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2016,05,13, Friday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「イルカ・クジラウォッチング」「銚子海洋研究所」「社屋兼事務所移転」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の3町1村が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併し、発展してきました。
「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)ありと、変化に富んだ雄大な「景観美」を織り成しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(標高73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、上記のように「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通り「地球の丸く見える絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。
「親潮」と「黒潮」がぶつかり合うことで、豊かな「漁場」が広がる「銚子沖」では、「春」になると「黒潮」の「流れ」にのって、「小笠原諸島」や「伊豆諸島」から「イルカ」が北上するそうです。
そのため、「銚子沖」では、30kmの「沿岸」から「沖合い海域」でほぼ1年を通じて「野生」の「イルカ・クジラ類」を見ることができ、時には5000頭もの「イルカ」の「群れ」に出会うことができるそうです。
その「イルカたち」の多くは「親子連れ」で、ここ「銚子」で「子育て」をして過ごし、「銚子」の恵まれた「地形」と豊富な「餌」のおかげで、健やかに「成長」できるのだそうです。
「銚子海洋研究所」が運営・案内している「イルカ・クジラウォッチング」(2010年12月19日のブログ参照)では、「カマイルカ」、「セミイルカ」、「イシイルカ」、「スジイルカ」、「マイルカ」、「ハナゴンドウ」、「ハンドウ」、「スナメリ」などの「イルカ」に出会うことができ、「イルカ」だけではなく「マンボウ」、「サメ類」、「キタオットセイ」、「飛び魚」、「コアホウドリ」、「クロアシアホウドリ」などにも出会えるほか、「波」や「空」の「風景」などの素晴らしい「景色」も堪能できるそうです。
「銚子海洋研究所」の「イルカ・クジラウォッチング」は、下記の「ウォッチング」です。
沖合イルカウォッチング
ときには、5000頭ものイルカの群れに出会うこともあるイルカウォッチング、カマイルカは3月〜6月に銚子沖で最もよく出会えるイルカです。
スジイルカは船首波に乗ったり、ジャンプして水面から飛び出したりと、愛らしく活動的なイルカです。
定員 30名
時期 4月〜6月
所要時間 3〜4時間
出航時間 平日1回運航 10時30分〜
土日祭2回運航 8時00分〜、13時00分〜
料金 大人6500円(高校生以上)
小人5000円(10歳〜中学生)
*10歳未満は乗船できません。
遭遇できる生き物
カマイルカ・バンドウイルカ・スジイルカなど
沖合クジラウォッチング
大海原のダイナミックなクジラ、感動の瞬間を体験下さい。
マッコウクジラは11月〜12月の期間銚子沖で特に出会えるクジラで、歯クジラの中でも、とびぬけて体が大きく、クジラの中でも代表的なクジラです。
悠々と泳ぐシャチと出会うことも夢ではありません。
定員 30名
時期 11月〜12月
所要時間 4時間
出航時間 1日1回運航 10時30分〜
料金 大人7000円(高校生以上)
小人5500円(10歳〜中学生)
*10歳未満は乗船できません。
遭遇できる生き物
マッコウクジラ・カズハゴンドウ・ハナゴンドウなど
沿岸イルカウォッチング
1時間30分のお手軽ウォッチングコースで、3歳以上のお子さんなら乗船いただけます。
対象鯨類は「スナメリ」(ネズミイルカ科)で、陸地に近いところに生息しているイルカで、銚子では1年を通して見ることができます。
また、国際的に保護もされている貴重なイルカです。
定員 40名
時期 7月〜9月
所要時間 1時間30分
出航時間 7月〜8月 1日4回運航 9時00分〜、11時00分〜、13時30分〜、15時30分〜
9月〜10月 1日3回運航 9時30分〜、11時30分〜、15時30分〜
料金 大人3500円(高校生以上)
小人2500円(小中学生)
幼児1500円
*3歳未満は乗船できません。
遭遇できる生き物
スナメリなど
オットセイウォッチング
オットセイは、優雅に波に漂っているのでじっくりと様子を見ることができます。
海から顔をのぞかせる、オットセイの愛らしい姿をご覧下さい。
定員 30名
時期 2月〜3月
所要時間 2〜3時間
出航時間 1日1回運航 10時30分〜
料金 大人5000円(高校生以上)
小人3000円(小〜中学生)
小学生未満は乗船できません。
遭遇できる生き物
キタオットセイなど
「銚子海洋研究所」の「年間月別遭遇鯨類」は、下記の通りです。
1月 スナメリ
2月 スナメリ・カマイルカ
3月 スナメリ・カマイルカ・セミイルカ
4月 スナメリ・カマイルカ・セミイルカ・イシイルカ・ネズミイルカ・シャチ
5月 スナメリ・カマイルカ・セミイルカ・イシイルカ・バンドウイルカ・ハナゴンドウ・オキゴンドウ・コビレゴンドウ
6月 スナメリ・カマイルカ・シャチ・ザトウクジラ・ミンククジラ・バンドウイルカ・ハナゴンドウ・オキゴンドウ・コビレゴンドウ・カズハゴンドウ
7月 スナメリ・カマイルカ・バンドウイルカ・ハナゴンドウ・マッコウクジラ
8月 スナメリ・ハナゴンドウ
9月 スナメリ・ツチクジラ
10月 スナメリ・ハナゴンドウ
11月 スナメリ・マイルカ・スジイルカ・ハナゴンドウ・オキゴンドウ・コビレゴンドウ・マッコウクジラ・ツチクジラ
12月 スナメリ・マイルカ・スジイルカ・ハナゴンドウ・オキゴンドウ・コビレゴンドウ・マッコウクジラ
また、上記のように「三方」(北は利根川・東・南は太平洋)を「水」に囲まれ、「陽」が昇り、「陽」が沈む「まち」「銚子」では、「日の出」と「夕陽」を望むことができます。
「銚子海洋研究所」の「クルージング」では、「太平洋」から眺める「銚子半島」の「海岸線」は、長い時をかけて「歴史」が創り上げた「自然」の「芸術」であり、その「海岸線」の「向こう」に沈む「夕陽」、「水平線」から昇る「太陽」を体験できるので、「銚子海洋研究所」では、「サンセット・サンライズクルーズ」(2010年12月5日のブログ参照)を実施しています。
「銚子海洋研究所」の「クルージング」は、下記の「クルーズ」です。
銚子半島周遊クルーズ
1月だけの期間限定クルーズです。
新年早々に誰よりも早く日の出を見ることができたら、きっと素敵な1年になることでしょう。
定員 40名
時期 1月〜3月
所要時間 1時間
出航時間 1月 1日3回運航(10時00分〜、12時00分〜、14時00分〜)
2月〜3月 1日1回(14時00分〜)
料金 大人(中学生以上)2000円(税込)
小人(小学生)1000円(税込)
*幼児無料(大人1人につき1名)
サッセットクルーズ
屏風ヶ浦を照らしながら太平洋に沈む夕陽は、ロマンティックなひとときを演出してくれます。
定員 40名
時期 1月〜12月
所要時間 1時間
出航時間 1日1回運航
*日没の時間により若干の運航時間の変更があります。
料金 大人(中学生以上)2000円(税込)
小人(小学生)1000円(税込)
*幼児無料(大人1人につき1名)
サンライズクルーズ
日本一早い初日の出を海から体感!
