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「菅原大神秋の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で明日、11月25日(日)に開催されます「菅原大神秋の例祭」です。

 「菅原大神」は、「銚子市」「桜井町」にある「桜井里」の「鎮守」です。
 「菅原大神」は、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「社殿」は昭和62年に建立されています。
 「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真(すがわらのみちざね)」公を祀る「神社」です。
 「学問の神様」として知られ、地元では、「天神さま」と呼ばれていますが、「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に「有名」です。

 「菅原道真」公は、「日本」の平安時代の「律令(りつりょう)官人」「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」です。
 「参議」・「菅原是善(これよし)」の「子」で「母」は「伴(とも)氏」で、「本名」は「三」、「幼名」を「阿呼(あこ)」といい、後世「菅公(かんこう)」と尊称され、「従(じゅ)二位右大臣」に至っています。

 承和(じょうわ)12年6月25日、「父祖三代」の輝かしい「伝統」をもつ「学者の家」に生まれた「道真」公は、幼少より「文才」に優れ「向学心」も旺盛で、862年(貞観4年)18歳で「文章生(もんじょうしょう)」となり、870年「対策(たいさく)」に及第、877年(元慶1年)「文章博士(はかせ)」となりました。
 その間、「少内記」に任じて多くの「詔勅(しょうちょく)」を起草、また「民部少輔」として「朝廷」の「吏務」に精勤する一方で、「文章」の「代作」や「願文」の「起草」など盛んな「文章活動」を続け、880年「父」「是善」の没後は、「父祖」以来の「私塾」である「菅家廊下(かんけろうか)」を主宰、「宮廷文人社会」の中心となりました。
 886年(仁和2年)「讃岐守(さぬきのかみ)」に転出しましたが、翌年「宇多(うだ)天皇」の「即位」に際して起こった「阿衡(あこう)事件」には深い「関心」を寄せ、入京して「藤原基経」に良識ある「意見書」を提出、「橘広相(たちばなのひろみ)」のために弁護しました。
 この「事件」が「権臣」の「専横」を示すとともに、「政治」に巻き込まれた「文人社会」の「党争」に根ざしていただけに「心」を痛めたそうです。

 890年(寛平2年)「国司」の「任期」を終えた「道真」公は、「藤原氏」の「専権」を抑えて「天皇中心」の「理想政治」を実現しようとする「宇多天皇」の「信任」を受け、帰京の翌年には「蔵人頭(くろうどのとう)」に抜てきされ、893年「参議」、「左大弁」に登用されて「朝政」の「中枢」に携わることになりました。
 たとえば894年「遣唐大使」に任命されたものの、「唐朝」の「混乱」や「日本文化」の「発達」などを理由に奈良時代から続いた「遣唐使」を廃止し、895年「渤海使(ぼっかいし)」を応接、その翌年には「検税使」の「可否」を再評議するべき「奏状」を奉るなどの「事績」を残しています。
 その間も「官位」は「昇進」を続け、「中納言」、「民部卿」、「権大納言」、「春宮大夫」、「侍読」などの「任」に当たっていました。
 897年「宇多天皇」は譲位しましたが、その「遺誡(いかい)」により「醍醐(だいご)天皇」は「藤原時平」とともに「道真」公を重用、899年(昌泰2年)「時平」の「左大臣」に対して「道真」公を「右大臣」に任じました。

 しかし当時の「廷臣」には「儒家」としての「家格」を超えた「道真」公の「栄進」をねたむ者も多く、900年には「文章博士」「三善清行」の「辞職勧告」に接しています。
 また他氏を着々と排斥してきた「藤原氏」にとって「道真」公は協力な「対立者」とみなされており、901年(延喜1年)「従二位」に叙してまもなく、「政権」と「学派」の「争い」のなかで「時平」の「中傷」によって「大宰権帥(だざいごんのそち)」に左遷されました。
 そして「大宰府」「浄妙院」(俗称「榎寺(えのきでら)」)で謹慎すること2年、「天皇」の「厚恩」を慕い「望郷」の「思い」にかられつつ、延喜3年2月25日「配所」で没し、「福岡県」「大宰府市」「安楽寺」に葬られました。

 「菅原道真」公は、このように「政治社会」では挫折しましたが、「学者」・「文人」としての「道真」公は死後、「学問の神」と崇められてきたように、当時から高く評価されていたそうです。
 また「独自」の「構成」をもつ「類聚国史(るいじゅうこくし)」の「撰修(せんしゅう)」はとくに有名であり、「日本三代実録」の「編集」にも参加、「文学上」の「業績」は「文道の大祖、風月の本主」と尊敬され、その「詩文」は「菅谷文草」「菅家後集」にまとめられています。

 「菅原道真」公は、「和歌」も巧みで、配流されるとき詠んだ「東風(こち)吹かば〜〜」の「歌」は古来「人口」に膾炙(かいしゃ)しました。
 「菅原道真」公は、その晩年が悲惨であっただけに死後の「怨霊(おんりょう)」に対する「恐れ」は強く、まもなく「本位本官」に復し、993年(正暦4年)「正一位太政大臣」を贈られるとともに、「天満天神(てんまてんじん)」として「全国的」に信仰されました。

 「菅原大神」では、毎年「春」(2月25日)(2011年2月21日のブログ参照)と「秋」(11月25日)(2011年11月23日のブログ参照)に行われる「例祭」には、多くの人で賑わいます。
 「菅原大神秋の例祭」ですが、明日10時から「菅原大神」で行われます。
 「菅原大神秋の例祭」が賑わう「理由」ですが、「菅原大神」には、大小90個の「子産石」と呼ばれる「丸い石」が納められており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると言い伝えられているからだと言われています。

 「菅原大神」の「子産石」は、昔ははなれたところにあった「お産の神様」である「玉依姫(たまよりひめ)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていたそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されて以来、「子授けのご利益」を得たいと願う人々が参詣するようになったそうです。

 昭和60年上半期(1985年4月1日から10月5日)に放映されました「NHK連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(沢口靖子さん)が「子産石」を抱く「シーン」が放映されたことで、「その名」が「全国的」に広まったそうです。

 「子宝」を願う「人」や、めでたく「子宝」に恵まれ「お礼参り」に訪れる「人」で賑わう「菅原大神」の「例祭」「菅原大神秋の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神秋の例祭」

 開催日時 11月25日(日) 10時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「京都府」にある「北野天満宮(きたのてんまんぐう)」は、「菅原道真」公を「御祭神」として10世紀なかばに創立されたものだそうです。











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| 地域情報::銚子 | 04:37 PM |

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