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「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」(銚子市)
 本日二つ目にご案内するのは、地元「銚子市」の「菅原大神(すがわらたいじん)」と「子産石(こうみいし)」です。

 「銚子市」の「菅原大神」ですが、「桜井町」にある「桜井里」の「鎮守」です。
 「菅原大神」は、1131年(天承元年)11月の創建とされ、現在の「社殿」は昭和62年に建立されています。
 「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真(すがわらみちざね)」公を祀(まつ)る「神社」です。

 「菅原道真」は、承和12年6月25日(845年8月1日)〜延喜3年2月25日(903年3月26日)は、「日本」の平安時代の「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」です。
 「参議」・「菅原是善」の「三男」で、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」・「太政大臣」。
 「菅原道真」は、「宇多天皇」に重用されて「寛平の治」を支えたひとりであり、「醍醐朝」では「右大臣」にまで昇りました。
 しかし、「左大臣」「藤原時平」に讒訴(ざんそ)され、「大宰府」へ「権帥」として左遷され現地で没しました。
 (「讒訴」とは、人を陥れるために悪く告げ口をすること。)
 死後「天変地異(てんぺんちい)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の対象となったそうです。
 現在は「学問の神様」として親しまれています。

 「銚子市」西部にある「菅原大神」は、「学問の神様」である「菅原道真」を祀っており、地元では「天神さま」と呼ばれていますが、「子授け」の「ご利益」があることでも全国的に有名です。
 特に「菅原大神」で、毎年「春」(2月25日)(2011年2月21日のブログ参照)と「秋」(11月25日)(2011年11月23日のブログ参照)に行われる「例祭」には、多くの人で賑わいます。

 賑わう理由は、「菅原大神」にある大小90個の「子産石」と呼ばれる「丸い石」が納められており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると言い伝えられているからです。

 「菅原大神」の「子産石」は、昔離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫(たまよりひめ)」を祀った「御産宮(ごさんのみや)」という「神社」に納められていました。
 それが、何らかの事情により「菅原大神」に移されて以来、「子授けのご利益」を得たいと願う人々が参詣するようになったそうです。

 昭和60年上半期(1985年4月1日から10月5日)に放映されましたNHK連続テレビ小説第34作「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子産石」を抱くシーンが放映されたことで、その名が全国的に広まったそうです。

 現在でも「菅原大神」「例祭日」には、「子宝」を願う人や、めでたく「子宝」に恵まれて「お礼参り」に訪れる「人」など、多くの「参詣者」で賑わいます。
 今週末(2月25日)に行われる「菅原大神」「春の例祭」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「子産石」を抱くシーンでも知られている「澪つくし」は、「銚子市」を舞台とした「ドラマ」で、当時は人気を博していました。
 「朝日新聞」2010年9月25日付の「beランキング」「心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では、「澪つくし」の主役だった「沢口靖子」さんが第4位でした。
 ちなみに第1位は「樫山文枝」さん「おはなはん」(1966年放送)、第2位は「田中裕子」さん「おしん」(1984年放送)、第3位は「国仲涼子」さん「ちゅらさん」(2001年放送)だそうです。

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| 地域情報::銚子 | 11:17 AM |
「旭の花」「椿(つばき)」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」の「市の花」「椿(つばき)」です。

 「椿」は、「ツバキ科ツバキ属」の「植物」、学名「Camllia japonica」(通称ヤブツバキ)の「和名」であり、「日本原産」の「常緑樹」です。
 「照葉樹林」の代表的な「樹木」で、「花期」は「冬」から「春」にかけてにまたがり、早咲きのものは「冬」さなかに咲きます。
 「花椿」は「春」の「季語」ですが、「寒椿」、「冬椿」は「冬」の「季語」で、「椿」は「海柘榴」とも表記されます。

 「椿」は、「花」が美しく利用価値が高いので「万葉集」の頃からよく知られていましたが、特に近世に「茶花」としても好まれ多くの「園芸品種」が作られています。
 「椿」の「花」は、「花びら」が個々に散るのではなく、「萼」の部分から丸ごと落ちます。
 それが「首」が落ちる様子(打ち首=死)を連想させる為に入院している方の「お見舞い」に持っていくことはタブーとされています。

 「旭市」の「市の花」になっている「椿」ですが、「幽学公園」内の「椿の里」として521種類、約3000本の「椿」が植えられています。
 「遊歩道」が整備され「道脇」に「椿」が咲き誇ります。
 「大原幽学遺跡史跡公園」(2011年2月6日のブログ参照)は「大原幽学遺跡」の「旧宅」(国指定史跡)(2011年4月8日のブログ参照)を中心に「史跡公園」化したものです。
 園内には「大原幽学」関係「資料」や「郷土」の「歴史」と「民俗」に関する「資料」を公開する「施設」として「大原幽学記念館」があります。
 「大原幽学記念館」は、「農村改革」に取り組んだ「大原幽学」の「関係資料」などがあり、「農村発展」の「歴史」に親しむことが出来ます。

 「大原幽学遺跡史跡公園」には、中世「城址」である「長部城址」と「幽学」ゆかりの近世の「遺跡」を含んだ緑豊かな園内には見所がたくさんあります。
 特に、2月下旬から4月下旬までは、園内にある約3000本の「椿」が見頃を迎えます。
 全国から集められた色とりどりの「椿の花」が咲き誇る様はたいへん素晴らしいそうです。

 また「旭市琴田」にある「海宝寺」にも「椿」が咲き誇るそうです。
 「海宝寺」では、早春に「本堂」裏に作られた長さ約250mの「ミニ四国八十八か所霊場参拝路」に沿って「椿」が咲いているそうです。
 「海宝寺」には「県指定有形文化財」「絹本著色釈迦涅槃図」があり、4月上旬には、樹齢100年を越える「吉野桜」が見事な「花」を咲かせるそうです。

