、実際に「祓い」を受けたのと同様に「身体」が清められるそうです。

 知らず知らずのうちに犯している「罪」や「穢れ」を「人形」に移して、清め、「悪疫」を免れる「神事」「夏越大祓」。
 この機会に「鹿島神宮」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「夏越大祓」「鹿島神宮」詳細

 開催日時 6月30日(土) 15時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」は、「常陸国三宮」(5月19日のブログ参照)のひとつで、「一宮」が「鹿島神宮」(鹿嶋市)、「二宮」が「静神社」(那珂市)、「三宮」が「吉田神社」(水戸市)となっています。

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| 地域情報::鹿島 | 04:36 PM |
「大野潮騒はまなす公園」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」にある「公園」「大野潮騒はまなす公園」です。

 「大野潮騒はまなす公園」は、「歴史」から「美術」、「宇宙科学」まで楽しめる「公園」で、「シンボルエリア」である「展望塔」・「美術館」・「資料館」からなる「公園」です。
 「大野潮騒はまなす公園」には、全体を360度の「パノラマ」が楽しめる「宇宙展望搭」をはじめ、「鹿嶋」の「暮らし」の今昔を展示する「郷土資料館」、「世界の名画」(複製)を集めた「美術館」、そしてまた人々のコミニュケーションの場として親しまれています。
 また「鹿島灘(かしまなだ)」の潮騒がまじかに聞こえる広大な園内には、「海」に向かって滑り降りる「ローラーすべり台」をはじめ、「ザイルクライミング」のある「子ども広場」、「自然」の「沢」を利用した「渓流散策路」、「弁天池」のある「水といこいの広場」など楽しみもいっぱいで、「園内」には「はまなす」や「桜」、「梅」、「さつき」、「つつじ」などの美しい「花々」が四季折々に「目」を楽しませてくれます。

 「大野潮騒はまなす公園」は、平成2年「春」に、「茨城県」「大野村」の「村営公園」として開園しました。
 その後「大野村」は、1995年9月に隣の「鹿島町」に吸収合併され、同時に「鹿島町」は「鹿嶋市」となり、「大野潮騒はまなす公園」も「鹿嶋市」の「公園」となりました。
 なお「鹿嶋市」が「はまなす」自生の「南限地」であることから「公園」として整備されたものなのだそうです。

 「大野潮騒はまなす公園」は、「鹿島灘」(6月16日のブログ参照)に程近い小高い「丘の上」にある「公園」で、面積約10haの「敷地」があり、「公園」の「宇宙展望塔」は、海抜77mの高さから360度見渡せます。
 また「宇宙展望塔」隣にある「ドーム型」の「建物」は「プラネタリウム」で、「プラネタリウム」では、「季節」に応じた「プログラム」で上映され、1日4回上映、「上映時間」は30分だそうです。
 (但し4人以上で上映となるので、人があまり来園しない場合は、注意下さい。)

 「郷土資料館」には、「周辺」で出土した「資料」や、「昔」の「農具」や「漁具」、「生活道具」なとが展示されています。
 また「美術館」には、「世界の名画」(複製)ですが、集められており、鑑賞することができます。

 「宇宙展望塔」の脇から「公園」内に入り、木々の生い茂った中に、「下り坂」の「散策路」があります。
 「下り坂」の「散策路」を下りきると、「日本庭園」風の「弁天池」があり、「東屋」もあって、一息つけるようです。
 「散策路」に沿って歩き、「弁天池」を通りすぎようとすると、階段があり、「ローラーすべり台」の「上り口」が見えてきます。

 「大野潮騒はまなす公園」の「ローラーすべり台」は、「公園」ができたばかりの頃は、「日本一」の「長さ」を誇っていました。
 これは、当時の「大野村」「村長」の「日本一のもの」をという「構想」から作られたそうです。
 しかし、3か月後には「山梨県丹波山村」(当時)の「水源公園」の「ローラーすべり台」(247m)に「日本一」の「座」を奪われ、2000年(平成12年)には、更に長い「すべり台」が「静岡市」の「日本平動物園」の「ローラーすべり台」(390m)が登場したそうです。
 「大野潮騒はまなす公園」の「ローラーすべり台」についても、当初は「負けていられない」と「海岸」まで伸ばすという「構想」もあったそうですが、「バブル崩壊」と共に、この「構想」を実現することは難しくなってしまったようです。