荘厳な時間が一生の思い出を残してくれます。
時期 1月〜3月・10月〜12月
所要時間 1時間
出航時間 1日1回運航
料金 大人(中学生以上)2000円(税込)
小人(小学生)1000円(税込)
*元旦(1月1日)は以下の料金になります。
大人(中学生以上)3000円(税込)
小人(小学生)1500円(税込)
*3歳未満は無料
「銚子」の「海」で「船」による「イルカ・クジラウォッチング」、「各種クルーズ」を運航している「銚子海洋研究所」ですが、この度(タビ)、「社屋兼事務所」を新築され、「社屋兼事務所」を移転することとなりました。
「銚子海洋研究所」の「旧社屋兼事務所」、「新社屋兼事務所」の「住所」は、下記の通りです。
旧社屋兼事務所 住所
銚子市外川町2-1107-9 (外川漁港前)
新社屋兼事務所 住所
銚子市潮見町15-9 (銚子マリーナ海水浴場)
「銚子海洋研究所」「社屋兼事務所」新築・移転に際し、4月21日(木)に「新社屋」の「お披露目」と、「安全祈願式」と合わせて「落成式」を「銚子市」「潮見町」の「銚子マリーナ」で執り行い、「市」や、「観光関係者」約80人が出席、「航海」の「安全」を誓い、新たな「観光拠点」の「誕生」を祝ったそうです。
「銚子海洋研究所」「社屋兼事務所」ですが、「木造2階建て」で、「延べ床面積」は約130平方m、「縦」約7m、「横」6mの「外壁」(側壁)には、「佐倉市」「在住」の「画家」、「長沢竜太」さん、「成田朱希(アキ)」さん「夫妻」が、「銚子沖」を泳ぐ「クジラ」や、「イルカ」、「カメ」のほか、「景勝地」で「国」の「名勝」および「天然記念物」(2016年3月2日のブログ参照)に指定された「屏風ヶ浦」などを「ペンキ」で「ダイナミック」に描いた「作品」を作成したそうです。
「銚子海洋研究所」「社屋兼事務所」「安全祈願式」「式典」に出席した「芸術家」「長沢さん夫妻」は、
「海のファンタジーという感じで、いい仕事ができました」
と「笑顔」で語ったそうです。
また、「銚子海洋研究所」「宮内幸雄」「所長」は、
「構想から15年かかったが、これでお客さんの利便性も高まる。
新たな気持ちで頑張りたい。」
と語ったそうです。
「イルカ・クジラウォッチング」の「基地」となる「銚子海洋研究所」の「新社屋」ですが、「旧社屋」(従来)の3倍以上の「広さ」があり、上記のように「外観」は「2階建て」「オープンテラス」となっており、「館内」は、「受付カウンター」や、「休憩」・「展示スペース」のほか、「カフェ」、「小物販売」などの「スペース」となっており、「自然体験教室」の「拠点」となる「部屋」も設けているそうです。
「銚子海洋研究所」「新社屋」は、「イルカ・クジラウォッチング専用」の「旅客船」「フリッパー号」が接岸する「桟橋」のすぐ近くで、「国」の「名勝」および、「天然記念物」の「屏風ヶ浦」や、「太平洋」に沈む「夕陽」を一望できるそうです。
「銚子海洋研究所」によりますと、「イルカ・クジラウォッチング」が始まった1995年(平成7年)「夏」から昨年(2015年・平成27年)12月までの「乗船客」は7万1432人だそうで、「銚子海洋研究所」では、今後は「磯の生物観察」や、「化石探索」、「シラス干し」など、「陸上」での「体験型プログラム」も充実させるそうです。
風光明媚(フウコウメイビ)な「屏風ヶ浦」を一望し、「壁面」の鮮やかな「絵」が印象的な「銚子」の「新・観光スポット」「銚子海洋研究所」「新社屋」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「銚子海洋研究所」詳細
所在地 銚子市潮見町15-9
問合わせ 銚子海洋研究所 0479-24-8870
備考
「銚子海洋研究所」「イルカ・クジラウォッチング」ですが、4月29日(祝・金)より「通常運航」されています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2969 |
| 地域情報::銚子 | 10:12 AM |
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2016,05,12, Thursday
本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で5月15日(日)に開催されます「サツマイモの植え付け&お好み焼き」です。
「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(オゴソ)かに「弓道」を楽しむことができます。
「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。
「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。
「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。
「サツマイモ」(薩摩芋、学名・Ipomoea batatas)は、「ヒルガオ科サツマイモ属」の「植物」、あるいはその「食用部分」である「塊根(カイコン)」(養分を蓄えている肥大した根)で、「別名」に、「甘藷(カンショ)」、「唐芋(カライモ、トウイモ)」、「琉球薯(リュウキュウイモ)」等があり、「近縁」の「植物」に、「アサガオ」や、「ヨウサイ」(アサガオ菜)があります。
「サツマイモ」の「花」は「ピンク色」で「アサガオ」に似ていますが、「鈍感」な「短日性」であるため「本州」などの「温帯地域」では開花しにくく、「品種」や、「栽培条件」によってまれに開花する程度だそうです。
また、「花の数」が少なく受粉しにくい上に、「受粉後」の「寒さ」で枯れてしまう事が多い為、「品種改良」では「種子」を効率よく採るために「アサガオ」など「数種類」の「近縁植物」に接木(ツギキ)して、「台木」から送られる「養分」や、「植物ホルモン」等の働きによって「開花」を促進する「技術」が使われるそうです。
1955年(昭和30年)に「西山市三」氏が「メキシコ」で「祖先」に当たる「野生種」を見つけ、「イポメア・トリフィーダ」と名付け、後に他の「学者達」によって「中南米」が「原産地」とされたそうです。
「サツマイモ」は、若い「葉」と、「茎」を利用する「専用」の「品種」もあり、「主食」や、「野菜」として「食用」にされ、「原産」は「南アメリカ大陸」、「ペルー熱帯地方」とされているそうです。
その後、「サツマイモ」は、「スペイン人」或いは「ポルトガル人」により「東南アジア」に導入され、「ルソン島」(フィリピン)から「中国」を経て、1597年(慶長2年)に「宮古島」へ伝わり、17世紀の初め頃に「琉球」、「九州」、その後「八丈島」、「本州」と伝わったそうです。
「サツマイモ」は、「アジア」においては「外来植物」であり、「中国」(唐)から伝来した「由来」により、特に「九州」では「唐芋」とも呼ばれる場合が多いそうです。
「サツマイモ」は、「ニュージーランド」へは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara)の「名称」で広く消費されており、「西洋人」の「来航」前に既に「ポリネシア域内」では広く栽培されていたため、「古代ポリネシア人」は「南米」までの「航海」を行っていたのではないかと推測されています。
「イギリス」ではエリザベス朝のころに、その「甘さ」から「好意的」に受け入れられたそうです。
「イギリス人」はこの「芋」を「ペルー」での「塊根」を意味する「言葉」「batata」から「patate」と呼んだそうで、18世紀末に甘くない「ジャガイモ」(potato)が「一般化」するにつれ、「サツマイモ」は「Sweet potato」と呼ばれるようになったそうです。
「サツマイモ」は「繁殖能力」が高く「窒素固定細菌」「クレブシエラ オキシトーカ」(Klabsiella oxytoca)、「パントエア アグロメランス」(Pantoea agglomerans)などとの「共生」により「窒素固定」が行われるため痩せた「土地」でも育つそうです。
従って、「サツマイモ」は、「初心者」でも「比較的」育てやすく、江戸時代以降「飢餓対策」として広く栽培されています。
「サツマイモ」は、数枚の「葉」が付いた「ツル」(茎)を「土」に挿すという形で定植し、「不定根」を発生させ、その後、「不定根」が十分に肥大したところで収穫する「方法」が「一般的」です。
(種から発芽させる方法もありますが、アサガオのようにつるを伸ばして生長するためイモはあまり取れない。)
「農家」では前年に収穫した「種芋」を加熱して、その「種芋」から伸びた「ツル」を切り取って「苗」とするそうです。
「家庭菜園」程度であれば「春」に「園芸店」や、「ホームセンター」などで「ツル」を購入して栽培するのが簡単だそうです。
「サツマイモ」ですが、「春」に「苗」を植え付け、「晩夏」から「秋」にかけて収穫します。
(暖地の場合)
また、「肥料」(特に窒素肥料)を多く与えて「葉」や、「茎」が育ちすぎると、過剰成長して「根」の「品質」(外見・味)が下がるそうです。
また、「極端」な場合では「光合成」で作られた「栄養」が「茎」や、「葉」の「成長」に浪費されるため、「芋」の「収穫量」が減ります。
「サツマイモ」は痩せた「土地」でも育つので、前作で「野菜」が良く採れた場合、「初心者」は全く「肥料」を与えないで栽培するほうが安全だそうです。
「苗」が「植物ウィルス」に感染すると「収穫低下」を起こすため、「ウィルスフリー苗」が利用されることもあります。
「サツマイモ」の「品種」は、下記の通りです。
・ベニアズマ、ベニコマチ、紅赤(ベニアカ)、金時などの品種があり、デンプン原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)など。
・シモンイモ-南アメリカ原産の白甘藷(英語・Ipomoea batatas)は日本では「シモン芋」とも呼ばれる。
・天然着色料の原料としても使用される品種。
・七福人参(カロテン色素を抽出する。)
・琉球紫(アントシアニン色素を抽出する。)
・パープルスイートロード(アントシアニン色素を抽出する。)
「世界」の「サツマイモ」ですが、「世界食料機構」が発表した「統計資料」によりますと、2008年(平成20年)の「全世界」における「生産量」は1億605万t(トン)であり、「主食」にする「イモ類」では「ジャガイモ」(同3億2556万t)、「キャッサバ」(同2億3246万t)に次ぎ、「サツマイモ」の「生産地域」は「中国」に「極端」に集中しており、その「大部分」は「酒類等」への「加工用」であり、「日本」の「生産量」ですが、101.1万tとなっています。
「サツマイモ」の「生産量」(割合)は下記の通りです。
1 中国 80522926t (75.9%)
2 ナイジェリア 3318000t (3.1%)
3 ウガンダ 2707000t (2.6%)
4 インドネシア 1876944t (1.8%)
5 ベトナム 1323900t (1.2%)
6 タンザニア 1322000t (1.2%)
7 インド 1094000t (1.0%)
8 日本 1011000t (0.95%)
9 ケニア 894781t (0.84%)
10 マダガスカル 890000t (0.84%)
「日本」における「主産地」ですが、「鹿児島県」、「茨城県」、「千葉県」、「宮崎県」、「徳島県」が「全国」の「トップ」5県となっており、この5県で「全国」の8割、とりわけ「鹿児島県」は「全国」の4割を産するそうです。
(2005年(平成17年)産農林水産省作物統計。)
「鹿児島県」では「でんぷん原料用」としての「作付け」も多く、「産地」の「偏在」にはいくつか「理由」があるそうです。
まず、「サツマイモ」の「栽培」に適した「水はけ」の良い「火山灰」を含んだ「土地」が「鹿児島」に広がっていること、また、「サツマイモ」は「地上」に「実」を付けないため、比較的「風害」にも強く、「台風」がしばしばやってくる「鹿児島」では、「風害」に強い点が他の「作物」よりも有利だったこともあるそうです。
「サツマイモ」の「ブランド産地」は、下記の通りです。
・鹿児島県-知覧紅(チランベニ)・安納芋(アンノウイモ)
・徳島県-鳴門金時(ナルトキントキ)
