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「釈尊成道会・健康長寿粥接待」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で12月8日(木)に開催されます「釈尊成道会・健康長寿粥接待」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」に鎮座する「真言宗智山派」の「寺院」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、「弘法大師」「空海」が敬刻開眼した「不動明王」の「御尊像」を「御本尊」として開山された「不動尊信仰」の「総府」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、正月3が日には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、古来より、「お不動さま」の「御霊験」・「御利益」は数限りなく、「数多」の「信仰」を集め、「成田山新勝寺」は、今日(コンニチ)では毎年1000万人を超える「参詣者」を迎える「関東地方」「有数」の「著名寺院」です。
 「全国」「有数」の「広大」な「敷地」を誇る「成田山新勝寺」「境内」には、「車」の「祈祷」をする「交通安全祈願殿」、「自然」豊かな「公園」、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)や、「成田山仏教図書館」等多くの「施設」を有しています。
 「成田山新勝寺」ですが、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
 ちなみに「真言宗智山派」の「総本山」ですが、「智積院」(京都府京都市東山区東山七条)であり、「大本山」ですが、「成田山新勝寺」と、「川崎大師平間寺」(神奈川県川崎市川崎区)、「高尾山薬王院」(東京都八王子市高尾町)となっています。
 なお、「全国各地」の「不動尊信仰」を支える「成田山」ですが、「全国」に71ヵ寺の「別院」・「分院」・「末寺」・「末教会」・「成田山教会」があるそうです。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、皆様の「祈り」が一体となり「清浄な願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの人びとの「信仰」を集めています。
 「成田山新勝寺」では、「お不動さま」の「御教え」を「私たちの誓い」として、「不動尊信仰者」の「実践行」としており、「お不動さま」の「大慈悲心」(いつくしみのみこころ)に感謝し、「日常生活」へ活かしていくことで歩むべき「道」を知る事ができるそうです。
 「成田山新勝寺」「不動尊」「信仰者」の「実践行」は、下記の通りです。

 第一の誓い 奴僕の行(ヌボクノギョウ)

 御本尊さまの奴僕の行にしたがい、すべての人びとに奉仕いたします。

 奴僕とは召使を意味する言葉で、献身的に他者に奉仕する者を指します。
 お不動さまは、あらゆる人びとを苦しみから悟りの世界へ救い導くために、青黒色の肌をした奴僕の御姿となって、私たちを御加護くださっています。

 第二の誓い 羂索(ケンサク)のおさとし

 御本尊さまの羂索のおさとしによりつくし合いの生活をおくります。

 お不動さまは、左手にお持ちになっている羂索という縄で、人びとが悪い方向へ向かいそうな時に、縛り上げてでも正しい道へ導いてくださいます。
 お互いに助け合う気持ちを大切にしましょう。

 第三の誓い 磐石(バンジャク)の決意

 御本尊さまの磐石の決意をもってあらゆる苦難に耐えしのびます。

 磐石とは、重い大きな石のこと。
 お不動さまは、磐石の上にどっしりとお座りになって、全ての人を救い導くという決意を示しています。
 煩悩に迷うことなく、何事にも屈しない忍耐力を育みなさいという御教えです。

 第四の誓い 燃えさかる火炎

 御本尊さまの燃えさかる火炎のようにひたすら精進努力いたします。

 お不動さまは、一瞬たりとも弱まることのない燃えさかる火焔の中に住しています。
 この御姿を通して、日頃の努力を怠らず、積み重ねていくことで道が開かれることを示しています。

 第五の誓い ゆるぎなき御心

 御本尊さまのゆるぎなき心を体し精神の統一につとめます。

 お不動さまの磐石に座す御姿は、悟りを求める心が堅固不動の境地にあることを示しています。
 自分の力を存分に発揮するために、どのような事が起きても冷静に受け止め、何事にも動ぜず対処できる不動心を身につけましょう。

 第六の誓い 利剣の智慧(リケンノチエ)

 御本尊さまの利剣の智慧をもって正しく判断し、真実の自己にめざめます。

 お不動さまの右手の利剣は、物事の善悪を見極める正しい判断を象徴しています。
 怒り、貪り、愚かさという私たちの心の迷いを断ち切り、真実の自己にめざめるという、深い洞察力を体得しましょう。

 第七の誓い 加持力(カジリキ)

 御本尊さまの加持力をいただき平等の利益にあずかることを祈念いたします。

 加持力とは、仏さまが慈悲の心で私たちをお守りくださる力と、それを受けとめようとする私たちの信心を表しています。
 仏の大慈悲はいかなる時も、私たちに注がれています。
 仏の慈悲の力と私たちの信心とが相応じあう時、はじめて加持力が発揮されるのです。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、この地に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に格の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に正面に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の背後の一段高くなった地には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「成田山表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 この度(タビ)「成田山新勝寺」では、12月8日(木)に「釈尊成道会・健康長寿粥接待」を執り行うそうです。
 「成道会」ですが、「お釈迦さま」が「さとり」を開かれたことを記念して行われる「法要」なのだだそうです。
 「釈尊成道会・健康長寿粥接待」ですが、「成田山新勝寺」「釈迦堂」において「釈尊成道会」を厳修し、「信徒」の「皆さん」が多く参列され「報恩謝徳」の「誠」を捧げるそうです。
 「法要」(釈尊成道会)後、「成田山新勝寺」「大本堂」前「休憩所」にて、「お釈迦さま」「成道」の「故事」にちなみ、「健康長寿」を祈る「小豆粥」を「信徒」の「皆さん」な振る舞うそうです。

 「日本」を代表する「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「お釈迦さま」が「さとり」を開かれたことを記念して行われる「法要」と「お釈迦さま」「成道」の「故事」にちなんで行われる「行事」「釈尊成道会・健康長寿粥接待」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「釈尊成道会・健康長寿粥接待」詳細

 開催日時 12月8日(木) 11時〜

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111

 備考
 「暮れ」の迫った「成田山新勝寺」では、毎年「恒例」の「大しめ縄づくり」が進んでいるそうです。
 「成田山新勝寺」の「大しめ縄」ですが、「照範じめ」といわれ、「稲穂」をつるしたような「形」が「特徴」で、「幅」6.6m、「重さ」200kgを超えるそうです。
 「成田山新勝寺」の「大しめ縄」は、12月25日(日)に「正月のお飾り」として「成田山新勝寺」「大本堂」前に取り付けられ、新年を迎える「準備」が整うそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3225 |
| 地域情報::成田 | 10:30 AM |
「ミニ門松作り実演」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で12月11日(日)に開催されます「ミニ門松作り実演」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「門松」とは、「正月」に「家」の「門」の前等に立てられる「一対」になった「松」や、「竹」の「正月飾り」のことで、「松飾り」ともいわれています。
 古くは「木のこずえ」に「神」が宿ると考えられていたことから、「門松」は「年神」を「家」に迎え入れるための「依り代」という「意味合い」があり、「地域」の「言い伝え」により、「松」を使わないところもあります。
 新年に「松」を「家」に持ち帰る「習慣」は、平安時代に始まり、室町時代に現代のように「玄関」の「飾り」とする「様式」が決まったといわれています。

 現在の「門松」は、中心の「竹」が目立ちますが、その「本体」は、「名前」でわかる通り「松」です。
 もと、平安の「貴族達」が好んだ「小松引き」という「行事」で持ち帰った「子の日の松」を「長寿祈願」のため「愛好」する「習慣」から変遷したもので、現在も「関西」の「旧家」等では、「根引きの松」という「玄関」の「両側」に白い「和紙」で包み、「金赤」の「水引」を掛けた「根」が付いたままの「小松」(松の折枝は略式)が飾られます。
 「竹」の「先端部」の「形状」は、「斜め」に切った「そぎ」と、「真横」に切った「寸胴(ズンドウ)」の2種類があります。
 「そぎ」は、「徳川家康」公が始めたもので、「徳川家康」公の「生涯唯一」の「敗北」として知られています「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、「対戦相手」の「武田信玄」公に対して、次は切るぞという「念」を込めたのが「始まり」という「説」があります。
 江戸期の「門松」は、現在と異なり、「松」の「先」を切らずに「地面」からそのまま「家屋」の「二階屋根」まで届くような「高さ」のものが飾られていたそうです。

 「地方」により「門松」の「様式」に「差」があり、「関東」では3本組の「竹」を中心に、全面に「葉牡丹」(紅白)、後方に「長めの若松」を添え、下部を「竹」で巻き、「梅老木」や、「南天」、「熊笹」や、「ユズリハ」等を添えます。
 さらに「省略版」として、「枝振り」のいい「若松」に、「紅白」や、「金銀」の「水引」を「蝶結び」にし、「門柱」等に付ける「方法」もあり、手軽なことから多く使われます。

 「スーパーマーケット」等の「商店」では「賀正」、「謹賀新年」といった「語」と、「新年」の「あいさつ文」、「門松」や、「鶴」、「亀」、「日の出」等の「絵」を印刷した「ポスター」を張って済まされることもあります。
 また、「松の木」の「保護」や、「伝統分化」の「継承」を「目的」に「門松カード」と呼ぶものを「市役所」や、「公民館」等で配布したり、「ホームページ」から「ダウンロード」出来るようにしている「自治体」もあります。

