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「第35回鹿嶋市花火大会」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「北浦湖上」で8月23日(金)に開催されます「第35回鹿嶋市花火大会」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」です。
 「鹿嶋市」は、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来市内」)の「沿線」であり、「交通網」が「水戸」でも「土浦」からでもなく、「千葉」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」に位置する「香取市」、「成田市」、「銚子市」、「千葉市」などとの関係が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。

 「北浦」は、「茨城県」にある「霞ヶ浦(かすみがうら)」を構成する「湖」のひとつで、「茨城県」「南東部」にある「湖」です。
 「北浦」は、「鹿嶋市」と「鉾田市」、「行方市」、「潮来市」、「神栖市」に囲まれた「南北」25kmの「細長い形」をなし、「面積」は36.1平方km、「周囲」68km、「水深」7mの「富栄養湖(ふえいようこ)」です。
 ちなみに「富栄養湖」とは、「調和型」の「湖」に分類され、「窒素」、「リン」などの「栄養塩濃度」が高く、「生物生産力」の大きい「湖」です。
 「北浦」は、「鹿島」、「行方」両「台地」の間の「侵食谷状」の「低地」に「水」をたたえ、かつて「南端」は「霞ヶ浦」に連なっていたそうです。
 「北浦」「湖岸」は「鋸歯(きょし)状」に「岬」と「入り江」が交互し、「北」から「巴川(ともえがわ)」が注ぎ、「南」は「鰐川」、「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)、「常陸川(ひたちがわ)」を経て、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に流出しています。

 「鹿嶋市花火大会」(2012年8月20日・2010年8月26日のブログ参照)は、8月下旬に「北浦」で開催される「花火大会」で、「関東一」の「尺玉」108連発や、「湖上」打ち上げならではの「水中スターマイン」を見どころに約10000発の「打ち上げ数」を誇る「鹿嶋市」の「夏の終わり」の「風物詩」です。
 「鹿嶋市花火大会」は、「夜空」に打ち上がる「花火」と「湖面」に映る「花火」の「二重の美しさ」を感じる「花火大会」で、「他」の「花火大会」で観ることのできない「花火」が「目の前」に広がります。

 「第35回鹿嶋市花火大会」ですが、今年(2013年)も「東日本大震災」からの「復興」を祈念して「鹿嶋市復興花火大会」として開催するそうです。
 「第35回鹿嶋市花火大会」は、上記のように「迫力満点」の「尺玉108連発」や「湖上打ち上げ」ならではの「水中スターマイン」が見どころの「花火大会」で、「夜空」に打ち上がる「花火」と「湖上」に映る「花火」で「二重の美しさ」を感じる「花火大会」だそうです。

 なお「第35回鹿嶋市花火大会」では、「会場」周辺の「駐車場」には限りがあるため、「JR鹿島神宮駅」及び「カシマサッカースタジアム」「B駐車場」から「無料シャトルバス」を運行し、なるべく「シャトルバス」での「来場」を呼びかけています。

 「北浦湖上」で開催される「鹿嶋の夏の終わりの風物詩」「第35回鹿嶋市花火大会」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第35回鹿嶋市花火大会」詳細

 開催日時 8月23日(金) 19時半〜21時

 開催会場 北浦湖上 茨城県鹿嶋市大船津

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 昨年(2012年)行われました「第34回鹿嶋市花火大会」には、22万人の「人出」があり、「会場」周辺はとても賑わったそうです。
 「第35回鹿嶋市花火大会」は、「悪天候」の場合は翌日の8月24日(土)に順延されるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1793 |
| 地域情報::鹿島 | 01:00 PM |
「潮来祇園祭禮(いたこぎおんさいれい)」(潮来市)
 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「素鵞熊野神社」「潮来地区」で8月2日(金)〜4日(日)の期間開催されます「潮来祇園祭禮(いたこぎおんさいれい)」です。

 「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日、「茨城県」「行方郡」「潮来町」と「行方郡」「牛堀町」が合併し「潮来市」になりました。
 旧「潮来町」は、1955年(昭和30年)、「潮来町」と「津知村」、「大生原村」、「延方村」が合併して誕生しました。
 合併前の「潮来町」の「人口」は25841人(2000年国勢調査)、「面積」は4388平方kmでした。
 旧「牛堀町」は、1955年(昭和30年)、「香澄村」、「八代村」が合併し、「牛堀村」が発足し、同年「町制施行」し、合併前の「人口」ですが、6103人(2000年国勢調査)、「面積」は18.79平方kmとなっていました。
 「潮来市」の「人口」ですが、平成22年の「国勢調査」による「人口」は、30534人(男15048人、女15486人)となっており、2013年7月1日現在の「人口」は29618人(男14699人、女14919人)となっています。

 「潮来市」は「茨城県」「東南部」に位置し、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面しています。
 「潮来市」は「東西」が約12km、「南北」が13kmあり、「北部」には「海抜」約30mから40mの「行方台地」が「南北」に続いており、「東部」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)に面し、「西部」は「霞ヶ浦(かすみがうら)」と「北利根川」、「南部」は「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)というように、「水辺」に囲まれた「自然」豊かな「まち」です。

 「水郷」として知られている「潮来」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「下流」にできた「水郷地帯」の「一角」で、「潮来市」では、「サッパ舟」や「あやめ」(2011年5月27日のブログ参照)が「有名」で、「前川十二橋巡り」(2012年5月26日のブログ参照)、「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)などの「観光スポット」があることでも知られています。
 「潮来市」は、「橋幸夫」さんの「潮来笠」や「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」、「美空ひばり」さんの「映画」「娘船頭さん」など、「歌」や「映画」に取り上げられ、現在では、「全国区」の「知名度」を誇り、毎年5月末から6月末にかけて「水郷潮来あやめまつり」(2013年5月14日・2012年5月14日のブログ参照)が盛大に開催され、多くの「観光客」が訪れています。

 「潮来祇園祭禮」の「まつり」の「起源」は、「神社」の「由来」と「密接」な「関係」があり、「素鵞熊野神社(そがのくまのじんじゃ)」はもと「素鵞神社」と「熊野神社」に分かれていました。
 「素鵞熊野神社(そがのくまのじんじゃ)」は、1877年(明治10年)、「素鵞神社」と「熊野神社」が合祀され誕生しました。
 「素鵞熊野神社」は、「潮来」の「鎮守社」で、「潮来祇園祭禮」(2012年7月30日・2011年7月31日のブログ参照)が行われることで知られており、「潮来祇園祭禮」は「素鵞熊野神社」の「例祭」として行われ、「神輿」や「山車」が「潮来地区内」を練り歩きます。

 「素鵞神社」の「創建」(創祀)は天安2年(858年)に「漁夫」によって「浪逆浦」により引き揚げられた「神輿」を旧「辻村」の「天王原」に奉斎した(祀った)のが「はじまり」とされ、以来「4丁目」以西の「鎮守」として信仰されてきました。
 「辻」の「天王原」に祀られていた「古社」を、文治4年(1188年)に「潮来」「町内四丁目」の「天王河岸」へ移し、「牛頭天王」と呼び、「神楽ばやし」と「獅子舞」が奉納されたそうです。
 ちなみに「牛頭天王」は「八坂神社」の「御祭神」で、元来は「インド祇園舎」の「守護神」とされ、「疫病除けの神」として知られています。
 文治4年(1188年)の「遷座」と「牛頭天王」を奉斎した背景には、「潮来地方」での「疫病」の「流行」などがあったものと思われます。
 また「伝承」によりますと「熊野三社」を参詣した「村人」が、その「霊験」を尊んで天正年間(16世紀後期)「潮来」に勘請したのが、「本宮」、「新宮」、「那智」の「熊野三社権現」だそうです。
 元禄9年(1696年)の「牛頭天王」は、「水戸藩主」「徳川光圀」公による「一村一社」の「政策」により「現在地」に移り、「熊野三社権現」と相殿となりました。
 さらに天保15年(1844年)、「牛頭天王」は「仏教色」の強い「呼称」から、「神道的」な「素鷲神社」へと「社号」を改め、同時に「熊野三社権現」も「熊野神社」と「名前」がかわったそうです。
 明治10年(1877年)に長く「相殿」であった「両社」は、「素鵞熊野神社」となって現在に至っています。
 「素鵞熊野神社」の「御祭神」ですが、「素鵞社」は「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「奇稲田比命(くしいなだひめのみこと)」、「熊野社」は「伊奘諾命(いざなぎのみこと)」、「伊奘冊命(いざなみのみこと)」、「速玉男命(はやたまのおのみこと)」、「事解男命(ことさかのおのみこと)」を祀っており、「境内社」として「神明神社」、「第六天神社」、「松尾神社」、「淡島神社」、「金比羅神社」、「愛宕神社」、「大杉神社」、「稲荷神社」を祀っています。

