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「リアル宝探し」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「飯岡地区」、「飯岡漁港」「いいおかみなと公園」で2月26日(日)に開催されます「リアル宝探し」です。

 「飯岡漁港」(2012年6月6日のブログ参照)は、「旭市」「下永井」にある「第1種漁港」です。
 「第1種漁港」ですが、「漁港漁場整備法」によりますと、「漁港」は「天然または人工の漁業根拠地となる水域及び陸域並びに施設の総合体」と定義されたうえで、種類に応じて「市町村長」、「都道府県知事」または「農林水産大臣」が「名称」及び「区域」を定めて指定され、「第1種漁港」は「利用範囲」が「地元」の「漁船」を主とするものだそうです。
 ちなみに「第2種漁港」は、「利用範囲」が「第1種」より広く、「第3種」に属さないもの、「第3種漁港」は、「利用範囲」が「全国的」なもの、「第4種漁港」は「離島」その他「辺地」にあって「漁場」の「開発」、または避難上、必要とされるもの、「特定第3種漁港」は、「第3種」のうち振興上、特に重要な「漁港」とされています。
 ちなみに、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)ですが、「特定第3種漁港」に1951年(昭和26年)7月10日に指定されています。

 「飯岡漁港」「東側」には、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2016年3月2日・2012年5月20日のブログ参照)と呼ばれる「海食崖」があり、「高さ」35m〜60mの「断崖」が約10kmにわたって連なっています。
 「飯岡漁港」「西側」は「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)を「境」として、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「砂浜」が続いています。
 「飯岡漁港」は、1953年(昭和28年)6月27日に「第1種漁港」に指定されており、主な「魚種」ですが、「イワシ」(2012年5月17日のブログ参照)、「シラス」、「シラウオ」となっています。
 「飯岡漁港」の「漁獲量」ですが、「千葉県内」で2位となっています。

 「飯岡漁港」は、「沖合・沿岸漁業」の「根拠地港」として成り立ち、「水揚げ」の90%を占める昔からの「代表的漁獲物」である「イワシ」を獲る「船びき網漁業」、「ヒラメ」や、「イセエビ」等の「高級魚」を獲る「固定式さし網漁業」、「ハマグリ」や、「赤貝」(サトウガイ)を獲る「貝巻き網」等の「漁業」が営まれており、平成20年(2008年)には約3万9千t(トン)が水揚げされ、「県下」では「水産漁獲量」において、上述のように「銚子漁港」に次ぐ「県下第2位」の「地位」を「不動」のものとしています。
 「飯岡地区」の「伝統工芸品」である「丸干しいわし」ですが、「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても注目を集めており、また「旭市」が「北限」の「九十九里地域」の「広大」な「砂丘域」である「九十九里浜」では、「蛤(ハマグリ)」や、「サトウガイ」(赤貝)等の「採貝漁業」が営まれており、「千葉県」が創設している「千葉のさかな」「認定制度」「千葉ブランド水産物」(2011年2月14日のブログ参照)に2012年(平成24年)11月14日に認定された「九十九里地はまぐり」(2012年12月17日のブログ参照)が新しい「特産品」となっています。
 ちなみに「旧・飯岡町」の「漁業」の近年の「沿革」ですが、昭和33年(1958年)「飯岡町漁業協同組合」設立、昭和45年(1970年)に、「飯岡町漁協」、「海上郡漁協」、「豊富漁協」、「匝瑳郡漁協」(飯岡町、旭市、野栄町、八日市場市、光町(当時))にまたがる「広域合併」を行い「海匝漁協」が設立され、合併に並行して「漁港」の「整備」も進み、昭和57年(1982年)2月に「飯岡漁港」が正式に開港し、「盛大」に「開港式」が執り行われたそうです。

