ご予約・お問合せ 0479-23-5111(代) 受付時間)9:30〜20:00 チェックイン)15:30 チェックアウト)10:00
犬吠埼観光ホテルホームページ
波打ちぎわの天然温泉露天風呂
トップページ
■CALENDAR■
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   
<<前月 2024年10月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■POWERED BY■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■


携帯からもご覧いただけます

「浄国寺お宝めぐり」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「浄国寺」で2月16日(木)に開催されます「浄国寺お宝めぐり」です。

 「浄国寺」(2010年11月23日のブログ参照)ですが、「銚子市」「春日町」に鎮座する「一立山 無衰院 浄国寺」という「浄土宗」の「寺院」で、「浄国寺」の「御本尊」ですが、「阿弥陀如来」、「浄国寺」の「創建」ですが、建長7年(1255年)「記主禅師」「浄土宗第三祖良忠上人」(然阿良忠(ネンナリョウチュウ)上人)が開山したと伝えられています。
 「浄土宗」「所蔵」「海上郡浄国寺事実」(1728年)によると、「浄国寺」の「開基事実」を尋ねても定かではなく、「開創時」の「資料」の無いことを嘆いており、「中興」・「啅助上人」は、この地が、「良忠上人」「縁故の地」であるとして「庵」を結んだとあり、その後、寛文元年(1661年)「顕誉智典上人」が「庵」を訪ね、現在の地に「一寺」を建立することを願い、「深川霊厳寺」の「末寺」となり、「立山無衰院浄国寺」と号したとあるそうです。

 この「寺号」に関して、「浄国寺」「所蔵」の「称賛寺規式条々」(「海上氏」「菩提寺」の「寺内法度」)「裏書」には、「海上氏」が滅び、「称賛寺」も衰退してしまい、現在の地に再建しましたが、「東照山称賛寺」の「寺号」が「徳川家」に憚(ハバ)られるので、「熊野権現」の「夢告」に従い、今の「山号」・「寺号」を決めたと記されており、「寺内法度」である「規式条々」正和元年(1312年)の他、「海上氏」「当主」の「烏帽子(エボシ)」、「海上胤秀」・「内室妙考」・「蔵人親子の像」が伝わっているそうです。
 (「三像」は「戦災」で「焼失」)

 「浄国寺」「境内」の「概観」等ですが、その後、延宝から正徳年間に出来上がったもので、「深川霊厳寺志」には

 「開山記主禅師東関開創四八字随一云々」

 とあり、江戸期には「銚子」の「興隆」と共に発展しましたが、享保8年(1723年)と、「太平洋戦争」で、「諸堂」「字」を焼失してしまったそうで、現在の「浄国寺」「本堂」ですが、昭和37年(1962年)に再建、「浄国寺」「山門」ですが、平成15年(2003年)に再建されています。
 現在の「浄国寺」ですが、「千葉県下」「浄土宗」「寺院」「筆頭」の「別格寺院」となっています。

 「浄国寺」の「西北」には、「望西台」と呼ばれる「高台」があり、明和年間(1764年〜1771年)に、この台にあった「日観亭」という「庵」で、「望西八景」の「歌会」が行われ、文化・文政年間(1804年〜1818年・1818年〜1830年)には、多くの「文人」・「墨客」が訪れており、「夏目成美」の「序」で始まる「墨画帖」には、「小林一茶」・「渡辺華山」等、多くの「文人」・「墨客」の「筆」が、「浄国寺」に残されているそうです。
 尚、「望西台」ですが、「浄国寺」「墓地」の一番「西側」にあり、かつては「眼下」に「銚子」の「市街地」や、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「茨城県」「波崎方面」(茨城県神栖市方面)が望めたようで、ここで詠まれた「句」が、「浄国寺」に残っているそうです。
 しかし現在は、「浄国寺」「崖下」近くに「住宅」や、「アパート」が建ち、「往時」の「面影」が薄らいでいるそうですが、平成17年(2005年)7月、「浄国寺」・「檀徒総代」・「鴎俳句会(カモメハイクカイ)」等の手によって、「浄国寺」「所蔵」の「墨画帖(ボクガチョウ)」に書かれている

 この台の清風ただちに心涼しく 西方仏土(サイホウブッド)もかくやあらんと

 ほととぎす 爰(ココ)をさること 遠からず 一茶坊

 と刻んだ「句碑」が建立されています。
 また「浄国寺」「境内」には、これら「文人」・「墨客」に尽くした「行方屋」・「桂丸」(大里家)の建立した「芭蕉句碑」(松尾芭蕉)、近年、上述の「浄国寺」に建てられた「一茶句碑」等があります。
 また「浄国寺」には、

 古池や 蛙(カワズ)飛び込む 水の音

 等の「俳句」を残した江戸時代の「俳人」「松尾芭蕉」の「碑文」

 枯枝に からすのとまりけり 秋の暮 はせお

 という「句碑」が、「浄国寺」「本堂」「左側」の「熊野大権現」の「側(ソバ)」にあります。
 この「句」は、

 つるべ落としの秋の陽が西山に傾く頃、ふと見上げた大木の枝に葉が一枚もなく、1羽のカラスがとまっているのがなんともいえず淋しい

 という「意味」なのだそうで、この「碑」は「高さ」1m25cmの「自然石」で、「桂丸(カツラマル)」(「銚子」の「俳人」、「大里庄治郎家」「六代目」で、「名」を「富文」という)と、「野崎小平次(ノザキコヘイジ)」によって、弘化2年(1845年)に建立されたそうです。
 「松尾芭蕉」の「句碑」の「説明板」には、下記の「文言」が記されています。

 広大な浄国寺境内の夕暮れには、今でもこうした情景に出会いそうです。
 芭蕉がこの寺を訪ねた記録はありませんが、檀家の行方屋庄次郎(俳号桂丸)が、句碑の片隅に「あきの夕(ユウ) 誰(タ)が身のうへぞ 鐘がなる」の句が添えてあります。
 地元の豪商大里庄次郎と野崎小平次が、俳聖(ハイセイ)芭蕉を追慕して弘化2年に建てました。

 〜原文まま表記〜

 ちなみに「大里庄治郎家」(行方屋(ナメガタヤ))ですが、「茨城県」「行方市」の「出身」で、「行方屋」は「銚子」で「御殻宿」(東北諸藩廻米問屋)として「銚子湊」の「繁栄」を支えたそうです。
 また「大里庄治郎家」は、「銚子」を代表する「旧家」で、「銚子市長」や、「銚子市議会議長」、「銚子商工会議所会頭」等を代々務めた「家柄」なのだそうです。

 「浄国寺」には、その他「墓地内」に「詩人」・「宮崎丈二の墓」があり、「江戸相撲」の「長老」であった「初代 千賀ノ浦 関」の「墓」、「酒仏」とも呼ばれ、「酒」に関する「祈願」・「願掛け」をする「酒徳利」・「猪口」・「御膳」の形をした「お墓」(「鈴木玄庵」という「医師」の「墓」、「師」の「人徳」を慕う「人々」が没後、建立し、礼拝、祈願をするようになった)等があります。

 「浄国寺」「年中行事」は、下記の通りです。

 1月1日 修正会(シュショウエ)

 3月8日(旧暦) 徳本上人奉賛大施餓会(トクホンショウニンホウサンオオセガキエ)
 併修、外川・阿姫(おさつ)供養 (外川漁港・高神)

 3月 春季彼岸会(シュンキヒガンエ)

 4月8日 釈尊降誕会(シャクソンコウタンエ)

 7月 お盆・棚行(タナギョウ) (東京近郊)

 8月1日〜7日 新盆七日法要

 8月13日〜15日 お盆・棚行

 8月16日 施餓鬼会

 8月24日 地蔵盆

 8月24日 川口千人塚施餓鬼会

 9月 秋季彼岸会

 10月第3土曜日 十夜法要・書道展

 12月31日 除夜の鐘

 「浄国寺」では、平成23年(2011年)11月に、「東日本大震災」と、「福島第一原発事故」で、「避難生活」を余儀なくされていた「福島県」「相馬市」の「小学生」を「銚子」に招いた「子ども寺子屋イン銚子」(2011年11月24日のブログ参照)を開催しました。
 「子ども寺子屋イン銚子」では、「福島県」「相馬市」の「小学生」が、「銚子」の「小学生」と交流し、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)や、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)を観光した他、「銚子駅前イルミネーション事業」「LIGHTING CEREMONY(点灯式)」(2011年11月23日のブログ参照)に参加、「浄国寺」にて「チャリティ・コンサート」に参加されています。

 「浄国寺」「境内」には、「樹齢」100年にも及ぶ「雌雄一対」の「大銀杏」や、「松」、「梅」等の「古木」が立ち並び、「梅」の「開花時期」には、多くの「観梅客」や、「参拝客」の「人々」が訪れます。
 「浄国寺」「境内」の「庭」は、「銚子」の「おすすめ観光スポット」のひとつで、中でも「樹齢」300年以上になる「紅梅」・「白梅」が美しい「梅の木」が有名です。
 「浄国寺」の「梅」(2011年2月4日のブログ参照)ですが、「銚子地方」の「梅」の「標本木」(標準木)であり、「銚子」の「春の訪れ」を知らせる「木」として知られています。

 「由緒」ある「寺院」「浄国寺」では、2月16日(木)10時00分から15時00分まで「浄国寺お宝めぐり」を開催するそうです。
 「浄国寺お宝めぐり」ですが、通常「一般公開」されていない「小林一茶」、「渡辺華山」の「直筆」の「書」や、「徳本上人諸侍記」、「釈迦涅槃御掛軸」、「地獄図御掛軸」等、「浄国寺」「所蔵」の「宝物」が「年」に一度、「開催当日」に限り「特別公開」されるそうです。
 なお「浄国寺お宝めぐり」ですが、「無料」で参加できるそうです。

 「銚子」の「名刹」「浄国寺」で開催される「浄国寺」「寺宝」を公開する「年」に一度の「特別公開」「浄国寺お宝めぐり」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「浄国寺お宝めぐり」詳細