 「潮来祇園祭禮」は、「天王山」に鎮座する「素鵞熊野神社」の「例大祭」で、八百有余年の「歴史」と「伝統」のある「祭禮」です。
 「潮来祇園祭禮」は、毎年8月の「第一金曜日」から「日曜日」までの「3日間」にかけて行われ、まず「初日」に「二体」の「神輿」(俗に「天王様」、「権現様」と呼ばれています。)が出御する「御浜下り」ではじまるそうです。
 「潮来祇園祭禮」「中日(なかび)」は「町内渡御」(町内御巡行)、「最終日」には「還御」(お山上り)が行われます。
 「潮来祇園祭禮」に「花」を添えるのは、「三丁目」の「獅子舞」をはじめ、「総数」十四台もの「山車」、そしてこの「山車」にのった「芸座連」によって奏でられる「潮来囃子」です。
 「潮来祇園祭禮」の「圧巻」は「のの字廻し」や「そろばん曳き」に代表される「曲曳き」で、「若衆」と「山車」、「芸座連」が一体となった様は必見だそうです。
 また「潮来市内」を流れる「前川」沿いには大きな「幟(のぼり)」がいくつも立てられるなど、「都市部」の「祭禮」にない「潮来独特」の「風景」を見ることができるそうです。

 「潮来祇園祭禮」では、上記のように「素鵞熊野神社」より、「素鵞社」(天王様)と「熊野社」(権現様)の「二体」の「御神輿」が「天王山」より下りて、「仮宮」においでになり、「祭禮中」の「3日間」「神事」のひとつとして、14町内の「奉納山車」の「曳き廻し」が行われますが、「潮来祇園祭禮」で使用される「山車」はほとんどが、「総欅造り」で「潮来囃子」の「芸座連」が「山車」に乗って演奏する「芸能山車形式」のものだそうです。
 「潮来祇園祭禮」「山車」の「周囲」には「高彫り」という「精巧」かつ「華麗」な「彫刻」がはめ込まれ、「山車」、「飾り物」、「彫刻」、「玉簾」、「額」、「幟」など、江戸・明治時代の「匠の技」を今に伝えるもので、「各町内」の「財産」として大切に管理されています。

 「潮来祇園祭禮」「山車」の「各町名」と「人形」ですが下記の通りとなっています。

  町名     人形(作者)   芸座連

 西壹丁目   神武天皇    潮風会囃子連
 (西町)    (田島義郎)

 濱壹丁目   神功皇后    佐原囃子連中
 (濱町)    (鼠屋福田萬吉)

 上壹丁目   日本武尊    上町芸座連
 (上町)    (衣川人麻呂)

 下壹丁目   福俵白鼠    千秋会囃子連
 (下町)    (町内で作成)

 大塚野    本多平八郎忠勝 水郷会囃子連
        (町内で作成)

 あやめ二丁目 真田幸村    あらく囃子連
 (あやめ町)  (古屋敷義男)

 貮丁目    大国主命    登喜和芸座連
        (古屋敷義男)

 三丁目    御神楽     三町目芸座連

 四丁目    天乃岩戸    葦切會
 (天王町)   (鼠屋五兵衛)

 五丁目    源頼政     源囃子連中
        (伝 鼠屋五兵衛)

 六丁目    弁慶      川岸囃子連
        (伊藤久重)

 七丁目    素盞鳴尊    花崎囃子連
        (竹田縫之助)

 八丁目    静御前     如月会
        (古川長延)

 七軒町    源義経     鹿嶋芸座連
        (田島義郎)

 「潮来祇園祭禮」の開かれる「3日間」は「閑静なまち」が「まつりの熱気」に包まれ、14台の「勇壮」な「山車」が「町中」を練り歩きますが、それぞれの「山車」の上には「身の丈」4m以上ある「歴史上の人物」などの「大人形」が飾られ、「大天井」が「目前」を行く様には圧倒されます。
 「潮来祇園祭禮」の「山車」の「形」は、「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)の「流れ」を汲む「佐原型山車」なのだそうです。

 「潮来市」の「夏」を彩る「素鵞熊野神社」の「例大祭」「潮来祇園祭禮」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「潮来祇園祭禮」詳細

 開催期間 8月2日(金)〜4日(日)

 開催会場 素鵞熊野神社 潮来市潮来地区

 問合わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「潮来祇園祭禮」に奉納される「獅子舞」と「潮来囃子」は、「茨城県」の「県指定無形文化財」に指定されており、また「素鵞熊野神社」「境内」の「大欅」は、「茨城県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 また「潮来祇園祭禮」の「山車」のうち「三台」(「上壹丁目」・「下壹丁目」・「四丁目」(天王町))は、「茨城県」の「県指定文化財」となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1768 |
| 地域情報::鹿島 | 10:54 AM |
「延方相撲」(潮来市)
 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「鹿嶋吉田神社」で7月28日(日)に開催されます「延方相撲」です。

 「潮来市」は、古くから「水運陸路」の「要所」として栄え、「大化の改新」のころ「国府」(現在の「石岡市」)から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが「まち」の「始まり」だと伝えられています。
 その昔は、「地名」を「伊多古」「伊多久」と称し、また「常陸国風土記」(2012年6月3日のブログ参照)には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日(こんにち)に至っていると云われています。

 近世になると、「奥州諸藩」の「物産」を集めて「江戸」に向かう「千石船」が「銚子河口」から「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)にて「潮来」に至り、「潮来」で1〜2反帆の「高瀬舟」に「積み荷」の「積み替え」を行い、「前川」(2012年5月26日のブログ参照)は行き交う「大小」の「船」で賑わい、「荷」の「揚げ降ろし」の「船付場」(河岸)が続き「中継港」として大いに「繁栄」をしました。
 しかし、「潮来」が大いに「繁栄」したのは、この江戸時代中期ころまでであり、元文年代(1736〜1740年)の「大洪水」で「利根川」の「本流」が「佐原地方」に移ると、「中継港」としての「機能」を失ってしまったそうです。

 さらに、明治に入って「常磐線」が開通し、「陸運」が盛んになってからは、「水運」は一挙に衰退し、それに「歩調」を合わせるかのようにして「潮来」も寂れてしまいました。
 それ以来、この地方では「産業」らしき「産業」もなかったことから、「地元」の「若い娘」の「収入源」として、「観光客」の「」案内を兼ねて「サッパ」を操ったところ「観光客」に「好評」を博したことから「娘船頭さん」として知られるようになりました。
 昭和30年3月には、「美空ひばり」さんの「むすめせんどうさん」の「ロケ」が「水郷潮来」で行われたのが「きっかけ」となり、「その名」は「全国的」に知られるようになりました。
 この「地方」は、「周囲」を「水」に囲まれた「水郷地帯」であったことから、この「地域一体」には「水路」(江間)が「縦横」に張りめぐらされ、「嫁入り」する際に「花嫁」や「嫁入り道具」を運搬するときにも「サッパ舟」が使われており、昭和30年前半ごろまでは「日常的」に行われていました。
 この「嫁入り舟」(2012年6月1日のブログ参照)が、「全国的」に知られるようになったのは、昭和31年10月に「松竹映画」「花嫁募集中」と「タイアップ」し「ミス花嫁」を「募集」したことが「きっかけ」となり、「花村菊江」さんが歌った「潮来花嫁さん」の「大ヒット」によりさらに「全国的」に知られるようになりました。

 「鹿嶋吉田神社」は、「潮来市」にある「神社」で、「延方相撲」(2012年7月27日のブログ参照)が行われることで「有名」な「神社」です。
 「鹿嶋吉田神社」の「御祭神」ですが、「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」と「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀っています。
 「鹿嶋吉田神社」は、「延方村」と「島崎村」(現・「潮来市」「延方地区」)の「鎮守」で、また「鹿嶋吉田神社」は「参道」の「桜」が美しいことでも知られています。

 「延方相撲」の「はじまり」ですが、1672年「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)の「三角州」を巡って長い間、「延方」と「下幡木」(神栖市)の「利権争い」が絶えないとき、「幕府」の「評定」により「延方有利」に解決した事から1673年、「感謝」を表す為に、「鹿嶋吉田神社」に「相撲」を奉納されるようになったそうです。

 「延方相撲」の「由来」ですが、以下の通りです。

 江戸時代初期「徳島」一帯(地区)では「漁場」をめぐる「紛争」や、また「農耕地」の「利権論争」、「耕作権」の「問題」など「紛争」が絶えませんでしたが、寛文12年(1672年)7月27日この「紛争」に対して「江戸幕府」より「御評定」があり

 「この地は水戸南領に属す。」

 という「採決」がありました。
 「村人」はこれを喜び合い寛文13年(1673年)「相撲祭」を「延方村鎮守」「鹿嶋吉田神社」に奉納して感謝したことにはじまり、「江戸勧進相撲」の「格式」をもって今日(こんにち)に伝えられています。

 「相撲祭」は、「祭礼」までの約1ヶ月前から種々の「行事」が始められ、「当番地区」においては「見届け行事」に始まり、「神前会議」、「当番誥家開き」、「衣装揃え」、「地取り祭」まで「地区」総がかりで行われるそうです。
 「祭礼」の「当日」、「早朝」より「当番地区」から「神社」までは「宮行司」、「警護」、「世話人」、「総代」、「花相撲」と古式床しい「行列」によって出されます。
 「相撲」は「鹿嶋吉田神社」「境内」「本殿」前に築かれた「土俵」で、「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」など「古式」の「取り組み」48番が取り納められます。

 「延方相撲」「祭礼当日」の「流れ」ですが、「当番地区」から「神社」への「古式」豊かな「行列」が繰り出され、「神事」のあと、3歳から7歳の「小児」による「花相撲」によって「奉納相撲」が開始、その後「古式」に則った「48番」が「奉納」となります。

