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「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み」で2月4日(土)〜3月26日(日)の期間開催されます「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を南北に流れる「小野川」沿い、「市街地」を東西に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄え、「当時」の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は昔からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)の他、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに軒を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現・佐原駅方面)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
 なお「樋橋」ですが、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
 「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
 2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。

 「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)ですが、平成10年(1998年)頃、「佐原」の一軒の「商家」から始まった「博物館」で、「道具類」や「お雛様」の「展示」がなされ、「伊能忠敬記念館」の「伊能家のお雛様」(2012年1月29日のブログ参照)の「展示」が行われるようになりました。
 その後、「伊能忠敬記念館」の「呼びかけ」で、数軒の「店」で「お雛様」の「展示」を行うようになり、平成16年(2004年)には28軒の「佐原まちぐるみ博物館」が誕生し、平成20年(2008年)には「佐原まちぐるみ博物館」は42館になっているそうです。

 「佐原まちぐるみ博物館」は、「各家」に残る、古い「道具箱」や「暮らしぶり」、「伝統」の「味」や「技」、「コレクション」等、「自慢の宝」を、それぞれの「家」で公開し、訪れた方に楽しんでいただき、「佐原のまち」を「まるごと」「博物館」にしてしまおうという「活動」です。
 「佐原まちぐるみ博物館」では、「年間」を通した「常設展」のほかに、「お雛様の季節」に行われる「さわら雛めぐり」(2016年1月28日・2015年2月6日・2014年2月6日・2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月5日のブログ参照)、「五月の節句」に行われる「佐原五月人形めぐり」(2016年4月3日・2015年4月6日・2014年4月15日・2013年4月24日・2012年4月7日・2011年4月28日のブログ参照)、「お盆時期」に行われる「さわら・町並み・夕涼み」(現在「さわら・町並み・竹灯り」として開催)(2016年8月3日・2015年8月5日・2014年8月12日・2013年8月12日・2012年8月11日・2011年8月11日・2010年8
月12日のブログ参照)、「お正月」に行われる「お正月飾り」の「企画展」「佐原・町並み・お正月」(2016年12月23日・2015年12月27日・2014年12月24日・2013年12月24日・2012年12月27日・2011年12月26日・2010年12月26日のブログ参照)といった「企画展」も行っています。
 「佐原まちぐるみ博物館」は、「佐原の商家」の「おかみさん」たちによって、結成している「佐原おかみさん会」(2011年2月5日のブログ参照)により、運営されています。

 「佐原おかみさん会」ですが、「佐原」を大切に思っている「女性の集まり」で、「佐原」の「地元商店のおかみさん」が中心となって活動されている「団体」で、「メンバー」ですが、「佐原」以外の他の地域から縁があり、「佐原の商家」に嫁がれた「お嫁さん」や、「佐原生まれ」、「佐原育ち」の「女性」等で構成されており、「佐原のまちの良さ」を見直し、もっとたくさんの人々に「佐原のまち」を知ってもらおうと立ち上がりました。
 「佐原おかみさん会」ですが、今年で11年目を迎える「団体」で、ますます「佐原」のために、「元気」にがんばっている「まちづくり団体」です。

 「佐原町並み交流館」は、「旧・東京三菱銀行」「佐原支店」として平成15年(2003年)まで使われていた「建物」を、「佐原市」(当時)(現・香取市)が買い取り、「観光案内」・「休憩所」として再利用されている「施設」です。
 「佐原町並み交流館」の「休憩所」では、「無料」の「お茶サービス」を行っており、「トイレ利用」も出来ます。
 「佐原町並み交流館」には、「多目的ホール」として使用されている「展示スペース」があり、「佐原まちぐるみ博物館」が企画している「佐原・町並み・お正月」、「さわら雛めぐり」、「佐原五月人形めぐり」、「佐原・町並み・夕涼み」の「企画展」の「会場」のひとつとなっており、「佐原町並み交流館」では、「年間」の「常設展」も行われています。
 また「佐原町並み交流館」には、「銀行時代」に実際使用されていた「金庫室」もあり、「金庫室」に入ってみることもできるそうです。

 「水郷の商都」「佐原」では、2月4日(土)から3月26日(日)の「期間」、今年(2017年)で12回目となる「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」が行われます。
 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」は、「佐原」の古い「商家」に伝わる、どこか「憂い」を帯びた「お雛様」を「店先」・「店内」に飾り、「情緒」ある「佐原の町並み」をめぐりながら、それぞれ違った「お雛様」に会いに、「まちあるき」(まちめぐり)する「水郷の小江戸」「佐原のまち」ならではの「新春恒例」の「催し」となっています。
 また「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」では、「小野川」の「だし」には「手作り」の「家」の「お雛さま」、「町」の「あちらこちら」には「竹」に「お雛さま」を飾るそうです。

 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」が開催される「佐原」では、同時開催で、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「伊能家のおひなさま展」(1月24日〜3月20日)()、「佐原町並み交流館」で開催される「地域のお雛様展」が催されます。
 「地域のお雛様展」ですが、「つるし雛」・「切り絵」・「地域のお雛様」を展示しています。
 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」の「メインイベント」ですが、「期間中」の3月18日(土)に開催される「観光推進協議会」と共催となり、今年(2017年)で5回目となる「さわら雛舟(ヒナブネ)」(2016年3月6日・2015年3月9日・2014年3月11日・2013年4月5日のブログ参照)と、「小江戸さわら春祭り」(2016年3月6日・2015年3月9日・2014年3月9日・2013年4月5日のブログ参照)となっています。

 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」の「参加店舗」は、下記の通りです。
 また(限)と記載の「店舗」(期間限定品販売店)では、「期間中」に「店舗」で購入された方に「オリジナルグッズ」のプレゼントがあり、また(特)と記載の「店舗」では、「期間限定メニュー」や、「サービス」があるそうです。

 山本宅

 山村商店(限)

 山車会館(2013年1月2日のブログ参照)

 佐原上仲町郵便局

 蝶しや(特)

 素顔屋(特)

 酔夢館

 忠敬茶屋(限)

 町並み交流館

 シャローム・ナカトラ

 油茂(2010年10月19日のブログ参照)

 麻生屋

 大高園

 玉澤

 るふな(特)

 植田屋

 一蘭荘

 小野川のだしに展示

 正上

 夢時庵(特)

 伊能忠敬旧宅

 小林帽子店

 ほていや(限)

 上州屋酒店(限)

 町並み観光中央案内処

 並仲商店(限)

 中村屋(限)

 まぎのや

 喫茶遅歩庵いのう

 カーザアルベラータ(特)

 八木の耳かき

 福新(限)

 牡丹江

 千与福(特)

 武雄書店

 伊能忠敬記念館

 加納屋服地店(限)

 徳島屋(限)

 いなえ(特)

 八木清商店

 佐原信用金庫

 香取生花店(限)

 ギャラリー卯兵衛

 虎屋(限)

 紀伊国屋商店(限)

 久保木かばん店(特)

 石橋時計店(特)

 千葉銀行

 佐伯洋品店

 馬場本店酒造

 高六

 金平湯

 東薫酒造(2011年2月2日のブログ参照)

 佐原駅(20159月20日のブログ参照)

 魚八十食堂

 駅前観光案内所

 吉庭(特)

 山城屋

 わいわい

 K・M・K

 あさの美容室

 京葉銀行

 東屋

 大川みどり漬け

 「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された「歴史」ある「町並み」「佐原の町並み」で開催される「恒例」の「佐原まちぐるみ博物館」「企画展」「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」詳細

 開催期間 2月4日(土)〜3月26日(日)

 開催会場 佐原の町並み 香取市佐原

 問合わせ 佐原おかみさん会
      水郷佐原観光協会 0478-52-6675

 備考
 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」「期間中」3月18日(土)に開催される「さわら雛舟」ですが、「伊能忠敬旧宅」前より、1日3回運航され、さながら「豪華平安絵巻」のような「光景」が見られるそうです。
 「さわら雛舟」「運航時間」は、下記の通りです。

 11時00分
 13時30分
 15時00分

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3313 |
| 地域情報::香取 | 04:57 PM |
「宗吾霊堂節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で2月3日(金)に開催されます「宗吾霊堂節分会」です。