 「いいおかみなと公園」は、「旭市」「下永井」にある「公園」です。
 「いいおかみなと公園」ですが、「旧・海上郡飯岡町」の「公園」でしたが、「市町村合併」に伴い、現在「旭市」の「公園」となっています。
 「いいおかみなと公園」ですが、「九十九里浜」の「最北端」、「第1種漁港」「飯岡漁港」の「隣」に位置し、「遊具」と、「芝生広場」等を備えた「公園」となっています。
 「いいおかみなと公園」には、広い「駐車場」が完備され、上述のように「公園内」には「船」の「形」をした「大型複合遊具」や、色々な「遊具」があったり、休憩出来る「屋根付き」の「テーブル」もあり、「海」を見ながら「潮風」を感じることができ、「公園内」で「お弁当」、「軽食」等「食事」を楽しむ方も多く見受けられます。
 「いいおかみなと公園」からは、「九十九里海岸」が一望でき、また「屏風ヶ浦」の「最南端」に位置する「刑部岬」の「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」を望め、「刑部岬」上に「飯岡灯台」、「飯岡刑部岬展望館〜光と風〜」(2014年2月18日のブログ参照)を見ることができ、「公園」周辺では、「海釣り」(ファミリーフィッシング)を楽しむ方も多く訪れ、「ファミリー」で1日楽しめる「公園」となっています。

 「リアル宝探し」ですが、「旭市観光物産協会」「飯岡支部」「主催」、「旭市」「後援」、「道の駅季楽里あさひ」「協賛」、「リアル宝探しタカラッシュ」「企画」・「監修」で行われる「リアル宝探しイベント」です。
 「リアル宝探しイベント」とは、「宝探し」「タカラッシュ!」が企画する「観光地」や、「テーマパーク」、「ショッピングモール」等の「店舗」で選べる「参加型」の「謎解きイベント」です。
 「リアル宝探しイベント」「参加者」は「参加キット」(宝の地図)を入手し、描かれた「謎」を解き明かし、隠された「手がかり」をみつけながら、「最終的」に「宝物」を発見します。
 「リアル宝探しイベント」では、「宝物検索」の間に触れる「観光地」や、「名所」、「隠れスポット」、「お土産屋さん」の「店主」との「会話」等、「自分だけ」の「発見」を楽しみながら、参加いただけるそうです。
 「リアル宝探し」ですが、2月26日(日)に行われる「イベント」で、「発見報告時間」ですが、10時00分から13時00分までとなっており、13時05分から「賞品」の「抽選会」を行うことになっています。
 「リアル宝探し」「発見報告所」ですが、「いいおかみなと公園」となっており、「参加費」は「無料」、どなたでも参加できる「イベント」となっています。
 「リアル宝探し」「参加チラシ」の「配布」は、「先着」2000名様となっているそうです。
 「リアル宝探し」「宝箱」「発見者」の中から抽選で、素敵な「賞品」が当たり、さらに「発見者賞」として「タカラッシュ!カード」をプレゼントするそうです。
 「リアル宝探し」「賞品」は、下記の通りです。

 A賞 Newニンテンドー3DSLL 1名様

 B賞 いちご(1パック3000円相当) 3名様

 C賞 いいおか九十九里サブレー(1箱) 10名様

 発見者賞 ミニしぐれ揚(1個) 先着400名様
      タカラッシュ!カード 先着2000名様

 「タカラッシュ!カード」とは、「タカラッシュ!」が企画・監修する「宝探しイベント」で貰える「カード」です。
 「タカラッシュ!カード」「サイト」の「マイページ」で「カード」に記載された「宝物ID」を登録すると、「マイページ上」で「宝物アイテム」をコレクションすることができるそうです。

 「リアル宝探し」の「参加方法」は、下記の通りです。

 ステップ1 宝の地図を手に入れ、謎を解こう!

 宝の地図を手に入れ、宝の地図に記載された3つの謎を解読しよう!
 解読すると、検索範囲のどこかに隠された3つの宝物のありかが分かるよ。

 ※宝の地図は「タカラッシュ!」「リアル宝探し」「サイト」からダウンロード可能で、「宝の地図」の主な「配布場所」は「いいおかみなと公園」他で配布されるそうです。

 ステップ2 宝箱を探そう!

 宝の地図に記載された3つの謎(暗号)を解くと、検索範囲内のどこかに隠されている3つの宝箱のありかが分かります。

 ステップ3 3つの宝箱を発見!

 みごと宝箱を発見したら、そこに書かれた発見を証明する「キーワード」を宝の地図にあるキーワード記入欄にメモしてください。

 ステップ4 発見報告をしよう!

 3つの宝箱を全て見つけたら発見報告所で「キーワード」を報告してください。

 ステップ5 プレゼントをもらおう!

