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「夏越大祓式」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で6月30日(木)に開催されます「夏越大祓式」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「大祓(オオハラエ)」は、6月と、12月の「晦日(ミソカ)」(新暦では6月30日と12月31日)に行われる「除災行事」です。
 犯した「罪」や「穢(ケガ)れ」を除き去るための「祓え」の「行事」で、6月の「大祓」を「夏越の祓(ナゴシノハラエ)」、12月の「大祓」を「年越しの祓(トシコシノハラエ)」といいます。
 6月の「大祓」は「夏越神事」、「六月祓」とも呼ばれ、「夏越」は「名越」とも標記するそうです。

 「行事」としての「大祓」ですが、701年(大宝元年)の「大宝律令(タイホウリツリョウ)」によって正式な「宮中」の「年中行事」に定められました。
 この日には、「朱雀門」前の「広場」に「親王」、「大臣(オオキミ)」ほか「京」(ミヤコ)にいる「官僚」が集まって「大祓詞(オオハラエノコトバ)」を読み上げ、「国民」の「罪」や「穢れ」を祓ったそうです。
 「衣服」を毎日洗濯する「習慣」や、「水」などのない時代、半年に一度、「雑菌」の繁殖し易い「夏」を前に新しい物に替える事で「疫病」を予防する意味があり、「大祓」はその後、100年ほどは盛大に行われました。
 そして「応仁の乱」の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(1691年・元禄4年)に再開され、次第に広まっていきました。
 1871年(明治4年)の「太政官」布告にて「明治新政府」により「夏越神事」「六月祓」の「称」の「禁止」と、「大宝律令」の「大祓」の「旧儀の再興」が命じられ、「全国」の「神社」で行われるようになったそうです。
 戦後には「夏越神事」「六月祓」の「称」も一部では復活し、現在に至るそうです。

 「鹿島神宮」では、「夏越祓」について「伝承」があり、「鹿島」の「古老(コロウ)」曰(イワ)く「鹿島」では、「鹿島神宮」「境内」に「チガヤ」で作った「輪」をくぐると「病気」が避けられ、また、「チガヤの輪」は「邪神」を和(ナゴ)めると伝えられています。

 「夏越大祓式」ですが、6月30日、「鹿島神宮」「本殿」前にて行われる「罪穢れ」を祓う「半年」に一度の「神事」です。
 「夏越大祓式」は、1月から6月までの「罪穢れ」を祓い、「病気」や、「災厄」を祓うといわれている「神事」で、「夏越大祓式」では、「人形(ヒトガタ)」で「身体」を撫(ナ)で、「息」を三度吹きかけて「心身」の「罪穢れ」を移します。
 「夏越大祓式」では、その「人形」は「神事」の後に「お焚き上げ」をし、その「灰」を「御手洗川」に流すそうです。
 また「鹿島神宮」「境内」では、6月1日から「茅の輪(チノワ)」を設置し、「大祓用」の「人形」と、「無病息災」・「延命長寿祈願」の「茅の輪」の「お守り」を授受しています。

 「夏越大祓式」「当日」に参列できない「方」は、6月1日から30日までの1ヶ月間に「鹿島神宮」で、下記の「要領」で「罪穢れ」を祓い、「心」の「清澄」を取り戻すことができるそうで、「神事」の「流れ」は、下記の通りです。

 鹿島神宮境内本殿前に設置される茅の輪をくぐって、罪穢れを祓います。

 茅の輪のくぐりかたですが、鹿島神宮楼門を背に、本殿方向に茅の輪を望みます。

 一度輪をくぐり、左回りで、もう一度輪をくぐります。

 くぐったら今度は右回りでもう一度輪をくぐります。

 そして、もう一度左回りでくぐって、そのまままっすぐ本殿に向かいます。

 その後、鹿島神宮社務所もしくは特設テントにて、初穂料を渡して、人形を受けとります。
 (初穂料は随意)

 人形で自分の身体を撫で、息を三度吹きかけ、罪穢れを人形に移します。

 人形を専用の箱にいれます。

 人形は6月30日の神事の後にお焚き上げし、その灰を御手洗川に流します。

 以上が「手順」となります。

 今年(2016年・平成28年)の「夏越大祓式」は、6月30日(木)15時00分から斎行されます。
 「夏越大祓式」「当日」、「鹿島神宮」「神職」および「参列者」は「祓戸」で「祓」を受けた後、「茅の輪」の前に参集し、「神職」・「参列者」ともに「大祓詞」を「奏上」の後に「茅の輪くぐり」を行い、その後、「人形」は「御手洗川」に流し清められるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」で開催される「罪穢れ」を「人形」に移し、清め「悪疫」を免れる「神事」「夏越大祓式」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「夏越大祓式」詳細

 開催日時 6月30日(木) 15時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」では、「年末」の「大晦日」(12月31日)に、一年間の「罪穢れ」を祓う「神事」「年越大祓式」が斎行されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3030 |
| 地域情報::鹿島 | 10:28 AM |
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| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3024 |
| お知らせ | 03:15 PM |
「大祓式」「夏越の大祓」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で6月30日(木)に開催されます「大祓式」「夏越の大祓」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
 また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
 「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
 また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
 「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
 この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。

 「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この形式の「社殿」としては「最大級の規模」となっています。
 「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
 「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
 「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
 この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
 「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。

 「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
 また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
 「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5mほど移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
 「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
 「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「大祓(オオハラエ)」は、6月と、12月の「晦日(ミソカ)」(新暦では6月30日と12月31日)に行われる「除災行事」です。
 犯した「罪」や「穢(ケガ)れ」を除き去るための「祓え」の「行事」で、6月の「大祓」を「夏越の祓(ナゴシノハラエ)」、12月の「大祓」を「年越しの祓(トシコシノハラエ)」といいます。
 6月の「大祓」は「夏越神事」、「六月祓」とも呼ばれ、「夏越」は「名越」とも標記するそうです。

 「行事」としての「大祓」ですが、701年(大宝元年)の「大宝律令(タイホウリツリョウ)」によって正式な「宮中」の「年中行事」に定められました。
 この日には、「朱雀門」前の「広場」に「親王」、「大臣(オオキミ)」ほか「京」(ミヤコ)にいる「官僚」が集まって「大祓詞(オオハラエノコトバ)」を読み上げ、「国民」の「罪」や「穢れ」を祓ったそうです。
 「衣服」を毎日洗濯する「習慣」や、「水」などのない時代、半年に一度、「雑菌」の繁殖し易い「夏」を前に新しい物に替える事で「疫病」を予防する意味があり、「大祓」はその後、100年ほどは盛大に行われました。
 そして「応仁の乱」の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(1691年・元禄4年)に再開され、次第に広まっていきました。
 1871年(明治4年)の「太政官布告」にて「明治新政府」により「夏越神事」「六月祓」の「称」の「禁止」と、「大宝律令」の「大祓」の「旧儀の再興」が命じられ、「全国」の「神社」で行われるようになり、戦後には「夏越神事」「六月祓」の「称」も一部では復活し、現在に至るそうです。

 「夏越の祓」は、多くの「神社」で「茅の輪潜り(チノワクグリ)」が行われ、「氏子」が「茅草」で作られた「輪」の中を「左回り」、「右回り」、「左回り」と「八の字」に3回通って「穢れ」を祓うものです。
 「釈日本紀」に引用された「備後国風土記」「逸文」にある「蘇民将来神話」では「茅の輪」を「腰」につけて「災厄」から免れたとされ、「茅」の旺盛な「生命力」が神秘的な「除災」の力を有すると考えられてきたそうです。
 また「茅の輪」の「左右」に設置する「笹竹」に「願い事」を書いた「短冊」を振下げ、「七夕」に「河川」に流すといった「俗信仰」は、「書き初め」を「どんどん焼き」で焚くことで「筆」が上達するといった「行事」と対応しているそうです。

 「香取神宮」「大祓式」は、毎年6月と、12月に行われ、それぞれ半年分の「厄災」をお祓いしており、特に「夏の大祓」を「夏越の大祓」と呼ばれ、「神事」として古くから行われてきました。
 「香取神宮」では、「大祓式」「夏越の大祓」の為に、6月中「境内」に「茅の輪」を設け、御案内しているそうです。

 この度(タビ)「香取神宮」では、6月30日(木)「大祓式」「夏越の大祓」を行うそうです。
 「大祓式」「夏越の大祓」では、上述のように半年間の「罪穢れ」を祓う「茅の輪」を「拝殿」前に設置、「紙」で出来た「人形(ヒトガタ)」(人型)に「息」を吹きかけ、「体」をぬぐって「罪穢れ」を移し、「代わり」にお祓いしてもらう「儀式」を行います。
 「大祓式」「夏越の大祓」「初穂料」は500円で「茅の輪守り」をお分けし、6月30日(木)「午前中」まで受け付け、「儀式」は6月30日(木)15時00分より斎行されます。

