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「天空に舞うハープの調べ」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」「西棟」1階で6月25日(金)に開催されます「天空に舞うハープの調べ」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(「操縦席」に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白くスタイリッシュな「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を間近に眺め、迫力ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を「参考」に離着陸する「ジャンボ」を見ることができます。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、下記の通りです。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年)  入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 2015年(平成27年) 6月20日 博物館敷地内に「航空科学博物館バスターミナル」を開設。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」「様々」な「催し」、「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「ハープ」(英・harp)は、「西洋音楽」で用いられる「弦鳴楽器」です。
 「ハープ」ですが、「弦鳴楽器」の5分類の内「ハープ属」に属します。
 「ハープ」は、「楽器用法」としては「弦楽器」に属し、「弓」を使わずにもっぱらはじいて「音」を出すため、「撥弦楽器」に分類されます。
 なお、「オーケストラ」においては、「弦楽器」の「主体」となる「ウ゛ァイオリン属」の「楽器」と、「音色」も「奏法」も大きく異なるため、「弦楽器群」の「楽器」のひとつとしてではなく、「挿入楽器」として扱われるそうです。
 「日本語」では「竪琴(タテゴト)」と呼ばれる「楽器群」に含まれます。

 「ハープ」ですが、「共鳴胴」の「両端」に2本の「棹」を立て、2本の「先」を結び、「棹」のうちの「曲線状」になった「方」と、「共鳴胴」との間に平行に「弦」を並べて張るそうです。
 「ハープ」の「弦」の「数」は数十本に及び、この「弦」を「指」で弾いて演奏します。
 「ハープ」は、最も古い「楽器」のひとつで、「同種」の「楽器」は「世界各地」に分布しており、「アイリッシュ・ハープ」、「アルパ」がさの「例」だそうです。
 「ワーグナー」「作曲」、「楽劇」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」において、「ベックメッサー・ハープ」が使われ、これは「小型」の「ハープ」であり、「古楽器」に近く、なお、「ブルースハープ」は、「ハーモニカ」の「俗称」で、「ハープ」との「直接」の「関連」はないそうです。

 「ハープ」の「起源」ですが、「狩人」の「弓」ではないかと考えられています。
 最も古い「ハープ」の「記録」は紀元前4000年の「エジプト」と、紀元前3000年の「メソポタミア」のものではないかと言われています。
 古代の「叙事詩」や、「エジプト」の「壁画」に現れ、「世界中」の多くの「音楽文化」で発展し、「独自」の「展開」を遂げました。
 「聖書」にも「ハープ」は登場し、「ダビデ王」が最も「著名」な「ミュージシャン」でありますが、実際にはその「ハープ」は「kinnor」と呼ばれ、「十弦」の「一種」の「リラ」でした。
 「レバーハープ」(lever harp)は「演奏中」に「キーチェンジ」を可能にするもので、17世紀の「後半」に生まれたそうで、これが発展し、「近代的」な「コンサートハープ」が生まれたそうです。

 現代の「西洋音楽」の「演奏」や、「オーケストラ」、「室内楽」などで広く用いられている「ハープ」は、「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」であり、これは、主に47本の「弦」を「変ハ長調全音階」で張り(半音低く調律された白鍵のみのピアノのイメージ)、7本の「ペダル」(上から順にフラット、ナチュラル、フラット)を「足」で操作することにより、「各オクターブ」の「ハ」、「ニ」、「ホ」、「ヘ」、「ト」、「イ」、「ロ」それぞれの「弦」を同時に「半音」上げたり、「全音」上げたりできるようになっている「ハープ」です。
 「全音階ハープ」を「転調」などに対応できるようにするため、「楽器職人」「セバスチャン・エラール」等により作られました。
 この「仕組み」により、様々な「調」を演奏することができますが(調によっては異名同音的に)、どんなに熟練しても「ペダル」の「操作」を全くの瞬時に行うことは「不可能」であるため、「オーケストラ」などでは2人で演奏することによって、「ペダル操作」の「不完全さ」を補うことがあります。
 また、「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」に代わる「楽器」として、「半音」ごとに「弦」が張られた「クロマティック・ハーブ」というものも19世紀に作られたそうですが、結局は廃れてしまったそうです。
 「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」の「音域」は6オクターブ半を持ち、「最高音」は「中央」「ハ」の3オクターブ半上の「変ト」(ペダルで嬰トになる)、「最低音」は「中央」「ハ」の3オクターブ下の「変ハ」です。
 「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」は、いちばん「高音」から0オクターブ(2音のみ)、1オクターブから7オクターブ(3弦のみ)と数えます。
 「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」の「弦」には「識別」のために「色」が付けられており、「各オクターブ」の「ハ」(C)の「音」が「赤」、「ヘ」(F)の「音」が「青」(黒)となっています。

 「著名」な「ハープ」の「楽曲」・「ハープ」の「特徴的」な「楽曲」は、下記の通りです。

 「ハープ単独による楽曲」

 C・P・E・バッハ ハープソナタト長調

 ボクサ モーツァルトの主題による変奏曲

 サン=サーンス 幻想曲Op.95

 フォーレ 即興曲変ニ長調Op.86、塔の中の王妃Op.110

 カプレ 2つの嬉遊曲

 タイユフェール ハープ・ソナタ

 ヒンデミット ハープ・ソナタ

 プリテン ハープのための組曲Op.83

 ダマーズ 2台のハープのためのソナチネ

 「室内楽曲」(ハープと他の楽器による)

 サン=サーンス 幻想曲Op.124(ウ゛ァイオリンとハープ)

 ドピュッシー フルート、ウ゛ィオラとハープのためのソナタ

 ラウ゛ェル 序奏とアレグロ

 ウ゛ィラ=ロボス 神秘的な六重奏曲

 イベール ウ゛ァイオリン、チェロ、ハープのための三重奏曲

 「協奏曲」

 ヘンデル ハープ協奏曲変ロ長調Op.4-6

 ディッタースドルフ ハープ協奏曲イ長調

 クルムフォルツ ハープ協奏曲(全6曲)

 モーツァルト フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299(297c)

 ボアエルデュー ハープ協奏曲ハ長調

 ボクサ ハープ協奏曲

 ライネッケ ハープ協奏曲ホ短調Op.182

 ブルッフ スコットランド幻想曲変ホ長調Op.46(ハープに第2の独奏者に等しい役割が与えられている)

 ドピュッシー 神聖な舞曲と世俗的な舞曲(クロマティック・ハーブのための作品)

 ピエルネ ハープと管弦楽のためのコンチェルトシュテュックOp.39

 グリエール ハープ協奏曲変ホ長調Op.74

 ピツェッティ ハープ協奏曲変ホ長調

 ウ゛ィラ=ロボス ハープ協奏曲

 タイユフェール コンチェルティーノ

 ロドリーゴ セレナータ協奏曲

 ジョリウ゛ェ ハープと室内管弦楽のための協奏曲

 フランセ 2台のハープと弦楽のための協奏曲

 「声楽曲」

 ブリテン キャロルの祭典Op.28

 「現代」の「著名」な「ハープメーカー」は、下記の通りです。

 サルウ゛ィ・ハープ(Salvi Harps)

 ライオン&ヒーリー・ハープ(Lyon&Healy Harps)

 ウ゛ィーナス・ハープ(Venus Harps)-W&W MUSICAL INSTRUMENT社の登録商標

 カマック・ハープ(Camac Harp)

 ホルンガッハ・ハープ(Horngacher Harps)

 青山ハープ(Aoyama Harps)

 この度(タビ)「航空科学博物館」では、「弦鳴楽器」「ハープ」の「演奏会」「天空に舞うハープの調べ」を開催するそうです。
 「天空に舞うハープの調べ」ですが、6月25日(土)の12時00分からと、15時00分からの1日2回行われる「演奏会」で、「航空科学博物館」「西棟」1階を「会場」に開催されます。
 「天空に舞うハープの調べ」の「演奏者」ですが、「Yasuko」さんで、「天空に舞うハープの調べ」ですが、「航空科学博物館」「入館料」のみの「費用」で鑑賞できる「ハープ」の「演奏会」となっています。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「ハープ」の「演奏会」「天空に舞うハープの調べ」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「天空に舞うハープの調べ」詳細

 開催日時 6月25日(土) 13時〜

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時(入館締め切り16時半)

 休館日  月曜日(祝日の場合翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」ですが、「夏休み」(7月12日から8月31日まで)は「無休」だそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3020 |
| 地域情報::成田 | 10:01 AM |
「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」で6月21日(火)〜6月25日(土)の期間開催されます「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の3町1村が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
 現在の「銚子市」の「人口」ですが、64804人となっており、「世帯数」は27595世帯となっています。
 (2016年(平成28年)4月1日現在)

 「銚子市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
 「銚子市」は、「東京」から100km圏内、「関東平野」の「最東端」に位置し、「北」は「利根川」、「東」と「南」は「太平洋」に面しています。
 「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を中心に発展した「観光都市」です。
 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(「標高」73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)に適しています。

 「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2016年3月15日・2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 「銚子市」は、上記のように「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、上記のように「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
 「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)、「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)等となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「利根川」「河口」近くにあり、「銚子漁港」を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
 「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
 「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」や、「日本一」の「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
 なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
 また「銚子ポートタワー」1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
 なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。

 「水産物卸売センターウォッセ21」は、「銚子市」「川口町」に平成3年(1991年)6月23日にオープンした「銚子市」の「第3セクター」「銚子水産観光株式会社」が9億2千万円をかけて建設した「海産物の販売」や「銚子の特産品」を「紹介」・「販売」をしている「観光商業施設」です。
 「水産物卸売センターウオッセ21」では、オープン当初、15軒の「海産物業者」が出店していたそうで、現在、「水産物卸売センターウオッセ21」には、14店舗の「店」と、「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」に「シーフードレストランうおっせ」が営業しています。
 「水産物卸売センターウオッセ21」ですが、「Aブロック商店街」と「Bブロック商店街」からなり、それぞれの「店ごと」に「逸品」が揃っています。

 「水産物卸売センターウオッセ21」「Aブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 活きな魚や網元 久保甚

 水産加工品 つじの

 無形文化財 銚子ちぢみ (2012年1月11日のブログ参照)

 食事どころ 魚座屋

 海産物全般 ヤマワカ

 練り物・磯揚げ 嘉平屋 (2010年9月4日のブログ参照)

 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Bブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 旬味処 たかね

 キッチンライフ 銚子東洋

 味処 まほろば

 濡れせん・銚子地酒 海風 (2011年12月11日のブログ参照)

