本日ご案内するのは、近隣市「九十九里町」「皇産霊神社」で2月11日(祝・土)に開催されます「関万歳(セキマンザイ)」です。
「九十九里町」は、「山武郡」に属する「まち」であり、「旧・山辺郡」に属していた「まち」で、「名前」の通り「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面しており、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)の「名産地」として知られており、「千葉県」の「南東部」の「太平洋岸」に位置し、「九十九里浜」で有名です。
「九十九里町」の隣接する「自治体」は、「東金市」、「山武市」、「大網白里市」となっています。
「九十九里町」の「産業」ですが、「漁業」、「水産加工業」、「観光業」、「ガス事業」となっています。
「九十九里町」の「漁業」は、主(オモ)に「イワシまき網漁業」、「小型船」による「ハマグリ漁」、「観光遊漁船」(釣り船)の3種となっており、「九十九里町」の「漁業」は「片貝漁港」を中心に営まれています。
「片貝漁港」は、「山武郡」にある「第4種漁港」で、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)の「中央部」を流れる「作田川」「河口」に位置し、「海岸」近くを走る「千葉県道30号線」「飯岡一宮線」沿いに「市街地」が形成されている「九十九里町」にあります。
「片貝漁港」は、「避難港」でもあるため、「利用漁船」が「安全円滑」に「出入港」できる「航路」の「確保」が「課題」となっており、また円滑な「輸送機能」を確保するため「幹線道路」との「スムーズ」な「アクセス」を図る「道路」も「課題」となっているそうです。
「九十九里町」の「水産加工業」は、主(オモ)に「カタクチイワシ」を「原料」とした「水産加工業」が行われています。
「九十九里町」「水産加工業」の「生産品目」ですが、「みりん干し」、「目刺し」、「丸干し」、「煮干」、「ごま漬け」、「野菜漬け」となっています。
なお、「九十九里町」の「地元」で採れる「岩ガキ」(2012年5月28日のブログ参照)は、「大ぶり」で「味」が「クリーミー」だそうです。
「九十九里町」の「観光業」は、「海水浴」、「サーフィン」、「海釣り」等があります。
1970年代頃まで「九十九里」における「観光」といえば、「夏季」の「海水浴」が中心で、「浜沿い」には「季節民宿」が営まれていました。
しかし、「自動車」の「普及」と「交通網」の「整備」により、「九十九里」は「首都圏」からの「日帰り圏」となってしまい、現在ではほとんど見られなくなったそうです。
「九十九里町」の「サーフィン」ですが、「四季」を通じて「質」の良い「波」を求めて、たくさんの「サーフィン」がやってくる「人気サーフスポット」となっています。
「九十九里町」の「ガス事業」ですが、「九十九里平野」の中にあるため、「天然ガス」が噴出しており、「九十九里町」の「町内」の「ガス供給」は「まち」が行っています。
「九十九里町」の「交通」ですが、1961年(昭和36年)までは「東金駅」と、「片貝」を結ぶ「九十九里鉄道」がありましたが、現在は廃止されています。
「九十九里町」の「バス」ですが、「ちばフラワーバス」・「小湊鐵道」・「九十九里鉄道」によって「路線」が運行されており、「東京駅」や、「千葉駅」と、「片貝」や、「サンライズ九十九里」を結ぶ「高速バス」、「急行バス」も運行されています。
「九十九里町」の「名所」・「旧跡」・「観光スポット」は、下記の通りです。
「片貝海水浴場」
「豊海海水浴場」
「ビーチタワー」
「伊能忠敬記念公園」
「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「生家跡」や、「銅像」などがあり、「伊能忠敬出生地」として「千葉県」の「史跡」に指定されています。
ちなみに「伊能忠敬」ですが、「上総国」「山辺郡」「小関村」(現在の九十九里町小関)で生まれたそうです。
「関東地方甘藷栽培発祥の地碑」
「九十九里町」では、享保20年(1735年)、「不動堂村」ほか2箇所で「青木昆陽」による「サツマイモ」の「試作」が行われ、「関東」で初めて成功したそうです。
