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「菅原大神秋の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で明日、11月25日(日)に開催されます「菅原大神秋の例祭」です。

 「菅原大神」は、「銚子市」「桜井町」にある「桜井里」の「鎮守」です。
 「菅原大神」は、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「社殿」は昭和62年に建立されています。
 「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真(すがわらのみちざね)」公を祀る「神社」です。
 「学問の神様」として知られ、地元では、「天神さま」と呼ばれていますが、「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に「有名」です。

 「菅原道真」公は、「日本」の平安時代の「律令(りつりょう)官人」「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」です。
 「参議」・「菅原是善(これよし)」の「子」で「母」は「伴(とも)氏」で、「本名」は「三」、「幼名」を「阿呼(あこ)」といい、後世「菅公(かんこう)」と尊称され、「従(じゅ)二位右大臣」に至っています。

 承和(じょうわ)12年6月25日、「父祖三代」の輝かしい「伝統」をもつ「学者の家」に生まれた「道真」公は、幼少より「文才」に優れ「向学心」も旺盛で、862年(貞観4年)18歳で「文章生(もんじょうしょう)」となり、870年「対策(たいさく)」に及第、877年(元慶1年)「文章博士(はかせ)」となりました。
 その間、「少内記」に任じて多くの「詔勅(しょうちょく)」を起草、また「民部少輔」として「朝廷」の「吏務」に精勤する一方で、「文章」の「代作」や「願文」の「起草」など盛んな「文章活動」を続け、880年「父」「是善」の没後は、「父祖」以来の「私塾」である「菅家廊下(かんけろうか)」を主宰、「宮廷文人社会」の中心となりました。
 886年(仁和2年)「讃岐守(さぬきのかみ)」に転出しましたが、翌年「宇多(うだ)天皇」の「即位」に際して起こった「阿衡(あこう)事件」には深い「関心」を寄せ、入京して「藤原基経」に良識ある「意見書」を提出、「橘広相(たちばなのひろみ)」のために弁護しました。
 この「事件」が「権臣」の「専横」を示すとともに、「政治」に巻き込まれた「文人社会」の「党争」に根ざしていただけに「心」を痛めたそうです。

 890年(寛平2年)「国司」の「任期」を終えた「道真」公は、「藤原氏」の「専権」を抑えて「天皇中心」の「理想政治」を実現しようとする「宇多天皇」の「信任」を受け、帰京の翌年には「蔵人頭(くろうどのとう)」に抜てきされ、893年「参議」、「左大弁」に登用されて「朝政」の「中枢」に携わることになりました。
 たとえば894年「遣唐大使」に任命されたものの、「唐朝」の「混乱」や「日本文化」の「発達」などを理由に奈良時代から続いた「遣唐使」を廃止し、895年「渤海使(ぼっかいし)」を応接、その翌年には「検税使」の「可否」を再評議するべき「奏状」を奉るなどの「事績」を残しています。
 その間も「官位」は「昇進」を続け、「中納言」、「民部卿」、「権大納言」、「春宮大夫」、「侍読」などの「任」に当たっていました。
 897年「宇多天皇」は譲位しましたが、その「遺誡(いかい)」により「醍醐(だいご)天皇」は「藤原時平」とともに「道真」公を重用、899年(昌泰2年)「時平」の「左大臣」に対して「道真」公を「右大臣」に任じました。

 しかし当時の「廷臣」には「儒家」としての「家格」を超えた「道真」公の「栄進」をねたむ者も多く、900年には「文章博士」「三善清行」の「辞職勧告」に接しています。
 また他氏を着々と排斥してきた「藤原氏」にとって「道真」公は協力な「対立者」とみなされており、901年(延喜1年)「従二位」に叙してまもなく、「政権」と「学派」の「争い」のなかで「時平」の「中傷」によって「大宰権帥(だざいごんのそち)」に左遷されました。
 そして「大宰府」「浄妙院」(俗称「榎寺(えのきでら)」)で謹慎すること2年、「天皇」の「厚恩」を慕い「望郷」の「思い」にかられつつ、延喜3年2月25日「配所」で没し、「福岡県」「大宰府市」「安楽寺」に葬られました。

 「菅原道真」公は、このように「政治社会」では挫折しましたが、「学者」・「文人」としての「道真」公は死後、「学問の神」と崇められてきたように、当時から高く評価されていたそうです。
 また「独自」の「構成」をもつ「類聚国史(るいじゅうこくし)」の「撰修(せんしゅう)」はとくに有名であり、「日本三代実録」の「編集」にも参加、「文学上」の「業績」は「文道の大祖、風月の本主」と尊敬され、その「詩文」は「菅谷文草」「菅家後集」にまとめられています。

 「菅原道真」公は、「和歌」も巧みで、配流されるとき詠んだ「東風(こち)吹かば〜〜」の「歌」は古来「人口」に膾炙(かいしゃ)しました。
 「菅原道真」公は、その晩年が悲惨であっただけに死後の「怨霊(おんりょう)」に対する「恐れ」は強く、まもなく「本位本官」に復し、993年(正暦4年)「正一位太政大臣」を贈られるとともに、「天満天神(てんまてんじん)」として「全国的」に信仰されました。

 「菅原大神」では、毎年「春」(2月25日)(2011年2月21日のブログ参照)と「秋」(11月25日)(2011年11月23日のブログ参照)に行われる「例祭」には、多くの人で賑わいます。
 「菅原大神秋の例祭」ですが、明日10時から「菅原大神」で行われます。
 「菅原大神秋の例祭」が賑わう「理由」ですが、「菅原大神」には、大小90個の「子産石」と呼ばれる「丸い石」が納められており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると言い伝えられているからだと言われています。

 「菅原大神」の「子産石」は、昔ははなれたところにあった「お産の神様」である「玉依姫(たまよりひめ)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていたそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されて以来、「子授けのご利益」を得たいと願う人々が参詣するようになったそうです。

 昭和60年上半期(1985年4月1日から10月5日)に放映されました「NHK連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(沢口靖子さん)が「子産石」を抱く「シーン」が放映されたことで、「その名」が「全国的」に広まったそうです。

 「子宝」を願う「人」や、めでたく「子宝」に恵まれ「お礼参り」に訪れる「人」で賑わう「菅原大神」の「例祭」「菅原大神秋の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神秋の例祭」

 開催日時 11月25日(日) 10時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「京都府」にある「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」は、「菅原道真」公を「御祭神」として10世紀なかばに創立されたものだそうです。











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| 地域情報::銚子 | 04:37 PM |
「八中フェスティバル」「創作劇」「延命姫」(銚子市)
 本日三つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市立第八中学校」で明日、11月24日(土)に開催されます「八中フェスティバル」「創作劇」「延命姫(えんめいひめ)」です。

 「銚子市立第八中学校」は、「銚子市」の「公立中学校」で、「学区」は、「新町」、「八木町」、「小浜町」、「親田町」、「常世田町」となっています。
 「銚子市立第八中学校」は、昭和22年、「海上郡豊岡村」「豊岡中学校」として「開校」。
 昭和31年には、「銚子市立豊岡中学校」、昭和34年には、「銚子市立第八中学校」に改称し、「豊岡地区」の「公立中学校」として「地域」に愛され、親しまれてきました。
 「銚子市立第八中学校」は、来年(2013年)3月31日をもって66年の「歴史」に「幕」を閉じ、来年(2013年)4月から「銚子市立第四中学校」と合併することが決定しています。