・石川県-五郎島金時(ゴロウジマキントキ・加賀野菜)
「千葉県」の「サツマイモ」の「歴史」ですが、江戸時代(元文年間)、「徳川八代将軍」「徳川吉宗」公の「命」により、「飢饉(キキン)」を救うための「サツマイモ」の「試験栽培」が、「青木昆陽(アオキコンヨウ)」によって現在の「千葉市」「幕張」で行われたそうです。
数年をかけ「サツマイモ栽培」は成功し、その後「全国」に広がり、「飢饉」に苦しむ「農民たち」を救ったといわれています。
「青木昆陽」の「偉業」をたたえ、「昆陽神社」(別名「芋神さま」)が、「千葉市」「幕張」に設立されているそうです。
「千葉県内」の主な「サツマイモ産地」ですが、「香取市」、「成田市」、「多古町」となっており、「千葉県産サツマイモ」ですが、10月から1月が「旬」となっています。
「お好み焼き(オコノミヤキ)」ですが、「各種」の「小麦粉」を使用する「鉄板焼き」の一種であり、「日本」の「庶民的」な「料理」です。
「お好み焼き」ですが、「水」を溶いた「小麦粉」を「生地」として、「野菜」、「肉」、「魚介類」などを「具材」とし、「鉄板」の上で焼き上げ、「ソース」、「マヨネーズ」、「青のり」等の「調味料」をつけて食するものでありますが、「焼き方」や、「具材」は「地域」によって「差」が見られ、「関西風お好み焼き」、「広島風お好み焼き」など、多くの「地域」に様々な「様式」の「お好み焼き」が存在しています。
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」ですが、「千葉県立東庄県民の森」の「体験イベント」で、5月15日(日)に開催されます。
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」の「受付時間」ですが、「東庄県民の森管理事務所」で9時00分から「受付」を行い、「サツマイモの植え付け&お好み焼き」は、9時30分から12時00分位まで行うそうです。
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」の「実施内容」ですが、「千葉県立東庄県民の森」内にある「畑」に「サツマイモ」の「植え付け」をし、その後「お好み焼き」を食すといった「内容」になっています。
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」の「参加費」ですが、「お一人」300円となっており、「定員」ですが、20人程度となっています。
(「サツマイモの植え付け&お好み焼き」ですが、「電話」で「事前予約」「受付順」となっています。)
「自然」あふれる「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験イベント」「サツマイモの植え付け&お好み焼き」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」詳細
開催日時 5月15日(日) 9時半〜12時頃 (受付 9時〜)
開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639
問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393
備考
「サツマイモの植え付け&お好み焼き」ですが、「参加」される際、「軍手」、「長靴」、「タオル」、「飲み物」持参、汚れてもよい「服装」での「参加」を呼びかけています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2966 |
| 地域情報::香取 | 10:01 AM |
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2016,05,11, Wednesday
本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」「光輪閣」で5月14日(土)に開催されます「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」です。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」で、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。
「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「佇まい」を見せています。
この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。
「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山のシンボル」である「大本堂」が現れ、「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。
「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)は、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。
「薪能」ですが、「奈良」・「興福寺」の「修二会(シュニエ)」の際の「薪献進」に始まる「神事能」が「はじまり」と言われ、その時期は13世紀なかばと推定されています。
「薪能」は、「仏法」の「守護神」を迎えるための「聖火」の「薪」の「採取」に伴う「芸能」で、「薪猿楽(タキギサルガク)」、「薪の神事」とも称されました。
「明治維新」や「第二次世界大戦」で、一時途絶えたこともありましたが、「第二次世界大戦」後、1950年(昭和25年)「京都」・「平安神宮」の「京都薪之能」以来、「薪能」は新しい「傾向」として「全国各地」の「都市」や「寺社」で開催されるようになり、今日(コンニチ)では「ビル」の林立する「都市空間」や「遊園地」の「野外劇場」が用いられるなど、「新機軸」の「薪能」、「ショー」としての「薪能」も増えつつあるそうです。
とはいえ、本来「屋内」で上映される「能」を「屋外」の「特設舞台」で鑑賞できることは、大変珍しく貴重な機会といえます。
「奉納梅若成田山薪能」(2014年5月13日・2013年5月13日・2012年5月12日・2011年5月12日のブログ参照)は、毎年「5月」の「第3日曜日」の「前日」に執り行われている「薪能」です。
「奉納梅若成田山薪能」ですが、「若葉」芽吹く「不動の森」と「成田山平和の大塔」を「背景」にして、「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」にある「光明堂」前に「特設舞台」が設けられ、「かがり火」の「炎」に照らされた「幽玄な世界」の中で「能」が上演されていました。
この「幻想的」な「雰囲気」に包まれて、「一流」の「演者たち」が織り成す「日本古来」の「文化」にふれることができる「奉納梅若成田山薪能」には、多くの「地元客」、「観光客」が訪れます。
「能と狂言 マメ知識」
能は、約600年の歴史を持ち、舞踏・劇・音楽・詩などの諸要素が交じりあった現存世界最古の舞台芸術です。
主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語り、それが中心になっている不思議な演劇です。
幽霊というと怖い内容のようですが、時代や国によっても変わることのない人間の本質や情念を描こうとしているのです。
また、ギリギリまで省略されたひとつの動きの中にはいくつもの内容が込められ、一見無表情な能面には幾通りもの表情が隠されているのです。
一方、狂言は能とほぼ同じ頃に発生しました。
登場人物は能と違って貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがあります。
その頃の日常的な話し言葉を使っているので内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」といわれています。
本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」(サンバソウ)など特殊なものもあります。
この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれます。
また能には、完全な方式で演ずるほか多くの省略方式があります。
この度(タビ)「成田山新勝寺」では、例年「薪能」として開催していた「奉納梅若成田山薪能」を「蝋燭能」として「室内」に移し、「奉納梅若成田山蝋燭能」として5月14日(土)に開催するそうです。
今年(2016年)で「39回目」を迎える「奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「会場」を「成田山新勝寺」「光輪閣」4階「光輪の間」とし開催され、17時00分「開場」、18時00分「開演」となっており、「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「出演」ですが、「梅若宗家一門」となっています。
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「当日」14時00分から「成田山新勝寺」「光輪閣」「ロビー」にて「整理券」が配布され、17時00分の「開場時」には、「整理券」の「番号順」に「奉納梅若成田山蝋燭能」「会場内」に「入場」となっており、「会場」は「全席自由席」(団体を除く)となっているそうです。
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「入場券」ですが、上記のように「全席自由席」で4000円となっており、下記「取扱所」で「発売中」となっています。
成田山新勝寺 TEL 0476-22-2111 8時00分〜16時00分
成田観光館 TEL 0476-24-3232 9時00分〜17時00分 (月曜休館)
成田市観光案内所 TEL 0476-24-3198 8時30分〜17時15分 (年中無休)
チケットぴあ TEL 0570-02-9999
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」の「演目」ですが、下記の「内容」ないし「あらすじ」となっています。
「謡」 「高砂(タカサゴ)」
「仕舞」 「春日龍神(カスガリュウジン)」
「仕舞」 「巴(トモエ)」
「舞囃子」 「弦上(ケンジョウ)」あらすじ
琵琶の奥義を極める為に、渡唐を志す藤原師長(ツレ)が須磨の浦で塩汲みの老夫婦(シテ・ツレ)に宿を借ります。
師長は、老夫婦の所望で琵琶を奏でますが、降り始めた村雨の音を屋根に苫を葺き雨音の調子を整える老夫婦の姿に感心し、逆に一曲所望しました。
すると老人は見事な琵琶の音を奏で、師長は己の未熟さを悟ります。
老人は琵琶の名器のひとつ「弦上」の主、村上天皇の霊で、実は師長の渡唐を止める為に現れたと告げ姿を消します。
やがて、在りし日の村上天皇(シテ)が現れ、竜神に持参させた琵琶の名器獅子丸を師長に授けます。
天皇が秘曲を奏で、舞を舞い天へと戻ると、師長は帰洛の途につきます。
「狂言」 「惣八(ソウハチ)」あらすじ
僧侶が嫌で料理人になった惣八と、元料理人のにわか坊主の出家が雇われます。
主人に命じられ、惣八は魚料理を、出家は経を読むことになります。
慣れない仕事に戸惑いますが互いに前身をうちあけ、仕事を取り替えていることとに主人が戻って来ます。
「能」 「葵上 梓之出(アオイノウエ アズサノデ)」あらすじ
左大臣の息女で光源氏の北の方(本妻)である葵上は、このごろ物の怪に襲われたものと見えて重い病気である。
貴僧高僧が招かれて祈祷したが効果が上がらず、今日は名高い巫女の照日(ツレ)が召し出されました。
物の怪の正体を知るためです。
巫女は呪文を唱え、梓弓の弦を鳴らして物の怪を呼び寄せます。
その音に引かれて六条御息所の生霊(シテ)が寄ってくるのが、巫女には見えてきます。