 開催日時 2月16日(木) 10時〜15時

 開催会場 浄国寺 銚子市春日町23

 問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「銚子地方気象台」(2011年1月5日のブログ参照)によりますと、1月17日(火)に「職員」が、「浄国寺」「境内」にある「樹齢」300年以上の「銚子地方」の「梅」の「標本木」(標準木)の「開花」を確認されたそうです。
 「浄国寺」の「梅」の「開花」ですが、昨年(2016年)より1日遅い「開花」であったそうで、平年(1月20日)と比べ3日早い「開花」だったそうです。
 ちなみに「銚子地方」の「標本木」(標準木)「浄国寺」の「梅」の「花」の「最早」の「開花日」ですが、1998年(平成10年)1月3日だったそうで、「最晩」の「開花日」ですが、1967年(昭和42年)2月26日だったそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3324 |
| 地域情報::銚子 | 09:48 AM |
「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「飯沼山圓(円)福寺」「大師堂」で2月14日(火)・15日(水)に開催されます「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」、「釈迦涅槃図公開」です。

 「円福寺」(圓福寺)こと「飯沼山圓(円)福寺」(2012年2月19日のブログ参照)は、「真言宗」の「寺院」で、「山号」は「飯沼山」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知られる「飯沼山圓(円)福寺」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「河口」、「日本一の水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)(第1卸売市場)(2010年12月18日のブログ参照)の近くにあり、「銚子市」の中心に位置していたことから、「市街」は、その「門前町」として発展してきました。
 「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)の「門前」「西側」は、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)(2011年10月1日のブログ参照)となっており、「門前」「東側」には「島田総合病院」や「今川焼」の「さのや」(2010年12月16日のブログ参照)があります。

 「飯沼山圓(円)福寺」ですが、「寺伝」によりますと、724年(神亀元年)「漁師」が「海」で、「十一面観世音菩薩」を「網」ですくい上げ、その後弘仁年間(810年〜824年)、この地を訪れた「弘法大師」「空海」が開眼(カイガン)したとされています。
 「飯沼山圓(円)福寺」ですが、鎌倉時代以降、この地を治めた「海上氏」の「帰依」を受け、「寺運」は興隆したそうです。
 天正19年、「徳川家康」に「朱印」を賜り、「諸堂」を整備、安政2年(1855年)刊の「利根川図志」では

 「境内に見せ物 軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑はし」

 と、その「盛況」を写しており、「円福寺」(圓福寺)は「隆盛」を極めていたそうです。
 しかし、1945年(昭和20年)「銚子大空襲」があり、「多宝塔」以下「観音堂」、「仁王門」、「鐘楼」、「太子堂」、「馬頭観音堂」、「二十三夜堂」、「茶枳尼天堂」、「龍蔵大権現堂」など「諸堂」を焼失したそうです。
 その後、「銚子のシンボル」である「観音堂」の「再建」は、昭和46年(1971年)に「衆庶」の「信助」により「見事」に完了。
 「飯沼観音」の「境内」の「大仏」は「銚子」「近在」の「人たち」の「喜捨」で、正徳4年(1714年)に鋳造され、平成20年(2008年)「五重塔」(形式「三間五重塔婆」「総高」33.5m)の「完成」に伴い、現在の「場所」に移っています。

 「飯沼観音」ですが、「一般」に「観音さま」の「呼び名」で親しまれており、「飯沼観音」「境内」には、「江戸」の「豪商」・「古帳庵」の「句碑」などがあり、「日本」における「河川測量」の「原点」である「飯沼水準原標石(イイヌマスイジュンゲンショウセキ)」が存在し、「文化財」としても、「歴史的」、「学術的」にも「価値」があるそうです。
 1872年(明治5年)12月「オランダ人」「リンド」により「水準原標石(スイジュンゲンショウセキ)」(2011年2月21日のブログ参照)が設置され、これを「起点」として「日本水位尺」が定められたそうです。
 「水準原標」とは、「水準測量」(「高さ」を測る「測量」)を行う「時」の「原点」となる「点」のことだそうです。
 また「飯沼観音」は、「坂東三十三観音霊場(バンドウサンジュウサンカンノンレイジョウ)」(2010年10月13日のブログ参照)の「二十七番札所」として「信仰」を集めています。
 なお、「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」ですが、「日本百観音」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」となっています。

 この度(タビ)「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」では、2月14日(火)・15日(水)9時00分から16時00分までの2日間、「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」を開催するそうです。
 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」ですが、「由緒」ある「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」に所蔵されている「寺宝」の「一部」を「拝観無料」で公開している「人気」の「催し」で、毎回「大勢」の「観光客」、「歴史ファン」、「マニア」の「方々」で賑わっています。
 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」開催に伴い、「飯沼山圓(円)福寺」では、下記のような「挨拶」で「御来場」を呼びかけています。

 寺宝展も今回で6回目となります。
 これまでの展示会で毎回
 「これが読めたらもっと楽しいだろうねえ。」
 という感想を頂戴いたしました。
 そこで今回は、13世紀から18世紀の21点を選んで、展示部分の文字を現代の文字に改めたものを添えてみました。
 古い書物を見るだけではなく、読む楽しみも味わっていただければと思います。
 文字には書かれた時代や書いた人の個性が表れます。
 どんな時代だったのだろう、どんな人が書いたのだろうと、想像をめぐらせながら御覧になるのも面白いのではないでしょうか。

 〜文中まま表記〜

 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」の「内容」ですが、13世紀から18世紀の21点を選んで、「展示部分」の「文字」を、現代の「文字」に改めたものが添えてある「寺宝展」で、「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」では、「読む楽しみ」が味わえると共に、「文字」から時代や「人物」を想像しながら御覧いただけるそうです。
 また「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」では、「佐々木孝浩」「教授」による「解説」が行われ、「午前の部」11時00分から、「午後の部」14時00分からとなっており、「両日」とも1日2回開催、「参加」無料、「各回」「定員」150人となっています。
 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」に出展される「展示品」は、下記の通りです。

 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「出典作品」

 源氏物語(ゲンジモノガタリ) 幻(マボロシ) (鎌倉初期)

 源氏物語(ゲンジモノガタリ) 夕霧(ユウギリ) (鎌倉中期)

 古今和歌集(コキンワカシュウ) 20巻存巻4 (鎌倉後期)

 伊勢物語(イセモノガタリ) (南北朝期)

 古今和歌集(コキンワカシュウ) 20巻 (室町前中期)

 着到和歌(チャクトウワカ) (文明12年(1480)10月22日〜11月1日)

 本阿弥光悦筆古歌巻(ホンアミコウエツヒツコカカン) (江戸初期)

 伊勢物語(イセモノガタリ) 伝小堀宗甫畢 (江戸前期)

 東岸居士(トウガンコジ) (寛永元年(1624))

 鉢かつき(ハチカツキ) 3巻 (江戸前期)

 竹取物語(タケトリモノガタリ) 3巻 (江戸前期)

 伊勢物語(イセモノガタリ) 2巻 (慶長13年(1608))

 徒然草 2巻 (慶長17年(1612))

 光悦謡本(コウエツタイボン) 実盛(サネモリ) (慶長)

 三十六人歌合(サンジュウロクニンウタアワセ) 1冊 (慶長)

 八島(ヤシマ) (寛永)

 平家物語(ヘイケモノガタリ) 12巻 (延宝5年(1677))

 好色一代女(コウショクイチダイオンナ) 6巻 井原西鶴著 (貞享3年(1686))

 恋女房染分茶番(コイニョウボウソメワケチャバン) 3巻 櫻川慈悲成著/歌川豊国画 (寛政4年(1792))

 風流錦絵 伊勢物語(フウリュウニシキエ イセモノガタリ) (明和7年(1770))

 援山三十六歌仙(エンザンサンジュウロッカセン) (天明9年(1789))

 また「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」では、「釈迦涅槃図公開」も開催され、2月14日(火)・15日(水)9時00分から16時00分まで行われます。
 「釈迦涅槃図公開」の「イベント内容」ですが、「釈迦涅槃図」(千葉県指定有形文化財)の「ご開帳」や、「飯沼山圓(円)福寺」に伝わる「寺宝」等の「一般公開」を行うそうです。
 また「釈迦涅槃図公開」では、「銚子観光ボランティアガイド」「観光船頭会」「有志」による「お宝」の「案内」もあるそうです。
 「釈迦涅槃図公開」では、「法会」「釈迦涅槃会」も開催され、「詳細」は、下記の通りです。

 「法会」「釈迦涅槃会」詳細

 開催日時 2月15日(水) 10時〜

 開催場所 飯沼山圓(円)福寺 涅槃堂 銚子市馬場町292

 なお「飯沼山圓(円)福寺」、「飯沼観音」の「寺内」の「お宝案内」は、下記の通りです。

 梵鐘「県指定有形文化財」(本坊)
 北斎二世の絵馬(本坊)
 大銅壺(本坊)
 龍伝 水戸光圀公筆(本坊)
 古帳庵句碑(境内)
 龍神 船首像(境内)
 飯沼水準原標石(飯沼観音境内)

 また「飯沼観音」「本堂」では、「特別展示物」「直筆」の「原稿」が展示され、「飯沼観音」「本堂」「特別展示物」は、下記の通りです。

 芥川龍之介 俊寛-硫黄が島

 芥川龍之介 鸚鵡

 芥川龍之介 保吉の手帳

 泉鏡花 夜釣

 泉鏡花 婦系図 第九十五

 歌川龍平 泥棒の弟子入

 賀川豊彦 欧米の宗教的断層

 金子薫園 宇治の夜のこと

 岸本水府 三味線

 北原白秋 香炎華序

 齋藤茂吉 冬探し

 佐藤春夫 海棠日記抄

 田中貢太郎 雑木林の中

 田中貢太郎 真珠飾の帽子

 谷崎精二 盗み

 永田幹生 青春の夢 二の三

 成瀬無極 四十歳

 林芙美子 春の夜店で

 日夏耿之介 詩集 黒衣聖母

 前田曙山 緋金襴 三

 三木露風 南面の窓

 三木露風 清明な世界

 宮崎安右衛門 受難より復活へ

 室生犀星 吉田三郎と僕

 与謝野晶子 江楼夢

 与謝野晶子 家・町

 吉井勇 地異記

 吉井勇 紅声窩小吟

 吉田紘二郎 木槿咲く

 若山牧水 曇り日の座談

 若山牧水 秋風の歌

 「由緒」ある「寺院」「飯沼山圓(円)福寺」「大師堂」で開催される「貴重」な「嵯峨本」を拝観できる「催し」「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」、「千葉県指定有形文化財」の「特別公開」「釈迦涅槃図公開」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」詳細