 「銚子市立第八中学校」では、「閉校記念事業」として「八中フェスティバル」を開催します。
 「八中フェスティバル」は「八中よ 永遠に 輝け 〜心に刻む 八中の秋〜」を「テーマ」に行われ、「八中フェスティバル」の「ハイライト」として「能楽師」に学ぶ「創作劇」「延命姫」(6月3日のブログ参照)を開催するそうです。

 「創作劇」「延命姫」は、「屏風ヶ浦」(5月20日のブログ参照)の「通漣洞(つうれんどう)」(6月3日のブログ参照)で、「悲恋」に打ちひしがれ「身」を投げたと伝えられる「延命姫」伝説をアレンジした「作品」だそうです。
 「延命姫」の「伝説」は、「川口神社」(2010年12月22日のブログ参照)に伝わる「伝承」で、以下のようになっています。

 昔、銚子垣根の長者・根本右兵衛義貞に、延命姫(えんめいひめ)という娘がいた。
 この地に来ていた陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明(あべのせいめい)は、姫に一目惚れ(ひとめぼれ)され、一度は結婚の約束をしたが、顔にあざがあって容貌(ようぼう)が極めて醜(みにく)かったので晴明は姫を嫌(きら)って長者の家を逃げ出し、銚子半島一帯を逃走した末、親田村(おやだむら=現在の銚子市親田町)の「新福寺」に入った。
 そのことを知った姫が寺に向かったが、知らせを受けた晴明は、上永井村(現在の千葉県旭市=旧海上郡飯岡町)の向後主水宅(こうごもんどたく)の大仏壇の中に隠(かく)れてしまった。
 追いかけて来た姫は主水に「晴明はいない」と断られた為、半狂乱になって通漣洞(つうれんどう=銚子市・千葉県旭市(旧海上郡飯岡町)境)に行ってみると、晴明の脱ぎ捨てた衣類とわらじがあった。
 騙(だま)されたと知らない姫は、晴明を慕(した)うあまり海に身を投げて死んでしまった。
 やがて、姫の歯や櫛(くし)が川口に流れ着いたが、土地の人たちがこれを憐(あわ)れみ、この丘に埋め、祠(ほこら)を建てて白紙(歯櫛)明神と名付けた。

 「銚子市立第八中学校」では、「八中」最後の「生徒」14名一人一人が輝く存在となるための教育活動として、本校の締めくくりにふさわしい「創作劇」を公演するそうです。
 また、「地域」の方々に観覧していただき、多くの惜しみない「声援」をいただくことで、14名の「生徒」の「母校」に対する「誇り」と、「地域」を愛する「心情」を育む「目的」に行われます。

 「創作劇」には「向後勇輝」君・「小池水月」さんら「銚子市立第八中学校」3年生14名全員が出演し、「銚子出身」の「能楽師」「安田登」氏、「笛方」の「槻宅聡」氏、「狂言師」の「奥津健太郎」氏らの「指導」を受けて、今年(2012年)3月から「稽古」を続けてきたそうです。

 「創作劇」「延命姫」は、「銚子ふるさと大使」(2011年8月28日のブログ参照)である「能楽師」「安田登」氏が「銚子市立第八中学校」「学区」内にある「通漣洞」が「舞台」となった「延命姫」伝説を「モチーフ」に、「閉校記念イベント」のために新たに「創作」したものです。
 「銚子市立第八中学校」は、今年度まで16年間にわたり「鳴り物」学習に取り組み続けてきたそうです。
 例年1月8日に開催される「常世田薬師」(2011年1月11日のブログ参照)「ご開帳」(1月7日のブログ参照)の際には、「鳴り物」の「演奏」を披露しています。
 この「鳴り物」学習の「集大成」として、「笛」や「鼓」を使う「能」を「基調」とした「演劇」となっています。

 今回の「創作劇」「延命姫」は、「悲話」として伝えられる「延命姫」がやがて「竜神」となって「地域」を守り、「全員」が「大漁節」を踊って「感謝」を捧げるという「ハッピーエンド」の「ストーリー」に「大変身」しており、「能」の「物語」や「要素」を加え「1時間」の「大作」に仕上げたそうです。
 これは、昔「ロックバンド」でも活躍した「安田登」氏の「アイディア」で、「プログレシブロック」の「オリジナル曲」が「チェロ」と「太鼓」の「演奏」で登場する「場面」もあるそうで、「延命姫」の「伝説」をなぐさめる「神事」としての「能」の「基本姿勢」も貫かれているそうです。

 「創作劇」「延命姫」は、13時30分「開場」、14時00分から「上演」の「予定」となっており、「銚子市立第八中学校」では、3000名余りの「卒業生」の「写真」を展示している「回顧展」も「同時開催」するそうです。

 昭和22年に開校し、65年の「長き」にわたって、「伝統」ある「教育活動」を展開し、本年度閉校となる「銚子市立第八中学校」の「閉校記念事業」「八中フェスティバル」「創作劇」「延命姫」に「声援」を送りに来校下さいとのことです。

 備考
 「ふるさと大使」の「安田登」氏ですが、「銚子市立第一中学校」出身で、「小見川高校」「教諭」を経て、「能」の「舞台」を見て「感激」して「能の世界」に入り、以来30年、その「技」に「磨き」をかけ、現在は「銚子市内」の「小中学生」にも「伝統芸」の「素晴らしさ」を伝えているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 11:37 PM |
「第13回イルミネーション点灯式」(LIGHTING CEREMONY)(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「JR銚子駅前ロータリー」で明日、11月24日(土)に開催されます「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」(LIGHTING CEREMONY)です。

 「銚子駅」は、「銚子市西芝町」にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)の「駅」で「銚子電気鉄道」(銚子電鉄)(2月11日のブログ参照)の「駅」でもあります。
 「銚子駅」は、「JR」と「銚子電気鉄道」の「両社」の「共同使用駅」であり、「JR東日本」が「駅」を管轄しています。

 「銚子駅」は、「JR東日本」の「総武本線」の「終着駅」かつ、「銚子電鉄」の「銚子電気鉄道」の「起点駅」であり、「両線」の「接続駅」となっています。
 「JR銚子駅」には「総武本線」の「列車」のほか、隣の「JR松岸駅」で分岐する「JR成田線」の「列車」も「運転系統上」乗り入れています。
 「JR佐倉駅」以西の「千葉方面」へは、「JR総武本線」経由と「JR成田線」経由のどちらでも行けますが、「JR佐倉駅」までの「営業キロ」は「JR総武本線」回りの方が短く、「所要時間」も「JR総武本線」回りの方が短くなっています。
 そのことにより、「JR総武本線」経由の「列車」が「JR銚子駅」を先発した「JR成田線」経由の「列車」よりも「JR佐倉駅」以南では先行することがあります。

 「銚子駅」の「駅構造」ですが、「単式ホーム」1面1線と「島式ホーム」1面2線および「島式ホーム」の一方を切り取った「切欠きホーム」1線、計2面4線の「ホーム」を持つ「地上駅」です。
 「銚子駅」「3番線」の「南側」には数本の「留置線」と「保線用施設」があるほか、「JR松岸駅」寄りにも数本の「留置線」があります。
 「2・3番線ホーム」の「一番奥」に「銚子電鉄用」の「切欠きホーム」(1面1線)があります。
 「1番線ホーム」は、「銚子駅」「駅舎」直結、「2・3番線ホーム」・「銚子電鉄線ホーム」は「跨線橋」(エレベーター設置)で連絡しています。
 「JR総武本線」は「CTC線区」でありますが、「銚子駅」は「運転取扱駅」であり「信号制御」は「信号扱所」にて行っています。