 「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)こと「鳴鐘山東勝寺」は、「宗吾様」の「名」で親しまれる「成田」の「古刹」で、9月「第1土・日曜日」に開催される「御待夜祭」(2014年9月2日・2013年9月6日・2012年8月30日・2011年8月31日のブログ参照)や、「成田」の「紫陽花の名所」(2011年6月11日のブログ参照)として知られています。
 「宗吾霊堂」の「開基」は古く、「桓武天皇」の時代、「征夷大将軍」・「坂上田村麻呂」が、「房総」を平定した時に、「戦没者供養」のために「宗吾霊堂」が「建立」されたといわれる「真言宗豊山派」の「寺院」です。
 「宗吾霊堂」は、江戸時代の「義民」「佐倉宗吾」(木内惣五郎)様が祀られている「お寺」ですが、「寺名」は上記のように「鳴鐘山東勝寺」と言います。
 ちなみに「佐倉宗吾」様は、江戸時代「佐倉藩」「藩主」の「苛政」を、「徳川四代将軍」の「徳川家綱」に直訴し、その結果「藩主」の「苛政」は納められたものの、直訴した「佐倉宗吾」様や、「一族」は「刑」に処されてしまったそうです。
 その後100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」は、その「失政」を悔い、「佐倉宗吾」(木内惣五郎)の「名誉」を回復したそうで、「義民」・「佐倉宗吾」様の「霊」が祀られていることから「鳴鐘山東勝寺」は、「宗吾霊堂」または、「宗吾様」と広く呼ばれ、「義民」「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。

 「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」、「旧客殿」等となっています。
 「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「持仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
 また「宗吾御一代記館」には、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説・紹介されているそうです。
 なお「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「お札」から、「当時」の「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれているそうで、刻まれた「名前」からわかるそうです。

 「宗吾霊堂節分会」ですが、「吉例」に則(ノット)り、「立春」の「前日」2月3日に開催している「恒例行事」で、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」では、「年男」はもちろん、「女性」のみ(特別)の「豆まき」も執り行われているそうです。
 「宗吾霊堂節分会」では、「鳴鐘山東勝寺」「大本堂」「行道縁」から「福豆」、「紅白餅」、「小銭」、「お菓子」等が撒かれるそうです。
 「宗吾霊堂節分会」の「開催時間」ですが、「年男」が11時00分からと、16時00分からの1日2回の「開催」となっており、「特別年女」が14時00分からの「開催」となっています。
 ちなみに「宗吾霊堂節分会」で「豆まき」をされる方は、「裃(カミシモ)」を着て、上記のように「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「大本堂」「行道縁」から「豆まき」を行い、「宗吾霊堂節分会」「当日」、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」にて、「裃」や、「福枡」等が用意されるそうです。
 (「豆まき」の「参加」ですが、「有料」となっています。)

 「宗吾霊堂節分会」の「修行料」、「取扱い」は、下記の通りです。

 修行料

 年男   30000円

 特別年女 15000円

 取扱い

 年男   裃着用・御護摩札・御供物・福守・福豆・福枡・祝膳

 特別年女 裃着用・御護摩札・御供物・福守・福豆・福枡

 ※ご参加ご希望の方は、締切は1月28日ですが、なるべく早く申し込み下さい。

 また「宗吾霊堂節分会」では、「向島鳶職組合」の「皆さん」による、江戸時代より引き継がれている「伝統行事」「梯子乗り(ハシゴノリ)」の「実演」(妙技)が「呼び物」となっており、「梯子乗り」ですが、11時00分からと、16時00分からの1日2回披露されるそうです。
 「宗吾霊堂節分会」には、「厄落とし」のために何十年も続けて参加される方も数多く見受けられているそうです。

 「由緒」ある「成田」の「古刹」「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で開催される「恒例」の「節分会」「宗吾霊堂節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「宗吾霊堂節分会」詳細

 開催日時 2月3日(金) 11時〜、14時〜、16時〜

 開催会場 鳴鐘山東勝寺 成田市宗吾1558

 問合わせ 鳴鐘山東勝寺 0476-27-3132

 備考
 「成田」といえば、「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)を先に思い浮かべる方がいらっしゃると思いますが、「成田山新勝寺」は、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」よりも、新しい「寺」という「意味」で、「成田山新勝寺」という「名」がつけられているそうです。
 「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」の「梵鐘(ボンショウ)」(応長元年(1311年)在銘)ですが、「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3312 |
| 地域情報::成田 | 12:16 AM |
「VALENTINE FAIR」(酒々井町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「酒々井町」「酒々井プレミアム・アウトレット」で2月1日(水)〜14日(火)の期間開催されます「VALENTINE FAIR」です。

 「酒々井プレミアム・アウトレット」(英文名称・SHISUI PREMIUM OUTLETS)(2013年4月19日のブログ参照)は、「印旛郡」「酒々井町」にある「アウトレットモール」で、「三菱地所グループ」の「三菱地所・サイモン」が運営されている「施設」で、「プレミアム・アウトレット」としては「日本」で9番目、「首都圏」では「茨城県」「稲敷郡」「阿見町」にある「あみプレミアム・アウトレット」に次ぐ3番目の「アウトレットモール」です。

 「第1期」の「酒々井プレミアム・アウトレット」「店舗概要」ですが、「敷地面積」197200平方m、「商業施設面積」21700平方m、「営業時間」は10時から20時(季節・店舗により異なる)、「駐車場台数」は3500台、「第1期」(開業時)の「店舗数」は、121店舗で、「アウトレット」「日本初出店」は8店舗でした。
 「酒々井プレミアム・アウトレット」は、「都心」から「アクセス便利」で、「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)からも近い「施設」で、「アメリカン・アールデコ」を取り入れた「町並み」を再現した「施設内」で、「ショッピング」、「飲食」を楽しめます。

 「酒々井プレミアム・アウトレット」は、「アウトレット」とほぼ同時期に「共用開始」(2013年4月10日)している「東関東自動車道」・「酒々井インターチェンジ」(2013年4月12日のブログ参照)から約1.0kmの「酒々井町再開発地区」に開業され、「成田国際空港」から「車」で約10分程度と「空港」に近い「立地」を活かし、「訪日観光客」(インバウンド)を「ターゲット」にした「サービス展開」も行っています。
 「酒々井プレミアム・アウトレット」を運営する「チェルシージャパン」は、「関西国際空港」(通称・カンクウ)近くにも「りんくうプレミアム・アウトレット」を展開しており、「東西」の「国際空港」「近隣」に出店しており、「外国人観光客」がよく利用するとされる所謂(イワユル)「ゴールデンルート」上の新たな「施設」となっており、「富士・箱根」に近い「御殿場プレミアム・アウトレット」と同様の「旗艦店(キカンテン)」と位置づけられ、「海外」からの「ツアーコース」にもなっています。

 「酒々井プレミアム・アウトレット」は、「第2期増床区画」が完成、4月16日(木)に「プレオープン」(2015年4月12日のブログ参照)、4月17日(金)に「パワーアップオープン」し、「第2期増床」により、新たに62店舗を増設、増設後は「計」183店舗となり、「店舗面積」は現在の約1.5倍に拡張されました。
 「酒々井プレミアム・アウトレット」「第2期」「概要」は、下記の通りです。