 「旭市」の「花」が「椿」に制定されたのは平成17年10月29日で、制定にあたり「旭市民」の皆さんに「アンケート」をとり、572名の方々から「市の花」について応募があり、「アンケート結果」を基に、「旭市の花・旭市の木選定委員会」で協議・検討した結果、「旭市の花」「椿」、「旭市の木」「黒松(クロマツ)」と決定しました。

 「旭市の花」「椿」の制定理由は、「大穀倉地帯」である「干潟八万石」は、かつて「椿の海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれ、その「ツバキ」の「名」は馴染み深いものがあります。
 その「ツバキ」にちなみ、制定されたそうです。
 また「旭市の木」「黒松」は「白砂青松」と謳われる「九十九里浜」を代表する「木」であり、広く「旭市内」に生育し、「潮風」から守ってくれるなど、力強く頼りがいのある「木」ということで制定されています。

 濃い緑の中に咲く「椿」の「花」は映え、「旭市民」に広く親しまれています。
 「季節の花」「椿」を愛でに「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「旭市」の「市名」の「旭」という「名前」の「由来」ですが、1573年の「室町幕府」滅亡後、当地を納めていた「戦国武将」・「木曽義昌」(朝日将軍・「木曽義仲」の19代子孫)は「善政」をしき、「市民」(領民)に慕われました。
 1852年「京都」の「歌人」・「野々口隆正」が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、「義昌」公を偲んだ「歌」を詠み、これが「旭」の「名前」の「由来」となったと言われています。

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| 地域情報::旭 | 11:17 AM |
「円福寺」の「文化財」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「円福寺」の「文化財」です。

 「坂東三十三所観音霊場」(2010年10月13日のブログ参照)「二十七番札所」とて、信仰を集める「円福寺」(2010年11月24日のブログ参照)には、数多くの「寺宝」があります。

 「円福寺」は、「真言宗」の「寺院」で、「山号」は「飯沼山」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知られる「円福寺」は、「利根川」の河口、「日本一の水揚げ量」を誇る「銚子漁港(第1魚市場)」(2010年12月18日・2011年1月26日のブログ参照)に近くにあり、「銚子市」の中心に位置したことから、市街はその「門前町」として発展してきました。
 (「飯沼観音」の門前西側は「銚子銀座通り」(2011年10月1日のブログ参照)となっており、東側には「島田総合病院」や「今川焼の「さのや」(2010年12月16日のブログ参照)があります)

 「円福寺」は、「寺伝」によりますと、724年(神亀元年)漁師が「海」で「十一面観世音菩薩」を「網」ですくい上げ、その後「弘仁年間」(810年〜824年)この地を訪れた「弘法大師」「空海」が開眼したとされています。
 「円福寺」は、鎌倉時代以降、この地を治めた「海上氏」の帰依を受け、寺運は興隆したそうです。
 天正19年、「徳川家康」に「朱印」を賜わり「諸堂」を整備、安政2年(1855年)刊の「利根川図志」は「境内に見せ物軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑はし」とその盛況を写しており、「円福寺」は隆盛を極めていたそうです。
 しかし1945年「銚子大空襲」があり、「多宝塔」以下「観音堂」、「仁王門」、「鐘楼」、「太子堂」、「馬頭観音堂」、「二十三夜堂」、「茶枳尼天堂」、「龍蔵大権現堂」など「諸堂」を焼失しました。
 その後、「銚子のシンボル」である「観音堂」の再建は、昭和46年(1971年)に衆庶の信助により見事に完了。
 「飯沼観音」の「境内」の「大仏」は「銚子」近在の人たちの喜捨で正徳4年(1714年)に鋳造され、平成20年(2008年)「五重搭」(形式「三間五重塔婆」総高33.5m)の完成に伴い、現在の場所に移っています。

 この程「円福寺」では、2月15日(水)に「お宝巡り」を行い、大勢の市民の皆さんが訪れたそうです。
 「円福寺」「お宝巡り」では、市民の皆さん方を笑顔で、「山本佳臣」会長、「鈴木俊男」前会長ら「銚子市ボランティアガイド観光船頭会」の皆さんがご案内をされていました。
 市民の皆さんは「円福寺」の「寺宝」の多さ、その貴重な「品々」を熱心に見入っていたようです。

 「円福寺」の「文化財」ですが、「饒(にょう)」、「梵鐘(ぼんしょう)」、「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」附「釈迦涅槃図由来書」などあり、「寺宝」として「本堂(飯沼観音堂)再建記録」、「水戸光國公御直筆」などがあります。

 「饒」ですが、奈良時代から使用されている最も古い「仏教法具」の一種で、「密教修法」の際にこれを振って「音」を出して使いました。
 「扁楕球形」の「鈴」と「棒状」のにぎり、上部先端に「三鈷(さんこ)」をそなえた形で、総長28.0cm、「鈴」の長径99cmの「鋳銅製」です。
 「鈴部」は「つぼみ形」で半面には横6cmほどの亀裂があり、ゆがんだ部分から「鈴子」が失われています。
 力強い「三鈷の形」などからみて平安時代初期の製作と考えられ、その製作も優れています。
 この「饒」は江戸時代には既に「円福寺」の「宝物」になっていたようで、「玄蕃日記(げんばにっき)」によると、天保2年(1831年)時の「代官」に「本品」を見せたという記述があるそうです。
 「類品」は、「日光」の「二荒山神社」出土品、「奈良」の「東大寺」、「茨城」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)蔵品などが知られているのみで極めて少ない「資料」なのだそうです。
 「円福寺」の「饒」は「国指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。
 なお「饒」は、現在「奈良国立博物館」に出品されています。