 「JR銚子駅」は、「直営駅」であり、「管理駅」として「JR総武本線」の「JR干潟駅」〜「JR松岸駅」間の「各駅」及び「JR成田線」の「JR下総豊里駅」、「JR椎柴駅」を管理しています。
 「JR銚子駅」は、「みどりの窓口」(営業時間6時30分〜18時40分)・「指定席券売機」「設置駅」で、2009年3月14日に「Suica対応自動改札機」が導入されました。
 ただし、「銚子電鉄線」では「Suica」などの「ICカード」は利用できません。
 これらで「自動改札機」を入場して「銚子電鉄線」に「乗車」した「場合」は、「車掌」または「着駅」でその旨を申し出て「運賃」を支払い、後で「ICカード対応駅」で「出場処理」をしてもらわなければならないようです。

 「銚子駅」の「駅舎」は、「終戦」直後「旧海軍」の「香取航空基地」の「飛行機格納庫」を転用し、「駅」に改築したものであり、その「名残」で「天井」が高い「構造」となっています。
 また「銚子駅」は、かつては「新生駅」への「貨物線」および「各醤油会社」への「専用側線」が分岐していましたが、「新生駅」への「貨物線」は1978年3月31日限りで廃止されています。
 「銚子駅」は、2007年2月1日〜4月30日の「ちばディスティネーションキャンペーン」に併せて「駅舎」の「リニューアル工事」がなされ、「NEWDAYS」・「多機能トイレ」・「待合室」や「銚子市観光協会」などが新設されました。

 「銚子駅前イルミネーション点灯式」は、「銚子駅前イルミネーション事業」の「点灯式」です。
 「銚子駅前イルミネーション事業」は、「銚子商工会議所青年部」の「皆さん」が「企画」、「運営」、「管理」している「事業」で、今年(2012年)で「13回目」を数える「恒例」の「事業」です。

 「銚子駅前イルミネーション事業」では、「銚子市」の「玄関口」である「JR銚子駅」また「銚子駅前」に12万球の「電球」(LED電球を含む)を飾り付け、「イルミネーション」を約2ヶ月間(2012年11月24日(土)〜2013年1月31日(木))点灯します。
 また「銚子駅前イルミネーション事業」の「初日」には「盛大」な「点灯式」が行われています。

 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」(LIGHTING CEREMONY)は、11月24日(土)に「銚子駅前ロータリー」内で開催されます。
 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」に先駆け、「主催者」の「銚子商工会議所青年部」は、「100人de点灯プロジェクト」と題して「イルミネーション点灯者」を10月1日(月)〜10月29日(月)の「期間」「応募」していました。
 「100人de点灯プロジェクト」の「応募資格」ですが、「銚子市内」の「小学生」以下の「お子様」で、「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」当日「保護者」の「方」が付き添えることが「応募資格」であったそうです。
 「点灯式参加者」の「当日スケジュール」ですが、

 14時30分 点灯者受付開始(16時00分受付終了)

 16時00分 点灯者集合 銚子駅隣「居酒屋はなの舞」横受付及び集合スペース設置
 点灯方法等の説明

 16時30分 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」開始

 17時00分 イルミネーション点灯 (点灯式終了後、自由解散)
 となっています。

 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」の「内容」ですが、「銚子商業吹奏楽部」による「コンサート」、「ご当地キャラクターのお披露目、表彰式」、、「100人de点灯セレモニー」、「100人deカウントダウン点灯」となっています。
 なお「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」終了後、「銚子駅前ロータリー」は「光のイルミネーション」で色づきます。

 「銚子駅前イルミネーション事業」の「イルミネーション」「点灯時間」は、16時30分から21時30分となっています。
 なお「イルミネーション」には、「ソテツ」、「街路樹」、「噴水」、「時計台」の「エリア」があり、色とりどりの「灯り」が灯ります。

 「銚子駅前」の「冬の風物詩」「光の幻想的なイルミネーション」が見事な「イベント」「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」。
 「銚子市」に訪れた際にはご覧になってみてはいかがでしょうか?

 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」詳細

 開催日時 11月24日(土) 15時40分〜17時00分

 開催会場 JR銚子駅前ロータリー 銚子市西芝町1438

 問合わせ 銚子商工会議所 青年部 0479-25-3111

 備考
 「第13回銚子駅前イルミネーション点灯式」は、「雨天決行」で行われる「イベント」となっています。

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| 地域情報::銚子 | 01:00 PM |
「旅の手帖」「2012」「12月号」「保存版」「達人&読者が選ぶ62湯」「もう一度行きたい温泉ランキング」「絶景!温泉」に掲載されました。(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、「旅行情報誌」「旅の手帖」「2012」「12月号」「保存版」「達人&読者が選ぶ62湯」「もう一度行きたい温泉」「絶景!温泉」に「千葉県」「犬吠埼潮の湯温泉」「犬吠埼観光ホテル」「海辺の露天風呂」の「記事」「写真」掲載です。

 「旅の手帖(たびのてちょう)」は、「交通新聞社」の「月刊誌」で、「毎月10日」に発売されています。
 「旅の手帖」は、「旅行系」の「情報誌」で、「最新」の「観光情報」を提供している他、「旅好き」の「有名人」の「インタビュー」等を載せています。

 「旅の手帖」「最新号」(2012年12月号)では、「巻頭特集」「達人&読者が選んだもう一度行きたい温泉」を掲載。
 数ある「旅先」から「もう一度行きたい」と選ばれるのは、それはなかなかの「魅力」があったということで、ある「意味」「お墨付き」の「温泉」ということ。
 今回はそんな「もう一度」を、「幣誌」をはじめ「各方面」で活躍する「温泉達人たち」や「本誌連載執筆陣」に聞いてご紹介。
 さらには「平成24年」「2月号」〜「8月号」での「読者アンケート」の「結果」も「大公開」して、「全62湯」をご紹介しています。
 またそれぞれの「もう一度」と思わせる「魅力」を探っています。

 「飯出敏夫」さんは、「全国」の「温泉」を知る、「温泉紀行ライター」で、「気持ちのいい眺め」の「温泉」を「セレクト」して「雑誌」等で紹介しています。
 「旅の手帖」「2012」「12月号」「絶景!温泉」「第8回」では「当館」の「写真」「文」を作成されました。

 「飯出敏夫」さんは、「アメーバブログ」で「温泉達人」・「飯出敏夫のブログ」を公開しています。
 「ブログ」では「温泉達人・飯出敏夫」さんが「日本全国」の「温泉」や「街」を訪れた「情報満載」で、「日帰り温泉」、「立ち寄り湯」、「温泉宿」、「秘境」などの「利用詳細」や「付近」の「グルメ」や「歴史」まで、「温泉」を中心とした様々な「ホット情報」を「温泉達人」の「目線」で紹介されています。
 「真」の「温泉」を求めて「飯出」さんは今日も新たな「旅」に出発しています。

 「ニッポン文化応援マガジン」として、「旅の楽しさ」、「日本の美しさ」を伝えるべく、「現地発」の「オモシロ情報」や、「現地」に出掛けたらからこそわかる「風土」を紹介している「旅行情報誌」「旅の手帖」。
 「書店」「コンビニ」にてお買い求めてみては、いかがでしょうか?