 また近年では、「門松」を「生花店」や、「ホームセンター」、「造園業」や、「工務店」等で作られ、「設置」・「撤去」まで「一括」で行う「サービス」もあり、「生花」を利用するので、翌年に「使い回し」はできませんが、「造花」を使用する「門松」もあります。
 また「年末年始」の「警備員」が居ない「状況下」での「危険」を避けるため、「繁華街」の「店舗用」等では「先」が尖っていない「門松」を置くことが多くなっており、「大型商店」や、「オフィス街」では、「初売り」や、「正月」は「無人」に近くなる「都心」の「事情」等により、「本格的」な「門松」が置かれるのが「大晦日(オオミソカ)」や、「元旦(ガンタン)」になる場合があるそうです。

 「門松」の「設置期間」ですが、12月の13日(もしくはその後)に、「山」から「松の木」(枝)を取ってくる「松迎え」を行い、この「松」により、「山」から「歳神様」(歳徳神)を迎え入れる事となるそうです。
 「門松」の「設置」は、13日から28日が多く、「クリスマス」を避けて設置される場合もあります。

 12月29日に飾るのは「二重苦」、さらに「9」の「末日」でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌まれており、また12月31日に飾るのは「一夜飾り」、「一日飾り」といって「神」をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされています。

 また1月7日までを「松の内」といい、「お正月」の「松飾り」をつけておく「期間」となり、6日の「夕方」や、翌7日に片付ける場合が多いそうですが、「地域」によっては1月15日の「小正月」まで飾る等、様々だそうです。
 (左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞います。
 左義長は1月15日の小正月が多いですが、地域や神社によって異なります。)

 「昔」の「作品」で、

 「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 とあり、「門松」を飾る「新年」を迎えることはめでたいことですが、「墓」に向かっていく「一里塚」のようなものでもあると歌われており、「徒然草(ツレヅレグサ)」でも歌われています。

 この度(タビ)「ふれあいパーク八日市場」では、「ミニ門松作り」の「実演」を12月11日(日)に開催するそうです。
 「ミニ門松作り実演」ですが、「ふれあいパーク八日市場」を「会場」に10時00分から14時00分まで行われ、「山武市」「蓮沼」の「土屋定吉」氏による「ミニ門松作り」の「実演」が行われるそうです。

 「匝瑳」の「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「催し」「ミニ門松作り実演」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ミニ門松作り実演」詳細

 開催日時 12月11日(日) 10時〜14時

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」は、「Facebook」でも「情報発信」を行っています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3245 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:19 AM |
「団碁祭(ダンキサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月7日(水)に開催されます「団碁祭(ダンキサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社(カンペイタイシャ)」(官弊大社)で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「茨城県」「鹿嶋市」「宮中」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」「息栖」に鎮座する「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「本殿」ですが、目にもあざやかな「朱塗り」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」ですが、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」です。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」の「皆さん」が訪れ、賑わうそうです。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮古神宝類(カトリジングウコシンポウルイ)」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文十七年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和四年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正七年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」等があります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばかりではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として、また「信仰の場」として大切に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを超える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や、「古井戸」は往時の「景観」を偲(シノ)ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」にあたり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって、徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「侵食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と、「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の周辺には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」等の「常緑広葉樹」が多く見られ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」等の「シダ類」をはじめとして、「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」等の「草木類」が数多く自生しています。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」の「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」は、上記のように「明治」の「制」で、「官弊大社(カンペイタイシャ)」に列格している「神社」で、「例祭」(2016年4月13日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が4月14日に、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」「総出」で催される「神幸祭」(2016年4月14日・2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎に催されている「式年大祭」の「神幸」は、盛大に催行され、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(クブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移して「船上祭」が執り行われています。
 他にも「香取神宮」では、4月第1週「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「香取神宮」「拝殿」「前庭」にて「耕田式」、「日曜日」に「田植式」が執り行われ、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で「祭儀」が執り行われています。
 また「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)、「団碁祭(ダンキサイ)」といった「特殊神事」が多く執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

 「団碁祭」ですが、「八石八斗(ハチゴクハット)団子祭(ダンゴマツリ)」とも呼ばれ、「香取神宮」が鎮座する「香取市」では、一般に「だんごまつり」とも呼ばれている「祭事」です。
 「団碁祭」は、「新穀」で「団子」をつくり、奉納する「五穀成熟感謝」の「お祭り」で、「香取神宮」「年間」100を超える「祭儀」(神事・年間祭典)の中でも「御神酒(オミキ)」の「奉献」がない、珍しい「神事」として知られており、「大饗祭(タイキョウサイ)」(11月30日の「新穀感謝」の「神事」)(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)の「接待」に当たった「比売神(ヒメガミ)」「慰労」の「祭儀」ともいわれています。
 (「大饗」の「宴」の「お料理」に腕をふるって下さった「比売神」の「労」をねぎらうために行われているそうです。)
 ちなみに「比売神」ですが、「神道」の「神様」で、「神社」の「主祭神」の「妻」や、「娘」、あるいは関係の深い「女神」を指すそうです。
 「団碁祭」ですが、18時00分、「浄闇」の中、たくさんの「お団子」を「香取神宮」「御神前」に奉納するそうです。
 「団碁祭」では、「かがり火」の焚かれる中、「巫女舞」等執り行われ、「幻想的」な「祭典」となっているそうです。
 また「団碁祭」では、終了後、「お団子」が「参拝者」に配られてるそうですが、この「お団子」を食べると、「風邪」を引かないという「伝承」があるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「暮三祭」の「トリ」(最後)を飾る「祭事」「団碁祭(ダンキサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「団碁祭(ダンキサイ)」詳細

 開催日時 12月7日(水) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で催行される「団碁祭」ですが、11月の「大饗祭」から続く、「暮三祭」(賀詞祭・内陣神楽・団碁祭)の「最後」(トリ)を飾る「祭儀」となっています。

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| 地域情報::香取 | 10:34 AM |
「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉山観福寺」で12月7日(水)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 「香取市」の「沿革」ですが、1875年(明治8年)「香取市域」が「千葉県」に属するようになり、1889年(明治22年)の「町村施行」により、「佐原地区」には「佐原町」等の9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」等5町村、「山田地区」には「府馬村」等3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は1951年(昭和26年)から1955年(昭和30年)にかけての「市町村合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の1924年(大正13年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は、「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」ですが、「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する(鎮座する)「茨城県」「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「観福寺」こと「山倉山観福寺」(2012年12月4日のブログ参照)ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「山倉山」、「御本尊」は「大六天王」で、「山号」の「由来」ですが、「地区」の「名称」である「山倉」の「地名」を取り、「山倉山」となっており、「院号」は、「京都」「嵯峨」「御所」から下る「聖観世音菩薩」が勧請されている「伽藍」、「天地」に(地)、「伽藍」(院・建物)と謂う事で「観音地院」、「寺号」は、「聖観世音菩薩」の「福徳」を授けると謂う事で「観福寺」とされています。
 「山倉山観福寺」ですが、811年(弘仁2年)「円頓」によって創建され、数年後、「弘法大師」「空海」が、この「寺」に入り、修行したといわれています。
 「山倉山観福寺」ですが、元は「山倉大神」(2013年11月30日・2012年12月2日のブログ参照)の「別当寺」であり、「別当」(神宮寺)は、「御本尊」が「神社」に勧請されており、1869年(明治2年)5月24日迄、今の「山倉大神」の「本殿」「奥の間」(宮殿)に勧請されていたそうです。
 その後、「山倉山観福寺」ですが、「別当」から出向き、「御祈祷」を修法されていましたが、「明治維新太政官公布」により、「神仏分離令」され、「天部」の「御本尊」であり、益して「弘法大師」「空海」が勧請した「御本尊」であり、「真言宗」で最も大切な「御経・般若理趣経」の「御本尊」である為、「別当」に持ち帰り、「現・講堂」に遷座後、「現・本堂」に奉安され、現代に至ります。
 「山倉山観福寺」の「略縁起文」「山倉山大六天王畧縁起文」は、下記の通りです。