 「由緒」ある「下総国一宮」「香取神宮」で開催される「半年間」の「罪穢れ」を祓う「神事」「大祓式」「夏越の大祓」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大祓式」「夏越の大祓」詳細

 開催日時 6月30日(木) 15時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「大祓式」「夏越の大祓」「茅の輪」の「茅」を引き抜いて持ち帰る「人」がいますが、本来「罪」や、「穢れ」、「災厄」を「茅」に移すことで「無病息災」を得る「風習」であるため、「茅」を持ち帰ることは「他人」の「災厄」を「自宅」に持ち帰ることになるため、「茅の輪」の「茅」を抜いて持ち帰るのは避けるべきとされています。

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| 地域情報::香取 | 10:28 AM |
「旭市いいおかYOU・遊フェスティバルプレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「いいおかユートピアセンター」2階「潮騒ホール」で6月26日(日)に開催されます「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」です。

 「飯岡海岸」こと「飯岡海水浴場」(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)ですが、「ビーチバレー」や、「ビーチサッカー」を楽しむことができるほどの「広大」な「砂浜」と、「遠浅」で「波」が穏やかな「人気」の「海水浴場」で、「砂浜」の「広さ」ですが、「長さ」250m、「幅」100mの「公共海水浴場」です。
 「飯岡海水浴場」の「海岸」ですが、ぐるっと弧(コ)を描くように2km近く続く「海岸線」が特徴のとても広い「浜」となっており、「飯岡海水浴場」は、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「最東端」、「最北端」の「海水浴場」として知られています。
 上記のように「九十九里浜」の「最東端」、「最北端」の「海」である「飯岡海水浴場」は、「遠浅の海」で「砂浜」も広いのでゆったりと「海水浴」が楽しめ、「飯岡海水浴場」の「外」では優しくきれいな「波」が立つことから、「サーフィン」や、「ウィンドサーフィン」などの「マリンスポーツ」を楽しむ「人達」にとっても「人気」の「海水浴場」となっています。
 「飯岡海水浴場」は、「海水浴シーズン」になると「首都圏」をはじめ、「千葉県内」、「近隣市町」といった多くの「地域」から「家族連れ」や、「カップル」、「グループ」などが訪れ賑わいます。
 「飯岡海水浴場」には、「海の家」(数未定)、「無料駐車場」1000台、「無料シャワー」(2ヶ所)があります。
 また「飯岡海水浴場」のある「飯岡海岸」ですが、「日本の渚100選」にも選ばれています。

 「萩園公園」ですが、「旭市」「萩園」にある「公園」です。
 「萩園公園」は、「渚のリフレッシュ事業」により「イベント広場」、「展望台」、「駐車場」、「休憩施設」等が整備されており、「花木」が多数植栽され美しい「公園」となっています。
 ちなみに「渚のリフレッシュ事業」は、1992年(平成4年)から「建設省」(当時)(現・国土交通省)が所管している「事業」で、「渚のリフレッシュ事業」の「事業目的」ですが、「防護」・「利用」・「景観」として「海岸保全施設」、「消波工の異型ブロック」等の「整備施設」が整備されています。
 「防護」、「利用」、「景観」の「定義」は、下記の通りです。

 「防護」

 津波、高潮、侵食等から国土を守る整備を指し、これにより整備される海岸保全施設(突提、堤防、護岸、胸壁等)をいう。

 「利用」

 利用者の利便性の向上やレクリエーション・交流・教育の場を供する設備を指し、人工海浜、公共施設、レクリエーション施設等をいう。

 「景観」

 美しい景観の保全・創造のための整備を指し、植栽(松林等)、構造物の工夫等をいう。

 「萩園公園」周辺には、「歴史民俗資料館」、「いいおかユートピアセンター」などがあります。

 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」(2015年7月25日・2014年7月25日・2013年7月26日・2012年7月24日・2010年7月23日のブログ参照)ですが、毎年7月下旬に「飯岡海岸」、「萩園公園」を「会場」に2日間に渡って行われている「恒例イベント」で、「見て」、「驚いて」、「参加して」、「楽しむ」「夏のイベント」として「子ども」から「大人」、「お年寄り」まで幅広い「年代」の「皆さん」に楽しまれている「恒例行事」です。
 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」では、「芸能大会」、「夜店」、「花火大会」、「ビーチバレーボール大会」、「宝探し」などの「催し」が行われています。

 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」ですが、1993年(平成5年)に「フジテレビ」で放送された「岩井俊二」「監督」の「テレビドラマ作品」で、また1995年(平成7年)に公開された「映画作品」です。
 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は当初、「テルビドラマシリーズ」「If もしも」の「一作品」として1993年8月26日に放送された「作品」で、同年、「テレビドラマ」としては「異例」の「日本映画監督協会」「新人賞」を受賞。
 その後「オープニング」や、「タモリ」の「出演シーン」をカットした「再構成」された「バージョン」が、1995年8月12日に「映画」として「劇場公開」されました。
 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、当時は「若手」の「テレビドラマ監督」・「脚本家」であった「岩井俊二」「監督」の「評価」と、「知名度」を一気に上げ、「映画製作」に進出させる「きっかけ」となった「作品」だそうです。
 なお、その「映像」は、「色調」の「調整」などを使って「フィルム」らしく見せる「手法」(フィルム効果、あるいはF効果と呼ばれる)を使って作成されており、これも当時「ゴールデンタイム」の「テレビドラマ」としては非常に珍しかったそうです。
 また「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、

 「東日本大震災により大きな被害を受けた本作のロケ地と東日本復興への願いをこめて」

 と、2011年(平成23年)8月31日まで「無料」で「動画配信」されていたそうです。

 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の「あらすじ」ですが、下記の通りです。

 小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は二人とも同級生のなずなのことが好きだった。
 しかしなずなの両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて二学期から転校することになっているとは、二人は知るよしもなかった。
 親に反発したなずなは、プールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようと密かに賭けをする。
 勝ったのは祐介か?
 典道か?
 勝負のあとから、異なる二つの物語が展開する。

 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の「撮影地」ですが、この「作品」の「撮影」は「プロデューサー」の「原田泉」さんが、この「ドラマ」の「プロット」を読み、この「町」以外にないと断言した「千葉県」「海上郡」「飯岡町」(現在の「旭市」)で実際に行われました。
 また、「ロケ」は「飯岡町」以外に「千葉県」「海上郡」「海上町」(現在の「旭市」)、「旭市」の「隣」の「市」である「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)でも行われており、「子供たち」が通う「小学校」は「銚子市立豊岡小学校」で「当地」の「生徒」を「エキストラ」に撮影されたそうです。
 特に、「典道」と、「なずな」が「電車」を待つ「シーン」で使われた「飯岡駅」、「典道」の「自宅」として使われた「家」などは、「放送後」「数年間」に渡り、この「作品」の「ファン」が訪れる「姿」が見られたといいます。
 この地はこの「作品」の「大ファン」である「山崎貴」さんが監督し、2000年(平成12年)に公開された「映画」「ジュブナイル」の「舞台」にも使用されました。

 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」が放送された「番組」である「If もしも」は本来、「主人公」の「選択」によって、その後の「ストーリー」がどう変化するかを見せる「ドラマシリーズ」であり、どちらかが「主人公」の「空想」であったり「やり直し」であったりしてはいけない、という「ルール」があり、その意味では、この「作品」の「シナリオ」は厳密には「番組」の「ルール」から逸脱しており、「If もしも」側の「スタッフ」は不満を示したと言われています。
 また、「岩井俊二」「監督」が作成した「初期」の「脚本段階」での「原稿」は「少年たちは花火を横から見たかった」でありましたが、「撮影前」に「If もしも」側の「スタッフ」の強い「意向」により、現在の「タイトル」に「差し替え」となったそうです。
 これは、「各エピソード」の「タイトル」は「〜するか、〜するか」という「形」で統一するという「ルール」が「番組」にあったためだそうです。
 このあたりの「エピソード」については、1999年(平成11年)に発売された「ドキュメンタリーDVD」、「少年たちは花火を横から見たかった」内でも詳しく触れられているそうです。