 「梵鐘」ですが、高さ70.3cm、口径50.6cmで三段組で作られています。
 「鐘」の上段から中段への「ふくらみ」は、柔らかな広がりをもち流麗さを感じさせ、「鋳継ぎ」による縦帯の乱れもなく優秀な製作といえます。
 「乳(ち)」は、四段四列で上帯は「素文」、下段には「唐草文」があり、「池(いけ)の間(ま)」の四区にわたり「銘文」が刻まれています。
 二か所の「撞座(つきざ)」は、摩滅が著しいが肉高につくられています。
 「池の間」の「銘文」には、「上総国菅生庄本郷飯富宮社頭」とあり、現在の「袖ヶ浦市」にある「飽富(あきとみ)神社」に所在したものであることが知られています。
 また、享徳11年(1462年)「享徳11年は寛政3年にあたる」の「銘」と「作者」の「河内権守光吉」及び「作者」の「貞吉」の「名」が刻まれています。
 製作の由来、年代、作者が判明している点では貴重なものとされていますが、この「鐘」がいつ、誰によって「飽富神社」から「円福寺」に運ばれた由来は不明なのだそうです。
 「円福寺」「梵鐘」は「千葉県」の「県指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。

 「釈迦涅槃図」は、「釈迦」が「沙羅双樹(さらそうじゅ)」の下で「頭」を北に向け、身体を横たえ、多くの「弟子」や「動物」に見守られて「入滅(にゅうめつ)」する様子を描いた「図」です。
 この「涅槃図」は「掛幅装(かけふくそう)」で、縦354.7cm、横268.6cmの「大幅」で各種の「色糸」で細かく「刺繍(ししゅう)」で描かれており、全国的にも類例は少ないものなのだそうです。
 「釈迦涅槃図」の各部に「寺院関係者」や「近郷」の「村々」の「庶民」などの「寄進者」の「名前」が刺繍されており、このほか遠く「仙台」、「紀州」、「泉州」等の「地名」が見られ、当時の信仰の広がりを知ることができる「資料」となっています。
 また「釈迦涅槃図」は「銘文」によると寛文9年(1669年)に「縫物師」の「京都次郎左衛門」などの「手」により縫い上げられました。
 「釈迦涅槃図」の「一般公開」は、毎年2月15日の「釈迦涅槃会(しゃかねはんえ)」に「円福寺」「涅槃殿(ねはんでん)」で行われています。
 「釈迦涅槃図」附「釈迦涅槃図由来書」は、「千葉県」の「県指定有形文化財」(工芸品)に指定されています。

 「寺宝」である「本堂(飯沼観音堂)再建記録」は、江戸時代の安永4年(1775年)「本堂再建」(十間四面)の記録で、「第二十一世・了恵(りょうえ)」住職の「落慶入沸法要」の概要を記したものです。
 上下2冊・8巻の「冊子」を修復にあたって「巻き物」にし、本年(2012年)2月15日には2巻が公開されたそうです。
 18世紀の「円福寺」の美しい姿や「銚子」の「海岸線の風景」などが情緒豊かに描かれているそうです。

 「水戸光國公御直筆」ですが、元禄9年(1758年)1月20日、「水戸光國」公が「円福寺」に来山し、「銀」2枚を「御本尊」に供え、揮毫(きごう)した「龍」の「一字」の「墨書」だそうです。

 「寺宝」に多く恵まれ、歴史ある「真言宗」の「古刹」「円福寺」「飯沼観音」。
 「銚子」に訪れた際は、是非立ち寄って参詣してみてはいかがでしょうか?

 備考
 「円福寺」では、「尊像」を泰安する「涅槃堂」を平成13年(2001年)に、全面的に修復し、新築建立しました。
 総建坪62坪、奈良「正倉院」と同様の「校倉(あぜくら)様式」を取り入れた「宝蔵庫」は、「日本の建築」の「粋」を集めたものとして注目されています。
 「涅槃堂」には、「円福寺」専用にデザインした「美濃の瓦」を使い1階は「展示室」を兼ねた「仏間」、2階は「寺」の「什物」(経典)を収納した「宝蔵庫」で、「銀行」と同じ使用の「材料」を用い、下地に「アルミ板」、その上に「乾燥フローリング」を張り、「床」の「湿気」を防止。
 「壁」・「天井」は「総桐材」で施工し、大きな「桐タンス」となっているそうです。






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| 地域情報::銚子 | 10:45 AM |
「世界一大きなせんべい」(印西市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「印西市」の「世界一大きなせんべい」です。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「千葉市」から約20km、「成田国際空港」から約15kmに位置し、三方を「利根川」、「印旛沼」、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は周辺の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「酒々井町」、「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されています。

 「印西市」の隣接する「自治体」は、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡栄町」、「印旛郡酒々井町」、「茨城県北相馬郡利根町」となっています。
 「茨城県北相馬郡利根町」とは、直接的な往来は出来なくなっていて、「我孫子市」または「印旛郡栄町」を経由する必要があります。
 「千葉県」で「他県」と接していながら直接的な往来ができない「自治体」は、「印西市」のみです。

 「印西市」は、江戸時代には「利根川」の「水運」が盛んで、「物資移送」や「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などで「木下(きおろし)街道」付近にあった「木下(きおろし)河岸」が栄えていたそうです。