かつては源氏との契りが深く、華やかだった身が、今はすっかり疎遠になった恨みを述べながら生霊は近づき、病床の葵上を打ち据えても飽き足らずに、とり殺そうとするのです。
病気がますます重いので、左大臣邸では急使(アイ)を立てて、修行者横川の小聖(ワキ)を招くこととしました。
枕辺の邪気に驚いた小聖が祈ると、御息所の怨霊は、今度は恐ろしい鬼形(後シテ)となって現れ、なお葵上の病床に迫ります。
行者は、法力を尽くして祈り続け、祈り伏せられた悪霊はついに心を和らげ、再び来ないと誓って成仏得脱した様子。
葵上の病気は平癒したのです。
源氏物語の葵ノ巻によったもので、葵上その人は登場しません。
始めに後見が舞台正面に引き述べて出す小袖が、その病床を象徴しています。
「千葉県」を代表する「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「現存世界最古」の「舞台芸術」「蝋燭能」「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」詳細
開催日時 5月14日(土) 18時〜20時30分頃(予定)
開催会場 成田山新勝寺 光輪閣4階 光輪の間 成田市成田1
問合わせ 成田山新勝寺 蝋燭能係 0476-22-2111
備考
「第39回奉納梅若成田山蝋燭能」では、「終演後」、「成田山表参道」「総門前広場」より、「JR成田駅」及び「京成成田駅」行き「無料バス」が運行されるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2967 |
| 地域情報::成田 | 10:01 AM |
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2016,05,10, Tuesday
本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」で6月24日(金)まで募集しています「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016参加者募集」です。
「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
(2016年(平成28年)6月1日現在、「旭市」の「人口」67732人、「男」33261人、「女」34471人、「世帯数」25378世帯)
「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」として「スタート」しています。
「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。
「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。
「旭市」は通年として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、「冬」暖かく、「夏」涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の肥沃(ヒヨク)な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」などの「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」などの「花卉栽培」などが行われています。
また、「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めています。
「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。
「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
「旭市」の「主」な「レジャースポット」は、下記の通りです。
「海水浴」「サーフィン」「スポット」
矢指ヶ浦海水浴場(ヤサシガウラカイスイヨクジョウ)(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)
飯岡海水浴場(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)
「パークゴルフ」
あさひパークゴルフ
旭市中谷里8340番地53
0479-62-8989
「キャンプ」
海上キャンプ場
旭市岩井1000
0479-55-5250
「釣り」「スポット」
長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
旭市萬力3566-1
0479-68-4602
袋の溜池(袋東公園)
旭市鎌数4013
0479-62-7537(旭市観光協会)
「海釣り」「スポット」
飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船
飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)
「旭市」の「平均気温」ですが、15℃と「温暖」な「気候」で、「旭市」では、「気候風土」を活かし、「産業」では、「施設園芸」、「畜産」、「稲作」、「露地野菜」など盛んに営まれている「農業」をはじめ、「水産業」、「商業」、「工業」など、「バランス」良く「成長」しています。
現在、「旭市」は、「東総地域」の「中核都市」として、今後の「発展」が期待されており、「新・旭市」では「将来都市像」として
「ひとが輝き みどりがつくる 健康都市「旭」」
とし、その「イメージ」から「旭市」の「市章」が「デザイン」されており、「健康」で「元気はつらつ」と躍動する「旭市民」と、「未来」へと飛躍する「活力」ある「旭市」の「姿」を表しているそうです。
「旭市」では、1954年(昭和29年)から「旭市中央商店街」を「中心」に「旭市七夕市民まつり」(2014年8月5日・2013年8月5日・2012年8月5日・2011年8月5日・7月1日・2010年8月4日のブログ参照)を開催しています。
今年(2016年)で「62回目」を数える「旭市七夕市民まつり」は、「趣向」をこらした約200本の「七夕飾り」の下(モト)、「ミス七夕」(2015年7月13日・2014年7月18日・2013年7月11日・2012年7月8日・2011年7月15日のブログ参照)「パレード」(お披露目)をはじめ、「旭市内」の「小学生」の「生徒」による「パレード」、「青空市場」、「神輿」・「お囃子パレード」、「七夕飾り」、「ダンス」など「多彩」な「イベント」が繰り広げられ、「旭市七夕市民まつり」は「旭市」「最大」の「イベント」として知られています。
「旭市」では、「旭市七夕市民まつり」「開催」に伴い、こちらも「恒例」となっている「旭市ミス七夕コンテスト」が「東総文化会館」を「会場」にして行われています。
「旭市ミス七夕コンテスト」ですが、上記のように「旭市七夕市民まつり」に先立って、「毎年」7月中旬に開催されている「ミスコンテスト」です。
「旭市ミス七夕コンテスト」では、「旭市」の「近隣市町」より集まった「美女」の中から「ミス」(ミス七夕QUEEN(クイーン))、「準ミス」(ミス七夕)の3名が選ばれています。
「旭市ミス七夕コンテスト」で選ばれた3名は、「旭市七夕市民まつり」(8月6日・7日)「期間中」に行われる「ミス七夕パレード」に「参加」し、「デビュー」(お披露目)するそうです。
また「旭市ミス七夕コンテスト」で選ばれた「ミス七夕」3名は、「旭市七夕市民まつり」から1年間は、「旭市」の「顔」として「旭市」の「各行事」に参加され、「PR活動」を行っています。
今年(2016年)も「旭市」では、「旭」の「夏」の「風物詩」「旭市七夕市民まつり」に「花」 を添える「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016」を開催します。
「旭市ミス七夕コンテスト2016」を「主催」している「旭市商工会議所青年部」「ミス七夕委員会」では、「コンテスト出場者」を募集しています。
「旭市ミス七夕コンテスト2016」では、「自薦他薦」を問わず、募集しているそうです。
「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016」の「応募資格」ですが、「旭市内」および「近隣市町」に「在住」・「在勤」の18歳以上の「未婚女性」(「高校生」、「婚約中」の「人」は除く)で、「旭市」の「PR活動」に「積極的」に取り組んでくれる「人」となっています。
「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016」の「コンテスト」の「日時」ですが、7月16日(土)13時30分からで、「コンテスト会場」は「東総文化会館」「小ホール」となっており、「募集締切」ですが、6月24日(金)となっています。
「旭市ミス七夕コンテスト2016」「ミス七夕応募申込書」・「申込場所」・「審査」ですが、下記の通りです。
「ミス七夕応募申込書」
申込者 現住所
申込者 氏名
申込者 生年月日
申込者 電話(自宅・携帯)
申込者 メールアドレス
申込者 写真 縦5cm 横4cm
プリクラ・スナップ写真等では無く顔(正面)がはっきり写っているものを使用。
「申込宛先」
旭市商工会青年部ミス七夕委員会
〒289-2516 旭市ロ795-6(旭市商工会内)
TEL 0479-62-1348 FAX 0479-62-1344
e-mail ass@asahishi.jp
「審査」
「第一次審査」
書類選考・面接
平成28年7月2日(土) 旭市商工会館
「第二次審査」
本選 (ゆかた審査)
平成28年7月16日(土) 13時30分〜
千葉県東総文化会館小ホール
となっています。
ちなみに昨年(2015年・平成27年)栄(ハ)えある「旭市ミス七夕コンテスト2015」「第47回ミス七夕QUEEN」に選ばれたのは、「旭市」「在住」の「林千尋」さんが選考され、「ミス七夕」に「銚子市」「在住」の「三上聖羅」さん、「銚子市」「在住」の「永井薫」さんが選考されたそうです。
また2014年(平成26年)行われました「旭市ミス七夕コンテスト2014」「第46回ミス七夕QUEEN」には、「旭市」「イ」「在住」の「会社員」・「平野真衣」さん(18歳)が、「ミス七夕」(準ミス)には、「旭市」「ニ」「在住」の「木村早希」さん、「旭市」「江ヶ崎」「在住」「崎山倫冴(リサ)」さんの3名にが選ばれ、2013年(平成25年)の「旭市ミス七夕コンテスト2013」の「ミス七夕QUEEN」には、「旭市」の「佐藤真梨奈」さん(18歳・会社員)(当時)、「ミス七夕」(準ミス)には、「旭市」の「遠藤愛美」さん(20歳・大学2年生)(当時)と、「銚子市」の「岩瀬由佳」さん(20歳・JA職員)(当時)が選ばれ、2012年(平成24年)の「旭市ミス七夕コンテスト2012」の「ミス七夕QUEEN」には、「旭市」の「大川成美」さん(22歳・タレ
ント)(当時)、「ミス七夕」(準ミス)には、「旭市」の「松下亜由美」さん(25歳・保育士)(当時)と、「銚子市」の「伊藤静」さん(19歳・JA職員)(当時)が選ばれ、2011年(平成23年)の「旭市ミス七夕コンテスト2011」の「ミス七夕QUEEN」には、「旭市」の「星川彩」さん(21歳・敬愛大学3年)(当時)、「ミス七夕」(準ミス)には、「横芝光町」の「大橋舞子」さん(20歳・清泉大学3年)(当時)と、「旭市」の「加藤直美」さん(25歳・会社員)(当時)が選ばれ、2010年(平成22年)の「旭市ミス七夕コンテスト2010」の「ミス七夕QUEEN」には、「匝瑳市」の「神庭りの」さん(学生)(当時)、「ミス七夕」(準ミス)には、「銚子市」の「石井希美」さん(ビューティーアドバイザー)(当時)と、「石井沙弥香」さん
(NOPスポーツアカデミー)(当時)といった「皆さん」が選考されています。
「年」に「一度」の「旭市」の「顔」「ミス七夕QUEEN」と、「ミス七夕」(準ミス)を決める「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016参加者募集」。
この機会に「コンテスト」に応募してみてはいかがでしょうか?