 店舗面積 約33900平方m
 ・第2期 拡張店舗面積 約12200平方m

 ・第1期 既存店舗面積 約21700平方m

 敷地面積 約33900平方m

 ・第2期拡張敷地面積 約223700平方m

 ・第1期既存敷地面積 約197200平方m

 駐車場  約4200台 ※拡張前 約3500台

 「酒々井プレミアム・アウトレット」「第2期増床区画」「入居テナント」(ブランド)は、下記の通りです。

 「FASHION」

 31 Sons de Mode トランデアン ソン ドゥ モード

 American Eagle Outfitters アメリカンイーグルアウトフィッターズ 関東初

 Anatelier アナトリエ

 Aquagirl アクアガール

 Beams ビームス

 D'urban ダーバン

 Dunhill ダンヒル

 Franklin & Marshall フランクリンアンドマーシャル 日本初

 Guess ゲス 関東初

 Human Woman ヒューマンウーマン

 ITS International イッツ インターナショナル 日本初

 Jil Sander Navy ジル・サンダー ネイビー

 Jill Stuart ジルスチュアート

 Lacoste ラコステ

 Lauteamont ロートレアモン

 Levi's リーバイス

 Miki House ミキハウス

 Moussy マウジー

 Nano・Universe ナノ・ユニバース

 New Yorker ニューヨーカー

 Nudie Jeans co ヌーディージーンズ 日本初

 Replay リプレイ

 Shel'tter シェルター

 Sly スライ

 Traditional Weatherwear トラディショナル ウェザーウェア 日本初

 Untitled アンタイトル

 Vivhenne Tam ウ゛ィウ゛ィアン タム 関東初

 「FASHION GOODS」

 Birkenstock ビルケンシュトック

 Cole Haan コール ハーン

 Danner ダナー

 Ecco エコー

 Flight 001 フライトワン 日本初

 Folli Follie フォリフォリ

 Geox ジェオックス

 G-Shock Gショック

 Hartmann ハートマン 日本初

 International Eyewear Gallery インターナショナル・アイウェア・ギャラリー 日本初

 Kid Blue キッドブルー

 Pool Side プールサイド

 「SPORTS&OUTDOOR」

 Adabat アダバット

 Bridgestone Golf Plaza ブリジストン ゴルフ プラザ

 Chums チャムス 日本初

 Helly Hansen ヘリーハンセン

 Keen キーン

 NIKE ナイキ

 Oakley オークリー

 The North Face ザ・ノース・フェイス

 「INTERIOR&GOODS」

 212 Kitchen Store トゥーワントゥーキッチンストア 日本初

 Actus アクタス 関東初

 Ralph Lauren Home ラルフ ローレン ホーム

 Tempur テンピュール

 T-fal ティファール

 The Body Shop ザ・ボディショップ

 「FOOD」

 Enoteca & Cases エノテカ&ケーシーズ

 Kuzefuku Shoten 久世福商店

 「RESTAURANT&CAFE」

 Cafe & Dining Hannari だし処はんなり

 Cafe Kaldino カフェカルディーノ

 Hanao Cafe ハナ オカフェ

 John's Grill ジョンズグリル

 「OTHER」

 Seven-Eleven セブンイレブン

 「RENWEAL OPEN」

 Polo Ralph Lauren ポロラルフローレン

 (既存区画から増設区画へ移転)

 「PREMIUM EVENT SPACE」

 Cobra Puma Golf コブラプーマゴルフ

 「酒々井プレミアム・アウトレット」では、2月1日(水)から14日(火)までの「期間」「バレンタイン企画」「VALENTINE FAIR」が開催されます。
 「VALENTINE FAIR」ですが、今年(2017年)は「定番」の「チョコレート」や、「ファッション小物」等の「バレンタインギフト」が充実の「品揃え」となっており、「一部店舗」では「ラッピングサービス」も実施されるそうです。
 (店舗によりサービスが異なりますので、詳しくは「酒々井プレミアム・アウトレット」「HP」・「Facebook」をご参照下さい。)
 また「VALENTINE FAIR」が開催される「酒々井プレミアム・アウトレット」では、「フェア」「期間中」は、引き続き「ウィンターイルミネーション」(2016年11月5日のブログ参照)(2016年11月3日〜2017年2月15日の期間)が点灯しています。
 「VALENTINE FAIR」「参加店舗」は、下記の通りです。

 「ファッション」

 Alcali アルカリ

 Barnyardstorm バンヤードストーム

 Desigual デシグアル

 Diesel ディーゼル

 Double Standard Clothing ダブルスタンダードクロージング

 Franklin & Marshall フランクリンアンドマーシャル

 Fukusuke フクスケ

 G-Star Raw ジースターロゥ

 Hanes ヘインズ

 Hipshop ヒップショップ

 Human Woman ヒューマンウーマン

 Indivi インディウ゛ィ

 Ined イネド

 ISETAN 伊勢丹

 Jill Stuart ジルスチュアート

 Jun ジュン

 Kid Blue キッドブルー

 Melrose メルローズ

 Men's Bigi メンズビギ

 Men's Melrose メンズメルローズ
Mercibeaucoup, メルシーボークー、

 Mitsumine ミツミネ

 Ne-net ネ・ネット

 New Yorker ニューヨーカー

 Nicole ニコル

 Nudie Jeans co. ヌーディージーンズ

 Olive Des Olive オリーブ デ オリーブ

 Takeo Kikuchi タケオキクチ

 Traditional Weatherwear トラディショナル ウェザーウェア

 Triumph トリンプ

 Victorinox ビクトリノックス

 Wacoal ワコール

 Zucca ズッカ

 「スポーツ&アウトドア」

 Billabong ビラボン

 Bridgestone Golf Plaza ブリジストン ゴルフ プラザ

 Chums チャムス

 Keen キーン

 Marmot マーモット

 New Era ニューエラ

 「靴&鞄」

 Ace エース

 Danner ダナー

 Diana ダイアナ

 Ecco エコー

 Flight 001 フライトワン

 Hawkins ホーキンス

 Pool Side プールサイド

 Samantha Thavasa サマンサタバサ

 Samsonite サムソナイト

 Skechers スケッチャーズ

 Vans ウ゛ァンス

 「アクセサリー&時計」

 Ete エテ

 Folli Follie フォリフォリ

 International Eyewear Gallery インターナショナル・アイウエア・ギャラリー

 Seiko セイコー

 Vendome Aoyama ウ゛ァンドーム青山

 「生活雑貨」

 Actus アクタス

 Iittala イッタラ

 Le Creuset ル・クルーゼ

 Ralph Lauren Home ラルフ ローレン ホーム

 Sanrio サンリオ

 Tempur テンピュール

 The Body Shop ザ・ボディショップ

 Wedgwood ウェッジウッド

 「グルメ&フード」

 Cafe Kaldino カフェ カルディーノ

 Crazy Crepes クレージークレープス

 Delifrance デリフランス

 Godiva ゴディバ

 Hanao Cafe ハナオ カフェ

 Narita Yume Bokujo 成田ゆめ牧場

 Pierre Marcolini ピエール マルコリーニ

 「プッシュカート」

 Ryu リュウ

 Steam Cream スチームクリーム

 ※荒天の場合営業を見合わせる場合がございます。

 「北総」の「人気」の「ショッピングリゾート」「酒々井プレミアム・アウトレット」で開催される「バレンタイン企画」「VALENTINE FAIR」。
 この機会に「酒々井町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「VALENTINE FAIR」詳細

 開催期間 2月1日(水)〜14日(火)

 営業時間 10時〜20時(物販店舗・フードコート)

 開催会場 酒々井プレミアム・アウトレット 印旛郡酒々井町飯積2-4-1

 問合わせ 酒々井プレミアム・アウトレット 043-481-6160

 備考
 「VALENTINE FAIR」を開催する「酒々井プレミアム・アウトレット」では、2月1日(水)から4月28日(金)の期間「山武市でいちご狩り×お得なショッピング!」を開催するそうです。
 「山武市でいちご狩り×お得なショッピング!」ですが、上記の「期間中」、「山武市」の「対象農園」で「いちご狩り」(2012年1月8日のブログ参照)を楽しむと、「酒々井プレミアム・アウトレット」で使用できる「クーポンシート引換券」をプレゼントするそうです。
 「山武市でいちご狩り×お得なショッピング!」の「対象」の「農園」は、下記の通りです。

 作田農園
 石橋苺園
 ストロベリーハウスおて
 石田苺園
 かわつら苺園
 和苺苑
 小山ファーム
 中村苺園
 相葉苺園
 あきら苺園
 緑川苺園
 順子の苺園
 小手苺園
 マルキ苺園
 窪原苺園
 内山苺園
 小安苺園
 杉谷苺園
 広口苺園

 の19施設となっています。

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| 地域情報::成田 | 09:48 AM |
バレンタインDAY特典つきプラン♪ご用意しています