 高級干物 一政

 ふるさとの味 しだや

 さかな工房 かねまた水産

 干物工房 あてんぼう

 となっています。

 「水産物卸売センターウオッセ21」の「Aブロック商店街」、「Bブロック商店街」で買った「商品」は「宅急便」で送ることができるので、「クーラーバック」がなくても安心なのだそうです。
 また「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」には、上記のように「シーフードレストランうおっせ」があり、「ウオッセ21」の「中庭」には、「中庭休憩所」、「自動販売機コーナー」があります。

 本年(2016年・平成28年)6月23日(木)に「開業25周年」を迎える「銚子の人気観光スポット」「銚子ポートタワー」では、「日頃」の「ご愛顧」、「開業25周年」を記念、感謝して「記念イベント」「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」を開催します。
 「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工してから「四半世紀」、「銚子市」の「観光名所」のひとつとして誕生した「銚子ポートタワー」。
 この度(タビ)「銚子ポートタワー」の「開業25周年」を記念して「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」を6月21日(火)から6月25日(土)までの「期間」開催するそうです。
 「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」「イベント内容」ですが、「銚子ポートタワー」「展望室入場券特別割引」、「銚子ポートタワー開業25周年記念グッズプレゼント」、「ラッキーチケットナンバーズ」、「開業25周年記念オリジナルジグゾーパズル特別販売」となっています。

 「銚子ポートタワー」「展望室入場券特別割引」ですが、「期間中」に行われ、「銚子ポートタワー」の「通常料金」が「大人」380円が250円の「割引料金」となり、「小中学生」も「通常」200円のところ150円での「割引料金」での「入館」となっています。

 「銚子ポートタワー開業25周年記念グッズプレゼント」ですが、「銚子ポートタワー」「開業日」6月23日(木)に、「銚子ポートタワー」「展望室」「入館」の「お客様」「先着」250名様に「銚子ポートタワー開業25周年記念グッズ」をプレゼントするそうです。

 「ラッキーチケットナンバーズ」ですが、「期間中」購入した「銚子ポートタワー」「展望室」「入場券」に印字されている「数字」と、「銚子ポートタワー」「展望室」に掲示されている「数字」が一致したら「タワーオリジナルグッズ」をプレゼントするそうです。

 「開業25周年記念オリジナルジグゾーパズル特別販売」ですが、「銚子ポートタワー」で現在販売されている「開業25周年記念オリジナルジグゾーパズル」を下記の「特別価格」で販売するそうです。

 通常 1080円 を 特別価格 800円

 「銚子」の「人気展望スポット」「銚子ポートタワー」で開催される「銚子ポートタワー」の「開業25周年」を記念して開催される「記念イベント」「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「銚子ポートタワー開業25周年記念イベント」詳細

 開催期間 6月21日(火)〜6月25日(土)

 開催時間 8時半〜17時半 (入館受付は閉館30分前)
 (6月25日は18時半まで)

 開催会場 銚子ポートタワー 展望室 銚子市川口町2-6385-267

 入館料  (通常料金)大人380円 (通常料金)小・中学生200円 (通常料金)65歳以上330円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「銚子」の「お土産」として「人気」の「濡れ煎餅」(2011年9月9日のブログ参照)ですが、「路地裏の柏屋」の「濡れ煎餅」(2011年9月12日のブログ参照)、「イシガミ」の「濡れ煎餅」(2011年12月2日のブログ参照)、「炭火手焼きせんべい福屋」の「濡れ煎餅」(2011年9月27日のブログ参照)、「銚子電鉄」の「濡れ煎餅」(2011年10月29日のブログ参照)が有名ですが、「銚子ポートタワー」「隣地」にある「水産物卸売センター」「ウオッセ21」にも、「濡れ煎餅」を販売している「地酒と濡れ煎餅の店 海風」(2011年12月11日のブログ参照)があります。
 この度(タビ)「地酒と濡れ煎餅の店 海風」では、「日曜日」「限定」で「濡れ煎餅」「カレー味」を販売しているそうです。
 「濡れ煎餅」「カレー味」ですが、「醤油ベース」の「カレー味」で、一口食べると「スパイシー」な「カレー」の「香り」と、「味」が広がり、あとから「醤油」の「味」がほんのりと追いかけてくるそうです。
 なお「濡れ煎餅」「カレー味」ですが、「店頭」で「焼きたて」のみの「販売」となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3011 |
| 地域情報::銚子 | 10:25 AM |
「父の日プレゼント」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で6月19日(日)に開催されます「父の日プレゼント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、「主」に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」ですが、下記の通りとなっています。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「父の日」ですが、「父」に「感謝」を表す「日」です。
 「父の日」は、1909年(明治42年)に「アメリカ」・「ワシントン州」「スポケーン」の「ソノラ・スマート・ドッド」(Sonora Smart Dodd)が、「男手」1つで「自分」を育ててくれた「父」を讃えて、「教会」の「牧師」にお願いして「父の誕生月」である6月に「礼拝」をしてもらったことが「きっかけ」といわれています。
 「彼女」が幼い頃「南北戦争」が勃発。
 「父」「ウィリアム」が招集され、「彼女」を含む「子供」6人は「母親」が育てることになりますが、「母親」は「過労」が元で「ウィリアム」の「復員後」まもなく亡くなったそうです。
 以来「男手」1つで育てられましたが、「ウィリアム」も「子供達」が皆成人した後、亡くなったそうです。

 最初の「父の日」の「祝典」は、その翌年の1910年(明治43年)6月19日に「スポケーン」で行われたそうです。
 当時すでに「母の日」が始まっていたため、「彼女」は「父の日」もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と「牧師教会」へ嘆願して始まりました。
 1916年(大正5年)、「アメリカ合衆国」「第28代」「大統領」「ウッドロー・ウィルソン」は、「スポケーン」を訪れて「父の日」の「演説」を行い、これにより「父の日」が認知されるようになったそうです。
 1966年(昭和41年)、「アメリカ合衆国」「第36代」「大統領」「リンドン・ジョンソン」は、「父の日」を称賛する「大統領告示」を発し、6月の第3日曜日を「父の日」に定め、1972年(昭和47年)になり、「アメリカ」では「正式」に「国の記念日」に制定されました。
 「母の日」の「花」が「カーネーション」なのに対し、「父の日」の「花」は「バラ」で、「ソノラ・スマート・ドッド」が、「父の日」に「父親」の「墓前」に白い「バラ」を供えたからとされています。
 1910年の最初の「祝典」の際には、「YMCA」の「青年」が、「父」を讃えるために、「父」が「健在」の「者」は赤い「バラ」、亡くなった「者」は白い「バラ」を身につけたと伝えられています。

 「台湾」の「父の日」(父親節)ですが、8月8日です。
 これは、「パパ」と「八八」の「中国語」の「発音」が同じであることに由来しています。
 「ブラジル」では、「母の日」の3ヶ月後の8月第2日曜日が「父の日」(Dia dos Pais)で、ただし、「国」の「休日」ではないそうです。
 「ブラジル」の「父の日」ですが、1950年代に「Sylvio Bhering」が、「聖ヨアキム」を彰して提唱したそうです。
 「ロシア」では、2月23日が「祖国防衛の日」とされ、「軍人・退役軍人」に感謝する他に、「父親」・「夫」・「男性」に感謝する「日」となっています。
 これは対となる「母親」・「妻」・「女性」の「日」は、3月8日の「国際女性デー」です。
 元は「ソ連」の「祝日」で、1918年(大正7年)2月23日に「赤軍」が「初」の「単独戦闘」に勝利したことを記念し「赤軍の日」として制定され、1949年(昭和24年)に「ソビエト陸海軍の日」と改名され、「ソ連」「崩壊後」の2002年(平成14年)に、現在の「名称」で「ロシアの祝日」となりました。
 「イタリア」や、「スペイン」など「カトリック系」の「国」では、3月19日「聖ヨセフの日」が「父の日」です。
 「ドイツ」では、「国」の「休日」である「昇天日」(「復活祭」の39日後の「木曜日」で、早ければ4月30日、遅ければ6月2日)が、「父の日」(Vatertag)でもあり、「男の日」(Mannertag)や、「紳士の日」(Herrentag)とも呼ばれています。

 「父の日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」の「企画」で、6月19日(日)9時00分から行われます。
 「父の日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で1000円以上「お買い上げ」の「お父様」に、「納豆」3ヶ入り「1パック」をプレゼントとなっています。
 なお「父の日プレゼント」ですが、「先着」200名様となっています。

 「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「父の日」の「企画」「父の日プレゼント」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「父の日プレゼント」詳細

 開催日時 6月19日(日) 9時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」の「隣」の「敷地」には、「飯塚沼農村公園」があり、「ふれあいパーク八日市場」「本館」を抜けて行くことが出来ます。
 「飯塚沼農村公園」ですが、1.9ha(ヘクタール)の「敷地」を有し、「夏」には「見事」な「ハス」の「花」が咲く「公園」で、「農村」の「環境整備」として、設置されたそうです。
 「飯塚沼農村公園」には、「調整池」、「せせらぎ水路」、「あずまや」、「遊具」、それらを結ぶ「遊歩道」のある「公園」になっています。
 「飯塚沼農村公園」は、「ふれあいパーク八日市場」とは「橋」で結ばれており、「買い物しながらちょっとお散歩」という「方」にも「最適」な「スポット」となっています。

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| 地域情報::匝瑳 | 09:50 AM |
「ジャガイモ収穫とジャガイモ料理」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で6月19日(日)に開催されます「ジャガイモ収穫とジャガイモ料理」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(オゴソ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「ジャガイモ」(馬鈴薯、英名・potato、学名・Solanum tuberosum L.)は、「ナス科ナス属」の「植物」で、「地下茎」を「食品」として利用しています。
 「ジャガイモ」は、上記のように「地下」の「茎」の「部分」(塊茎(カイケイ))を「食用」にし、「ジャガイモ」は、「加熱調理」して食べられるほかに、「デンプン原料」としても利用されます。
 「ジャガイモ」は、「比較的」に「保存」すると「発芽」しやすいため、涼しい場所での「保管」が望ましく、「ジャガイモ」の「芽」や、「緑化」した「塊茎」には、「毒性成分」「ポテトグリコアルカノイド」(「ソラニン」など)が多く含まれ、「中毒」の元となっています。

 「ジャガイモ」の「原産」は、「南米アンデス山脈」の「高地」といわれ、16世紀には、「スペイン人」により「ヨーロッパ」にもたらされました。
 このとき「運搬中」の「船内」から「芽」が出たものを食べて、「毒」にあたった為、「ジャガイモ」は「悪魔の食物」と呼ばれたそうです。
 「日本」の「ジャガイモ」ですが、当時は「観賞用」として「栽培」されていたといわれています。
 「ジャガイモ」ですが、「日本」では、「男爵薯」および「メークイン」の「二大品種」が広く栽培されています。
 「ジャガイモ」は、「北海道」が「最大」の「生産地」で、「夏」の「終わり」から「秋」にかけて収穫され、「北海道」に次ぐ「大産地」である「九州」の「長崎」では、「秋」に植え付けて「冬」に収穫するのに加えて、「冬」に植え付けて「春」に収穫する「二期作」が行われているそうです。