「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016参加者募集」詳細
募集期間 6月24日(金)必着
応募資格 旭市内および近隣市町に在住・在勤の18歳以上の未婚の女性
市のPR活動に積極的に取り組んでくれる人
(高校生、婚約中の人は除く)
問合わせ 旭市商工会青年部ミス七夕委員会(旭市商工会内) 0479-62-1348
備考
「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016参加者募集」ですが、「別」の「ミスコンテスト」などの「ミス」の「任期中」でないことも「募集要件」になっていますので、ご注意下さい。
なお、「第62回旭市七夕市民まつり」「旭市ミス七夕コンテスト2016参加者募集」では、「コンテスト出場者」の「皆さん」に「参加賞」を贈呈するそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3058 |
| 地域情報::旭 | 10:30 AM |
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2016,05,09, Monday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」で5月8日(日)〜5月22日(日)の期間開催されます「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで「2番目」の「市」として誕生しました。
その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
現在の「銚子市」の「人口」ですが、64990人となっており、「世帯数」は27586世帯となっています。
(2016年(平成28年)4月1日現在)
「銚子市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
「銚子市」は、「東京」から100km圏内、「関東平野」の「最東端」に位置し、「北」は「利根川」、「東」と「南」は「太平洋」に面しています。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」です。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(「標高」73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)に適しています。
「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
「銚子市」は、上記のように「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、上記のように「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)、「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)等となっています。
「銚子ポートタワー」は、「利根川」「河口」近くにあり、「銚子漁港」を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」や、「日本一」の「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。
「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。
「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
また1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。
「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。
「水産物卸売センターウォッセ21」は、「銚子市」「川口町」に平成3年(1991年)6月23日にオープンした「銚子市」の「第3セクター」「銚子水産観光株式会社」が9億2千万円をかけて建設した「海産物の販売」や「銚子の特産品」を「紹介」・「販売」をしている「観光商業施設」です。
「水産物卸売センターウオッセ21」では、オープン当初、15軒の「海産物業者」が出店していたそうで、現在、「水産物卸売センターウオッセ21」には、14店舗の「店」と、「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」に「シーフードレストランうおっせ」が営業しています。
「水産物卸売センターウオッセ21」ですが、「Aブロック商店街」と「Bブロック商店街」からなり、それぞれの「店ごと」に「逸品」が揃っています。
「水産物卸売センターウオッセ21」「Aブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。
活きな魚や網元 久保甚
水産加工品 つじの
無形文化財 銚子ちぢみ (2012年1月11日のブログ参照)
食事どころ 魚座屋
海産物全般 ヤマワカ
練り物・磯揚げ 嘉平屋 (2010年9月4日のブログ参照)
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Bブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。
旬味処 たかね
キッチンライフ 銚子東洋
味処 まほろば
濡れせん・銚子地酒 海風 (2011年12月11日のブログ参照)
高級干物 一政
ふるさとの味 しだや
さかな工房 かねまた水産
干物工房 あてんぼう
となっています。
「水産物卸売センターウオッセ21」の「Aブロック商店街」、「Bブロック商店街」で買った「商品」は「宅急便」で送ることができるので、「クーラーバック」がなくても安心なのだそうです。
また「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」には、上記のように「シーフードレストランうおっせ」があり、「ウオッセ21」の「中庭」には、「中庭休憩所」、「自動販売機コーナー」があります。
「YPC」こと「読売写真クラブ」ですが、1982年(昭和57年)に誕生した「アマチュア写真愛好家」が集う「全国組織」の「写真クラブ」です。
「YPC」(読売写真クラブ)ですが、「北海道」から「鹿児島」まで39クラブ、6000人を超す「会員」の「皆さん」が写真活動しているそうです。
「YPC」(読売写真クラブ)の39クラブは、下記の通りです。
北海道・東北
北海道YPC
青森YPC
秋田YPC
宮城YPC
山形YPC
福島YPC
関東・甲信越
小山YPC
栃木YPC
茨城YPC
群馬YPC
山梨YPC
新潟YPC
長野YPC
埼玉YPC
千葉YPC
多摩YPC
神奈川YPC
東京YPC
東海
東海YPC
浜松YPC
北陸
北陸YPC
近畿
奈良YPC
大阪YPC
京都YPC
神戸YPC
滋賀YPC
和歌山YPC
中国・四国
山陰YPC
下関YPC
岡山YPC
広島YPC
愛媛YPC
高知YPC
九州・沖縄
佐賀YPC
鹿児島YPC
大分YPC
熊本YPC
させぼYPC
福岡YPC
「YPC」(読売写真クラブ)所属の「千葉YPC」ですが、「会長」「小菅信博」氏、「副会長」「小高常志」氏、「本部事務所」「読売新聞」「千葉支局」の「クラブ」で、「千葉YPC」は、「入会金」1000円(入会時のみ)、「年会費」4000円(8月1日以降の入会は半額)となっています。
「千葉YPC」は、平成25年(2013年)10月に「創立30周年」を迎えており、「モデル撮影会」を「年」3回、「移動例会」を「年」4回、誰でも応募できる「公募展」を毎年9月に募集しているそうです。
千葉YPC 詳細
所在地 千葉市中央区中央4-15-3 読売新聞千葉支局
電話番号 043-225-2001
「銚子ポートタワー」では、「千葉YPC」「銚子支部」の「会員」の「皆さん」が撮影した「作品」を展示する「写真展」「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」を開催するそうです。
「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」ですが、「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」で開催される「写真展」で5月8日(日)から5月22日(日)の会期となっており、「開催時間」ですが、9時00分から17時00分まで、「入場料」ですが、「入場」「無料」となっています。
「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」の「テーマ」は自由で、「半切サイズ」の「作品」50点ほどを展示するそうです。
「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」の「ご案内」は、下記の通りです。
新緑の候、皆様にはますますご健勝でご活躍を心からお喜び申し上げます。
日頃、趣味を通じて写真技術の向上と親睦を図っている私共に、温かいご支援・ご指導をいただいており厚く御礼申し上げます。
当支部では春には「自由作品展」、秋には「銚子の素顔展」を恒例としております。
会員が自由なテーマで撮影した個性あふれる作品をぜひご高覧・ご批評いただければ幸いです。
「銚子」の「人気展望スポット」「銚子ポートタワー」で開催される「恒例」の「写真展」「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「千葉YPC銚子支部写真展」「第32回自由作品写真展」詳細
開催期間 5月8日(日)〜5月22日(日)
開催時間 10時〜17時
開館時間 9時〜17時
開催会場 銚子ポートタワー2階展示ホール 銚子市川口町2-6385-267
入館料 大人380円 小・中学生200円 65歳以上330円
問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500
備考
「銚子ポートタワー」では、5月5日(祝・木)まで開催されていた「企画展」「フレッシュアート展」(2016年4月8日のブログ参照)に出展されていた「サイトウヒロミチ」氏の「絵画」(作品)を「お土産絵画」として「銚子ポートタワー」「1階」の「売店」にて販売しているそうです。
「サイトウヒロミチ」氏の「絵画」(作品)ですが、「水彩風」から「厚塗り風」など「作風」も様々で、どれでも一枚2000円だそうです。
なお「お土産絵画」ですが、無くなり次第終了となるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2968 |
| 地域情報::銚子 | 09:12 AM |
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2016,05,08, Sunday
本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で5月8日(日)に開催されます「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」です。
「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。
のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。
「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。
「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で数回の「協議」を重ね、主(オモ)に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで結論に達したそうです。
1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと
2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。
3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。
「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」に応じて「出席」を依頼したそうです。
なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。