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★プラン特典★

特典その1 人気パティスリーLeWizの特製チョコ生ケーキプレゼント♪
      お部屋の冷蔵庫にご用意します。お二人でどうぞ

 ※今回の特典の一番の目玉となります♪パティシエ特製の生チョコケーキです・







   

特典その2 通常有料の特別室ご指定料金なしでグレードアップ♪

特典その3 お夕食時にお好きなソフトドリンク1杯プレゼント&お夕食後に
      すっぴんミルクのアイスクリームプレゼント♪








★プラン内容★

【お部屋】特別室花月・招月のいずれかをお選び下さい。
     どちらもツインベットタイプのお部屋です。通常有料の特別室ご指定
     料金は無料です。

【お食事】お夕食はリピーター続出!新鮮な金目鯛が入手できる銚子ならではの金目鯛の炙り丼つきミニ会席をご用意。
     
     ご朝食はおひとり様ずつの和食のお膳となります。
 
どちらも一階のお食事処でのご用意となります。




ご予約お待ちしていますlove


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| お知らせ | 05:18 PM |
「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で2月3日(金)に開催されます「節分追儺式」「節分祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社(カンペイタイシャ)」(官弊大社)で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「茨城県」「鹿嶋市」「宮中」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」「息栖」に鎮座する「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「本殿」ですが、目にもあざやかな「朱塗り」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」ですが、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」です。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」の「皆さん」が訪れ、賑わうそうです。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮古神宝類(カトリジングウコシンポウルイ)」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文十七年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和四年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正七年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」等があります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばかりではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として、また「信仰の場」として大切に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを超える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や、「古井戸」は往時の「景観」を偲(シノ)ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」にあたり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって、徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「侵食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と、「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の周辺には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」等の「常緑広葉樹」が多く見られ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」等の「シダ類」をはじめとして、「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」等の「草木類」が数多く自生しています。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」の「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」は、上記のように「明治」の「制」で、「官弊大社(カンペイタイシャ)」に列格している「神社」で、「例祭」(2016年4月13日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が4月14日に、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」「総出」で催される「神幸祭」(2016年4月14日・2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎に催されている「式年大祭」の「神幸」は、盛大に催行され、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(クブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移して「船上祭」が執り行われています。
 他にも「香取神宮」では、4月第1週「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「香取神宮」「拝殿」「前庭」にて「耕田式」、「日曜日」に「田植式」が執り行われ、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で「祭儀」が執り行われています。
 また「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)、「団碁祭(ダンキサイ)」といった「特殊神事」が多く執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

 「香取神宮」では、毎年2月3日に「古式」に則(ノット)り「節分祭」、「節分追儺式(セツブンツイナシキ)」が執り行われています。
 本年(2017年)も「香取神宮」では、「立春」「大吉」を迎えるにあたり、「厄」をお祓いするために、2月3日(金)に「香取神宮」「本殿」にて、「節分祭」・「節分追儺式」を斎行するそうです。
 「節分追儺式」ですが、明治時代の初期から伝わる「香取神宮」「独特」の「厄払い」の「行事」で、「節分追儺式」では、「御祓い(オハライ)」、「祝詞奏上(ノリトソウジョウ)」の後、「剣」を手に舞う「神人追儺の儀(シンジンツイナノギ)」が行われ、「香取神宮」「本殿」で「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」を打ち鳴らす「鳴弦の儀(メイゲンノギ)」が執り行われ、そして「音」に驚いた「赤鬼」、「青鬼」が飛び出してくると「福娘」に扮した2人の「巫女(ミコ)」が

 「鬼は外」

 と「豆」をぶつけ、「香取神宮」「拝殿」の外へ追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。

 「節分追儺式」の「儀式」が終わると、「香取神宮」「節分祭」が斎行されるそうです。
 「香取神宮」「節分祭」では、「香取神宮」「拝殿」の「廊下」に、「大相撲」「力士」や、「福男」、「福女」らが登場し、待ち構える「参拝客」の「皆さん」に、「福男」・「福女」約100名が「鬼は外!」と「かけ声」で、「豆まき行事」を執り行い、「福豆」・「福銭」等がまかれるそうです。

 明治以前に「神宮」の「称号」が与えられていた「由緒」ある「わが国」「屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「新春・恒例」の「人気行事」「節分追儺式」、「節分祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(金)

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「節分追儺式」「節分祭」「当日」は、「香取神宮」は大変込み合うので、「豆まき」の際は、押し合わないように呼びかけており、また「現場」の「警察官」の「指示」に従って下さいとのことです。
 「節分追儺式」「節分祭」が行われる「香取神宮」では、「境内」や、「旧参道」の「梅の花」がほころび始めるそうで、あちらこちらで、小さな「春」の「足跡」が見つけられるそうです。

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| 地域情報::香取 | 01:56 PM |
「鹿島神宮」「節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(金)に開催されます「鹿島神宮」「節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」では、今年(2017年)も「節分の日」の2月3日(金)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮」「節分祭」ですが、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、1回目は15時00分から、2回目は18時00分からの2回「豆まき」が催行されるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」は、「日頃」の「御加護」を「神様」に感謝申し上げ、「災厄」を「積極果敢」に祓い、「強運」や、「福」を招く「繁栄有徳」のめでたい「伝統」の「神事」となっています。
 「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」ですが、「神事」・「追儺(ツイナ)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び、「鏑矢(カブラヤ)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をするそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には、「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」では、

 「福は内」

 とだけ「声」をかけるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や、「年男」・「年女」から「福豆」や、「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと手を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」2回目の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と一緒にまかれる「福分け」では、「豪華」な「福」(景品)がいただけるそうです。
 なお今年(2017年)の「鹿島神宮」「節分祭」の「特別豆まきゲスト」ですが、「かしま大使」である「タレント」の「研ナオコ」さん、「研ナオコ」さんの「息子」「倹太」さん、「研ナオコ」さんの「娘」「ひとみ」さん、「ケンズファミリー」「所属タレント」で「物まね芸人」の「丸山おさむ」さん、「かしま大使」である「相川七瀬」さんが「参加予定」となっているそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「盛大」に開催される「恒例」の「節分行事」「節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(金) 15時〜、18時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「節分祭」「特別豆まき」には、過去には「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「OB」の「皆さん」の「参加」や、「角界」(大相撲力士)から参加される「方」もいらっしゃったそうです。
 なお、「鹿島アントラーズ」の「現役選手」ですが、「シーズン」前の「トレーニングキャンプ」の為に参加できないそうで、そのために「鹿島アントラーズ」「OB」が参加することが多くなったそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3309 |
| 地域情報::鹿島 | 01:56 PM |
「平成29年成田山新勝寺節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で2月3日(金)に開催されます「平成29年成田山新勝寺節分会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」に鎮座する「真言宗智山派」の「寺院」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、「弘法大師」「空海」が敬刻開眼した「不動明王」の「御尊像」を「御本尊」として開山された「不動尊信仰」の「総府」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、正月3が日には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、古来より、「お不動さま」の「御霊験」・「御利益」は数限りなく、「数多」の「信仰」を集め、「成田山新勝寺」は、今日(コンニチ)では毎年1000万人を超える「参詣者」を迎える「関東地方」「有数」の「著名寺院」です。
 「全国」「有数」の「広大」な「敷地」を誇る「成田山新勝寺」「境内」には、「車」の「祈祷」をする「交通安全祈願殿」、「自然」豊かな「公園」、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)や、「成田山仏教図書館」等多くの「施設」を有しています。
 「成田山新勝寺」ですが、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
 ちなみに「真言宗智山派」の「総本山」ですが、「智積院」(京都府京都市東山区東山七条)であり、「大本山」ですが、「成田山新勝寺」と、「川崎大師平間寺」(神奈川県川崎市川崎区)、「高尾山薬王院」(東京都八王子市高尾町)となっています。
 なお、「全国各地」の「不動尊信仰」を支える「成田山」ですが、「全国」に71ヵ寺の「別院」・「分院」・「末寺」・「末教会」・「成田山教会」があるそうです。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、皆様の「祈り」が一体となり「清浄な願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの人びとの「信仰」を集めています。

