本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で6月30日(木)に開催されます「夏越大祓式」です。
「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。
「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。
「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。
「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。
「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。
「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
(摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。
「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
(「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)
「大祓(オオハラエ)」は、6月と、12月の「晦日(ミソカ)」(新暦では6月30日と12月31日)に行われる「除災行事」です。
犯した「罪」や「穢(ケガ)れ」を除き去るための「祓え」の「行事」で、6月の「大祓」を「夏越の祓(ナゴシノハラエ)」、12月の「大祓」を「年越しの祓(トシコシノハラエ)」といいます。
6月の「大祓」は「夏越神事」、「六月祓」とも呼ばれ、「夏越」は「名越」とも標記するそうです。
「行事」としての「大祓」ですが、701年(大宝元年)の「大宝律令(タイホウリツリョウ)」によって正式な「宮中」の「年中行事」に定められました。
この日には、「朱雀門」前の「広場」に「親王」、「大臣(オオキミ)」ほか「京」(ミヤコ)にいる「官僚」が集まって「大祓詞(オオハラエノコトバ)」を読み上げ、「国民」の「罪」や「穢れ」を祓ったそうです。
「衣服」を毎日洗濯する「習慣」や、「水」などのない時代、半年に一度、「雑菌」の繁殖し易い「夏」を前に新しい物に替える事で「疫病」を予防する意味があり、「大祓」はその後、100年ほどは盛大に行われました。
そして「応仁の乱」の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(1691年・元禄4年)に再開され、次第に広まっていきました。
1871年(明治4年)の「太政官」布告にて「明治新政府」により「夏越神事」「六月祓」の「称」の「禁止」と、「大宝律令」の「大祓」の「旧儀の再興」が命じられ、「全国」の「神社」で行われるようになったそうです。
戦後には「夏越神事」「六月祓」の「称」も一部では復活し、現在に至るそうです。
「鹿島神宮」では、「夏越祓」について「伝承」があり、「鹿島」の「古老(コロウ)」曰(イワ)く「鹿島」では、「鹿島神宮」「境内」に「チガヤ」で作った「輪」をくぐると「病気」が避けられ、また、「チガヤの輪」は「邪神」を和(ナゴ)めると伝えられています。
「夏越大祓式」ですが、6月30日、「鹿島神宮」「本殿」前にて行われる「罪穢れ」を祓う「半年」に一度の「神事」です。
「夏越大祓式」は、1月から6月までの「罪穢れ」を祓い、「病気」や、「災厄」を祓うといわれている「神事」で、「夏越大祓式」では、「人形(ヒトガタ)」で「身体」を撫(ナ)で、「息」を三度吹きかけて「心身」の「罪穢れ」を移します。
「夏越大祓式」では、その「人形」は「神事」の後に「お焚き上げ」をし、その「灰」を「御手洗川」に流すそうです。
また「鹿島神宮」「境内」では、6月1日から「茅の輪(チノワ)」を設置し、「大祓用」の「人形」と、「無病息災」・「延命長寿祈願」の「茅の輪」の「お守り」を授受しています。
「夏越大祓式」「当日」に参列できない「方」は、6月1日から30日までの1ヶ月間に「鹿島神宮」で、下記の「要領」で「罪穢れ」を祓い、「心」の「清澄」を取り戻すことができるそうで、「神事」の「流れ」は、下記の通りです。
鹿島神宮境内本殿前に設置される茅の輪をくぐって、罪穢れを祓います。
茅の輪のくぐりかたですが、鹿島神宮楼門を背に、本殿方向に茅の輪を望みます。
一度輪をくぐり、左回りで、もう一度輪をくぐります。
くぐったら今度は右回りでもう一度輪をくぐります。
そして、もう一度左回りでくぐって、そのまままっすぐ本殿に向かいます。
その後、鹿島神宮社務所もしくは特設テントにて、初穂料を渡して、人形を受けとります。
(初穂料は随意)
人形で自分の身体を撫で、息を三度吹きかけ、罪穢れを人形に移します。
人形を専用の箱にいれます。
人形は6月30日の神事の後にお焚き上げし、その灰を御手洗川に流します。
以上が「手順」となります。
今年(2016年・平成28年)の「夏越大祓式」は、6月30日(木)15時00分から斎行されます。
「夏越大祓式」「当日」、「鹿島神宮」「神職」および「参列者」は「祓戸」で「祓」を受けた後、「茅の輪」の前に参集し、「神職」・「参列者」ともに「大祓詞」を「奏上」の後に「茅の輪くぐり」を行い、その後、「人形」は「御手洗川」に流し清められるそうです。
「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」で開催される「罪穢れ」を「人形」に移し、清め「悪疫」を免れる「神事」「夏越大祓式」。
この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「夏越大祓式」詳細
開催日時 6月30日(木) 15時〜
開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209
備考
「鹿島神宮」では、「年末」の「大晦日」(12月31日)に、一年間の「罪穢れ」を祓う「神事」「年越大祓式」が斎行されています。