 「ジャガイモ」ですが、「日本」では「呼び名」も様々であり、これは、「芋」というとたいていの「人」が「ジャガイモ」、「サツマイモ」、「サトイモ」のいずれかを思い浮かべるほどに「ポピュラー」な「食材」であることを反映したものともいえます。
 「ジャガイモ」という「呼び名」について、「じゃが」とは、「ジャワ」の「ジャガトラ」(ジャカルタ)から「オランダ造船」によって伝播したことに因んでおり、これが変化して現在の「ジャガイモ」という「呼び名」となったそうです。
 (ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの、「天保の大飢饉」でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたものなどともされる。)

 「ジャガイモ」ですが、「馬鈴薯(バレイショ)」という「呼び名」もよく用いられます。
 これは「中国」での「呼び名」のひとつと「漢字」が同じで、「中国語」で読むと「マーリンシュー」となり、18世紀に「日本人」の「小野蘭山」「耋筵小牘」(1807年)が命名したといわれていますが、「中国名」をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた「名前」がたまたま同じだったのか、それとも「蘭山」の「命名」が「中国」に伝わったのかは明らかではありません。
 一説には、「ジャガイモ」の「形」が「馬」につける「鈴」に似ているということからこの「名前」になったといわれています。
 また、「マレーの芋」という「意味」からこの「名前」が付けられたという「説」もあります。
 なお、「中国」ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの「呼び方」もあり、「日本」の「行政」では「馬鈴薯」と呼んでいます。

 「ジャガイモ」は、「地方名」として、「きんかいも」とも呼ばれ(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)、また1年に2回ないし3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれ、「南京イモ」、「ごしょいも」と呼ばれることもあるそうです。
 また「ジャガイモ」は「お助けイモ」と呼ばれたこともあり、また「飢饉」の際に「ジャガイモ活用」を勧めた「代官」の「名」をとって、「善太夫芋」、「清太夫芋」と呼んだ「地方」もあったそうです。
 これらは、「ジャガイモ」が、「サツマイモ」と同じく「主食」である「米」等の「穀物」の「代用品」として食べられたためであるそうです。
 なお、「ジャガイモ」には、「ビタミンC」や、「デンプン」が豊富に含まれている上に、加熱しても「デンプン」に保護されて「ビタミンC」が壊れにくく、「ジャガイモ」は、「寒冷地」や、痩せた「土壌」でも栽培しやすく、茹でる等の「簡単」な「調理」で食べることができるそうです。
 そのほか、「オランダ語」の「aardappel」(大地のリンゴ)からきた「アップラ」、「アンプラ」、「カンプラ」という「呼称」も存在します。
 「英語」の「potato」の「語源」は、「タイノ族」の「言葉」で「サツマイモ」を意味する「batata」が「スペイン語」の「patata」に変化したものによるそうです。
 なお、「ジャガイモ」の「原産地」で古くから使われている「言語」のひとつである「ケチュア語」では「papa」といいますが、この「単語」はそのまま「中南米」「スペイン語」で使われており、「スペイン語」で「batata」が「patata」に変化したのは、この「papa」の「影響」であると考えられ、「Papa」は「ローマ教皇」を意味する「単語」と同じであったため、これを忌避して「patata」に変遷したともいわれるそうです。

 「日本」への「伝来」ですが、「諸説」あり、「オランダ人」や、「オランダ造船」によって1598年に持ち込まれたとの「説」があります。
 「オランダ領」「ジャワ島」の「現・ジャカルタ」(当時、ジャガトラ(Jacatra))を経由したため、「ジャガタライモ」と呼称されました。
 江戸時代後期の18世紀末には「ロシア人」の「影響」で「北海道・東北地方」に移入され、「飢餓対策」として栽培されました。
 「蘭学者」の「高野長英」は「ジャガイモ栽培」を奨励しており、また、江戸後期には「甲斐国」の「代官」であった「中井清太夫」が「ジャガイモ栽培」を奨励したとされ、享和元年(1801年)には「小野蘭山」が「甲斐国」「黒平村」(甲府市)において「ジャガイモ」の「栽培」を記録しています。
 (「甲駿豆相採薬記」)
 また、「アイヌ」の「人々」も「ジャガイモ」を栽培していたそうです。
 「ジャガイモ」が「本格的」に導入されたのは明治維新後で、「北海道」の「開拓」に利用されたそうです。
 当初は「西洋料理」の「素材」としての「需要」でありましたが、「洋食」の「普及」とともに、徐々に「日本」の「家庭料理」にも取り入れられるようになっていったそうです。

 「ジャガイモ」の「利用形態」は、「生食」(青果)、「加工」、「デンプン原料」の3種類に大別されるそうです。
 「加工用」としては、「ポテトサラダ」、「スナック菓子」(ポテトチップスなど)、「フライドポテト」、「冷凍食品」(コロッケなど)があります。
 「デンプン」は、いわゆる「片栗粉」として流通している「粉末」の「原料」とする「意味」であり、「インスタント麺」などの「原料」にもなります。
 「ジャガイモ」は、「デンプン源」だけでなく「ビタミン」や、「カリウム」も多く含んでいます。
 「ジャガイモ」は、特に「ビタミンC」が「豊富」で、「フランス」では「大地のリンゴ(pomme de terre)(ポム・ド・テール)」と呼ばれ、「ドイツ語」や、上述の「オランダ語」でも同様の「表現」が存在するそうです。
 「ジャガイモ」の「ビタミンC」は「デンプン」に保護されるため、「加熱」による「損失」が少ないといわれています。
 また「ジャガイモ」の「皮」は、それを使って「ガラス」や、「鏡」を磨くと「曇り止め」になるそうです。
 なお、「ジャガイモ」の「品種」の「説明」における「生食用」とは、「家庭」や、「飲食店」での「調理素材」として利用することを指しており、通常、加熱して食することを意味するそうです。

 「ジャガイモ」は「各地域」で様々な「料理」に用いられ、「形状」・「加熱」の「具合」や、「水分量」によって多種多様な「食感」になり、様々な「調味料」や、「油脂」・「乳製品」などとの「相性」が良いそうです。
 「日本」では「一般家庭料理」の「範疇」に属するものとして、「肉じゃが」や、「粉吹き芋」、「ポテトサラダ」、「いももち」など、「ジャガイモ」を主な「食材」とする「料理」がある「他」、「カレー」、「シチュー」、「グラタン」、「おでん」、「味噌汁」などの「具」にも広く用いられています。
 単に茹でた「ジャガイモ」に、「バター」や、「塩」をかけて食べる「じゃがバター」もポピュラーな「食べ物」であり、「北海道」の「観光地」ではよく「名物」として売られているそうです。

 「フランドポテト」、「マッシュポテト」、「ベークドポテト」、「ウ゛ィシソワーズ」、「スープ」、「コロッケ」など、「欧米」では「ジャガイモ」を主体とした「料理」が多くあり、「主食」としての「食べ方」をする場合もあります。
 他に「ジャガイモ」が欠かせない「料理」として、「アイリッシュシチュー」、「トルティージャ」などがあります。
 「中国」では、千切りした「ジャガイモ」の「炒め物」が一般的であり、「日本」以外では、「パン」の「材料」に用いられることがあるほか、「パスタ」(ニョッキ)に使われることもあります。

 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」ですが、「千葉県立東庄県民の森」の「体験イベント」で、6月19日(日)に開催されます。
 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」の「受付時間」ですが、「東庄県民の森管理事務所」で9時00分から「受付」を行い、「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」は、9時30分から12時00分まで行うそうです。
 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」の「実施内容」ですが、「千葉県立東庄県民の森」内にある「畑」での「ジャガイモ」の「収穫」をし、その後「ジャガイモ」を使った「料理」を作り、食すといった「内容」になっています。
 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」の「参加費」ですが、「お一人」500円となっており、「定員」ですが、15人程度となっています。
 (「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」ですが、「電話」で「事前予約」「受付順」となっています。)

 「自然」あふれる「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験イベント」「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」詳細

 開催日時 6月19日(日) 9時半〜12時 (受付 9時〜)

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「ジャガイモ収穫&ジャガイモ料理」ですが、「参加」される際、「軍手」、「長靴」、「タオル」、「飲み物」持参、汚れてもよい「服装」での「参加」を呼びかけています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3007 |
| 地域情報::香取 | 08:28 PM |
「平成28年度富里市すいかまつり」(富里市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「富里市」「富里中央公民館」「ロビー」および「駐車場」で6月19日(日)に開催されます「平成28年度富里市すいかまつり」です。

 「富里市」は、「千葉県」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のほぼ「中央」に位置している「市」です。
 「富里市」は、「東京都心」から約50km〜60km圏、「世界の空の玄関口」「成田国際空港」(WORLD SKY GATE)(2012年12月10日のブログ参照)からは「西」に約4kmに位置しています。
 「富里市」の「総面積」ですが、5391平方kmとなっており、「東西」約10km、「南北」約11kmで、「富里市」の「総人口」ですが、49954人(「男性」25484人、「女性」24470人)、「世帯数」は22067世帯となっています。
 (2016年4月30日現在)
 「富里市」の「面積」のおよそ68%以上が「山林」および「農地」、「住宅地」は14%程度となっており、「千葉県」では唯一「鉄道路線」のない「市」となっています。
 また「富里市」ですが、明治期に「御料牧場」が設けられていた「市」で、「競争馬のふるさと」としても「有名」です。

 「富里市」に隣接した「自治体」ですが、「東」は「山武郡」「芝山町」、「西」は「印旛郡」「酒々井町」、「南」は「八街市」、「山武市」、「北」は「成田市」に接しています。
 「富里市」は、上記のように「成田国際空港」に隣接した「市」で、「空港周辺市町」として、「空港」とともに発展してきました。
 「富里市」の「沿革」ですが、昭和60年(1985年)には「印旛郡」「富里町」に、平成12年(2000年)に行われた「国勢調査」の「結果」、「市制施行可能最小人口」(5万人)に達し、平成14年(2002年)に「千葉県内」33番目の「市」として、4月1日に「印旛郡」「富里町」から新しく「富里市」が「市制施行」しています。
 「富里市」は、「明治の大合併」以降、「合併」を行っていない「数」少ない「自治体」のひとつでもあり、現在「千葉県内」では、「富里市」、「浦安市」、「鎌ヶ谷市」の3市と、「印旛郡」「酒々井町」の1町のみとなっています。