 備考
 「旅の手帖」「編集部」では「ツイッター」でも「公式アカウント」を持ち、「情報発信」されています。






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| 地域情報::銚子 | 12:45 PM |
「銚子港鮪(まぐろ)フェア」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港第三卸売市場」で明後日(あさって)の11月11日(日)に開催されます「銚子港鮪フェア」です。

 「銚子」は、古来「零細漁業」と「農耕」とによって「生計」を営む「一漁村」でありましたが、「紀州方面」の「人々」が来応するようになってから開発されたといわれています。
 「銚子漁港」(1月24日のブログ参照)の「第一魚市場」は昭和7年に完成し、爾来「千葉県下」、「地元漁船」はもとより、「北」は「北海道」から、「南」は「沖縄」にいたる「沖合漁船」の「一大根拠地」として60有余年の「歴史」を経て、「飛躍的発展」をとげています。
 「銚子沖」は「寒暖流」の「交錯」する「好漁場」であるため、「水揚げ」される「魚種」が「豊富」です。

 そのため「銚子漁港」は、「全国屈指」の「水揚量」を誇る「全国有数」の「漁場」、「水産」、「加工」、「流通」の「総合漁業基地」となっています。
 「銚子漁港」で水揚げされる主な「魚」は「鰯(イワシ)」(5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(9月1日のブログ参照)、「鯖(サバ)」、「鰹(カツオ)」、「鮪(マグロ)」(11月8日のブログ参照)、「鯛(タイ)」、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2010年10月17日・2011年2月14日のブログ参照)などで「鮮魚」として「全国各地」に送られています。

 「銚子漁港」「第三卸売市場」は、「銚子市産業まつり」(10月25日のブログ参照)の「会場」としても知られており、近くには「水産物卸売センター」「ウォッセ21」(2010年8月25日・2011年4月25日・7月29日のブログ参照)、「銚子ポートタワー」(2010年9月30日・2011年11月30日のブログ参照)があり、「銚子」の「観光スポット」のひとつです。

 「銚子漁港」は、「日本有数」の「水揚量」を誇る「近海もの」の「生まぐろ」が「水揚げ」されることで知られています。
 「日本有数」の「水揚量」を誇る「銚子漁港」「第三卸売市場」を「会場」に「銚子港まぐろフェア」を開催します。

 「銚子港まぐろフェア」は、「銚子港まぐろまつり」の「オープニングイベント」として「銚子漁港」「第三卸売市場」で開催される「イベント」です。
 「銚子港まぐろフェア」の「イベント内容」ですが、「マグロの解体ショー」、「販売・試食コーナー」、「美味しいまぐろ食べ尽くし」、「オープニングライブ」、「お楽しみ抽選会」が行われます。

 「マグロの解体ショー」ですが、「文字通り」「マグロ」を「会場」で「解体」する「迫力」ある「イベント」です。

 「販売・試食コーナー」では、「まぐろ特売」(メバチ、メカジキ、ビンチョウ)、「まぐろの試食」・「あら汁」ほか、「地元野菜の販売」、「銚子推奨品販売」などが行われるそうです。

 「美味しいまぐろ食べ尽くし」では、「にぎり寿司」500円(メバチ2、メカジキ2、ビンチョウ2)、「三色丼」500円(メバチ、メカジキ、ビンチョウ)、「ビンチョウまぐろの唐揚げ」100円が「会場」で「限定」500食で販売され、味わうことが出来ます。

 「オープニングライブ」ですが、「フィッシュロックバンド漁港」の「ライブ」が行われます。
 「フィッシュロックバンド漁港」は、その「バンド名」が示す通り、「フィッシュロックバンド」として「日本の食文化を魚に戻し鯛(たい)!」を「合言葉」に活動。
 「メンバー」は、実際に「鮮魚商」を兼業しており、「魚介類」や「海」を「テーマ」にした「楽曲」の「発表」を行うそうです。
 「ライブ」では「独自」の「パフォーマンス」を披露し、従来の「ミュージシャン」が、「各楽曲」の「世界観」や「メッセージ」などを、「リスナー」の「聴覚」と「視覚」に頼って伝えていたのに対して、「漁港」はさらに「味覚」と「臭覚」という「概念」を取り入れているそうです。

 「大抽選会」は、「豪華景品」が盛り沢山な楽しい「イベント」だそうです。

 「日本有数」の「生まぐろ」が「水揚げ」される「銚子漁港」で開催される「銚子港まぐろフェア」。
 この機会に「銚子漁港」「第三卸売市場」にお出かけしてみてはいかがでしょうか?

 「銚子港まぐろフェア」詳細

 開催日時 11月11日(日) 9時〜12時

 開催会場 銚子漁港第三卸売市場 銚子市川口町2-6528

 問合わせ 銚子市漁港協同組合 0479-22-3200

 備考
 「銚子港まぐろフェア」は、「雨天決行」の「イベント」です。
 また「会場」には「駐車場」がありませんので「公共交通機関」を利用下さいとのことです。




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| 地域情報::銚子 | 11:34 AM |
「銚子港まぐろまつり」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市内の参加店」で明後日(あさって)の11月11日(日)〜12月16日(日)の期間開催されます「銚子港まぐろまつり」です。

 「銚子漁港」(1月24日のブログ参照)は、「銚子市」にある「港」で「特定第3種漁港」で、「年間水揚量」では「全国有数」の「漁港」です。
 「銚子漁港」の「管理者」は「千葉県」で、「漁港番号」は「1930010」、「漁業協同組合」は「銚子市漁業協同組合」、平成8年9月に「銚子地区」の「6単協」(銚子市、銚子市黒生、銚子市外川、銚子市西、銚子市川口、千葉県小型機船底)が合併されて設立された「組合」です。
 「銚子市漁業協同組合」「組合員数」ですが、287名の「内」「正組合員」177名、「准組合員」110名で、「組合員」は、6つの「魚種別部会」(旋網部会、鰹鮪部会、底曳部会、小型底曳部会、一本釣部会、各種部会)に所属しています。

 「銚子漁港」で「水揚げ」される「主」な「魚種」ですが、「鰯(イワシ)」(5月17日のブログ参照)2002年(平成14年)度「陸揚量」「全国1位」、「鯖(サバ)」2002年度「陸揚量」「全国1位」、「鯵(アジ)類」2002年度「陸揚量」「全国4位」、「秋刀魚(サンマ)」(9月1日のブログ参照)2002年度「陸揚量」「全国4位」、「鮪(マグロ)」(11月8日のブログ参照)2002年度「陸揚量」「全国6位」、「鮫(サメ)」2002年度「陸揚量」「全国3位」、「メヌケ」2002年度「陸揚量」「全国5位」となっています。

 「銚子港まぐろ」とは、「銚子港」で「生」で「水揚げ」された「メバチ」、「メカジキ」、「ビンチョウマグロ」のことです。

 「銚子港まぐろまつり」では、「銚子市内」の「飲食店」などが「銚子港」で「水揚げ」された「まぐろ」を使った「料理」を提供するそうです。
 (詳しくは「銚子市HP」「観光情報」「銚子港まぐろまつり」「銚子港まぐろフェア」をご参照下さい。)
 また「銚子港まぐろまつり」では、「期間中」「銚子市内」の「参加店」で「銚子港まぐろ」を使った「お料理」を「ご注文」の「お客様」に「銚子港お魚カレンダー」を「プレゼント」するそうです。

 また「銚子港まぐろまつり」「初日」には、「銚子漁港」「第三卸売市場」で「銚子港まぐろフェア」が開催されます。

 「銚子港まぐろまつり」が行われるこの機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「銚子港まぐろまつり」詳細

 開催期間 11月11日(日)〜12月16日(日)

 開催会場 銚子市内の参加店

 問合わせ 銚子いわしまつり・生まぐろまつり実行委員会事務局 0479-24-8707

 備考
 「銚子港まぐろまつり」で「銚子港まぐろ」を使った「料理」を「注文」の「お客様」に「プレゼント」される「平成25年版銚子港お魚カレンダー」は、「先着」2000名様限定だそうです。





