本日ご案内するのは、近隣市「山武市」「五所(ごしょ)神社」で今週末の2月19日(日)に行われます「十二面神楽」です。
「五所神社」は、「山武市蓮沼」(上総国武射郡)にある「神社」で、旧「社格」は「郷社」。
「五所神社」の「主祭神」は「天照大神」で、「誉田別尊」、「天児屋根命」、「表筒男命」、「素登織姫命」の「5神」を祀っています。
「五所神社」は、承安元年(1171年)の「創建」と伝えられ、治承4年(1180年)には「石橋山の戦い」に敗れた「源頼朝」がしばらくこの地にとどまり「武運長久国土安泰」を祈願したといわれ、中世以降は「上総国」「山辺荘」の「総社」でした。
天正年間(1573年〜1592年)に「社殿」を造営、「下総芦戸」に封じられた「木曽氏」と「当社」の「神官」に「縁故」があったことから「造営資金」の提供を受けたといわれています。
その後「台風」で倒壊し、現在の「本殿」は正徳元年(1711年)12月の再建なのだそうです。
桃山時代の遺風を残す「建造物」で、「唐破風」・「千鳥破風」、「入母屋造」、屋根は「栩葺き」、多くの平面的な「彫刻」を配している点は他に類例が少なく「千葉県」の「有形文化財」に指定されています。
「拝殿」には宝暦11年(1761年)の「棟札」が残っているそうです。
享保2年(1717年)「神祗官」より「正一位」の「神階」を贈られ、明治5年(1872年)旧称の「五所大権現」を「五所神社」と改め、大正11年(1922年)「郷社」に列しました。
「五所神社」の「十二面神楽」ですが、「山形県」に移封されていた「佐倉藩主」「堀田正亮」が、延享3年(1746年)に旧「領地」に帰れた「喜び」として「五所神社」へ「後供米」として40俵を奉納しました。
この返礼として近隣の「神官」が領主「堀田候」の「武運長久」と「氏子の安全」を祈願して、「五所神社」神前で「神楽」を奉納したのが始まりといわれています。
「十二面神楽」は、舞う場面が「十二座」あり、大正時代の始め頃より、旧「蓮沼村」「川面地区」の人達で伝承され、昭和50年(1975年)には「五所神社神楽保存会」ができ、「山武市」の「川面地区」の「若者達」に「伝統芸能」として受け継がれています。
「神楽」は「十四の面」が使用され「十二場面」で行われ、12の「場面」を持つことから「十二面神楽」(十二座神楽)といわれています。
「十二面神楽」は、「猿田彦」の「露払い」から始まり、約3時間に及ぶ「神楽の舞」と「湯立の神事」からなり伝統ある「行事」のひとつであります。
現在「五所神社」に保管されている「神楽面」は、「猿田彦の命」、「鈿女の命」、「荒神」、「岩戸之舞」、「八幡大神」、「秋之神」、「種蒔」、「恵比寿大神」、「手力雄之命」、「乙女之命」、「榊葉」、「神功皇后」、「春日明神」、「受持之命」、「出雲大神」など「十五面」あります。
その多くの「製造年代」は、はっきりとしていませんが、「八幡舞い」の「面」の「裏面」によると天明2年吉日(1782年)「江州日野町」(滋賀県琵琶湖周辺)にいた「外池惣兵衛」が奉納されたものなのだそうです。
「十二面神楽」は「五所神社」は、仮設された「舞殿」で行われ、「日本神話」を主題とする「里神楽」の一種で、「五穀豊穣」と「氏子の安全」を祈願して、舞われます。
ちなみに「秋之神」と「種蒔」は、「田」を耕して「種」を蒔く「農作業」を現した「舞い」で、「五穀豊穣」を願っての「舞い」なのだそうです。
「神楽」の「舞殿」は、「拝殿」に隣接して直接出入り出来るように設置されており、「お囃子」は「拝殿」の中の一角で演奏しています。
クライマックスは「出雲大神」(須佐男之命)で、「舞台」の上に張られた「〆縄」を、真剣(刀)で勇ましく切って「神楽」は終わります。
(「ヤマタノオロチ」を退治した「剣」で「舞殿」の「天井」に張られた「〆縄」を切り、終了となります。)
また、「五所神社」「十二面神楽」では、煮えたぎった「湯」に「笹」を入れる「湯立ての神事」も行われます。
毎年2月第三日曜日に行われている「五所神社」「十二面神楽」を見に「山武市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「五所神社」「十二面神楽」詳細
開催日時 2月19日(日) 12時半〜14時半
開催会場 五所神社 山武市蓮沼イ1904
問合わせ 0475-86-2324
備考
「五所神社」「本殿」は「千葉県」の「県重要文化財」に指定されています。
また「五所神社」には、「境内神社」として「日月神社」・「箭指神社」・「八幡神社」・「三峯神社」が祀られています。
「浜の七福神巡り」(1月20日のブログ参照)の「大黒天」が祀られていることでも知られています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=945 |
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地域情報::九十九里 | 08:27 AM |