 「成田山新勝寺」は、平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に正面に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の背後の一段高くなった地には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「成田山表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山新勝寺節分会」(2016年2月1日・2015年2月1日・2014年1月26日・2013年1月25日・2012年1月30日・2011年1月31日のブログ参照)ですが、毎年2月3日に催行されている「成田山新勝寺」「恒例」の「人気行事」です。
 「成田山新勝寺節分会」には、毎年「正月」の「初詣」に匹敵する「参拝客」で賑わい、「場所取り」をする「人」が出る程の「人気」がある「節分会」として知られています。
 「成田山新勝寺節分会」では、「福は内!」のみ唱え、「鬼は外!」とは唱えないそうです。
 これは、昔からの「習わし(ナラワシ)」で、「成田山新勝寺」「御本尊」「不動明王」の前では、「鬼」でさえもその大慈悲心により心を入れかえてしまうからと伝えられており、唱えないのだそうです。
 また、「成田山新勝寺節分会」は、「天禍為福」・「五穀豊穣」を願って、毎年「立春」の「前日」に執り行われています。

 「平成29年成田山新勝寺節分会」ですが、今年(2017年)は、「国家安穏・万民豊楽・五穀豊穣・天禍為福」に加え、「東日本大震災被災地復興」への「祈り」を込め、「恒例」の「特別追儺豆まき式」が厳(オゴソ)かにも「盛大」に執り行われます。

 「震災に勝つ!福は内!」

 と「平成29年成田山新勝寺節分会」は、「復興」への「祈り」を込めた「大発声」が「成田山新勝寺」「境内」に響き渡ります。
 「平成29年成田山新勝寺節分会」には、「戸羽太」「陸前高田市」「市長」をお迎えする予定で、「特別参加年男」の「皆さん」と、共に「東日本大震災」「早期復興」を祈願するそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」では、「成田山開運豆まき」と、「特別追儺豆まき式」を行う予定になっており、「大相撲力士」の「皆さん」や、「NHK」「大河ドラマ」の「出演者」が「豆」を撒(マ)くことで知られているのは、「特別追儺豆まき式」で、今年も下記の「方々」が「第1回目」と、「第2回目」に参加する予定となっています。

 平成29年成田山新勝寺節分会 特別追儺豆まき式 スケジュール

 1回目 11時00分〜

 2回目 13時30分〜

 3回目 16時00分〜

 大相撲力士 (予定)

 横綱 白鵬

 横綱 稀勢の海

 前頭 御嶽海

 前頭 遠藤

 前頭 隠岐の海

 NHK大河ドラマ 「おんな城主 直虎」 出演者 (予定)

 井伊直平 役 前田吟さん

 新野左馬助 役 刈谷俊介さん

 瀬名 役 菜々緒さん

 なつ 役 山口紗弥加さん

 あやめ 役 光浦靖子さん

 上記の方々は、1、2回目のみの「参加」となります。

 また「平成29年成田山新勝寺節分会」当日は、「剣守(ケンマモリ)」(剣札)が1回につき365体、「大豆」が3回で860kg、「殻付落花生」が3回で400kg撒かれるそうです。
 「大豆」(860kg)と、「殻付落花生」(400kg)ですが、3回分の「合計」となっており、「剣守」(剣札)ですが、1回につき今年1年分の「日数分」である365体を撒くそうです。
 「平成29年成田山開運豆まき」ですが、「成田山新勝寺」「大本堂」の「内陣」でのみ行われる「特別」な「行事」で、「御護摩祈祷」ののち、「御本尊」「不動明王」の「御宝前」で、「豆まき」を執り行うそうです。
 「平成29年成田山新勝寺節分会」「詳細」は、下記の通りです。

 開催期日 2月3日(水)

 開催時間 9時30分〜、12時30分〜、15時00分〜

 開催会場 成田山新勝寺大本堂内 (御護摩祈祷にて)

 参加料  1名 10000円 (記念品付)
 (年齢、性別は問いません。当日申込及びお子様も可)

 集合   開始時刻の30分前 (大本堂1階 表玄関)

 募集数  各回 100名(定員に達し次第、締切)

 記念品  開運豆まき記念御礼、成田山節分会福枡(福豆入り)、剣守(ケンマモリ。節分会限定授与の御守)

 服装   自由 (当日、開運豆まき追儺羽織が貸し出されます。)

 申込方法 成田山新勝寺光輪閣総受付、または現金書留郵便での申し込み。

 問合わせ 成田山新勝寺「節分会開運豆まき」係 0476-22-2111 (大代表) 電話受付時間 8時〜16時

 また「平成29年成田山新勝寺節分会」「当日」は、「成田山表参道」周辺で「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。

 交通規制

 10時00分〜18時00分

 JR成田駅〜成田山山門(鍋店角)

 10時00分〜16時00分

 JR成田駅〜薬師堂

 尚、「平成29年成田山新勝寺節分会」「当日」の「混雑状況」によっては、「規制時間」が延長されることもあるので、現場の「警備員」の「指示」に従って通行下さいとのことです。

 「真言宗智山派」の「大本山」「成田山新勝寺」で開催される「人気」の「開運豆まき」「特別追儺豆まき式」「平成29年成田山新勝寺節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成29年成田山新勝寺節分会」詳細

 開催日時 2月3日(金)
 特別追儺豆まき式 11時〜、13時半〜、16時〜
 成田山開運豆まき 9時半〜、12時半〜、15時〜

 開催会場 成田山新勝寺大本堂内 成田市成田1(御護摩祈祷にて)

 問合わせ 成田山新勝寺 節分会開運豆まき係 0476-22-2111 (大代表) 電話受付時間 8時〜16時

 備考
 「大阪府」「寝屋川市」「成田西町」10番1号に鎮座する「大本山」「成田山大阪別院」「明王院」「大阪成田山不動尊」では、2月3日(金)に「追儺豆まき式」が行われ、「追儺豆まき式」には、10時30分から「NHK連続テレビ小説」「べっぴんさん」より、「主人公」(ヒロイン)「坂東すみれ」役「芳根京子(ヨシネキョウコ)」さん、「キアリス」の「仲間」「小野明美」役「谷村美月(タニムラミツキ)」さん、「小澤良子」役「百田夏菜子(モモタカナコ)」さん、「村田君枝」役「土村芳(ツチムラカホ)」さんが参加される予定となっており、その他、「桂福団治」さん、「桂文福」さん、「桂米團治」さん、「ぼんちおさむ」さん、「宮川大助」さん、「宮川花子」さん、「宮川さゆみ」さん、「ランナーズ」さん、「林真帆」さん、「京阪電鉄CMキャラクター」「6代目おけいはん」が登場し、13時00分からは、「キング・クリームソーダ
」(ゲラッパー、マイコ、ZZROCK)、「笑福亭鶴志」さん、「羽田たかお」さん、「二葉由起子」さんが参加され、15時00分から「桂春之輔」さん、「西川のりお」さんが参加される予定となっているそうです。

 ※著名人参加者は、予告無く変更になる場合がありますので、ご了承下さいとのことです。

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| 地域情報::成田 | 01:54 AM |
「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で、2月3日(金)に開催されます「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩(ショウカンゼオンボサツ)」を祀っています。

 上述のように、「妙光山観福寺」は、「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「川崎大師」・「西新井大師」と並び、「日本厄除三大師」(関東厄除け三大師)のひとつに数えられる「北総」の「名刹」であり、「御本尊」に祀るのは「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」で、寛平2年(890年)に「お堂」が建立されたことが「起こり」と伝えられています。
 「妙光山観福寺」は、古くは「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」が厚く帰依(キエ)し、中世以降は「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになったそうです。
 「妙光山観福寺」は、江戸時代には「末寺」五十三ヶ寺をもつ「中本山」として「寺領」三十石を有し、「幕府」から七年に一度の「年始独礼」の「拝謁」を許されたそうです。
 「妙光山観福寺」は、「由緒」正しさのゆえに、「僧侶」の「叙任」や、「法衣」の「色」の「許可」を与える「権限」を持つ「院室兼帯」の「寺院」とされた一方、「本山」での「修行」に入る前の「基礎的」な「教育」を施す「地方壇林所」として「学徒」の「教育」にあたり、更には「大師信仰」の中心となって「庶民」の「信仰」を集めたそうです。