「関東地方甘藷栽培発祥の地碑」ですが、「豊海小学校」の近くにあり、「青木昆陽不動堂甘藷試作地」として、「千葉県」の「史跡」に指定されています。
「武家屋敷門」(2015年7月26日のブログ参照)
「片貝中央海岸」は、「九十九里町」の4つの「海水浴場」(片貝、不動堂、真亀、作田)のひとつで、「子ども」から「お年寄り」まで安心して遊べるよう、「自然環境」が整備されています。
「片貝中央海岸」では、4月下旬には、「本州一」早い「海開き」が開かれています。
「片貝中央海岸」は、「九十九里町」で「元日」に行われる「元旦祈願祭」(2013年12月27日のブログ参照)の「会場」としても知られている「海水浴場」です。
「皇産霊神社」ですが、「山武郡」「九十九里町」「片貝」(上総国山辺郡)に鎮座する「神社」で、「旧社格」は「郷社」です。
「皇産霊神社」は、「俗称」・「産土さま(ウブスナサマ)」と呼ばれ、「地域」の「人々」に親しまれている「神社」で、「皇産霊神社」「本殿」は、「九十九里町」の「町指定文化財」に指定されています。
「皇産霊神社」の「御祭神」ですが、「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」、「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」、「神皇産霊神(カミムスビノカミ)」を「主祭神」として祀っています。
「皇産霊神社」ですが、天慶年間(938年〜946年)の「創建」と伝えられ、往時は「本隆寺」を「別当寺」として「第六天神宮」と称していましたが、明治の「神仏分離令」で、「天御中主神」・「高皇産霊神」・「神皇産霊神」を「御祭神」とし、「社号」を「皇産霊神社」と改め、大正2年(1913年)「郷社」に列しました。
「皇産霊神社」では、毎年「正月13日」は「祭礼日」で、昔の3村の「各部落」から「氏子」が「太鼓」等を載せた「山車」を「先頭」に「囃子」で囃しながら「皇産霊神社」へ向かい、「幟(ノボリ)」を「皇産霊神社」「鳥居」前に並列し、「神官万歳」を唱え、「福」の「種」を撒いたそうです。
寛政6年(1794年)「小関村」と、「片貝村」の「水争い」から「堰」を作り、「水」を分け合うようになったことを祝い、「漫才」が行われていたという「伝承」があり、「関万歳(セキバンザイ)」になったと伝えられており、また「獅子舞」・「かっこ舞」の「奉納」もあるそうです。
「関万歳(セキバンザイ)」の「祭り」では、昔の3村の「鎮守」である「須原区」・「正一稲荷神社」、「屋形区」・「恵比寿神社」、「西の下区」・「八坂神社」から、「氏子」が「太鼓」等を載せた「山車」を「先頭」に「囃子」を囃しながら、「皇産霊神社」へ向かうそうです。
「関万歳(セキバンザイ)」では、多くの「出店」や、「獅子舞」・「鞨鼓舞」の「奉納」がある他、「福の種まき」と呼ばれる「神事」が行われるそうです。
「関万歳(セキバンザイ)」で奉納される「鞨鼓舞」、「獅子舞」ですが、「須原鞨鼓舞」、「屋形獅子舞」、「西の下獅子舞」です。
「屋形獅子舞」は、江戸中期の正徳元年(1711年)、「夷大明神」の「遷宮祭」で「獅子舞」を奉納し、「五穀豊穣」・「浜大漁」を祈願したのが「はじまり」と伝えられています。
「恵比寿神社」と、「八坂神社」の「祭礼」(屋形のまつり)では、「宮獅子」として「平獅子」を舞いましたが、時代とともに「芸獅子」の「演目」が増えました。
現在は「三番叟・序の舞・平獅子(布舞・語弊の舞・鈴の舞)・下手・相生」、「芸獅子」として「四つ足・玉取り・蛇・花かがり・蜘蛛」、「狂言」として「伊勢参り・鳥刺し・和唐内」、「囃子」として「屋形囃子・中山囃子・馬鹿囃子」等多数の「演目」が演じられます。
「狂言もの」は「地区」の「子供たち」が「主役」で、長い「台詞」をこなし「大人顔負け」の「演技」を披露します。
「九十九里町」では、「芸能」の「伝承」のため十年単位で「発表会」を開催しており、直近では、平成23年(2011年)に12年ぶりに「獅子舞大会」が開かれています。
