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「星宮神社祭礼」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「星宮神社」で明後日(あさって)の7月28日(土)・29日(日)に開催されます「星宮神社祭礼」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、みどり豊かな恵まれた「大自然」と「歴史」のある「街」です。
 「匝瑳市」の「北部」は、「谷津田」が入り組んだ複雑な「地形」の「台地部」となっており、「里山」の「自然」が多く残されています。
 「匝瑳市」「南部」は、「平坦地」で「市街地」を除いてほとんどが「田園地帯」となっており、「白砂青松」の続く「九十九里浜」(5月11日のブログ参照)に面しています。

 「星宮神社」は、「匝瑳市」「八日市場」に鎮座する「神社」で、「御祭神」は「天之御中主命(アメノミナカヌシノカミ)」を祀っています。
 「星宮神社」の「創建」は建久3年(1192年)とされています。
 「領主」「千葉一族」の「崇敬」をあつめ古くは「妙見宮」として「慈眼院」が「別当寺」を勧めるも、明治の「神仏分離」によって「星宮神社」と改称し、現在に至っています。

 「星宮神社」の「敷地」1013坪の「境内」には、「本殿」(亜鉛板葺)、「拝殿」(亜鉛板葺)が立ち並びます。
 旧「野栄町」一帯は、「千葉一族」だった「椎名氏」の「次男」・「野手次郎胤知」の「地」であったといわれています。
 「星宮神社」は、その「椎名氏」の「氏神」として知られ、「堀川館の跡地」に建てられています。
 「堀川館」とは、「御堀川天皇」「第2皇子」が仁治3年(1242年)以来、この地を領して築いた「城」です。
 「野手氏」による「不意打ち」で落城してから「野手氏」の「所領」になったと推測されています。

 「星宮神社祭礼」は、「中央地区」「篭部田」にある「星宮神社」の「祭り」です。
 7月28日(土)には、「地区内」で「子供」向けの「イベント」が行われ、7月29日(日)には「神輿」の「渡御」が行われ、「出店」も出て「近隣」からも多くの「見物客」が訪れ賑わいます。

 「千葉一族」ゆかりの「神社」「星宮神社」で行われる「祭礼」「星宮神社祭礼」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「星宮神社祭礼」詳細

 開催期間 7月28日(土)・29日(日)

 開催会場 星宮神社 匝瑳市八日市場ハ162

 問合わせ 匝瑳市産業振興課商工観光室 0479-73-0089

 備考
 「星宮神社」の「入口」に、「堀川館跡」という「案内板」が立っています。
 「星宮神社」の現在の「者殿」は正徳4年(1714年)再建を昭和58年に改修したものだそうです。
 「星宮神社」は、「旧号」で「妙見大菩薩」とよばれていました。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1221 |
| 地域情報::匝瑳 | 03:01 PM |
「駒まね」「第17回市場まつり」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「八重垣神社」および「八日市場本通り」で明明後日(しあさって)の7月25日(水)に開催されます「駒まね」「第17回市場まつり」です。

 「匝瑳市」は、平成18年(2006年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併し誕生しました。
 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「東京」からは70km圏、「成田空港」からは「車」で30分の「距離」にあります。
 「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「総面積」は、101.78平方kmで、みどり豊かな恵まれた「大自然」と「歴史」のある「街」です。

 「八重垣神社」は、「匝瑳市」「八日市場」にある「神社」で、「旧社格」は「村社」、「御祭神」は「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」と「事代主命(ことしろぬしのみこと)」と「倉稲魂(うが(か)のみたま)」を祀っています。
 「嵯峨天皇」の弘仁2年(812年)に「物部朝臣匝瑳連足継」公が「鎮守府将軍」としてこの地を廻り、「祖神」たる「物部小事(ものべのおごと)」(「物部匝瑳連」の「祖」)直筆に係わる「八雲の神詠」を奉仕するために「出雲の神」を奉載し、「牛頭天王社」として祀った事に始まるといわれています。
 正中2年(1314年)、永徳元年(1381年)に「社殿」を改修、享禄3年(1530年)に「社殿」を改築し「社名」を「福岡明神」と改め「神輿」を新造して「祇園祭」を執行したのが、今日の「八日市場の祇園祭」(2010年8月2日・2011年8月3日のブログ参照)の「創始」とされています。
 慶長11年(1606年)、元和10年(1624年)、寛文6年(1666年)と「社殿」の「修改築」が行われましたが、寛文6年「冬」に「失火」により「類焼」し、「ご神体」は「別当寺」「見徳寺」に移祭。
 明治維新のさなか、明治元年(1868年)の「神仏分離」によって明治2年(1869年)に「社殿」を造営し、明治5年に「竣工」、明治6年に「村社」に列格し「八重垣神社」と改称して今日に至っています。