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| 地域情報::銚子 | 10:46 AM |
「鮪(まぐろ)」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港」で水揚げされる「魚」で「人気」の「魚種」「鮪(まぐろ)」です。

 「銚子漁港」(1月24日のブログ参照)は、「全国」でも屈指の「水揚げ高」を誇る「首都圏」の「台所」です。
 「銚子漁港」では「魚」を大量に積んだ「船」が「全国各地」から入港しています。
 そんななか、たくさんの「漁船」が連なる「銚子漁港」の前で「軒」を接しているのが「銚子の台所」「魚市場」(2010年12月18日・2011年1月26日のブログ参照)です。
 「魚市場」には活気に溢れ、その日に「水揚げ」された「魚介類」を次々と売りさばいていきます。
 「観光客」の皆さんでも「旬の味」を気軽にお買い求めできるように、「水産物卸売センター」「ウォッセ21」(2010年8月25日・2011年4月26日のブログ参照)があり、「ウォッセ21」では、「旬の魚」が「市価」よりも2〜3割ほど安く買い求められ、まとめて買うと更に安くしてもらえる場合もあります。

 「銚子漁港」に「水揚げ」される「魚」ですが、「春」は「上り鰹(ノボリガツオ)」、「目光(メヒカリ)」(正式名称「アオメエソ」)、「真鯛(マダイ)」、「ホウボウ」、「ヤリイカ」(2010年11月20日のブログ参照)、「サヨリ」、「花鯛」、「マトウダイ」が水揚げされ、「夏」には「磯ガキ」(5月28日のブログ参照)、「マコガレイ」、「鰯(イワシ)」、「バイガイ」、「本鮪(ホンマグロ)」、「キハダマグロ」、「メイタカレイ」が「水揚げ」されています。
 「秋」は「秋刀魚(サンマ)」(9月1日のブログ参照)、「鯖(サバ)」、「車海老(クルマエビ)」、「マルガニ」(正式名称「ヒラツメガニ」)、「サルエビ」、「ボタンエビ」、「舌平目(シタビラメ)」が水揚げされ、「冬」には、「ビンナガマグロ」(ビンチョウマグロ)、「鮟鱇(アンコウ)」(2010年11月19日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「メカジキ」、「金目鯛(キンメダイ)」(2010年10月17日・2011年2月14日のブログ参照)、「ムツ」、「メヌケ」、「蛸(タコ)」、「メバチ」、「メダイ」が水揚げされており、1年を通して様々な「旬の魚」が水揚げされています。

 「銚子」では、「銚子漁港」で「日本有数」の「生まぐろ」が水揚げされることで知られています。
 平成23年の「水揚高」ですが、「鮪(まぐろ)」は26390.6t、「ビンナガマグロ」(ビンチョウマグロ)は3814815.4t、「キハダ」は1695375.8t、「マカジキ」は302432.6t、「メカジキ」は841495.9tが「水揚げ」されています。

 「鮪」は、「条鰭綱(じょうきこう)」「スズキ目」「サバ科」「マグロ属」(学名・genus Thunnus)に分類される「硬骨魚類」の「総称」です。
 「暖海棲」、「回遊性」の「大型肉食魚」で、「日本」を始めとする「世界各地」で重要な「食用魚」として漁獲されています。

 「鮪」の「諸言語名」ですが、「日本語」の「マグロ」は「目」が大きく黒い「魚」であること(目黒-まぐろ)に「由来」するという「説」があります。
 他にも保存する事が困難とされた「鮪」は、「常温」に出しておくとすぐに黒くなってしまう為、「まっくろ」→「まくろ」→「まぐろ」と言われるようになったと言う「説」も存在します。

 「マグロ属構成種」ですが、「マグロ属」には8種が含まれており、「黒鮪(クロマグロ)」、「大西洋黒鮪(タイセイヨウクロマグロ)」、「南鮪(ミナミマグロ)」、「メバチ(目鉢)」(メバチマグロ)、「ビンナガ(鬢長)」(ビンナガマグロ)、「キハダ(黄肌・黄鰭)」(キハダマグロ)、「コシナガ(腰長)」、「タイセイヨウマグロ(大西洋鮪)」となっています。

 「黒鮪(クロマグロ)」(学名・Thunnus orientals 英名・Pacific bluefin tuna)は、「全長」3m・「体重」400kgを超えています。
 「クロマグロ」・「タイセイヨウクロマグロ」・「ミナミマグロ」の3種 は「マグロ属」の中でも「胸鰭」が短く、「第二背鰭」に届かない点で「他種」と区別できます。
 「クロマグロ」は、「日本近海」を含む「太平洋」の「熱帯・温帯海域」に広く分布しています。
 「クロマグロ」は、「地方」によっては「若魚」を「ヨコ」、「ヨコワ」(近畿・四国)、「メジ」(中部・関東)、「ヒッサゲ」、「成魚」を「ホンマグロ」(東京)、「シビ」、「クロシビ」(各地)などと呼んでいます。
 「クロマグロ」は、「希少価値」も高く「最上等種」とされ、「高価格帯」で取引されています。
 また「クロマグロ」は、「魚体」の「色」と「希少価値」から「黒いダイヤ」とも呼ばれています。

 「タイセイヨウクロマグロ(大西洋黒鮪)」(学名・Thunnus thynnus 英名・Northern bluefin tuna)「全長」4.5m・「体重」680kgに達し、「マグロ属」、ひいては「サバ科」でも「最大種」です。
 「タイセイヨウクロマグロ」は、「地中海」・「黒海」を含む「大西洋」の「熱帯・温帯海域」に分布しています。
 「タイセイヨウクロマグロ」は、「IUCNレッドリスト」で「絶滅危惧種」の「DD」(情報不足)に記載されています。

 「ミナミマグロ(南鮪)」(学名・Thunnus maccoyii 英名・Southern bluefin tuna)「別名」「インドマグロ」と言われ、「全長」2.5mに達しています。
 「ミナミマグロ」は、「南半球」の「南緯」60度までの「亜熱帯・温帯海域」に分布しています。
 「ミナミマグロ」は「身の脂」が「豊富」で、「寿司ねた」に好んで用いられますが、「IUCNレッドリスト」では「CR」(絶滅危惧IA類・最も絶滅が危惧される動物のランク)に記載されています。

 「メバチ(目鉢)」(メバチマグロ)「学名・Thunnus obesus 英名・Bigeye tuna」は「全長」2mほどの「中型種」です。
 「メバチ」は、「他種」より太いずんぐりした「体型」、大きな「目」、長い「胸鰭」を持っています。
 「和名」「メバチ」や「英名」「Bigeye tuna」は、大きな「目」に「由来」しています。
 「キハダ」は、「日中」は「他」の「マグロ」より「深い層」を泳ぎますが、「夜」は「表層」に上がってきて、「赤道」から「南北」に「緯度」35度の「範囲」に多く生息しています。
 「世界的」な「漁獲量」は「キハダ」に次ぎますが、「メバチ」は、「日本」での「流通量」は「最多」で、「店頭」に並ぶ「機会」も多いです。
 「メバチ」の「地方名」ですが、「バチ」(東北・関東)、「メブト」(九州)、「幼魚」は「各地」で「ダルマ」とも呼ばれています。
 「メバチ」は、「IUCNレッドリストVU」(絶滅危惧?類)となっています。