 「大野潮騒はまなす公園」の「ローラーすべり台」の「長さ」は154mあり、眼下に見える「太平洋」(鹿島灘)に向かってすべり下りて行きます。
 「ローラーすべり台」ですが、「傾斜」はそれほどでもなく、緩やかな方で、それほどスピードは出ないようです。
 「ローラーすべり台」は、途中で平坦な部分も何ヵ所かあり、その部分は「自分」で進むことになります。
 なお「ローラーすべり台」周辺などに多くの「はまなす」が植えられており、5月下旬から6月に見頃を迎えるそうです。

 「ローラーすべり台」「上り口」隣にある「子ども広場」中央には、「ザイルクライミング」があります。
 「子ども広場」にある「ザイルクライミング」は、高さが約6mあり、「大きい子」も楽しめる「遊具」となっており、「ザイルクライミング」周囲は「砂場」のようになっていて「小さい子」が「砂遊び」ができます。
 また「ザイルクライミング」の脇には、「小さい子」向けの「シーソー」や「スプリング遊具」があります。

 「子ども広場」の隣には「多目的広場」があります。
 「多目的広場」の「正面」には、「大きめの売店」があり、隣には「トイレ」があります。
 また「多目的広場」には、「からくり時計」があり、決まった時間になると「人形」が「からくり時計」から出てきて「寸劇」をするそうです。
 (1日3回「人形」が出てくるそうです。)
 この「からくり時計」は、「鹿嶋市」誕生を記念し、この地に伝わる「文太長者(ぶんたちょうじゃ)」の「物語」を、未来を担う「子どもたち」へ語り継ぐため、「屋敷跡」とされる「大野潮騒はまなす公園」に設置されたそうです。
 なお「からくり時計」は、平成8年3月に完成しました。

 「多目的広場」を出るとすぐに「吊り橋」があり、「吊り橋」の下は「渓流」が流れています。
 「吊り橋」を渡ってまっすぐ進むと「展望塔」脇にある「駐車場」とは別の「駐車場」にでます。
 「吊り橋」渡った後「展望塔」方面へ「渓流」沿いを進むと、涼しげな「水音」の響く「音のトンネル」「水琴窟(すいきんくつ)」があり、「展望塔」とは逆方向に歩くと「間欠泉(かんけつせん)」があり、突然ものすごい勢いで「水」が噴出してくるそうです。
 (水浸しになる恐れあり、注意下さい)

 「大野潮騒はまなす公園」の「最寄り駅」は「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまええき)」で、「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」は、「読み仮名」が22文字あり、「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(南阿蘇鉄道高森線)と並んで「日本一長い駅名」だそうです。
 また「正式表記」では、13文字あり、「開設当初」は「正式表記」でも「日本一長い駅名」でありましたが、1992年(平成4年)に「南阿蘇鉄道高森線」に「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」(正式表記で14文字、読み仮名で22文字)が開業し、「読み仮名」の「文字数」では「同数」ですが、「正式表記」の「文字数」で「日本一」の「座」を譲っています。
 その後、「一畑電気鉄道北松江線」に「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」(記号を含む正式表記が17文字、読み仮名が23文字)が開業し、「読み仮名」でも「日本一」の「座」を明け渡しましたが、2007年(平成19年)5月21日に「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」が「松江イングリッシュガーデン前駅」(正式表記で14文字、読み仮名で16文字)に改称したことにより、「読み仮名」では「日本一」に返り咲いたそうです。

 「はまなす」の「南限地」「鹿嶋市」にある楽しい「公園」「大野潮騒はまなす公園」。
 梅雨の晴れ間のお出かけに「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大野潮騒はまなす公園」詳細

 所在地  茨城県鹿嶋市角折2096-1

 公園 開園時間・料金

 開園時間 年中無休 

 入園料  無料

 展望塔 開園時間・料金 (美術館・資料館・プラネタリウム含む)

 開館時間 9時〜16時半

 料金   大人300円 小人200円 幼児100円

 休館日  月曜日(祝日の場合翌日) 年末年始

 問合わせ 大野潮騒はまなす公園 0299-69-4411

 備考
 「大野潮騒はまなす公園」内での「ベビーカー」の移動は、高低差のある「公園」のため、「坂」が多いですが、「子ども広場」や「多目的広場」に到着すれば、平坦になっているそうです。
 また「吊り橋」近くの「駐車場」から入った方が、「道」の「高低差」が小さく、「展望塔」横「駐車場」からは「プラネタリウム」「資料館」「美術館」「展望塔」の利用される場合は近くになります。