以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。
商号 ふれあいパーク八日市場有限会社
事業内容 都市と農村交流ターミナル
設立 平成13年11月1日
所在地 千葉県匝瑳市飯塚299-2
TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081
納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名
「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。
「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。
「母の日」は、「日頃」の「母」の「苦労」を労(イタワ)り、「母」への「感謝」を表す「日」です。
「母の日」ですが、「日本」や、「アメリカ」では、5月の「第2日曜日」に祝いますが、その「起源」は「世界中」で様々であり「日付」も異なるそうで、例えば「スペイン」では5月「第1日曜日」、「北欧」「スウェーデン」では5月の「最後の日曜日」に当たるそうです。
「アイルランド」と「イギリス」の「母の日」の「起源」ですが、「マザリングサンデイ」は「移動祝日」で、「キリスト教暦」の「レント(四旬節)期間」の「第4日曜日」(復活祭の3週間前)に祝われるそうで、17世紀に始まったとされ、「奉公中」の「子供」が「教会」で「母親」と面会するなどの「行事」が行われたそうです。
「アメリカ」の「母の日」の「起源」ですが、「南北戦争」「終結直後」の1870年(明治2年)、「女性参政権活動家」「ジュリア・ウォード・ハウ」が、「夫」や、「子ども」を「戦場」に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したそうです。
「ハウ」の「母の日」は、「南北戦争」中に「ウェストバージニア州」で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず「負傷兵」の「衛生状態」を改善するために「地域」の「女性」を結束させた「アンナ・ジャービス」(Ann Jarvis)の「活動」に「ヒント」を得たものだが、結局普及することはなかったそうです。
「ジャービス」の「死後」2年経った1907年(明治40年)5月12日、その「娘」の「アンナ」(Anna Jarvis)は、亡き「母親」を偲び、「母」が「日曜学校」の「教師」をしていた「教会」で「記念会」をもち、「白いカーネーション」を贈ったそうで、これが「日本」や、「アメリカ」での「母の日」の「起源」とされています。
「アンナ」の「母への想い」に感動した「人々」は、「母をおぼえる日」の「大切さ」を確認し、1908年(明治41年)5月10日に「同教会」に470人の「生徒」と、「母親達」が集まり「最初」の「母の日」を祝ったそうです。
「アンナ」は「参加者全員」に、「母親」が好きであった「白いカーネーション」を手渡したそうです。
このことから、「白いカーネーション」が「母の日」の「シンボル」となったそうで、「アンナ・ジャービス」は「友人たち」に「母の日」を作って「国中」で祝うことを提案。
1914年(大正3年)に「母の日」は「アメリカ」の「記念日」になり、5月の「第2日曜日」と定められました。
「オーストラリア」の「母の日」は5月の「第2日曜日」に祝われますが、「オーストラリア」の「母の日」に「贈りもの」を贈る「習慣」は1924年(大正13年)、「シドニー」の「Leichhardt」に住む「ジャネット・ヘイデン」(Mrs Janet Heyden)によってはじめられたそうです。
「彼女」は「ニューイントン」(Newington Victoria)の「州立女性老人ホーム」を訪ねた際に多くの孤独で「忘れられた母たち」に出会い、その「女性たち」によろごばせるために「地元」の「学校」や、「企業」の「協力」をとりつけ、「贈り物」を贈ることにしたそうです。
それから毎年、「彼女」は「贈り物」の「習慣」の「規模」を少しずつ大きくして、「地元企業」や、「市長」にも「協力」を取り付け、以来、「母の日」の「贈り物」の「習慣」は商業化されていったそうです。
「オーストラリア」では「伝統的」に「母の日」には「クリサンセマム」(菊の花)を咲かせ見頃になるため、また、「クリサンセマム」(chrysanthemum,キク属)が「一般的」に「語尾部」をとって「通称」「mum(マム)」と呼ばれ、ちょうど「mum」(おかあさん)とかさなるためだそうで、近年では、「母の日」は「男性」は(上着のジャケットの)「折り襟」に「キク」の「生花」を挿して「ピン」で留めたり、「菊花」を模した「襟章」(lapel pin)をつける場合もあるそうです。
「日本」の「母の日」の「起源」ですが、1913年(大正2年)に「青山学院」で、「母の日礼拝」が行われたことだそうです。
「アンナ・ジャービス」から「青山学院」に「メッセージ」が届き、当時「女性宣教師たち」の「熱心」な「働きかけ」で、「日本」で「母の日」が定着していく「きっかけ」となったとされています。
「大日本連合婦人会」が1931年(昭和6年)に結成され、その際、「同組織」は「皇后」(皇淳皇后)の「誕生日」である3月6日(地久節)を「母の日」としましたが、普及しなかったそうです。
1937年(昭和12年)5月8日に、「第1回」「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が「豊島園」で開催されたそうです。
その後、1949年(昭和24年)ごろから「アメリカ」に倣(ナラ)って5月の「第2日曜日」に行われるようになったそうです。
「母の日」には、「カーネーション」を贈るのが「一般的」だそうで、なお、あまり知られていませんが、5月5日の「こどもの日」は、「祝日法」2条によると
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」
が「趣旨」とされています。
「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」の「イベント」で、5月8日(日)9時00分から行われます。
「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」ですが、1000円以上「お買い上げレシート」を「持参」の「お母さま」に「素敵」な「プレゼント」をする「企画」です。
なお、「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」ですが、「先着」300人となっていますので、ご注意ください。
「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「母の日企画」「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」。
この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「日々の感謝をこめて母の日プレゼント」詳細
開催日時 5月8日(日) 9時〜16時半
開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2
問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080
備考
「ふれあいパーク八日市場」「植木園」では、「ツツジ」をはじめ、「季節」の「花々」が勢ぞろいしているそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2958 |
| 地域情報::匝瑳 | 09:21 AM |
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2016,05,07, Saturday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で5月8日(日)に開催されます「大的式(オオマトシキ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。
「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この「形式」の「社殿」としては「最大級」の「規模」となっています。
「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。
「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5mほど移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。
この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く自生しています。
「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも貴重なものなのだそうです。
「大的式(オオマトシキ)」は、「歩射」の「儀式」で、「大的式(オオマトシキ)」は「射礼」として「公家」・「武家」共に「重要」な「儀式」だったそうです。
約1500年前「清寧天皇」が「射」を行わせたという「記載」が「日本書紀」に載っており、「続日本書紀」には「仁明天皇」が承和元年(834年)に「射礼」を自ら行われた「旨」の「記述」があるそうです。
「由緒」ある「香取神宮」では、5月に入り「新緑」に包まれ清々(スガスガ)しい「空間」が「香取神宮の杜」「一面」に広がっているそうです。
「香取神宮」では、一年で一番爽(サワ)やかな「新緑」の「季節」を迎え、毎年5月第2日曜日に、厳(オゴソ)かな「雰囲気」の中、「大的式(オオマトシキ)」が執り行われています。
「大的式(オオマトシキ)」ですが、「百手式(モモテシキ)」(2011年5月4日のブログ参照)ともいわれ、「弓馬術礼法」「小笠原教場」の「一門」により「香取神宮」「境内」で催行されます。
「大的式(オオマトシキ)」は、約10名ほどの「射士」が「礼法」に則り、つぎつぎに「矢」を放つ、古式ゆかしい「射礼式」なのだそうで、鎌倉時代さながらの「装束(ショウゾク)」を着用し、「小笠原礼法」に則った「作法」で、「弓」を射る「行事」だそうです。
「香取神宮」では、平成8年(1996年)より「大的式(オオマトシキ)」の「奉納」を行っており、「大的式(オオマトシキ)」ですが、「香取神宮」「拝殿」前にて執行され、「弓馬術礼法小笠原流」「小笠原宗家」率いる「門人」の「所作」の「美しさ」はさながら「一服」の「絵巻物」のようであり、「香取神宮」「境内」の「空気」が清謐(セイヒツ)に包まれるそうです。
「礼法」で知られる「小笠原流派」の洗練(センレン)された「無駄」の無い、そして凛(リン)とした「作法」に則り、「大的」に「矢」を射るそうです。
「大的式(オオマトシキ)」は、「静寂(セイジャク)」の中にも、「武家」の「強い意志」を感じる「行事」で、「作法」については「小笠原流派」の「方」による「説明」もあるそうです。
「由緒」ある「下総国一宮」「香取神宮」で開催される古式ゆかしい「皐月(サツキ)」の「小笠原流弓術」の「行事」「大的式(オオマトシキ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取神宮」「大的式(オオマトシキ)」詳細
開催日時 5月8日(日) 13時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」の「境内」は、「桜」(2016年3月30日のブログ参照)や、「紅葉」で有名ですが、「新緑」の「季節」もまた「別格」だそうです。
「若葉」の下での「香取神宮」「境内」「散策」は、「木々達」の「息吹」が降り注いでいるようで、「肌」を通して「生命力」を充電されるように感じるそうです。
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| 地域情報::香取 | 09:51 AM |
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2016,05,06, Friday
本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で5月7日(土)に開催されます「新緑の里山ウォーキング教室」です。
「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(オゴソ)かに「弓道」を楽しむことができます。