 「延方地区」の「鎮守」「鹿嶋吉田神社」で奉納される「神事」「延方相撲」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「延方相撲」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 鹿嶋吉田神社 茨城県潮来市新宮1885

 問合わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111

 備考
 「鹿嶋吉田神社」「延方相撲」は、昭和39年(1964年)7月31日に「茨城県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1760 |
| 地域情報::鹿島 | 09:37 AM |
「道の駅いたこ」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市」の「人気スポット」「道の駅いたこ」です。

 「潮来市」は、「茨城県」の「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から80km圏に位置しています。
 「潮来市」は、「西」に「霞ヶ浦(かすみがうら)」・「常陸利根川」、「東」に「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「南」に「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)と「水辺」に囲まれ、「潮来市内」の「中心」にも「前川」が流れる「水郷地帯」となっています。

 「潮来市」は、「面積」71.41平方kmで、「東西」が約12km、「南北」が13kmあり、「北部」には「海抜」約30mから40mの「行方台地」が「南北」に続いており、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面しています。

 「潮来市」の「産業」ですが、「第一次産業」「農業」では、「米」の「栽培」が盛んで、「第二次産業」では、「潮来市」の「北部」に「潮来工業団地」(旧称・牛堀工業団地)が形成されており、「昭和産業」といった「企業」の「工場」が置かれており、「第三次産業」は、「JR潮来駅」周辺や「国道51号線」沿いに「商業地域」が形成されており、「潮来市内」にある「商業施設」として「潮来ショッピングセンターアイモア」、「ショッピングプラザラ・ラ・ルー」があげられます。
 また「潮来市内」に「本社」を置く「企業」として「セイミヤ」があり、「潮来市」は、「東関東自動車道」により「都心」や「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からの「アクセス」が良いことや、隣接する「鹿嶋市」、「神栖市」に「鹿島臨海工業地帯」が形成されていることなどから「潮来市内」には、「潮来IC」周辺を中心に「物流拠点」が置かれています。

 「水郷情緒」溢れる「潮来市」には、その「地勢」や「四季」を通じて穏やかな「気候」を活かした「特産品」がたくさんあります。
 「潮来市」の「特産品」ですが、「あやめ笠」、「まこも」、「佃煮」・「すずめ焼き」、「潮来産コシヒカリ」「潮来あやめちゃん」、「お酒」、「漬物」、「せんべい」があげられます。

 「あやめ笠」ですが、「い草」で編んだ「菅笠」です。
 「水郷情緒」豊かな「サッパ舟」を操る「娘船頭」の「風情」というと、「紺ガスリ」と「菅笠」(あやめ笠)に象徴されています。
 「い草」で編んだ「あやめ笠」は、「早場米地帯」として知られる「水郷潮来地方」では、古くから「農作業」には欠かせない「必需品」で、「日よけ」や「雨よけ」の「農具」として、更には「悪事災難」を避け常に「身」をまもる「笠」としてこの「水郷潮来地方」では大切にされてきたそうです。

 「まこも」は、「イネ科マコモ属」・「多年草」の「水生植物」で、「野生」のものは「茎」が「肥大化」していないため食べられないそうです。
 「食用まこも」は、4月から5月頃に「水」を張った「水田」に、1平米に1本程度に定植した後、「水稲」と同じような「管理」をすると、その「若茎」に「黒穂菌(くろぼきん)」が寄生して、「肥大化」し、「秋」の「収穫時」になると「草丈」は1.5mから2mほどになり、「茎」の「根元」の部分が「肥大化」して「竹の子状」になり、この「株」の部分20cmほどを「まこもだけ」といい、ここを「収穫」し「食用」にするそうです。
 「まこも」の「味」は、「基本的」には「無味無臭」ですが、ほのかに「甘味」があり「淡白」な「味」のため「多種多様」な「料理」ができます。
 「まこも」は、「油」との「相性」が良いため、「中華料理」に多く使用され、「繊維質」や「たんぱく質」、「ビタミン」、「カリウム」等を含む「健康食品的」な「野菜」となっており、「まこも」の「食感」は、「たけのこ」と「アスパラガス」の「中間位」の「柔らかさ」そうです。
 昭和30年前半までは、「水郷潮来」周辺の「河川」等には、「野生」の「まこも」が「繁茂」しており、これら「まこも」をはじめとする「水生植物」は「水郷潮来」の「原風景」の一部ともなっていました。
 これからの「魅力」ある「観光地づくり」を創造していくためには、他の「地域」に存在しない「個性」や「特性」がある「特産品」の「開発」が「有効」であり、「水郷」ならではの「まこも」(マコモダケ)に「付加価値」を付けることで「特産品」としての「価値」をさらに高めることが「期待」されています。

 「佃煮」・「すずめ焼き」ですが、この「水郷潮来地域」の「特産物」として知られています。
 「川魚」の「佃煮」は、「昔」ながらの「手作り製法」で「丁寧」に仕上げられ、「ご飯」や「お酒」のおともに、また「カルシウム」が「豊富」で「お子様」から「大人」まで「人気」です。
 明治時代後半のころから、「霞ヶ浦」や「北浦」そしてその「周辺」の「湖沼」や「河川」で、その「季節」ごとに採れる「魚介類」(「わかさぎ」や「しらうお」、「はぜごろ」、「えび」等)を「独自」の「タレ」で煮上げた「佃煮」や「塩ゆで」した後に「天日干し」をした「煮干し」がありました。
 また「すずめ焼き」は、「小鮒」や「タナゴ」等を「串刺し」にして「醤油」や「ミリン」などを調合した「タレ」を使い「炭火」などで焼き上げ、その焼き上がった「姿」が「スズメ」が「電線」にとまっている様子に似ているところから「すずめ焼き」と呼ばれるようになったと言われています。

 「潮来産コシヒカリ」は、「各圃場」ごとに「土壌診断」を実施し、その結果を基に「地域内」で生産された「牛糞堆肥」のほか、「土壌改良資材」を施用して作られた「コシヒカリ」です。
 「潮来産コシヒカリ」は、「潮来市大規模稲作研究会」による「栽培方法」により栽培されているそうです。
 「潮来市大規模稲作研究会」による「栽培方法」ですが、以下のような「ルール化」して作られています。

 1 堆肥を使って健康な土を作る。

 2 種子は健康な新しいものを100パーセント毎年購入する

 3 小さい粒は除く。(振るい目1.9mm以上)

 4 農薬、肥料等の使い方など栽培方法を明らかにする。

 5 収量を抑えて、味をよくする。

 「お酒」ですが、「鹿行地域(ろっこうちいき)」で「唯一」の「酒蔵」である「愛友酒造」(2011年12月17日のブログ参照)は、1804年(文化元年)創業の「老舗」で、

 「互いに心を開いて酒を酌みかわせば、世界の人々は皆、兄弟のように睦みあえる」

 という「意味」の「四海皆兄弟」を「創業」以来の「社是」として営業しています。
 「愛友酒造」の数ある「お酒」の中でも「自慢」の「大吟醸」は、「茨城県知事賞」をはじめ、「関東信越国税局優秀賞」、「全国新酒鑑評会金賞」、「モンドセレクション最高金賞」など、数々の「賞」を受賞しています。
 その他、「あやめ花酵母」をつかった「お酒」もあり、「水郷潮来あやめまつり」など、「潮来」ならではの「お酒」もあり、「お土産」や「ご贈答」にお勧めとなっています。

 「漬物」ですが、「地元野菜」と「秘伝」の「たれ」を使った「手作り」の「お漬物」を扱う「お店」がたくさんあり、「お土産」に最適です。

 「せんべい」ですが、「水郷潮来」は、その「地勢」を活かし「良質」な「米どころ」で、その「米」を生かした「昔ながら」の「手焼きせんべい」・「揚げもち」が「人気」の「お土産」として知られています。

 「道の駅いたこ」は、「茨城県」「潮来市」の「一般県道101号線潮来佐原線」上にある「人気」の「道の駅」です。
 「道の駅いたこ」は「東関東自動車道」「潮来IC」下車1分、「太平洋」沿いを走る「国道51号線」沿線の「観光スポット」への「出発拠点」です。
 「道の駅いたこ」は、2001年8月21日に「登録」された「道の駅」で、2002年4月25日に「開駅」しました。
 「道の駅いたこ」は、「茨城県下」「売上高」「上位」の「道の駅」で、「潮来市」の新たな「情報発信拠点」として「イベント」などさまざまな「企画」を実行しています。

 「道の駅いたこ」では、「オリジナル」の「イメージキャラクター」「風くん」「ミナモちゃん」「いたこいぬ」「いたこねこ」(2013年5月19日のブログ参照)で「施設」をアピールし、「どら焼き」や「ジェラート」など「オリジナル商品」を「製造」「直売」しています。
 また「道の駅いたこ」を運営する「第三セクター」の「株式会社いたこ」は、「いたこ市内無料送迎バス」「あやめ号」を運営しており(運行は委託)、「地元住民」のみならず「道の駅いたこ」の「アクセス」として「観光客」にも広く利用されています。