 「駒まね」(2011年7月21日のブログ参照)は、「八重垣神社」境内の一隅に「注連縄(しめなわ)」を張って「祭場」をつくり、そこに近所の人々が持ち寄った「青竹」を焼いて、「五穀豊穣」・「商売繁盛」・「無病息災」を祈ります。
 天正15年(1587年)に「紀伊の国」の「商人」「岡田屋惣兵衛」が「八日市場」(福岡)を訪れ、「月岡玄藩」という「武士」に了解を得て、6月12日から「8日間」「市」を開きました。
 「商売上手」な「惣兵衛」は、「駒」(馬)を使って村々を回らせ「客集め」しました。
 この「馬」が帰ってくると「お祭り」も「最高潮」に達しました。
 後に「人」が「馬」の代わりをするようになり「駒真似(こままね)」と呼ぶようになりました。

 「市場まつり」(2011年7月21日のブログ参照)は、旧「市名」「八日市場」の「由来」となっている「市」を復活させて、「商業」を活性化しようと「駒まね」の日にあわせ、平成8年から始まりました。
 「植木市」、「朝市組合」の「新鮮野菜」などさまざまな「商品」が軒を連ねるほか、「イベント」が行われ、「会場」は盛り上がります。

 「第17回市場まつり」は、7月25日(水)17時から21時まで「八日市場本町通り街区」を会場にして行われます。
 「第17回市場まつり」当日は、「本町通り商店街」は「歩行者天国」となり、多くの「出店」が並び、「特設ステージ」では「イベント」が行われるそうです。

 「第17回市場まつり」の「イベント内容」ですが、「新鮮野菜」・「加工品」の「販売」(朝市組合)、「植木の展示即売」(八日市場植木組合)、「八重垣神社」「お守り配布」(「若竹」持参の方先着1000名様)(「本町通り商店街協同組合」・「萬町奉仕会」)、「ユートリーカード」の「ポイントサービス」、「ジャンボ輪投げ」(匝瑳市商業協同組合)、「飲食物」・「水ヨーヨー」の「販売」(商工会青年部)、「手作り」の「竹」の「お札」・「竹笛」・「絵馬」の「販売」、「飲食物」の「販売」(商工会女性部)などが行われます。

 また「市場まつり」では、「特設ステージ」が設けられ、色々な「イベント」が企画されています。
 「特設ステージ」では、「ガールズヒップホップ」、「よさこいソーラン」、「匝瑳市ご当地アイドル」「S☆cute」(2011年11月5日のブログ参照)ライブ、「匝瑳のヒーロー」「ハリキリ戦隊ソーサマン」(3月16日のブログ参照)ショーなどが行われるそうです。
 また「万町」の「新調」「神輿」の披露もあるそうです。

 「江戸時代」から続く由緒ある「祭り」「駒まね」と、「匝瑳市」(旧「八日市場市」)の「商業」を活性化しようと始まった「市場まつり」。
 「匝瑳市」の「夏」を彩る「祭り」が行われるこの機会に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「駒まね」「第17回市場まつり」詳細

 開催日時 7月25日(水) 17時〜21時

 開催会場 八重垣神社および八日市場本通り 匝瑳市八日市場ハ2939

 問合わせ 匝瑳市産業振興課商工観光室 0479-73-0089

 備考
 「駒まね」では、「青竹」を持参した方には、「八重垣神社」の「お札」が配られるそうです。
 「第17回市場まつり」は、「雨天決行」の「イベント」です。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1212 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:28 AM |
「愛宕神社の天馬(あたごじんじゃのてんま)」(匝瑳市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「中央地区富谷」に伝わる「伝説」「愛宕神社の天馬(あたごじんじゃのてんま)」です。

 ひとつ目の「ブログ」「愛宕神社祭礼」でご案内した「愛宕神社」には、以下のような「伝説」が伝わっています。

 「愛宕神社の天馬」

 昔々のある時、福岡村にものすごい火事があった。
 風の強いことと、火元が風上であったために家々をなめるように広がり、人々はただただ、逃げまどうだけであった。
 その時である。
 愛宕神社の扉が開かれて、中から駒に跨(また)がった白髪白衣(はくはつはくい)の神様が現れて石段を駆けおりた。
 駒は、天馬と言われる翼を持った馬だった。
 神様は、上から十二段目の石段で止まり、燃え広がる福岡村を見渡すと、手に持っていた白い杖を振り上げ、何か呪文を唱えた。
 すると天馬は、これに合わせるように、ひと声、
 「ヒヒヒヒーン」
 と嘶(いなな)いた。
 その声が、神社の森から風に乗って天に消えたその時、空は一転して曇り、カミナリがとどろいて雨が降り出した。
 とどまるところを知らなかった火事は、この雨で忽(たちま)ちに消されてしまった。
 神様のおかげで福岡村の半分は、火事からのがれることが出来たのである。
 愛宕神社の石段に今でも残るひづめの跡は、その時の天馬の足跡と伝えられている。