 「妙光山観福寺」の「観福寺厄除弘法大師縁起」には、下記のように記されています。

 抑(ソモソモ)當山厄除弘法大師は大師自ら御彫刻遊ばされたる霊像にして日本厄除三大師の一と称し奉る。
 今其縁起を案ずるに人王五十二代嵯峨天皇の御宇(ギョウ)弘仁六年大師四十二歳の御厄年にあたらせられ親(ミズカ)ら御像三を彫刻して其一を禽獣草木の厄を除かんがために山城国大倉村大蔵寺に其一を一切魚鼈(ギョベツ)を救わんがために武州河原の平間寺に、其一つを庶民の災厄を除かんがために京都嵯峨の大覚寺に留め給う。
 茲に當山三十三世鏡覚(ケイガク)三等和尚嵯峨の院を訪へり。
 院の阿闍梨鏡覚和尚に告げて曰く我が法兄三等和尚東国庶人結縁の為に新四国霊場に開創せらされたと聞き我れ喜びに堪えず、乃ち心経殿安置の厄除弘法大師の御像を付属し且つ曰く之を以て新四国霊場の親大師として安置し奉るべしと、鏡覚和尚恵頓首して之を受け奉侍して郷に帰り山内の宝殿に安置し、奉れり。

 とあるそうです。
 「現住職」の「お話」では、「弘法大師」が自ら彫刻した三体の「御像」のうち「大蔵寺」の「霊像」は「西新井大師」に、「平間寺」の「霊像」はそのまま「平間寺」(川崎大師)に、そして「大覚寺」の「霊像」が「妙光山観福寺」に伝わっていることから、この「真言宗」の三つの「お寺」が「日本厄除三大師」あるいは「関東厄除け三大師」とされているとのことでした。
 なお、「関東厄除け三大師」に似た「関東の三大師」と呼ばれる「お寺」もありますが、こちらは「弘法大師」ではなく「厄除大師」とも呼ばれる「元三大師」(良源)を祀る「佐野厄除け大師」・「青柳大師」・「川越大師」の「天台宗」の「寺院」を指す場合が多く、「関東厄除け三大師」とは全く別のものなのだそうです。

 「妙光山観福寺」の「山門」をくぐると「正面」には、「住職」の「お駕籠」を運ぶ「担ぎ手」が上り下りしやすいように、一段の「高さ」が低く「奥行き」が広くとられた「一歩半の石段」が緩やかに続くそうです。
 「一歩半の石段」をのぼりきり、「木々」に覆われた薄暗い「参道」を抜けると「弘法大師」の「像」が迎えてくれ、「妙光山観福寺」「境内」には、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「位牌堂」、「鐘楼」、「毘沙門堂」が建っています。
 「妙光山観福寺」「本堂」ですが、文化8年(1811年)「鐘眞和尚」が再建したもので、「大師堂」ですが、文政12年(1829年)「秀珍和尚」が建立したもので、「大師堂」には「弘法大師」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「観音堂」ですが、元禄年間「春海和尚」が建立したもので、「妙光山観福寺」「御本尊」「聖観世音菩薩」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「不動堂」ですが、文化15年(1818年)「快恵和尚」が再建したもので、「身丈」5尺、「総丈」8尺の「不動明王像」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「位牌堂」ですが、文化年間建立したもので、「鐘楼」ですが、文化8年(1811年)建立したもので、「毘沙門堂」ですが、平成7年(1955年)「量賢和尚」が建立したものです。
 「妙光山観福寺」「境内」には、「春」は「枝垂れ桜」、「初夏」は「新緑」、「秋」は「紅葉」と、「四季」の「景観」の「美しさ」でも知られています。
 そのため、「妙光山観福寺」は、「ドラマ」や、「映画」等の「撮影地」としても多く用いられており、2013年(平成25年)「NHK大河ドラマ」「八重の桜」では、「地元」「佐原」の「方々」が「会津藩士役」「エキストラ」として参加するなか、「妙光山観福寺」「本堂」を「会津」の「黒谷本陣」に見立てて「撮影」が行われたそうです。

 「妙光山観福寺」「墓地」には「香取の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)や、「国文学者」の「伊能頴則」、「楫取魚彦」等の「墓」がある他、古い「下総板碑」等、「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。
 (伊能忠敬の墓には、伊能忠敬の髪と、爪を納めているそうです。)
 「妙光山観福寺」「寺宝」ですが、「国指定重要文化財」に指定されている4点の「銅造懸仏(カケボトケ)」があるそうです。
 (元来、香取神宮の本地仏として安置されていたもの。)

 「釈迦如来坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「十一面観音坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「地蔵菩薩坐像」 延慶2年(1309年)銘

 「薬師如来坐像」

 いずれも、もとは「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)に付属して置かれた「金剛宝寺」(神宮寺)で「本地仏」として安置されてあったものですが、明治初年の「神仏分離」によって「香取神宮」の「手」から離れたものを、「佐原」の「篤志家」の「人々」の「手」によって寄進されたものだそうです。

 「妙光山観福寺」には、上記のように「鐘楼」があり、「妙光山観福寺」「梵鐘」は戦時中に供出して以来、そのままになっていたそうですが、昭和59年(1984年)「弘法大師千百五十年御遠忌」の「記念事業」として「堂」の「大改修」と、「梵鐘」の「新鋳」がなされ、同年「秋」に完成、昭和60年(1985年)3月に「落成式」が行われたそうです。
 この年から撞き始められた「除夜の鐘」に「四隣」から「善男善女」が押し寄せるなか、「観音堂」では「世の中」の「安寧」を願って「護摩」が焚かれるそうです。
 「妙光山観福寺」「境内」には「かがり火」がたかれ、「福汁粉」の「接待」を受けながら、「酷寒」の中で「新年」を迎えようとする「人々」で賑わうそうです。

 「香取市」には、2つの「観福寺」があり、もうひとつの「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」(2011年12月3日のブログ参照)で、「山倉の鮭まつり」(2011年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」を祀る「北総の名刹」「妙光山観福寺」では、例年2月3日に「節分会」(節分追儺式)を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)ですが、14時30分から40分程「法要」を行い、その後「妙光山観福寺」「本堂」前「特設舞台」で、「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われます。

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)の「見どころ」のひとつですが、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による600巻の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「経典」を「バラバラ」と広げながら、一斉に「お経」を唱えるもので、滅多(メッタ)に見ることのできない「貴重」な「光景」であり、「妙光山観福寺」では、「迫力満点」の「転読」が繰り広げられるそうです。
 また「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)では、「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われ、「豆まき」では「福豆」や、「福銭」が撒かれる他、「景品」も当たるそうです。

 「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「日本厄除三大師」「関東厄除け三大師」のひとつに数えれる「北総」の「名刹」「妙光山観福寺」で開催される「節分追儺式」「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)詳細

 開催日時 2月3日(金) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-52-2804
      香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「香取」の「春」の「年中行事」に「札打ち(フダウチ)」というものがあるそうです。
 これは、宝暦4年(1754年)に「妙光山観福寺」の「三等和尚」らの「発願」により始まると伝えられるもので、「香取市」「一円」の「寺院」を「四国八十八ヶ所」の「札所」に模して巡るそうです。
 今では「札打ち」の「やり方」は変わってきたそうですが、「大師信仰」は脈々と生きつづけ、「春」4月初旬、「各地」に「善男善女」の「お参り」の「姿」が見られるそうです。
 また「四国八十八ヶ所巡り」といえば、「妙光山観福寺」の「境内」には「新四国霊場」があるそうで、「山門」を入ってすぐ、「一歩半の石段」の「手前」左側に立つ「新四国霊場創開記念碑銘」の脇から「林」の中へと入っていく「石段」は、大正3年(1914年)に作られた、「石碑石仏」を巡る「四国八十八ヶ所」の「ミニチュア版」への「入り口」となっています。

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| 地域情報::香取 | 01:53 AM |
「芝山仁王尊」「節分会」(芝山町)
 本日ご案内するのは、近隣市「芝山町」「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」で2月3日(金)に開催されます「芝山仁王尊」「節分会」です。