 抑々本尊大六天王と申し奉るは大日如来の内眷屬にして此の慾界に安住し假りに降伏の形相を示し給ふ大自在神通の力を以て或は大忿怒威の御身と現はれ悪鬼魔軍面縛し厄難消除疾病退散を司り壽命を與へ福徳智惠愛嬌を授け給ふの御誓願なれば御利益は響きの物に應するが如く願として満足せざることなし
 茲に當山の由來を案ずるに人皇52代嵯峨天皇の御宇弘仁5年天下大疾し衆人其の病苦に斃るる者巷に陰惨の状人の目に覆ふばかりなり時恰も大聖吾が弘法大師東國回錫の砌り即ち同年辛夘初卯の日霊験新かなる御本尊を此の地に勧請し済世利民の本願を以て國家安全萬民法楽を祈り珠には末世諸人の疾病に苦しむを憐れみ天尊の威徳を仰いて護摩供の秘法を厳修し給ふ事一夏90日(座)の間逐に感應空しからず奇瑞ありし中にも龍神よりは夜毎に龍燈を捧げ供魚として鮭の魚を献し奉る而して此の天尊を信心し護摩供御霊符の御利益を依り厄難病苦を脱れ福徳智惠愛嬌を満足したる者挙げて御魚として献りに敢えて変ることなく實に有難き事ならずやされば此の天尊を信ずる人々は疾病厄難を退れ福智益長し家門繁栄子孫長久の基き最も護符護摩供の霊験に因りて當利益を蒙りし者は擧げて数へ難し之れ諸人の知る處なり
 また當山は往時皇室の御祈願所と御尊特に嵯峨御所入りは観音地院の称号を賜り緋紫衣披着の允許あり殿上の参入を許され菊花御紋章付御勅願の御下錫あり其の他實冠御幕等國實的實物を多数保存し以て往時の威容を忍ぶに足るものあり古来山倉山と唱ふれば抜苦與楽の一大霊場として天下に其の名を歌はれしも亦故なきにあらざるなり
 時會明治維新排佛稀釈の法難に遭へ神佛分離の制度に依り現在の山倉大神より御本尊を當山に移請し奉り附属する宝物記録等一切を管理し又跡に高皇産命を祀り山倉部落の鎮守として山倉大神を称す故に古へより山倉様と称し諸人の信仰を集めたるは當山の御本尊にして之れ即ち大六天王と山倉大神の分離別体なる所以なり
 かかる新かなる尊天なれば十方信者結縁のために今大護摩を修行し珠には延命息災講中安全悪疾退散諸人快楽を祈請し奉るものなり

 「山倉山観福寺」は、「関東八十八ヶ所霊場」のひとつ「第45番札所」として知られています。
 「関東八十八ヶ所霊場」ですが、「関東地方一帯」に広がる「弘法大師」「巡礼地」で、「特別霊場」と合わせて、95の「寺院」を巡るもので、1955年(昭和30年)に開創されました。
 「関東八十八ヶ所霊場」は、「一番」の「聖観世音菩薩」を「御本尊」とする「慈眼院」、「通称」「高崎観音」(群馬県高崎市)から始まり、「八十八番」「大聖歓喜天」を「御本尊」とする「歓喜院」、「通称」「妻沼晴天」(埼玉県熊谷市)までの「八十八ヶ所」を指すそうです。

 「観福寺」ですが、「香取市」に2つあり、ひとつは「香取市」「牧野」(旧・佐原市)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「妙高山観福寺」(2013年1月24日・2011年5月30日のブログ参照)で、もうひとつは、「香取市」「山倉」(旧・香取郡山田町)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「山倉山観福寺」です。
 今回ご案内している「観福寺」ですが、「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉山観福寺」ですので、「観福寺」の「山倉の鮭祭り」(2012年12月4日のブログ参照)にお越しの際は、気を付けて下さい。

 「山倉の鮭祭り」とは、「香取市」「山田地区」(山倉地区)の「山倉大神(ヤマクラダイジン)」と、「山倉山観福寺」で催行される「例大祭」です。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ行われる「初卯祭」で、「例大祭」では、「鮭」を奉納することから「別名」「鮭祭り」と呼ばれています。
 「いい伝え」によりますと、「山倉大神」、「山倉山観福寺」の近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に上がってきた「鮭」を初めて捕らえた「人」が、捕らえた「鮭」の「頭」に「大の字」があったのを見て、これは「山倉」の「大六天様」への「進献もの」として奉納したことに始まったといわれています。
 また、「栗山川」で捕らえた「鮭」は、「龍宮」から供せられた「龍宮鮭」ともいわれ、「山倉の鮭祭り」の「鮭」の「由来」には、「諸説」あるそうです。

 「山倉山観福寺」に伝わる「伝承」ですが、「お堂」にこもり、「断食修行」を続けた「弘法大師」のもとに「竜神」が「鮭」を供え、それを「弘法大師」が「村人」に分け与えると「病」が癒えたという「伝承」が残されています。
 江戸時代後期の「下総名勝図絵」では、

 「御神事十一月の卯の日なり。
  疫病を悩むもの此の神を祈りて霊験すみやかなり。
  十一月祭礼の頃、鮭おのづから上る。
  是を獲たる人、山倉に持ち行くに、その人を祭礼の上席に居らしめて饗応する古例なり」

 と紹介しているそうです。
 「香取市」「山田地区」(山倉地区)では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、きまって「鮭」が「栗山川」を遡上(ソジョウ)してきたため、この地の「人々」は、「鮭」を「おしゃけさま」と呼び崇め、現在もわずかではありますが、「栗山川」の「鮭」が、「初卯祭」で奉納されています。

 「山倉の鮭祭り」「初卯祭」では、上述の「伝承」にちなみ、「山倉山観福寺」にて、「鮭」を献上した「古式ゆかしい行列」が組まれ、「行事」が厳(オゴソ)かに催行され、「旧暦」「霜月」「初卯の日」に「鮭」を奉納するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の催行される「香取市」「山田地区」(山倉地区)では、昔から「鮭」が「貴重」な「タンパク源」となっていたそうで、そのため「鮭」を「奉納・献上」した「神事」を、「晩秋」・「初冬」にかけ行っていたそうです。

 「香取市」「山田地区」の「古刹」「山倉山観福寺」に伝わる「由緒」ある「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」詳細

 開催日時 12月7日(水) 11時〜

 開催会場 山倉山観福寺 香取市山倉1934-1

 問合わせ 山倉山観福寺 0478-79-2802

 備考
 「山倉の鮭祭り」ですが、12月の「初卯の日」に催行されていた「神事」でしたが、「人集め」が「困難」となったため、「山倉大神」では、2002年(平成14年)より12月の「第1日曜日」に変更されましたが、「山倉山観福寺」では、「暦」にならい、現行通り「旧暦」の「霜月」「初卯の日」に「初卯祭」(12月7日)を催行しています。

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| 地域情報::香取 | 10:12 AM |
「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月4日(日)に開催されます「内陣神楽(ナイジンカグラ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
 また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
 「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
 また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
 「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
 この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。

 「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この形式の「社殿」としては「最大級の規模」となっています。
 「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
 「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
 「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
 この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
 「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。

 「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
 また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
 「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5mほど移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
 「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
 「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)、「団碁祭(ダンキサイ)」(2015年12月5日のブログ参照)が執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。
 「内陣神楽」ですが、「香取神宮」で執り行われている「祭典」で、12月4日(日)に催行されます。
 「内陣神楽」は、「香取神宮」「内陣」の「御扉」が開かれ、「香取神宮」「殿内」では、「少年達」による「舞」が奉納されるそうです。
 「内陣神楽」「当日」は、14時00分から、「香取神宮」「本殿」内の「清祓(キヨハライ)」の「儀」(「内陣」の「煤払(ススハラ)い」)に続き、17時00分から「氏子」の「少年達」による「大和舞」が奉奏されるそうです。
 なお、この「祭典」(内陣神楽)ですが、「外部」の「人」の「見学」や、「参列」は無い「祭事」となっているそうです。
 「内陣神楽」ですが、昔は「香取神宮」「本殿」の「内陣」が開くことから、恐れ多いとして、この「夜」、「地元」の「氏子」であっても「夜」の「参拝」をすることを遠慮していた(外出をせずに室内で慎んでいる事が習わしだったと言われる)といわれているそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で執り行われる「暮三祭(クレサンサイ)」のひとつに数えられる「祭事」「内陣神楽(ナイジンカグラ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「内陣神楽(ナイジンカグラ)」詳細

 開催日時 12月4日(日) 17時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」では、11月30日「大饗祭(タイキョウサイ)」(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、翌日(12月1日)「賀詞祭(ガシサイ)」、12月4日に「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、12月7日に「団碁祭(ダンキサイ)」と、「夜」の「祭典」が続きます。
 特に、12月7日に執り行われる「団碁祭」は、「だんご祭」とも呼ばれ、「祭典」の「終了後」に「お団子」が分けられ、この(団碁祭)「お団子」にちなんで、「香取名物」の「厄よけ団子」があるわけなのだそうです。

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| 地域情報::香取 | 10:34 AM |
「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」(栄町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「栄町」「安食小学校」「体育館」および「駐車場」「特設ステージ」、「さわやか通り」で12月4日(日)に開催されます「いっさいがっさいフェスティバル2016」、「第2回少子化克服鍋まつり」です。

 「栄町」は、「千葉県」の「北部中央」、「利根川流域」に位置している「印旛郡」に属する「まち」です。
 「印旛郡」「栄町」は、かつて「同名」の「新潟県」「南蒲原郡」「栄町」がありましたが、「新潟県」「南蒲原郡」「栄町」に隣接する「三条市」および「南蒲原郡」「下田村」との「新設合併」によって「三条市」となり、廃止したため、現在「自治体」としての「栄町」は唯一のものとなったそうです。