 「富里市」の「地勢」は「南北」に分かれ、「標高」ですが、約40m〜50mとなっており、「富里市」の「中央」より「根木名川」、「高崎川」などの「源」をなしており、豊かな「緑」と、みずみずしい「農」の「恵み」に恵まれた「市」となっています。
 「富里市」の属する「北総地域」の「土壌」は、「関東ローム層」であるために「水はけ」がやや悪く、「気候」についても「梅雨時」の「長雨」や「夏場」の「高温多湿」など、決して「野菜」の「栽培」に適しているというわけではありませんが、「富里市」の「農家」の「皆さん」が「土地」に合った「品種」の「育成」や、「ビニールハウス」等の「施設」の「導入」、「栽培技術」の「向上」などの「努力」を行い、「工夫」を重ねています。
 「農家」の「皆さん」の「栽培」の「革新」により、「富里市」では、「農業」が盛んに営まれており、「農家数」は、平成22年(2010年)2月1日現在で1023戸、「人数」は3789人で、そのうち「すいか」を栽培している「農家」の「数」は、平成23年(2011年)現在おおよそ270戸となっています。
 「富里市」の「農業」ですが、「露地栽培」の「畑」では「すいか」の後に「人参」や「大根」を作り、「ハウス栽培」では「すいか」の後に「トマト」などを生産しています。
 その他にも、「さといも」や、「さつまいも」、「じゃがいも」や「とうもろこし」、「落花生」など、「様々」な「野菜」が、「順番」に栽培されています。
 また「富里市」には、大きな「川」はありませんが、「川」に近いところは、「水田」として利用しています。

 「富里市」では、特に「すいか栽培」が盛んで、「富里市」の「すいか畑」の「面積」は、平成17年(2005年)現在で「合計」333ha(ヘクタール)あり、「すいか」の「生産高」・「出荷量」ともに「全国2位」を誇っています。
 「富里市」の「すいか農家」の「皆さん」は、おいしい「すいか」を栽培するために、ほとんどの「農家」がひとつの「株」から、1個か2個しか「収穫」をしないそうです。
 「すいか」の「収穫量」ですが、だいたい10a当たり800個くらいで、「収穫」ですが、「すいか」の「出来具合」を確認しながら行い、「農家一軒」あたり一日に、だいたい400個ぐらいのようです。
 「富里市」では、1936年(昭和11年)に「すいか」が「皇室」へ献上された事から、「すいか」の「名産地」としての「名声」が「全国」へ広がり、現在「富里市」を代表する「特産品」「富里すいか」(2011年6月6日のブログ参照)として「収穫」した「すいか」は「JA富里市産直センター」をはじめ、「市場」を通じて「全国各地」に出荷されています。
 「富里すいか」ですが、5月20日ごろに収穫し、「出荷」が始まり、7月15日ぐらいまでで「出荷」は終了し、「最盛期」は、6月20日ごろで、その「時期」に「富里市」では「富里市すいかまつり」(2015年6月12日・2014年6月14日・2013年6月13日・2012年6月13日・2011年6月17日のブログ参照)や、「富里市すいかロードレース大会」(2015年6月20日・2014年6月16日・2013年6月21日・2012年6月19日・2011年6月17日のブログ参照)が開催されています。

 「富里市すいかまつり」は、「富里の特産物」「すいか」の「魅力」がたっぷりと楽しめる「イベント」です。
 「富里市すいかまつり」では、「すいか」を使った「ゲーム」「スイカの早食い競争」や、「イベント」、「スイカの試食コーナー」、「スイカのイベント」、採れたて「新鮮」な「野菜」や「西瓜(スイカ)」の「即売」を行っており、また「品質・技術の向上」を図ることを「目的」とし、「生産者」が「自慢」の「すいか」を競い合う「すいか共進会」も実施されています。

 「富里市」の「特産品」「すいか」を広く紹介し、「品質」や「技術の向上」と、「すいか栽培」の「振興」に資する「目的」で行われている「富里市すいかまつり」。
 「平成28年度富里市すいかまつり」では、「総テント数」30張(予定)、「出店者数」27店(予定)となっており、「平成28年度富里市すいかまつり」「当日」ですが、「すいか・野菜即売」、「共進会出品物即売」、「スイカきれいに早食い競争」、「すいか共進会表彰式」を開催するそうです。

 「すいか共進会」は、「富里市」の「特産物」である「すいか」を広く紹介し、「品質」や「技術」の「向上」と、「特産物」としての「すいか栽培」の「振興」に資することを「目的」に行われています。
 「すいか共進会」の「審査」ですが、「色沢」や、「形状」、「食味」、「糖度」などを、「総合的」に「判断」をし、「採点」するそうです。
 なお「すいか共進会」の「賞」ですが、「千葉県知事賞」、「富里市長賞」、「富里議会議長賞」、「富里市農業委員会会長賞」、「千葉県農林総合研究センター長賞」、「富里市農業協同組合代表理事組合長賞」、「(社)千葉県園芸協会長賞」、「丸朝園芸農業協同組合代表理事組合長賞」、「印旛地域農林業振興普及協議会理事賞」、「重いで賞」、「成田国際空港(株)代表取締役社長賞」となっています。
 「平成28年度富里市すいかまつり」「すいか共進会」の「搬入・受付」ですが、6月18日(土)8時00分から正午までとなっており、「すいか共進会」の「審査」ですが、13時00分から16時00分まで「富里中央公民館」前「駐車場」にて行われるそうです。
 「平成28年度富里市すいかまつり」「すいか共進会」の「スケジュール」は、下記の通りです。

 「搬入・受付」

 日時 6月18日(土) 8時00分〜正午

 「審査」

 日時 6月18日(土) 13時00分〜16時00分

 「表彰式」

 日時 6月19日(日) 9時30分〜

 「すいか共進会」の「一般公開」ですが、6月19日(日)のみとなっています。

 「平成28年度富里市すいかまつり」ですが、6月19日(日)9時00分から14時30分まで「富里中央公民館」「ロビー」および、「駐車場」を「会場」に開催されます。
 「平成28年度富里市すいかまつり」は、上記のように「富里市」の「特産品」である「すいか」の「PR」や「産地振興」、「消費拡大」を「目的」として開催され、「イベント当日」は、例年と同様に「すいか」を使った「ゲーム」や、「イベント」「スイカきれいに早食い競争」、採れたての「新鮮な野菜」や、「すいか」の「即売会」「すいか・野菜即売」も実施されます。
 また「平成28年度富里市すいかまつり」では、6月19日(日)9時30分から「すいか共進会」の「表彰式」「すいか共進会表彰式」を開催するそうです。

 なお「平成28年度富里市すいかまつり」では、「すいか共進会」に出品された「すいか」を「富里市すいかまつり」「会場」「試食コーナー」にて味わうことができ、また「共進会出品物」を「共進会出品物即売」にて購入できます。
 「平成28年度富里市すいかまつり」にて、「すいか」を中心に「地元産品」を即売する「テント」ですが、約30ヵ所用意され、「すいか」をきれいに食べる「競技会」「スイカきれいに早食い競争」も「当日受付」、11時30分から「競技会」「スイカきれいに早食い競争」を開始するそうです。
 また「平成28年度富里市すいかまつり」では、「富里市」の「伝統芸能」「富里ひずめ太鼓」の「演奏」など楽しい「イベント」も開催されるそうです。

 「富里中央公民館」「ロビー」および「駐車場」で開催される「富里」の「夏」を飾る「人気イベント」「平成28年度富里市すいかまつり」。
 この機会に「富里市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成28年度富里市すいかまつり」詳細

 開催日時 6月19日(日) 9時〜14時半

 開催会場 富里中央公民館 ロビーおよび駐車場 富里市七栄652-1

 問合わせ 富里市すいかまつり実行委員会 0476-93-4943

 備考
 「平成28年度富里市すいかまつり」の「出品物」の「規格」、「募集」ですが、2個1組とし、1組の「品種」は同一で1個6kg〜7kg未満とし、募集をしていました。
 (小玉は1個2kg〜2.5kg未満)
 (大玉すいかも募集 大玉賞(1点))
 「富里市」では、「平成28年度富里市すいかまつり」の「翌週」の6月26日(日)に、「富里市」の「特産品」「富里すいか」で「喉(ノド)」を潤(ウルオ)しながら走る「ユニーク」な「人気ロードレース大会」(フルーツマラソン大会)「第33回富里スイカロードレース大会」が開催されます。

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| 地域情報::成田 | 10:23 AM |
「八雲神社宵宮祭」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「八雲神社」で6月14日(火)に開催されます「八雲神社宵宮祭」です。

 「出雲大社(イヅモオオヤシロ、イヅモタイシャ)」ですが、「島根県」「出雲市」に鎮座する「神社」で、「出雲大社」は「式内社」(名神大社)「出雲国一宮」であり、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」「包括」に属する「別表神社」、「宗教法人出雲大社教」の「宗祠」です。

 「出雲大社」は、古代より「杵築大社(キヅキタイシャ、キヅキノオオヤシロ)」と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に「出雲大社」と改称しました。
 「出雲大社」の「正式名称」は「イヅモオオヤシロ」でありますが、一般には主に「イヅモタイシャ」と読まれ、「二拝四拍手一拝」の「作法」で拝礼する「神社」で、明治維新に伴う「近代社格制度」下において「唯一」「大社」を名乗る「神社」でありました。
 創建以来、「天照大神(アマテラスオオカミ)」の「子」の「天穂日命(アメノホヒノミコト)」を「祖」とする「出雲国造家」が「祭祀」を担ってきました。
 現在の「宮司」は「84代国造」「千家尊祐」氏で、「國學院大學」を卒業後、「太宰府天満宮」を経て「出雲大社」「禰宜」〜「権宮司」と昇格すると、2002年(平成14年)「宮司」に就任し、翌年「神社本庁」より「神職身分特級」を拝受されています。
 また、「宮司」の「正服」の「紋様」は「神社本庁」の定める「黒綾文輪なし裏同色平絹」ではなく「黒綾」に「ご神紋」である「二重亀甲剣花角」の「文様」を練り込んだものであり他に類を見ないそうです。
 「出雲大社」ですが、現在も、「皇室」の「方」といえども「本殿」内までは入れない「しきたり」を守り続けており、約60年に一度行われている「本殿」の「建て替え」に際して、「神体」が「仮殿」に遷御された後に、「本殿」の「内部」及び「大屋根」が公開されることがあります。

 「出雲大社」の「御祭神」ですが、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っており、1142年(康治元年)「在庁官人解状」に