 「芝山仁王尊」こと「天應山観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)ですが、「山武郡」「芝山町」に鎮座する「天台宗」の「寺院」で、「山号」は「天應山(天応山)」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」を祀っています。
 「天應山観音教寺」は、上述のように「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の「寺院」で、「正式名称」を「天應山観音教寺福聚院」、「開山」から実に1200余年にもなる「県内有数」の「古刹」です。
 「天應山観音教寺福聚院」ですが、「上総国薬師如来霊場」「第28番」(結願)、「神上総国三十三観音霊場」「第33番」(結願)、「東国花の寺百ヶ寺」「千葉6番札所」としても知られています。

 「天應山観音教寺」の「由緒」ですが、奈良時代末期、人皇第四十九代「弘仁天皇」の宝亀11年(780年)の「正月」、「平城京」が「雷火」に襲われ、「皇室擁護」の「寺院」が多く焼失したため、「諸国」に命じて新たに「仏寺」を建てせしめたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天応(天應)元年(781年)「勅命」により、「征東大使」「中納言 藤原継縄」公が、この「布令」の下に「当地」に「寺院」を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に「甍(イラカ)」の「数」を増やし、近隣に八十余字の「子院」を置くに至ったと伝えられています。
 その後「天應山観音教寺」は、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の「崇敬」を受け、許多の「仏田」が寄進され、永く「祈願所」として栄えましたが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の「影響」を受け、「天應山観音教寺」も「全山灰土」と化したと伝えられています。
 やがて江戸時代に入り「天應山観音教寺」は、「徳川幕府」の「庇護」の下、「十万石」の「格式」を持つ「伴頭拝領寺」として、「関東天台」の「中核」となす「寺院」になったそうです。

 「天應山観音教寺」は、「火事泥棒除け」・「厄除け」の「仁王尊天」として、古来より「大江戸」の「庶民」の「信仰」を集めており、「いろは四十八組」の「町火消」が「纏(マトイ)」を「先頭」に競って参詣したと伝えられています。
 また「天應山観音教寺」については、下記のように伝えられています。

 「江戸の商家で芝山のお札を貼らない店(タナ)はない。」

 「天應山観音教寺」「芝山仁王尊」は「黒仁王」といわれ、「火事・泥棒除け」、「子育て」に霊験あらたかで、江戸時代には「成田」の「不動尊」「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)と共に、「江戸庶民」の「信仰」を集めたそうです。
 上述のように江戸時代から「火事・泥棒除けのにおうさん」として「庶民」に絶大な「人気」があったことが伺えます。
 現在でも「天應山観音教寺」には、有名な「新門辰五郎」の「旧・を組」の「記念碑」が、「天應山観音教寺」「境内」に建っており、その「信仰」が今日(コンニチ)まで連綿として伝えられていることが分かります。
 上記のことから「天應山観音教寺」は、「火事除け」・「泥棒除け」の「仁王尊」として知られることから、「天應山観音教寺」は「芝山仁王尊」とも呼ばれています。
 「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」には、鎌倉時代初期に作られた「厄除け」で「有名」な「御本尊」「十一面観世音菩薩」や、「千葉県」の「県指定有形文化財」(建造物)に指定されている「天應山観音教寺」「三重塔」(1955年(昭和30年)12月15日指定)などがあります。

 また「天應山観音教寺」「境内」には、「桜」、「つつじ」、「もみじ」、「椿(ツバキ)」、「菖蒲」など「多種類」の「植物」があり、「古木」に囲まれた広い「境内」は、「七堂釈迦藍」が「甍(イラカ)」を競い「名山」の「面影」を今に伝えています。
 「天應山観音教寺」では、「年中行事」として、「お取子大縁日」、「こどもの日のイベント」、「十七夜講(ジュウシチヤコウ)」が予定されています。

 「転読」ですが、「法会」において、「経」の「題名」と、「初」・「中」・「終」の「数行」だけを略読することです。
 (法会において、経の題名と初・中・終の数行を読み、経巻を繰って全体を読んだことにする読み方。)
 「転読」は、「大部」の「経典」、特に「大般若経」600巻について行われています。

 「大般若転読(ダイハンニャテンドク)」ですが、「仏事」の「法要名」で、「大般若経」600巻を「短時間」に読み上げる「法要」です。
 そのために、例えば30人の「職衆(シキシユウ)」に20巻ずつ分担させる等した上、「転読」という「速読法」を用います。
 「転読」ですが、「巻物」「仕立て」の「経」を転がしながら「目」を通すことから出た「言葉」ですが、「法要」には「折り本」を用い、「表裏」の「表紙」を「両方」の「手」で支え、「経巻」を「右」または「左」に傾けながら「本文」の「紙」をぱらぱらと「一方」へ落とすようにするそうです。
 そのとき、「経題」だけは毎巻「大声」で読み上げます。
 「大般若転読」ですが、この「転読」を中心とし、これに「導師」の「経釈」を加え、さらに「表白(ヒヨクビヤク)」、「神分(ジンブン)」等を前置して「法要」を構成するそうです。

 「星祭(ホシマツリ)」ですが、「旧暦」の「元旦」や、「立春」、「冬至」等に行われる「仏教」の「儀式」で、「天下国家」に起こる「各種」の「災害」や、「個人」の「災い」を除くものであり、「星供養(ホシクヨウ)」、「星供(ホシク)」、あるいは「北斗法」ともいわれています。

 「星祭」は、「仏教」の中で「後期」「大乗の教え」に属する「密教」において、「一字金輪仏頂」と呼ばれる「大日金輪」や、「釈迦金輪」を「主尊」とする「星曼茶羅」や、「七星如意輪観音」を「主尊」とする「七星如意輪曼荼羅」や、「妙見菩薩」を「主尊」とする「妙見曼荼羅」を「本尊」として、その年の主な「星曜」や、「各個人」の「当年星(トウネンジョウ)」と、「本命星(ホンミョウジョウ)」等を祀る「修法」と、「祭事」を「目的」とした「密教」の「祭儀」です。
 本来は「中国」の「道教」の「冬至」の「祭儀」であり、「インド」の「仏教」とは無関係でありましたが、「密教側」が「道教」から採り入れ、「仏教的」に脚色したものなのだそうです。

 「星曼陀羅」に代表される「密教占星術」では、「密教」の「修法」の「天文占星」を「二本の柱」として、「九曜星」の九つの「星」や、「北斗七星」の「七つの星」の内のひとつをその人の「生まれ星」として「大本星」と定め、「運命」を司る「星」と考えられています。

 また「星祭」では、一年毎に巡ってくる「運命」を左右する「星」を「当年属星」と呼んでいます。
 「星祭」ですが、これらの「星」を供養し、「個人」の「一年間」の「幸福」を祈り、「災い」を除くそうです。
 なお、「全国」の様々な「寺院」で「星祭」・「星供」の「行事」が行われています。

 「追儺(ツイナ)」とは、「大晦日」(旧暦12月30日)の「宮中」の「年中行事」であり、平安時代の初期頃から行われている「鬼払い」の「儀式」で、「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)、「儺(ナ)やらい」とも呼ばれています。
 「追儺」の「儀式」は、「論語」の「郷党篇」にも「記述」があり、「中国」の「行事」が「ルーツ」であるそうで、「日本」においては「天皇」や、「親王」が行う「宮廷」の「年中行事」となったそうです。
 その後、「変遷」があり、現在の「節分」の元となったそうです。

 「追儺」の「儀式」の「概要」ですが、「方相氏(ホウソウシ)」と呼ばれる「鬼」を払う「役目」を負った「役人」(大舎人(オオトネリ))と、「方相氏」の「脇」に仕える「シンシ」と呼ばれる「役人」(特に役職は決まっていない)が20人で、「大内裏」の中を「掛け声」をかけつつ回りました。