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| 地域情報::鹿島 | 08:32 PM |
「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」(鹿嶋市含む茨城県)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」含む「茨城県」に伝わる「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」です。

 「常陸国風土記」は、奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂(へんさん)され、721年(養老5年)に成立した「常陸国」(現在の「茨城県」の大部分)の「地誌」です。
 口承的な「説話」の部分は「変体」の「漢文体」、「歌」は「万葉仮名」による「和文体」の「表記」によるものだそうです。

 「常陸国風土記」は、「元明天皇」の「詔(みことのり)」によって編纂が命じられました。
 「常陸国風土記」は、この「詔」に応じて「令規定」の「上申文書形式」(解文)で報告されました。
 その「冒頭文言」は、「常陸の国の司(つかさ)、解(げ)す、古老(ふるおきな)の相伝える旧聞(ふること)を申す事」(原漢文)ではじまります。
 「常陸」の「国司」が「古老」から聴取したことを「郡」ごとにまとめ「風土記」を作成したのであるので、8世紀初頭の人々との生活の様子や認識が読み取れると形式となっています。
 「記事」は、「新治」・「筑波」・「信太」・「茨城」・「行方」・「香島」・「那賀」・「久慈」・「多珂」の「9郡」の「立地説明」や「古老」の「話」を基本にまとめています。

 「常陸国風土記」の「編纂者」は不明で、現存テキストには「以下略之」など、省略したことを示す記述があることから、原文そのものの「書写」ではなく、「抄出本」の「写本」とも考えられています。
 「遣唐副使」を務め、「懐風藻(かいふうそう)」に最多の「漢詩」を残す「藤原宇合」が「常陸国守」であったことから、その「編纂者」に比定されることもあります。
 また「万葉集」の巻6に、天平4年に「宇合」が「西国道節度使」に任じられたときの「高橋虫麻呂」の「送別歌」があり、巻9には、「高橋虫麻呂」の「筑波山の歌」があることから、二人が「常陸国」(5月19日のブログ参照)で「上司」と「部下」の関係であったと想像し、「風土記」成立に2人が強く関与しているだろうと考える「説」があったそうです。
 現在「風土記」は、「常陸国」、「播磨国」、「備前国」、「備後国」、「出雲国」の5冊のみ伝わっていますが、いずれも「原本」ではないそうです。
 また、他は「逸文」(かつて存在していたが現在は伝わらない文章のこと)だそうです。

 「常陸国」は、「大化改新」(645年)により646年(大化2年)に設置され、現在の「石岡市」に「国府」と「国分寺」が置かれました。
 そののち「新治」、「白壁」(真壁)、「筑波」、「河内」、「信太」、「茨城」、「行方」、「香島」(鹿島)、「那賀」(那珂)、「久慈」、「多珂」(多賀)の11郡が置かれました。

 「常陸国」の「名」の「由来」ですが以下の2説とされています。

 「然名づける所以は、往来の道路、紅海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の「峰谷」に相続ければ、「直道(ひたみち)」の「義」をとって、名称と為せり。」

 「「倭武(やまとたける)」の「天皇」、東の「夷(えみし)の国」を巡狩はして、新治の県を幸過ししに「国造」「那良珠命(ひならすのみこと)」を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。
 時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。
 すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。
 風俗の諺(ことわざ)に、「筑波岳」に黒雲かかり、「衣袖漬(ころもでひたち)」の国というはこれなり。」

 また「常陸国風土記」が編纂された時代に、「常陸国」は、
 「土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで「常世」の「国」(「極楽」)のようだ」
 と評されていました。
 しかし、「極楽浄土勧」とは対照的に「防人の歌」には、留守宅の妻を思う切なる心情や西国へ向かわなければならない「朝廷」に対する「怒り」が読み取れます。

 「常陸国風土記」では、八の「香島郡」「霰ふる香島の国」として「鹿嶋市」を含む「大洗町」以南について伝えています。
 大きくわけて「鹿島の神」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「童子女の松原」(5月29日のブログ参照)、「白鳥の里」となっています。
 3つの「風土記」の中から今回は、「白鳥の里」を紹介します。