 「道の駅いたこ」の「施設概要」ですが、「敷地面積」約2ha(ヘクタール)、「建設面積」1740平方m、「駐車場台数」は「普通車」266台、「大型車」17台、「身障者用」3台、「営業日」は「年中無休」、「営業時間」は9時から19時までとなっています。
 「道の駅いたこ」の「各施設」の「概要」ですが、「多目的広場」、「うるおい館」、「情報棟」、「トイレ」となっています。
 「多目的広場」は、500平方mある「施設」で、「新鮮市場」「伊太郎」、「ひかりの広場」があります。
 「新鮮市場」「伊太郎」は、126平方mある「施設」で、「朝どり新鮮野菜」、「手作り加工品」、「魚肉加工品」類の「販売」をしています。
 「ひかりの広場」は、539平方mある「施設」で、「高さ」13mの「ピラミッド型屋根」が「シンボル」で、「集客」・「販促イベント」が「地域交流」の「拠点」となっています。

 「うるおい館」は、690平方mの「施設」で、「総合案内」、「いたこショップ」(アンテナショップ)、「キャラクター・コーナー」、「虹工房」、「潮来こめ自慢」「おふくろ亭」、「ハーブ&フラワーショップ」となっています。
 「総合案内」ですが、「地域」や「観光案内」のほか「ギャラリー」としても利用されています。
 「いたこショップ」(アンテナショップ)ですが、「潮来市」のみならず「茨城県内」の「物産販売」、「催事スペース」には「ホット」な「商品」をそろえています。
 「キャラクターコーナー」は、上記の「オリジナルキャラクター商品」の「開発」および「販売」を行っています。
 「虹工房」は455平方mの「施設」で、「新鮮」な「アイスクリーム」や「ヨーグルト」、「地元産」の「お米」を「原料」とした「おにぎり」、「お菓子」、「米関連商品」などの「開発」や「販売」を行う「コーナー」です。
 「潮来こめ自慢」「おふくろ亭」は236平方mの「施設」で、「潮来」の「特産品」を活かした「料理」を提供する「おふくろ食堂」です。
 「ハーブ&フラワーショップ」は165平方mの「施設」で、「ハーブ」を中心に「関連グッズ」や「地域」の「花木」の「販売」、「ガーデニング」の「指導」などを行っています。

 「情報棟」は、97平方mの「施設」で、「大型ディスプレイ」や「情報機器」を利用して、「潮来市」だけではなく「茨城県内」の様々な「観光・物産情報」や「高速道路渋滞情報」、「道路情報」などを「提供」しています。

 「潮来」の「特産品」、「名産品」、「オリジナル商品」が多数揃い「充実」した「施設」がある「人気」の「観光スポット」「道の駅いたこ」。
 「あやめ」「花菖蒲」が見頃を迎えている「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「道の駅いたこ」詳細

 所在地  茨城県潮来市前川1326-1

 営業時間 9時〜19時(年中無休)

 問合わせ 道の駅いたこ 0299-67-1161

 備考
 「季節」ならではの「イベント」「水郷潮来あやめまつり」(2013年5月14日のブログ参照)は、今週末の6月23日(日)まで開催されています。
 「道の駅いたこ」では、「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)最寄りの「JR潮来駅」まで「無料シャトルバス」を6月23日(日)までの「土日」限定で運行しています。
 また「道の駅いたこ」では、5月20日(月)に「イオン銀行」による「ATM」を導入したそうです。













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| 地域情報::鹿島 | 11:41 AM |
「小笠原流奉納百手式(ももてしき)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「表参道」で6月9日(日)に開催されます「小笠原流 奉納 百手式(ももてしき)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」の「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「参拝者数」では、「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「鹿島神宮」「奥参道」は、「鹿島神宮」「本宮」から「奥宮」までの「参道」で、「鬱蒼(うっそう)」たる「鹿島神宮の森」の中にあります。
 「鹿島神宮」「奥宮」へ至る「奥参道」の「両脇」には、「スギ」、「モミ」、「カシ」、「クスノキ」などの「巨樹古木」が立ち並び、「森林浴」の「ベストスポット」となっています。
 ちなみに「鹿島神宮」「境内」奥の広大な「鹿島の森」の「面積」は約4400000平方m(東京ドーム約9.4個分)となっており、「鹿島の森」には約800種の「植物」が育成しているそうです。

 「小笠原流」は、「武家故実」(弓馬故実)、「弓術」、「馬術」、「礼法」の「流派」で、また「兵法」、「煎茶道」、「茶道」にも「小笠原流」を名乗るものがあります。
 「礼儀作法」の「流派」として「知名度」の高い「流派」でありますが、「本来的」には「弓術」・「馬術」・「礼法」・「軍陣故実」などの「武家社会」の「故実」(武家故実)全般の「流派」です。
 「小笠原流」の「原型」となったのは「小笠原氏家伝」の「故実」であり、室町時代中期以降、「小笠原氏」が「武家社会」における「故実」の「指導的存在」となったことから、「小笠原流」の「故実」が「武家」に重んじられたそうです。
 「小笠原流」と呼称されるものは「歴史上」いくつか存在し、それぞれ「内容」、伝えた「家系」が異なる場合があるので「区別」が必要です。
 また、「小笠原流」の「歴史」に関しては「後世の創作」や「仮託」が広く流布されているため、「史実」との「峻別」も必要だそうです。

 「小笠原流弓馬術礼法」(平兵衛家系)ですが、「流派」の「始祖」としては、「小笠原家」の「初代」「小笠原長清」とするもの、「7代」「小笠原貞宗」とするもの(本朝武芸小伝等)、さらには「遠祖」の「貞純親王」とするもの等があります。
 「寛政重修諸家譜」等に見える「家伝」によりますと、「小笠原氏」は「遠祖」の「貞純親王」以来の「糾法(きゅうほう)」(弓馬術礼法)を代々伝え、鎌倉時代には「初代」の「小笠原長清」が「源頼朝」の、「2代」「小笠原長経」が「源実朝」の「糾法(きゅうほう)」「師範」に命じられたとするそうです。
 「7代目」の「小笠原貞宗」は南北朝時代に「後醍醐天皇」に仕え、
 「弓馬の妙蘊に達し、かつ礼法を新定して、武家の定式とするなり」
 という「御手判」を賜り、このとき「弓・馬・礼」の「三法」をもって「糾法」としました。
 また「王」の「字」の「紋」を与えられ、これが現在にも伝わる「三階菱」の「家紋」となっており、この時期に、「貞宗」と「一族」の「小笠原(赤沢)常興」は「修身論」及び「体用論」をまとめ、今日の「小笠原流」の「基礎」を築いたとされています。

 室町時代には、「足利義満」の「命」により、「10代」「小笠原長秀」が「今川左京大夫氏頼」・「伊勢武蔵守憲忠」と共に「三議一統」を編纂、「武士」の「一般常識」をまとめたとされています。
 「18代」「小笠原貞慶」は、「三議一統」後に加えられた「記述」をし、「武家礼法」を「小笠原礼書七冊」としてまとめました。
 「小笠原家」は代々、「総領家」(本家)が「糾法」および「小笠原流礼法全般」をとりしきっていたが、「総領家」「17代」「小笠原長時」と「その子」「貞慶」期には「戦国大名」として、「信濃侵攻」を行った「甲斐」の「武田信玄」と「戦い」を繰り広げる中、「弓馬礼法」の「伝統」を絶やさないため、永録5年(1562年)、「一族筋」にあたる「赤沢経直」に「糾法的伝」と「系図」、「記録」を携え、「弓馬術礼法」の「宗家」の「道統」を託したそうです。
 「道統」ては「小笠原流」の「弓・馬・礼」の「三法」の「総取り仕切り役」の「正統継承」を意味し、このとき、「総領家」と「弓馬礼法」の「家」が分離したそうです。
 この後、「赤沢経直」は「徳川家康」に仕えて「小笠原姓」に復しました。
 「弓馬礼法宗家筋」となったこの「家系」(平兵衛家)は「歴代将軍」に仕え、「将軍家」「子女の婚礼」や「元服の儀式」に与るとともに、「8代将軍」「徳川吉宗」の「命」により「復興」された「流鏑馬」(騎射狭物)が「第20代」「小笠原常春」に預けられ、以後代々「騎射師範」として「門弟」を指揮し、「高田馬場」等で行うなどしています。

 明治以降も継承され現在、「小笠原清忠」が「弓馬術礼法教場」「31世宗家」で、「弓馬術礼法」の「継承者」として、「大的式」・「百々手式」・「草鹿」等の「歩射」、「流鏑馬」・「笠懸」などの「騎射」の「各種」の「式」を「明治神宮」や「熱田神宮」、「伊勢神宮」、「靖国神社」、「鶴岡八幡宮」など「各地」で行っています。
 「小笠原流礼法」は「登録商標」(商標登録番号 第3076080号)となっていて「小笠原流教場」以外が、「小笠原流礼法」の「名称」を使用して教えることは禁じられています。
 なお、「弓術流派」としての「小笠原流」は、室町時代後期に「戦陣」の「歩射」を「起源」として興った「日置流」の「斜面打起し」に対し、「騎射由来」である「正面打起し」を行う「点」に「特色」があります。
 「体配」(行射の作法)も「日置流」とは異なり、今日的な「用語」で「礼射系」と分類され、「射法」に関しては「日置流」の「影響」を受けています。

