本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「素鵞熊野神社」「潮来地区」で8月2日(金)〜4日(日)の期間開催されます「潮来祇園祭禮(いたこぎおんさいれい)」です。
「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日、「茨城県」「行方郡」「潮来町」と「行方郡」「牛堀町」が合併し「潮来市」になりました。
旧「潮来町」は、1955年(昭和30年)、「潮来町」と「津知村」、「大生原村」、「延方村」が合併して誕生しました。
合併前の「潮来町」の「人口」は25841人(2000年国勢調査)、「面積」は4388平方kmでした。
旧「牛堀町」は、1955年(昭和30年)、「香澄村」、「八代村」が合併し、「牛堀村」が発足し、同年「町制施行」し、合併前の「人口」ですが、6103人(2000年国勢調査)、「面積」は18.79平方kmとなっていました。
「潮来市」の「人口」ですが、平成22年の「国勢調査」による「人口」は、30534人(男15048人、女15486人)となっており、2013年7月1日現在の「人口」は29618人(男14699人、女14919人)となっています。
「潮来市」は「茨城県」「東南部」に位置し、「北」は「行方市」、「南」は「神栖市」、「東」は「鹿嶋市」、「西」は「千葉県」「香取市」に面しています。
「潮来市」は「東西」が約12km、「南北」が13kmあり、「北部」には「海抜」約30mから40mの「行方台地」が「南北」に続いており、「東部」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)に面し、「西部」は「霞ヶ浦(かすみがうら)」と「北利根川」、「南部」は「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)というように、「水辺」に囲まれた「自然」豊かな「まち」です。
「水郷」として知られている「潮来」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「下流」にできた「水郷地帯」の「一角」で、「潮来市」では、「サッパ舟」や「あやめ」(2011年5月27日のブログ参照)が「有名」で、「前川十二橋巡り」(2012年5月26日のブログ参照)、「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)などの「観光スポット」があることでも知られています。
「潮来市」は、「橋幸夫」さんの「潮来笠」や「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」、「美空ひばり」さんの「映画」「娘船頭さん」など、「歌」や「映画」に取り上げられ、現在では、「全国区」の「知名度」を誇り、毎年5月末から6月末にかけて「水郷潮来あやめまつり」(2013年5月14日・2012年5月14日のブログ参照)が盛大に開催され、多くの「観光客」が訪れています。
「潮来祇園祭禮」の「まつり」の「起源」は、「神社」の「由来」と「密接」な「関係」があり、「素鵞熊野神社(そがのくまのじんじゃ)」はもと「素鵞神社」と「熊野神社」に分かれていました。
「素鵞熊野神社(そがのくまのじんじゃ)」は、1877年(明治10年)、「素鵞神社」と「熊野神社」が合祀され誕生しました。
「素鵞熊野神社」は、「潮来」の「鎮守社」で、「潮来祇園祭禮」(2012年7月30日・2011年7月31日のブログ参照)が行われることで知られており、「潮来祇園祭禮」は「素鵞熊野神社」の「例祭」として行われ、「神輿」や「山車」が「潮来地区内」を練り歩きます。
「素鵞神社」の「創建」(創祀)は天安2年(858年)に「漁夫」によって「浪逆浦」により引き揚げられた「神輿」を旧「辻村」の「天王原」に奉斎した(祀った)のが「はじまり」とされ、以来「4丁目」以西の「鎮守」として信仰されてきました。
「辻」の「天王原」に祀られていた「古社」を、文治4年(1188年)に「潮来」「町内四丁目」の「天王河岸」へ移し、「牛頭天王」と呼び、「神楽ばやし」と「獅子舞」が奉納されたそうです。
ちなみに「牛頭天王」は「八坂神社」の「御祭神」で、元来は「インド祇園舎」の「守護神」とされ、「疫病除けの神」として知られています。
文治4年(1188年)の「遷座」と「牛頭天王」を奉斎した背景には、「潮来地方」での「疫病」の「流行」などがあったものと思われます。
また「伝承」によりますと「熊野三社」を参詣した「村人」が、その「霊験」を尊んで天正年間(16世紀後期)「潮来」に勘請したのが、「本宮」、「新宮」、「那智」の「熊野三社権現」だそうです。
元禄9年(1696年)の「牛頭天王」は、「水戸藩主」「徳川光圀」公による「一村一社」の「政策」により「現在地」に移り、「熊野三社権現」と相殿となりました。
さらに天保15年(1844年)、「牛頭天王」は「仏教色」の強い「呼称」から、「神道的」な「素鷲神社」へと「社号」を改め、同時に「熊野三社権現」も「熊野神社」と「名前」がかわったそうです。