 「白鳥の里」

 「郡家」(「鹿島神宮」前)の「北」三十里のところに、「白鳥の里」がある。
 昔、「伊久米」の「天皇」(「垂仁天皇」)の「御世」に、「天」より飛び来たった「白鳥」があった。
 朝に舞ひ降りて来て、乙女の姿となり、小石を拾ひ集めて、池の堤を少しづつ築き、夕べにはふたたび昇り買えって行くのだが、少し築いてはすぐ崩れて、いたづらに月日はかさむばかりだった。
 さうしてこの乙女らは、
 「白鳥の 羽が堤を つつむとも あらふ真白き 羽壊え」
 (小石を集めて池の堤を作らうとしても、白鳥の羽を抜いて積み上げるやうなもので、この真白き羽はすっかり損はれてしまった。)
 かう歌ひ残して「天」に舞ひ昇り、ふたたび舞ひ降りてくることはなかった。
 このいはれにより、「白鳥の郷」と名付けられた。(以下略)

 最後に「鹿島」の「由来」と思われる「風土記」を記します。

 その南に広がる「広野」を、「角折の浜」といふ。
 由来は、昔、大きな「蛇」がいて、東の「海」に出ようとして、「浜」に穴を掘って通らうとしたが、「蛇」の「角」が折れてしまったといふ。
 そこから名付けられた。
 また別の伝へに、「倭武」の「天皇」がこの「浜辺」にお宿りになったとき、「御饌」を供へるに、「水」がなかった。
 そこで「鹿」の「角」で「地」を掘ってみたら、「角」は折れてしまった。
 ここから名付けられた。(以下略)

 古(いにしえ)より伝えられし「地誌」「常陸国風土記」。
 古き「伝承」の残る「鹿行地域」「鹿嶋市」「潮来市」「神栖市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「常陸国」の「由来」を要約しますと、「陸路」で往来出来るという「直道(ひたみち)」から「常陸国」という「説」と、「倭武天皇」の「故事」で「天皇」が手をお洗いになったところが「袖」が「泉」にぬれてしまったことから「衣袖漬(ころもでひたち)」で「漬す」をとって「常陸国」という2説になります。

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「嫁入り舟」(香取市)(潮来市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「水郷佐原水生植物園」で開催されている「水郷佐原あやめ祭り」と「茨城県潮来市」「前川あやめ園」他で開催されている「水郷潮来あやめまつり大会」期間中に行われている「嫁入り舟」です。

 「水郷」とは、「水」のほとりの「村」、または「河川」や「湖沼」が多くある「景勝地」、特に「千葉県」・「茨城県」にまたがる「利根川」下流域から「霞ヶ浦(かすみがうら)」にかけての「低湿地帯」の「称」のことです。
 明治時代から昭和の初めにかけて「水郷」は「すいきょう」と呼ばれ、「水」のほとりの「村」を指していました。
 このころ「文人墨客」により「日本」の各地で「水郷」と呼ばれている場所がありましたが、その中でも「利根川」「下流」から「霞ヶ浦」にかけての「地域」を「水郷(すいごう)」と呼ぶようになりました。
 現在では、「河川」の「合流部」や「下流」の「三角州地域」、「湖沼」の近くなどの「低湿」な「水辺地域」のことを「水郷」と呼ぶことが多いです。
 また「水郷」では、一般的に「移動手段」として「舟運」が発達していました。

 「水郷」(潮来・香取)では、「利根川」下流には、「利根川」によって持ち運んでくる「土砂」のため「三角洲」ができました。
 江戸時代、天正7年(1579年)時(とき)の「代官」「吉田主馬亮」の「指揮」により、「新田開拓」が始められ、「加藤洲十二橋」のある「加藤洲」が寛永3年(1626年)に整地されたそうです。
 「加藤洲地区」は「千葉県香取市」と「茨城県潮来市」の「県境」を流れる「常陸利根川」の南岸に位置し、地区内を流れる「新左衛門川」の両側に並ぶ「民家」をつなぐように12本の「橋」がかけられています。
 ここでは、「一島二戸」の「生活」が営まれ「隣家」との往復のため設けられた「橋」が、「十二」あることから「十二橋」の「名」がつけられました。