 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の「キャスト」・「スタッフ」は、下記の通りです。

 「キャスト」

 典道 山崎裕太

 なずな 奥菜恵

 祐介 反田孝幸

 和弘 ランディ・ヘブンス

 純一 小橋賢児

 稔 桜木研仁

 三浦先生 麻木久仁子

 マコト 小山励基

 典道の父 山崎一

 祐介の父 田口トモロヲ

 なずなの母 石井苗子

 安さん 酒井敏也

 露店の客 蛭子能収

 中島陽子

 「スタッフ」

 プロデューサー 原田泉

 監督・原作・脚本 岩井俊二

 助監督 桧垣雄二、行定勲、島田剛

 撮影 金谷宏二

 音楽 REMEDIOS

 企画 小牧次郎、石原隆

 制作 フジテレビ、共同テレビ

 約20年前の「旭市」(旧・飯岡町)の「舞台」、「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル海浜花火大会」が「モデル」となった、「岩井俊二」「監督」の「代表作」のひとつである「作品」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
 この度(タビ)「旭市」では、「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」として「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」を開催するそうです。
 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」ですが、6月26日(日)13時30分(開場13時00分)から開催され、「会場」ですが、「いいおかユートピアセンター」2階「潮騒ホール」で行われます。
 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」「詳細」(上映内容)は、下記の通りです。

 1 「岩井俊二監督からのビデオメッセージ」(約12分)

 2 「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(約60分)

 3 「少年たちは花火を横から見たかった」(飯岡ロケ部分抜粋)(約20分)
   映画誕生までの経緯を追ったセミドキュメンタリー

 4 「ロケ地飯岡東日本大震災の被害、そして復興」(約15分)
   YOU・遊フェスティバル実行委員会制作

 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」開催に際し、「旭市」では、下記のような「コメント」を出しています。

 約20年前の旭市(旧飯岡町)が舞台、YOU・遊フェスティバル海浜花火大会がモデルとなった、岩井俊二監督の出世作を上映します。
 撮影当初から現在まで、時代の流れと東日本大震災による津波被害により、飯岡のまち並みは変わってしまった部分もあります。
 ですが、飯岡のまちは復興を遂げ、中でも海浜花火大会は当時と変わらぬ賑わいを取り戻しています。
 ぜひ上映会にお越しいただき、撮影当時の懐かしい飯岡の姿をご覧いただくと共に、ロケ地を巡りながら現在の飯岡の街もお楽しみ下さい。
 そして、7月30日(土)に開催される「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル海浜花火大会」でも、海岸真上に打ちあがる大迫力の花火をお楽しみください。

 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」の「入場料」ですが、「無料」でなっており、「定員」ですが、「先着」500名(当日受付)となっています。
 なお、「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」「当日」ご来場いただいた「方」に、「旭市」の「特産品」をプレゼントするそうです。

 「いいおかユートピアセンター」2階「潮騒ホール」で開催される「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル」「プレ企画」「岩井俊二監督」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「上映会」詳細

 開催日時 6月26日(日) 13時(開場) 13時半(上映開始)

 開催会場 いいおかユートピアセンター2階潮騒ホール 旭市飯岡

 問合わせ 旭市いいおかYOU・遊フェスティバル実行委員会 0479-62-5338

 備考
 今年(2016年)の「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル2016」ですが、7月30日(土)・31日(日)の2日間行われ、「旭市いいおかYOU・遊フェスティバル海浜花火大会」は、7月30日(土)に開催されます。

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| 地域情報::旭 | 12:42 PM |
「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で6月26日(日)に開催されます「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
 「航空科学博物館」「バイプレーン」では、たくさんの「要望」に応え、あの「カレンダー」が戻ってきたそうです。
 「カレンダー」ですが、「世界各地」から「様々」な「航空会社」が乗り入れする「成田国際空港」の「色とりどり」の「航空機」のみならず、「四季折々」の「風景」も、美しい「航空科学博物館」周辺の「情景」の「カレンダー」に仕上がっており、「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」にて販売しています。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、様々な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を離着陸する「ジャンボ」を間近に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を「参考」に離着陸する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、下記の通りです。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年)  入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 2015年(平成27年) 6月20日 博物館敷地内に「航空科学博物館バスターミナル」を開設。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」様々な「催し」、「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「航空無線」(エアバンド)とは、主に「パイロット」と、「交通管制官」が通信するためのもので、この「航空無線」を聞くことによって、「飛行機」の「位置」・「飛行経路」や、「空港」周辺の「気象情報」を仕入れることができます。
 このため、「航空無線」の「受信」により、「お目当て」の「飛行機」の「位置」や、「経路」などを知ることができ、「写真撮影」・「出迎え」等に威力を発揮するそうです。
 しかし、「航空無線」は、「日本語」ではなく「英語」、しかも無駄な「通信」を省くために「専門用語」の「羅列」で行われているため、初めて聞く方には敷居の高いものとなっているようです。

 ほとんどすべての「飛行機」は、「航空管制」と交信することにより飛行しており、特に「旅客機」など「IFR」(計器飛行方式)で飛ぶ「飛行機」は、「航空管制官」の「レーダー誘導」によって飛行しているため、「交信」は「進路」・「速度」・「離着陸許可」・「トラフィック」(他の飛行機)の事など多岐に渡ります。
 こういった「無線交信」を聞くことによって、あたかも「大空」の上を「飛行中」の「コックピット」にいるかのような「感じ」が味わえるそうです。

 「航空管制」の「種類」ですが、「飛行場管制」(terminal control)、「航空路管制」(enduute control)となっており、「対象」、「管制所」は下記の通りです。

 「飛行場管制」(terminal control)

 対象 飛行場周辺(管制圏)を飛行中の航空機と、空港内の航空機等

 管制所 当該空港

 「航空路管制」(enduute control)

 対象 航空路等を飛行中の主にIFR機のみ

 管制所 国内4ヵ所の航空交通管制部(ACC)

 「飛行場管制」の「セクション」、「略号」(読み方)、「内容」は、下記の通りです。

 管制承認 CLR(クリアランスデリバリー)
 出発しようとする飛行機に最終的な承認と飛行経路・高度の確認をする。

 地上管制 GND(グランドコントロール)
 地上を走行する飛行機と車両をコントロールする。

 飛行機管制 TWR(ローカルコントロールまたはタワー)
 滑走路への出入を許可する。
 離着陸も許可もここ。

 出発管制 DEP(ディパーチャーコントロール)
 離陸した航空機を航空路までレーダーにより誘導。

 進入管制 APP(アプローチコントロール)
 航空路を離れた航空機を、滑走路手前までレーダーにより誘導。

 「無線の聞き方」ですが、「無線」を聞くには「受信機」が必要で、「航空無線」の「周波数」をカバーする「受信機」を「秋葉原」等で購入できます。
 通常の「国内」の「管制」なら「VHF」と、「UHF」を聞ければOKとなっており、「国際線」の「交信」を聞くには「HF対応」の「高価」な「受信機」が必要だそうです。
 「周波数」ですが、「イカロス出版」の「航空無線ハンドブック」や、「三才ブックス」の「周波数帳」「月間ラジオライフ」などを参照となっており、特に「航空無線ハンドブック」では、「セクション」ごとにどのような「会話」が行われているのかなどの「説明」も豊富なので、かなり参考になるそうです。

 「航空無線」は「基本的」に「英語」が使用されているため、慣れるまでは何を言っているのかさっぱりわからないとは思いますが、ほとんどは「決まり文句」であり、「日本国内」で聞く限りはほとんどは「日本人」が話す「英語」であるため、慣れてしまえば簡単に「内容」を理解することができるそうです。
 「航空無線」が解ると、「上空」の「飛行機」がどのような「状態」で飛んでいて、どのような「指示」をされたのかが解り、大変興味深い、「ロマン」あふれる「趣味」となるそうです。

 「コールサイン」とは、「無線交信時」に使用する「名前」(呼び出し符号)のことで、通常の「交信」では、1相手のコールサイン、2自分のコールサイン、3用件の「順」に話をするそうです。
 (場合によって2を省略したり、「了解」などの返事の時は最後に2を言うだけのこともあります。)

 「定期旅客機」の「コールサイン」ですが、「会社」の「コールサイン」+「便名」が「コールサイン」で、主な「航空会社」の「コールサイン」(読み方)は下記の通りです。

 日本航空 japan air (ジャパンエア)

 全日空 all nippon (オール ニッポン)

 日本エアシステム air system (エアシステム)

 日本トランスオーシャン航空 J-ocean (ジェイ オーシャン)

 J-AIR j-air (ジェイ エア)

 エアーニッポン ANK air (アンク エア)

 日本エアコミューター commuter (コミューター)

 スカイマークエアラインズ skymark (スカイマーク)

 北海道国際航空 air-do (エア ドゥ)

 ちなみに「定期航空」でない「民間機」は、「通常機体番号」が「コールサイン」となるそうです。

 例・機体番号JA8824 「ジュリエット アルファ エイト エイト ツー フォー」

 「航空無線」の「交信例」の「一部」は、下記の通りです。

 管制承認

 All nippon 81, Cleared to New-Chitose airport via MORIYA 7 Departure,MORIYA, then flight planned route.Maintain FL330.Squake 3065.Read back..