 「火伏せの神」として名高い「愛宕神社」に伝わる「伝説」「愛宕神社の天馬」。
 「伝説」の残る「愛宕神社祭礼」は、今月(7月)23日(月)・24日(火)に行われます。

 備考
 「愛宕神社の天馬」で伝わる「天馬の蹄(ひづめ)」の「跡」は、平成7年の「愛宕神社」「石段改修」により移動し、安置されているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1210 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:40 AM |
「愛宕神社祭礼」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「愛宕神社」で明後日(あさって)の7月23日(月)・24日(火)に開催されます「愛宕神社祭礼」です。

 「愛宕神社」は、全国に約900社ある「神社」で、「総本社」は「京都府京都市右京区」にある「愛宕神社」で、「旧称」は「阿多古神社」であり、現在は「愛宕さん」と呼ばれています。
 「愛宕神社」から発祥した「火防の神」に対する「神道の信仰」のことを「愛宕信仰」と呼ばれています。
 「愛宕山」の「愛宕神社」は、古くから「修験者」によって江戸時代の「愛宕信仰」「日本全国」に広められした。
 中世後期以降、「愛宕の神」は「火伏せ」に「霊験」のある「神」として広く信仰されるようになったそうです。
 「日本全国」で「愛宕」を「社名」につける「神社」は43「都道府県」に約1000社あり、特に「東北地方」に多く分布されています。

 「匝瑳市」の「愛宕神社」の「御祭神」は、「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」ほか「天地開闢」の「神々」12柱で、「宇比地邇神(いひぢにのかみ)」、「須比智邇神(すひぢのかみ)」、「角杙神(つぬぐいのかみ)」、「活杙神(いくぐいのかみ)」、「意富斗能地神(おおとのぢのかみ)」、「大斗乃弁神(おおとのべのかみ)」、「淤母陀琉神(おもだるのかみ)」、「阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)」、「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」、「伊邪那美神(いざなみのかみ)」となっています。
 「愛宕神社」の「創建年代」は不詳で、天保11年の「大火」の際に「ご神体」であった「勝軍地蔵菩薩」が「白馬」に乗って「石段」を下り「村」への「延焼」を食い止めたと伝わっています。
 当時は「愛宕山大権現」と呼称し、「別当」は「持福寺」、明治元年に「神仏分離」し、「愛宕神社」と改称、「持福寺」は「廃寺」となりました。
 また現在の社殿は、江戸後期嘉永2年(1845年)再建を昭和59年に改修したものであります。

 「愛宕神社祭礼」は、近在の人々から「愛宕様」と慕われ、「火伏せの神」として名高い「愛宕神社」では、毎年7月23日・24日に行われている「祭り」です。
 7月23日(月)の「初日」には、「山車巡業」と「神輿」と昔ながらの「衣装」を身につけた「御神幸行列」が行われ、「2日目」の7月24日(火)は、軽快な「囃子」で「神輿」が「各家」に寄る「家送り」が行われ、夕方になると「地区内」は「歩行者天国」となり、さまざまな「イベント」が開催されます。
 また夜には、「神輿」の「最終渡御」が行われるそうです。

 「火伏せの神」を祀る「愛宕神社」に伝わる「愛宕神社祭礼」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「愛宕神社祭礼」詳細

 開催日時 7月23日(月)・24日(火) 10時〜22時

 開催会場 愛宕神社 匝瑳市八日市場ロ398

 問合わせ 匝瑳市産業振興課商工観光室 0479-73-0089

 備考
 「匝瑳市」には、「愛宕神社祭礼」の行われる「愛宕神社」に纏(まつ)わる「愛宕神社の天馬(あたごじんじゃのてんま)」という「伝承」があります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1209 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:39 AM |
「七夕飾り」「ふれあいパーク八日市場」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で明後日(あさって)の7月3日(火)〜7日(土)の期間開催されます「七夕飾り」です。

 「匝瑳市」は「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として有名です。
 「七夕飾り」の飾られる「ふれあいパーク八日市場」(2010年9月11日・2012年5月1日・6月16日のブログ参照)にある「花・植木見本園」では、「花」や「植木」を数多く取り扱っています。
 「花・植木見本園」には「季節」に合わせて大小さまざまな「花」や「苗木」、「植木」を多種取り揃え、週末には「観光客」「地元客」などで賑わっています。
 多種多様な「花苗」や「鉢物」は、「花・植木見本園」「温室」にあり、近頃は「ガーデニングブーム」もあいまって、「車」に乗せて持ち帰ることの出来る「小ぶり」な「鉢物」が人気だそうです。
 「温室」を抜けると、「日本有数の植木のまち」らしく、「匝瑳市」内の「植木生産者」による「植木」が展示・販売されています。
 また「ふれあいパーク八日市場」には「係員」が常駐しており、要望の「植木」があれば、気軽に問い合わせることができます。