 「天下無双之大廈、国中第一之霊神」

 と記された。
 「出雲大社」には、「神在月」(神無月)に「全国」から「八百万」の「神々」が集まり「神議」が行われるそうです。
 (神在祭 旧暦10月11日〜17日)
 中には「出雲」へ行かず「村」や、「家」に留まる「田の神」・「家の神」「的」な「性格」を持つ「留守神」(荒神等)も存在しているので、すべての「神」が「出雲」に出向くわけではないそうです。
 「出雲大社」ですが、そのような「神集」への「信仰」から、江戸時代以降は「文学」にも「出雲の縁結びの神様」としてあらわれるほどに、「全国的」な「信仰」をあつめるようになったそうです。

 「八雲神社」は、「匝瑳市」「野手」に鎮座する「神社」で、上述の「島根県」「出雲市」に鎮座する「出雲大社」の「流れ」を汲(ク)む「神社」といわれています。
 「八雲神社」ですが、「牛頭天王(ゴズテンオウ)」、「須佐之雄命(スサノオノミコト)」を「御祭神」とし、祀っている「祇園信仰」の「神社」です。
 他に「祇園信仰」に基づく「神社名称」としては、「八坂神社」(八阪神社・弥栄神社)、「祇園神社」、「広峯神社」、「天王神社」、「須賀神社」、「素盞鳴神社」があり、「時代」や、「資料」によって通用されます。
 「八雲神社」の「社名」ですが、「日本神話」において「スサノオ」が詠んだ「歌」

 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」

 の「八雲」に因(チナ)むもので、「八雲神社」の「総本社」ですが、「京都」の「八坂神社」となっています。

 「八雲神社」は、他の「スサノオノミコト」を祀る「神社」と同様、江戸時代までは「牛頭天王社」などと称していましたが、明治の「神仏分離」により「牛頭天王」という「社号」が禁止されたため、「御祭神」を「牛頭天王」と習合していた「スサノオノミコト」に変え、「社名」も「スサノオノミコト」に因んだものに変更したそうです。

 「八雲神社宵宮祭」ですが、上記のように「匝瑳市」「野手」に鎮座する「八雲神社」で毎年6月14日に行われている「宵宮祭」です。
 「八雲神社宵宮祭」では、「八雲睦会」の「皆さん」が「八雲神社」「境内」で囃した後、「匝瑳市」「西宿地区」を「交差点」から「弁天池」までの「片道」300mを「徒歩」で、「下座」で練り歩くそうです。

 「八雲睦会」ですが、「匝瑳市」「野手」に鎮座する「八雲神社」の「祭礼囃子保存会」です。
 「八雲神社」には、「田楽(デンガク)」と呼ばれる「曲」(「四季折々」の「農作業」を物語る「曲」)と、「道中段物(ドウチュウダンモノ)」と呼ばれる「曲」(「神社参り」の「様子」を物語った「曲」)が伝えられており、その「曲」は、「全部」で20曲余りだそうです。

 「曲」は、「田楽」(「農作業」の「曲目」)として「砂切り(サンギリ)」、「種蒔き(タネマキ)」、「桜囃子(サクラバヤシ)」、「開花(カイカ)」、「量殻(リョウコク)」、「道中段物」(「神社参り」の「曲目」)として「三島(ミシマ)」、「山登(ヤマト)」、「早囃子(ハヤバヤシ)」、「獅子囃子(シシバヤシ)」、「宮巡り(ミヤメグリ)」、「権現(ゴンゲン)」、「宮昇天(ミヤショウテン)」、「山登返し(ヤマトカエシ)」、その他の「曲目」として「磯辺(イソベ)」、「大漁節(タイリョウブシ)」、「八木節(ヤギブシ)」、「枯れススキ」、「庄八盆踊り」、「大杉囃子(オオスギバヤシ)」が伝わっています。

 「八雲睦会」は、今から25年ほど前に、「伝承」が途切れかかった「先代」から、1曲1曲を「耳」で覚え、現在に至っているそうです。
 また「八雲神社宵宮祭」では「神輿の渡御」がなくなって久しいそうですが、「お囃子」だけは絶やさないと、「西宿八雲睦会」の「皆さん」で「伝統」を守っているそうです。

 「八雲神社宵宮祭」では、「地区廻り」のことを「渡御」と呼んでいるそうですが、これは「神輿」と共に「地区」を廻った「名残(ナゴリ)」といわれています。
 また「八雲神社宵宮祭」の「最後」は「八雲神社」前で「盛大」に「祭り囃子」を奏でて、「威勢」よく「跳ね太鼓」を披露するそうです。

 「匝瑳市」「野手」に鎮座する「島根県」「出雲大社」の「流れ」を汲む「八雲神社」で開催される「祭礼」「八雲神社宵宮祭」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「八雲神社宵宮祭」詳細

 開催日時 6月14日(火) 19時〜21時

 開催会場 八雲神社 匝瑳市野手1691

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「八雲神社宵宮祭」ですが、「匝瑳市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。
 また「八雲神社宵宮祭」が執り行われる「八雲神社」には、「西宿鎮座八雲神社の不思議」(2012年6月14日のブログ参照)という「伝説」(伝承)が語り継がれています。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:25 AM |
「水とともに生きる・銚子」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「地球の丸く見える丘展望館」2階「企画展示室」で6月1日(水)〜6月30日(木)まで期間開催されます「水とともに生きる・銚子」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の3町1村が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
 現在の「銚子市」の「人口」ですが、64913人となっており、「世帯数」は27611世帯となっています。
 (2016年(平成28年)5月1日現在)

 「銚子市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
 「銚子市」は、「東京」から100km圏内、「関東平野」の「最東端」に位置し、「北」は「利根川」、「東」と「南」は「太平洋」に面しています。
 「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を中心に発展した「観光都市」です。
 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(「標高」73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)に適しています。

 「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2016年3月15日・2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 「銚子市」は、上記のように「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、上記のように「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
 「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)、「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)等となっています。

 「地球の丸く見える丘展望館」は、「銚子市」「天王台」にある「展望施設」、「観光施設」で、「下総台地」(北総台地)の「高所」(73.6m)である「愛宕山」の「頂上」に位置する「展望観光スポット」です。
 「地球の丸く見える丘展望館」からの「眺望」ですが、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」から「九十九里浜」まで見渡せます。
 「地球の丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」から360度の「大パノラマ」が広がり、緩やかに「弧」を描いた「水平線」によって、「その名」の通り、「地球の丸さ」を実感できる「展望施設」となっています。

 「地球の丸く見える丘展望館」には、上記のように「地球の丸さ」を実感できる「展望スペース」(屋上)を筆頭に、「銚子」の「特産品」「地酒」・「醤油」をはじめ、「豊富」な「お土産」・「名産品」が揃った「お土産コーナー」(売店)(1F)、「季節ごと」に行われる「各種企画展」が「定期的」に催される「イベントホール」(企画展示室)(2F)、「常設展示」として2012年に認定されました「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)「関連資料」の「展示」をしている「銚子ジオパーク展示場」(2F)、「銚子海洋研究所」の「イルカウォッチング」(2010年12月19日のブログ参照)で撮影された「写真」の「展示」(2F)、「イルカウォッチング」もしくは「銚子のPR」「映像」を映す「映像鑑賞コーナー」(2F)、「銚子沖」(名洗沖)で「実験稼働中」の「洋上風力発電」の「解説」(2Fエントランス)、「展望
スペース」に向かう途中にある「眺望」のよい「休憩スポット」「喫茶コーナー」「カフェ330」・「展望ラウンジ」(3F)があります。
 「地球の丸く見える丘展望館」の「イベントホール」ですが、上記のように「季節ごと」に、「写真展」や「絵画展」など「各種企画展」が行われており、多くの「観光客」、「地元客」の「皆さん」が訪れています。

 この度(タビ)「地球の丸く見える丘展望館」では、6月1日(水)から6月30日(木)の「期間」、2階「企画展示室」を「会場」に「水とともに生きる・銚子」を開催するそうです。
 「水とともに生きる・銚子」ですが、6月の「企画展」として行われ、「防災まちおこし研究会」と「共同主催」(共催)として開催するそうです。
 「防災まちおこし研究会」ですが、「千葉科学大学」(危機管理学部、薬学部、看護学部)、「銚子市役所」(危機管理課、学校教育課)、「銚子市消防本部」、「銚子市消防団」、「銚子商工会議所」(2014年12月1日のブログ参照)、「(一社)銚子市観光協会」、「銚子市町内会連合協議会」、「銚子市社会福祉協議会」、「銚子中心市街地活性化研究会」、「千葉県立銚子高等学校」、「(一社)銚子青年会議所」(銚子JC)、「犬吠埼ブラントン会」、「犬吠埼ホテル」の「有志」により発足した「研究会」で、「銚子市」の「地域活性化」や、「防災力の向上」を図る「産学官民連携」による「団体」です。
 「防災まちおこし研究会」の「活動方針」は、下記の通りです。

 銚子市の歴史・文化・産業などの「恩恵」を活かして地域の活性化・愛着の醸成を図りながら、地震・津波など自然災害の「脅威」に備えるための地域の防災力の向上にも取り組むための「防災まちおこしプロジェクト」を企画・実施するとともに、銚子市民の防災意識の啓発や防災教育活動にも取り組みます。

 (地域の自然災害に備える)

     防災

      ×

    まちおこし

 (地域の活性化・愛着の醸成)

 「水とともに生きる・銚子」ですが、「防災まちおこし研究会」が作成した「水害」と闘ってきた「地域」の「歴史」、「取り組み」などを紹介している「リーフレット」(冊子)「銚子・水とともに生きる」の「内容」を広く知ってもらうための「ポスター展示」や、「企画展示」等といった「内容」になっています。
 「水とともに生きる・銚子」では、「銚子」で一番古い「消防ポンプ」(明治時代の手こぎポンプ)と、一番新しい「消防ポンプ」(最新の軽可搬ポンプ)も展示されるそうです。
 「水とともに生きる・銚子」では、「銚子」にあるすばらしい「自然」に触れながら、その場所で、さらに「防災」にかかわる様々な「知識」を吸収でき、学ぶことができる「スポット」が多々あり、「銚子」の「水」がもたらした「恩恵」と、「災害」について学べ、知ることができる「展示」を行うそうです。
 「水とともに生きる・銚子」は、「鑑賞」「無料」となっており、「地球の丸く見える丘展望館」「入館料」のみで鑑賞できるそうです。

 「地球の丸さ」が実感できる「人気観賞スポット」「地球の丸く見える丘展望館」2階「企画展示室」で開催される「防災まちおこし研究会」と「共催」の「企画展」「水とともに生きる・銚子」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水とともに生きる・銚子」詳細

 開催期間 6月1日(水)〜6月30日(木)

 開催会場 地球の丸く見える丘展望館2階企画展示室 銚子市天王台1421-1

 開館時間 9時〜18時半 (4月〜9月)
      9時〜17時  (10月〜3月)