 「キーワード」が正解なら、発見者賞(先着400名様に「ミニしぐれ揚」、先着2000名様に「タカラッシュ!カード」)をプレゼント!
 さらに、抽選で豪華賞品が当たるチャンス!

 となっています。
 (「リアル宝探し」の「検索範囲」は「リアル宝探し」「HP」の「検索範囲」を参照下さい。)

 「第1種漁港」「飯岡漁港」周辺、「ファミリー」に「人気」の「公園」「いいおかみなと公園」周辺で開催される「謎解き宝探しイベント」「リアル宝探し」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「リアル宝探し」詳細

 開催日時 2月26日(日) 10時〜13時

 開催会場 飯岡漁港 旭市下永井
      いいおかみなと公園 旭市下永井814

 問合わせ 旭市観光物産協会飯岡支部 0479-62-5338

 備考
 「リアル宝探し」ですが、「荒天」の場合は中止となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3335 |
| 地域情報::旭 | 10:14 AM |
「菅原大神春の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で2月25日(土)に開催されます「菅原大神春の例祭」です。

 「菅原道真(スガワラノミチザネ)」公は、「日本」の平安時代に活躍された「貴族」、「漢詩人」、「政治家」で、「参議」・「菅原是麗(スガワラコレヨシ)」公の「三男」として生まれ、「官位」ですが、「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」「太政大臣」に就かれていた「人物」です。
 「菅原道真」公の「菅原家」は、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」に起源をもち、「曾祖父」「菅原古人」公の時代に、「学問」をもって「朝廷」に仕える「家柄」となっていたそうです。
 「菅原道真」公の「祖父」「菅原清公(スガワラノキヨキミ/キヨトモ)」公と、「父」「菅原是善」公は、ともに「大学頭」・「文章博士」に任ぜられ、「侍読」も務めた「学者」の「家系」であり、当時は「中流」の「貴族」であったそうで、「母方」の「伴氏」ですが、「大友旅人(オオトモノタビト)」公、「大友家持(オオトモノヤカモチ)」公ら「功名」な「歌人」を輩出しています。
 「菅原道真」公の「正室」は「島田宣来子」(「島田忠臣」の「娘」)、「子」は「長男」・「高視」や、「五男」・「淳茂」をはじめ「男女」多数で、「子孫」もまた「学者」の「家」として長く続き、特に「高槻」の「子孫」は「中央貴族」として残り、「高辻家」・「唐橋家」をはじめ6家の「堂上家」(半家)を輩出しました。
 「菅原高視」の「曾孫」・「道真五世」の「孫」が「孝標」で、その「娘」「菅原孝標女(スガワラノタカスエノムスメ)」(「更級日記」の作者)は、「菅原道真」公の「六世」の「孫」に当たるそうです。
 上記のように「菅原道真」公の「祖父」「清公」公は「私塾」を設け、「同所」からは「朝廷」の「要職」に数々の「官人」を輩出し、「菅原家」は「一大学閥」となっていったそうです。

 「菅原道真」公は、類(タグ)いまれなる「才能」の「持ち主」であり、「人々」から厚い「信頼」を得ており、その「ご生涯」は、「政略」による「左遷(サセン)」など「波瀾万丈(ハランバンジョウ)」のものでした。
 「菅原道真」公は、「幼少の頃」より「学問」の「才能」を発揮され、わずか5歳で「和歌」を詠まれるなど、「神童」と称されていました。
 「菅原道真」公が「幼少期」につくったとされる「漢詩」は、下記の通りです。

 月夜見梅花

 月耀如晴雪 梅花似照星
 可憐金鏡転 庭上玉房馨

 月の輝きは晴れたる雪の如し
 梅花は照れる星に似たり
 憐れむべし 金鏡転じ
 庭上の玉房の馨れることを

 今夜の月の光は、雪にお日さまが当たった時のように明るく、
 その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
 なんて素晴らしいのだろう。
 空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。