 「百手式」とは、「奥参道」にて「弓矢」の「徳」を敬って「魔性」を鎮める「儀式」です。
 「鹿島神宮」では、上記のように6月9日(日)13時から「鹿島神宮」「奥参道」にて「小笠原流 奉納 百手式」を催行するそうです。
 「小笠原流 奉納 百手式」では、「弓馬術礼(禮)法」で「高名」な「小笠原流宗家」をはじめ、「小笠原御一門」の「方々」が「鹿島」の「大神様」「武甕槌大神」に「百手式」を奉納するそうです。
 「百手式」当日は、「本陣」を出立(しゅったつ)し「大町通り」を参進、「正式参拝」の後、「鹿島神宮」「奥参道」にて「弓矢」の「徳」を敬って「魔性」を鎮める「儀式」「百手式」が執り行われます。
 「百手式」では、数人ずつにわかれ「一斉」に射放たれた「矢」が「雨垂れ」が落ちるかの如く降り注ぎ、普段では絶対に見ることの出来ない「光景」が「目の前」に広がります。

 「武神」「武甕槌大神」を拝する「鹿島神宮」で行われる「古式」ゆかしい「行事」「小笠原流 奉納 百手式」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小笠原流 奉納 百手式」詳細

 開催日時 6月9日(日) 13時〜

 開催会場 鹿島神宮表参道 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」の「鹿島の森」(鹿島神宮の森)こと「鹿島神宮樹叢(かしまじんぐうじゅそう)」は、「フウラン」など「北限」の「植物」も混生して貴重なことから、昭和38年8月に「茨城県」の「天然記念物」に指定されています。

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| 地域情報::鹿島 | 09:43 AM |
「古武道奉納演武(こぶどうほうのうえんぶ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「社殿」前「特設会場」で6月9日(日)に開催されます「古武道奉納演武(こぶどうほうのうえんぶ)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつで、「茨城県」はもとより「日本」を代表する「古社」のひとつです。
 (「東国三社」とは「鹿島神宮」、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「総称」です。)
 また「鹿島神宮」は、「日の本(ひのもと)日出(ひい)づる 「鹿島立」の御神徳」により、「旅行安全」・「五穀豊穣」・「殖産・安産の信仰」・「事業の創造」・「新規開拓」・「開運の神」として「御利益」があります。

 さらに「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は、「宇宙自然の創世」になりませる「陰陽の神」「イザナギ」、「イザナミ」の「両神」より生まれた「火の神」「カグツチ」より誕生され、後に「国譲り」の際に「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」と共に「日本の国」を平定し、「大御神」の元へ復命されたという「神話」から、もうひとつの「御利益」として、「武道」・「競技」・「政治(まつりごと)」などの「必勝祈願」の「信仰」があげられるそうです。

 「鹿島神宮」は、現在も「宮中」で行われている「1月元旦」の「四方拝」で遥拝される「一社」であり、「香取神宮」とともに「古代朝廷」が「東国」を治めるにあたって「蝦夷」に対する「前線基地」として重要視されていたそうです。
 「鹿島神宮」・「香取神宮」の「両神宮」ともに古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になっていることが多いそうです。
 上記のように「鹿島神宮」の「御祭神」は、「武甕槌大神」であり、そのため「鹿島神宮」周辺では「武芸」が盛んになり、「剣聖」「塚原卜伝(つかはらぼくでん)」(2011年11月29日のブログ参照)を生んでいます。

 「塚原卜伝」は、「鹿島神宮」の「神官」「鹿島氏」の「四家老」の一人である「卜部覚賢」(吉川覚賢)の「子」として「常陸国」(現在の「茨城県」)の「鹿島」に生まれました。
 「塚原卜伝」の「幼名」は「朝孝」、時期は不明ですが、後に「塚原安幹」の「養子」となり、同時に「諱(いみな)」(または「いな」)を「高幹」としたそうです。
 「塚原氏」の「本姓」は「平氏」で、「大掾氏(だいじょいし)」の「一族」・「鹿島氏」の「分家」だそうです。
 「塚原卜伝」は、「実父」からは「鹿島古流」(「鹿島中古流」とも呼ばれる)を学び、「養父」からは「天真正伝香取神道流」を学び修めて、後に「鹿島新当流」を開いたと言われています。

 「講談」で良く出る「宮本武蔵」との「創作話」・「なべぶたの試合」で知られる「塚原卜伝」は、「将軍・足利義輝」や「伊勢国司・北畠具教」の「指南役」を務める「剣豪」で、「塚原卜伝」は、「剣聖」と謳われ、「奥義」である「一の太刀」を「義父」からは伝授されたといわれ、「塚原卜伝」は「人生」において3度、延べ30年以上にわたり「廻国修業」に出ていて、39度の「合戦」、19度の「真剣勝負」に臨みながら一度も「負傷」しなかったと記述されています。

 「古武道」とは、「日本」の「伝統的」な、「徒手」もしくは「鈍器」や「刃物」、「火器」などの「武具」の「使用法」や、「水泳」、「乗馬」など「戦闘」に関わる「技術」を「体系化」したものの「総称」で、「古流武術」、「古武術」もほぼ「同義」で、「武芸」、「武術」、「兵法」などの「類義語」もあり、「対義語」は、「現代武道」です。

 「古武道」とは、「明治維新」以前に成立した「武術流派」を指す場合が多く、室町時代から「剣術」、「柔術」、「槍術」、「弓術」、「砲術」などがそれぞれ様々な「流派」として「技術化」、「体系化」されました。
 明治時代以降、「武道」という「総称」が確立し、「現代武道」と「明確」に区別する場合に「古武道」と呼ばれるようになったそうです。
 「現代武道」が「人間形成」と「体育的見地」からの「心身」の「鍛錬」を「目的」とし、「スポーツ的」な「競合試合」を重視して「体術」の「体系」を構築しているのに対し(例・柔道、剣道)、「古武道」は「基本的」に「試合」での「勝敗」を「目的」とせず(流派によっては他流試合を禁じていました)、「戦闘」・「護身」・「決闘」や、「武士」としての「使命」を果たすための「鍛錬」が「目的」とされていたそうです。
 そのため「危険」であることから「現代武道」から除かれた「技法」や「各種」の「隠し武器」、「活法」、「薬法」、「呪術」、「禅」や「密教」と結びついた「心法」が含まれます。
 反面、「流派」を伝承する「者」にも「意味」が伝わっていない「非合理的」な「動作」や、「平和」な江戸時代に「形」の「美観」のため加えられた「動作」(華法、花法)が含まれている場合もあるそうです。
 現代では「伝統芸能」、「文化財」としての「意味合い」が強く、「都道府県」や「市町村」の「無形文化財」に指定されている「流派」も少なくないそうです。

 「古武道奉納演武」は、上記のように「鹿島神宮」の「御祭神」であり、「武の神」である「武甕槌大神」の「目」の「前」で行われる「古武道」の「演武」です。
 「古武道奉納演武」ですが、「剣聖」・「塚原卜伝」の「生誕」を記念して開催され、「塚原卜伝」が「創始」とされる「鹿島新當流」をはじめとした「流派」が「鹿島神宮」で「演武」を奉納するそうです。
 「古武道奉納演武」では、「鹿島かるた」の「塚原卜伝 新當流」の「技」を「今」この「現代」で見ることができるそうです。

 「日本」を「代表」する「古社」「鹿島神宮」で開催され、「古(いにしえ)」から受け継がれる「技」を見ることができる「古武道奉納演武」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「古武道奉納演武」詳細

 開催日時 6月9日(日) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「古武道奉納演武」は、「鹿嶋市」の「HP」「動画コーナー」「古武道奉納演武・百手式」より「映像」で視聴することができます。

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| 地域情報::鹿島 | 10:43 AM |
「道の駅いたこオリジナルキャラクター」「風クン」「ミナモちゃん」「いたこいぬ」「いたこねこ」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市」「道の駅いたこオリジナルキャラクター」「風クン」「ミナモちゃん」「いたこいぬ」「いたこねこ」です。

 「潮来市」は、「茨城県」の「南東部」に位置する「市」で、「霞ヶ浦(かすみがうら)」や「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「常陸利根川」などに面した「水郷」で「有名」な「都市」です。
 「潮来市」は、江戸時代に「利根川水運」の「港町」として栄え、現在は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の一角となっています。

 「潮来市」は、「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)を中心とした「あやめ」(花菖蒲)(2011年5月27日のブログ参照)の「名所」や「川」を巡る「潮来前川十二橋めぐり」(2012年5月26日のブログ参照)といった「水郷特有」の「観光名所」を有するほか、「米栽培」を中心とした「農業」が盛んに営まれています。
 「潮来市」は、2001年4月1日に「行方郡」「潮来町」が「牛堀町」を編入し「市制施行」し、「鹿嶋市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」とともに「Jリーグ」の「名門」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。

 「潮来市」は、古くから「水運陸路」の「要所」として栄え、「大化の改新」のころ「国府」(現在の「石岡市」)から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが「まち」の「始まり」だと伝えられています。
 「潮来市」はその昔、「地名」を「伊多古」、「伊多久」と称し、また「常陸国風土記(ひたちこくふどき)」(2012年6月3日のブログ参照)には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日(こんにち)に至っていると云われています。