 「印旛郡」「栄町」の「歴史」ですが、古く紀元前からすでに「丘陵地」を中心に「集落」が形成され、その跡に「貝塚」が残っており、多くの「石器」や、「土器」が出土しています。
 特に有力な「豪族」を埋葬したものと推定される「岩屋古墳」(国指定史跡)(2012年2月27日のブログ参照)をはじめ、110余基が「龍角寺地区」から「酒直地区」に点在しています。
 また、奈良時代前期には「江戸」と、「東北方面」からの「物資」の「流通」を「河川」に依存していたことから、「印旛郡」「栄町」は「中継基地」として、大変な「にぎわい」を示していたといわれています。

 明治22年(1889年)に「安食村」、「北辺田村」、「龍角寺村」、「酒直村」、「矢口村」、「須賀村」、「麻生村」の7村及び、「安食卜杭新田飛地」が合併して「境村」となり、同年に「布鎌請方新田」他15村が合併し、「布鎌村」となりました。
 また「境村」は、明治25年(1892年)には「安食町」と改称し、その後、昭和29年(1954年)に「豊住村」(現在は「成田市」)の一部を編入しました。
 そして、翌年の昭和30年(1955年)12月1日には、「安食町」と、「布鎌村」が合併し「印旛郡」「栄町」が誕生しました。
 「印旛郡」「栄町」は、昭和47年(1972年)の「水と緑の田園観光都市」「構想」の「策定」により、「印旛郡」「栄町」の新たな「施策」の「展開」と、「成田線」の「電化」に伴い、「東京」への「通勤圏」となりました。
 「印旛郡」「栄町」は、昭和47年(1982年)以降は、「民間大規模住宅地開発」の「進展」が、大きな「要因」となり、「住宅都市」へと大きく変貌し、現在に至っています。
 「印旛郡」「栄町」の「通勤率」ですが、「成田市」へ25.2%、「東京都」「特別区部」へ12.5%(いずれも平成22年国勢調査)となっています。

 「印旛郡」「栄町」は、「坂東太郎」と呼ばれる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)とを繋ぐ「長門川」、「将監川」が流れ、「岸辺」からは「カワセミ」の飛び交う「姿」を見ることができる「水と緑の田園都市」となっています。
 「千葉県」「北部」に位置する「印旛郡」「栄町」は、上記のように「利根川」と、「印旛沼」に囲まれた「自然」豊かな「まち」で、「栄町」には、1300年の「歴史」を誇り、有名な「龍伝説」(2012年3月5日のブログ参照)の伝わる「龍角寺」(2012年1月2日のブログ参照)や、「方墳」では「関東最大級」の「岩屋古墳」、「子孫繁栄祈願」の「大鷲神社」(2014年12月1日のブログ参照)、昭和51年(1976年)に開館し、江戸時代の「佐倉」の「城下町」を「モデル」とし、様々な「体験」ができる「人気施設」「房総のむら」、「総面積」約32ha(ヘクタール)の「自然」豊かな「敷地」に約78基の「古墳」がある「千葉県立風土記の丘」、明治時代の「歴史」ある「建造物」「旧学習院初等科正堂」など「見どころ」が数多くある「まち」です。
 ちなみに、現在の「印旛郡」「栄町」の「人口」ですが、平成28年(2016年)12月1日現在、「総人口」21301人、「男性」10430人、「女性」10871人、「世帯数」8927世帯となっています。

 「安食小学校」(栄町立安食小学校)ですが、「印旛郡」「栄町」「安食」にある「公立小学校」です。
 「安食小学校」の「学区」ですが、「上町」、「台下」、「辺引」、「鷲町」、「仲町」、「下町」、「松ヶ丘」、「田中」及び、「安食1丁目」から、「安食3丁目」までの「区域」となっており、「栄町」の「中心地区」に位置しているため、古くからある「商店」や、「農家」の「皆さん」が多い「学区」ですが、近年「東京」や、「成田」の「ベットタウン化」している「地区」も一部にあるそうです。
 「安食小学校」の「沿革」は、下記の通りです。

 1873年(明治6年)2月23日 大乗寺を仮校舎として開校。鷲谷学級と称す。

 1888年(明治21年)5月10日 高等小学校認可される。安食尋常高等小学校と改称。

 1908年(明治41年)4月 酒直尋常小学校廃校。安食小学校酒直分教場となる。

 1927年(昭和2年)7月14日 酒直分教場新築落成。

 1947年(昭和22年)4月10日 国民学校を小学校と改称。

 1949年(昭和24年)4月1日 酒直分教場廃止。酒直小学校となる。

 「いっさいがっさいフェスティバル」(2015年12月11日・2013年12月6日・2012年12月1日・2011年12月5日のブログ参照)は、「水と緑のまち」「栄町」が主催する「イベント」をまとめて行う「恒例行事」で、「産業祭」、「健康福祉祭」、「年金クイズ」等を同時に「いっさいがっさい」行う「フェスティバル」となっています。
 「いっさいがっさいフェスティバル」には、一日中「町民」をはじめ、「近隣」からも「見学」に訪れる「人」で賑わっています。

 「いっさいがっさいフェスティバル2016」ですが、12月4日(日)に「安食小学校」「駐車場」及び、「体育館」周辺で開催される「イベント」で、「栄町」のいっさいがっさいが一堂に会し、盛大に行われます。
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」ですが、「お得」な「生活情報」、「お買い物」等「お楽しみイベント」が盛り沢山となっています。
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」の「会場」、「イベント名」、「内容」は、下記の通りです。

 いっさいがっさいフェスティバル2016

 12月4日(日)

 10時00分〜14時00分

 「安食小学校体育館駐車場」

 出張コスプレの館
 家族で忍者等のコスプレをして、イベントを楽しもう!

 物産販売
 どらまめ商品、新鮮野菜、焼菓子、フランクフルト、焼き鳥、綿あめ、羊かん、プリン等

 ミニゲーム
 魚釣り、輪投げ

 人権・行政相談PR
 啓発物資の配布

 福祉車両の展示
 福祉サービスで活躍中の福祉車両を展示

 家庭系ごみ減量化PR
 家庭ごみ肥料無料配布、生ゴミ減量の方法教えます。

 水素で走る燃料電池自動車展示
 燃料電池自動車MIRAIの展示、新しい食のスタイル「ちば食べエコ」PR
 マイカップ持参の方限定チーバくんオリジナルステッカープレゼント

 ふるさと納税・定住移住PR
 町の定住移住とふるさと納税の紹介
 (ボックスティッシュ無料配布)

 「さわやか通り」

 のら市
 山菜おこわ、野菜、焼き芋の販売

 「安食小学校体育館」

 健康まつり
 脳卒中予防紹介、肺活量・血管年齢測定をして自分の体をチェック

 高齢者就業機会情報発信
 高齢者向けの就業情報の発信
 (粗品配布)

 若者就労相談
 若者サポートステーションによる就労相談

 消費生活相談
 ゲームに参加して粗品プレゼント

 住宅なんでも相談
 住宅耐震診断や改修など住宅に関する心配ごと相談

 家庭ごみ減量化PR
 知って得する家庭ごみの分別方法、粗大ごみのリサイクル品抽選会

 軽スポーツ体験教室
 手軽にできるスポーツ吹き矢の体験教室

 福祉バザー
 福祉団体によるバザー

 歳末たすけあい募金活動
 イベント会場で見かけたらぜひご協力を!

 MOA美術館印旛児童作品展
 栄町児童の入賞作品を展示

 PTAバザー
 安食小学校と栄中学校両校のPTAによるバザー

 ※都合により内容、時間等は予告なく変更する場合があります。

 また昨年(2015年)「栄町」は「町制施行60周年」を迎え、「栄町町制施行60周年記念事業」として「いっさいがっさいフェスティバル2015」と同時開催で、「第1回少子化克服なべまつり」を開催しました。
 昨年に引き続き「栄町」では、今年(2016年)も「いっさいがっさいフェスティバル2016」と同時開催で、「第2回少子化克服なべまつり」を12月4日(日)に開催するそうです。
 「第2回少子化克服なべまつり」ですが、寒い「冬」は「鍋」でぽかぼか、11店舗の「鍋」を「食べ比べ」できる「イベント」で、「子授け」・「安産」・「夫婦円満」を願い、「魂生大明神」の「曳き廻し」も行われるそうです。
 「第2回少子化克服なべまつり」の「会場」、「時間」、「イベント名」、「内容」は、下記の通りです。

 第2回少子化克服なべまつり

 12月4日(日)

 「安食小学校体育館駐車場特設ステージ」

  9時45分〜     開会セレモニー(主催者、来賓あいさつ)

 10時00分〜10時30分 なべまつりPRタイム(なべまつり出店者による店舗のPR)

 10時40分〜11時00分 どらむ君健康づくり体操(どらむ君オリジナル健康体操で、食事前に軽く運動!)

 11時10分〜11時50分 吹奏楽演奏(栄中学校吹奏楽部による演奏)

 11時50分〜12時00分 お笑いミニライブ(お馴染み!ゴールデンボーイズのお笑いライブ)

 12時00分〜12時15分 バルーンパフォーマンス(ドゥビ伊藤による家族で楽しめるバルーンショー)

 12時20分〜12時50分 地域密着型吹奏楽団演奏(栄町吹奏楽団「ドラムウィンドアンサンブル」の演奏)

 12時50分〜13時30分 大道芸(栄町出身「たっきゅさん」によるジャグリング)

 13時30分〜14時00分 和太鼓演奏(下総栄太鼓による和太鼓演奏)

 「安食小学校体育館」

 10時30分〜11時30分 赤ちゃんはいはいレース(負けられない戦いがそこにあるんだ!)(事前申込み)

 「さわやか通り」(体育館前)

 10時00分〜14時00分 子育て支援アプリ「すくすく栄」(アプリをダウンロードすると先着150名に素敵なプレゼント!)