 入館料  大人 380円 小・中学生 200円 65歳以上 330円

 問合わせ 地球の丸く見える丘展望館 0479-25-0930

 備考
 「地球の丸く見える丘展望館」2階「企画展示室」で開催される「水とともに生きる・銚子」ですが、7月からは「銚子ポートタワー」にて「同企画展」を開催予定となっているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:03 AM |
「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「奥参道」「特設会場」で6月12日(日)に開催されます「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた三社のうちの一社です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国の史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の武家の世に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」「奥参道」は、「鹿島神宮」「本宮」から「奥宮」までの「参道」で、鬱蒼(ウッソウ)たる「鹿島神宮の森」の中にあります。
 「鹿島神宮」「奥宮」へ至る「奥参道」の「両脇」には、「スギ」、「モミ」、「カシ」、「クスノキ」などの「巨樹古木」が立ち並び、「森林浴」の「ベストスポット」となっています。
 ちなみに「鹿島神宮」「境内」「奥」の広大な「鹿島の森」の「面積」は約4400000平方m(東京ドーム約9.4個分)となっており、「鹿島の森」には約800種の「植物」が成育しているそうです。

 「小笠原流」は、「武家故実」(弓馬故実)、「馬術」、「礼法」の「流派」で、また「兵法」、「煎茶道」、「茶道」にも「小笠原流」を名乗るものがあります。
 「礼儀作法」の「流派」として知名度の高い「流派」でありますが、「本来的」には「弓術」・「馬術」・「礼法」・「軍陣故実」などの「武家社会」の「故実」(武家故実)全般の「流派」です。
 「小笠原流」の「原型」となったのは「小笠原氏家伝」の「故実」であり、室町時代中期以降、「小笠原氏」が「武家社会」における「故実」の「指導的存在」となったことから、「小笠原流」の「故実」が「武家」に重んじられたそうです。
 「小笠原流」と呼称されるものは「歴史上」いくつか存在し、それぞれ「内容」、伝えた「家系」が異なる場合があるので区別が必要です。
 また「小笠原流」の「歴史」に関しては「後世の創作」や、「仮託」が広く流布されているため、「史実」との「峻別」も必要だそうです。

 「小笠原流弓馬術礼法」(平兵衛家系)ですが、「流派」の「始祖」としては、「小笠原家」の「初代小笠原長清」とするもの、「7代小笠原貞宗」とするもの(本朝武芸小伝等)、さらには「遠祖」の「貞純親王」とするもの等があります。
 「寛政重修諸家譜」等に見える「家伝」によりますと、「小笠原氏」は「遠祖」の「貞純親王」以来の「糾法(キュウホウ)」(弓馬術礼法)を代々伝え、鎌倉時代には「初代」の「小笠原長清」が「源頼朝」の、「2代小笠原長経」が「源実朝」の「糾法(キュウホウ)」「師範」に命じられたとされています。
 「7代目」の「小笠原貞宗」は南北朝時代に「後醍醐天皇」に仕え、

 「弓馬の妙蘊に達し、かつ礼法を新定して、武家の定式とするなり」

 という「御手判」を賜り、このとき「弓・馬・礼」の三法をもって「糾法」としました。
 また「王」の「字」の「紋」を与えられ、これが現代にも伝わる「三階菱」の「家紋」となっており、この時期に、「貞宗」と、「一族」の「小笠原(赤沢)常興」は「修身論」及び「体用論」をまとめ、今日の「小笠原流」の「基礎」を築いたとされています。

 室町時代には、「足利義満」の「命」により、「10代」「小笠原長秀」が「今川左京大夫氏頼」・「伊勢武蔵守憲忠」と共に「三議一統」を編纂、「武士」の「一般常識」をまとめたとされています。
 「18代」「小笠原貞慶」は、「三議一統」後に加えられた記述をし、「武家礼法」を「小笠原礼書七冊」としてまとめました。
 「小笠原家」は代々、「総領家」(本家)が「糾法」および「小笠原流礼法全般」を取り仕切っていましたが、「総領家」「17代小笠原長時」と、その子「貞慶」期には「戦国大名」として、「信濃侵攻」を行った「甲斐」の「武田信玄」と「戦い」を繰り広げる中、「弓馬礼法」の「伝統」を絶やさないため、永録5年(1562年)、「一族筋」にあたる「赤沢経直」に「糾法的伝」と、「系図」、「記録」を携え、「弓馬術礼法」の「宗家」の「道統」を託したそうです。
 「道統」では「小笠原流」の「弓・馬・礼」の「三法」の「総取り仕切り役」の「正統継承」を意味し、このとき、「総領家」と、「弓馬礼法」の「家」が分離したそうです。
 この後、「赤沢経直」は「徳川家康」に仕えて「小笠原姓」に復しました。
 「弓馬礼法宗家筋」となったこの「家系」(平兵衛家)は「歴代将軍」に仕え、「将軍家」「子女の婚礼」や、「元服の儀式」に与るとともに、「8代将軍徳川吉宗」の「命」により復興された「流鏑馬」(騎射挟物)が「第20代小笠原常春」に預けられ、以後代々「騎射師範」として「門弟」を指揮し、「高田馬場」等で行うなどしています。

 明治以降も継承され現在、「小笠原清忠」が「弓馬術礼法教場」「31世宗家」で、「弓馬術礼法」の「継承者」として、「大的式」・「百々手式」・「草鹿」等の「歩射」、「流鏑馬」・「笠懸」などの「騎射」の「各種」の「式」を「明治神宮」や、「熱田神宮」、「伊勢神宮」、「靖国神社」、「鶴岡八幡宮」など「各地」で行っています。
 「小笠原流礼法」は「登録商標」(商標登録番号 第3076080号)となっていて「小笠原流教場」以外が、「小笠原流礼法」の「名称」を使用して教えることは禁じられています。
 なお、「弓術流派」としての「小笠原流」は、室町時代後期に「戦陣」の「歩射」を起源として興った「日置流」の「斜面打起し」に対し、「騎射由来」である「正面打起し」を行う点に特色があります。
 「体配」(行射の作法)も「日置流」とは異なり、今日的な「用語」で「礼射系」と分類され、「射法」に関しては「日置流」の「影響」を受けています。

 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」とは、「鹿島神宮」「奥参道」にて「弓矢」の「徳」を敬って「魔性」を鎮める「儀式」です。
 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」ですが、「鹿島神宮奉納古武道演武大会」の後に引き続き行われる「行事」で、今年(2016年・平成28年)は6月12日(日)14時00分から上述の「鹿島神宮」「奥参道」「特設会場」にて開催されます。
 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」では、「弓馬術礼(禮)法」で「高名」な「小笠原流宗家」をはじめ、「小笠原御一門」の「方々」が、「鹿島の大神様」「武甕槌大神」に「百々手式」を奉納するそうです。
 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」「当日」は、「小笠原流宗家」「小笠原清忠」氏以下「小笠原御一門」の「皆さん」が「本陣」を出立(シュッタツ)し「大町通り」を参進、「正式参拝」の後、「鹿島神宮」「奥参道」「特設会場」にて、「蟇目の儀」に続いて、次々と「射場」に進み、「百々手式」を臨む様は「武家」の「凛々しさ」を見るものに思わせ、「弓矢」の「徳」を敬って「魔性」を鎮める「儀式」「百々手式」が執り行われるそうです。
 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」では、数人ずつにわかれ「一斉」に射放たれた「矢」が「雨垂れ」が落ちるかの如く降り注ぎ、普段では絶対に見ることの出来ない「光景」が目の前に広がるそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」「奥参道特設会場」で開催される「鹿島神宮奉納古武道演武大会」後に行われる「古式」ゆかしい「儀式」「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手」詳細

 開催日時 6月12日(日) 14時〜

 開催会場 鹿島神宮奥参道特設会場 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-2911

 備考
 「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」が行われる6月12日(日)に、最後の「行事」として「小堀遠州流献茶式」が執り行われるそうです。
 「鹿島神宮」では、「小笠原流一行」が「奥参道」に移動した14時00分頃、午前中の「演武場」であった「特設舞台」には一転して「緋毛氈(ヒモウセン)」が敷かれ、「武家茶道」で知られる「小堀遠州流」により「献茶式」が執り行われるそうです。
 「小堀遠州流献茶式」では、「家元」「小堀宗圓」氏のお手前により「濃茶」が点てられ、「神職」が「鹿島神宮」の大前に献じられるそうです。
 「小堀遠州流献茶式」「当日」午前中は「呈茶」が行われ、「鹿島神宮」「境内」に訪れた「人」に「抹茶」がふるまわれます。

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| 地域情報::鹿島 | 10:28 AM |
「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」(多古町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「多古町」「リバーサイド会場」、「城下町会場」で6月12日(日)に開催されます「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」です。

 「多古町」は、「香取郡」にある「まち」で「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)と「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)に挟まれ、「多古町」の「町」の「中心部」を「九十九里平野」「最大」の「河川」「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)が流れており、「西」は「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
 「多古町」は、「北総台地」(下総台地)の「東側」に位置し、「東西」に約14.5km、「南北」11.5kmで「面積」は「千葉県内」の「町村」の中で2番目の「広さ」で、「面積」は72.68平方km、そのうち「水田」が1836ha(ヘクタール)を有し、「多古町」では、「石川県」に次いで「全国」2番目(明治34年〜43年)に「田んぼ」の「耕地整理」が行われています。
 「多古町」の「地勢」ですが、「北部」及び「東部」は「台地」が広がり、「畑地帯」を囲むように「山林」が「傾斜斜面」となっており、上記のように「多古町」の「中央部」を「南北」に流れる「栗山川」の「流域」は「低地」で「水田地帯」が広がっており、「多古米」(2012年9月16日のブログ参照)の「産地」となっています。
 「多古米」ですが、「多古」が誇る「絶品」で、「多古産」の「米」は「良質」で、古くは江戸時代から「その味」の「良さ」が評判となっており、昭和38年(1963年)には、「天皇陛下」の「献上米」に選ばれ、昭和46年(1971年)には「札幌」で行われました「全国自主米品評会」において「食味日本一」に輝き、また近年では、平成2年(1990年)に「日本の米作り百選」に選定されています。

 「多古町」の「町の花」ですが、「紫陽花(アジサイ)」で、「町の木」は「山茶花(サザンカ)」となっています。
 「町の花」「紫陽花」は、「町民」の「公募」により、「町村合併40周年」を記念して制定され、「紫陽花」ですが、「多古町」の「名所」のひとつ「あじさい遊歩道」(2012年6月4日のブログ参照)、「ふるさと多古町あじさい祭り」(2012年6月20日のブログ参照)など広く親しまれています。
 (平成6年11月23日制定)
 「町の木」「山茶花」ですが、「多古町」の「大地」を形成する「関東ローム層」、その「土壌」にもっともあった「樹木」が「山茶花」です。
 「山茶花」は、「民家」の「生け垣」などにも広く利用され、「町民」にとても親しまれていることから、「アンケート調査」の「結果」、「町」を象徴する「木」として選ばれました。
 (昭和50年制定)