 現在の「印西市」「木下(きおろし)地区」では、かつて「利根川」の「水運」で栄えた江戸時代に、「旅人」に「せんべい」を売っていた記録があり、古くから親しまれている「木下せんべい」を更に多くの方に知ってもらい、地域の活性化、「印西市」の知名度アップにつながっていくようにするために、「印西観光協会」、「印西市商工会」、「印西市」、「ボランティア団体」などでつくられている「印西市民まつり実行委員会」は、昨年(2011年)10月22日(土)に「イオンモール千葉ニュータウン」「屋外駐車場」で開催されました「印西市民まつり」(2011年10月21日のブログ参照)の中で「手焼きせんべいギネス挑戦」(炭火で世界一大きなせんべいを焼く)を行いました。
 「手焼きせんべいギネス挑戦」では、惜しくも目標としていた「大きさ」に3cm足りず「ギネス世界記録」(Guinness World Records)に認定されませんでした。

 ちなみにこれまでの「世界一大きいせんべい」に認定されている「世界記録」を持っていたのは「山梨県大月市」の「直径1.3m」の「せんべい」でした。
 「印西市民まつり実行委員会」では、昨年(2011年)11月15日・16日に「木下せんべいギネスに挑戦」に再度挑戦。
 記録達成に際し、「印西市民まつり実行委員会」メンバーは、「生地作り」から「大きいせんべい」を焼く「金網」、「ドラム缶」を半分に切ったものを「炭火焼」に使いと、試行錯誤を積み重ねていったそうです。
 記録挑戦日、11月15日に直径1.8m、約15kgの「うるち米」の「生地」を作り始め、16日に「生地」を「金網」にはさみ数分ごとに裏表と慎重にひっくり返しながら約1時間(50分)かけて7人がかりで焼き上げました。
 「木下せんべいギネスに挑戦」「世界一大きいせんべい」の測定結果は、直径1.6m。
 「せんべい」はサイズを測り、記録を証明する「写真」が撮影された後、「秘伝のたれ」を塗り、細かく割って「市民」の皆さんに振る舞われたそうです。

 そして今年(2012年)1月20日(金)、「印西市民まつり実行委員会」で作った「木下せんべいギネスに挑戦」(炭火で世界一大きなせんべいを焼く)で、「世界一大きいせんべい」として、「イギリス」の「ギネスワールドレコード社」より「ギネス世界記録」(Guinness World Records)に登録(認定)されました。

 なお「ギネス世界記録」認定を受け、「印西市民まつり実行委員会」「山口道博」実行委員長は、1月24日に、「印西市役所」を訪れて、「山崎山洋」市長に報告しています。

 「印西市民まつり実行委員会」の皆さんの諦めず工夫を凝らした結果、「世界一大きいせんべい」は、世界に認められました。
 「世界一大きい木下せんべい」を見に「印西市」に立ち寄ってみませんか?

 備考
 「ギネス世界記録」(Guinness World Records)「認定書」(写し)は、「印西市役所」「ロビー」・「印西市観光情報館」に、「せんべい」の「原寸大」の「パネル」は「印西市役所」「ロビー」、「記録挑戦時」の「写真」は「印西市観光情報館」にそれぞれ展示しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=951 |
| 地域情報::成田 | 11:55 AM |
「栗山川」(香取市)(成田市)(匝瑳市)(旭市)(多古町)(芝山町)(山武市)(横芝光町)
 本日ご紹介するのは、「銚子市」の近隣市「香取市」「成田市」「匝瑳市」「旭市」「多古町」「山武市」「横芝光町」の5市3町にまたがる「栗山川(くりやまがわ)」です。

 「栗山川」は、「千葉県」の「房総半島」北東部を流れる「河川」で、「千葉県内」のみを流れる「川」としては「第2位」の「流域面積」を持ち、「九十九里平野」の中では最大の「二級水系」です。
 「栗山川」は、「香取市」南部の「丘陵」に源を発し、「成田市」の「下総(しもうさ)台地」の「水系」を集めて流れ、「九十九里平野」を貫いて、「九十九里浜」中央部の「横芝光町」で「太平洋」に注ぎます。

 「栗山川」流域は、約1万年前、「海」であったそうです。
 その後、「海底」の隆起によって「陸」となり低地に「栗山川」が誕生したとされています。
 「栗山川」の「流路延長」38.8km、「流域面積」292.3平方キロメートルで、5市3町にまたがるこの「川」は、「流域」の「穀倉地帯」に大きな「恵み」を与えてきたそうです。

 また「栗山川」は古くから「農業用水」として利用されており、現在は「両総用水」と「房総導水路」に利用されています。
 「香取市佐原」の「両総用水第1揚水機場」で取水した「利根川」の「水」を「九十九里平野」南部の地域に「農業用水」として供給しているほか、「大多喜ダム」まで送り、「水」の不足していた「南房総」方面に「水道水」を供給するなど「重要な役割」を担っています。

 「栗山川」は、現在「横芝光町」「屋形」で直接「海」に注いでいますが、明治時代には現在の「栗山川漁港」付近から折れて二筋の流れとなり「砂丘列裏側」を汀に沿って南下していました。
 明治14年には「蓮沼村」(現在の「山武市蓮沼」)に河口が在りましたが、明治17年には「木戸川」と合流し「小松村」(現在の「山武市小松」)に在り、大正元年には「松ヶ谷村」(現在の「山武市松ヶ谷」)北辺まで至っていました。
 その二筋の流れのうち、海側の河床跡は現在「蓮沼海浜公園」になっており、陸側の河床跡は「住宅地」になっています。

 「栗山川」の「名称」の「由来」は、およそ7世紀頃の昔、旧「栗源町」(現「香取市」)に「朝鮮半島」から渡来した人達が多く住んでいたことがあり、一帯が「(高)句麗山」と呼ばれ、そこを流れる「川」であることから「句麗山川(栗山川)」と呼ばれるようになったとの言い伝えがあります。