 10時00分〜14時00分 お子さまの手形をとろう!(小学校までのお子さまの手形を色紙にとろう!)(先着150枚)

 10時00分〜14時00分 なべコーナー

 健ちんじる(北総栄病院)
 芋煮汁(出舟)
 ゆめのミルクスープ鍋(成田ゆめ牧場)
 大相撲千賀ノ浦部屋特製ちゃんこ(舛ノ山後援会)
 黒豆味噌を使った豚汁(栄町商工会女性部)
 大和いも入りもつ煮(栄町商工会青年部)
 雑煮(栄町農業委員会)
 カレー鍋(栄町観光協会)
 野菜たっぷりトマト鍋((株わたや))
 江戸野菜鍋(房総のむら)
 クラムチャウダー(栄町青少年相談員連絡協議会)

 10時15分〜12時30分 魂生大明神曳き廻し(子授け・安産・夫婦円満の神として祀られた男根の本尊を会場内で曳き廻す)

 「歴史」ある「安食小学校」「体育館」および「駐車場」「特設ステージ」、「さわやか通り」で開催される「恒例・人気イベント」「いっさいがっさいフェスティバル2016」、「人気イベント」「第2回少子化克服鍋まつり」。
 この機会に「栄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」詳細

 開催日時 12月4日(日) 9時45分〜

 開催会場 安食小学校体育館および駐車場特設ステージ、さわやか通り 印旛郡栄町安食305

 問合わせ 栄町産業課産業振興班 0476-33-7713

 備考
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」が開催される「栄町」では、12月3日(土)から5日(月)の期間に「安食酉の市」(安食の酉市)、「とりまち」(2015年12月10日・2014年12月1日・2013年12月3日・2012年11月30日・2011年12月5日のブログ参照)が行われます。

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| 地域情報::成田 | 10:36 AM |
「第12回あさひ寄席」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「千葉県東総文化会館」で12月4日(日)に開催されます「第12回あさひ寄席」です。

 「千葉県東総文化会館」ですが、「旭市」「ハ」に所在する「公共文化施設」です。
 「千葉県東総文化会館」ですが、「自然」との「共生」、「魅力」ある「屋内外空間」の「創生」、「遠目」に映える「シンボル」などを「基本構想」にして設計され、「千葉県東総文化会館」は、「千葉県民」及び「旭市民」に「芸術文化」の「創作発表」、「鑑賞」の「場」を提供することを通じて「県民文化」の「発展」に寄与することを「目的」に建設された「公共文化施設」となっています。

 「千葉県東総文化会館」の「施設」は、平成3年(1991年)6月1日に開館した「公共文化施設」で、「千葉県東総文化会館」の「建設面積」4724.88平方m、「延床面積」5941.07平方mとなっており、「千葉県東総文化会館」の「構造」ですが、「鉄骨鉄筋コンクリート造り」、「地下1階地上3階建て」、「駐車場面積」28台(主催者用)となっています。
 「千葉県東総文化会館」の「大ホール」の「収容」ですが、900席(固定席)(1階・座席数768席、2階・座席数132席)となっており、その他「千葉県東総文化会館」「小ホール」の「収容」ですが、302席となっています。
 「千葉県東総文化会館」「大ホール」の「間口」ですが、16.0m(8間5尺)、「奥行」は15.5m(8間4尺)、「高さ」は9.5m(5間2尺)となっています。
 「千葉県東総文化会館」「小ホール」の「間口」ですが、10.0m(5間3尺)、「奥行」は8.2m(4間3尺)、「高さ」6.0m(3間2尺)となっています。
 「千葉県東総文化会館」では、数多くの「催し」、「イベント」、「コンサート」等が開かれています。

 「柳亭市馬(リュウテイイチバ)」ですが、「落語家」の「名跡」で、「当代」は「4代目」(「三遊亭市馬」から考えると「8代目」)です。
 なお、現代の「4代目」「柳亭市馬」の前に「4代目」(「三遊亭市馬」として)襲名した「落語家」もいらっしゃいますが、廃業しています。

 現在の「4代目」「柳亭市馬」「師匠」ですが、1961年(昭和36年)12月6日生まれの「落語協会」「所属」の「落語家」であり、2014年(平成26年)より「落語協会」の「会長」を務められています。
 「柳亭市馬」「師匠」は、「大分県」「豊後大野市」「緒方町」出身の「落語家」で、「本名」は「右藤泰幸(ウトウヤスユキ)」氏、「出囃子」は「吾妻八景」、「紋」は「丸に花菱」です。

 「柳亭市馬」「師匠」の「初」の「高座」ですが、1981年(昭和56年)4月1日、「池袋演芸場」においてで、演じた「演目」ですが、「道灌(ドウカン)」であったそうです。
 ちなみに、「道灌」ですが、「江戸発祥」の「落語」であり、「初代」「林家正蔵」の「咄本」「笑富林」(1833年刊)に「原型」が見られ、「若手」が「鍛錬」のために演じる、いわゆる「前座噺」のひとつで、「3代目」「三遊亭金馬」「師匠」や、「5代目」「柳家小さん」「師匠」らは、「晩年」まで長く「同演目」を「得意ネタ」としていたそうです。

 その後、「柳亭市馬」「師匠」は、「柳派」の「正統派落語」「保守本流」として確固たる「地位」を築いたそうです。
 「柳亭市馬」「師匠」ですが、「仲間内」では(落語関連の)「雑学王」と呼ばれるほど、「ネタ」に関する「由来」や、「こぼれ話」等を知っているそうです。

 「柳亭市馬」「師匠」の「趣味」ですが、「流行歌」を聴き、歌うことだそうで、「芝居」とくに「歌舞伎見物」も「趣味」だそうです。
 また「柳亭市馬」「師匠」は、「美声」の「持ち主」として知られており、「プロ」の「歌手」(社団法人日本歌手協会会員)でもあるそうで、「音曲ネタ」(「掛取万歳」など)を得意とし、「相撲甚句」などを披露するそうです。

 「柳亭市馬」「師匠」ですが、2010年(平成22年)12月、「落語協会」「理事会」にて2011年(平成23年)からの「副会長」「就任」が決まり、「兄弟子」である「柳家小三治」「師匠」が「会長」として率いる「落語協会」を「幹部」として支えていくことになったそうです。
 ちなみに「副会長」「就任」決定の「時点」で49歳というのは「歴代」の「副会長」を見渡しても「異例の速さ」であり、「人事」と、「香盤」は直接連動しないにせよ「大抜擢」として「話題」となったそうです。
 また、2014年(平成26年)には「柳家小三治」「師匠」の「後任」として、「柳亭市馬」「師匠」は、「落語協会」「会長」を引き継いでおり、52歳での「会長」就任は「落語協会」「発足後」「最年少」なのだそうです。
 「柳亭市馬」「師匠」の「略歴」は、下記の通りです。

 1980年(昭和55年)3月 大分県立竹田高等学校卒業

 1980年(昭和55年)3月 5代目柳家小さんの門下で「小幸」。

 1984年(昭和59年5月)二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。

 1993年(平成5年)9月 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。

 2008年(平成20年)7月 「山のあな ねぇ あなた」(ポニーキャニオン)で歌手デビュー。

 2010年(平成22年) 落語協会理事となる。

 2010年(平成22年)12月 落語協会理事会にて副会長に決定。

 2011年(平成23年) 副会長就任。

 2014年(平成26年)6月 落語協会理事会にて落語協会会長に就任。

 「初代」「林家三平(ハヤシヤサンペイ)」(本名・海老名泰一郎)(エビナヤスイチロウ・旧名・栄三郎(エイザブロウ))は、「東京都」「下谷区」(現在の東京都台東区)「根岸」出身、「旧制明治中学」卒業、「明治大学」「商学部」入学、「通称」ですが、「根岸」、「出囃子」は「祭囃子」でした。
 「初代」が「林家三平」を名乗り続けた「理由」は、下記の通りです。

 三平は、二つ目の時点で既に時代の寵児、そして落語協会の次代を支える若手の筆頭となっていた。
 真打への昇進ともなれば、落語協会としてもやはり前座名でない立派な名を与える必要があった。
 5代目小さんは、自らの前名「柳家小三治」を三平に譲る事を考えた。
 小三治は柳派の出世名である。
 これをもって彼を柳派の正式な一員とし、ホープとして育てる事を約束するようなものである。
 そして都合のいいことに、三平本人の父の前名でもある。

 一方、師匠7代目橘家圓蔵もまた、自らの前名「月の家圓鏡」を三平に名乗らせたいという意向を持ち、様々な画策を行った。
 圓蔵は圓蔵で三平を橘家のホープ、そして自らの後継としたかったのである。