 近世になりますと、「奥州初藩」の「物産」を集めて「江戸」に向かう「千石船」が「銚子河口」から「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)にて「潮来」に至り、「潮来」で1〜2反帆の「高瀬舟」に「積み荷」の「積み替え」を行い、「前川」は行き交う「大小」の「船」で賑わい、「荷」の「揚げ降ろし」の「船付場」(河岸)が続き「中継港」として大いに「繁栄」をしたそうです。
 しかし、「潮来」が大いに繁栄したのは、この江戸時代中期ころまでであり、元文年代(1736年〜1740年)の「大洪水」で「利根川」の「本流」が「佐原地方」に移ると、「中継港」としての「機能」を失ってしまったそうです。
 さらに、明治に入って「常磐線」が開通し、「陸運」が盛んになってからは、「水運」は一挙に衰退し、それに「歩調」を合わせるかのようにして「潮来」も寂れてしまったようです。

 それ以来、この地方(潮来)では、「産業」らしき「産業」もなかったことから、「地元」の「若い娘」の「収入源」として、「観光客」の「案内」を兼ねて「サッパ」を操ったところ「観光客」に「好評」を博したことから「娘船頭さん」として知られるようになりました。
 「潮来市」は、昭和30年3月には、「昭和」を「代表」する「歌手」のひとり「美空ひばり」さんの「娘船頭さん」の「ロケ」が「水郷潮来」で行われたのが「きっかけ」となり、その名は「全国的」に知られるようになったそうです。

 この地方(潮来)は、周囲を「水」に囲まれた「水郷地帯」であったことから、この「地域一体」には「水路」(江間)が「縦横」に張り巡らされ、「嫁入り」する際に「花嫁」や「嫁入り道具」を運搬するときにも「サッパ舟」が使われており、昭和30年前半ごろまでは「日常的」に行われていました。
 この「嫁入舟」が、「全国的」に知られるようになったのは、昭和31年10月に「松竹映画」「花嫁募集中」と「タイアップ」し「ミス花嫁」を募集したことが「きっかけ」となり、「花村菊江」さんが歌った「潮来花嫁さん」の「大ヒット」によりさらに「潮来市」は「全国的」に知られるようになったそうです。

 「道の駅いたこ」は、「東関東自動車道」「潮来IC(インターチェンジ)」下車1分、「太平洋」沿いを走る「国道51号線」「沿線」の「観光スポット」への、「出発地点」となる「施設」です。
 「道の駅いたこ」は、「旅行」の際の「食事」、「休憩」での利用はもちろんの事、「潮来」、「茨城」の「お土産物」の「販売」、採れたて「生鮮食料」の「直売所」等を用意し、「地元」の方、「観光」の途中で立ち寄られた方が、ゆったりとくつろげる「憩いの場所」となっています。

 「道の駅いたこ」には、「オリジナルキャラクター」たちがたくさんいて、「道の駅いたこ」を盛り上げているそうです。
 「道の駅いたこ」「オリジナルキャラクター」たちは、「名前」ひとつにしても、「潮来」とその周辺の「特長」をうまくとらえてつけられています。
 「道の駅いたこ」の「オリジナルキャラクター」たちですが、「飛行艇ITAKO S号」に乗る「乗務員」の「風クン」と「ミナモちゃん」、「いたこいぬ」と「いたこねこ」となっています。

 「風クン」ですが、「潮来市」の「田畑」や「町」の「人々」の中を舞う爽(さわ)やかな「風」の「イメージ」として描かれた「キャラクター」となっており、「ミナモちゃん」は、「北浦」・「霞ヶ浦」・「前川」の「白鳥」や「風」によって「キラキラ」と光る「水面」から、「自然」の「豊かさ」を暖かい「イメージ」で表現した「キャラクター」となっています。

 「いたこいぬ」「いたこねこ」も「道の駅いたこオリジナルキャラクター」の「コンビ」です。
 「いたこいぬ」「いたこねこ」の「コンビ」は、「道の駅いたこ」で行われる「イベント時」になりますと、「着ぐるみ」でも「登場」し、「親子連れ」、「カップル」といった「皆さん」の「人気」を集めている「マスコットキャラクター」です。

 「いたこいぬ」「いたこねこ」の「誕生」の「経緯」ですが、「道の駅いたこ」の「マスコット」として「ペア」で誕生しました。
 「いたこいぬ」は、「お客様」の「動向」を「睨(にら)み」をきかせている「犬」の「マスコットキャラクター」で、「いたこねこ」は、「観光客」を見守る「ラッキー」な「招き猫」といった「マスコットキャラクター」となっており、「いたこいぬ」と「いたこねこ」の「コラボ」で「すごい力」を発揮し、「小さな子供」が大好きといった「設定」になっています。

 「いたこいぬ」「いたこねこ」の「誕生日」・「年齢」・「性別」ですが、二人とも、2002年4月25日生まれで、「永遠の9歳」(実年齢は設定上11歳?)「いたこいぬ」は「オス」、「いたこねこ」は「メス」だそうです。
 「いたこいぬ」「いたこねこ」の「性格」・「特技」・「好きなもの」ですが、以下のようになっています。

 「いたこいぬ」

 「目つき」は非常に悪いですが、「シャイ」で「人見知り」するそうですが、「お客様」に対する「観察力」は「ピカイチ」。
 「道の駅いたこ」に「的確」な「ヒント」を提供し、若い「女の子」の前では「特別ハッスル」するとなっています。
 「好きなもの」は、「道の駅いたこ」「米粉のどら焼き」「虹どら」です。

 「いたこねこ」

 「いたこいぬ」と「対照的」で、「おてんば」で「社交的」な「キャラクター」です。
 「好きなもの」は、「道の駅いたこ」「地元牛乳」の「手作りヨーグルト」だそうです。

 なお「道の駅いたこオリジナルキャラクター」「飛行艇ITAKO S号」に乗る「風クン」と「ミナモちゃん」、「いたこいぬ」と「いたこねこ」ですが、「道の駅いたこ」にて「オリジナルグッズ」が入手可能となっています。

 「人気スポット」「道の駅いたこ」を盛り上げている「オリジナルキャラクター」「風クン」「ミナモちゃん」「いたこいぬ」「いたこねこ」。
 「水郷潮来あやめまつり」開催中で賑わう「潮来市」に訪れる際、「道の駅いたこ」に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

 備考
 「潮来市」では、「潮来市PRキャラクター」「水郷いたこ大使」として「あやめ」という「キャラクター」も知られています。








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「水郷潮来あやめ祭り」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市(いたこし)」「前川あやめ園」「浅間下(せんげんした)あやめ園」で5月18日(土)〜6月23日(日)の期間開催されます「水郷潮来あやめ祭り」です。

 「潮来市」は、「茨城県」「東南部」に位置し、「首都」「東京」から80km県に位置している「市」です。
 「潮来市」は、2001年4月1日に、「行方郡潮来町」が「牛堀町」を編入し「市制施行」しました。
 「潮来市」は、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」「稲敷市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面しています。
 「潮来市」は、「東関東自動車道」により「都心」や「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からの「アクセス」が良いことや、隣接する「鹿嶋市」、「神栖市」に「鹿島臨海工業地帯」が形成されていることなどから「潮来市内」には、「潮来IC(インターチェンジ)」を「中心」に「物流拠点」が置かれています。

 「潮来市」は、古くから「水運陸路」の「要所」として栄え、「大化の改新」のころ「国府」(現在の「石岡市」)から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが「まち」の「始まり」だと伝えられています。
 「潮来市」は、その昔「地名」を「伊多古」「伊多久」と称し、また「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」(2012年6月3日のブログ参照)には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日に至っているそうです。
 「潮来市」は、「西」に「霞ヶ浦(かすみがうら)」・「常陸利根川」、「東」に「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「南」に「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)と「水辺」に囲まれ、「潮来市内」の「中心」にも「前川」が流れる「水郷地帯」となっています。
 上記のように「潮来市」は、「霞ヶ浦」や「北浦」、「常陸利根川」などに面した「水郷」で「有名」な「都市」で、江戸時代に「利根川水運」の「港町」として栄え、現在は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の一角となっています。
 「潮来市」は、「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)を「中心」とした「アヤメ」(花菖蒲)(2011年5月27日のブログ参照)の「名所」や「川」を巡る「潮来前川十二橋めぐり」(2012年5月26日のブログ参照)といった「水郷特有」の「観光名所」を有するほか、「米栽培」を「中心」とした「農業」が盛んです。
 「潮来市」は、多くの「河川」に面していることから、「ウォータースポーツ」が盛んに行われています。
 「潮来市」では、1987年に「茨城県初」の「トライアスロン大会」が行われており、以降「トライアスロン大会」が毎年開催されているそうです。
 また「潮来市内」の「中学校」や「高等学校」における「ボート競技」も盛んに行われているそうです。

 「潮来市」の「南部」は「田園地帯」が広がり、上記のように「米栽培」が盛んで、「潮来市」の「北部」は「台地」で「ゴルフ場」や「緑地公園」が多いです。
 「潮来市内」には「ロケ」に適した場所が「豊富」で近年は、「市内各地」で「映画」や「テレビドラマ」の「撮影」が行われています。
 また「いたこフィルムコレクション」が「ロケ」の際、「支援」などを行っているそうです。
 「潮来市」の「気候」は「四季」を通じて穏やかで、「夏」涼しく「冬」穏やかな「海洋性」の「気候」となっています。