 「ふれあいパーク八日市場」では、7月7日の「七夕」に合わせて、「七夕飾り」(7月3日〜7月7日)が飾られるそうです。
 「ふれあいパーク八日市場」「七夕飾り」には、思い思いの「願い事」を書いた「短冊(たんざく)」が「葉竹」に数多く飾られます。

 「七夕」の「風習」は、「全国的」におこなわれており、「短冊」などを飾られる「風習」は、「夏越」の「大祓」に設置される「茅の輪」の「両脇」の「笹竹」に因(ちな)んで江戸時代から始まったもので「日本」以外では見られないそうです。
 また「たなばたさま」の「楽曲」にある「五色の短冊」の「五色」は、「五行説」にあてはめた「五色」で、「緑」・「紅」・「黄」・「白」・「黒」をいうそうです。

 「日本有数の植木のまち」「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「七夕飾り」詳細

 開催期間 7月3日(火)〜7月7日(土)

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」では、「夏休み」期間中、「ザリガニ釣り体験」(7月下旬〜8月下旬毎日を予定)を行うそうです。













| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1179 |
| 地域情報::匝瑳 | 11:24 AM |
「山武姥山貝塚」(横芝光町)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「横芝光町」の「史蹟」「山武姥山貝塚(さんぶうばやまかいづか)」です。

 「横芝光町」は、「千葉県」北東部に位置し、「東京都心」から約70km、「県庁所在地」「千葉市」から約40km、「成田国際空港」からは約20kmの「距離」にあります。
 「横芝光町」の「形状」は東西約5km、南北約14kmと南北に細長く、「面積」は66.91平方kmで、「北」は「香取郡多古町」と「山武郡芝山町」、「東」は「匝瑳市」、「西」は「山武市」に接し、「南」は「白砂青松」の続く「九十九里浜」(5月11日のブログ参照)が広がり、「太平洋」に面しています。

 「横芝光町」の「沿革」ですが、明治22年の「町村制」の「施行」によって、「横芝町」、「大総村」、「上堺村」が誕生し、これら「3町村」が昭和30年2月に合併した旧「横芝町」と、同じく明治22年に「香取郡日吉村」、「匝瑳郡南条村」、「東陽村」、「白浜村」が誕生し、これら「4村」が昭和29年5月に合併した旧「光町」が、平成18年3月27日に合併し、「横芝光町」が誕生しました。

 「山武姥山貝塚」は、「山武郡横芝光町姥山」にある縄文時代中期から晩期にかけての「貝塚」で、縄文晩期の「姥山式土器」の「標式遺跡」です。
 1956年(昭和31年)以来、6回にわたる「発掘調査」が行われ、数多くの「遺物」が発見されました。
 なお、「男性」2人、「女性」2人、「子供」1人の「一家」と思われる5人が悶絶した状態で検出されたことで有名な「市川市」の「姥山貝塚」(国の史跡)と区別するため、「山武姥山貝塚」と呼ばれています。

 「標式遺跡」(type site)あるいは「標準遺跡」(standard site)は、「考古学」上の「遺構」、「遺物」又はその一連となる「関連性」の「集合」として定義される特定の「型式」、「形式」、「様式」、あるいは、「年代」、「文化期」、「文化層」の「命名」、簡単に言えば「時期区分名命名」の「契機」を与えた「遺跡」、あるいは、その「基準」となる「遺構」、「遺物」が検出された「遺跡自身」のことをいうそうです。

 「山武姥山貝塚」は、「台地」上に形成された「貝塚」であり、「直径」約120mの「範囲」に8箇所の「貝層クラスタ」が「谷頭」に面して形成された「点列環状貝塚」と「環状貝塚」との中間と位置付けられており、縄文時代中期から晩期にかけ、今から5000年前に始まり2500年前迄続いた「村」であったと推定されています。
 点在する「貝塚」が全体で「馬蹄形」をなしていますが、時期によって「貝塚」の位置が移動し、最終末になると「貝塚」はほとんどなくなっているそうです。
 「貝」は、「チョウセンハマグリ」、「ダンペイキサゴ」、「ヤマトシジミ」、「ウミニナ」、「バイ」、「シオフキ」を主体とする「半鹹半淡」の「貝塚」です。