 「多古町」の「見どころ」ですが、「四季折々」の「花」が咲く「あじさい遊歩道」や、上記のように「多古町」の「中心部」を流れる「栗山川」、豊かで溢れる「緑」に囲まれた「由緒」ある「寺院」、「伝統」を継承し、今も続けられている活気ある「まつり」などがあげられ、「多古町」は、「人々の生活」に「潤い」と、多くの「恵み」を与える、「自然」がいっぱいの「まち」になっています。
 「多古町」の「見どころ」のひとつである「四季折々」の「花」が咲く「あじさい遊歩道」ですが、「春」には「菜の花」、「初夏」には1万株の「あじさいの花」、「秋」には「コスモス」が咲き誇る、素晴らしい「花」の「観賞スポット」となっています。

 「多古町あじさい公園」は、「多古町」の「人気スポット」「道の駅多古あじさい館」(2011年12月24日のブログ参照)に隣接する「公園」で、「菜の花」、「あじさい」、「コスモス」などの「季節の花」が、「栗山川」沿いの「遊歩道」を美しく彩ることで知られており、「多古町民」の「憩いの場」となっています。
 「栗山川」の「ほとり」にあり、「多古町あじさい公園」に隣接している「道の駅多古あじさい館」では、「全国的」に「有名」な「ブランド米」「多古米」はもちろん、「多古町」の「特産品」「大和芋」(2012年9月24日のブログ参照)等、「農家直送」の「野菜」や「お土産物」を販売しています。

 「多古町あじさい公園」周辺では、「初夏」になると「栗山川」沿い「一面」に広がる「あじさい」は「壮観」で、「あじさい」は、「多古町」の「代表的」な「初夏の風物詩」となっています。
 「多古町」の「市の花」でもある「あじさい」が、咲き誇る「多古町あじさい公園」では、「毎年」「あじさい」の「テーマ」にした「お祭り」「ふるさと多古町あじさい祭り」(2015年6月17日・2014年6月19日・2013年6月19日・2012年6月20日・2011年6月16日のブログ参照)が行われています。
 「ふるさと多古町あじさい祭り」ですが、「多古町」の「初夏の訪れ」を告げる「恒例イベント」で、今年(2016年)で32回目を数える「まつり」です。

 「ふるさと多古町あじさい祭り」ですが、「あじさい」の「名所」「多古町あじさい公園」に色とりどりの「あじさい」が咲き誇る頃に行われている「イベント」で、「あじさい祭り」には、「多古町民」の多くが参加し、例年「県内外」から多くの「観光客」が訪れています。
 「ふるさと多古町あじさい祭り」の「オープニング」では、「殿様」、「奥方」、「侍役」などに扮(フン)した「多古町民達」が、「ステージ」で華やかな「式典」を行います。
 「ふるさと多古町あじさい祭り」「最大」の「見どころ」は約600人が参加する「多古米振舞行列」で、「多古町」の「特産品」「多古米コシヒカリ」を振る舞い、江戸時代さながらの「衣装」を着た「農民達」が、「米俵」や、「大八車」とともに「多古町あじさい公園」から「中心市街地」までを練り歩くそうです。
 その他にも、「ふるさと多古町あじさい祭り」では、「郷土芸能」・「コンサート」・「さっぱ舟遊覧」などの「イベント」や、「多古町」の「特産品の即売」も行われます。

 「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」ですが、上記のように「あじさい」の「名所」「多古町あじさい公園」が1年で最も美しくなる「季節」、「栗山川あじさい遊歩道」に約1万株の「あじさい」が咲き誇る6月12日(日)に開催されます。
 2012年(平成24年)から「ふるさと多古町あじさい祭り」では、従来の「リバーサイド会場」と、「多古町」の「中心商店街」「城下町会場」が加わり、更にパワーアップし、「メインイベント」「多古米奉納式典」や、「多古米振舞行列」では、「多古藩主」や、「農民達」に扮した「多古町民」が「時代絵巻」を繰り広げます。
 「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」は、「リバーサイド会場」(9時00分〜16時00分)、「城下町会場」(10時00分〜14時30分)の2会場で、様々な「イベント」が行われます。

 「リバーサイド会場」は、「多古町あじさい公園」(香取郡多古町多古1069-1)で開催されます。
 「リバーサイド会場」での「イベント」は、下記の通りです。

 「多古米奉納式典」は、「メインイベント」で、「多古藩主」が「家臣」と「農民達」を集め、「ふるさと多古町あじさい祭り」「開会の儀」を行います。

 「多古米振舞行列」は、約600人の「農民達」が「米俵」を担ぎながら「多古町内」を練り歩き、「城下町会場」に到着後、「農民達」が「来場者」に「多古米」(精米)を振る舞います。

 「竹コースター」は、「特製」の「竹100%絶叫マシン」で、「無料」で乗れます。

 「さっぱ舟遊覧船」は、「有料」の「乗船イベント」で、「船上」から「見応え」がある「栗山川あじさい遊歩道」の「あじさい」を望めます。

 「ふれあい動物広場」は、「入場無料」の「イベント」で、かわいい「小動物」と遊べます。

 「ステージイベント」ですが、「来場者参加型」「あじさいだー早飲み選手権」や、「bayFMDJライブ」など、見どころ盛り沢山で行われます。

 「あじさいだー早飲み選手権」に「参加希望」の方(先着30名)は、11時00分までに「本部テント」で「受付」を行います。
 (ステージイベントスケジュールは下記「詳細」参照)

 「多古町特産品抽選会」は、「あじさい祭り」「当日限定」で実施する「スタンプラリー」に参加された方(1000名)を「対象」に「多古町」の「特産品」や、「名物商品」が「計」100名に当たる「抽選会」を開催、12時30分から「リバーサイド会場」の「ステージ」で開催されます。
 なお「多古町特産品抽選会」の「最終受付」は、12時25分までとなっています。
 「あじさい生花のフラワーアレンジメント」は、「あじさい生花」を使った「フラワーアレンジメント」の「展示」を行い、「展示」終了後「あじさい」は販売されます。

 「城下町会場」ですが、「多古町中心商店街」(香取郡多古町多古2720)で開催されます。
 (いきいき健康サロンわぁーかちぃーと周辺)
 「城下町会場」での「イベント」は、下記の通りです。

 「あじさい生花販売」は、「あじさい販売」で、「あじさい」は、全て500円で購入できます。

 「百縁まつり」(各種販売)は、「来場者」と「商店主達」の「縁」を結ぶ「イベント」で、「模擬店」では「100円商品」が多数販売されます。

 「縁結び丼」は、「どんぶりごはん」を「数量限定」で「無料配布」し、「どんぶり片手」に「商店街めぐり」し、「多古米」に合う「おかず」を買い求め、「自分好み」の「スペシャル丼」を作って食す「イベント」です。

 「多古米大盤振舞」は、11時30分頃行われ、「多古米振舞行列」が「来場者」へ「多古米」の「精米」を大盤振舞します。(数量限定)

 「わぁーかちぃーと」は、「城下町会場」の「本部」として「スタンプラリー」の「景品引き換え」や、「城下町会場ステージ」(ステージイベント)、「丼ごはん」の「無料配布」等を行います。

 また「リバーサイド会場」、「城下町会場」では、「両会場共通イベント」として、「復興支援100円くじ」、「あじさいスタンプラリー」が行われます。

 「復興支援100円くじ」は、「参加者協賛品」が当たる「100円くじ」で、「協賛品」は、「TDLチケット」など「豪華賞品」から、「各模擬店」の「商品券」など、「両会場」では違ったものが当たるそうです。

 「あじさいスタンプラリー」は、「両会場」を繋ぐ「スタンプラリー」で、「両会場」で行う「アンケート」の「両方」に参加した「参加者」「先着」1000名に、「豪華賞品」が当たる「第31回特別協賛抽選会」に参加できます。
 なお「あじさいスタンプラリー」では、「切り番ゲット」で、「多古町」の「ご当地名産品」を「追加」でプレゼント、「両会場」で「受付」、「景品交換」は、「城下町会場」で行われます。

 「リバーサイド会場」、「城下町会場」2会場で開催される「恒例」の「人気イベント」「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」。
 この機会に「多古町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」詳細

 開催日時 6月12日(日) 9時〜16時(リバーサイド会場) 10時〜14時半(城下町会場)

 開催会場 リバーサイド会場 多古町あじさい公園 香取郡多古町多古1069-1
 (道の駅多古あじさい館となり)
      城下町会場 多古町中心商店街 香取郡多古町多古2720
 (いきいき健康サロン わぁーかちぃーと周辺)

 リバーサイド会場ステージスケジュール

  9時00分〜 オープニング
 9時05分〜 あじさいパネル飾りつけ
 9時30分〜 鼓笛隊ファンファーレ

 10時00分〜 多古米奉納式典

 11時00分〜 田園コンサート

 12時00分〜 あじさいだー早飲み選手権

 12時30分〜 わせがく高校

 12時50分〜 打舞RuTaIKo舞華

 13時10分〜 えみモダンバレエ

 13時30分〜 フラハーラウホアロハハワイ多古

 14時00分〜 多古町特産品抽選会

 15時10分〜 小島嵩弘トーク&ライブ

 ※多古町特産品抽選会中にスタンプラリーに協力してくれる浴衣を着た可愛い女の子たちが登場して浴衣Showを行います。

 わぁーかちぃーとステージスケジュール

 10時00分〜 交通規制 開始 城下町会場イベントスタート

 10時45分〜 多古町文化協会 カラオケ部

 11時15分〜 多古米振舞行列

 12時05分〜 リフレッシュ体操

 12時35分〜 ピアダンス

 13時05分〜 楽天舞

 13時35分〜 錦照会

 14時30分〜 城下町会場 イベント終了

 問合わせ 多古町産業経済課 0479-76-2611

 備考
 「第32回ふるさと多古町あじさい祭り」ですが、「荒天」の場合、「翌週」の6月19日(日)に順延され、「開催」及び「中止」の「決定」は、「当日」「朝」6時00分に「多古町HP」に掲載するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3000 |
| 地域情報::成田 | 10:12 AM |
「鹿島神宮奉納古武道演武大会」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で6月12日(日)に開催されます「鹿島神宮奉納古武道演武大会」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「常陸国一宮」の「日本屈指」の「神社」で、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と共に「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)に数えられる「古社」です。
 皇紀元年(紀元前660年)の「創建」と伝えられる「鹿島神宮」の「御祭神」ですが、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」を祀っており、「武甕槌大神」は、「武」の「神様」として崇められており、古くから「皇室」や、「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉期以降は、「武家政権」(将軍家)の「信仰」を得て、「鹿島神宮」はますます「隆盛」を極めていたそうです。