 「ビンナガ(鬢長)」(ビンナガマグロ)「学名・Thunnus alalunga 英名・Albacore tuna」は、「体長」1m程の「小型種」です。
 「ビンナガ」の「称」は「長大」な「胸鰭」を「鬢(もみあげ)」に見立てたもので、「トンボ」の「翅」に見立てた「トンボ」、「シビ」等の「異称」もあります。
 「ビンナガ」は、「赤道」から「南北」に「緯度」10-35度の「熱帯・亜熱帯海域」に広く分布しています。
 「ビンナガ」は、「身」は「淡いピンク色」でやや「水っぽく」、「酸味」があり、「鶏肉」に似ることが「欧米」での「需要」が高く、「缶詰」などの「加工食品」で多く流通しています。
 また「ビンナガ」は、「生食」の「需要」も高まっていて、一部「すし屋」では「ビントロ」という「名前」で販売されています。
 「ビンナガ」は、「IUCNレッドリストDD」(情報不足)となっています。

 「キハダ(黄肌・黄鰭)」(キハダマグロ)「学名・Thunnus albacares 英名・Yellowfin tuna」ですが、「日本近海」では「全長」1-1.5mほどのものが多いですが、「インド洋産」は「全長」3mに達するものもいます。
 「キハダ」は、「第二背鰭」と「尻鰭」が「黄色」で「鎌状」に長く伸び、「体表」もやや「黄色」を帯びています。
 「キハダ」は、「赤道」から「南北」に「緯度」35度の「範囲」に多く生息し、「マグロ類」の中では「コシナガ」と並んで特に「熱帯・表層」を好むそうです。
 「キハダ」の「漁獲量」は「8種」の中で「最多」で、「缶詰」などの「材料」として「重要」であります。
 「キハダ」の「身」は、「トロ」に当たる「部分」がなく、「脂肪」が少ないそうです。
 「キハダ」の「若魚」は「キワダ」(東京・和歌山)と呼び区別され、「地方名」は「ゲスナガ」(静岡)、「イトシビ」(高知)、「若魚」は「キメジ(木目地)」とも呼ばれます。
 「キハダ」は、「IUCNレッドリストLC(軽度懸念)」となっています。

 「コシナガ(腰長)」(学名・Thunnus tonggol 英名・Longtail tuna)は、「全長」1mを超えるものもいますが、60cmほどのものが多く、「マグロ」としては「小型種」です。
 「コシナガ」は、「和名」通り「尾柄」が長く、「他種」よりも「体型」が細長いそうです。
 「コシナガ」は、「インド太平洋」の「熱帯・亜熱帯海域」に分布し、「日本近海」では「夏季」に捕獲され、「主」に加工して用いられています。
 「コシナガ」は、「外観」のよく似た「ヨコワ」(クロマグロの幼魚)と混同されますが、「ヨコワ」の「漁期」は「春・秋」であり、「コシナガ」は「胸鰭」が長いことでも区別できます。
 「コシナガ」は、「西日本」では「ヨコワ」の「鮮魚」としての「消費」がありますが、「コシナガ」の「食味」は「ヨコワ」より劣り、「市場」では「ヨコワもどき」「にせヨコワ」と「呼称」されることがあり、「九州」では「トンガリ」とも呼ばれています。

 「タイセイヨウマグロ(大西洋鮪)」「学名・Thunnus atlanpicus 英名・Blackfin tuna」は、「全長」1m程度の「小型種」で、「大西洋」「西岸」に分布しています。

 「日本国内」の「主」な「鮪」の「陸揚げ港」ですが、(上位5港・平成14年度)
 1. 焼津漁港 (静岡県)
 2. 三崎漁港 (神奈川県)
 3. 勝浦漁港 (和歌山県)
 4. 気仙沼漁港(宮城県)
 5. 塩釜漁港 (宮城県)

 「日本国内」の「主」な「生マグロ」の「陸揚げ港」ですが、(上位5港・平成14年度)

 1. 勝浦漁港 (和歌山県)
 2. 塩釜漁港 (宮城県)
 3. 気仙沼漁港(宮城県)
 4. 銚子漁港 (千葉県)
 5. 境漁港  (鳥取県)

 となっています。

 「鮪」は、「刺身」、「寿司種」、「焼き魚」、「ステーキ」、「缶詰」などと幅広く用いられています。
 また「鮪」は「背中側」と「腹側」では「脂肪」の「含有量」が異なり、「部位」によって「赤身」、「中トロ」、「大トロ」と呼ばれています。
 「鮪」は「目玉」な「頭肉」、「カマ」(えらの周り)、「尾の身」、「内臓」なども「食味」が良く、「産地」を中心に食べられています。

 「日本人」に古くから親しまれ、好まれ、「部位」によって様々な「食感」や「食味」が楽しめる「魚種」「鮪(マグロ)」。
 「生マグロ」が多く「水揚げ」されている「銚子漁港」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 かつて「マグロ漁船」といえば「重労働」・「高収入」の「代名詞」でありました。
 そのため「大金」が要る場合には「マグロ漁船に乗せる」などという「言い回し」も用いられました。
 しかし近年では「輸入量」の「増加」や、「養殖もの」の「流通」等により、必ずしも「高収入」ではなくなってきているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 11:32 PM |
「銚子菊花展」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」で明明後日(しあさって)の11月1日(木)〜12日(月)の期間開催されます「銚子菊花展」です。

 「銚子ポートタワー」(2010年9月30日のブログ参照)は、珍しい「ツインタワー」で、「銚子漁港」(1月24日のブログ参照)のすぐ前に立ち、「高さ」は飛び抜けて高くはありませんが、「周囲」に遮(さえぎ)るもののない壮大な「風景」が見渡せます。
 「天気」の良い「日」には、どこまでも続く「太平洋」、「夕日」に染まる「利根川」(2011年10月8日のブログ参照)など、まさに「絶景」が広がり、「感動的」な「素晴らしい」「銚子」の「景色」に出会える「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「高さ」57.7mの「ツインタワー構造」で、「3・4階」の「展望館」からは、上記のように雄大な「太平洋」、そして「漁船」の「出入り風景」など「漁港」ならではの「景観」を楽しむことができ、遠く「鹿島灘(かしまなだ)」(6月16日のブログ参照)を望むことができます。
 「銚子ポートタワー」「外観」は、「ハーフミラー」で覆われ「総反射ガラス張り」で「おしゃれ」な「タワー」です。

 「銚子ポートタワー」1階には、「インフォメーション」・「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があり、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」ま用意されており、2階には「展示ロビー」が設けられていて、「展示会」・「イベント」・「催事」などに使われています。

 「菊」は、「キク科」「キク属」の「植物」です。
 「菊」は、「秋」に咲く「花」ですが、「短日性植物」で「電照」などを用いた「作型」の「分化」により、周年供給されており、「食用」にする「もってのほか」などの「品種」もあります。

 「菊」の「花言葉」は「高貴」で、一般に「日本」で「観賞用」「多年草植物」として発展した「系統」、「品種」群を「和菊」、「西ヨーロッパ」に渡り育種されて生まれた「系統」、「品種」群を「洋菊」と呼びます。
 一般に「洋菊」の方が「丈夫」で、「鑑賞園芸的」には「和菊」、「生産園芸的」には「洋菊」が中心に栽培されていて、また「切花」としては「温室」での「電照栽培」で「周年」出荷されています。
 「菊」は、「薔薇(バラ)」、「カーネーション」とともに「生産高」の多い「花卉」です。

 「日本」では、「薬草」や「観賞用植物」として平安時代より用いられ、「宮中」では「菊の節句」とも呼ばれる「重陽の節句」(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、現在でも「皇室園遊会」(観菊御宴)として行われています。
 「日本」で「菊」の「栽培」が盛んになったのは、「栽培」の「プロセス」が「冬」に「芽」をとり、「春」に植え、「秋」に観賞するといった具合で、「イネ」の「栽培」と「類似」していることが「影響」しているとの「説」があります。
 現在では「各地」に「愛好会」ができる一方で、「秋」にはそれらが「主催」の「品評会」が開かれています。