 開催日時 2月14日(火)・15日(水) 9時〜16時

 開催会場 飯沼山圓(円)福寺大師堂 銚子市馬場町292

 問合わせ 飯沼山圓(円)福寺 0479-22-1741

 備考
 「第6回寺宝展〜くずし字を読んでみよう〜」「釈迦涅槃図公開」ですが、「主催」「飯沼山圓(円)福寺」、「後援」「銚子市」、「銚子市教育委員会」、「協力」「慶應義塾大学附属研究所斯道文庫」、「銚子市観光協会」、「島長水産」、「一山いけす」、「銚子電気鉄道」(2012年2月11日のブログ参照)により、開催されます。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3323 |
| 地域情報::銚子 | 09:48 AM |
「ベーコン・燻製卵づくり体験」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で2月12日(日)に開催されます「ベーコン・燻製卵づくり体験」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「ベーコン」(Bacon)とは、「豚肉」を「塩漬け」して「燻製」にしたものです。
 「ベーコン」ですが、本来は「豚」は「半丸枝肉」を「塩漬け」し「燻煙」した「サイドベーコン」ですが、「日本」では「バラ肉」の「部位」を用いたものを特に「ベーコン」といい、他の「部位」は「ロースベーコン」、「ショルダーベーコン」等というそうで、なお「モモ肉」の「部位」は「ハム」にし、「ベーコン」には加工しないそうです。

 「英語」の「Bacon」ですが、「ゲルマン語」から「古フランス語」「経由」で借用した「語」で、本来は「背中」の「肉」(ロース)を意味しており、おそらく「back」と「語源的」に関係があるようです。
 本来の「ベーコン」は「背中」や、「脇腹」の「肉」を使用するもので、「ヨーロッパ」では実際にそうしていますが、「北アメリカ」で「バラ肉」から作られるようになり、その「習慣」が「日本」にも伝わったそうです。

 「ベーコン」の「製法」は、下記の通りです。

 1 豚のバラ肉を血絞りする。

 2 肉重量の3〜6%の食塩と、砂糖・香辛料等の調味料を加え漬け置きする(塩せき)。

 ※工業的に作る場合、さらに発色剤・防腐剤等の食品添加物類も添加されることが多い。

 3 塩抜きをする。

 4 燻煙する。

 ※工業的に安価に作る場合、燻煙に合わせて、燻液を使うこともあります。

 「ベーコン」の「利用方法」ですが、「具材」兼「調味料」として用いられ、「ほうれん草」等の「野菜」と炒めたり、「スープ」に入れたり、「サラダ」に散らして「香り」と、「旨味」を付与する等、「多方面」に利用できる「食材」でもあります。
 なお、「日本」では「鯨肉」の「畝須」の「部位」を、「鯨のベーコン」と呼び、昭和30〜50年代初頭までは、「豚肉」の「ベーコン」同様に一般的に食されていました。
 また「アメリカ合衆国」では、「脂肪分」の多い「バラ肉」を用いる「ベーコン」は1980年代以降の「健康ブーム」で一時期敬遠され「売り上げ」を落としましたが、その後「風味づけ」のための利用が見直され、また「油脂」による「汚れ」を出さない「調理法」等の「研究」が進んだことから、「ファーストフード店」や、「レストラン」等を起点に2000年代頃から「ブーム」が起きました。

 「燻製」とは、「煙」を使って「食べ物」を加工する事、または加工して作られた物で、特定の「素材」を使い「煙」を起こし作ります。
 「燻製」は、「人類」が「火」を利用しはじめた太古の時代からの「調理法」のひとつとされ、「食材」を燻すことで、「保存性」を高め、独特の「風味」をつけることができ、「日本」においては、「ベーコン」、「スモークサーモン」、「燻製卵」(クンタマ)等が代表的なものとして知られています。

 「燻製」の「分類」ですが、「作成時」の「温度」を「基準」に大別して3つに分けられ、「温度」の高いものから、「熱燻」、「温燻」、「冷燻」となるそうです。

 「熱燻」
 ほぼロースト状態(大体80度以上・食材中のタンパク質が凝固)

 「温燻」
 じんわり温め状態(大体40度ぐらいから80度ぐらい・食材中のタンパク質が凝固しない。脂が溶けている)

 「冷燻」
 燻製をかけるだけ(大体40度未満・食材中の脂が溶けていない)

 なお、上記の「温度」は、「目安」であり、厳密に規定されているものではありません。

 「燻製」ですが、下記のような「道具」・「部材」が必要となるそうです。

 燻煙材

 いわゆるスモークチップ。
 サクラ・ヒッコリー・リンゴ等の樹木を乾燥させチップ状にしたものや、チップを圧縮固形化したスモークウッド、また茶葉等の植物の葉や皮等も用いられる。

 熱源

 燻煙を出し続けるためには、熱源が必要である。
 炭・薪・ガスといった直火や電熱器等が用いられる。
 なお前述のスモークウッドはいわゆる線香のように点火すれば燃え尽きるまで煙を出し続けるため、熱源は不要である。

 燻製器

 燻煙を食材に効率よくかけることができれば、基本的には何でもよい。
 そのため、市販の燻製器の他、中華なべやフライパンを用いることが出来る。
 また木材やダンボール、スチールロッカー等を用いて自作することも可能。
 また上質の燻製を作るためには、温度管理が必要となるため温度計、サーモスタットを用いることもある。

 「燻製」に適した「食品」ですが、「燻煙」は「脂」にのりやすい(風味がつきやすい)ため、一般的には「脂質」の多い「食材」が「燻製」に適しているとされています。
 逆に「食材表面」に「水分」が多いと「燻煙」が「水分」と反応し、「タール化」され、苦くなったり、酸っぱくなったりするため、不向きとされています。

 「ベーコン・燻製卵づくり体験」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「新春」の「恒例イベント」で、2月12日(日)10時00分から14時00分まで行うそうです。
 「ベーコン・燻製卵づくり体験」の「定員」は20人(申し込み順)、「参加費」ですが、1000円で、「申し込み」は事前に「ふれあいパーク八日市場」までとなっています。
 「ベーコン・燻製卵づくり体験」の「内容」ですが、「簡単」な「手作りベーコン」と、「燻製卵」の「作成体験」となっています。
 「ベーコン・燻製卵づくり体験」が行われる「ふれあいパーク八日市場」では、「参加者」の「皆さん」に「持参品」として、「軍手」、「エプロン」、「三角巾」、「ベーコン持ち帰り用」の「容器」、「昼食」(ふれあいパーク八日市場内でも購入できます)の「持参」を呼びかけています。

 「匝瑳」の「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「ふれあいパーク」「新春恒例イベント」「ベーコン・燻製卵づくり体験」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ベーコン・燻製卵づくり体験」詳細

 開催日時 2月12日(日) 10時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「日本」では普通「ベーコン」は「バラ肉」を用いますが、「ロース肉」を使ったものを「ロースベーコン」(カナディアンベーコン)、「肩肉」で作ったものを「ショルダーベーコン」というそうです。
 「ベーコン」は、「弱火」でじっくりと焼くことで「油」が溶け出し、「カリカリ」に揚がった状態になり、これは「フライド・ベーコン」と呼ばれ、「ベーコンエッグ」や、「シチュー」等にも使われています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3322 |
| 地域情報::匝瑳 | 09:48 AM |
「飛行機工作教室」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」1F「多目的ホール」で2月11日(祝・土)・12日(日)に開催されます「飛行機工作教室」です。

 「航空科学博物館」(Museum of Aeronautical Sciences)(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想の普及」及び「航空科学技術の振興」に寄与し、あわせて「日本の航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」1F「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」1F「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。

 「航空科学博物館」2F「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」2F「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」は、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」は、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、様々な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」3Fは、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を離着陸する「ジャンボ」を間近に眺め、迫力ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」4Fは、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」5Fでは、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に離着陸する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」屋外には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」の「沿革」は、下記の通りです。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年)  入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 2015年(平成27年) 6月20日 博物館敷地内に「航空科学博物館バスターミナル」を開設。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」様々な「催し」、「イベント」を行って、「展示即売会」(航空スケッチ大会、紙飛行機工作教室、航空機の部品・航空グッズの販売を行う航空ジャンク市等)などを催行しています。

 「飛行機工作教室」ですが、「航空科学博物館」「館内」1F「多目的ホール」を「会場」にして開催される「体験教室」で、「建国記念日」の2月11日(祝・土)、「翌日」の2月12日(日)の「各日」13時00分から14時30分まで行われます。
 「飛行機工作教室」の「費用」は、「材料費」300円となっており、「飛行機工作教室」の「申込方法」ですが、「飛行機工作教室」「開催日」「当日」(各日)に、「航空科学博物館」「開館」(10時00分から)と同時に「受付」にて、「原則」「小学生」以上、「先着」40名に「整理券」を配布するそうです。
 「飛行機工作教室」の「内容」ですが、「お子様」向けの「ゴム動力飛行機」を作って飛ばす「体験教室」となっており、また「飛行機工作教室」では、「ゴム動力飛行機」のよく飛ぶ「コツ」等も説明してくれるそうです。

 「航空専門」の「博物館」「航空科学博物館」で開催される「体験教室」「飛行機工作教室」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「飛行機工作教室」詳細