 「方相氏」は「玄衣朱裳」の「袍(ホウ)」を着て、「金色」の「目」4つもった「面」をつけて、「右手」に「矛」、「左手」に大きな「楯」をもった。
 「方相氏」が「大内裏」を回るとき、「公卿」は「清涼殿」の「階(キザハシ)」から「弓矢」をもって「方相氏」に対して「援護」としての「弓」をひき、「殿上人(デンジョウビト)」らは「振り鼓」(でんでん太鼓)をふって「厄」を払いました。
 ところが9世紀中頃に入ると、「鬼」を追う「側」であった「方相氏」が逆に「鬼」として追われるようになったそうです。
 「古代史家」の「三宅和朗」はこの「変化」について、平安初期における「触穢信仰」の「高まり」が、「葬送儀礼」にも深く関わっていた「方相氏」に対する「忌避感」を強め、「穢れ」として追われる「側」に変化されたのではないかとしているそうです。

 「追儺」の「儀式」の「時」に行われる「除目」で、「春」の「県召(アガタメシ)」の「除目」や、「秋」の「司召(ツカサメシ)」の「除目」の際にもれた「人」を任官したそうで、「追儺」の「除目」ともいわれています。
 「追儺」は、「節分」の「ルーツ」ともされており、この「節分」においては、「鬼」を「豆」によって追い払い、「節分祭追儺神事」を行う「社寺」もあります。

 「芝山仁王尊」こと「天應山観音教寺」では、2月3日(金)に「芝山仁王尊」「節分会」を開催するそうです。
 「芝山仁王尊」「節分会」では、「大般若転読」・「除災招福護摩」・「星祭」を厳修するそうです。
 「大般若経」の「風」に当たるだけで「除災招福」の「功徳」を得られると古来より言われているそうです。
 「芝山仁王尊」「節分会」ですが、「法要」終了後、「天應山観音教寺」「三重塔」前「特別舞台」にて「鬼やらい」の「寸劇」と、「豆撒き」が行われるそうです。

 「火事泥棒除け」・「厄除け」の「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」で開催される「大般若転読」・「除災招福護摩」・「星祭」を厳修する「節分会追儺式」「芝山仁王尊」「節分会」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「芝山仁王尊」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(金) 13時〜(豆まきは14時〜)

 開催会場 天應山観音教寺 山武郡芝山町298

 問合わせ 天應山観音教寺 0475-77-2225

 備考
 「芝山仁王尊」「節分会」には、毎年多くの「参加者」があり、「法要」の後、「周辺地域」の「名士たち」が「年男」・「年女」として「特設会場」に上がり、「豆まき」や、「景品」の「福まき」を行うそうです。

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| 地域情報::成田 | 09:12 PM |
「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」、「伊能家のおひなさま展」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で1月24日(火)〜3月20日(祝・月)の期間開催されます「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」、「伊能家のおひなさま展」です。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「功績」を讃(タタ)え、その「功績」を余すところなく紹介している「記念館」です。
 以前「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」(2012年2月24日のブログ参照)の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から相当な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が手狭であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)を挟んで「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)を渡った対岸に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで計10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬の人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や、「伊能図」の数々が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬の業績」を偲ぶことができ、その結晶ともいえる正確さと、芸術的な美しさを備えた「地図」や、「伊能忠敬関連資料」等が展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能忠敬記念館」の「展示」の「概要」は、「佐原時代」、「全国測量」、「伊能図の完成」、「地図の世界」と分けられ、「内容」は、下記の通りです。

 佐原時代

 伊能忠敬50歳までの前半生を紹介

 伊能忠敬は、50歳で江戸に出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
 34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいておりました。

 全国測量

 隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介

 江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。
 55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
 伊能忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。

 伊能図の完成

 伊能図の数々を紹介

 伊能図には、1821年(文政4年)完成の「大日本沿海輿地全図」(大図214枚縮尺36000分の1、中図8枚縮尺216000分の1、小図3枚縮尺432000分の1)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。
 いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
 (国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)

 地図の世界

 日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介

 伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が紹介された19世紀以前において、ヨーロッパの人々は日本の姿をどのように理解していたのでしょうか。
 ヨーロッパから見れば極東の地である日本については、さまざまな憶測やとぼしい地理的情報に基づいて描いていました。
 また、同時に日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのでしょうか。
 地図はその時の時代観、宗教観、目的によってさまざまな形をとります。
 見ても楽しく興味深いものです。

 「伊能忠敬関連資料」ですが、平成22年(2010年)6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の「資料群」です。
 「国宝」に指定された「資料」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」に分類され、「伊能忠敬」の「全国測量」に関る「資料」の他、「孫」の「忠誨(タダノリ)」の「資料」も含まれています。
 ちなみに「国宝」とは

 「国が指定する重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」

 と評価され指定された「資料」のことです。

 「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」となっており、「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」は、下記の通りです。

 「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」

 「地図・絵図類」787点

 採色された伊能図、その元となった下図(シタズ)、測量経路の風景を鳥瞰図的に描いた麁絵図(アラエズ)、各測量地から提出された参考絵図などがあります。
 伊能図の作成過程をうかがい知り、また各地の測量技術を明らかにできる貴重な資料群です。

 「文書・記録類」569点

 日本全国測量中の日記、山などの方位を測った山島方位記、夜に天体観測した星の観測記録、先生である高橋至時の御用日記、測量御用の辞令や先触、伊能忠敬の孫である伊能忠誨(タダノリ)が作成した星図などの資料です。

 「書状類」398点

 伊能忠敬直筆の書状のほか、息子景敬、娘イネなどの親族、先生の高橋至時・高橋景保、尾形謙二郎や坂部定兵衛など弟子たち、友人の江川英殻・久保木清淵や諸藩の役人との書状があります。

 「典籍類」528点

 伊能忠敬が学んだ暦学書、測量書、和算書や測量に関わる中で集めた地理書などがあります。

 「器具類」63点

 地上測量の器具には、量程車や半円方位盤、象限儀(小)などが、天体観測の器具には、緯度測量に使う象限儀(中)、経度測定に使う水揺球儀があります。
 また、地図を作成する時に使った烏口や地図記号の印もあります。
 特に伊能忠敬の孫の伊能忠誨が使用した水揺球儀もあり、国内でも有数のコレクションとなっています。

 この度(タビ)「伊能忠敬記念館」では、1月24日(火)から3月20日(祝・月)までの期間「収蔵品展」「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」を開催するそうです。
 「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」開催に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のような紹介、鑑賞を呼びかけています。

 「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」

 当館所蔵の国宝「伊能忠敬関係資料」には、地図や測量道具だけではなく、伊能忠敬に関わるさまざまな資料が含まれており、全体は5つの部門に分類されます。
 地図・絵図類、文書・記録類、書状類、典籍類、器具類のそれぞれから、厳選した実物資料を展示し、国宝「伊能忠敬関係資料」の持つ奥深い世界を紹介していきます。

 また「伊能忠敬記念館」では、「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」と「同時開催」で、「伊能家のおひなさま展」も行うそうです。
 「伊能家のおひなさま展」の「内容」は、下記の通りです。

 「伊能家のおひなさま展」

 伊能家には、忠敬から数えて4代目当主の娘たちのお雛さまが伝わっています。
 今回、この雛人形や雛飾りとともに、京都出身の呉服商で江戸時代後期から明治・大正時代にかけて佐原随一の商家であった旧奈良屋の雛人形も展示します。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を余すところなく紹介している「伊能忠敬記念館」で開催される「収蔵品展」「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」、「伊能家のおひなさま展」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第85回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関係資料の世界」、「伊能家のおひなさま展」詳細

 開催期間 1月24日(火)〜3月20日(祝・月)

 開館時間 9時〜16時半 (最終入館〜16時)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 入館料  大人500円 小・中学生250円

 休館日  月曜日 (祝日の場合は開館) 年末年始

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「香取市」「佐原」では、2月4日(土)から3月26日(日)までの「期間」、「恒例・人気」の「催し」「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」を開催するそうです。
 「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」では、「趣」のある「佐原」(佐原の町並み)の「たたずまい」とともに、「商家」に伝わる「雛たち」をゆっくりと観覧できる「催し」となっています。
 また、「第12回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」「期間中」の3月18日(土)に「さわら雛舟(ヒナブネ)春祭り」を開催するそうです。
 「さわら雛舟春祭り」では、「雛人」が「雅楽」の「演奏」で「優雅」に「小野川」を進める「リアル流し雛」となっており、「さわら雛舟春祭り」は、1日3回運航されるそうです。

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