 「栗山川」では「コイ」、「フナ」、「ボラ」等の「川魚」が獲れ、「釣り」のスポットにもなっています。
 また「栗山川」は、「太平洋側」の「サケ」が回帰する「南限の川」といわれています。
 しかし、近年「鮭」の回帰する「数」が減少、「香取市」、「多古町」、「芝山町」、「横芝光町」、「千葉県」、「栗山川漁業協同組合」では「サケの回帰する南限の川」を復活させるため、「サケ」の「調査捕獲」や「人工受精」、「稚魚」の「放流事業」を行っています。

 10月中旬〜12月末頃まで、「横芝光町」の「横芝堰」で「サケ」の「調査捕獲」を行っており、「見学会」も開かれています。
 なお「見学」を希望される方は事前の「申込み」が必要になります。
 「見学希望者」には、捕獲した「サケ」から「卵」を取り出し、「受精」の様子もご覧いただけます。
 捕獲した貴重な「サケ」は、各「市町村」の「産業まつり」や「イベント」に提供され、食べることができるそうです。

 「受精卵」は「孵化場」にて保管、1月上旬に「里親」を希望する方に配布し、3月上旬の「放流式」まで「稚魚」を育ていただく「事業」に参加することができます。
 放流した「サケ」は3〜4年をかけて、また、「生まれた川」に戻ってくるそうです。

 また「香取市」には弘仁2年(811年)に建てられたと伝えられる「山倉大神」(2010年12月3日・2011年11月30日のブログ参照)があり、毎年12月の第1日曜日に「山倉の鮭祭り」(2010年12月2日のブログ参照)が行われています。
 もとは「霜月」「初卯の日」に行われていた「祭礼」で、昔は「祭り」が近付くと「栗山川」に「鮭」が遡上してきたといわれています。
 現在も「鮭祭り」では、「栗山川」で獲れた「鮭」を奉納しています。

 また「多古町」では、「生活」と「文化」を育んでくれた「栗山川」への「感謝」の「気持ち」として、「川」の「土手」に1万株の「あじさい」を植え、昭和55年、「遊歩道」を完成させました。
 「あじさい」は毎年「花」を増やし続け、「初夏」ともなると、「紫」、「白」、「薄紅」と色とりどりの「あじさい」が美しい「花の道」を作ります。
 そして「あじさい」のみならず、「春」には「菜の花」、「秋」には「秋桜」が「川辺」を飾り、訪れる人々の目を楽しませてくれます。

 「流域面積」「千葉県」下有数の「河川」「栗山川」。
 東総地区、北総地区の恵みを育む「母なる川」を見に「河川流域」の「まち」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 毎秋「サケ」が遡上(そじょう)する「横芝光町」の「栗山川」では、昨年(2011年)11月26日「サケの捕獲見学会」が開かれ、「不漁」だった一昨年(2010年)の4倍にあたる550匹の「サケ」を捕獲したそうです。
 「香取市」には、「栗山川」にちなんだ「栗山川ふれあいの里公園」(2011年5月23日のブログ参照)が「栗源地区」にあります。
 「栗山川ふれあいの里公園」は、「総面積」1.9haの土地に「はだし健康の道」、「芝生の広場」、「イベント広場」、「軽スポーツ広場」、「子供の遊び広場」、「親水ゾーン」を設けた「市民」ふれあいの「公園」となっています。







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| 地域情報::香取 | 10:35 AM |
「荘厳寺(しょうごんじ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市佐原」の古刹「荘厳寺(しょうごんじ)」です。

 「荘厳寺」は、「JR佐原駅」の「南西」約700mの高台に所在する「真言宗」の「寺院」です。
 「荘厳寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「山号」は「諏訪山」、「開基」は寛永18年(1641年)といわれています。
 (「荘厳寺」「開基」に諸説あり、境内に永録年間の板碑があり「室町時代」に遡れる説もあります)
 かつては「真言宗豊山派」に属しており、「佐原市牧野」にある「関東」の「三大厄除け弘法大師」「観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)の「末寺」でありましたが、平成8年1月「単立」となったそうです。

 「荘厳寺」は、「伊能家」の「氏神」・「諏訪明神」が「佐原村」の「鎮守」となり、その「別当寺」として開基されたものと思われるそうです。
 また「明治時代」の「廃仏棄釈」まで「佐原市新宿」の「祭礼」に「重要な役割」を果たしてきたことが「祭礼文書」等からわかるそうです。

 「荘厳寺」は、幕末の2度の火災と、維新(明治維新)後の「廃仏棄釈」によって、「廃寺」の危機を迎えましたが、町内横宿・「大和屋佐藤氏」等の尽力により「菅谷不動尊」勧請に成功し、その「堂宇」再建とともに「廃寺」を免れたそうです。
 そして昭和26年(1951年)、「諏訪山」上の「現在地」に「堂宇」を遷座(移転)したそうです。

 「荘厳寺」「境内」は美しく、「花木」(桜、もみじ)が多く散策が楽しめます。
 また「荘厳寺」寺域は約1町歩を有し、「境内」の一部は「佐原公園」(諏訪公園)となっており、「桜の名所」(2011年4月12日のブログ参照)ともなっています。
 「佐原公園」の「桜」は、「ソメイヨシノ」を中心に200本の「桜」が植えられており、毎年「さくら祭」(4月1日〜15日)が行われ、「提灯」や「雪洞」(大約50個・小約600個)が飾られ夜間はライトアップされます。