 現在開催中の「水郷佐原あやめ祭り」(5月24日のブログ参照)と「水郷潮来あやめまつり」(5月14日のブログ参照)。
 両「あやめまつり」ともいよいよ「あやめ」の見頃「6月」を迎え、ますます賑わいを見せます。
 「あやめ」「花菖蒲」が咲き誇る「水郷あやめまつり」の「会場」で、「嫁入り舟」が行われます。

 「嫁入り舟」は、「水郷地区」で、昭和30年代まで行われていた「小船」による「嫁入り」です。
 「土地改良事業」をはじめとする「開発事業」が行われる昭和30年前半までは、「水郷地方」は「水路」によって形成された「生活形態」であったことから、「嫁入り」する際の「花嫁」や「嫁入り道具」等を運搬するときにも「サッパ舟」が使われており、これが「嫁入り舟」のはじまりだとされています。

 「水郷佐原水生植物園」の「嫁入り舟」ですが、「新郎」を乗せた「船」が出航、続いて「新婦」を乗せた「船」が続き、2艘の「船」が相前後して「挙式」の行われる「会場」へゆっくりと向かいます。
 「三三九度」「指輪の交換」等の「挙式」が行われた後、「新郎新婦」が同じ「船」に乗り「水郷佐原水生植物園」園内の「水路」を「船」で巡り、「関係者」「観光客」の皆さん方に「お披露目」するそうです。

 「水郷潮来あやめまつり」の「嫁入り舟」ですが、咲き誇る「あやめ」を「背景」に行われ、白い「花嫁衣装」が青い「水面(みなも)」に浮かぶ様は、一幅の「絵」のように美しいそうです。
 この「嫁入り舟」が全国的に知られるようになったのは、昭和31年10月の「松竹映画」「花嫁募集中」とタイアップし「ミス花嫁」を募集したことが「きっかけ」となり、「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」の「大ヒット」によりさらに全国的に知られるようになりました。

 当時「江間(えんま)」という「水路」が網羅されていた「潮来」では、「嫁入り」も「舟」であったそうです。
 しかし、「生活形態」や「交通手段」(「陸運」から「水運」)が変化してしまってからは、「河川」や「水路」(「江間」)も「姿」を消してしまい、「サッパ舟」を使った「嫁入り舟」を見ることが出来なくなってしまったそうです。

 このような中、昭和60年(1985年)に行われた「つくば国際科学技術博覧会」(潮来の日)の際に、「イベント」として「嫁入り舟」を復活させたのがきっかけとなり、現在の「あやめまつり大会」においても「イベント」として行われるようになり、今では「水郷潮来」を代表する「行事」となりました。

 「水郷潮来あやめまつり」の「嫁入り舟」ですが、「前川あやめ園」で行われます。
 まず「潮来花嫁さん」の「記念碑」前に到着後、「船頭」・「仲人(なこうど)」と共に「花嫁」は「園路」を歩き、「前川あやめ園」隣接の「船着場」から、「舟」に乗ります。
 「花嫁」たちは、「祝い舟」に乗って「花婿」の許(もと)に向かいます。
 「嫁入り舟」は「水郷」ならではの「光景」ですが、「新郎新婦」にとって「川」が「バージンロード」になっています。
 「嫁入り舟」「白無垢(しろむく)」の「衣装」を着た「花嫁」を見送ろうと「前川あやめ園」側の川べりには多くの「観光客」や「関係者」の皆さんで賑やかになり、「祝い囃子」の「演奏」の中を船出していきます。
 「花嫁」たちの「祝い舟」が、「花婿」が待つ「向こう岸」の「船着場」に着くと「あやめ園」は「祝福ムード」いっぱいになるそうです。

 ちなみに「嫁入り舟」ですが、「香取市」「水郷佐原あやめ祭り」では、6月3日(日)、9日(土)、16日(土)に行われ、「潮来市」「水郷潮来あやめまつり」では、期間中(5月19日〜6月24日)の「水曜日」「土曜日」「日曜日」に行われています。

 「水郷情緒」溢れる「香取」・「潮来」で行われる「初夏」の「日差し」の中「新たな門出」の「催し」「嫁入り舟」。
 「嫁入り舟」など「イベント」盛り沢山の「旬」の「催し」「水郷佐原あやめ祭り」「水郷潮来あやめまつり」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 今年(2012年)の「潮来市」の「前川あやめ園」の「嫁入り舟」には、過去最多となる38組が参加するそうです。

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