 開催期間 2月11日(祝・土)・12日(日)

 開催時間 各日13時〜14時半

 費用   材料費300円(先着40名様・原則小学生以上)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時(入館〜16時半)

 入館料  大人 500円 中高生 300円 4才以上 200円

 休館日  月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「飛行機工作教室」が開催される「航空科学博物館」周辺には、「人気」の「観光スポット」、「道の駅」「道の駅風和里しばやま」(2011年8月27日・2010年9月8日のブログ参照)、「空の駅風和里しばやま」(2012年9月5日・4月23日のブログ参照)があります。
 この度(タビ)「道の駅風和里しばやま」、「空の駅風和里しばやま」では、下記「日程」で「設備点検」のため、「休館」となるそうですので、ご来訪の予定の方は、ご注意下さいとのことです。

 道の駅風和里しばやま 2月22日(水)

 空の駅風和里しばやま 2月23日(木)

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3320 |
| 地域情報::成田 | 10:04 AM |
「関万歳(セキマンザイ)」(九十九里町)
 本日ご案内するのは、近隣市「九十九里町」「皇産霊神社」で2月11日(祝・土)に開催されます「関万歳(セキマンザイ)」です。

 「九十九里町」は、「山武郡」に属する「まち」であり、「旧・山辺郡」に属していた「まち」で、「名前」の通り「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面しており、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)の「名産地」として知られており、「千葉県」の「南東部」の「太平洋岸」に位置し、「九十九里浜」で有名です。
 「九十九里町」の隣接する「自治体」は、「東金市」、「山武市」、「大網白里市」となっています。

 「九十九里町」の「産業」ですが、「漁業」、「水産加工業」、「観光業」、「ガス事業」となっています。
 「九十九里町」の「漁業」は、主(オモ)に「イワシまき網漁業」、「小型船」による「ハマグリ漁」、「観光遊漁船」(釣り船)の3種となっており、「九十九里町」の「漁業」は「片貝漁港」を中心に営まれています。
 「片貝漁港」は、「山武郡」にある「第4種漁港」で、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)の「中央部」を流れる「作田川」「河口」に位置し、「海岸」近くを走る「千葉県道30号線」「飯岡一宮線」沿いに「市街地」が形成されている「九十九里町」にあります。
 「片貝漁港」は、「避難港」でもあるため、「利用漁船」が「安全円滑」に「出入港」できる「航路」の「確保」が「課題」となっており、また円滑な「輸送機能」を確保するため「幹線道路」との「スムーズ」な「アクセス」を図る「道路」も「課題」となっているそうです。

 「九十九里町」の「水産加工業」は、主(オモ)に「カタクチイワシ」を「原料」とした「水産加工業」が行われています。
 「九十九里町」「水産加工業」の「生産品目」ですが、「みりん干し」、「目刺し」、「丸干し」、「煮干」、「ごま漬け」、「野菜漬け」となっています。
 なお、「九十九里町」の「地元」で採れる「岩ガキ」(2012年5月28日のブログ参照)は、「大ぶり」で「味」が「クリーミー」だそうです。

 「九十九里町」の「観光業」は、「海水浴」、「サーフィン」、「海釣り」等があります。
 1970年代頃まで「九十九里」における「観光」といえば、「夏季」の「海水浴」が中心で、「浜沿い」には「季節民宿」が営まれていました。
 しかし、「自動車」の「普及」と「交通網」の「整備」により、「九十九里」は「首都圏」からの「日帰り圏」となってしまい、現在ではほとんど見られなくなったそうです。
 「九十九里町」の「サーフィン」ですが、「四季」を通じて「質」の良い「波」を求めて、たくさんの「サーフィン」がやってくる「人気サーフスポット」となっています。
 「九十九里町」の「ガス事業」ですが、「九十九里平野」の中にあるため、「天然ガス」が噴出しており、「九十九里町」の「町内」の「ガス供給」は「まち」が行っています。

 「九十九里町」の「交通」ですが、1961年(昭和36年)までは「東金駅」と、「片貝」を結ぶ「九十九里鉄道」がありましたが、現在は廃止されています。
 「九十九里町」の「バス」ですが、「ちばフラワーバス」・「小湊鐵道」・「九十九里鉄道」によって「路線」が運行されており、「東京駅」や、「千葉駅」と、「片貝」や、「サンライズ九十九里」を結ぶ「高速バス」、「急行バス」も運行されています。

 「九十九里町」の「名所」・「旧跡」・「観光スポット」は、下記の通りです。

 「片貝海水浴場」

 「豊海海水浴場」

 「ビーチタワー」

 「伊能忠敬記念公園」

 「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「生家跡」や、「銅像」などがあり、「伊能忠敬出生地」として「千葉県」の「史跡」に指定されています。
 ちなみに「伊能忠敬」ですが、「上総国」「山辺郡」「小関村」(現在の九十九里町小関)で生まれたそうです。

 「関東地方甘藷栽培発祥の地碑」

 「九十九里町」では、享保20年(1735年)、「不動堂村」ほか2箇所で「青木昆陽」による「サツマイモ」の「試作」が行われ、「関東」で初めて成功したそうです。
 「関東地方甘藷栽培発祥の地碑」ですが、「豊海小学校」の近くにあり、「青木昆陽不動堂甘藷試作地」として、「千葉県」の「史跡」に指定されています。

 「武家屋敷門」(2015年7月26日のブログ参照)

 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」の4つの「海水浴場」(片貝、不動堂、真亀、作田)のひとつで、「子ども」から「お年寄り」まで安心して遊べるよう、「自然環境」が整備されています。
 「片貝中央海岸」では、4月下旬には、「本州一」早い「海開き」が開かれています。
 「片貝中央海岸」は、「九十九里町」で「元日」に行われる「元旦祈願祭」(2013年12月27日のブログ参照)の「会場」としても知られている「海水浴場」です。

 「皇産霊神社」ですが、「山武郡」「九十九里町」「片貝」(上総国山辺郡)に鎮座する「神社」で、「旧社格」は「郷社」です。
 「皇産霊神社」は、「俗称」・「産土さま(ウブスナサマ)」と呼ばれ、「地域」の「人々」に親しまれている「神社」で、「皇産霊神社」「本殿」は、「九十九里町」の「町指定文化財」に指定されています。
 「皇産霊神社」の「御祭神」ですが、「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」、「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」、「神皇産霊神(カミムスビノカミ)」を「主祭神」として祀っています。

 「皇産霊神社」ですが、天慶年間(938年〜946年)の「創建」と伝えられ、往時は「本隆寺」を「別当寺」として「第六天神宮」と称していましたが、明治の「神仏分離令」で、「天御中主神」・「高皇産霊神」・「神皇産霊神」を「御祭神」とし、「社号」を「皇産霊神社」と改め、大正2年(1913年)「郷社」に列しました。

 「皇産霊神社」では、毎年「正月13日」は「祭礼日」で、昔の3村の「各部落」から「氏子」が「太鼓」等を載せた「山車」を「先頭」に「囃子」で囃しながら「皇産霊神社」へ向かい、「幟(ノボリ)」を「皇産霊神社」「鳥居」前に並列し、「神官万歳」を唱え、「福」の「種」を撒いたそうです。
 寛政6年(1794年)「小関村」と、「片貝村」の「水争い」から「堰」を作り、「水」を分け合うようになったことを祝い、「漫才」が行われていたという「伝承」があり、「関万歳(セキバンザイ)」になったと伝えられており、また「獅子舞」・「かっこ舞」の「奉納」もあるそうです。

 「関万歳(セキバンザイ)」の「祭り」では、昔の3村の「鎮守」である「須原区」・「正一稲荷神社」、「屋形区」・「恵比寿神社」、「西の下区」・「八坂神社」から、「氏子」が「太鼓」等を載せた「山車」を「先頭」に「囃子」を囃しながら、「皇産霊神社」へ向かうそうです。
 「関万歳(セキバンザイ)」では、多くの「出店」や、「獅子舞」・「鞨鼓舞」の「奉納」がある他、「福の種まき」と呼ばれる「神事」が行われるそうです。
 「関万歳(セキバンザイ)」で奉納される「鞨鼓舞」、「獅子舞」ですが、「須原鞨鼓舞」、「屋形獅子舞」、「西の下獅子舞」です。

 「屋形獅子舞」は、江戸中期の正徳元年(1711年)、「夷大明神」の「遷宮祭」で「獅子舞」を奉納し、「五穀豊穣」・「浜大漁」を祈願したのが「はじまり」と伝えられています。
 「恵比寿神社」と、「八坂神社」の「祭礼」(屋形のまつり)では、「宮獅子」として「平獅子」を舞いましたが、時代とともに「芸獅子」の「演目」が増えました。
 現在は「三番叟・序の舞・平獅子(布舞・語弊の舞・鈴の舞)・下手・相生」、「芸獅子」として「四つ足・玉取り・蛇・花かがり・蜘蛛」、「狂言」として「伊勢参り・鳥刺し・和唐内」、「囃子」として「屋形囃子・中山囃子・馬鹿囃子」等多数の「演目」が演じられます。
 「狂言もの」は「地区」の「子供たち」が「主役」で、長い「台詞」をこなし「大人顔負け」の「演技」を披露します。
 「九十九里町」では、「芸能」の「伝承」のため十年単位で「発表会」を開催しており、直近では、平成23年(2011年)に12年ぶりに「獅子舞大会」が開かれています。

 「西の下の獅子舞」は、「八坂神社」の「祭礼」(毎年旧暦2月7日)で、「神社」と、「御仮屋」で奉納された後、「神輿」とともに「ムラ廻り」をしながら演じられます。
 「西の下の獅子舞」は、江戸後期の文政2年(1819年)、「東金」・「松ノ郷」の「八坂神社」を「西の下」に勧請した際、「江戸」の「魚河岸」から寄贈された「神輿」の「露払い」として、「区内」の「長男」に「獅子舞」を伝習されたのが「はじまり」と伝えられています。
 「西の下の獅子舞」の「演目」は、「神社」や、「村廻り」では、「悪魔払い」の「平獅子」(序の舞・語弊の舞・鈴の舞)が演じられます。
 「舞台」等では、「芸獅子」(相生・四つ足・玉取り・蛇がかり・蜘蛛がかり・花がかり・お染獅子・鳥刺し・和唐内・伊勢まいり岡崎)等が演じられます。