 三平は師匠圓蔵案(師匠の名を襲名)を一貫して拒み続けた。
 しかも小さん案(父の名を襲名)も受け入れず、結局どの名跡も襲名する事は無く「林家三平」のままで真打になったのである。
 (5代目柳家小さん「咄も剣も自然体」)
 そして、三平の名を一代で大看板にした。

 結局月の家圓鏡の名は弟弟子の橘家舛蔵が襲名した。
 三平がテレビで人気を博していた頃、舛蔵改め圓鏡は、主にラジオのトーク術で人気を博し、三平同様演芸界のスターダムにのし上がってゆくことになる。
 のちの8代目橘家圓蔵である。

 「初代」「林家三平」は、「テレビ時代の申し子」と謳われ、「テレビ」が生んだ「最初」の「お笑いブーム」、「(第一次)演芸ブーム」の「火付け役」かつ「中心的存在」であり、また「爆笑王」の「盛名」をほしいままにしました。
 「初代」「林家三平」の「家族」ですが、「東宝名人会」「専属」「7代目」「林家正蔵」の「実子」で「長男」であり、「初代」「林家三平」の「長女」は「海老名美どり」さん(峰竜太夫人)、「次女」「泰葉」さん(春風亭小朝元夫人)、「長男」は「9代目」「林家正蔵」(前名・林家こぶ平)、「次男」(前名・林家いっ平)が「2代目」「林家三平」(妻は国分佐智子)を継いでいます。
 「初代」「林家三平」の「妻」は「海老名香葉子」さん(教育再生会議委員)、「義兄」は「釣竿職人」の「中根喜三郎」(妻・香葉子の兄)氏、「孫」は「下嶋兄」氏(美どりと峰の息子)、「林家たま平」(9代目正蔵の息子)です。

 「林家三平」「師匠」は、1970年(昭和45年)12月11日生まれの「日本」の「落語家」で、「タレント」、「本名」は「海老名泰助(エビナタイスケ)」氏、「出囃子」は「祭ばやし」、「前名」は、「林家いっ平」、「2代目」「林家三平」と表記されることもあります。
 「林家三平」「師匠」は、「落語協会」「真打」で、かつては「タレント」として「ホリプロ」にも所属していたそうです。
 「林家三平」「師匠」は、「ねぎし三平堂」「堂長」で、「英語」が得意であり、「中国語」も話せるそうで、2016年(平成28年)5月より「笑点」の「大喜利メンバー」となっています。
 「林家三平」「師匠」の「略歴」は、下記の通りです。

 1989年(平成元年)11月 大学在学中に林家いっ平として林家こん平に弟子入り。

 1993年(平成5年)11月 二つ目昇進。

 1999年(平成11年) シンガボールで東京の落語家では初となる英語落語を披露。

 2002年(平成14年)9月 真打昇進。第19回浅草芸能大賞新人賞受賞。

 2009年(平成21年)3月21日 林家三平を襲名。

 2011年(平成23年) 徳島県美馬市観光大使に就任。

 2016年(平成28年) 5月29日分より、笑点新メンバーに加入。

 「あさひ寄席」ですが、平成17年(2005年)7月1日、「旭市」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」、「香取郡」「干潟町」の1市3町が合併し、新しく「新・旭市」が誕生した「年」の12月から始まった「催し」(寄席)で、今年(2016年)で「12回目」を数える「催し」です。
 ちなみにはじめて行われた「第1回あさひ寄席」には、「三遊亭小遊三」「師匠」、「のいるこいる」、「玉川カルテット」、「堺すすむ」といった「方々」が出演されたそうです。

 「第12回あさひ寄席」ですが、上記のように「千葉県東総文化会館」「大ホール」を「会場」に、12月4日(日)13時00分「開場」、13時30分「開演」で開催される「催し」です。
 (「第12回あさひ寄席」の終演(予定)は15時30分です。)
 「第12回あさひ寄席」は、「全席指定」となっており、「入場料」は「一般」3000円(消費税込み)、「65歳以上」2500円(消費税込み)となっています。
 「第12回あさひ寄席」の「出演者」ですが、「柳亭市馬」「師匠」、「林家三平」「師匠」、「堺すすむ」、「母心」、「桂竹千代」他となっています。

 「第12回あさひ寄席」の「チケット販売開始」は、2016年(平成28年)9月29日(木)10時00分から行われており、下記の「チケット販売所」にて、「チケット」(入場券)を販売しています。
 (チケット発売初日に限り、1人4枚まで)

 「チケット販売所」

 三川屋駅前店 旭市ロ633-10 0479-63-5681

 三川屋国道店 旭市ニ436-2 0479-63-7181

 サンモールインフォメーション 旭市イ2676 0479-63-9201

 向後文具店 旭市ニ6464 0479-62-1060

 ラブイシカワ 旭市ニ233-1 0479-62-0902

 千葉県東総文化会館 旭市ハ666 0479-64-2001

 いいおかユートピアセンター 旭市横根1365-25 0479-57-6060

 旭市干潟公民館 旭市堀之内22-1 0479-55-5728

 旭市教育委員会生涯学習課(海上支所1階) 旭市高生1 0479-55-5728

 「芸術文化」が鑑賞できる「公共文化施設」「千葉県東総文化会館」「大ホール」で開催される「プロ」の「噺家」、「芸人」の「共演」「第12回あさひ寄席」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第12回あさひ寄席」詳細

 開催日時 12月4日(日) 13時(開場) 13時半(開演)〜15時半

 開催会場 千葉県東総文化会館大ホール 旭市ハ666

 入場料  一般 3000円 65歳以上 2500円

 定員   900名

 問合わせ 旭市教育委員会生涯学習課文化振興班 0479-55-5728

 備考
 この度(タビ)「千葉県東総文化会館」では、「受付カウンター」に「鳥取県中部地震災害義援金」の「募金箱」を設置し、お預かりした「義援金」は、「日本赤十字社」「千葉県支部」を通じて、被災された「皆様」にお届けするそうです。

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| 地域情報::旭 | 06:52 PM |
「安食酉の市」(安食の酉市)(栄町)
 本日ご案内するのは、近隣市「栄町」「大鷲神社」で12月3日(土)〜5日(月)の期間開催されます「安食酉の市」(安食の酉市)です。

 「大鷲神社」ですが、「印旛郡」「栄町」「安食」(下総国下埴生郡)に鎮座する「神社」で、「大鷲神社」の「旧社格」ですが、「無格社」です。
 「大鷲神社」の「御祭神」ですが、「天乃日鷲命(アマノヒワシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」、「少名彦命(スクナビコノミコト)」、「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」を祀っています。
 「大鷲神社」の「由緒」ですが、「創祀」の「年代」は明らかではありませんが、「日本武尊」が「東夷征討」の際、「錦旗」を建て「仮」の「御野立所」とし、「祖神」を奉斉して仰ぎみると、「大鷲」が飛来して「道標」となり、「目的」を達成したとの「言い伝え」によるものだそうです。

 「大鷲神社」の「境内坪数」ですが1026坪、「大鷲神社」の「本殿」ですが、「本屋」、「向拝」の「軸部」、「縁廻り」、「柱間」等の「壁板」には、極めて「装飾的」な「彫刻」が施されています。
 「大鷲神社」「本殿様式」ですが、「千鳥破風」&「唐破風」付きの「一間社入母屋造」だそうです。
 「大鷲神社」「本殿」では、特に「本屋」と、「向拝」を繋ぐ「海老紅梁」は「竜の丸彫り」になっており、「千葉県内」でも「駒形神社」等、数例となっています。
 現存する「大鷲神社」「本殿」ですが、「擬宝珠金具」の「刻名」により、天保2年(1831年)の「造営」とされ、「栄町」の「町指定有形文化財」に指定されています。

 「大鷲神社」ですが、「大鷲様」と親しまれている「神社」で、江戸時代に「春日の局(カスガノツボネ)」が「竹千代君(タケチヨギミ)」の「出世」を祈り、「念願」がかなって「徳川三代将軍」「徳川家光」公となって現れたことから、「大鷲神社」は「出世開運」・「商売繁盛」・「子授祈願」の「守護神」として周知されたそうです。
 「大鷲神社」では、「江戸幕府」「将軍就任」の「御礼」として、「春日の局」より「将軍」の「船」の「軸先(ジクサキ)」として飾った「金の大鷲」(金色の鷲)を「祝い」として奉納されており(願い受け)、今も「大鷲神社」の「社宝」として大切に保管されているそうです。

 また「大鷲神社」が鎮座する「旧・安食村(アジキムラ)」は、「麻の産地」で、「下総(シモウサ)」の「総」は、「麻」を意味するともいわれ、「大鷲神社」「御祭神」の「天乃日鷲命」も「麻植の神」として知られており、「大鷲神社」「境内社」(本殿下)の「魂生大明神」(御利益は五穀豊穣・縁結び・子授け・安産・夫婦和合)には「ご神体」の「男根」(高さ2.5m、周囲)2.3mが奉納されており、「大鷲神社」「例大祭」には「木製」の「ご神体」が巡行するそうです。
 「大鷲神社」の「由緒」の「説明文」には、下記のように記されています。