「西の下の獅子舞」は、「八坂神社」の「祭礼」(毎年旧暦2月7日)で、「神社」と、「御仮屋」で奉納された後、「神輿」とともに「ムラ廻り」をしながら演じられます。
「西の下の獅子舞」は、江戸後期の文政2年(1819年)、「東金」・「松ノ郷」の「八坂神社」を「西の下」に勧請した際、「江戸」の「魚河岸」から寄贈された「神輿」の「露払い」として、「区内」の「長男」に「獅子舞」を伝習されたのが「はじまり」と伝えられています。
「西の下の獅子舞」の「演目」は、「神社」や、「村廻り」では、「悪魔払い」の「平獅子」(序の舞・語弊の舞・鈴の舞)が演じられます。
「舞台」等では、「芸獅子」(相生・四つ足・玉取り・蛇がかり・蜘蛛がかり・花がかり・お染獅子・鳥刺し・和唐内・伊勢まいり岡崎)等が演じられます。
「関万歳(セキバンザイ)」では、「鞨鼓舞」や、「獅子舞」の「舞手」や、「関係者」が「皇産霊神社」へ向かい、「神社」の「隣近所」の「民家」で休息するそうです。
その頃「皇産霊神社」には、多くの「参拝者」が集まり、「皇産霊神社」「境内」に設けられた「特別舞台」で行われる「手品」を見学するそうです。
そして、まず「須原区」の「鞨鼓舞」の「メンバー」が「近所の民家」から入り、「神前」で「お払い」を受けたあと、「特別舞台」で「鞨鼓舞」が行われ、「鞨鼓舞」ですが、「一人立三匹」で「鞨鼓」(鼓)は持たないそうです。
「獅子舞」は「龍顔」で、「舞台」「正面」に「語弊」を3本立て、「比較的」ゆったりと約20分間舞い、「舞手」は「小学生」で、この「鞨鼓舞」は、この後行われる「獅子舞の厄払い」(場所を清める)のために「舞い」だといわれています。
「関万歳(セキバンザイ)」では、「獅子舞の厄払い」に続き、「餅まき」が行われます。
「餅まき」の「餅」ですが、「紅白」の7〜8cmの「丸餅」で、1個づつ「ビニール」で包まれ、「餅」には10個〜20個に1個の「割合」で「赤」、「黒」等の「紙」が入っており、それぞれ「ラーメン」、「タッパー」等が当たるそうです。
「餅まき」は、昔は「福の種まき」といい、「餅」の「籾種」と、「赤大豆(ササゲ)」といったものをまき、これを「家」の「神前」に供え、「丘万作」・「浜大漁」・「家内安全」を祈ったといわれていますが、現在は「餅」のみが、まかれるそうです。
「餅まき」ですが、「関万歳(セキバンザイ)」中、3回行われる「鞨鼓舞」、「獅子舞」、「獅子舞」の後に3回行われ、「餅」は「豪勢」に、「計」4俵(約240kg)も撒くそうです。
「鞨鼓舞」は、「小学生」のみの「舞手」が舞いますが、「鞨鼓舞」に続いて行われる「屋形区」・「西の下区」の「獅子舞」は、それぞれ「小学生」と、「青年」の2組づつが舞うそうです。
「獅子舞」ですが、「2人立1匹」で、「小学生」は「獅子」には「道化」が「面」を付けて現れ、「獅子」を「餌」で釣ったり、からかったりし、「舞」は「手振り」、「足運び」等熟達した「白熱」の「演技」だそうです。
「関万歳(セキバンザイ)」にも参加する「西の下」の「獅子舞」ですが、「八坂神社」に伝承されており、この「獅子舞」は、文政2年(1819年)に「八坂神社」が創建されたときに、「江戸」の「魚河岸」から「神輿」が寄贈され、その「神輿」の「露払い」として「獅子舞」が伝習されたのが「はじまり」とされており、「西の下区」の「獅子舞」ですが、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
なお、「関万歳(セキバンザイ)」ですが、昔、旧1月13日〜14日に催行されていましたが、数十年前から現在の2月11日に行われるように変わったそうです。
「九十九里」の「丘万作」、「浜大漁」の「守護神」である「古社」「皇産霊神社」で催行される「祭礼」「関万歳(セキバンザイ)」。
この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「関万歳(セキバンザイ)」詳細
開催日 2月11日(祝・土)
開催会場 皇産霊神社 山武郡九十九里町片貝前里地区
問合わせ 九十九里町教育委員会 0475-70-3192
備考
「関万歳(セキバンザイ)」の「様子」ですが、「九十九里ポータルサイト」にて「動画」で公開されています。