 「関万歳(セキバンザイ)」では、「鞨鼓舞」や、「獅子舞」の「舞手」や、「関係者」が「皇産霊神社」へ向かい、「神社」の「隣近所」の「民家」で休息するそうです。
 その頃「皇産霊神社」には、多くの「参拝者」が集まり、「皇産霊神社」「境内」に設けられた「特別舞台」で行われる「手品」を見学するそうです。
 そして、まず「須原区」の「鞨鼓舞」の「メンバー」が「近所の民家」から入り、「神前」で「お払い」を受けたあと、「特別舞台」で「鞨鼓舞」が行われ、「鞨鼓舞」ですが、「一人立三匹」で「鞨鼓」(鼓)は持たないそうです。
 「獅子舞」は「龍顔」で、「舞台」「正面」に「語弊」を3本立て、「比較的」ゆったりと約20分間舞い、「舞手」は「小学生」で、この「鞨鼓舞」は、この後行われる「獅子舞の厄払い」(場所を清める)のために「舞い」だといわれています。

 「関万歳(セキバンザイ)」では、「獅子舞の厄払い」に続き、「餅まき」が行われます。
 「餅まき」の「餅」ですが、「紅白」の7〜8cmの「丸餅」で、1個づつ「ビニール」で包まれ、「餅」には10個〜20個に1個の「割合」で「赤」、「黒」等の「紙」が入っており、それぞれ「ラーメン」、「タッパー」等が当たるそうです。
 「餅まき」は、昔は「福の種まき」といい、「餅」の「籾種」と、「赤大豆(ササゲ)」といったものをまき、これを「家」の「神前」に供え、「丘万作」・「浜大漁」・「家内安全」を祈ったといわれていますが、現在は「餅」のみが、まかれるそうです。
 「餅まき」ですが、「関万歳(セキバンザイ)」中、3回行われる「鞨鼓舞」、「獅子舞」、「獅子舞」の後に3回行われ、「餅」は「豪勢」に、「計」4俵(約240kg)も撒くそうです。

 「鞨鼓舞」は、「小学生」のみの「舞手」が舞いますが、「鞨鼓舞」に続いて行われる「屋形区」・「西の下区」の「獅子舞」は、それぞれ「小学生」と、「青年」の2組づつが舞うそうです。
 「獅子舞」ですが、「2人立1匹」で、「小学生」は「獅子」には「道化」が「面」を付けて現れ、「獅子」を「餌」で釣ったり、からかったりし、「舞」は「手振り」、「足運び」等熟達した「白熱」の「演技」だそうです。
 「関万歳(セキバンザイ)」にも参加する「西の下」の「獅子舞」ですが、「八坂神社」に伝承されており、この「獅子舞」は、文政2年(1819年)に「八坂神社」が創建されたときに、「江戸」の「魚河岸」から「神輿」が寄贈され、その「神輿」の「露払い」として「獅子舞」が伝習されたのが「はじまり」とされており、「西の下区」の「獅子舞」ですが、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 なお、「関万歳(セキバンザイ)」ですが、昔、旧1月13日〜14日に催行されていましたが、数十年前から現在の2月11日に行われるように変わったそうです。

 「九十九里」の「丘万作」、「浜大漁」の「守護神」である「古社」「皇産霊神社」で催行される「祭礼」「関万歳(セキバンザイ)」。
 この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「関万歳(セキバンザイ)」詳細

 開催日  2月11日(祝・土)

 開催会場 皇産霊神社 山武郡九十九里町片貝前里地区

 問合わせ 九十九里町教育委員会 0475-70-3192

 備考
 「関万歳(セキバンザイ)」の「様子」ですが、「九十九里ポータルサイト」にて「動画」で公開されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3318 |
| 地域情報::九十九里 | 10:54 PM |
「紀元祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「本殿」で2月11日(祝・土)に開催されます「紀元祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「紀元節祭」ですが、「紀元節」が「祭日」とされていたとき、その「当日」、「宮中」の「賢所」、「皇霊殿」、「神殿」で行われた「祭事」で、「紀元節」の「祝宴」も行われ、また、「全国」の「神社」においても行われていたそうです。
 「紀元節祭」は、初めて「紀元節」とされた1873年(明治6年)1月29日に、「宮中」の「皇霊殿」において行われたのが「最初」なのだそうです。
 このときには「皇霊殿」においてのみ「祭祀」が行われ、「賢所」には「便り」の「御拝」が行われただけであったそうで、1914年(大正3年)から、「全国」の「神社」でも「紀元節祭」を行うように定められ、1927年(昭和2年)の「皇室祭祀令」の「一部改正」によって、「賢所」、「皇霊殿」、「神殿」の「宮中三殿」において行われるようになったそうです。

 「紀元節祭」は、「皇室祭祀令」が定める「大祭」のひとつで、「天皇」が「皇族」および「官僚」を率いて親ら「祭典」を行います。
 「天皇」の「出御」は午前9時30分で、「御拝礼御告文」を奏して「入御」。
 ついで「皇后」、「皇太后」の「御拝」、「皇族」の「御拝」があります。
 「参列員」は「文武高官」「有爵者」「優遇者」、「勅任待遇」までの「官僚」で、「正午」から午後3時30分(15時30分)まで、「有資格者」の「参拝」が許されたそうです。
 「当夜」は「賢所御神楽」の「儀」に準じて「皇霊殿」に「御神楽」の「奏楽」があり、このとき「天皇」が「御拝」して、「入御」ののち「神楽」に移り、「天皇」は、「神楽」が終わるまで就寝しなかったそうです。
 「紀元節祭」は、「伊勢神宮」、「官国幣社」以下の「神社」においては、1914年(大正3年)から、「中祭式」で「祭典」が行われました。

 1947年(昭和22年)5月2日の「皇室祭祀令」「廃止」、1948年(昭和23年)7月20日の「休日ニ関スル件」「廃止」を受けて、1949年(昭和24年)以降、「紀元節祭」という「名称」の「宮中祭祀」は行われなくなったそうです。
 ただし、「昭和天皇」は同年より2月11日に「宮中三殿」で「臨時御拝(リンジギョハイ)」という「名目」で「紀元節祭」と同様の「祭祀」を行い、「今上天皇」もこれを継承しており、「橿原神宮」へも「勅使」が派遣され、「御神楽奉納」は「神武天皇祭」(4月3日)に併せて行われています。

 「民間」では、「一部」の「有志」によって「建国祭」等と「名称」を変えて「式典」が行われているそうで、また、1967年(昭和42年)の「建国記念の日」「制定」以降、「全国」の「神社」でも再び「紀元節祭」が行われるようになったそうです。
 「神社本庁」等から「宮中」での「紀元節祭」「復活」の「要求」があるそうですが、「宮内庁」はこれを拒否しているそうです。
 「紀元祭」は、「神武天皇」「建国」の「大業」を仰ぎ、「日本民族」の「自覚」を深め、「皇室」の「隆昌」と「国家」の「安泰」を祈念する「祭祀」です。

 「紀元祭」ですが、「鹿島神宮」で執り行われる「行事」のひとつで、上記のように「日本」の「建国」を祝賀する「祭祀」です。
 「鹿島神宮」では、2月11日(祝・土)に「紀元祭」を執り行っています。
 「鹿島神宮」「紀元祭」は、上記のように「初代」「神武天皇」が「橿原」の「宮」に即位され、「我が国」を始められたことをお称えすると同時に、今後長きにわたって栄えることを祈る「祭典」なのだそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で開催される「新春」に行われる「国」の「始まり」を祝い、「益々」の「発展」を祈願する「祭祀」「紀元祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「紀元祭」詳細

 開催日時 2月11日(祝・土) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 本殿 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「紀元節」は、「古事記」や、「日本書紀」で「日本」の「初代天皇」とされる「神武天皇」の「即位日」をもって定めた「祝日」で、かつての「祝祭日」の中の「四大節」のひとつなのだそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3317 |
| 地域情報::鹿島 | 10:55 AM |
「時曽根の大蛇まつり」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「時曽根コミュニティセンター」で2月8日(水)に開催されます「時曽根の大蛇まつり」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と、「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、37709人となっており、「男性」18633人、「女性」19076人、「世帯数」14483世帯となっています。
 (平成28年12月31日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して「良好」なため、上記のように「温暖」な「気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「いちご」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ねぎ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県」「唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」などが作られています。

 「匝瑳市」の「市内」の「見どころ」(見逃せないポイント)ですが、下記の通りです。

 飯高寺(国指定重要文化財)(2011年10月7日・4月22日・2010年10月9日のブログ参照)

 約6万7千平方mの境内には、総門、鐘楼(ショウロウ)、鼓楼(コロウ)、講堂の4棟が国指定、そして一切経蔵(イッサイキョウゾウ)、題目堂(ダイモクドウ)、庫裡(クリ)が県指定の文化財として保存され、これらの建造物を巨大な森が包みこみ、見事なほどに調和しています。
 四季折々のかもし出す景観は、訪れる人々にきっと驚嘆をあたえることでしょう。

 ここを起点として成田市三里塚(成田国際空港のある所)の地名が起こっています。

 この周辺は起伏に富み、飯高寺だけではなく飯高神社、妙福寺、黄門桜(2012年4月1日のブログ参照)、天神の森、八坂神社など、見逃せないポイントが多く所在しています。

 松山庭園美術館(2011年2月25日のブログ参照)

 この美術館は、芸術家の此木三紅大(コノキミクオ)のコレクションとアトリエを公開したものです。
 数々の名画や茶道具を中心に展示し、庭園内には企画展示館、長屋門、見晴らし亭、茶室などが点在しています。