 「山武姥山貝塚」周辺には、「中台貝塚」、「鴻ノ巣貝塚」、「木戸場貝塚」、「牛熊貝塚」など多くの「貝塚」があり、東側に縄文時代の「丸木舟」が多数発見されていることで知られた「水系」である「栗山川」(2月18日のブログ参照)と、南側にその「ラグーン」であったと推定される「坂田池」があります。
 また北側には、表情豊かな「人物埴輪」が出土したことで有名な「芝山古墳郡」(5月30日のブログ参照)(「殿塚」・「姫塚」)(6月9日のブログ参照)があります。

 縄文時代晩期の「標式遺跡」「山武姥山貝塚」。
 「貝塚」、「古墳」が数多く残る「横芝光町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山武姥山貝塚」詳細

 所在地  山武郡横芝光町姥山台253ほか

 備考
 「山武姥山貝塚」周辺に流れる「栗山川」の若干「上流」の「多古町」及び「匝瑳市」では、「丸木舟」の「出土例」が多く確認されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1172 |
| 地域情報::匝瑳 | 11:52 AM |
「永田紅蘭詩文書展〜私いろの風〜」「松山庭園美術館」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「松山庭園美術館」で明明後日(しあさって)の6月29日(金)〜7月29日(日)の期間開催されます「永田紅蘭詩文書展〜私いろの風〜」です。

 「松山庭園美術館」(2011年2月25日のブログ参照)は、「芸術家」「此木三紅大」氏の「アトリエ」を公開したものです。
 「松山庭園美術館」の「展示品」は、数々の「名画コレクション」と「茶道具」を中心に展示しています。
 「松山庭園美術館」「庭園」内には「地域」の「文化交流」の「拠点」としての「企画展示館」、「長屋門」、「見晴らし亭」、「茶室」などが点在し四季折々の「自然」を愛でながら「野外彫刻」もお楽しみいただけます。

 「松山庭園美術館」「収蔵作品」は、「ヨーロッパ絵画」、「国内著名作家作品」、「茶道具」、「琴コレクション」などがあります。
 「松山庭園美術館」「庭園」の裏には、「大桑」(高さ、11m、根回り、3.1m)が聳(そび)え、「樹木」(黒松、枝垂れ萩、紅葉の林)や「草木」(さつき、椿(つばき)、桜(さくら)、百日紅(さるすべり)、桔梗(ききょう))など四季を通して楽しめます。

 この度「松山庭園美術館」では、「展覧会」(企画展)として、「銚子」が生んだ「書道家」「永田紅蘭」先生の「展示会」「永田紅蘭詩文書展〜私いろの風〜」を開催します。
 「銚子市」は「日本列島」の「最東端」で、「暖流」と「寒流」のぶつかる激しい「海鳴り」が聴こえる「まち」で、古(いにしえ)より「海の玄関」として賑わい、「文化」も多方面から合流した「処」です。
 この「風土」の持つ「優しさ」と「激しさ」から「日本画」、「版画」など優れた「芸術家」たちを多く輩出してきました。
 「永田紅蘭」先生は、今先人に続く「書道家」として評価され、「芸術」に尽力されています。
 「暖流」と「寒流」の織り成す「銚子の郷土」そのもののように、多彩な「創作活動」を求めて弛(たゆ)まぬ「努力」を続ける「先生」の「創造力」溢れる「作品」が楽しめる「展示会」だそうです。

 「永田紅蘭」先生は、「アカデミック」に対する「創造」、「静」と「動」、「モノクローム」と「色彩」、「暖流」と「寒流」の織り成す「郷土」そのもののように、「先生」はユニークな「創作」を求めて努力を続けています。
 それは今回の「展示作品」にも表れ、「水彩画」や「油絵」といった異なる「ジャンル」に挑戦し、そこから学び取るという「先生」の「書」に対する「真摯(しんし)な姿勢」を感じます。
 「先生」が生まれ持っている「才能」にその「努力」が加わって、「佳き師」にも出会い、「ユニーク」で「自由」な「創作」を恐れぬ「作家」として大きく「個性の花」を開花しており、この「展示会」には「最新作」70点を展示されるそうです。
 なお、「先生」が育てている若き「後輩」「学生たち」の「作品展」も「別室」にて展示しているそうです。

 「展示会」を開催する「永田紅蘭」先生は、「銚子市」在住の「書家」で、「博光書道会評議員」や「詩文書作家協会会員」、「千葉県書道協会会員」、「銚子市文化団体協議会会長」、「銚子書道連盟顧問」を歴任されており、「紅蘭書友会」「主宰」をされています。
 「「水彩画」と「書道」の相性はことのほか良く、「画」のイメージに合った「書体」を選び、一発勝負で「文字」を書き入れる緊張感はたまりません。
 長年学んできた「書道作品」はもちろん、「書」と「絵画」を融合させた新しい「永田紅蘭の世界」をご高覧いただければ幸いです。」
 と「永田紅蘭」先生は呼びかけており、「永田紅蘭詩文書展〜私いろの風〜」では、「書」・「水彩画」・「油彩画」それぞれの「ジャンル」単独の「作品」はもちろん、これらを融合させた「永田紅蘭」先生「独自の世界」(ジャンルを超えた「コラボ作品」)をたっぷり堪能できるようです。

 「初夏」の「松山庭園」の美しさを堪能しながら「私いろの風」を探してみてはいかがでしょうか?