 「菅原道真」公は、さらに「勉学」に励み、「学者」としての「最高位」であった「文章博士(モンジョウハカセ)」となり、「栄進」を続けられ、「青年期」は「学問」だけではなく、「弓」にて「百発百中(ヒャッパツヒャクチュウ)」の「腕前」を披露されるなど、「文武両道」に傑出した「人物」として、その名を馳せていました。
 「菅原道真」公が「」京都 から「讃岐国」の「長官」として赴任された際、疲弊していた「国」を建て直すなど「善政」を行い、「住民」に大変慕われました。
 その実績が「宇多天皇」に認められ、「菅原道真」公は、「京都」に戻り、厚い「信任」を受け、ますます「政治」の中止でご活躍されました。
 「菅原道真」公は、寛平6年(894年)、「唐」(当時の「中国」)の「国情不安」と、「衰退」を理由に「遣唐使(ケントウシ)」「停止」を建議され、後の「国風文化」の「開花」に大きな「影響」を与えました。
 その後「菅原道真」公は、「右大臣」に任じられ、「国家」の「発展」に尽くされていましたが、「左大臣」「藤原時平」の「政略」により、身に覚えのない「罪」によって「大宰府(ダザイフ)」に突如「左遷(サセン)」されることとなってしまいました。

 「菅原道真」公は、「ご家族」とも十分な「別れ」も許されないまま「京都」を離れる際、「ご自宅」の「梅の木」に「別れの歌」を詠まれたそうです。
 「京都」を離れる際に、「菅原道真」公が詠まれた「和歌」は、下記の通りです。

 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ

 春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
 主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 「菅原道真」公は「大宰府」では、「衣食」もままならぬ、厳しい「生活」を強いられながらも、「皇室」の「ご安泰」と、「国家」の「平安」、また「ご自身」の「潔白」をひたすら「天」にお祈りされ、誠を尽されたそうです。
 「菅原道真」公は、延喜3年(903年)2月25日、その清らかな「ご生涯」を閉じられました。
 「菅原道真」公の「死後」、「天変地異(テンペンチイ)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の「対象」となったそうです。
 「菅原道真」公の「死後」、「朝廷」でも「菅原道真」公の「無実」が証明され、「人」から「神様」の「御位」に昇られた「菅原道真」公は、「大宰府天満宮」に永遠に静まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集めており、一般に今日(コンニチ)の「天神さま」の「ご利益」とされているのは、「受験合格」、「詩歌・文筆・芸能上達」、「農業守護」、「商売繁盛」、「病気平癒」といったものだそうです。

 「菅原道真」公は、「福岡県」「福岡市」「中央区」「天神」に鎮座する「水鏡天満宮」(水鏡神社)の「御祭神」として祀られており、「水鏡天満宮」(水鏡神社)には、下記の「由来」が伝えられています。

 この神社は一名水鏡天満宮という。
 社伝によると延喜元年(901年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その他に社殿を建てて水鏡天神(スイキョウノテンジン)、又容見天神(スガタミテンジン)といった。
 慶長17年(1612年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永18年(1641年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。
 社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。
 尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学校の時揮毫したものである。
 (鳥居扁額ですが、「北側」は黒田家13代目で貴族院副議長にもなった黒田長成揮毫のもので、南側は昭和の首相広田弘毅の小学校の時の揮毫といわれています。)

 現在の「水鏡天満宮」は、上述のように、当初建設された「場所」から移転されていますが、それは戦国時代に「福岡藩」の「初代藩主」となった「黒田長政」が「水鏡天満宮」を「福岡城」の「鬼門」にあたる「場所」、「東」の「鎮守」の思いを込めて移したためだそうで、そのまま現在の地に鎮座しています。
 また、「水鏡天満宮」(水鏡神社)(水鏡天神)(容見天神)ですが、「菅原道真」公が「博多」に上陸された際、近くの「川」(現在の「薬院新川」)に「自分」の「姿」を映し、やつれた「姿」を嘆き悲しんだことにちなんで建立されたそうです。

 「菅原大神」ですが、「銚子市」「桜井町」に鎮座する「桜井里」の「鎮守」で、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「菅原大神」「社殿」ですが、1987年(昭和62年)に建立されており、「菅原大神」の「敷地」187坪の「境内」には「萱葺流造」の「本殿」が建っています。
 「菅原大神」は、「菅原大神」という名の通り、「菅原道真」公を祀る「神社」で、「菅原道真」公は、上記のように「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集め、「地元」では「天神さま」と呼ばれ、「菅原大神」は「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に知られています。