 全日空81便、新千歳への出発を許可する。
 経路は守谷7ディパーチャールート(SID=標準計器出発経路)・守谷無線標識を経てそこから飛行計画通り。
 飛行高度は33000フィート。
 スクォークコード(トランスポンダー=レーダー自動応答装置の識別番号)は3065。
 復唱せよ。

 「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」ですが、「航空科学博物館」「館内」「1階」「多目的ホール」で6月26日(日)13時00分から開催される「催し」で、「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」「費用」ですが、「入館料」のみとなっています。
 「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」の「内容」ですが、「航空機」を「安全」に運航するため、「空港」への「離発着」、「海上」等「航空路」における「飛行」など、様々な「分野」に利用されている「無線」について、わかりやすく説明するそうです。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「航空科学博物館」ならではの「講演会」「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」詳細

 開催日時 6月26日(日) 13時〜

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時(入館締め切り16時半)

 休館日  月曜日(祝日の場合翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」の「講師」ですが、「航空写真家」の「小久保陽一」氏がつとめ、「やさしい航空のはなし」「航空無線の楽しみ」では、「小久保陽一」氏による「撮影」に役立つ「航空無線」の「聞き方」や、「活用法」を通して「航空無線」の「楽しみ方」が講演されるそうです。

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| 地域情報::成田 | 03:02 PM |
「第33回富里スイカロードレース大会」(富里市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「富里市」「富里市立富里中学校」周辺で6月26日(日)に開催されます「第33回富里スイカロードレース大会」です。

 「富里市」は、「千葉県」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のほぼ「中央」に位置している「市」です。
 「富里市」は、「東京都心」から約50km〜60km圏、「世界の空の玄関口」「成田国際空港」(WORLD SKY GATE)(2012年12月10日のブログ参照)からは「西」に約4kmに位置しています。
 「富里市」の「総面積」ですが、5391平方kmとなっており、「東西」約10km、「南北」約11kmで、「富里市」の「総人口」ですが、49985人(「男性」25517人、「女性」24468人)、「世帯数」は22119世帯となっています。
 (2016年5月31日現在)
 「富里市」の「面積」のおよそ68%以上が「山林」および「農地」、「住宅地」は14%程度となっており、「千葉県」では唯一「鉄道路線」のない「市」となっています。

 「富里市」に隣接した「自治体」ですが、「東」は「山武郡」「芝山町」、「西」は「印旛郡」「酒々井町」、「南」は「八街市」、「山武市」、「北」は「成田市」に接しています。
 「富里市」は、上記のように「成田国際空港」に隣接した「市」で、「空港周辺市町」として、「空港」とともに発展してきました。
 「富里市」の「沿革」ですが、昭和60年(1985年)には「印旛郡」「富里町」に、平成12年(2000年)に行われた「国勢調査」の「結果」、「市制施行可能最小人口」(5万人)に達し、平成14年(2002年)に「千葉県内」33番目の「市」として、4月1日に「印旛郡」「富里町」から新しく「富里市」が「市制施行」しています。
 「富里市」は、「明治の大合併」以降、「合併」を行っていない数少ない「自治体」のひとつでもあり、現在「千葉県内」では、「富里市」、「浦安市」、「鎌ヶ谷市」の3市と、「印旛郡」「酒々井町」の1町のみとなっています。

 「富里市」の「地勢」は「南北」に分かれ、「標高」ですが、約40m〜50mとなっており、「富里市」の「中央」より「根木名川」、「高崎川」などの「源」をなしており、豊かな「緑」と、みずみずしい「農」の「恵み」に恵まれた「市」となっています。
 「富里市」の属する「北総地域」の「土壌」は、「関東ローム層」であるために「水はけ」がやや悪く、「気候」についても「梅雨時」の「長雨」や、「夏場」の「高温多湿」など、決して「野菜の栽培」に適しているというわけではありませんが、「富里市」の「農家」の「皆さん」が「土地」に合った「品種の育成」や、「ビニールハウス」等の「施設の導入」、「栽培技術の向上」などの「努力」を行い、「工夫」を重ねています。
 「農家」の「皆さん」の「栽培の革新」により、「富里市」では、「農業」が盛んに営まれており、「農家数」は、平成22年(2010年)2月1日現在で1023戸、「人数」は3789人で、そのうち「すいか」を栽培している「農家」の「数」は、平成23年(2011年)現在おおよそ270戸となっています。
 「富里市」の「農業」ですが、「露地栽培」の「畑」では「すいか」の後に「人参」や「大根」を作り、「ハウス栽培」では「すいか」の後に「トマト」などを生産しています。
 その他にも、「さといも」や、「さつまいも」、「じゃがいも」や「とうもろこし」、「落花生」など、様々な「野菜」が、「順番」に栽培されています。
 また「富里市」には、大きな「川」はありませんが、「川」に近いところは、「水田」として利用しています。

 「富里市」では、特に「すいか栽培」が盛んで、「富里市」の「すいか畑」の「面積」は、平成17年(2005年)現在で「合計」333ha(ヘクタール)あり、「すいか」の「生産高」・「出荷量」ともに「全国2位」を誇っています。
 「富里市」の「すいか農家」の「皆さん」は、おいしい「すいか」を栽培するために、ほとんどの「農家」がひとつの「株」から、1個か2個しか「収穫」をしないそうです。
 「すいか」の「収穫量」ですが、だいたい10a当たり800個くらいで、「収穫」ですが、「すいか」の「出来具合」を確認しながら行い、「農家一軒」あたり一日に、だいたい400個ぐらいのようです。
 「富里市」では、1936年(昭和11年)に「すいか」が「皇室」へ献上された事から、「すいか」の「名産地」としての「名声」が「全国」へ広がり、現在「富里市」を代表する「特産品」「富里すいか」(2011年6月6日のブログ参照)として「収穫」した「すいか」は「JA富里市産直センター」をはじめ、「市場」を通じて「全国各地」に出荷されています。
 「富里すいか」ですが、5月20日ごろに収穫し、「出荷」が始まり、7月15日ぐらいまでで「出荷」は終了し、「最盛期」は、6月20日ごろで、その時期に「富里市」では「富里市すいかまつり」(2016年6月14日・2015年6月12日・2014年6月14日・2013年6月13日・2012年6月13日・2011年6月17日のブログ参照)や、「富里市すいかロードレース大会」(2015年6月20日・2014年6月16日・2013年6月21日・2012年6月19日・2011年6月17日のブログ参照)が開催されています。

 「富里スイカロードレース大会」ですが、「富里」といえば「すいか」、その「すいか」で乾いた「喉(ノド)」を潤(ウルオ)しながら走る「ユニーク」な「ロードレース大会」(フルーツマラソン)です。
 「富里スイカロードレース大会」は、毎年6月下旬の「日曜日」に「富里市」「富里市立富里中学校」周辺で開催される「市民マラソン大会」で、昨今(サッコン)では、「芸能人」が参加されるなど、多くの「メディア」でも取り上げられ、「富里スイカロードレース大会」の「認知度」も上がり、「最長」10kmの「レース」としては「国内最大規模」の計12000人の「募集定員」が「受付開始」数日で埋まってしまうほどの「人気」のある「大会」です。

 今年(2016年)で「33回目」を数える「第33回富里スイカロードレース大会」は、上記のように「回」を重ねるごとに「応募」が殺到している「大会」で、2007年(平成19年)の「第24回大会」では、「過去最多」の15702人が参加、2008年(平成19年)の「第25回大会」から「エントリー」に「定員」(全部門で計13000人)を超えた場合は「抽選」とすることになりました。
 通常の「マラソン大会」等では、「給水所」で「水」や「スポーツドリンク」、「栄養ドリンク」など「水分」を補給していますが、「富里スイカロードレース大会」では、「給水所」に「水」のかわりに「富里市」「名産」の「すいか」が用意されているという「すいかのまち」らしい趣向を凝らし「給スイカ所」の他にも多数の「給水所」も設置されています。

 「第33回富里スイカロードレース大会」の「種目・部門」、「受付定員」、「制限時間」「参加料」は、下記の通りです。

 3km 小学生男子・女子(4年生以上)・中学生男子・女子 定員800名 制限時間30分 参加料2000円

 5km 一般男子・一般女子(16歳から39歳まで)・40歳以上男子・女子 定員2200名 50分 参加料4000円

 10km 一般男子・一般女子(16歳から39歳まで) 定員5000名 制限時間80分 参加料4000円

 10km 40歳以上男子・女子 定員5000名 制限時間80分 参加料4000円

 「第33回富里スイカロードレース大会」では、12レース行われ、下記のような「ロードレース」が行われます。

  1  3km 中学生男子 
  2  3km 中学生女子

  3  3km 小学生男子 (4年生以上)