 「永田紅蘭詩文書展〜私いろの風〜」詳細

 開催期間 6月29日(金)〜7月29日(日)

 開催会場 松山庭園美術館 匝瑳市松山630

 開館時間 10時〜17時 (7・8月は〜18時)

 開館日  金・土・日・祝のみ開館

 入館料  一般800円 小中生400円

 問合わせ 松山庭園美術館 0479-79-0091

 備考
 「永田紅蘭」先生は、「松山庭園美術館」「館主」で「日本」のみならず「韓国」や「中国」でも「芸術活動」を展開する「此木三紅大」先生に「油彩画」の「指導」を受けており、「永田紅蘭」先生の「創作」は「書」・「水彩画」・「油彩画」と年々「幅」を広げているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1170 |
| 地域情報::匝瑳 | 08:38 AM |
「ひかり直売所」(横芝光町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「横芝光町」の「特産品直売所」「ひかり直売所」です。

 「横芝光町」は、「千葉県」北東部の「まち」で、2006年3月27日に「山武郡横芝町」と「匝瑳郡光町」が合併し、新たに発足しました。
 「横芝光町」は、「山武郡」に属し、発足時の人口は約2万6000人、「町役場」は旧「光町役場」となっています。
 「横芝光町」に隣接している「自治体」ですが、「山武市」、「匝瑳市」、「山武郡芝山町」、「香取郡多古町」と隣接しています。

 「光町」は、上記記載のように、「匝瑳郡」に存在していた「まち」で、「千葉県」の「太平洋」側、「九十九里平野」の中央の若干「東側」に位置していました。
 「光町」の北部は「標高」が高い場所もありますが、「起伏」は大きくなく、「まち」の中心部は「隣」にあった旧「山武郡横芝町」とほぼ連続していました。
 「光町」は、1954年(昭和29年)5月3日「匝瑳郡」の「南条村」、「東陽村」、「白浜村」、「日吉村」(1948年に「香取郡」から「匝瑳郡」へ)の「4村」が合併して「光町」が誕生し、2006年(平成18年)に「横芝光町」に合併されるまで、「農業」と「観光業」を中心に育まれていました。

 「農業」が盛んな「横芝光町」には、「ひかり直売所企業組合」が運営している「ひかり直売所」があります。
 「ひかり直売所」では、ここでしか買えない「特産品」でいっぱいの「直売所」で、新鮮な「農産物」、「花」、「植物」なども豊富に取り揃えています。

 「ひかり直売所」への「アクセス」ですが、「銚子市」方面から「旭市」にむかい、「匝瑳市」を通り抜け、その先にある「銚子連絡道路」「横芝光I.C」入口交差点の先にあり、「国道126号線」沿いに面しています。

 「ひかり直売所」は、「地元商工会」で実施した「むらおこし事業」がきっかけで設立されたそうです。
 平成7年より「光町」の「農産物」等の「資源」を調査し、「優良物産」を開発しようとする「委員会」の「活動」等を開始し、その結果平成8年に「町特産」の「ひかりねぎ」を加工した「ねぎのど飴」が開発され、「地域活性化」の「気運」の高まるなか、平成9年には、「ねぎ入りソーセージ」も開発されました。
 さらに、「特産品」開発にとどまらず、これら出来上がった「特産品」の「販路」についても「協議」し、多くの「物産展」等にも参加したそうです。
 そして、「夢」は広がり、自らの手で「売場」をつくってはという事になり、「異業種交流」をしていた「町」の「若手農業経営者」も加わり、有志20名で平成12年1月「光町特産品販売企業組合」を設立し、翌月に「直売所」をオープンさせたそうです。

 「ひかり直売所」の取り扱っている「新鮮野菜」、「商品」ですが、「長ねぎ」、「トマト」、「小松菜」、「米」、「切り餅」、「卵」、「地酒」、「サンドイッチ」、「植木」、「花壇用草花」、「ポット苗」、「切り花」、「生花」となっています。
 また「横芝光町」の「特産品」として「ねぎのど飴」、「ねぎ入りソーセージ」、「純米酒」「光鬼米」があります。