 また「菊」は、「物品」への「意匠」として用いられることも多く、「後鳥羽上皇」が「身の回り」のものに施したことにより「天皇」および「皇室」の「紋」となったといわれ、鎌倉時代には「蒔絵」や「衣装」の「文様」として流行しました。
 「日本」の南北朝時代以降には「天皇」より下賜されることにより「公家」や「武家」の「間」で「家紋」として使用されるようになったそうです。
 一方「フランス」、「ポーランド」、「クロアチア」等の一部の「ヨーロッパ諸国」において「白菊」が「墓参」に用いられています。
 「日本」や「中国」、「韓国」でもこの「影響」を受けて「葬儀」の際の「献花」には「菊」が用いられることが多く、この「習慣」の「影響」で「病気見舞い」に「菊の花」を贈ることは「タブー」とされることがあります。
 「菊の花弁」が「放射線状」に並んだ「形状」に由来する「慣習的」な「呼び名」があり、「アンモナイト」の「化石」のことを「菊石」といったり、また「陶芸」や「そば打ち」での「材料」の「練り方」に「菊練り」があるそうです。

 「銚子菊花展」は、「銚子菊花会」の皆さんが出展している「菊花」の「展示会」です。
 「銚子菊花展」は、毎年「秋」に「銚子ポートタワー」を「会場」にして開催され「恒例」の「催し」で「ファン」の間で「人気」のある「イベント」です。
 「銚子菊花展」では、「銚子菊花会」「会員」の「皆さん」が丹精を込めて育てた「菊花」を展示、鑑賞できます。

 「秋節感」を感じる「恒例」の「展示会」「銚子菊花展」。
 この機会に「銚子ポートタワー」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「銚子菊花展」詳細

 開催期間 11月1日(木)〜12日(月)

 開催会場 銚子ポートタワー 銚子市川口町2-6385-267

 開館時間 8時半〜17時半(入館は30分前まで)

 料金   大人 350円 小中生 200円 65歳以上 300円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉五ヵ年計画」の「一環」で建てられたもので、もともとここには、「日本」で「最初」の「無線電信局」である「銚子無線電信局」であった「場所」で「無線電信発祥の地」(1月19日のブログ参照)です。










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| 地域情報::銚子 | 12:40 PM |
「濱口梧陵(はまぐちごりょう)」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」の「偉人」のひとり「濱口梧陵(はまぐちごりょう)」です。

 「濱口梧陵」(文政3年6月15日(1820年7月24日)〜1885年(明治18年)4月21日)は、「紀伊国広村」(現「和歌山県」「有田郡広川村」)出身の「実業家」・「社会事業家」・「政治家」で、「梧陵」は「雅号」で、「字」は「公輿」、「諱」は「成則」です。
 「醤油醸造業」を営む「濱口儀兵衛家」(現「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照))「当主」で、「七代目濱口儀兵衛」を名乗りました。
 また「津波」から「村人」を救った「物語」「稲むらの火」(2010年12月12日のブログ参照)の「モデル」としても知られています。

 「濱口梧陵」は、「紀州湯浅」の「醤油商人」である「濱口分家」・「七右衛門」の「長男」として生まれます。
 「濱口梧陵」は、12歳で「本家」(濱口儀兵衛家)の「養子」となって、「銚子」に移ります。
 「濱口梧陵」はその後、若くして「江戸」に上って「見聞」を広め、「開国論者」となったそうです。
 「濱口梧陵」は、「海外留学」を志願しますが、「開国直前」の「江戸幕府」の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して「事業」を行いました。
 嘉永5年(1852年)、「同業」の「濱口吉右衛門」(東江)・「岩崎重次郎」(妙岳)とともに「広村」に「稽古場」「耐久舎」(現在の「和歌山県立耐久高等学校」)を開設して「後進」の「育成」を図り、嘉永7年(1854年)頃、「七代目濱口儀兵衛」を相続したそうです。

 「稲村の火」ですが、安政元年11月5日(1854年)夜、「安政南海地震」の「津波」が「広村」に襲来した後に、「梧陵」は自身の「田」にあった「藁(わら)の山」に「火」をつけて安全な「高台」にある「広八幡神社」への「避難路」を示す「明かり」とし、速やかに「村人」を誘導することができ、結果として「村人」の9割以上を救ったそうです。
 この「故事」から、「津波」から「命」を救えるかは、「情報」の「伝達」の「速さ」が関わっているという「教訓」を残しており、これをもとに作られた「物語」が「稲むらの火」として知られています。

 またこの「災害」の後、「梧陵」は破損した「橋」を修理するなど復旧につとめたほか、当時では最大級の「堤防」・「広村堤防」を約4年をかけて修造。
 この「大土木工事」は、荒廃した「被災地」からの「住民離散」を防ぐ「意味」を持つとともに、将来再び襲来するであろう「津波」に備えての「防災事業」であったそうです。
 「広村」の「復興」と「防災」に投じた「4665両」という莫大(ばくだい)な「費用」は全て「梧陵」が「私財」を投じたものであり、のちに「小泉八雲」は「生ける神(A Living God)」と賞賛(しょうさん)しています。

 「濱口梧陵」は、当時としては「巨大な堤防」の「建設」の際に「住民百世の安堵を図る」との「言葉」を残しており、「堤防完成」から88年後の1946年(昭和21年)、「広村」を「昭和南海地震」の「津波」が襲いましたが、この「堤防」のために「被害」を減らすことができたそうで、「梧陵」の「活躍」をたたえ、「広村堤防」には「感恩碑」(1933年建立)が建てられています。
 現在「広川町」では毎年11月に「津波祭」を行い、「梧陵」の「遺徳」をしのぶとともに「災害」の「記憶」と「災害」への「備え」を伝えています。

 大規模な「津波被害」が出た2004年12月の「スマトラ島沖地震」によって、「稲むらの火」の「物語」が想起されるとともに、その「モデル」となった「史実」の「濱口梧陵」の「事績」が注目されました。
 「NHK」「歴史情報番組」「その時歴史が動いた」(2005年1月12日)では、「百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇」を放送し、「広村堤防築造」を中心に「梧陵の生涯」を紹介しました。
 「番組中」で「解説」の「ゲスト」として出演した「河田惠昭」(京都大学防災研究所教授)は、現代のように「災害対策」に「関心」が払われていない「時代背景」(2005年当時)において、「災害対策」の「目的」で、「公共事業」ではなく「一民間人」の「発案」と「私財」をもって「広村堤防建設」が実施されたことを非常に画期的(かっきてき)と評価しています。
 また2005年の「スマトラ島沖地震」「津波」後に開かれた「ASEAN緊急会議」に出席した当時の「首相」・「小泉純一郎」は、「シンガポール代表」から「濱口梧陵」の「功績」を尋ねられ、それ以降、「東南アジア」で「知名度」があがりつつあるそうです。

 「濱口梧陵」はさまざまな「社会事業」を手がけましたが、とくに「医学」への「支援」を厚く行っています。
 「梧陵」の「支援」と「影響」を受けたひとりが、「関寛斎」です。
 「寛斎」は1856年(安政3年)、「佐藤泰然」の「推薦」によって「銚子」で「医院」を開業し、「梧陵」との「知遇」を得ました。
 当時流行していた「コレラ」の「防疫」に「意」を傾けていた「梧陵」は、「寛斎」を「江戸」の「西洋種痘所」(後の「東京大学」「医学部」)に赴(おもむ)かせ、「伊藤玄朴」、「三宅艮斎」(「三宅秀」の「父」)の下で「コレラ」の「予防法」を学ばせ、「銚子」での「コレラ防疫」に「業績」をあげました。
 なお「西洋種痘所」が焼失すると、1859年に「梧陵」は「種痘所」の「再開」のために「300両」を寄付しています。

