本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」の「伝説とむかし話」のひとつ「西宿鎮座八雲神社(にしじゅくちんざやぐもじんじゃ)の不思議」です。
本日(6月14日)に「八雲神社」で行われます「八雲神社宵宮祭」(6月12日のブログ参照)。
「八雲神社宵宮祭」では、「八雲睦会」の皆さんが「八雲神社」境内で囃した後、「西宿地区」を「交差点」から「弁天池」まで(片道300m)徒歩下座で練り歩きます。
「八雲神社宵宮祭」の行われる「匝瑳市野手」は、「匝瑳市野田地区」に属しています。
「野田地区」は「野手」・「小泉」・「新堀」の「三村」を合併して「野田村」が設置されました。
この「三村」は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」を同一としているばかりでなく、いずれも「農業」を営んで大体、「生活状態」を同じくし、さらに「用水施設」等も関係地域限りで共同関係をもつなど、合併に適当な状態にあったそうです。
往古、この地方が「野田郷」と呼称されたという「歴史」上の「所伝」に因み、「新村名」を「野田村」と称し、「村役場」を旧「野手村」に置いていたそうです。
「匝瑳市」「野田地区」「野手」は、「伝説の地」として知られ、今も語り継がれる「西宿鎮座八雲神社の不思議」という「話」があります。
以下の「話」が「西宿鎮座八雲神社の不思議」となっています。
明治三十三年(1900年)に、「西宿」に「大火」があって、「集落」の中央に祀(まつ)られている「八雲神社」も全焼した。
「大火」の数日前のこと、「拝殿」の「屋根」に黒い異様な「人影」のあるのを見つけた。
夜のこと、しかもこともあろうに「お宮」の「屋根」にのぼるとはけしからんと「里人」が集まって、一時は大騒ぎとなった。
が、どこに消えたのか、その「影」はどこにも見当たらなかった。
そして境内は、また元の静けさに戻った。
当時「野手」の「地」は、「花柳会(かりゅうかい)」のはなやかな時代だったので、「花柳会」通いの「人」の「いたずら」として片付けてしまった。
その数日後に起こったのが「大火」であった。
「火事」を知った「八雲神社」の「神主」はおおいに驚き「お宮」に駆けつけた。
「お宮」の手前数十メートルのところまで行ったとき、道の右側に「編笠」があるのに気付いた。
この「大火」に「編笠」など問題でもあるまいに、その「笠」を取り上げたとたん、現れたのが「背」の低い「樽」に納められた「八雲神社」の「ご神体」であった。
二度驚き、かつ喜び「御神体」を奉じて一目散(いちもくさん)に「六社大神」に向って走り、ひとまず「神前」に奉斎(ほうさい)した。
後日の「話」であるが、「集落民」、「御神体」は「神主」が移したと思っていたが、事実はそうでなかった。
「お宮」のなかから外にお移しした「人」がわからなかった。
いうなら「神業」でもあったのか と語り合ったという。
(「野坂町史」付録より抜粋)
「匝瑳市」「野田地区野手」に伝わる「伝説」「西宿鎮座八雲神社の不思議」。
「伝説の地」で行われます「八雲神社宵宮祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?
備考
「八雲神社宵宮祭」は、19時から21時まで行われます。
「八雲神社宵宮祭」の「最後」は「神社」前で盛大に祭り「囃子」を奏でて、威勢よく「跳ね太鼓」等を披露するそうです。
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地域情報::匝瑳 | 01:16 PM |