  4  3km 小学生女子 (4年生以上)

  5  5km 一般男子 (16歳から39歳まで)

  6  5km 一般女子 (16歳から39歳まで)

  7  5km 40歳以上男子

  8  5km 40歳以上女子

  9 10km 一般男子 (16歳から39歳まで)

 10 10km 一般女子 (16歳から39歳まで)

 11 10km 40歳以上男子

 12 10km 40歳以上女子

 「第33回富里スイカロードレース大会」の「ナンバーズカード」・「ランナーズチップ」の「セット」は、「参加案内」と合わせて「事前」に「参加者」の「皆さん」に送付するそうで、「前日」・「当日」の「受付」はないそうです。
 「第33回富里スイカロードレース大会」「ナンバーズカード・ランナーズチップ」「詳細」は、下記の通りです。

 1 送付は6月中旬を予定しております。

 2 大会10日前までナンバーズカード・ランナーズチップが届かない場合や住所変更などがある場合には事前に事務局までご連絡ください。

 3 大会当日にナンバーズカード・ランナーズチップを必ずご持参ください。
 忘れた場合は再発行料(1000円)をご負担いただきます。

 4 マフラータオルをご購入される方は、大会当日に引き換えてください。
 その際に引き換え券を忘れずにご持参ください。

 5 当日参加されない方は、同封の返信用封筒にてランナーズチップをご返却ください。

 「第33回富里スイカロードレース大会」の「大会スケジュール」は、下記の通りです。

  6時45分 参加賞・プログラム等引換 (〜12時00分)
      場所・特設テント (スイカのアドバルーンが目的)

  8時00分 開会式

  8時45分 競技スタート 3km

  9時15分 5km

  9時40分 10km 一般男女

 10時30分 10km 40歳以上男女

 11時50分 競技終了(タイムアップ)

 「競技」終了後、「抽選会」。
 「表彰」は「順位決定」後、随時行います。
 なお「第33回富里スイカロードレース大会」では「記録計測」に「日本陸上競技連盟」「公認」の「ランナーズチップ」を使用、「ランナーズチップ」は必ず「シューズ」に装着、なお「手」に持ったり、「ポケット」に入れたりすると計測できないそうです。
 (完走後、チップは返却)

 「第33回富里スイカロードレース大会」「給水所」ですが、「10kmコース」8ヶ所、「5kmコース」4ヶ所、「3kmコース」1ヶ所となっており、「給スイカ所」ですが、「10kmコース」・「5kmコース」の「残り」1.5km地点に設置されています。
 「第33回富里スイカロードレース大会」の「コース」上の「トイレ」ですが、各「給水所」、「救護所」に設置され、「コース」上の「距離表示」は1kmごと、「無料飲料サービス」として「スイカ」、「麦茶」、「手荷物預かり」(1件・100円)は、「富里社会体育館」、「更衣室」は、「男子更衣室」は「特設テント近く」、「女子更衣室」は「富里中央公民館」、「参加賞」は「Tシャツ」となっています。
 (大会当日、会場にて渡します。)
 「第33回富里スイカロードレース大会」の「表彰」は、下記の通りです。

 1位〜3位

 商品 賞状・トロフィー・スイカ

 表彰場所・時間 本部テント前(表彰式にて授与) ※順位確定後、随時行う。

 4位〜10位

 商品 賞状・トロフィー・スイカ

 表彰場所・時間 賞品テントにてお渡しします。 ※順位確定後、随時行う。

 11位〜20位

 商品 スイカ

 表彰場所・時間 賞品テントにてお渡しします。 ※順位確定後、随時行う。

 「第33回富里スイカロードレース大会」の「コース」ですが、「富里市」「HP」「広報とみさと」6月1日号に記載されていますので、ご参照下さい。
 なお「第33回富里スイカロードレース大会」ですが、「雨天決行」で行われます。
 「第33回富里スイカロードレース大会」「当日」の8時30分〜正午は「交通規制」が行われ、「富里市」では、「警察官」や、「大会役員」の「皆さん」の「指示」に従うなど、「御協力」を呼びかけています。

 「初夏」の「富里」を駆け抜ける「人気」の「フルーツマラソン」「第33回富里スイカロードレース大会」。
 この機会に「富里市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第33回富里スイカロードレース大会」詳細

 開催日時 6月26日(日) 9時15分〜

 開催会場 富里市立富里中学校周辺 富里市七栄652-226

 問合わせ 富里スイカロードレース大会実行委員会事務局 0476-93-1145

 備考
 「第33回富里スイカロードレース大会」では、今年(2016年)も「酒々井プレミアム・アウトレット」(2015年4月12日・2013年4月19日のブログ参照)から「駐車場」の提供をいただき、「ランナー」(5km・10kmの部)の「駐車場」として利用できるそうです。
 「酒々井プレミアム・アウトレット」の「駐車場」ですが、「」「駐車台数」は3100台分もあり、「酒々井IC(シスイインターチェンジ)」(2013年4月12日のブログ参照)から「富里スイカロードレース大会」「会場」まで約1kmと近く、「大会会場」までの「無料シャトルバス」の「運行」が運行されるそうです。
 「第33回富里スイカロードレース大会」「駐車場」は、下記の通りです。

 3kmの部専用駐車場

 富里小学校とナリコー(430台)、(株)カクタ(120台)

 5km・10kmの部駐車場

 酒々井プレミアム・アウトレット駐車場(第1駐車場A・B)(3100台)

 虹のホール富里(100台)

 ※3kmの部専用駐車場では、ゼッケンの提示が必要。

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| 地域情報::成田 | 12:52 PM |
「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」で6月24日(金)・25日(土)に開催されます「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」です。

 「芝山仁王尊」こと「天應山観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)ですが、「山武郡」「芝山町」に鎮座する「天台宗」の「寺院」で、「山号」は「天應山(天応山)」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」を祀っています。
 「天應山観音教寺」は、上述のように「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の「寺院」で、「正式名称」を「天應山観音教寺福聚院」、「開山」から実に1200余年にもなる「県内有数」の「古刹」です。
 「天應山観音教寺福聚院」ですが、「上総国薬師如来霊場」「第28番」(結願)、「神上総国三十三観音霊場」「第33番」(結願)、「東国花の寺百ヶ寺」「千葉6番札所」としても知られています。

 「天應山観音教寺」の「由緒」ですが、奈良時代末期、人皇第四十九代「弘仁天皇」の宝亀11年(780年)の「正月」、「平城京」が「雷火」に襲われ、「皇室擁護」の「寺院」が多く焼失したため、「諸国」に命じて新たに「仏寺」を建てせしめたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天応(天應)元年(781年)「勅命」により、「征東大使」「中納言 藤原継縄」公が、この「布令」の下に「当地」に「寺院」を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に「甍(イラカ)」の「数」を増やし、近隣に八十余字の「子院」を置くに至ったと伝えられています。
 その後「天應山観音教寺」は、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の「崇敬」を受け、許多の「仏田」が寄進され、永く「祈願所」として栄えましたが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の「影響」を受け、「天應山観音教寺」も「全山灰土」と化したと伝えられています。
 やがて江戸時代に入り「天應山観音教寺」は、「徳川幕府」の「庇護」の下、「十万石」の「格式」を持つ「伴頭拝領寺」として、「関東天台」の「中核」となす「寺院」になったそうです。

 「天應山観音教寺」は、「火事泥棒除け」・「厄除け」の「仁王尊天」として、古来より「大江戸」の「庶民」の「信仰」を集めており、「いろは四十八組」の「町火消」が「纏(マトイ)」を「先頭」に競って参詣したと伝えられています。
 また「天應山観音教寺」については、下記のように伝えられています。

 「江戸の商家で芝山のお札を貼らない店(タナ)はない。」

 「天應山観音教寺」「芝山仁王尊」は「黒仁王」といわれ、「火事・泥棒除け」、「子育て」に霊験あらたかで、江戸時代には「成田」の「不動尊」「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)と共に、「江戸庶民」の「信仰」を集めたそうです。
 上述のように江戸時代から「火事・泥棒除けのにおうさん」として「庶民」に絶大な「人気」があったことが伺えます。
 現在でも「天應山観音教寺」には、有名な「新門辰五郎」の「旧・を組」の「記念碑」が、「天應山観音教寺」「境内」に建っており、その「信仰」が今日(コンニチ)まで連綿として伝えられていることが分かります。
 上記のことから「天應山観音教寺」は、「火事除け」・「泥棒除け」の「仁王尊」として知られることから、「天應山観音教寺」は「芝山仁王尊」とも呼ばれています。
 「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」には、鎌倉時代初期に作られた「厄除け」で「有名」な「御本尊」「十一面観世音菩薩」や、「千葉県」の「県指定有形文化財」(建造物)に指定されている「天應山観音教寺」「三重塔」(1955年(昭和30年)12月15日指定)などがあります。