 四季折々の景観の中にある野外彫刻もお楽しみ下さい。

 開館日 金曜日、土曜日、日曜日、祝日

 開館時間 10時から17時まで(7月と8月は18時まで)

 入館料 大人800円、小中学生400円、団体(20人以上)は各100円引き

 問合わせ 松山庭園美術館 0479-79-0091

 八重垣神社の祇園祭(2016年8月3日のブログ参照)

 八日市場の夏を代表する「祇園祭」は、毎年8月4日、5日の両日、市内中心部に鎮座する八重垣神社の祭礼として行われています。
 中央地区10町内ごとに、ねじり鉢巻に法被姿の若者が20数基の神輿を担ぎ、渡御する威勢のよい祭りです。

 4日は、女神輿が男神輿に負けじと10町内を渡御し、5日は連合渡御に始まり、連合渡御で幕が閉じられます。
 この2日間は真夏の煮えたぎるような暑さと、見物客とを祭りの熱気が飲み込んでしまうほど、町内が燃え上がります。

 この祇園祭の歴史は古く、神輿の担ぎ手と囃子連が一対となり、独特の曲「まつり囃子」の演奏によって終始担ぎ手を囃し立てる様相は、全国的にも極めて珍しい特徴です。

 開催日時 毎年8月4日、5日

 交通 JR八日市場駅下車、徒歩3分

 ふれあいパーク八日市場(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)

 東総広域農道沿いに都市と農村の交流ターミナルとして、毎日大勢の方々に、地元で収穫した新鮮な農産物販売や、花・植木の販売を行っています。

 また、郷土料理を売り物とした「里の香」での食事は、まさに「ふるさとのおふくろの味」が楽しめます。

 また「匝瑳市」は、上記のように「日本有数の植木のまち」として知られていますが、「巨樹」・「巨木」の「数」でも「全国」で「ベスト10」に入るほどなのだそうです。
 このことから、この「土地」の「人達」が古くから「樹木」を大切にしてきたという「証し」となっています。

 「時曽根の大蛇まつり」が行われる「匝瑳市」「豊栄地区」(旧・豊栄村)は、1889年(明治22年)4月の「九か村合併」により、「新村」の「豊富」・「繁栄」を祈願する「住民」により「村名」がつけられた「地区」だそうです。
 当時、「市域」では「最多」の「九か村」による「合併協議」は難航し、「村名決定」は、ぎりぎりまで伸び、「候補」の七つの「村名」から「豊栄村」が選ばれたそうです。
 「時曽根(トキソネ)」を除いた「八か村」は、中世以降の「集落」が、近世になり「村」を形成、「時曽根村」は「新田集落」であり、「村」の「成立」は、400年程前までさかのぼるそうです。
 「時曽根村」では、毎年2月に「大蛇(ダイジャ)」3匹を「藁(ワラ)」で作り、「集落」の「入り口」につるすという「行事」を行っており、「ムラ」を「疫病」等から守ろうとする「村びと」の「願い」を「かたち」が今に伝わるものなのだそうです。

 上記のように「時曽根の大蛇まつり」は、毎年2月8日に行われており、「時曽根」に古く伝わる「神事」なのだそうで、「時曽根の大蛇まつり」「当日」は「疫病退散」等を祈願して、「習わし」にならい、「集落」の「入り口」に「藁の大蛇(ワラノダイジャ)」を吊るすそうです。

 「時曽根の大蛇まつり」「当日」の「朝」、「集落」の「各家」から「藁」を持ち寄った「若者」によって「長さ」3m、「太さ」30cm程の「大蛇」が3匹作られます。
 この「大蛇」は、特に「上あご」・「下あご」を「念入り」に編み上げ、大きく開いた「口」から「舌」が出ているように「形」を整えられます。
 「大蛇」が出来上がると、「千手院」から受けた「お守り札」を、「頭」や、「胴」につけ、「藁の大蛇」の「口」を開いて「御神酒(オミキ)」を注ぎ、「入魂」した後、「集落」(地区)の3ヶ所の「木」に「藁の大蛇」がかけられ、「家内安全」、「無病息災」、「悪魔退散」等を祈願するそうです。

 「時曽根の大蛇まつり」が行われる2月8日は昔から「事八日(コトヨウカ)」と呼ばれ、「疫病神」等が来訪する「日」とされ、これから身を守るために「各地」で「魔除けの行事」が行われてきたそうです。
 また「時曽根の大蛇まつり」で、「藁の大蛇」を「集落」(地区)の「三方」の「入り口」の「木」に吊るす「意味」ですが、「悪病」や、「災い」の「浸入」を防ぐために行われていると云われています。

 「時曽根コミュニティセンター」、「豊栄地区」「時曽根」で開催される「地域」に伝わる「伝統行事」「時曽根の大蛇まつり」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「時曽根の大蛇まつり」詳細

 開催日時 2月8日(水) 8時頃〜

 開催会場 時曽根コミュニティセンター 匝瑳市時曽根588

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「時曽根の大蛇まつり」のような「藁」で作った「大蛇」を吊るす「行事」ですが、「辻切り(ツジキリ)」と呼ばれています。
 「辻切り」とは、「藁」で作った「大蛇」を「集落」の「東西南北」の「辻」に結び付け、「悪霊」や、「疫病」が入ってこないようにする「民俗行事」で、「辻切り」によって1年間「集落」の「安全」を守り続けるといわれています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3316 |
| 地域情報::匝瑳 | 11:12 AM |
「野鳥観察会」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で2月11日(祝・土)に開催されます「野鳥観察会」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(オゴソ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」等があります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「水鳥(ミズドリ)」ですが、「水辺」に棲息する「鳥」の「総称」です。
 「水鳥」は、「川」、「水田」、「湖沼」、「湿原」、「海岸」等に棲息し、「指」の「間」に「水かき」をもち、「水上」、または「水中」での「行動」に適した「体形」に進化しており、「陸上」や、「樹上」での「敏捷性(ビンショウセイ)」にかけるものが多いそうです。
 「水鳥」は、「羽根」は「断熱」と、「撥水(ハッスイ)」のため、多くの「空気」を含む「性質」を有することから、「防寒着」や、「寝袋」等の「中綿」に利用されています。

 「水鳥」ですが、「魚」、「両生類」、「貝」、「甲殻類」等「動物食」のもの、「水草」、「海草」等「植物食」のものがあります。
 なお、「水鳥」ですが、「俳句」では「冬の季語」になり、「冬」の「水上」の「鳥」を総称していうそうで、「鴨」、「鳰(ニオ・カイツブリ)」、「千鳥」、「都鳥(ミヤコドリ)」、「鵞鳥(ガチョウ)」等が入るそうです。
 また、「水」に浮いたまま、眠っている「鳥」を「浮寝鳥」といわれています。

 「カモ」(鴨、英・duck)とは、「カモ目」「カモ科」の「鳥類」のうち、「雁(カリ)」に比べて「体」が小さく、「首」があまり長くなく、「冬羽」(繁殖羽)では、「雄」と、「雌」で「色彩」が異なるものをいい、「カルガモ」のように、ほとんど差のないものもあり、「分類学」上のまとまった「群」ではないそうです。

 「カモ」は、「日本」では主(オモ)に「カルガモ」、「オシドリ」等が通年棲息し、「日本全国」の「河川」や、「湖」等で見られ、「日本」では、多くが「冬鳥」であるため、「冬季」には、「マガモ」、「コガモ」、「オナガガモ」、「スズガモ」等「多種」が見られます。
 「カモ」ですが、「野生種」では「生息数」や、「生息地」の「減少」から「ワシントン条約」や、「日露渡り鳥保護条約」、「日中渡り鳥保護協定」、「日米渡り鳥保護条約」、「ボン条約」(日本は未加盟)等の「摘要」を受けている「種」も多く、「生息地」が「ラムサール条約」に登録されることもあります。
 「日本」では、「鳥獣保護法」において、「狩猟可能」な「種」と、「時期」、「地域」、「猟具」等が定められています。

 「カイツブリ」(鳰、ヘキテイ、英・Tachybaptus ruficollis)は、「カイツブリ目」「カイツブリ科」「カイツブリ属」に分類される「鳥類」で、「全長」約26cmと、「日本」の「カイツブリ科」のなかではいちばん小さいそうです。
 「カイツブリ」の「分布」ですが、「アフリカ大陸」、「ユーラシア大陸」の「中緯度」以南、「イギリス」、「インドネシア」、「ソロモン諸島」、「日本」、「パプアニューギニア」、「フィリピン」、「マダガスカル」に生息し、多くは「留鳥」でありますが、「北」のものは「生息場所」の「連結」を避け、「南」に移動するそうです。
 「カイツブリ」は、「日本」では、「本州」「中部」以南では、「留鳥」として周年生息しますが、「北部」や、「山地」のものは、「冬」に渡去することから、「北海道」や、「本州」「北部」では「夏季」に飛来する「夏鳥」となるそうです。

 「カイツブリ」の「形態」ですが、「全長」は25〜29cm、「翼開長」40〜45cm、「体重」130〜236gで、「尾羽」は非常に短く、「外観」からはほぼ「判別」できないそうです。
 「カイツブリ」の「翼」の「色彩」は一様に「黒褐色」、「嘴(クチバシ)」は「短め」でとがり、「先端」と、「嘴基部」に「淡黄色」で、「ヨーロッパ」の「亜種」は「黒褐色」となっています。
 「カイツブリ」は、「夏季」には、「夏羽」として「頭部」から「後顎」が「黒褐色」で、「頬(ホホ)」から「側顎」が「赤褐色」の「羽毛」で覆われており、「体上面」は「暗褐色」、また「嘴」の「色彩」が黒く、「斑」が「明瞭」となっています。
 「カイツブリ」は「冬季」には「全体」として「淡色」な「冬羽」となり、「頭部」から「体部」にかけての「上面」は「暗褐色」で、「下面」は「淡褐色」、「頬」から「側顎」も「黄褐色」の「羽毛」で覆われており、「嘴」の「色彩」は「暗灰色」で、「斑」が「不明瞭」、「幼鳥」は「頭部」や、「顎部」に「黒」や、「白」の「斑紋」が入り、「嘴」の「色彩」が赤いそうです。
 「カイツブリ」は、「足」は「体」の「後部」の「尻あたり」から生えており、歩くには「非常」に「バランス」が悪いですが、「足」を「櫂」のように使って潜って泳ぐそうです。