明治10年(1877年)に長く「相殿」であった「両社」は、「素鵞熊野神社」となって現在に至っています。
「素鵞熊野神社」の「御祭神」ですが、「素鵞社」は「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「奇稲田比命(くしいなだひめのみこと)」、「熊野社」は「伊奘諾命(いざなぎのみこと)」、「伊奘冊命(いざなみのみこと)」、「速玉男命(はやたまのおのみこと)」、「事解男命(ことさかのおのみこと)」を祀っており、「境内社」として「神明神社」、「第六天神社」、「松尾神社」、「淡島神社」、「金比羅神社」、「愛宕神社」、「大杉神社」、「稲荷神社」を祀っています。
「潮来祇園祭禮」は、「天王山」に鎮座する「素鵞熊野神社」の「例大祭」で、八百有余年の「歴史」と「伝統」のある「祭禮」です。
「潮来祇園祭禮」は、毎年8月の「第一金曜日」から「日曜日」までの「3日間」にかけて行われ、まず「初日」に「二体」の「神輿」(俗に「天王様」、「権現様」と呼ばれています。)が出御する「御浜下り」ではじまるそうです。
「潮来祇園祭禮」「中日(なかび)」は「町内渡御」(町内御巡行)、「最終日」には「還御」(お山上り)が行われます。
「潮来祇園祭禮」に「花」を添えるのは、「三丁目」の「獅子舞」をはじめ、「総数」十四台もの「山車」、そしてこの「山車」にのった「芸座連」によって奏でられる「潮来囃子」です。
「潮来祇園祭禮」の「圧巻」は「のの字廻し」や「そろばん曳き」に代表される「曲曳き」で、「若衆」と「山車」、「芸座連」が一体となった様は必見だそうです。
また「潮来市内」を流れる「前川」沿いには大きな「幟(のぼり)」がいくつも立てられるなど、「都市部」の「祭禮」にない「潮来独特」の「風景」を見ることができるそうです。
「潮来祇園祭禮」では、上記のように「素鵞熊野神社」より、「素鵞社」(天王様)と「熊野社」(権現様)の「二体」の「御神輿」が「天王山」より下りて、「仮宮」においでになり、「祭禮中」の「3日間」「神事」のひとつとして、14町内の「奉納山車」の「曳き廻し」が行われますが、「潮来祇園祭禮」で使用される「山車」はほとんどが、「総欅造り」で「潮来囃子」の「芸座連」が「山車」に乗って演奏する「芸能山車形式」のものだそうです。
「潮来祇園祭禮」「山車」の「周囲」には「高彫り」という「精巧」かつ「華麗」な「彫刻」がはめ込まれ、「山車」、「飾り物」、「彫刻」、「玉簾」、「額」、「幟」など、江戸・明治時代の「匠の技」を今に伝えるもので、「各町内」の「財産」として大切に管理されています。
「潮来祇園祭禮」「山車」の「各町名」と「人形」ですが下記の通りとなっています。
町名 人形(作者) 芸座連
西壹丁目 神武天皇 潮風会囃子連
(西町) (田島義郎)
濱壹丁目 神功皇后 佐原囃子連中
(濱町) (鼠屋福田萬吉)
上壹丁目 日本武尊 上町芸座連
(上町) (衣川人麻呂)
下壹丁目 福俵白鼠 千秋会囃子連
(下町) (町内で作成)
大塚野 本多平八郎忠勝 水郷会囃子連
(町内で作成)
あやめ二丁目 真田幸村 あらく囃子連
(あやめ町) (古屋敷義男)
貮丁目 大国主命 登喜和芸座連
(古屋敷義男)
三丁目 御神楽 三町目芸座連
四丁目 天乃岩戸 葦切會
(天王町) (鼠屋五兵衛)
五丁目 源頼政 源囃子連中
(伝 鼠屋五兵衛)
六丁目 弁慶 川岸囃子連
(伊藤久重)
七丁目 素盞鳴尊 花崎囃子連
(竹田縫之助)
八丁目 静御前 如月会
(古川長延)
七軒町 源義経 鹿嶋芸座連
(田島義郎)
「潮来祇園祭禮」の開かれる「3日間」は「閑静なまち」が「まつりの熱気」に包まれ、14台の「勇壮」な「山車」が「町中」を練り歩きますが、それぞれの「山車」の上には「身の丈」4m以上ある「歴史上の人物」などの「大人形」が飾られ、「大天井」が「目前」を行く様には圧倒されます。
「潮来祇園祭禮」の「山車」の「形」は、「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)の「流れ」を汲む「佐原型山車」なのだそうです。
「潮来市」の「夏」を彩る「素鵞熊野神社」の「例大祭」「潮来祇園祭禮」。
この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「潮来祇園祭禮」詳細
開催期間 8月2日(金)〜4日(日)
開催会場 素鵞熊野神社 潮来市潮来地区
問合わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111
備考
「潮来祇園祭禮」に奉納される「獅子舞」と「潮来囃子」は、「茨城県」の「県指定無形文化財」に指定されており、また「素鵞熊野神社」「境内」の「大欅」は、「茨城県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
また「潮来祇園祭禮」の「山車」のうち「三台」(「上壹丁目」・「下壹丁目」・「四丁目」(天王町))は、「茨城県」の「県指定文化財」となっています。
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