 また「天應山観音教寺」「境内」には、「桜」、「つつじ」、「もみじ」、「椿(ツバキ)」、「菖蒲」など「多種類」の「植物」があり、「古木」に囲まれた広い「境内」は、「七堂釈迦藍」が「甍(イラカ)」を競い「名山」の「面影」を今に伝えています。
 「天應山観音教寺」では、「年中行事」として、「お取子大縁日」、「こどもの日のイベント」、「十七夜講(ジュウシチヤコウ)」(2015年8月8日・2014年8月11日・2013年8月17日・2012年8月15日のブログ参照)が予定されています。

 「フリーマーケット」とは、「参加者」が「自分」が使っていた「小物」などを持ち寄って開催される「市場」で、「ガラクタ市」、「ボロ市」、「フリマ」などとも呼ばれています。
 「フリーマーケット」の「フリー」ですが、「虫」の「蚤(ノミ)」のことで、「フリー」は「free」ではなく「flea」なのだそうです。
 「フリーマーケット」は、「蚤の市(ノミノイチ)」を意味する「英語」「a flea market」からの「外来語」で、「a flea market」は「フランス」「パリ」「郊外」の「ラ・ポルト・ド-サン・クリニャンクール」で開かれる「中古品」の「露店市」の「蚤の市」「marche aux puces」の「訳」で、「英語」の「flea」は、「他の語」に付いて「みすぼらしい」、「汚れた」の「意味」になる「語」で、「古物」を持ち寄ることに由来するそうです。
 「日本」では「フリー」を「自由」と捉(トラ)え「free market」と書かれることも多いようですが、「意図的」に「自由に参加できる市場」といった「意味」を持たせ、「和製英語」として「free market」と表記している場合もあります。
 ただし、「経済用語」で「free market」は「自由市場(ジユウシジョウ)」という「別の意味」で用いられているため、「混乱」を避けるためにも「flea market」と表記する方が好ましいそうです。
 「フリーマーケット」の「ルーツ」となる「パリ」の「蚤の市」はいわゆる「露店市」でありますが、「個人」が販売する「フリーマーケット」の「形」は、「自宅」の「倉庫」で「中古品」を売る「ガレージセール」を発展させたもので、1970年代から「アメリカ西海岸」を中心に広まりました。
 「日本初」の「フリーマーケット」ですが、1979年(昭和54年)10月に「日本フリーマーケット協会」が「大阪」で開催したものといわれています。

 「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」ですが、「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」で開催される「フリーマーケット」(蚤の市)で、「原則」第4金曜日・土曜日に催されています。
 今月の「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」は、6月24日(金)・25日(土)の2日間開催されるそうです。
 「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」の「開催時間」ですが、9時00分から15時00分となっており、「小雨決行」となっています。
 今月の「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」には、30店が出店する予定となっています。
 ちなみに、「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」の「出店料」ですが、「プロ」1000円、「家庭内不用品」1000円、「福祉関係」無料となっており、「飲食物」不可となっています。

 「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」で開催される「来場者」との「ふれあい」も楽しい「フリーマーケット」(蚤の市)「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」詳細

 開催日時 6月24日(金)・25日(土) 9時〜15時

 開催会場 芝山仁王尊 天應山観音教寺 山武郡芝山町芝山298

 問合わせ 芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市事務局 0475-77-2225

 備考
 「芝山仁王尊フリーマーケット&お宝蚤の市」ですが、上記のように「原則」第4金曜日・土曜日に開催されますが、11月のみ第2金曜日・土曜日に開催されるそうです。
 「天應山観音教寺」「境内」には、「宗教法人立」「芝山はにわ博物館」があり、「国指定史跡」「殿塚・姫塚」(2012年6月9日のブログ参照)「出土」の「はにわ」を始め「出土遺物」を一括して展示されています。
 「芝山はにわ博物館」内「はにわ」九点は「千葉県」の「県指定文化財」に指定されており、所蔵する「はにわ」の「量」と「質」とは群を抜いており、「私立」の「博物館」としては「日本一」といわれているそうです。
 また「芝山はにわ博物館」「二階」には「天應山観音教寺」「伝来」の「寺宝」を始め、「仏教美術」を公開しているそうです。

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| 地域情報::成田 | 04:22 PM |
「あじさい祭」(多古町)
 本日ご案内するのは、近隣市「多古町」「正東山日本寺(ニチホンジ)」で6月26日(日)に開催されます「あじさい祭」です。

 「正東山日本寺」(2010年12月30日のブログ参照)は、「香取郡」「多古町」に鎮座する「日蓮宗」の「本山」(由緒寺院)で、「山号」は「正東山」です。
 「正東山日本寺」は、1319年(元応元年)12月1日に開基され、「中山法華経寺」「三世」の「日祐上人」により建立されました。
 「正東山日本寺」の「御本尊」ですが、「釈迦牟尼仏」を祀っており、「日蓮宗」の「名刹」のひとつです。
 「日蓮宗」は昭和16年(1941年)に「本末」を解体したため、現在では、「正東山日本寺」は、「旧本山」、「旧末寺」と呼びならわしています。

 「正東山日本寺」の「歴史」は、下記の通りです。

 1319年(元応元年) 法華経寺・日祐は千葉胤貞より、土地の寄進を受け、高祐山東福寺を建立する。

 1591年(天正19年) 正東山日本寺と改称する。

 1599年(慶長4年)  妙福寺・日円は中村檀林を開檀する。

 1630年(嘉永7年)  身池対論(シンチタイロン)に中村檀林から日充が臨む。

 1872年(明治5年)  学生発布により、中村檀林は廃檀する。

 上述のように「正東山日本寺」は、「仏教史上」有名な「日蓮宗」の「檀林」(学校)の中で、「中村檀林」として慶長4年(1599年)から明治8年(1875年)の「廃檀」に至るまでの270余年「隆盛」を極め、「匝瑳市」「飯高」に鎮座する「飯高檀林」(2011年10月7日・4月22日・2010年10月9日のブログ参照)とともに知られています。
 「中村檀林」は、「日蓮宗三大檀林」(中村、飯高、小西)のひとつに数えられ、「中村檀林」から「奠師法縁」、「親師法縁」(精師法縁、貞師法縁)、「達師法縁」、「境師法縁」、「要師法縁」、「莚師法縁」の「七法縁」が発生したそうです。
 「中村檀林」ですが、「15世」「日円上人」の「学徳」を慕って、時には500人を超える「学僧」が、ここで「討論学習」をしたといわれ、その様子を再現した「新談義絵図講堂」の「図」が残っています。
 「正東山日本寺」の「文化財」ですが、「扁額」、「山門」、「鐘楼」等となっています。
 「正東山日本寺」「山門」ですが、「多古町指定有形文化財」に指定されており、「正東山日本寺」「山門」に掲げられている「正東山」(縦130cm、横50cmの杉材)は「本阿弥光悦」の「真筆」といわれ、「日本三額」のひとつにあげられています。
 (「池上本門寺」、「中山法華経寺」と並んで「関東三額」のひとつといわれています。)
 また「正東山日本寺」の「鐘楼」も、「多古町指定有形文化財」に指定されています。
 なお「正東山日本寺」には「水戸光圀」公ゆかりの「屏風」も所蔵されています。

 「正東山日本寺」では、近年、「境内」に8000株の「紫陽花(アジサイ)」が植えられていて、「紫陽花」の「名所」として「人気」を集めています。
 「正東山日本寺」に「紫陽花」が植えられるようになったのは、昭和59年(1984年)6月に普山した「第336世」「文璋院日親上人」の「代」に「有志」の「方々」による「日本寺奉賛会」が結成され、その「記念」として植樹されたといわれています。
 上述のように「正東山日本寺」「境内」には、これまで「ガクアジサイ」を中心に8000株ほど植栽されていましたが、「正東山日本寺」「境内」「森の中」に「散策路」が新設するにあたり、広く「一般の方」からも「記念植樹」の「形」で「寄付」を募ったそうです。
 そして、2013年(平成25年)に、「正東山日本寺」「境内」の中(森の中)に「あじさい庭園」が開園し、50種類以上(56種類)の珍しい「品種」の「紫陽花」が「散策路」わきに植栽されたそうです。
 「正東山日本寺」では、「記念植樹」には「お祝いごと」などを記入した「ネームプレート」をお付けし、丹精込めて育てているそうです。
 「正東山日本寺」の「紫陽花」ですが、「講堂」に向かう「道」(参道)の「両脇」のまっすぐに伸びた「杉並木」の「足下」に「紫陽花」がうずくまるように咲き誇り、訪れる多くの「参拝者」や、「家族連れ」を楽しませてくれるそうです。