 「荘厳寺」「寺宝」には、「関東最大最古」といわれる「十一面観音立像」があります。
 この「十一面観音立像」は「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「神宮寺」であった「金剛宝寺」に伝来し、明治初年の「神仏分離」によって「荘厳寺」に移されたものです。
 「十一面観音立像」は、頭上に10あるいは11の「化仏」と呼ばれる「小仏像」をもっていて、これは「十一種の威力」をあらわしたもので、「変化観音」の中では最も古い「観音」だそうです。

 「十一面観音立像」の頭上の「化仏」は正面三面が「慈悲相」、左三面が「瞋怒相」、右三面が「白い歯」をだしてほほえむ「狗牙上出相」、後一面が「暴悪大笑相」、そして頂上面は「如来相」をあらわすものが多く見られます。
 「本体」は「二臂の像」がほとんどで「右手」を「衆生の念願」をかなえる「与願印」に結び、「左手」に「水瓶」あるいは「蓮華」を持つのが普通ですが、まれに「四臂の像」も見られます。
 この「観音」に祈念すれば、「憂苦」や「病苦」など「一切の苦しみ」から免れるとされ、奈良時代以降に盛んに造られるようになったそうです。
 「十一面観音立像」の「像高」は3.25m。
 「頭部」・「体躯」を「欅材」から彫り出した「一木造」。
 「化仏」、「両臂」、「両足」は「別木」で造られています。
 「体部」は「背面」より内刳りし、「背板」を当てています。
 「巨像」のためか、「腰」の両脇や「両足」外側に「別材」を補い、「両肩」および「手」も「別材」だそうです。

 「十一面観音立像」「化仏」は、「十面」すべて失っており、「天冠台」は「紐状」で「無紋」、「白亳相」をあらわし、「鬢髪一条」が「耳」をわたり、「耳たぶ」は「紐状」で貫通、「臂」を曲げて「左手」に「水瓶」を持ち、「右手」を「与願印」に結んでいます。
 「十一面観音立像」「像内」および「像」と共に伝来した「木札」には、元禄13年(1700年)「将軍」「徳川綱吉」を「願主」として修理を施したことが記されています。
 「下顎」の張った「顔容」、「腹部」や「大腿部」の張りのある「肉取り」、「裳」に明瞭にあらわれている「飜波式」(衣の襞の表現法)など随所に古様がうかがえます。
 「十一面観音立像」の「制作時期」は、9世紀末から10世紀はじめころまでさかのぼると思われます。
 「十一面観音立像」を近くで見ると、その大きさに圧倒されるそうです。
 なお、「荘厳寺」「十一面観音立像」は、昭和34年6月27日に、「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されています。

 「水郷」を一望できる「諏訪の高台」にある「古刹」「荘厳寺」。
 「桜」の咲く季節に訪れてみたい「寺院」です。

 「荘厳寺」詳細

 所在地  香取市佐原イ1110

 問合わせ 荘厳寺 0478-54-3722

 備考
 「諏訪山荘厳寺」は、江戸時代にしばしば「文人・墨客」が訪れ、「諏訪山」からの「眺望」を賞で「詩作」を楽しんだといわれています。
 「荘厳寺」周辺の見処として、「古い町並み」や「伊能忠敬記念館」(2011年3月8日・2012年1月29日のブログ参照)などがあります。

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「亀崎の如意輪参り」(匝瑳市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「稲生(いなおい)神社」で明明後日(しあさって)の2月19日(日)に行われます「亀崎の如意輪参り」です。

 「亀崎の如意輪参り」は、旧「八日市場市」「亀崎地区」(現「匝瑳市」「豊栄地区」「亀崎」)で江戸期から続く「安産祈願」の「行事」で、毎年2月中旬に「稲生神社」の境内で行われます。
 「女人講」による「如意輪観音」の「子安信仰」が始まりで、和装の女性たちが、「養浄寺(養寿寺)」から「稲生神社」までの短い道中を、「花万灯」を先頭に舞い踊ります。

 「亀崎の如意輪参り」は、数百年の歴史のある伝統行事で、「稲生神社」境内にある「子安神社」(子安社)に3幅の「軸物」「如意輪観音像」、「子安観音像」、「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)像」を吊るして「祈願参詣」するものです。

 昼過ぎ(午後)、あでやかに着飾った「着物」にお揃いの「襷(たすき)」をかけた「踊り手」の「女衆」と「囃子方」をつとめる「男衆」30人ほどが「養浄寺(養寿寺)」境内に集まり、大きな「万燈」を先頭にふりかざしながら「大杉囃子」などの「曲」にあわせて400mほど先にある「稲生神社」へと練り歩くそうです。

 「稲生神社」境内では、「習わし」により「子安神社」(子安社)を取り囲むように円陣を組んで「左回り」に3周します。
 それを終えると、「万燈」はたてかけられ、「踊り手」全員が「子安神社」(子安社)を前に「大杉囃子」・「いそべ」・「松かざり」・「大漁節」の「順」で「踊り」を奉納し「安産祈願」を行います。

 奉納後には、「お神酒」や「お供え物」(おにぎり)が「見物客」「観光客」などに振る舞われるそうです。

 「亀崎の如意輪参り」は、かつて「女人講」で行われていましたが、現在は「亀崎の如意輪まいり保存会」の皆さんが継承していて、「匝瑳市」の「無形民族文化財」に指定されています。

 江戸時代より伝わる「伝統行事」「亀崎の如意輪参り」を見に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「亀崎の如意輪参り」詳細

 開催日時 2月19日(日) 12時〜

 開催会場 稲生神社 匝瑳市亀崎130

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「亀崎の如意輪参り」は、「安産祈願」であるため、「稲生神社」境内には「男根」を模した「金精さま」の「祠」も祀られています。