 「千鳥」(チドリ、学名・Charadrlidae)は、「チドリ科」「鳥類」「チドリ目」の「科」であり、「チドリ」(千鳥・鵆)と総称されます。
 「千鳥」の「分布」ですが、「極地」を除く「全世界」となっており、「形態」ですが、「メス」よりも「オス」の「方」がやや「大型」であり、「上面」と、「下面」の「羽毛」の「色彩」の「種」が多く、これにより「輪郭」をとらえにくくなり「保護色」になると考えられています。
 「千鳥」の「頭部」は「丸み」を帯び、「眼」は「大型」、「嘴」は短く、「後肢」が発達し、多くの「種」の「第1趾」が退化しているそうです。

 「千鳥」の「生態」ですが、「海岸」、「干潟」、「河川」、「湿原」、「草原」等の様々な「環境」に生息し、「飛翔力」は強く、「渡り」を行う「種」が多く、発達した「後肢」により「地表」を素早く走行することもできるそうです。
 「千鳥」は、「動物食」で、「昆虫」、「甲殻類」、「貝類」、「ゴカイ」等を食べ、「地表」で「獲物」をついばんだ後に、少し徘徊(ハイカイ)し、また「獲物」をついばむといった「行動」を取ることが多いそうです。
 「千鳥」は、「地表」に「窪み」を掘っただけの「巣」を作り、1回に2〜6個(主に4個)の「卵」を産み、主に「雌雄交代」で「抱卵」するそうです。

 「ミヤコドリ」(都鳥、学名・Heamatopus ostralegus)は、「チドリ目」「ミヤコドリ科」に分類される「鳥類」の「一種」です。
 「カモメ科」の「ユリカモメ」のことを、古代・中世に「ミヤコドリ」と呼んでいたという「説」があります。
 (「古今和歌集」に登場する「都鳥」等)

 「ミヤコドリ」の「形態」ですが、「体長」45cm程で、「ハト」より少し大きく、「嘴」と、「足」は長くて赤く、「体」の「上面」は黒く、「翼」に白い「部分」があるそうです。

 「ミヤコドリ」の「分布」ですが、「北欧」、「中央アジア」、「沿海州」、「カムチャッカ半島」等で繁殖し、「西欧」、「アフリカ西岸」、「中東」、「中国南部」、「日本」にかけての「海岸」で「越冬」します。
 かつて「日本」では「旅鳥」または「冬鳥」として主に「九州」に渡来していましたが、近年では「東京湾」でも「定期的」に観察されるようになったそうです。
 「ミヤコドリ」ですが、「海岸」でも小さな「群れ」を作って過ごすことが多いそうです。

 「ミヤコドリ」の「生態」ですが、「英名」の「Oystercatcher」とは、「カキ」等の「二枚貝」を食べる「習性」に由来しているそうです。
 「ミヤコドリ」の「嘴」は、「上下」に平たくして「先」が鋭く、わずかに「口」を開けた「二枚貝」に素早く「嘴」を差し込み、「貝柱」を切断して「殻」を開け、「中身」を食べるそうです。
 「ミヤコドリ」は、他に「カニ」や、「ゴカイ」等も食べ、また「ミヤコドリ」ですが、「アイルランド」の「国鳥」になっています。

 「ガチョウ」(鵞鳥、鵝鳥、英名・goose)は、「カモ目」「カモ科」「ガン亜科」の「鳥」で、「雁」の「仲間」であり、「家禽」、「仏名」は「ワ」(oie)、白い「姿」は「アヒル」に似ていますが、互いに「別」の「種」です。
 「ガチョウ」の「概要」ですが、「野性」の「雁」(ガン・カリ)を飼い慣らして「家禽化」したもので、「家禽」としては「ニワトリ」に並ぶ「歴史」を有しており、「古代エジプト」において、すでに「家禽化」されていた「記録」があり、「ガン」と姿形は似ていますが、「体」は大きく太っており、飛ぶ「力」はほとんどないそうです。
 「ガチョウ」ですが、「粗食」に耐えながらも「短期間」で成長し、「肉質」が優れ、「良質」な「羽毛」を備え、「肉」は「食用」に、また「日本」ではあまり「食用」に供されることはありませんが、「世界的」には「卵」も広く「食用」とされています。
 「ガチョウ」の「羽毛」は、「羽布団」や、「ダウンジャケット」、「バトミントン」の「シャトル」、「鵞ペン」等に用いられますが、「羽毛」の「利用」はどちらかといえば「福次的」なものです。
 その一方で「ガチョウ」は「警戒心」が「非常」に強く、見知らぬ「人間」や、他の「動物」を見かけると「金管楽器」を鳴らしたような「大声」で鳴き騒ぎ、「対象」を追いまわし「首」を伸ばして「嘴」で「攻撃」を仕掛けることから、古来より「番犬代わり」となることが知られていました。

 「野鳥観察会」ですが、「千葉県立東庄県民の森」の「恒例イベント」で、「建国記念日」の2月11日(祝・土)に開催されます。
 「野鳥観察会」の「開催時間」ですが、9時30分から12時00分頃までとなっており、「野鳥観察会」の「開催内容」ですが、「千葉県立東庄県民の森」「園内」の「野鳥観察」と、「夏目堰」の「渡り鳥観察」といった「内容」になっています。
 「野鳥観察会」の「参加費」ですが、お1人200円となっており、「募集人数」ですが、30人(要予約先着順)となっています。

 「自然」あふれる「千葉県立東庄県民の森」で開催される「恒例イベント」「野鳥観察会」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「野鳥観察会」詳細

 開催日時 2月11日(祝・土) 10時〜15時

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「野鳥観察会」に参加される「皆さん」には、「双眼鏡」、「筆記用具」、「飲み物」等の「持参」を呼びかけています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3319 |
| 地域情報::香取 | 10:04 AM |
「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「千葉県道30号飯岡一宮線」で2月5日(日)に開催されます「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 (2017年(平成29年)2月1日現在、「旭市」の「人口」67132人、「男」32991人、「女」34141人、「世帯数」25771世帯)
 「旭市」「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」としてスタートしています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと平坦です。
 「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
 なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。

 「旭市」は通年として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、冬暖かく、夏涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の肥沃(ヒヨク)な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」等の「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」等の「花卉栽培」が行われています。
 また「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても注目を集めています。
 「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。

 「旭市」は、多彩な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の主な「レジャースポット」は、下記の通りです。

 「海水浴・サーフィンスポット」

 矢指ヶ浦海水浴場(ヤサシガウラカイスイヨクジョウ)(2016年7月8日・2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海水浴場(2016年7月8日・2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 「パークゴルフ」

 あさひパークゴルフ
 旭市中谷里8340番地53
 0479-62-8989

 「キャンプ」

 海上キャンプ場
 旭市岩井1000
 0479-55-5250

 「釣りスポット」

 長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
 旭市萬力3566-1
 0479-68-4602

 袋の溜池(袋東公園)
 旭市鎌数4013
 0479-62-7537(旭市観光協会)

 「海釣りスポット」

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船

 飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)

 「千葉県道30号飯岡一宮線(チバケンドウ30ゴウイイオカイチノミヤセン)」は、「千葉県」「旭市」「下永井」の「飯岡バイパス東」の「国道126号線」との「分岐」を「起点」とし、「長生郡」「一宮町」「東浪見」の「国道128号線」との「交点」を「終点」とする「全長」約60kmの「主要地方道」で、「九十九里浜」沿いの「道」であることから「九十九里ビーチライン」の「愛称」を持っています。
 「千葉県道30号飯岡一宮線」の「距離」ですが、58.9kmで、「千葉県道30号飯岡一宮線」の通過する「自治体」ですが、「旭市」、「匝瑳市」、「山武市」、「山武郡」「横芝光町」、「山武郡」「九十九里町」、「大網白里市」、「長生郡」「白子町」、「長生郡」「長生村」、「長生村」「一宮町」となっています。

 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」(2016年2月6日・2015年1月25日・2014年1月21日・2013年1月31日・2012年2月3日のブログ参照)は、「全国」の「マラソン愛好家」が参加する「新春・恒例」の「マラソン大会」です。
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」ですが、「いいおかユートピアセンター」を「スタート・ゴール地点」とし、「千葉県道30号飯岡一宮線」の「海岸沿い」と、「旭市」「飯岡地区」を駆け抜ける「周遊コース」で行われています。
 (飯岡漁港〜井戸野浜)
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「コース」の「特徴」ですが、上記のように「旭市内」「海岸沿い」の「平坦」な「折り返しコース」となっており、「給水」5ヵ所、「距離表示」は「1km毎」となっています。
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」は、「参加者」が「県内外」から数多く参加される「人気」の「マラソン大会」として知られており、「旭市」「飯岡地区」の「新春」の「風物詩」てして定着している「マラソン大会」です。

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」(以下「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」と表記)ですが、
 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「種目」ですが、「2km」、「3km」、「5km」、「10km」、「ハーフ」となっています。
 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」「参加資格」ですが、「2km」は「親子」、「旭市内親子」、「3km」は、「男女別」(小学生)となっており、「5km」は、「中学生男子」、「男子(39歳以下)」、「男子(40歳以上)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっており、「10km」は、「男子(39歳以下)」、「男子(40歳〜59歳以下)」、「男子(60歳以上)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっており、「ハーフ」は、「男子(39歳以下)」、「男子(40歳〜59歳以下)」、「男子(60歳以上)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっています。
 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「参加費」ですが、「一般」・「親子」は4000円(税込)(親子の部は1組)、「小中学生」は1000円(1人)、「市内親子」は1000円(1組)となっています。