 「銚子市」の「西部」、となりまち「東庄町」(2012年4月15日のブログ参照)に程近い「市内」「桜井町」に鎮座している「菅原大神」は、古来より「桜井の鎮守」として「遠近」の「信仰」があつく、「別名」「子宝神社」とも呼ばれています。
 「菅原大神」では、毎年「春」の2月25日(2016年2月24日・2015年2月23日・2014年2月23日・2013年2月19日・2012年2月20日・2011年2月21日のブログ参照)、「秋」の11月25日(2016年11月23日・2015年11月24日・2014年11月25日・2013年11月24日・2012年11月24日・2011年11月23日・2010年11月22日のブログ参照)に、「例祭」が行われ、「菅原大神」の「例祭」には、多くの「参拝客」で賑わいます。
 「菅原大神」の「春」、「秋」の「例祭」が賑わう「理由」ですが、「子宝」に恵まれない「婦人」が、「菅原大神」に奉納されている「子宝石」(子産石)をお腹に当て祈念し抱くと「子宝」に恵まれる(授かる)といわれている「伝承」(いい伝え)によるものです。
 「菅原大神」には、大小90個の「子宝石」(子産石)と「丸い石」が、「社(ヤシロ)」に奉納されており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると伝えられていることから、上記のように「菅原大神春の例祭」、「菅原大神秋の例祭」には「子宝祈願」にお越しになる方や、「子宝」に恵まれた方の「お礼参り」にお越しになる方で賑わうそうです。

 「菅原大神春の例祭」ですが、2月25日(土)8時00分から「受付」を行い、「式」が始まる前に、「記帳」と、「玉串料」(祈願料)3000円〜を納め、11時00分から「例祭」が行われるそうです。
 「菅原大神春の例祭」では、上記のように「子宝祈願」が行われ、「神主」による「祈祷」、「詔(ミコトノリ)」と、「神主」の「話」が終わると、記帳した「順」に、「菅原大神」「神殿」の前に出て、「榊(サカキ)」を奉納し、参拝します。
 その後、「菅原大神春の例祭」では、「子宝石」(子産石)を抱き、「子宝石」(子産石)をお腹に当てて「子宝」を祈願するそうです。

 そもそも「菅原大神」の「子宝石」(子産石)は、昔「菅原大神」から離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」を祀った「御産宮(ゴサンノミヤ)」という「神社」に納められていたものだったそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されたそうで、以来「菅原大神」は「子授けのご利益」を得たいと願う「人々」が参拝するようになっていったそうです。

 「桜井の鎮守」「菅原大神」で開催される「子授けのご利益」を記念・感謝する「春の神事」「菅原大神春の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神春の例祭」詳細

 開催日時 2月25日(土) 8時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 問合わせ 銚子観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「菅原道真」公を祀る「天神信仰」の「神社」ですが、「全国」に約10400社にのぼり、その「総本宮」ともいえる「北野天満宮」(京都)と、「太宰府天満宮」(福岡)をはじめ、「各地」の「天神社」・「天満宮」では、毎月、「菅原道真」公の「命日」の25日前後に「天満祭」が行われており、なかでも「大阪天満宮」で行われる「天神祭」(7月25日)は、「全国」でも「有数」の「盛大」な「夏祭り」としても有名です。
 「菅原大神」の「子宝石」(子産石)ですが、昭和60年上半期(1985年4月〜10月5日)に放映された「NHK朝の連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子宝石」(子産石)を抱き、「子授け」の「ご利益」を祈る「シーン」が放映されたことで、その名が「全国的」に広まったそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3329 |
| 地域情報::銚子 | 06:13 PM |
「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で2月25日(土)〜4月23日(日)の期間開催されます「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」です。

 「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)は、「成田山新勝寺」の「大本堂」の「奥」に広がる「成田山公園」の「一角」に建つ「書」の「専門美術館」です。
 「成田山書道美術館」は、「水」と、「木々」が快(ココロヨ)い「調和」を生んでいる「成田山公園」の「三の池」の「畔(ホトリ)」に佇んでおり、「成田山書道美術館」「館内」には、「書の世界」が広がっています。
 「成田山書道美術館」は、江戸末期から現代に至る「日本」の「書道作品」や、「資料」を収蔵、展示しており、特に「成田山書道美術館」では、あまりにも現代に近いが故(ユエ)に見過ごされがちな「近代日本」の「書作品」を広い視野から収蔵しています。