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| 地域情報::匝瑳 | 06:58 AM |
「銚子市出身」「初」の「Jリーガー」「宮内龍汰」選手(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市出身」「初」の「Jリーガー」「宮内龍汰(みやうちりゅうた)」選手です。

 今年(2012年)の1月24日(火)に「サッカーJ1」「鹿島アントラーズFC」の「新体制発表会見」が「カシマサッカースタジアム」「正面玄関ホール」で行われ、2012年の「シーズンスローガン」や「新加入選手」、「新ユニフォーム」などが発表されました。

 「鹿島アントラーズ」の「井畑滋」社長は、「スローガン」を「SMILE AGAIN with PRIDE」と発表。
 3・11東日本大震災を「ホームタウン」(鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市)が経験したこと、チームが「ヤマザキナビスコカップ」優勝したものの「リーグ戦」では「優勝戦線」に絡むことができなかったこと等を踏まえ、今シーズンは「笑顔と誇りを取り戻す」シーズンにしたいという「強い気持ち」をもって「クラブスローガン」としたことを語りました。
 更に「新ユニフォーム」や「コーチングスタッフ」、「経営面」、「域連携」についての「施策」などについて説明、続いて「今シーズン」から加入する5名の「選手」を発表。

 「U-23日本代表」「キャプテン」「山村和也」選手(流通経済大)を筆頭に、「U-17日本代表」で「ポスト内田篤人」選手として期待されている「伊東幸敏」選手(静岡学園高・主将)、同じく「U-17日本代表」で「鹿島アントラーズユース」出身の「鈴木隆雅」選手、「鹿島アントラーズユース」出身の「中川義貴」選手、同じく「鹿島アントラーズユース」出身の「宮内龍汰」選手の5選手が「鹿島アントラーズ」に入団しました。

 「宮内龍汰」選手は、「銚子市松岸町」出身で「サッカースポーツ少年団」・「海上(うなかみ)FC」で活躍し、「銚子四中」から「鹿島学園高校」に進学。
 4人兄弟の「三男」で、サッカーをしていた2人の「兄」に憧れ、「小学校2年生」からサッカーをはじめたそうです。
 「中学」、「高校」では「サッカー部」に所属せず「鹿島アントラーズ」の「ジュニアユース」、「ユース」で「サッカー」の技術を磨き、活躍を経て、今季「トップチーム」(鹿島アントラーズ)へ昇格したもので、「銚子市」からは「初」の「Jリーガー」が誕生しました。

 「井畑滋」社長は会見で「ミッドフィルダーとして運動量が非常に豊富なことで定評がある。
 高い向上心を持っており、一歩ずつ、着実に成長していってくれれば、将来頼もしくかつ面白い存在になると思う」
 と語っています。

 「宮内龍汰」選手は、「新人選手会見」で、
 「1年目からスタメンを狙いたい。
 体が小さいことを言い訳にしたくない。
 インテルミラノの長友祐都選手のように活躍できる選手を目指したい」
 と語り、「地元」では大いに期待を集めています。

 「常勝軍団」で名門の「鹿島アントラーズ」に入団した「宮内龍汰」選手の今後の活躍を期待し、また飛躍を祈念しています。

 備考
 「鹿島アントラーズ」「新体制発表会見」には、「宮内龍汰」選手のご両親の姿もあり、
 「アントラーズの選手になると聞いて半信半疑だったが、今日の姿を見て嬉しい。
 体が小さいので、今は見守るしかないです。
 目標を立ててクリアする努力家、負けず嫌いなのでどんどん活躍できる選手になってほしい」
 と語っています。

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| 地域情報::銚子 | 06:56 AM |
「開運NARITAお年玉プレゼント2012」「当選者決定」(成田市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「成田市」で行われました「開運NARITAお年玉プレゼント2012」の「当選者決定」です。

 「開運NARITAお年玉プレゼント2012」(2011年12月12日のブログ参照)は、クイズに答えていろいろな「成田」をプレゼントする企画で、年末年始の約1ヶ月半に渡り開催されました。
 「成田市」の様々な「機関」や「企業」、「商店」が一体となり、「成田市全体でのおもてなしキャンペーン」として実施されました。

 そして、今月(2月)の7日(火)14時に、「成田観光館」におきまして「開運NARITAお年玉プレゼント2012」の「抽選会」が行われ、厳正なる「抽選」によりまして「当選者」が決定しました。
 今回で4回目となる「開運NARITAお年玉プレゼント2012」は、全国から4662件の「応募」があったそうです。

 「開運NARITAお年玉プレゼント2012」は、貰える「賞」が多く、以下の「A賞」〜「K賞」まで「多様な景品」「プレゼント」を用意。
 ちなみに「開運NARITAお年玉プレゼント2012」の「賞品」は、「A賞」「ANAハローツアーで行く台北旅行ペア1組」、「B賞」「成田のホテル・旅館ペア宿泊券25組」、「C賞」「日航整備工場見学ツアーペア招待10名」、「D賞」「京成新型スカイライナー片道ペアチケット4名」、「E賞」「いろいろ成田グッズ100名」(成田市内物産・土産・グッズ等)、「F賞」「成田の老舗お食事券40名」(ホテル・旅館・レストラン・食事処・食堂等)、「G賞」「成田の食材32名」(農水産物等)、「H賞」「成田の銘酒15名」、「I賞」「成田市内ペア入園・入館券26組」(成田ゆめ牧場、宗吾御一代記館、運動の森自然公園成田エアポートコース)、「J賞」「ゴルフプレー券6名」、「K賞」「ギフト・クーポン券12名」となっていました。