 「前川あやめ園」は、「潮来市」にある「公園」で、毎年6月に行われる「水郷潮来あやめまつり大会」(2011年5月24日のブログ参照)の「メイン会場」の「あやめ園」となっており、1976年(昭和51年)4月に開園しました。
 「潮来市」の「潮来市営あやめ園」は、全部で35843平方mあり、その中に「前川あやめ園」があります。
 「潮来市営あやめ園」内には「前川あやめ園」のほか、「浅間下あやめ園」、「常陸利根川あやめ園」の計3箇所があり、その中で、中心的なのが、「前川」沿いにある「前川あやめ園」です。

 「前川あやめ園」内には、「何種類」もの「アヤメ」(花菖蒲)が植えられており、約500種100万株の「白」、「紫」、「黄」の「色とりどり」の「アヤメ」が咲き誇ります。
 また「前川あやめ園」には、「潮来笠記念碑」や「潮来花嫁さん記念碑」が設置されています。
 「潮来笠記念碑」「潮来花嫁さん記念碑」では、「歌手」の「橋幸男」さんの「潮来笠(いたこがさ)」や「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」の「曲」を聴くことができます。

 「浅間下あやめ園」は、「前川あやめ園」近くの「県道101号線」を「潮来大橋」に向かって進み、「大黒酒店」を通り過ぎて、少し進んで「左側」にある「あやめ園」です。
 「浅間下あやめ園」は、「前川あやめ園」より「規模」は小さいけれど、「歴史」は「前川あやめ園」より古いそうです。
 「浅間下あやめ園」の近くには「北利根川」があり、「潮来市」の「対岸」の「佐原」に向かって「潮来大橋」がかかっており、この「潮来大橋」に隣接して、「メロディー橋」があるそうです。

 「水郷潮来あやめまつり」は、昭和27年にはじまった「歴史」ある「まつり」で、当初は、「アヤメ」や「花菖蒲」や「あやめ」の「切り花」を入れて行われました。
 「前川あやめ園」「浅間下あやめ園」「園内」には、約500種100万株の「あやめ」(花菖蒲)が植えられており、見頃を迎えると一面に「あやめ」(花菖蒲)が咲き誇ります。
 ちなみに「潮来」の「あやめ」の一番の「見頃」ですが、例年6月10日頃だそうです。
 さらに、「水郷潮来あやめまつり」期間中は「嫁入り舟」(2012年6月1日のブログ参照)や「あやめ踊り披露」など水郷ならではの「イベント」が盛り沢山となっており、毎年、約80万人を超える多くの「観光客」が「水郷情緒」と「アヤメ」(花菖蒲)を鑑賞するために訪れています。

 「第62回水郷潮来あやめまつり」ですが、上記のように5月18日(土)〜6月23日(日)の「37日間」開催され、「水郷潮来あやめまつり」の「見どころ」ですが、「あやめ園」に咲き誇る「あやめ」(花菖蒲)、「潮来花嫁さん」で有名「嫁入り舟」の「運航」、「あやめ娘」の「おもてなし」となっています。
 「嫁入り舟運航」は、期間中「水・土・日曜日」に運航され、「運航時間」は、「水曜日」11時・「土曜日」11時、14時、20時・「日曜日」11時、14時となっています。
 「あやめ娘」こと「平成25年度水郷潮来あやめ娘」ですが、「サマンサ・エイミー・ダッカス」さん、「大盛恵美」さん、「関口さおり」さん、「渡辺彩香」さん、「八木眸(ひとみ)」さん、「荒井美穂」さん、「土子由香理」さん、「ジェシカ・ゴードン」さんの「皆さん」となっており、「第62回水郷潮来あやめまつり」にて「おもてなし」をされるそうです。

 また「第62回水郷潮来あやめまつり」では、「嫁入り舟運航」(上記参照)、「市営ろ舟の運航」(期間中)、「あやめ踊りの披露」(期間中の日曜日)、「潮来囃子演奏」(期間中の日曜日)、「潮来祇園祭禮踊り披露」(期間中の日曜日)、「全国優良品種花菖蒲展示会」(期間中)、「前川あやめ園ライトアップ」(期間中・夜)、「水郷の燈(すいごうのあかり)」(6月15日(土)・夜)が行われるそうです。

 100万株の「あやめ」が咲き誇る「前川あやめ園」「浅間下あやめ園」で開催される「水郷潮来」に「夏の訪れ」を告げる「人気」の「催し」「第62回水郷潮来あやめ祭り」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第62回水郷潮来あやめ祭り」詳細

 開催期間 5月18日(土)〜6月23日(日)

 開催会場

 前川あやめ園  茨城県潮来市あやめ1-5

 浅間下あやめ園 茨城県潮来市潮来浅間下5006・5007

 入園料  入場無料

 問会わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111
 水郷潮来観光協会 0299-63-3154
 あやめまつり期間中大会本部 0299-63-1187(期間中の8時半〜17時)

 備考
 「水郷潮来観光協会」では、2013年「あやめまつり開花速報」〜「イベント速報」を「HP」でアップしています。
 ちなみに「あやめの開花速報」は、ほぼ毎日更新しているそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:14 AM |
「第22回かしま桜まつり」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島城山公園(かしましろやまこうえん)」で3月25日(月)〜4月14日(日)の期間開催されます「第22回かしま桜まつり」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」の「南東部」にあり、「東京」から80km圏に位置し、「鹿嶋市」の「東側」は「太平洋」(鹿島灘)(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」、「海水浴場」を持っています。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は、「茨城県」の「他」の「市町村」よりも「南東」に存在し、「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来市内」)の「沿線」であること、「茨城県内」の「他」の「主要都市」への「交通網」が「未発達」であることなどから、「千葉県」「香取市」、「成田市」、さらには「千葉市」などとの「関係」が深いそうです。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
 現在は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」です。
 また「鹿嶋市」は「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「サッカー」が定着しています。
 「鹿嶋市」は、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複(ちょうふく)しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としました。

 「鹿島城山公園」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「公園」です。
12世紀末に、「常陸平氏」の「鹿島政幹」が現在の「鹿島城山公園」の「現在地」に「鹿島城」(常陸国)(別名・吉岡城)を築いたそうです。
 (鎌倉時代から室町時代までの約400年間、「鹿島氏」の「居城」だったそうです。)
 その後明治維新に至るまで「鹿島氏」の「居城」でありましたが、近代には「鹿島氏」によって「鹿嶋市」に寄贈され、「本丸跡」が「鹿島城山公園」となりました。
 「鹿島城山公園」は、「鹿島城祉」の「公園」として整備されており、現在は「鹿嶋市民」の「憩いの場」となっており、「北浦」や「筑波山」を望むことができます。
 「鹿島城山公園」は、「春」には「桜」や「山つつじ」が咲き、「鹿嶋市内」の「桜の名所」として「かしま桜まつり」(2012年3月27日のブログ参照)が開催されています。
 「鹿島城山公園」内部や、周辺には、「鹿島城」の「遺構」が少し残っており、往時を偲ばせていて、中世の「常陸平氏城郭」の「モデル」のひとつです。

 「鹿嶋市」では、上記のように「鹿島城山公園」を「会場」に「かしま桜まつり」が行われており、今年(2013年)で「22回目」となる「イベント」です。
 「かしま桜まつり」では、「鹿嶋地域内」で最も素晴らしい「桜スポット」「鹿島城山公園」に約350本の「ソメイヨシノ」のほか、「しだれ桜」や「早咲き」で「有名」な「河津桜」、「八重桜」も植えられ、毎年美しい「花」を咲かせ、たくさんの「桜」を楽しむことができます。
 また「夜」も明るく「ライトアップ」され、「夜桜」もお楽しみいただけているそうです。

 「第22回かしま桜まつり」は、「標高」25mほどの「高台」から眼下に「北浦」を望める「鹿嶋市民」の「憩いの場」であり、「桜の名所」「鹿島城山公園」で行われます。
 「第22回かしま桜まつり」は、3月30日(土)より「開催予定」でしたが、「桜」の「開花状況」が例年より早いため3月25日(月)より「開始」となり、「ライトアップ」も「同日」より始めたそうです。
 また「第22回かしま桜まつり」は、3月23日(土)および24日(日)の9時から17時まで「プレオープン」したそうです。

 「第22回かしま桜まつり」の「ライトアップ」ですが、「夜9時」(21時)まで行われ、「昼間」の「桜」とは違う「顔」の「桜」が観られる「夜桜見物」をできるそうです。
 「第22回かしま桜まつり」「期間中」の「イベント」ですが、「大正琴の演奏」、「第13回桜ウォーキング大会」、「鹿嶋市民音頭踊りの披露」が行われます。

 「大正琴の演奏」ですが、3月31日(日)10時から12時まで開催される「イベント」です。
 「大正琴の演奏」は、「満開」の「鹿島城山公園」の「桜」を観ながら「大正琴」の「調べ」を堪能できる「イベント」です。
 もともと「大正琴の演奏」は、4月13日(日)に開催される「予定」でしたが、3月31日(日)に変更となっています。
 「大正琴の演奏」は、「雨天」の「場合」「中止」となりますのでご注意下さい。