 「ひかり直売所」では、「光」のめぐみをうけた「農産物」がたくさんあり、特に「米」は、安全性にこだわって栽培された「光沢米」(コシヒカリ)などを販売しています。
 「横芝光町」の代表的な「農産物」である「秋冬ネギ」も販売しており、「国」の「産地指定」をうけて、おいしさは「格別」だそうです。
 他にも「横芝光町」では、「小松菜」など「旬の野菜」がいっぱいです。
 また「ひかり直売所」では、「毎朝」生みたての「安心」・「安全」・「真心」の「卵」や、「モツ煮込み」、「地ワイン」を始め、町の「逸品」を取り揃えています。

 「ひかり直売所」で取り揃えている「特産品」ですが、「ねぎ入りソーセージ」「光鬼舞」、「直売所オリジナル」「ねきのど飴」、「純米酒」「光鬼舞」です。

 「ねぎ入りソーセージ」「光鬼舞」は、おいしいと評判の「地元産豚肉」と「国」の「産地指定」を受けている「ひかりねぎ」を「素材」にした「本物志向」の「ソーセージ」です。
 「添加物」を極力抑えた「こだわりの逸品」で、「ねぎ入り」の他、「ねぎみそ味」や「ねぎチョリソー」などバラエティーに富んだ「味」もあるそうです。

 「直売所オリジナル」「ねぎのど飴」は、「国」の「産地指定」を受けている「光町特産」の「ひかりねぎ」の「エキス」をぜいたくに抽出してつくったそうです。
 「ねぎのど飴」は、「キンカンエキス」、「しょうがエキス」も加え、「喉(のど)」にやさしい「飴」だそうです。

 「純米酒」「光鬼舞」は、「光町」の「郷土芸能」「鬼来迎(きらいごう)」(2011年8月13日のブログ参照)のように「子々孫々」に伝えられるような「味」を目指しつくられた「地酒」です。
 「光鬼舞」は、「味本位」の「純米酒」で「内容量」は720ml等となっています。

 「横芝光町」の「新鮮野菜」・「特産品」・「逸品」を販売する「直売所」「ひかり直売所」。
 「地元」を愛する皆さんの思いのこもった「逸品」を求めに「横芝光町」に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

 「ひかり直売所」詳細

 所在地  山武郡横芝光町横芝2357-2

 営業時間 9時半〜18時

 問合わせ ひかり直売所 0479-85-1373

 備考
 「ひかり直売所オリジナル」である「ねぎのど飴」の「味」ですが、なつかしくマイルドな「味」だそうです。

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| 地域情報::匝瑳 | 01:22 PM |
「父の日プレゼント」「ふれあいパーク八日市場」(匝瑳市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で明日の6月17日(日)に開催されます「父の日プレゼント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2010年9月11日・2012年5月1日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田インターチェンジ」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」方面に向かい、「東総広域農道」を左折し約7km(成田インターチェンジから約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「千葉東金道路」「横芝光インターチェンジ」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」方面に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(横芝光インターチェンジから約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」では、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「匝瑳産」の「新鮮」な「農特産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「新米まつり」や「里山ハイキング」など、毎週末「イベント」が実施されています。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られており、「ふれあいパーク八日市場」には、「花・植木見本園」や「郷土料理レストラン」「里の香」もあります。

 「父の日(ちちのひ)」は、「父」に感謝を表す「日」で、「日本」においては6月第3日曜日です。
 1909年に「アメリカ」・「ワシントン州」「スポケーン」の「ソノラ・スマート・ドッド」(Sonora Smart Dodd)が、「彼女」を「男手(おとこで)」1つで自分を育ててくれた「父」を讃えて、「教会」の「牧師」にお願いして「父の誕生日」である「6月」に「礼拝」をしてもらったことが「きっかけ」といわれています。

 「彼女」が幼い頃「南北戦争」が勃発し、「父」「ウィリアム」が召集され、「彼女」を含む「子供6人」は「母親」が育てることになりますが、「母親」は「過労」が元で「ウィリアム」の「復員後」まもなく亡くなってしまい、以来「男手」1つで育てられましたが、「ウィリアム」も「子供達」が皆成人した後、亡くなったそうです。
 最初の「父の日」の「祝典」は、その翌年の1910年6月19日に「スポケーン」で行われました。

 当時すでに「母の日」が始まっていたため、「彼女」は「父の日」もあるべきだと考え、
 「母の日のように父に感謝する日を」
 と「牧師協会」へ嘆願(たんがん)して始まったそうです。
 1916年、「アメリカ合衆国」第28代大統領「ウッドロー・ウィルソン」は、「スポケーン」を訪れて「父の日」の「演説」を行い、これにより「父の日」が認知されるようになりました。
 1966年、「アメリカ合衆国」第36代大統領「リンドン・ジョンソン」は、「父の日」を称賛する「大統領告示」を発し、「6月第3日曜日」を「父の日」に定めました。
 1972年になり、「アメリカ」では正式に「国の記念日」に制定されました。