 その「成果」により、「梧陵」は「寛斎」を「経済的」に支援し、1860年(万延元年)「長崎」に留学させ、「蘭学医」・「ポンペ」のもとで1年間学んだ「寛斎」は、1862年(文久2年)、「銚子」に戻りました。
 「梧陵」は「寛斎」に「長崎」での「留学」を続けるよう勧めましたが、「寛斎」は翌1863年に「徳島藩」の「藩医」となり「徳島」へ移住しました。
 「寛斎」はのちに「梧陵」の「勧め」に従わなかったことを悔いたといわれています。
 「梧陵」は1862年に出版された「医学書」「七新薬」(「司馬凌海」著、「関寛斎」校)の「出版」に関わる「費用」を援助するなど、「日本」の「近代医学」の「発展」にも深く関わっています。

 「濱口梧陵」は、1868年(慶応4年)には、「商人身分」ながら「異例」の「抜擢」を受けて、「紀州藩」「勘定奉行」(のちの「出納長」に相当)に任命され、後には「藩校教授」や「大参事」(のちの「副知事」に相当)を歴任するなど、「藩政改革」の「中心」に立って「紀州藩」・「和歌山県経済」の「近代化」に尽力しました。
 その後、1871年(明治4年)には、「大久保利通」の「要請」で「初代」「駅逓頭(えきていのかみ)」(のちの「郵政大臣」に相当)に就任しますが、半年足らずで辞職しています。
 1880年(明治13年)、「和歌山県」の「初代」「県議会議長」に就任、そして「国会」開設に備えて、「木国同友会」を結成したそうです。
 1885年(明治18年)にかつての「夢」であった「世界旅行」に行くも、「アメリカ」・「ニューヨーク」で病没しました。
 (享年66(満64歳没))

 「梧陵」らが創立した「耐久舎」の「伝統」は、現在の「耐久高校」や「耐久中学校」に受け継がれています。
 当時の「耐久高校」は(校長は寳山良雄)、「国内」に留まらず「韓国」等からの「留学生」も受け入れる等「革新的」な「校風」であったようで、「文部大臣」・「小松原英太郎」や「伊藤博文」の「補佐」を勤めた「イェール大学」「教授」・「ジョージ・トランブル・ラッド」(「外国人」として初めて「旭日勲章」を授かる)らの「訪問」を受けたそうです。
 「ラッド」は、当時の「広村」を訪れた「紀行文」等を記した「日本の稀日」を1910年(実際の「訪問」は1907年)に「アメリカ」で出版しているそうです。

 「多方面」で活躍した「濱口梧陵」は、「銚子市」「妙福寺」(2011年4月27日のブログ参照)の「門前」、「ヤマサ醤油工場」に隣接した一角に「梧陵」の「功績」と「人格」を顕彰した「碑」があります。
 この「碑」は明治30年に建立された「題額」の「梧陵 濱口君紀徳碑」の「文字」は「梧陵」の「友人」でもあった「勝海舟」が自筆したもので、さらに「日本最初」の「文学博士」の「重野安繹(やすつぐ)」の「撰文」、「近代」の「芸術書道」の「祖」と言われる「日下東作」の「書」によるこの「碑」は当時、その「建立」においては「日本最高」の「組み合わせ」とも言われているそうです。

 この「碑文」は「漢文」で「内容」がわからない等の「ご指摘」が以前からあり、この度(たび)「地元郷土史研究家」の「関根昌吾」先生の「協力」のもと、「漢文」の「読み下し」を掲載した「説明板」を「碑」の前に設置し、併せて「案内用」の「石柱」が建てられました。

 「幕末」から「維新」にかけ、「近代日本」の「一偉人」として「日本」の「発展」のために「力」を尽くした「濱口梧陵」。
 「梧陵」の「功績」と「人格」を顕彰した「碑」「濱口梧陵徳碑」は「ヤマサ醤油」の一角に佇んで立っています。

 備考
 「濱口梧陵」は、「JIN〜仁〜」で重要な「理解者」である「緒方洪庵」の「支援者」として登場し、「ペニシリン」の「製造量産」、及びその後の「主人公」達の「活動」に「多額」の「援助」を行いました。
 なお「JIN〜仁〜」「ドラマ版」では、「主人公」の「仁」が「幕末」に「ヤマサ醤油」が存在していたことに感動する場面があるそうです。
 また「ヤマサ醤油工場」敷地内「工場見学センター売店」(2011年5月15日のブログ参照)では、「稲村の火」(本)や「稲村の火」(限定醤油)など豊富なラインナップが並び、「人気の観光スポット」になっています。













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| 地域情報::銚子 | 12:36 PM |
「10月の温泉ファン感謝デー」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、当館「犬吠埼観光ホテル」で来週、10月31日(水)に開催する「10月の温泉ファン感謝デー」です。

 毎月月末(つきづえ)に開催しています「温泉ファン感謝デー」。
 「温泉ファン感謝デー」とは、日頃からご利用いただいている「お客様」(ファン)に「感謝」するために行っている「恒例」の「イベント」です。
 「温泉ファン感謝デー」「利用時間」ですが、朝10時から14時(終了)までとなっており、「時間内」に「当館自慢」の「天然温泉」を「無料」でご利用いただけます。

 「温泉ファン感謝デー」の「ご利用」の「手順」ですが、「当館ロビー」前「受付」にて、「お客様」の「お名前」、「ご住所」、「ご連絡先」(「電話番号」ないし「携帯電話番号」)を記入後、「お履き物」を「当館スリッパ」に履き替え、そのまま「天然温泉」の「大浴場」「露天風呂」となります。
 なお「温泉ファン感謝デー」では、「タオル」・「バスタオル」は「お客様」各自での「ご持参」となりますのでご注意下さい。
 (「バスタオル」・「タオル」の「貸出」は500円)

 また「温泉ファン感謝デー」では、「海」の見える「宴会場」2会場を「湯上がり処」「休憩所」として開放。
 さらに「宴会場」「酉明(とりあけ)」にて「カラオケ」を「無料」で利用可能。
 「お客様」(ファン)の楽しいひとときをお過ごしいただけるように準備しています。
 なお「カラオケ」を利用される際は、「順番」を守って「皆」で楽しく歌って下さい。
 (14時で終了となりますのでご注意下さい。)

 また「温泉ファン感謝デー」当日は、各種「定食」(普段の日と変わらず「刺身定食」・「天ぷら定食」・「天丼」各1000円、「金目定食」1800円)をご用意するほか、「温泉ファン感謝デー」当日限定の「500円ランチ」も用意しています。

 また「当館」では、「天然温泉」の「大浴場」「脱衣所」内と「湯上がり処」に「マッサージ機」があり「無料」で利用できます。
 (「マッサージ機」は「順番」を守ってご利用下さい。)

 盛り沢山の「犬吠埼観光ホテル」恒例の「イベント」「温泉ファン感謝デー」に皆様のお越しを「スタッフ一同」お待ちしております。

 備考
 10月31日(水)に開催される「10月の温泉ファン感謝デー」終了後「休館日」となりますのでご注意下さい。
 また10月中旬より「定食メニュー」に「裏メニュー(定食)」(1200円)が登場しましたので、皆様のご注文をお待ちしております。

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| 地域情報::銚子 | 11:58 AM |

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