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「コース」ですが、上記のように「旭市内」の「海岸」に面した「自己記録」が狙える「コース」となっており、また走りながら、「九十九里海岸」の「潮風」を「肌」で感じることができるそうです。
 また「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」は、「折り返しコース」のため、「左側走行」となっており、「給水所」はもちろん、「ロードサービス」として「旭市産」の「いちご」(「矢指地区」の皆さんと、「富浦地区」の皆さんからの「ご厚意」、各給水所で「いちご」を用意)や、「郷土芸能」の「披露」(「日の出会」(飯岡)、「中谷里岡お囃子会」(富浦)、及び「川向浜っ子連」(富浦)の皆さんによる郷土芸能)等で、「ランナー」の「皆さん」をおもてなしするそうです。
 (「おしるこ」・「豚汁」等のサービスもあり)
 また「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」では、「元気グルメ市」(飯岡商店振興会及び海匝漁業協同組合による「はまぐり汁」等の販売)、「新鮮!旭産品直売」(JAちばみどり、飯岡商店振興会による旭産新鮮野菜や海産物の直売)、「お楽しみ抽選会」(飯岡貴味メロン(7月発送)や天然温泉の入浴優待券等が当たる抽選会)も行われるそうです。
 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」「開会式」ですが、2月5日(日)8時00分から開催され、「種目別」「スタート」と、「ゴール」は、下記の通りです。

 「ハーフの部」

 スタート地点 ライオンズ公園
 スタート時間 9時10分
 コール時間 開始 8時50分〜 最終 9時00分
 コール場所 山中食品
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「3kmの部」

 スタート地点 ゴロデー前
 スタート時間 9時25分
 コール時間 開始 9時00分〜 最終 9時15分
 コール場所 武駒駐車場
 ゴール場所 塗商前(サブゴール)

 「5kmの部」

 スタート地点 ライオンズ公園
 スタート時間 9時25分
 コール時間 開始 9時10分〜 最終 9時15分
 コール場所 山中食品
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「10kmの部」

 スタート地点 勘平衛前
 スタート時間 11時20分
 コール時間 開始 10時55分〜 最終 11時05分
 コール場所 武駒下駐車場
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「2km親子の部」

 スタート地点 勘平衛前
 スタート時間 11時25分
 コール時間 開始 10時55分〜 最終 11時05分
 コール場所 武駒下駐車場
 ゴール場所 塗商前(サブゴール)

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「受付」ですが、「前日受付」と、「当日受付」があり、「前日受付」(2月4日)は、13時00分から16時00分まで「いいおかユートピアセンター」「館内」で行われ、「当日受付」(2月5日)は、「各種目スタート」の40分前の「受付」となっています。
 (当日受付は非常に混雑しますので、なるべく前日に受付をおすましください)

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「表彰」は、「1位」から「8位」までの「表彰」で、「表彰式」は、「各競技」「終了後」「随時」行われます。
 また「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」では、「参加賞」として「オリジナルロゴ入りスポーツタオル」をお渡しし、「完走者全員」に「記録証」が、「当日」配布されます。
 また「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」では、下記の「特別賞」が用意されています。

 青木半治杯(ハーフの部 総合1位)

 田中茂樹杯(ハーフの部 女子第1位)

 横溝三郎杯(10kmの部 女子第1位)

 小出義雄杯(10kmの部 総合1位)

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「注意事項」は、下記の通りです。

 1 事前に健康診断を受けてください。

 2 大会当日体調は思わしくないときに、勇気を持って競技を中止してください。

 3 スポーツ傷害保険は、主催者側で加入します。

 4 必ず保険証を持参してください。

 5 雨天も決行します。ただし、主催者側が危険を伴うと判断した場合は中止する場合があります。

 6 ゼッケンは主催者側で用意し、参加受付通知ハガキと当日引き換えます。

 7 競技規則は、日本陸上競技連盟規則および主催者が別途定める本大会規定により運用します。

 8 手荷物預かり所(有料100円/袋)を設置します。
 なお、貴重品については各自の責任で管理してください。盗難、紛失等は責任を負いかねますのでご注意ください。

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会」「当日」は、「交通規制」(完全交通止め)を実施、「コース」の「沿線」は「交通混雑」が予想されますので、「各・迂回路」の利用を呼びかけています。

 「九十九里浜」「最北端」「千葉県道30号飯岡一宮線」で開催される「新春・恒例」の「ロードレース大会」「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」詳細

 開催日時 2月5日(日) 9時〜 (開会式 8時〜)

 開催会場 千葉県道30号飯岡一宮線 いいおかユートピアセンター(スタート・ゴール地点、受付場所) 旭市横根1365-25

 問合わせ 旭市飯岡しおさいマラソン大会実行委員会事務局 0479-64-1132

 備考
 「第28回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜潮風とともに走ろう!〜Asahi City Iioka Shiosai Marathon」は、「雨天決行」となっています。
 「前回大会」の「第27回旭市飯岡しおさいマラソン大会」「参加人数」ですが、3975人であったそうです。
 「前回大会」の「内訳」は、下記の通りです。

 ハーフ 1538人
 10km 752人
 5km 428人
 3km 496人
 2km 758人

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3315 |
| 地域情報::旭 | 12:04 PM |
「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「水神社」で2月5日(日)に開催されます「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」です。

 「水神社」ですが、1301年(正安3年)に創設された「旭市」「後草」に鎮座する「古社」で、「旭市」「後草地区」(旧・海上郡海上町後草)では、古くから「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「神社」です。
 「水神社」の「鳥居」ですが、天和3年(1683年)建立の「銘」がある「鳥居」で、「石鳥居」としては「千葉県」でも最も古いとされる「鳥居」となっています。
 しかし「水神社」「石鳥居」ですが、1971年(昭和46年)に「台風25号」のために倒れてしまい、「貫」が折れてしまったそうで、取り替えたそうです。
 また「水神社」の「鳥居」の「様式」ですが、「明神鳥居」となっており、「願主別等金蔵院住持長宝石工 六兵衛作之」の「銘」を読むことができます。

 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」ですが、「旭市」「後草地区」の「村の鎮守」として、深い「信仰」を集めてきた「水神社」で、毎年2月の「第1日曜日」に奉納されている「伝統神楽」です。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」は、鎌倉時代から800年も続いている「伝統神楽」で、「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」の「内容」ですが、「豊年万作」を記念して「春先」に奉納した「岩戸神楽」の「系列」といわれる「内容」となっていますが、この「神楽」の「起源」は、実際には不明なのだそうです。
 (「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」「起源」には、建久年間(1190年〜1199年)に始まったという「説」もあります。)
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」では、古式ゆかしい「衣装」に「身」を包んだ「優雅」な「舞」が披露され、いにしえの「情景」を今に色濃く伝えています。

 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」は、昔、「旧暦」の2月8日の「村祈念」に行われていたそうですが、その後、「新暦」の2月1日に「日程」が変わり、現在「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」は、上記のように2月の「第1日曜日」に実施されるようになったそうです。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」に参加されるのは、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」を奏する「旭市」「後草」の20歳前後の「青年たち」で、「奉納」に係わる「諸準備」を行う「神楽世話人」は、「壮年期」の「男性」が「2年交代」で奉仕しているそうです。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」では、「オドウ」(当屋)と呼ばれる「当番制」が残っていることで、「旭市」「後草地区」は、「字(アザ)後草区」(約335戸)と、「字(アザ)広原区」(約600戸)で構成され、「1年交代」で「オドウ」(当屋)を務めており、2010年(平成22年)の「オドウ」(当屋)は、「字後草区」の「担当」であったそうです。

 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」の「内容」ですが、上記のように「記紀神話」に基づく「岩戸神楽」で、「手力男」が、具体的に「岩戸」を開ける「所作」がないそうで、これは「千葉県」「北東部」に伝わる「下総神楽」の「特長」といえるものなのだそうです。
 また「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」に使われる「神楽面」ですが、16面なのだそうです。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」の「内容」は、「素盞鳴尊(スサノオノミコト)」の「乱暴」な「行状」に怒り、「天の岩戸」に隠れたという「天照大神(アマテラスオオカミ)」の「神話」を演じるものとなっています。

 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」ですが、次の「十二座」から成り、下記の通りとなっています。

 1 猿田彦命 (サルタヒコノミコト) (天狗)

 2 天鈿女命 (アマノウズメノミコト)

 3 三(参)宝荒神

 4 八幡大神

 5 天手力男命 (アマノタヂカラノミコト)

 6 榊葉

 7 稲荷保食命 (稲荷切り)

 8 田神 (田ノ神)・種播 (稲荷と狐)

 9 春日大神
10 恵比寿大黒
11 乙女の命 (乙女)
12 素盞鳴尊(スサノオノミコト) (〆切)

 となっています。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」では、以前、「演目」の後に「湯神楽」(湯立て)が行われていたそうです。
 (現在、9「春日大神」は、40年以上演じていないそうです。)
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」では、最後に「神楽」の「舞台」上から「客席」に「新粉餅」を投げる場面があり、これ(新粉餅)を食べると「無病息災」になるといわれています。
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」の「舞」ですが、上記のように「地区」の方が「年代」によって「役割分担」をしており、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」は、「地区」の20歳前後の「若者」が、その他、準備をする「神楽世話人」(40歳〜50歳くらいの男性)、「稚児(チゴ)」(女子児童8人)も参加するそうです。

 「旭市」「後草地区」の「鎮守」「水神社」で開催される「古式」ゆかしい「伝統神楽」「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」詳細

 開催日時 2月5日(日) 12時頃〜

 開催会場 水神社 旭市後草1923

 問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728

 備考
 「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」ですが、昭和29年(1954年)3月31日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 また「水神社永代大御神楽(スイジンジャエイタイオオミカグラ)」ですが、「地区」の「名」に因(チナ)んで「うしろぐさ神楽」とも呼ばれているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3314 |
| 地域情報::旭 | 06:04 PM |

PAGE TOP ↑

(C) Copyright Inubozaki Kanko Hotel. All rights reserved.