 「正東山日本寺」では、「紫陽花」が色づく6月下旬の「日曜日」に「あじさい祭」を催行され、様々な「催し物」が行われています。
 今年(2016年・平成28年)の「あじさい祭」ですが、6月26日(日)11時00分から16時00分まで「正東山日本寺」を「会場」に開催されます。
 「あじさい祭」の「内容」、「スケジュール」は、下記の通りです。

 あじさい祭

 11時00分〜 正東山日本寺本堂にて献花祭

 12時頃〜  野外ステージにて弾き語りや三線のライブ

 13時00分〜 野外ステージにてウ学級による童話劇

 ちなみに「ウ学級」は、「こどもたちに演劇で笑顔を」を掲げ、活動されている「団体」で、「あじさい祭」では、「家族」で楽しむ「童話劇」「あじさい姫と7人のだるまたち」を行うそうです。
 「あじさい姫と7人のだるまたち」ですが、「原作」は「白雪姫と7人のこびとたち」、「脚本」・「演出」を「宇賀神朝広」氏、「キャスト」「牛水里美」さん、「長塚学」さん、「透子」さん、「岡野優介」さん、「ゆにば」さん、「多根亜希」さん、「井淵俊輔」さん、「宇賀神恵美」さん、「宇賀神明広」さん、「紫竹芳之」さん(演奏)他で開催されるそうです。
 なお「童話劇」「あじさい姫と7人のだるまたち」ですが、「雨天時」の場合は「正東山日本寺」「本堂」にて上演されるそうです。

 「由緒」ある「寺院」「正東山日本寺」で開催されるきれいな「紫陽花」が咲き誇り、楽しい「お芝居」が上演される「催し」「あじさい祭」。
 この機会に「多古町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「あじさい祭」詳細

 開催日時 6月26日(日) 11時〜

 開催会場 正東山日本寺 香取郡多古町南中1820-1

 問合わせ 正東山日本寺 0479-76-3745

 備考
 「あじさい祭」が開催される「正東山日本寺」「境内」では、「紫陽花」などの「販売」も行われるそうです。

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| 地域情報::成田 | 02:39 PM |
「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」(九十九里町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「九十九里町」「片貝中央海岸」で6月26日(日)に開催されます「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」です。

 「九十九里町」は、「山武郡」に属する「まち」であり、「旧・山辺郡」に属していた「まち」で、「名前」の通り「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面しており、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)の「名産地」として知られています。
 「九十九里町」ですが、「千葉県」の「南東部」の「太平洋岸」に位置し、「九十九里浜」で「有名」です。
 「九十九里町」の隣接する「自治体」ですが、「東金市」、「山武市」、「大網白里市」となっています。

 「九十九里町」の「産業」ですが、「漁業」、「水産加工業」、「観光業」、「ガス事業」となっています。
 「九十九里町」の「漁業」ですが、主(オモ)に「イワシまき網漁業」、「小型船」による「ハマグリ漁」、「観光遊漁船」(釣り船)の3種となっており、「九十九里町」の「漁業」は「片貝漁港」を「中心」に営まれています。
 「片貝漁港」は、「山武郡」にある「第4種漁港」で、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)の「中央部」を流れる「作田川」「河口」に位置し、「海岸」近くを走る「千葉県道30号線」「飯岡一宮線」沿いに「市街地」が形成されている「九十九里町」にあります。
 「片貝漁港」は、「避難港」でもあるため、「利用漁船」が「安全円滑」に「出入港」できる「航路」の「確保」が「課題」となっており、また円滑な「輸送機能」を確保するため「幹線道路」との「スムーズ」な「アクセス」を図る「道路」も「課題」となっているそうです。

 「九十九里町」の「水産加工業」ですが、主(オモ)に「カタクチイワシ」を「原料」とした「水産加工業」が行われています。
 「九十九里町」「水産加工業」の「生産品目」ですが、「みりん干し」、「目刺し」、「丸干し」、「煮干」、「ごま漬け」、「野菜漬け」となっています。
 なお、「九十九里町」の「地元」で採れる「岩ガキ」(2012年5月28日のブログ参照)は、「大ぶり」で「味」が「クリーミー」だそうです。

 「九十九里町」の「観光業」ですが、「海水浴」、「サーフィン」、「海釣り」などがあります。
 1970年代頃まで「九十九里」における「観光」といえば、「夏季」の「海水浴」が「中心」で、「浜沿い」には「季節民宿」が営まれていました。
 しかし、「自動車」の「普及」と「交通網」の「整備」により、「九十九里」は「首都圏」からの「日帰り圏」となってしまい、現在ではほとんど見られなくなったそうです。
 「九十九里町」の「サーフィン」ですが、「四季」を通じて「質」の良い「波」を求めて、たくさんの「サーフィン」がやってくる「人気サーフスポット」となっています。
 「九十九里町」の「ガス事業」ですが、「九十九里平野」の中にあるため、「天然ガス」が噴出しており、「九十九里町」の「町内」の「ガス供給」は「まち」が行っています。

 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」の4つの「海水浴場」(「片貝」、「不動堂」、「真亀」、「作田」)のひとつで、「子ども」から「お年寄り」まで「安心」して遊べるよう、「自然環境」が整備されています。
 「片貝中央海岸」では、4月下旬には、「本州一」早い「海開き」が開かれています。
 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」で「元日」に行われる「元旦祈願祭」(2013年12月27日のブログ参照)の「会場」としても知られている「海水浴場」です。

 「九十九里町」では、「九十九里町」「小関」に、「九十九里」の「魅力発信基地」「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」(2015年4月20日のブログ参照)を2015年(平成27年)4月24日(金)からオープンしました。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」ですが、「九十九里町」の「地元産」の「新鮮」な「魚介類」や「野菜」などを直売する「施設」(海の駅)で、「フードコート」も備えているそうで、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は、「九十九里町」が「施設」を造り、「九十九里町商工会」が運営するそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「車」での「アクセス」ですが、「東金九十九里有料道路」「九十九里IC(インターチェンジ)」「下車」、「県道30号線」を「銚子方面」に向かって9分(5.7km)となっています。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」ですが、「直売コーナー」、「食体験コーナー」、「いわし資料館」があり、「直売コーナー」では、「地元」の「魚介類」や「農産物」などの「特産品」の「販売」、「食体験コーナー」では、「地元」の「食材」を使った「お食事」、「いわし資料館」では、「いわし」の「文化」が学べるそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」では、「特産」の「イワシ」をPRしようと、3000匹が回遊する「大水槽」も設置、2004年(平成16年)の「天然ガス爆発事故」の「影響」で「休館」していた「いわし博物館」の「展示資料」を活用した「いわし資料館」では、「イワシ漁」で栄えた「九十九里町」の「歴史」や、「文化」も紹介する「展示」も「復活」するそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は、「太平洋」に面した「片貝漁港」に隣接する約6360平方mの「敷地」にでき、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は「鉄骨2階建て」で、「延床面積」は約1060平方m、「1階」には「地元」の「農林水産物」など72店が出品する「直売所」のほか、上記のように約3千匹の「マイワシ」が泳ぐ「巨大水槽」などを備えた「いわし資料館」を開設(併設)、2階には「海」を見ながら「地元食材」(海鮮丼等)を味わえる「フードコート」があり、「デッキ」から「海」と、「港」(片貝漁港)が一望できるそうです。
 なお「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「建設費」ですが、3億4200万円となっており,「駐車場」ですが、「臨時」も含め約100台分となっています。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「営業時間」ですが、9時00分から18時00分までとなっており、「年中無休」で営業されるそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「施設概要」は、下記の通りです。

 名  称 海の駅九十九里

 住  所 山武郡九十九里町小関2347-93

 問合わせ 0475-76-1734

 構造階数 鉄骨造・2階建

 敷地面積 6359平方m

 延床面積 1057平方m

 「九十九里ふるさと自然公園センター」ですが、「九十九里町」「片貝中央海岸」にある「九十九里町」の「自然」について知ることができる「施設」です。
 「九十九里ふるさと自然公園センター」ですが、「九十九里浜」の「四季」の「自然」と、「生活」を「ビデオ」などで紹介する「展示室」となっています。
 「九十九里ふるさと自然公園センター」の「開館時間」ですが、9時00分から16時00分までとなっており、「休館日」ですが、「年末年始」、「月曜日」となっています。