 上述のように「鹿島神宮」の「御祭神」は、「武甕槌大神」(建御雷神)で、「鹿島神」という一般名称でも知られている「神様」であり、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち、「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、上述のように「武の神」として古くから「皇室」、「藤原氏」の「崇敬」を受け、鎌倉時代以降「武家政権」の「信仰」も得て、「鹿島神宮」は、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や、「所領寄進」が繰り返されてきました。
 「武神」として有名な「武甕槌大神」ですが、「神武天皇」の「東征」の際に「剣」を授けた「神様」として「日本書紀」にも書かれており、現在でも「武道」の「道場」に「鹿島大明神」と、「香取大明神」の2軸の「掛け軸」が掛けられているのが多く見られるそうです。

 「武甕槌大神」が祀られている「鹿島神宮」「境内」は、うっそうと「樹木」が茂り、「神様」の「鎮座地」(神域)にふさわしい「荘厳」な「雰囲気」を醸し出しています。
 「鹿島神宮」「境内地」は、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、「鹿島神宮」「境内」は、「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であることから、「国の史跡」に指定されており(摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)、また「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「社叢」で、「鹿島神宮社叢」として「茨城県指定天然記念物」にも指定されています。
 「鹿島神宮社叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では唯一の「常緑照葉樹林」で、「鹿島神宮社叢」を木漏れ日の中を散策すると清々しく、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミマタノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、上述のように「鹿島神宮」「境内」は「国の史跡」に指定され、「本殿」、「仮殿(カリドノ)」、「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」「境内」には「見どころ」として、「大人」でも「子供」でも入ると「水位」は「胸の辺り」までしか来ないといい「言い伝え」があり、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿島神宮」の「神使」の「鹿」がいる「鹿園」、「国歌」「君が代」に登場する「さざれ石」、「鹿島神宮社叢」の中で最も古く最も大きい「樹木」である「鹿島神宮」「御神木」、以外と小さく見えるが「水戸黄門」で知られる「徳川光圀」公が調べたところ「地中」深くまで埋まっており何日もかけても掘り出せなかったといわれ、「オオナマズ」を押さえ「地震」を防いでいると
いわれている「要石」、「鹿島神宮」「本殿」として「徳川家康」公が奉納し「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られている「鹿島神宮」「奥宮」があります。
 「鹿島神宮」ですが、近代まで「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」の「三社」のみで、「由緒」と、「歴史」の「長さ」では「別格」の存在であり、「日本全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」で、「旅立つ際」に「道中」の「無事」を「鹿島神宮」で祈願する「鹿島立ち」でも知られている「神社」です。
 また「鹿島神宮」は、「武」の「神様」「武甕槌大神」を祀っていることから、上述のように「皇室」、「藤原氏」、「武家政権」等の「崇敬」を受け、その後、「武士たち」からも厚い「信仰」を得、「鹿島」では「武術」も盛んになっていったそうです。
 その中には傑出した「武術家」も多く、「代表的」なのが「剣聖」と呼ばれた「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)です。

 「塚原卜伝」は、室町後期の「剣術家」で、「常陸国」(茨城県)「塚原」に生まれた「人物」です。
 「塚原卜伝」は、「常陸」「鹿島神宮」の「祝部占部土佐守覚賢」の「次男」で、「幼名」を「朝孝」、のちに「卜伝」と号しています。
 「塚原卜伝」の「父」「土佐守」は「飯篠長威」に「天真正伝香取神道流」を習い、「長子新左衛門」に継がせようとしましたが、早世したため、「塚原卜伝」を「後継者」とし、長じてのち「下野」に「上泉信綱」を訪ね、「弟子」となり「陰流」を究めていました。
 「塚原卜伝」は、研鑽して「一流の達人」となり「諸国」を遍歴、「合戦」に望み「当代無双の剣名」を挙げたそうです。

 「鑓合九度、高名の首廿一、其内鑓下の首、或は崩際場中の首七度有て武辺誉の者也」
 (甲陽軍艦)

 とあり、その「秘伝奥義」は

 「一つの位、一つの太刀、如斯太刀一つを三段に見分候」
 (甲陽軍艦)

 といわれていました。

 「塚原卜伝」の「弟子」ですが、「室町幕府」「将軍」「足利義輝」、「伊勢国司」「北畠具教」、「細川藤孝」、「松岡兵庫介」らといわれています。
 「塚原卜伝」は「廻国修行」は前後3回におよび、「老躯」帰国するにおよび「家督」のこともあり、3子の「技量」を試すために「暖簾」の上に「木枕」を置き、ひとつずつ招いたそうです。
 その際、「三男」は落下する「木枕」を瞬時に斬り、「次男」は飛び退いて「刀」に「手」をかけ、「嫡男」は「木枕」があるのを見て取り下ろし「座敷」に入ったそうです。
 これを見て「塚原卜伝」は「嫡男」「彦四郎」の「不動心」を愛でて「家督」を譲ったそうです。

 「塚原卜伝」ですが、「左太刀」の「片手打ち」の「名人」との「試合」に際し、「左太刀」の「片手打ち」は「卑怯」と固辞すること10度、「試合」に入る「ひと太刀」に「頭」を打ち割ったそうです。
 「塚原卜伝」のその「武器」と、「凄絶(セイゼツ)」な「太刀」は、

 「第一に天の時、第二に地の利、天地を合せる太刀也、第三至極は一つ太刀」
 (甲陽軍艦)

 とあります。
 「塚原卜伝」は、「近江」の「矢走」の「渡し舟」で「無法」の「若武者」を「小島」に置き去りにした「話」が「武略」を物語り、「新当流」の「称」は「後人」の「作」とされ、「塚原卜伝」は元亀2年(1571年)に没したとする「説」もありますが、「不詳」とされています。

 「鹿島神宮」は、「塚原卜伝」ゆかりの「地」として知られており、「鹿島神宮」の周辺には、現在でも「民家」として使われている「塚原卜伝の正家」や、「塚原卜伝生誕500年」を記念して建てられた「銅像」、また「鹿島神宮」から「車」で15分程度のところに「塚原卜伝の墓」があり、そこには今でも「花」が手向(タム)けられているそうです。

 「古武道」とは、「日本」の「伝統的」な、「徒手」もしくは「鈍器」や、「刃物」、「火器」などの「武具」の「使用法」や、「水泳」、「乗馬」など「戦闘」に関わる「技術」を体系化したものの「総称」で、「古流武術」、「古武術」もほぼ同義で、「武芸」、「武術」、「兵法」などの「類義語」もあり、「対義語」は「現代武術」です。

 「古武道」とは、明治維新以前に成立した「武術流派」を指す場合が多く、室町時代から「剣術」、「柔術」、「槍術」、「弓術」、「砲術」などがそれぞれ様々な「流派」として「技術化」、「体系化」されました。
 明治時代以来、「武道」という「総称」が確立し、「現代武道」と明確に区別する場合に「古武道」と呼ばれるようになったそうです。
 「現代武道」が「人間形成」と「体育的見地」からの「心身」の「鍛練」を目的とし、「スポーツ的」な「競技試合」を重視して「体術」の「体系」を構想しているのに対し(例・柔道、剣術)、「古武道」は基本的に「試合」での「勝敗」を目的とせず(流派によっては他流試合禁止)、「戦闘」・「護身」・「決闘」や、「武士」としての「使命」を果たすための「鍛練」が目的とされていたそうです。
 そのため危険であることから「現代武道」から除かれた「技法」や、各種の「隠し武器」、「活法」、「薬法」、「呪術」、「禅」や、「密教」と結びついた「心法」が含まれます。
 反面、「流派」を伝承する者にも意味が伝わっていない「非合理的」な「動作」や、平和な江戸時代に「形」の「美観」のため加えられた「動作」(華法、花法)が含まれている場合もあるそうです。
 現代では「伝統芸能」、「文化財」としての「意味合い」が強く、「都道府県」や、「市町村」の「無形文化財」に指定されている「流派」も少なくないそうです。

 「日本」の「武士」が「合戦」で戦うための「技芸」を「武芸」といい、これが基となり、「剣術」や、「柔術」などが生まれました。
 「武芸十八般」とは、元は江戸時代初期に「中華」から伝わった「言葉」(十八般兵器)ですが、江戸時代の「日本」の「武家階級」において「武士」が修得すべきとされた18種類の「武技」の「総称」です。
 この18の「武技」の「内容」は「時代」や、「集団」により異なっているため一概にはいえませんが、概ね下記のものがあげられます。

 弓術
 馬術・騎馬術
 水術(泳法術)
 薙刀術
 槍術
 剣術
 小具足
 棒術
 杖術
 鎖鎌術
 分銅鎖
 手裏剣
 含針術
 十手術・鉄扇術・鉄鞭術
 居合術・抜刀術
 柔術・和術
 捕手術
 もじり術
 しのび(陰形)術
 砲術

 「鹿島神宮」では、6月の「第2日曜日」を「武道の日」と定めており、「武道」に関係する様々な「行事」が行われています。
 特に「剣聖」「塚原卜伝」「顕彰」の「事業」である「古武道大会」はその「中心行事」であり、例年10団体約70名が「鹿島神宮」「本殿」前の「特設演武台」にて、日頃から鍛えた「技術」と、「精神」を披露しているそうです。
 「鹿島神宮奉納古武道演武大会」ですが、今年(2016年・平成28年)は6月12日(日)10時00分から行われ、「鹿島新當流」をはじめ、「各流派」の「演武」が行われるそうです。
 今年の「鹿島神宮奉納古武道演武大会」「参加団体」は、下記の通りです。

 鹿島新當流
 日置流雪荷派
 鹿島神流
 鹿島神傳直心影流
 無比無敵流杖術
 一技道武術
 夢想神伝流居合道
 為我流派勝新流柔術
 立身流
 天真正伝香取神道流

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」「本殿前特設演武台」で開催される「武道の日」の「行事」「鹿島神宮奉納古武道演武大会」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮奉納古武道演武大会」詳細

 開催日時 6月12日(日) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮本殿前特設演武台 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-2911

 備考
 「鹿島神宮奉納古武道演武大会」が行われる「鹿島神宮」では、同日(6月12日)に「鹿島神宮奉納小笠原流百々手式」も13時00分から、「小堀遠州流」「献茶式」が14時00分から行われるそうです。

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