「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。
「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。
「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。
「里山」とは、「集落」、「人里」に隣接した結果、「人間」の「影響」を受けた「生態系」が存在する「山」を指し、「深山(ミヤマ)」の「対義語」です。
文献上、最初に「里山」という「単語」が現れるのは1759年(宝暦9年)6月に「尾張藩」が作成した「木曽御材木方」という「文書」においてだそうで、そこでは
「村里家居近き山をさして里山と申候」
としているそうです。
また「奈良県」の「吉野山地」では、「山」を「村落」から近く「標高」が低い「順」に「サトヤマ」「ウチヤマ」「オクヤマ」「ダケ」と区分しており、「サトヤマ」に該当するのは「集落」の周囲の斜面にある「畑」や、「雑木林」です。
現在のような「里山」の「再評価」に直接繋がる「言論活動」を開始した「人物」としては、「京都大学」「農学部」・「京都府立大学」などの「教官」を務めた「四手井綱英」がいるそうです。
「四手井」は「今日的」な「意味」での「里山」という「言葉」の「使い方」を考案したといわれています。
また、「里山」という「語」の「普及」に大きな「影響」を与えた「人物」としては、「四手井」の他に「今森光彦」を挙げる「意見」もあります。
「飯沢耕太郎」は、1995年(平成7年)に「今森」が発表した「写真集」「里山物語」(後に「木村伊兵衛賞」受賞)によって、「里山」という「語」に「具体的」な「イメージ」が与えられたとしています。
他に、「市民」の立場から1983年(昭和58年)から「里山一斉動物調査」などの「活動」を行い「里山」の「語」を普及するとともに「実地体感」や、「動物」の「フィールドサイン観察」などを伝えた「(社)大阪自然環境保全協会」と、それを指導し「各地」の「講演会」などで「講師」等を務めた「木下睦夫(ムツオ)」の「功績」も大きいそうです。
「歴史」を遡(サカノボ)ると、近世までに「日本」の「里山」の大半は「アカマツ林」、あるいは「草山」、「禿げ山」となっていました。
本来の「植生」は「木材」や「薪」の「切り出し」によって失われ、「落ち葉」や「草の類」も「田畑」の「肥料」として搬出されてしまった為に「土壌」の「栄養分」が乏しくなり、痩せた「土地」でも生きられる「アカマツ」が優勢となってしまったそうです。
また「アカマツ」は近世日本の「農業」にとっては非常に使い勝手が良い「樹種」でもあり、選好して植えられたということもあったそうです。
「有岡利幸」氏は江戸期に描かれた「各地」の「各所図会」に登場する「山」の大半が、「局所的」に「松」が茂る「禿げ山」として描写されていることを、この「傍証」として挙げています。
(有岡利幸氏とは、日本の植物・植生研究家です。)
しかし「化石燃料」や、「化学肥料」の「普及」によって「里山」の「経済価値」が失われると「里山」の「植生」は「アカマツ林」から徐々に変化していったそうです。
(アカマツは陽樹であるため、他の樹種が侵入してくると次の世代が繁殖出来なくなる)
例えば20世紀後半から21世紀にかけての「関東近辺」では、「クヌギ」や「コナラ」など、「落葉樹」の「ブナ科植物」を中心とする「森林」が出現しています。
ちなみにこの「地域」の本来の「極相」は「常緑広葉樹林」でありますが、近世ほどではなくともある程度の「人」の「影響」があると、このように「極相」ではなく「落葉樹林」の状態で安定する場合もあります。
同じような「条件」でも、より「南」の「地域」では、これらのほかに「常緑」の「シイ」がよく出現し、このような、「人為的攪乱」などにより、「極相」が壊れて成立した「植生」を「代償植生」というそうです。
また近年では放置された「孟宗竹」の「竹林」が「無秩序」に拡大して「落葉樹林」を「竹林」に変えてしまう「竹害」も、「里山」の「植生」として無視できないものとなっています。
まとめると、「歴史的」に見て「日本列島」の「里山」は「植生」が極度に破壊された「禿げ山」、「草山」、「アカマツ林」から、本来の「極相」とは違う「形」で安定した「二次林」、あるいは「竹害的」な「竹林」、そしてその「土地」本来の「極相林」など、多様な「植生」が存在する場所であるということがいえます。
「自然保護」の立場から、「人為的攪乱」がある「里山」を「ニセモノの森」と見る向きがあるそうで、これは、「潜在自然植生」を重視する「考え方」です。
それに対して、「主体」を「人間」に置き、「持続可能な開発」の「モデル」として「里山」の「復権」を主張する「考え方」もあります。
この中には「荒れた雑木林」という新しい「概念」が導入されています。
20世紀後半以降は「薪炭採取」を中心とする「入会利用」が廃れ、「里山」は完全に放置される場合が多く、本来の「極相」に戻りつつある「地域」も多いそうです。
「有岡利幸」氏はこのような「状況」に評して、「弥生式農耕」の開始以降、平成期ほど「里山」が「樹木」に覆い尽くされている時代は無かったと指摘しているそうです。
「ウォーキング」(英・warking)は、「散歩」、「歩くこと」によって「健康増進」を「目的」とした「運動」です。
「ウォーキング」は、上述のように「散歩」、「健康維持」のための「歩行運動」で、「書籍」「血管を強くする歩き方」の「筆者」は「生活習慣病」などの「予防」や、「対策」のためになるとして「手軽」な「運動」として「ウォーキング」を推奨しています。
「全国各地」の「自治体」の「健康関連部門」など「公的機関」も、「ウォーキングコース」の「設定」、「ウォーキング大会」や、「ウォーキング教室」の「開催」などを開催しています。
この背景には、増大する「医療費」を少しでも抑えるために「市民」の「健康増進」を図る「目的」があるそうです。
一方、「民間団体」も「健康」への「効用」にとどまらないそれぞれの「目的」を持って、「ウォーキング」の「普及」や、「増進」に取り組んでいるそうです。
例えば、「鉄道会社」や、「観光協会」の主催する「ウォーキングイベント」は「利用客」や、「訪問客」の「増加」を、「ウォーキング関連商品メーカー」は「販売促進」を目指しています。
「ウォーキング」の「利点」としては、始める際の「ハードル」が低いことが挙げられます。
「各スポーツメーカー」からは「ウォーキングシューズ」などが販売されてはいますが、始める際には普段履いている「スニーカー」でも差し支えなく、「初期投資」がほとんどかかりません。
また、「道路」や、「公園」を利用する場合が多く、「専用」の「器具」や、「競技施設」を必要としないことから、いつでもどこでも行うことができます。
さらに「歩行」さえ可能であれば、「高齢者」や、「身体障害者」でも「自分」の「ペース」で「ウォーキング」に取り組むことができます。
一方で、「ウォーキング中」の「交通事故」や、「不適切」な「カラダ」の「使い方」によって「足」だけでなく「腰」・「股関節」・「背中」・「腰」などを痛めるなどの「危険」もあるため、「適切」な「ウォーキング方法」が提言されています。
「ウォーキング」は一人でもできますが、「大人数」が参加する「多種多数」な「イベント」が開催されているそうです。
また、「愛好家」が集う「大会」、「長距離」を歩き「自己」の「限界」に挑戦する「過酷」な「スポーツ」としての「大会」、「子供」を「対象」に「教育的目的」で歩く「大会」などがあります。
ちなみに「シューズ大手メーカー」の「説明」では「平均的」な「ウォーキングシューズ」の「寿命」は「お遍路(ヘンロ)さん1回分」だそうで、「靴」の「消耗」にかかる「コスト」を「距離」で割りますと1kmあたり10円となり、「自動車」の「燃費」と変わらない「計算」になるそうです。
「新緑の里山ウォーキング教室」ですが、「千葉県立東庄県民の森」の「体験イベント」で、5月7日(土)に開催されます。
「新緑の里山ウォーキング教室」の「受付時間」ですが、「東庄県民の森管理事務所」で8時45分から「受付」を行い、「新緑の里山ウォーキング教室」の「開催時間」は、9時00分から12時00分頃まで行うそうです。
「新緑の里山ウォーキング教室」の「実施内容」ですが、「歩き方」の「レクチャー」後、「新緑」の「千葉県立東庄県民の森」周辺を、5kmほど歩くといった「内容」となっています。
「新緑の里山ウォーキング教室」の「参加費」ですが、「お一人」300円となっており、「定員」ですが、30名程度となっています。
(「新緑の里山ウォーキング教室」ですが、「電話」で「事前予約」「受付順」となっています。)
「自然」あふれる「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験教室」「新緑の里山ウォーキング教室」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「新緑の里山ウォーキング教室」詳細
開催日時 5月7日(土) 9時半〜12時頃
開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639
問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393
備考
「新緑の里山ウォーキング教室」ですが、参加される際、歩きやすい「靴」・「服装」、「タオル」、「飲み物」等の「持参」を呼びかけています。
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| 地域情報::香取 | 06:56 PM |
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2016,05,06, Friday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で5月8日(日)に開催されます「第57回佐原のふな釣り大会」です。
「横利根川」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と「霞ヶ浦(カスミガウラ)」(常陸利根川)までを結ぶ、約7kmの「河川」で、普段は「利根川」に向けて流れています。
「横利根川」は、「利根川」の「湧水時」に、「霞ヶ浦」へ逆流するのをふせぐため、大正年間(1912年〜1926年)に建設された「横利根閘門(ヨコトネコウモン)」(2011年9月5日のブログ参照)(パナマ運河形式)も「周囲」の「風景」にとけこんでいます。
「横利根閘門」は、「茨城県」「稲敷市」と、「香取市」の「県境」付近に位置する「横利根川」にある「閘門」で、「国土交通省」が管理しています。
「横利根閘門」ですが、「門扉」が腐食するなど「老朽化」が進んでいたため、1994年(平成6年)「自動化工事」とあわせ「土木遺産」としての「価値」を後世に伝えるための「復元修復工事」が行われました。
2000年(平成12年)5月、「日本」における「煉瓦造閘門」のひとつの「到着点」を示す「近代化遺産」として「重要文化財」に指定されました。
現在、「閘門」の周辺は「横利根閘門ふれあい公園」(香取市・稲敷市管理)として整備され、「サクラの名所」、「横利根川」に面した「釣りの名所」として「憩いの場」となっています。
「横利根閘門ふれあい公園」ですが、2006年(平成18年)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。
「横利根閘門」ですが、「香取市内」の「佐原市街地」と、「利根川」「北部」の「十六島地区」を結ぶ、「船舶」や、「自動車交通」の「要衝部」にあり、「水郷」の「シンボル的施設」として親しまれており、「地元」の「人」は「かんもん」と呼ぶことが多いそうです。
「長島川」は、「香取市」「長島地区」を流れる「幅」20mほどの「河川」で、「西」は、「横利根川」、「東」は、「西部与田浦」と接しています。
「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)と、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に行われる「佐原のふな釣り大会」(2015年5月8日・2014年5月6日・2013年5月7日・2012年5月6日・2011年5月19日のブログ参照)は、「水郷佐原」に「春」を告げる「釣りイベント」(ふな釣り大会)で、「水郷佐原」の「釣り場」として、「春」に「最盛期」を迎える「ふな釣り人」に「人気」の「釣り大会」として知られています。
「佐原のふな釣り大会」は、長い「歴史」がある「ふな釣り大会」であり、「首都圏」からの「参加者」も多く、「豪華商品」も多数用意された「ふな釣り大会」として知られています。