 当神社の鎮座地である安食は、元は下総国埴生郡安食村とよばれ、古言によると下総国の「総」は布(麻)のことを表し、麻の縁の地であったと思われます。
 主祭神の天乃日鷲尊は、その子孫代々麻植の神として神功があり、麻に係わりのある当地においても祭神になっております。
 文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、明治二六年頃より大鷲神社と言うようになりました。
 また、江戸時代に春日局の崇敬が非常に厚く、竹千代君が三代将軍となったとき、そのことを祝い、将軍の船の軸先に魔除けとして飾ってあった金の大鷲を将軍より願い受けて奉納したといわれ、現在、宝物として保存され出世開運の神として知られています。

 「安食の酉市」(2015年12月10日・2014年12月1日・2013年12月3日・2012年11月30日・2011年12月5日のブログ参照)は、「出世開運」・「商売繁盛」・「子授祈願」の「守護神」として親しまれている「大鷲神社」で、毎年12月に行われる「酉の市」です。
 「安食の酉市」の「はじまり」ですが、江戸時代頃といわれ、「伝統」ある「お祭り」として、「近隣」の「茨城県」や、「東京都」等、「近県」からも、多くの「人」が集まり、「賑わい」をみせていたそうです。
 「安食の酉市」ですが、例年「大鷲神社」の「例大祭」に合わせ行われており、「安食の酉市」は「関東」で最も遅くに行われる「酉の市」として知られており、上述のように12月「最初」の「酉の市」に、「大鷲神社」周辺で開催されています。
 「安食の酉市」「当日」は、「商売繁盛」、「家内安全」、「学業成就」等を願った「演技開運熊手」が「人気」の「熊手市」等が、「大鷲神社」周辺の「会場」に所狭しと「熊手」が並ぶそうです。

 「安食酉の市」(安食の酉市)ですが、1年の「無事」に感謝し、来る「年の幸」を願う「酉の市」で、今年(2016年)の「安食酉の市」(安食の酉市)の「開催期間」ですが、12月3日(土)から12月5日(月)となっており、「初日」の12月3日(土)は「一の酉」、「中日」の12月4日(日)は「二の酉」、「トリ」を飾る12月5日(月)は「三の酉」となっています。
 また「大鷲神社」「例大祭」「期間中」には、「とりまち」と称して「神社」下「広場」を「会場」に、「カラオケ発表会」をはじめとして、「和太鼓」・「民舞踊」・「刃物研ぎ」等の「イベント」が行われ、「露店商」等も出店し、賑わいます。
 「安食酉の市」(安食の酉市)「とりまち」の「タイムスケジュール」、「内容」、「主催団体」は、下記の通りです。

 12月3日(土)〜5日(月)

  8時00分〜19時00分 例大祭(大鷲神社)

 12月3日(土)

  9時55分〜10時00分 開会宣言(酉市実行委員会)

 10時00分〜12時15分 カラオケ発表第1部(酉市カラオケ実行委員会)

 12時15分〜12時45分 歌謡ショー(成田みつる、京一夫&ちづる、武田和子)(順不同)

 12時45分〜13時00分 ドラム君健康体操(ドラム君健康づくり体操サポーター)

 13時00分〜15時30分 カラオケ発表第2部(酉市カラオケ実行委員会)

 12月4日(日)

 11時10分〜11時15分 開会宣言(酉市実行委員会)

 11時15分〜13時30分 民舞踊(栄町舞踏連盟)
           歌謡ショー(王春華)

 13時30分〜13時50分 歌謡ショー(堀カズアキ、水上純)(順不同)

 13時50分〜14時00分 舞踊(門田有真(小学5年生)、大木幸子)

 14時00分〜14時30分 ドラム君健康体操(ドラム君健康づくり体操サポーター)

 14時30分〜15時00分 ザ演歌(酉市カラオケ実行委員会)

 15時00分〜15時30分 大道芸(たっきゅうさん)(栄町出身)

 15時30分〜16時00分 和太鼓演奏(下総栄太鼓)

 10時00分〜16時00分 刃物研ぎ(栄町建設協同組合)

 10時15分〜12時30分 魂生大明神曳き廻し(酉市実行委員会)

 ※主催者の都合により内容・時間に変更がある場合があります。

 なお「安食酉の市」(安食の酉市)に催される「歌謡ショー」に出演した「歌手」は、「ヒット曲」が生まれるという「伝説」もあるそうです。
 「安食酉の市」(安食の酉市)の「会場」「大鷲神社」には、下記の「看板」が建てられています。

 琴を奏する彫刻の不思議

 毎年、十二月に行われる酉の市で大鷲神社境内の特設舞台で唄った当時無名に近い歌手達が翌年のNHK紅白歌合戦に出場を果すという不思議が続きました。
 それは音楽を習う姿のこの彫刻の発する神秘なエネルギーなのだろうか?
 又張り出した縁回りの彫刻には筆を持って採点を付けるような神様の姿も見える。
 ちなみに、近年酉市舞台で唄った歌手は瀬川暎子を始め、三笠優子、松原のぶえ、鳥羽一郎、冠二郎等で、今は日本を代表する歌手として活躍されております。

 大鷲神社社務所

 ※看板・内容を文中まま表記。

 「由緒」ある「大鷲神社」下「広場」で開催される「関東一」遅い、1年の「無事」に感謝し、来(キタ)る「年の幸」を願う「酉の市」「安食酉の市」(安食の酉市)。
 この機会に「栄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「安食酉の市」(安食の酉市)詳細

 開催期間 12月3日(土)〜5日(月)

 開催時間 10時〜16時

 開催会場 大鷲神社 印旛郡栄町安食3620-1

 問合わせ 安食酉の市実行委員会 0476-33-7713

 備考
 「安食酉の市」(安食の酉市)が開催される「栄町」では、「クリスマスシーズン」から「バレンタインデー」・「ホワイトデー」にかけ、「JR安食駅」を中心に「鮮やか」に彩られる「イルミネーション」が点灯する「安食駅前シーズンイルミネーション」が行われています。
 「安食駅前シーズンイルミネーション」ですが、今年(2016年)は昨年(2015年)より「会場」をさらに拡大して開催されているそうで、「幻想的」な「光」に包まれた「JR安食駅」「駅前」で楽しむことができるそうです。
 「安食駅前シーズンイルミネーション」「詳細」は、下記の通りです。

  「安食駅前シーズンイルミネーション」詳細

 開催期間 12月2日(金)〜2017年(平成28年)3月14日(火)

 点灯時間 17時00分〜0時30分

 開催会場 JR成田線JR安食駅周辺

 主催   栄町

 協賛   成田国際空港株式会社(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)

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| 地域情報::成田 | 10:36 AM |
「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で12月2日(金)〜2017年(平成29年)1月9日(祝・月)の期間開催されます「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られ、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「3代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」は、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「JR鹿島神宮駅(カシマジングウエキ)」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「宮下」4丁目にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「鹿島線」の「駅」です。
 「JR鹿島神宮駅」は、「鹿島線」の「途中駅」ですが、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」の間は、「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」からの「乗り入れ列車」が運行されるのみで、「鹿島線」の「旅客列車」は運行されていないそうです。
 これは「両社」の「接続駅」である「鹿島サッカースタジアム駅」が「臨時駅」であり、「サッカー試合開催日」等「特定の日」を除き「列車」が通過するためなのだそうです。
 そのため、「JR鹿島神宮駅」が「大洗鹿島線」(水戸)「方面」と、「JR線」「香取・佐原方面」の「運転系統上」の「区切り」の「駅」であり、正式な「大洗鹿島線」「接続駅」となっています。
 しかし、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」間は「JR東日本」の「所轄区間」であるため、「同区間」の「運賃計算」は「JR」のものとなるそうです。

 また、「JR鹿島線」から「JR成田線」・「JR総武本線」「経由」で「JR東京駅」へ直通する「特急列車」「あやめ」(2015年(平成27年)3月13日に定期運行は終了しています。)の「始発駅」となっていましたが、「定期列車」の「あやめ」は「JR鹿島神宮駅」から「JR佐原駅」(約20分)間は「各駅」に停車する「普通列車」となり、「特急料金不要」で乗車できましたが、2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「あやめ」は「定期列車」としては廃止され、「佐原」から「特急」となる「普通列車」も消滅しています。

 「快速列車」にも「特急列車」と同じ「経路」で「東京」まで、さらにその先の「JR横須賀線」まで直通する「列車」が存在しましたが、2004年(平成16年)10月16日の「ダイヤ改正」で「下り」1本(エアポート成田から佐倉駅で分離する車両)を除いて消滅しましたが、2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「上り」1本「総武快速線」「直通列車」と「JR佐倉駅」で併合する「東京行き」が再び設定されています。
 「JR鹿島線」の「JR延方駅(ノブカタエキ)」から「JR鹿島神宮駅」間に「北浦橋梁」があり、「北浦橋梁」は「長大」な「橋梁」であり「強風」の「影響」を受けやすく、「JR鹿島線」は、しばしば「速度規制」や、「運転中止」になるそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「歴史」ですが、下記の通りです。