 「第13回桜ウォーキング大会」ですが、「22回目」を迎える「かしま桜まつり」に併せて、行われる「イベント」です。
 「第13回桜ウォーキング大会」は、咲き誇る「鹿島城山公園」の「桜」を愛でながら、「ウォーキング」を通して「交流」を深め、「心」と「体」を「元気」にする「イベント」です。
 「第13回桜ウォーキング大会」は、4月6日(土)に行われ、「鹿島城山公園」(桜まつり会場)にて「受付」9時30分から、「開会式」9時45分から、「出発」10時(予定)から行われます。
 「第13回桜ウォーキング大会」の「コース」ですが、「鹿島城山公園」から「鹿島神宮」周辺の「名所」をめぐる「約4.0km」の「コース」となっています。
 (コース詳細は、下記「詳細」に記載)
 「第13回桜ウォーキング大会」の「参加費」は「無料」で、「準備するもの」は、「歩きやすい服装」、「靴」、「飲み物」、「タオル」、「着替え」などだそうです。
 「第13回桜ウォーキング大会」の「問合わせ」・「申し込み」は、「鹿嶋市健康増進課」(0299-82-2911)まで連絡して下さい。
 「第13回桜ウォーキング大会」は、「小雨決行」、「荒天中止」の「イベント」で、「ウォーキング大会」当日、「悪天候」等で「催行」が危ぶまれる場合は、朝7時以降に「鹿嶋市役所」(0299-82-2911)に連絡下さいとのことです。

 「鹿嶋市民音頭踊りの披露」ですが、4月6日(土)に行われる「イベント」です。
 「鹿嶋市民音頭踊りの披露」は、10時30分からと、11時30分からの「2回」行われ、「雨天時」は「中止」だそうです。

 「第22回かしま桜まつり」「期間中」には「鹿嶋市内飲食店」による「屋台村」が行われ、「食事」をしながら「花見」を楽しめるそうです。
 なお「第22回かしま桜まつり」では、以下の「注意事項」を呼びかけています。

 「駐車場」が少なくなっておりますのでご協力お願いします。
 「会場内」では「防災」及び「樹木」の「保護」のため「火気厳禁」となっています。
 「ごみ」の「持ち帰り」をお願いします。

 「鹿嶋地域」で最も素晴らしい「桜スポット」「鹿島城山公園」で行われる「人気イベント」「第22回かしま桜まつり」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第22回かしま桜まつり」詳細

 開催期間 3月25日(月)〜4月14日(日)

 開催会場 鹿島城山公園 茨城県鹿嶋市城山

 「第13回桜ウォーキング大会」「コース詳細」

 「鹿島城山公園」〜「鹿島神宮」〜「奥宮」〜「御手洗池」〜「JR鹿島神宮駅」〜「鹿島城山公園」

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「第22回かしま桜まつり」の「ライトアップ」ですが、「天候」により「中止」となる場合がありますので、ご注意下さい。
 「第13回桜ウォーキング大会」は、「インターネット」からの「申し込み」も「可能」です。
 (詳しくは「鹿嶋市HP」「桜ウォーキング大会の参加者募集」をご参照下さい。)

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「祭頭祭(さいとうさい)」(鹿嶋市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で3月9日(土)に開催されます「祭頭祭(さいとうさい)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「式内社」、「常陸国一宮」です。
 「鹿島神宮」の「旧社格」は「官幣大社」、現在は「神社本庁」の「別表神社」で、「全国」にある約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうです。
 「鹿島神宮」の「初詣」には「全国」から60万人以上が参拝し、「参拝者数」では「茨城県」2位なのだそうです。

 上記のように「鹿島神宮」は、「東国三社」のひとつで、「茨城県」はもとより「日本」を代表する「古社」のひとつです。
 また「鹿島神宮」は、「日の本(ひのもと)日出(ひい)づる「鹿島立」の御神徳」により、「旅行安全」・「五穀豊穣」・「殖産・安産の信仰」・「事業の創造」・「新規開拓」・「開運の神」として「御利益」があります。
 さらに「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は、「宇宙自然の創世」になりませる「陰陽の神」、「イザナギ」、「イザナミ」の「両神」より生まれた「火の神」「カクヅチ」より誕生され、後に「国譲り」の際に「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」と共に「日本の国」を平定し、「大御神」の元へ復命させたという「神話」から、もうひとつの「御利益」として、「武道」・「競技」・「政治(まつりごと)」などの「必勝祈願」の「信仰」があげられるそうです。

 「鹿島神宮」では、80以上もある「年中行事」の中で「祭頭祭」(2011年3月6日・2012年3月2日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「御船祭」が特に有名だそうです。
 「祭頭祭」は、上記のように「年」80年を数える「鹿島神宮」の「行事」の中で、もっとも規模が大きく「勇壮」な「祭」なのだそうです。

 「鹿島神宮」の「祭典」「祭頭祭」の「歴史」は古く、その「起源」は奈良時代の「天武朝」という「説」や平安時代ともいわれていますが、「文献」によると建仁4年(1204年)とされ、その際には「片野」の「長保寺」と「平井」の「宝持寺」が「祭」の「世話役」を勤めていたそうです。
 明治時代までの「神仏習合」の時代には2月15日の「釈迦入滅」の「常楽会」(涅槃会)と習合されていたそうです。
 その「名残」から今でも「祭頭祭」の「大総督」を「新発意」というそうです。
 (「新発意」とは「一軍の将」として「卜定後」に選ばれる5歳前後の「男児」、「大総督」、「小僧さま」と呼ばれる)
 また「勇壮」な「棒祭り」から「いくさの神」として「鹿島神宮」の「神徳」と重ね「悪路王退治の余風(昔からの「風習」)」という「解釈」がされていた時代もあったそうです。
 (「悪路王」とは「吾妻鏡(あずまかがみ)」などに登場する「悪人」で、「坂上田村麻呂」や「鎮守府将軍・征新羅将軍」であった「利仁将軍」に討伐されます。)
 昭和初期には、出兵する「兵士」を鼓舞する「防人(さきもり)の祭り」とされていたそうです。
 しかし「祭頭祭」は本来、「地元」に密着した「五穀豊穣」「天下泰平」を祈る「記念祭」の「一種」であり、「祭り」が終わると「鹿行地区(ろっこうちく)」では「農作業」が「本格化」するようです。

 「祭頭祭」は、朝10時から前年の「春季祭」で卜定された「左方」・「右方」両「当番字」の「大総督」が「狩衣装」で「家族」や「役員」に護られながら「鹿島神宮」「社殿」にあがり「神事」が執行されます。
 「祭頭祭」のあと、「大総督」や両「字」の「人々」は、「本陣」に定めた「ホテル」などで「休憩」のあと、正午前から「巡行」を始めます。
 「祭頭祭」の「行列」の「先頭」ですが、「囃し人」の一人が、「天下泰平 春季祭」などと書いた「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」を振り回しながら進み、「大総督」が続きます。
 「大総督」は、「甲冑(かっちゅう)」に「身」を固め、「大黒頭巾(だいこくずきん)」を被った「人」に「肩車」されて巡行します。
 続いて「役員」や「家族」、「神職」が進み、「囃し人」がそれに続き、「総勢」1000人以上(両方)にもなるという「大行列」になるそうです。

 「囃し人」は、「赤」・「青」・「黄色」などの「色とりどり」の「衣装」を着て、色鮮やかな「襷(たすき)」を数本かけ、「キャラクター人形」・「般若(はんにゃ)」・「おかめ・ひょっとこ」の「面」、「鈴」などで飾り付けられています。
 「囃し人」は、10〜20人の「班」に分かれ、「太鼓」を「腰」に付けて叩く「人」の周りを囲んで「鹿島神宮祭頭歌」を歌いながら「長さ」が六尺(1.8m)の「樫(かし)の棒」を組んだりほぐしたりします。
 また「各班」には、「企業」などが奉納した「馬簾(ばれん)」が煽ります。

 「囃し」が終わると「本陣」で休息後、「狩衣」の「大総督」や「役員」、「家族」は、18時から「春季祭」に参列します。
 「春季祭」では来年の「当番字」が卜定されます。
 卜定された「2字(あざ)」は、「物申神職」(1年間「祭事」を担当する「神職」)により、
 「来(きた)る○○年春季祭当番、神慮を以て卜定候字、左方の大頭、大字、・・・。
 右方の大頭、大字・・・。」
 と読み上げられるそうです。

 卜定された「字(あざ)」は、「鹿島神宮」の「大神」により「神」を来臨さしめ、「降神祭」により「鹿島神宮」の「分霊」を1年間「字(あざ)」に合祀され、「見そなわし」(神が見守り)、「安寧」(おだやかで平和)と「弥栄」(いよいよの繁栄)をもたらされるといいます。
 なお、「祭頭囃し」の「奉納」は、この1年の「報祭」(「祈願成就」の「お礼」の「祭り」)であるといわれています。

 「歴史」ある「東国三社」のひとつに数えられる「名社」「鹿島神宮」で行われる「鹿嶋」に「春の訪れ」を告げる「伝統行事」「祭頭祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「祭頭祭」詳細

 開催日  3月9日(土)

 開催会場 鹿島神宮 鹿島神宮周辺 茨城県鹿嶋市宮中1

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「祭頭祭」当日に、「鹿嶋市」では、「第35回宮中ふるさと市」を開催するそうです。
 「第35回宮中ふるさと市」は、10時〜16時(14時半〜ビンゴ大会)に「ホテル古保里」前「観光協会駐車場」で開催されます。

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