本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月1日(木)に開催されます「賀詞祭(ガシサイ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・11月6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」で、「下総国一宮」です。
「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソンコウリン)」に先立ち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたことで、「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」の後、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」、「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年毎の「例」とされました。
「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。
古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬、奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」公が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬、寄進し、近世に入って「徳川家康」公が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」公が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」等を造営したそうです。
「関東」、「東北地方」に「本社」「勧請(カンジョウ)」の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられます。
「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」が「総出」の「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎の「式年大祭」の「神幸」は「盛大」で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
他にも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で行われます。
「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)等、他にも「特殊神事」が多いそうです。
「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財) 、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。
「香取神宮」「鳥居」から「香取神宮」「参道」脇は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」等がみられ、「香取神宮」「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」等があり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の「折」に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して「実生」の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
(貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」「御手植え」の「クロマツ」があるそうで、「香取神宮」「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
また、「香取神宮」「社殿」脇には「三本杉」があります。
「三本杉」ですが、「源頼義」公「参拝」の「折」に、
「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」
と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
(三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し、「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三岐に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)
「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があり、その脇の「社叢」に「タケ」が侵入しているそうです。
「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」等が見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」が「地中」に埋まった「要石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」 はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中にある小さな「祠(ホコラ)」にあります。
「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは
「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」
と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
また、「古墳」の「発掘」等も指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。
「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「香取神宮」「参道」から見ると「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。
千葉県指定天然記念物
香取神宮の森
昭和49年(1974年)3月19日指定
この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミ等の巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シカラシ・シロタモ等の常緑広葉樹が多くみられる。
草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダ等のシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウラン等の草木類が数多く自生している。
スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。
昭和60年(1985年)2月1日
千葉県教育委員会
「賀詞祭(ガシサイ)」ですが、「香取神宮」で執り行われる「中祭」で、「大饗祭(タイキョウサイ)」が滞(トドコオリ)りなく催行されたことを「言」祝ぐ「祭事」であり、「賀詞祭」では、「香取神宮」「神前」に「蓬莱台(ホウライダイ)」が設けられるそうです。
「蓬莱台」ですが、「蓬莱山(ホウライザン)」(中国、古代における想像上の神山で、三神山(蓬莱、方丈、瀛(エイ)州)のひとつ)をかたどって作った「山形」の「台」です。
「蓬莱台」では、その上に、「松竹梅(ショウチクバイ)」・「鶴亀」・「翁(オキナ)」と、「嫗(オウナ)」等を取り合わせて飾り、「祝儀」に用いるものです。
「蓬莱台」には、「鮒(フナ)」や、「柚子(ユズ)」が供えられているそうです。
「祭事」(賀詞祭)には、古くは「雁(カリ)」と、「鯉(コイ)」が供えられていたことから、「雁鯉祭り」ともいわれているそうです。
(「賀詞祭」は「よごとまつり」とも呼ばれています。)
現在、「賀詞祭」では、「鴨」をお供えするそうですが、「腹」を上に向けて「うたた寝」をした「姿」の珍しい「お供え」が供えられる(捧げられる)そうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「師走(シワス)」の「祭事」「賀詞祭(ガシサイ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「賀詞祭(ガシサイ)」詳細
開催日時 12月1日(木) 18時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1
問合わせ 香取神宮 0478-57-3214
備考
「香取神宮」では、「師走」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」(2015年12月5日のブログ参照)が執り行われており、3つの「祭典」を纏(マト)めて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。