 1970年(昭和45年)8月20日 日本国有鉄道の駅として開業。

 1970年(昭和45年)11月12日 鹿島神宮駅〜北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間貨物線延長開業。

 1978年(昭和53年)7月25日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ開始。

 1983年(昭和58年)12日1日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ廃止。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業。同線から鹿島神宮駅へ乗り入れ開始。

 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

 2006年(平成18年)3月31日 みどりの窓口を閉鎖。

 2006年(平成18年)4月1日 「もしもし券売機Kaeruくん」供用開始。同時に駅員の当直勤務がなくなる。

 2009年(平成21年)3月14日 東京近郊区間に編入される。

 2012年(平成24年)3月5日 「もしもし券売機Kaeruくん」撤去。指定席券売機を供用開始。

 「JR鹿島神宮駅」の「駅構造」ですが、「島式ホーム」1面2線を有する「高架駅」であり、「ホーム」は嵩上げされていないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「直営駅」(早朝夜間駅員不在)であり、「管理駅」として「JR潮来駅」・「JR延方駅」・「JR鹿島サッカースタジアム駅」を管理しているそうです。
 「JR鹿島神宮駅」には、「自動券売機」・「指定席券売機」が設置されており、「JR鹿島神宮駅」「構内」に「KIOSK(キヨスク)」等はないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「のりば」ですが、「1番線」は「大洗鹿島線」「上り」「(臨)鹿島サッカースタジアム・新鉾田・大洗・水戸方面」、「2番線」は「JR鹿島線」「上り」「潮来・佐原・成田・千葉・東京方面」となっており、「通過電車」は「1番線」を通過するそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「1番線」を「上下本線」とした「一線スルー構造」であり、「1・2番線」いずれも「両方面」からの「到着」及び「出発」が可能です。
 「JR鹿島神宮駅」「ホーム」は、11両編成までに対応しており、「貨物列車」「行き違い」のため、「線路有効長」はかなり長いそうです。

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」(2012年12月5日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」で毎年12月に行われている「恒例行事」で、「JR鹿島神宮駅」前で「イルミネーション」を実施し、約13万球の「光のアート」が楽しめる「イルミネーションイベント」です。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」では、「鹿島臨海鉄道」・「鹿島神宮駅」「駅前」の「ロータリー」や、「鹿島神宮」へと通じる「レンガ通り」を中心に「イルミネーション」で「ライトアップ」され、実際の「街路樹」を利用した「高さ」15m、約8000球で、電飾する「ツリー」が「メイン」となっており、他に「サブツリー」、「ミニツリー」が点在しています。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」ですが、

 「市の玄関口を賑やかにしよう」

 と、「鹿嶋市」と、「鹿嶋市民」、「企業」等、約15団体が協力し合い、「電飾」の「デザイン」から「取り付け」までを行っている「手作りアート」で、「関係各位」の「皆さん」で1日ががりで取り付けたあと、「KASHIMA光のアート・ギャラリー事務局」が、1週間ほどかけて、手直しし、完成させているそうです。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」では、「メインツリー」が毎年「色」を変えており、その年々で「色」が変わるそうです。

 今年(2016年)も「鹿嶋の冬の風物詩」「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」が「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)を「会場」に開催され、12月2日(金)から2017年(平成29年)1月9日(祝・月)までの期間、17時00分から23時00分まで点灯するそうです。
 (大晦日から元旦は夜通しライトアップ)
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」は、例年通り「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」を中心に「ライトアップ」され、「駅前ロータリー」の「サブツリー」を中心とした「イルミネーション」が施され、また「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)も「イルミネーション」で彩られます。

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」では、「特別イベント」として、「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」、「年越しライトアップ」が行われます。

 「点灯式」&「オープニングコンサート」ですが、12月2日(金)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」で、17時30分からの「点灯式」と、その後に「オープニングコンサート」が行われます。
 「点灯式」&「オープニングコンサート」では、「冬の夜空」に「ライトアップ」の「光」と、「子どもたち」の明るい「歌声」が「会場」に広がるそうです。
 「クリスマスコンサート」は、12月22日(木)12時00分から行われる「イベント」です。
 「クリスマスコンサート」は、「地元」「鹿嶋」の「かしま少年少女合唱団」「虹kids(キッズ)」の「皆さん」による「合唱」等の「コンサート」が行われます。
 ちなみに「虹kids」ですが、3歳から「高校生」までの約60人でつくる「地元」「鹿嶋」の「合唱団」で、8年前の「KASHIMA光のアート・ギャラリー」「イベント開始時」から毎年「クリスマスコンサート」に出演されているそうです。
 「年越しライトアップ」ですが、12月31日(土)17時00分から2017年(平成29年)1月1日(祝・日)朝6時00分まで行われる「イベント」です。
 「年越しライトアップ」は、上述のように「大晦日」から「元旦」にかけて開催される「イベント」で、「鹿島神宮」への「初詣」に訪れる「人々」に喜ばれているそうです。

 「鹿嶋の玄関口」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で開催される「恒例」の「イルミネーションイベント」「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」詳細

 開催期間 12月2日(金)〜2017年(平成29年)1月9日(祝・月)

 点灯時間 17時〜23時

 開催会場 JR鹿島神宮駅 駅周辺 鹿島神宮へ向かう坂の両側

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」「期間中」に行われる「関連イベント」「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」等の「各イベント時」には「温かい飲物」等の「無料サービス」があり、「鹿嶋市公認マスコットキャラクター」の「ナスカちゃん」や、「塚原卜伝」(2011年11月29日のブログ参照)「全国キャンペーンキャラクター」で、「鹿嶋市観光協会」の「マスコットキャラクター」「ぼくでん」くんも登場するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3216 |
| 地域情報::鹿島 | 10:36 AM |
「賀詞祭(ガシサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月1日(木)に開催されます「賀詞祭(ガシサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・11月6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」で、「下総国一宮」です。
 「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソンコウリン)」に先立ち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたことで、「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」の後、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
 本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
 「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」、「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年毎の「例」とされました。
 「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
 また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬、奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」公が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬、寄進し、近世に入って「徳川家康」公が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」公が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」等を造営したそうです。
 「関東」、「東北地方」に「本社」「勧請(カンジョウ)」の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられます。
 「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」が「総出」の「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎の「式年大祭」の「神幸」は「盛大」で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 他にも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で行われます。
 「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)等、他にも「特殊神事」が多いそうです。
 「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財) 、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。

 「香取神宮」「鳥居」から「香取神宮」「参道」脇は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」等がみられ、「香取神宮」「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」等があり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
 「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
 「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の「折」に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して「実生」の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
 (貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
 「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」「御手植え」の「クロマツ」があるそうで、「香取神宮」「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
 「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
 また、「香取神宮」「社殿」脇には「三本杉」があります。
 「三本杉」ですが、「源頼義」公「参拝」の「折」に、

 「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」

 と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
 (三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し、「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三岐に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があり、その脇の「社叢」に「タケ」が侵入しているそうです。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」等が見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」が「地中」に埋まった「要石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」 はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中にある小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」等も指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「香取神宮」「参道」から見ると「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
 「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
 「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。

 千葉県指定天然記念物

 香取神宮の森

 昭和49年(1974年)3月19日指定

 この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミ等の巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
 また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
 この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シカラシ・シロタモ等の常緑広葉樹が多くみられる。
 草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダ等のシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウラン等の草木類が数多く自生している。
 スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。

 昭和60年(1985年)2月1日

 千葉県教育委員会

 「賀詞祭(ガシサイ)」ですが、「香取神宮」で執り行われる「中祭」で、「大饗祭(タイキョウサイ)」が滞(トドコオリ)りなく催行されたことを「言」祝ぐ「祭事」であり、「賀詞祭」では、「香取神宮」「神前」に「蓬莱台(ホウライダイ)」が設けられるそうです。
 「蓬莱台」ですが、「蓬莱山(ホウライザン)」(中国、古代における想像上の神山で、三神山(蓬莱、方丈、瀛(エイ)州)のひとつ)をかたどって作った「山形」の「台」です。
 「蓬莱台」では、その上に、「松竹梅(ショウチクバイ)」・「鶴亀」・「翁(オキナ)」と、「嫗(オウナ)」等を取り合わせて飾り、「祝儀」に用いるものです。
 「蓬莱台」には、「鮒(フナ)」や、「柚子(ユズ)」が供えられているそうです。
 「祭事」(賀詞祭)には、古くは「雁(カリ)」と、「鯉(コイ)」が供えられていたことから、「雁鯉祭り」ともいわれているそうです。
 (「賀詞祭」は「よごとまつり」とも呼ばれています。)
 現在、「賀詞祭」では、「鴨」をお供えするそうですが、「腹」を上に向けて「うたた寝」をした「姿」の珍しい「お供え」が供えられる(捧げられる)そうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「師走(シワス)」の「祭事」「賀詞祭(ガシサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「賀詞祭(ガシサイ)」詳細

 開催日時 12月1日(木) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3214

 備考
 「香取神宮」では、「師走」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」(2015年12月5日のブログ参照)が執り行われており、3つの「祭典」を纏(マト)めて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

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| 地域情報::香取 | 05:34 PM |

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