 なお、当選された方は、「社団法人成田観光協会オフィシャルサイト」「FEEL成田」(HPアドレス www.nrt.jp/)が掲載されていますのでご参照下さい。

 年間1400万人を超える「お客様」を迎える「国際観光都市」「NARITA(成田)」の還元企画「開運NARITAお年玉プレゼント2012」。
 気が早いですが、次回開催が待ち遠しい「人気の企画」です。

 備考
 一昨年(おととし)行われた「開運NARITAお年玉プレゼント」では、全国から3755件の応募があり、202名の皆さんが当選されたそうです。

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| 地域情報::成田 | 11:06 AM |
「十二面神楽」「五所神社」(山武市)
 本日ご案内するのは、近隣市「山武市」「五所(ごしょ)神社」で今週末の2月19日(日)に行われます「十二面神楽」です。

 「五所神社」は、「山武市蓮沼」(上総国武射郡)にある「神社」で、旧「社格」は「郷社」。
 「五所神社」の「主祭神」は「天照大神」で、「誉田別尊」、「天児屋根命」、「表筒男命」、「素登織姫命」の「5神」を祀っています。

 「五所神社」は、承安元年(1171年)の「創建」と伝えられ、治承4年(1180年)には「石橋山の戦い」に敗れた「源頼朝」がしばらくこの地にとどまり「武運長久国土安泰」を祈願したといわれ、中世以降は「上総国」「山辺荘」の「総社」でした。
 天正年間(1573年〜1592年)に「社殿」を造営、「下総芦戸」に封じられた「木曽氏」と「当社」の「神官」に「縁故」があったことから「造営資金」の提供を受けたといわれています。
 その後「台風」で倒壊し、現在の「本殿」は正徳元年(1711年)12月の再建なのだそうです。
 桃山時代の遺風を残す「建造物」で、「唐破風」・「千鳥破風」、「入母屋造」、屋根は「栩葺き」、多くの平面的な「彫刻」を配している点は他に類例が少なく「千葉県」の「有形文化財」に指定されています。
 「拝殿」には宝暦11年(1761年)の「棟札」が残っているそうです。
 享保2年(1717年)「神祗官」より「正一位」の「神階」を贈られ、明治5年(1872年)旧称の「五所大権現」を「五所神社」と改め、大正11年(1922年)「郷社」に列しました。

 「五所神社」の「十二面神楽」ですが、「山形県」に移封されていた「佐倉藩主」「堀田正亮」が、延享3年(1746年)に旧「領地」に帰れた「喜び」として「五所神社」へ「後供米」として40俵を奉納しました。
 この返礼として近隣の「神官」が領主「堀田候」の「武運長久」と「氏子の安全」を祈願して、「五所神社」神前で「神楽」を奉納したのが始まりといわれています。

 「十二面神楽」は、舞う場面が「十二座」あり、大正時代の始め頃より、旧「蓮沼村」「川面地区」の人達で伝承され、昭和50年(1975年)には「五所神社神楽保存会」ができ、「山武市」の「川面地区」の「若者達」に「伝統芸能」として受け継がれています。
 「神楽」は「十四の面」が使用され「十二場面」で行われ、12の「場面」を持つことから「十二面神楽」(十二座神楽)といわれています。

 「十二面神楽」は、「猿田彦」の「露払い」から始まり、約3時間に及ぶ「神楽の舞」と「湯立の神事」からなり伝統ある「行事」のひとつであります。
 現在「五所神社」に保管されている「神楽面」は、「猿田彦の命」、「鈿女の命」、「荒神」、「岩戸之舞」、「八幡大神」、「秋之神」、「種蒔」、「恵比寿大神」、「手力雄之命」、「乙女之命」、「榊葉」、「神功皇后」、「春日明神」、「受持之命」、「出雲大神」など「十五面」あります。
 その多くの「製造年代」は、はっきりとしていませんが、「八幡舞い」の「面」の「裏面」によると天明2年吉日(1782年)「江州日野町」(滋賀県琵琶湖周辺)にいた「外池惣兵衛」が奉納されたものなのだそうです。

 「十二面神楽」は「五所神社」は、仮設された「舞殿」で行われ、「日本神話」を主題とする「里神楽」の一種で、「五穀豊穣」と「氏子の安全」を祈願して、舞われます。
 ちなみに「秋之神」と「種蒔」は、「田」を耕して「種」を蒔く「農作業」を現した「舞い」で、「五穀豊穣」を願っての「舞い」なのだそうです。
 「神楽」の「舞殿」は、「拝殿」に隣接して直接出入り出来るように設置されており、「お囃子」は「拝殿」の中の一角で演奏しています。
 クライマックスは「出雲大神」(須佐男之命)で、「舞台」の上に張られた「〆縄」を、真剣(刀)で勇ましく切って「神楽」は終わります。
 (「ヤマタノオロチ」を退治した「剣」で「舞殿」の「天井」に張られた「〆縄」を切り、終了となります。)

 また、「五所神社」「十二面神楽」では、煮えたぎった「湯」に「笹」を入れる「湯立ての神事」も行われます。

 毎年2月第三日曜日に行われている「五所神社」「十二面神楽」を見に「山武市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「五所神社」「十二面神楽」詳細

 開催日時 2月19日(日) 12時半〜14時半

 開催会場 五所神社 山武市蓮沼イ1904

 問合わせ 0475-86-2324

 備考
 「五所神社」「本殿」は「千葉県」の「県重要文化財」に指定されています。
 また「五所神社」には、「境内神社」として「日月神社」・「箭指神社」・「八幡神社」・「三峯神社」が祀られています。
 「浜の七福神巡り」(1月20日のブログ参照)の「大黒天」が祀られていることでも知られています。

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