 「母の日」の「花」が「カーネーション」なのに対し、「父の日」の「花」は「薔薇(バラ)」。
 「ソノラ・スマート・ドッド」が「父の日」に「父親」の「墓前」に「白いバラ」を供えたからとされています。
 1910年の「最初」の「祝典」の際には、「YMCA」の「青年」が、「父」を讃えるために、「父」が健在の者は「赤いバラ」、亡くなった者は「白いバラ」を身につけたと伝えられています。

 「ふれあいパーク八日市場」では、「父の日」を記念して「父の日プレゼント」を実施。
 「父の日」当日2000円以上お買い上げ「レシート」持参の「お父様」先着300名に「素敵なプレゼント」が贈られるそうです。

 日頃の「父」への「感謝」を表す「記念日」「父の日」。
 「匝瑳市」「人気」の「産地直売所」「ふれあいパーク八日市場」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「父の日プレゼント」詳細

 開催日時 6月17日(日) 9時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 定休日  年中無休 (但し1月1日・2日を除く)

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」の隣には1.9haの「敷地」を有し、「夏」には見事な「ハス」の「花」が咲く「飯塚沼農村公園」があります。













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| 地域情報::匝瑳 | 08:32 PM |
「西宿鎮座八雲神社(にしじゅくちんざやぐもじんじゃ)の不思議」(匝瑳市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」の「伝説とむかし話」のひとつ「西宿鎮座八雲神社(にしじゅくちんざやぐもじんじゃ)の不思議」です。

 本日(6月14日)に「八雲神社」で行われます「八雲神社宵宮祭」(6月12日のブログ参照)。
 「八雲神社宵宮祭」では、「八雲睦会」の皆さんが「八雲神社」境内で囃した後、「西宿地区」を「交差点」から「弁天池」まで(片道300m)徒歩下座で練り歩きます。

 「八雲神社宵宮祭」の行われる「匝瑳市野手」は、「匝瑳市野田地区」に属しています。
 「野田地区」は「野手」・「小泉」・「新堀」の「三村」を合併して「野田村」が設置されました。
 この「三村」は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」を同一としているばかりでなく、いずれも「農業」を営んで大体、「生活状態」を同じくし、さらに「用水施設」等も関係地域限りで共同関係をもつなど、合併に適当な状態にあったそうです。
 往古、この地方が「野田郷」と呼称されたという「歴史」上の「所伝」に因み、「新村名」を「野田村」と称し、「村役場」を旧「野手村」に置いていたそうです。

 「匝瑳市」「野田地区」「野手」は、「伝説の地」として知られ、今も語り継がれる「西宿鎮座八雲神社の不思議」という「話」があります。
 以下の「話」が「西宿鎮座八雲神社の不思議」となっています。

 明治三十三年(1900年)に、「西宿」に「大火」があって、「集落」の中央に祀(まつ)られている「八雲神社」も全焼した。
 「大火」の数日前のこと、「拝殿」の「屋根」に黒い異様な「人影」のあるのを見つけた。
 夜のこと、しかもこともあろうに「お宮」の「屋根」にのぼるとはけしからんと「里人」が集まって、一時は大騒ぎとなった。
 が、どこに消えたのか、その「影」はどこにも見当たらなかった。
 そして境内は、また元の静けさに戻った。
 当時「野手」の「地」は、「花柳会(かりゅうかい)」のはなやかな時代だったので、「花柳会」通いの「人」の「いたずら」として片付けてしまった。
 その数日後に起こったのが「大火」であった。
 「火事」を知った「八雲神社」の「神主」はおおいに驚き「お宮」に駆けつけた。
 「お宮」の手前数十メートルのところまで行ったとき、道の右側に「編笠」があるのに気付いた。
 この「大火」に「編笠」など問題でもあるまいに、その「笠」を取り上げたとたん、現れたのが「背」の低い「樽」に納められた「八雲神社」の「ご神体」であった。
 二度驚き、かつ喜び「御神体」を奉じて一目散(いちもくさん)に「六社大神」に向って走り、ひとまず「神前」に奉斎(ほうさい)した。
 後日の「話」であるが、「集落民」、「御神体」は「神主」が移したと思っていたが、事実はそうでなかった。
 「お宮」のなかから外にお移しした「人」がわからなかった。
 いうなら「神業」でもあったのか と語り合ったという。
 (「野坂町史」付録より抜粋)

 「匝瑳市」「野田地区野手」に伝わる「伝説」「西宿鎮座八雲神社の不思議」。
 「伝説の地」で行われます「八雲神社宵宮祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「八雲神社宵宮祭」は、19時から21時まで行われます。
 「八雲神社宵宮祭」の「最後」は「神社」前で盛大に祭り「囃子」を奏でて、威勢よく「跳ね太鼓」等を披露するそうです。

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| 地域情報::匝瑳 | 01:16 PM |

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