「佐原のふな釣り大会」には毎年、「大会」を心待ちにしていた「太公望(タイコウボウ)」たちが、「大勢」参加し、「ふな釣り」の「メッカ」である「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、「腕」を競います。
今年(2016年)で「57回目」を迎える「歴史」ある「釣りイベント」「第57回佐原のふな釣り大会」ですが、5月8日(日)に、上記のように「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、開催されます。
「第57回佐原のふな釣り大会」の「競技時間」ですが、「朝」5時00分から14時00分までとなっており、「各自」「釣り場」で「スタート」となっています。
「第57回佐原のふな釣り大会」の「競技方法」ですが、「釣竿」は1本とし、「陸釣り」・「舟釣り」を問わず「自由釣り」となっています。
但(タダ)し「第57回佐原のふな釣り大会」では、「吸い込み」・「ギャング釣り」・「リール釣り」・「撒き餌」は「厳禁」となっています。
(「釣り餌」は「自由」)
「第57回佐原のふな釣り大会」の「参加資格」ですが、「男女」、「年齢」を問わず「同好者全般」で、「参加費」ですが、「大人」700円、「小中学生」500円となっています。
「第57回佐原のふな釣り大会」「受付」ですが、4月8日(金)から「申込み開始」となっており、「第57回佐原のふな釣り大会」「締切」ですが、「当日」「申込み」も「可」となっています。
なお「第57回佐原のふな釣り大会」の「参加申込」ですが、「申込み」は、「参加費」を添えて「水郷佐原観光協会」(JR佐原駅観光案内所1F)「第57回佐原のふな釣り大会事務局」、又は「市内釣具店」・「横利根各釣宿」に「お申し込み」となっています。
「第57回佐原のふな釣り大会」「申込取扱店」は、下記の通りです。
つり舟 中島屋旅館 0299-78-2621 (当日受付店)
(平勝) 平野釣舟店 0478-56-0300 (当日受付店)
つり舟 小松屋旅館 0299-78-2205 (当日受付店)
つり具のつくば屋 0478-82-1388
旅館 水楽荘 0478-56-1211
水郷佐原観光協会 0478-52-6678 (当日受付店)
「第57回佐原のふな釣り大会」の「対象魚」ですが、「鮒」(へら・まぶな)、※外道賞(鯉のみ)となっています。
「第57回佐原のふな釣り大会」の「審査方法」ですが、「釣魚総重量制」とし、「順位決定」、「等級」を定め、「大型賞」(「体長」38cm以上へら鮒のみ)「入賞」の場合は、差し引きせず、「総重量」で行うそうです。
なお「同重量」であった場合は、「抽選」をもって「決定」し、「釣魚」に「疑義(ギギ)」の出た場合は、「審査委員」の「協議」により定めるそうです。
「第57回佐原のふな釣り大会」では、下記の場合「失格」となるそうです。
1 参加証明書と審査票に取扱い店印のない場合
2 釣り座の先取り、または竿を下ろした場合
3 午後2時(14時)までに計量場所に到着しない場合
4 その他大会のルールに反した場合
「第57回佐原のふな釣り大会」の「賞品」ですが、「豪華商品」が多数用意されています。
「第57回佐原のふな釣り大会」「賞品」ですが、「1等」から「50等」までの「賞品」、また「副賞」として「こども賞」、「婦人賞」、「大会賞」、「当日賞」、「協賛団体賞」などとなっており、他に、「大型賞」(ふな)1名、「外道賞」(こい・重量)1名、「釣り魚」の少ない「人」の中から「飛賞」、「オデコ」の「人」も含めて「ラッキー賞」など「豪華賞品」を多数用意し、また「参加者全員」に「参加賞」として「佐原の米」「コシヒカリ」1kgを「プレゼント」するそうです。
「第57回佐原のふな釣り大会」の「計量」ですが、「計量場所」は「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)となっており、「計量受付時間」ですが、13時00分から14時00分までとなっています。
なお「第57回佐原のふな釣り大会」の「審査」及び「表彰場所」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」となっています。
「第57回佐原のふな釣り大会」「審査場所」・「結果表彰」(発表)ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」で、15時00分から行うそうです。
「北総」の「へら鮒釣り」の「メッカ」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で開催される「歴史」ある「恒例」の「釣り大会」「第57回佐原のふな釣り大会」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第57回佐原のふな釣り大会」詳細
開催日時 5月8日(日) 朝5時〜14時 (各自釣り場でスタート)
(14時までに「計量受付場所」へ)
開催会場 横利根川 (横利根閘門より横利根大橋の間)
長島川 (八筋川排水機場よりなかず橋の間)
(審査場所・表彰式会場 水の郷さわら川の駅ホール)
参加費 大人 700円 小中学生 500円
問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
備考
「第57回佐原のふな釣り大会」ですが、「雨天」「決行」で行われる「イベント」です。
「第57回佐原のふな釣り大会」ですが、上記のように「競技終了後」13時00分から14時00分までに、「計量受付場所」の「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)に到着することが「ルール」となっています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2956 |
| 地域情報::香取 | 10:32 AM |
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2016,05,05, Thursday
本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和の大塔」で5月7日(土)に開催されます「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」です。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。
「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。
「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。
「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。
「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。
「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。
「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、「軒」を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。
「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」「境内」には、上記のように「成田山平和大塔」があり、「成田山平和大塔」は、「弘法大師」の「開眼1150年」を記念して「成田山新勝寺」の「境内」に建立されたそうです。
「成田山平和大塔」は、「平和の大塔」とも称される「多宝塔形」の「仏塔」で、「成田山平和大塔」は、「塔」の「内部」にも入ることができ、「成田山新勝寺」「開山の歴史」や、「奉納品」が見学できる他、「成田山新勝寺」「御本尊」である「不動明王」も間近で見ることができるそうです。
(写真撮影は不可となっています。)
また「成田山平和大塔」の「一番上」の「層」からは「成田近郊」が一望でき、「ビュースポット」にもなっています。
「成田山平和大塔」ですが、「成田山新勝寺」「境内」「最奥」に建ち、「構造」は「鉄筋コンクリート造」、「高さ」58.1mの「多宝塔形」の巨大な「仏塔」で、1984年(昭和59年)に建立されました。
「成田山平和大塔」の「設計管理」は「財団法人建築研究協会」、「施工」は「大林組」が請け負ったそうです。
「成田山平和大塔」の「外観」は「二重塔」(「二重基壇(キダン)」)ですが、「内部」は5階建て(内部五層)となっています。
今回ご案内している「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(2015年5月7日・2014年5月9日・2013年5月5日・2012年5月10日・2011年4月30日のブログ参照)は、上記のように昭和59年(1984年)4月の「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、「世界平和」と「万民の幸福」を祈願して建立された「成田山平和大塔」の「落慶」を記念して始められたそうです。
「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」は、今年(2016年)で「32回目」を数える「催し」で、「成田山表参道」を埋め尽くす、「総勢」1000人による「奉納」の「舞」です。
「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」では、「旧・成田町」7町の「女人講」をはじめ、約1000人に及ぶ「女性たち」が、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」「門前」までの「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」及び「成田山平和大塔」前で、「踊り」を奉納し、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」による「被災地」の「早期復興」も祈願するそうです。
「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」の「コース」ですが、上記のように「成田山表参道」(「JR成田駅前」〜「成田山新勝寺門前」)、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」となっており、「スケジュール」は、下記の通りです。
12時00分 出発セレモニー (成田市役所)
12時20分 表参道入口(JR成田駅前)
総踊りスタート
15時00分 成田山大本堂前 総踊り
15時30分 成田山平和大塔 総踊り
なお「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」「開催日」には、「成田山新勝寺」周辺で、「交通規制」が実施されます。
「交通規制」の「区間」、「時間」ですが、下記「詳細」を参照下さい。
「成田の歴史」を見つめ「今」も「大勢の観光客」が訪れる「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」を「会場」に行われる「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、建立された「成田山平和大塔」「落慶」を記念し開催されている「催し」「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」詳細
開催日時 5月7日(土) 12時〜
開催会場 成田山表参道(JR成田駅前〜成田山門前)、成田山新勝寺(大本堂、成田山平和大塔) 成田市成田1周辺
「交通規制」
時 間 区 間
11時00分〜14時00分 JR成田駅前〜薬師堂
11時00分〜16時00分 薬師堂〜成田山門前(鍋店かど)
問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102
備考
「第32回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」ですが、「雨天」の場合は、「翌日」の5月8日(日)に「順延」、「順延日(予定)」5月8日(日)が「雨天」の場合は中止となるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2955 |
| 地域情報::成田 | 10:58 AM |
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