 「九十九里町」では、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の近く「片貝中央海岸」を「会場」に6月26日(日)に「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」を開催するそうです。
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」ですが、6月26日(日)10時00分から行われ、11時00分から「浜辺で遊ぼう!!」となっており、「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「集合場所」ですが、「ふるさと自然公園センター」前集合となっています。
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「浜辺で遊ぼう!!」ですが、「ゲーム」や、「クイズ」をしながら「海の生き物」の「コト」を知ることができるようになるそうです。
 なお「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」に参加される「お子様」ですが、「着替え」を持参されることをお勧めしています。
 また「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」に参加される「方」ですが、「片貝南側駐車場」に「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「参加」と伝えると「無料」で駐車できるそうです。

 「九十九里浜」の「中央」「片貝中央海岸」で開催される「ビーチクリーンイベント」「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」。
 この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」詳細

 開催日時 6月26日(日) 10時〜

 開催会場 片貝中央海岸 山武郡九十九里町片貝

 問合わせ 九十九里町観光協会 0475-76-9449

 備考
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」ですが、「雨天」の場合は、「中止」となっているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3014 |
| 地域情報::九十九里 | 05:02 PM |
「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」(九十九里町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「九十九里町」「片貝中央海岸」で6月26日(日)に開催されます「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」です。

 「九十九里町」は、「山武郡」に属する「まち」であり、「旧・山辺郡」に属していた「まち」で、「名前」の通り「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面しており、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)の「名産地」として知られています。
 「九十九里町」ですが、「千葉県」の「南東部」の「太平洋岸」に位置し、「九十九里浜」で「有名」です。
 「九十九里町」の隣接する「自治体」ですが、「東金市」、「山武市」、「大網白里市」となっています。

 「九十九里町」の「産業」ですが、「漁業」、「水産加工業」、「観光業」、「ガス事業」となっています。
 「九十九里町」の「漁業」ですが、主(オモ)に「イワシまき網漁業」、「小型船」による「ハマグリ漁」、「観光遊漁船」(釣り船)の3種となっており、「九十九里町」の「漁業」は「片貝漁港」を「中心」に営まれています。
 「片貝漁港」は、「山武郡」にある「第4種漁港」で、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)の「中央部」を流れる「作田川」「河口」に位置し、「海岸」近くを走る「千葉県道30号線」「飯岡一宮線」沿いに「市街地」が形成されている「九十九里町」にあります。
 「片貝漁港」は、「避難港」でもあるため、「利用漁船」が「安全円滑」に「出入港」できる「航路」の「確保」が「課題」となっており、また円滑な「輸送機能」を確保するため「幹線道路」との「スムーズ」な「アクセス」を図る「道路」も「課題」となっているそうです。

 「九十九里町」の「水産加工業」ですが、主(オモ)に「カタクチイワシ」を「原料」とした「水産加工業」が行われています。
 「九十九里町」「水産加工業」の「生産品目」ですが、「みりん干し」、「目刺し」、「丸干し」、「煮干」、「ごま漬け」、「野菜漬け」となっています。
 なお、「九十九里町」の「地元」で採れる「岩ガキ」(2012年5月28日のブログ参照)は、「大ぶり」で「味」が「クリーミー」だそうです。

 「九十九里町」の「観光業」ですが、「海水浴」、「サーフィン」、「海釣り」などがあります。
 1970年代頃まで「九十九里」における「観光」といえば、「夏季」の「海水浴」が「中心」で、「浜沿い」には「季節民宿」が営まれていました。
 しかし、「自動車」の「普及」と「交通網」の「整備」により、「九十九里」は「首都圏」からの「日帰り圏」となってしまい、現在ではほとんど見られなくなったそうです。
 「九十九里町」の「サーフィン」ですが、「四季」を通じて「質」の良い「波」を求めて、たくさんの「サーフィン」がやってくる「人気サーフスポット」となっています。
 「九十九里町」の「ガス事業」ですが、「九十九里平野」の中にあるため、「天然ガス」が噴出しており、「九十九里町」の「町内」の「ガス供給」は「まち」が行っています。

 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」の4つの「海水浴場」(「片貝」、「不動堂」、「真亀」、「作田」)のひとつで、「子ども」から「お年寄り」まで「安心」して遊べるよう、「自然環境」が整備されています。
 「片貝中央海岸」では、4月下旬には、「本州一」早い「海開き」が開かれています。
 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」で「元日」に行われる「元旦祈願祭」(2013年12月27日のブログ参照)の「会場」としても知られている「海水浴場」です。

 「九十九里町」では、「九十九里町」「小関」に、「九十九里」の「魅力発信基地」「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」(2015年4月20日のブログ参照)を2015年(平成27年)4月24日(金)からオープンしました。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」ですが、「九十九里町」の「地元産」の「新鮮」な「魚介類」や「野菜」などを直売する「施設」(海の駅)で、「フードコート」も備えているそうで、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は、「九十九里町」が「施設」を造り、「九十九里町商工会」が運営するそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「車」での「アクセス」ですが、「東金九十九里有料道路」「九十九里IC(インターチェンジ)」「下車」、「県道30号線」を「銚子方面」に向かって9分(5.7km)となっています。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」ですが、「直売コーナー」、「食体験コーナー」、「いわし資料館」があり、「直売コーナー」では、「地元」の「魚介類」や「農産物」などの「特産品」の「販売」、「食体験コーナー」では、「地元」の「食材」を使った「お食事」、「いわし資料館」では、「いわし」の「文化」が学べるそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」では、「特産」の「イワシ」をPRしようと、3000匹が回遊する「大水槽」も設置、2004年(平成16年)の「天然ガス爆発事故」の「影響」で「休館」していた「いわし博物館」の「展示資料」を活用した「いわし資料館」では、「イワシ漁」で栄えた「九十九里町」の「歴史」や、「文化」も紹介する「展示」も「復活」するそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は、「太平洋」に面した「片貝漁港」に隣接する約6360平方mの「敷地」にでき、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」は「鉄骨2階建て」で、「延床面積」は約1060平方m、「1階」には「地元」の「農林水産物」など72店が出品する「直売所」のほか、上記のように約3千匹の「マイワシ」が泳ぐ「巨大水槽」などを備えた「いわし資料館」を開設(併設)、2階には「海」を見ながら「地元食材」(海鮮丼等)を味わえる「フードコート」があり、「デッキ」から「海」と、「港」(片貝漁港)が一望できるそうです。
 なお「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「建設費」ですが、3億4200万円となっており,「駐車場」ですが、「臨時」も含め約100台分となっています。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「営業時間」ですが、9時00分から18時00分までとなっており、「年中無休」で営業されるそうです。
 「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の「施設概要」は、下記の通りです。

 名  称 海の駅九十九里

 住  所 山武郡九十九里町小関2347-93

 問合わせ 0475-76-1734

 構造階数 鉄骨造・2階建

 敷地面積 6359平方m

 延床面積 1057平方m

 「九十九里ふるさと自然公園センター」ですが、「九十九里町」「片貝中央海岸」にある「九十九里町」の「自然」について知ることができる「施設」です。
 「九十九里ふるさと自然公園センター」ですが、「九十九里浜」の「四季」の「自然」と、「生活」を「ビデオ」などで紹介する「展示室」となっています。
 「九十九里ふるさと自然公園センター」の「開館時間」ですが、9時00分から16時00分までとなっており、「休館日」ですが、「年末年始」、「月曜日」となっています。

 「九十九里町」では、「海の駅九十九里(SEASIDE PLAZA)」の近く「片貝中央海岸」を「会場」に6月26日(日)に「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」を開催するそうです。
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」ですが、6月26日(日)10時00分から行われ、11時00分から「浜辺で遊ぼう!!」となっており、「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「集合場所」ですが、「ふるさと自然公園センター」前集合となっています。
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「浜辺で遊ぼう!!」ですが、「ゲーム」や、「クイズ」をしながら「海の生き物」の「コト」を知ることができるようになるそうです。
 なお「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」に参加される「お子様」ですが、「着替え」を持参されることをお勧めしています。
 また「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」に参加される「方」ですが、「片貝南側駐車場」に「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」「参加」と伝えると「無料」で駐車できるそうです。

 「九十九里浜」の「中央」「片貝中央海岸」で開催される「ビーチクリーンイベント」「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」。
 この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」詳細

 開催日時 6月26日(日) 10時〜

 開催会場 片貝中央海岸 山武郡九十九里町片貝

 問合わせ 九十九里町観光協会 0475-76-9449

 備考
 「親子でビーチクリーン99 in KATAKAI BEACH」ですが、「雨天」の場合は、「中止」となっているそうです。

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