 「成田山書道美術館」「展示棟」1階ですが、「吹き抜け」になった「中央プラザ」をもつ「企画展示室」や、「高さ」13mの「壁面」をもち、ゆったりとした「空間」で「作品」を鑑賞することができます。
 「成田山書道美術館」2階ですが、「常設展示室」となっており、「回廊式」の「ギャラリー」となっています。
 「成田山書道美術館」は、「書」の「総合美術館」として、優れた「作品」を鑑賞できることはもちろん、「作品」の「保存」・「研究」・「普及」等、「専門家」から「一般の人」まで楽しめるようになっているそうです。

 「成田山書道美術館」は、近現代の「書蹟」の「収蔵」では、「質量」ともに群を抜いており、これらを活かした「展示」・「普及」・「研究活動」が行われています。
 「成田山書道美術館」ですが、「書」を「専門」とした「美術館」として「書文化」の「興隆」に貢献し、「書」を含む「美術」「全般」に目を向け、「美術館」の「施設」を生かした「複合的」な「展示」に取り組んでおり、「書」は「苦手」という「人」でも抵抗なく楽しめるように「展示」・「運営」されています。

 「成田山書道美術館」では、「テーマ」を変えながら「年間」6〜7回「展示」を行っています。
 近現代の「書」は、「鑑賞」という点において、「絵画」や、「彫刻」などと比べるとまだまだ「発展途上」のようですが、「成田山書道美術館」では、様々な「切り口」での「展示」を企画し、「書の魅力」を「多方面」に感じられる場を提供しています。

 「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」ですが、「成田山書道美術館」で2月25日(土)から4月23日(日)までの「期間」開催される「展示会」です。
 「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」の「開催要項」、「趣旨」は、下記の通りです。

 開催要項

 下記「詳細」にて記載

 趣旨

 平成29年に開館25周年を迎える当館では、日本の書の中心に江戸時代から現代にかけて多くの作品を収集、展示を行っています。
 なかでも現代の書壇で活躍する作家の収蔵は、大変充実しております。
 今回の展覧会では収蔵品の中から、今日の書壇を代表する仮名作家で、文化勲章を受章した高木聖鶴先生の作品を特別展示いたします。
 大正12年岡山県総社市に生まれた聖鶴は、昭和22年に同郷の内田鶴雲に師事しました。
 平安時代の古筆はもとより漢字書法も背景としながら、臨場感あふれる書風を確立し、今日の書壇を索引しています。
 今回は、当館に寄贈を受けた聖鶴の書と、特別展示として古筆と文房具を併せてご覧いただきたいと思います。
 また、4月1日より、1階展示は第33回成田山全国競書展となります。

 「成田山書道美術館」「HP」「催事案内」参照、原文まま表記

 「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」の主な「出品予定作品」は、下記の通りです。

 高木聖鶴 「あをによし」

 高木聖鶴 「あらたまの」

 「書」の「専門美術館」「成田山書道美術館」で開催される「展覧会」「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」詳細

 開催期間 2月25日(土)〜4月23日(日)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 開館時間 9時〜16時(入館は〜15時半)

 休館日  月曜(祝日の場合は翌日)

 入館料  大人500円 大高生300円

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「今日の書壇高木聖鶴展〜特別展示古筆と文房具〜」が開催される「成田山書道美術館」では、「期間中」下記の「日時」に「ギャラリートーク」を開催するそうです。

 「ギャラリートーク」

 2月26日(日) 13時30分〜14時30分

 第1回 講師/高木聖雨氏 森川星葉氏

 4月9日(日) 13時30分〜14時30分

 第2回 講師/高木聖雨氏 藤川翠香氏 森上光月氏

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| 地域情報::成田 | 10:33 AM |
「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」(神栖市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「神栖市」「神栖市文化センター」、「中央公民館」で2月25日(土)に開催されます「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」です。

 「神栖市」は、「茨城県」の「最東端部」に位置する「市」で、隣接している「鹿嶋市」とともに「鹿島臨海工業地帯」を形成しており、「鹿嶋市」・「潮来市」・「鉾田市」・「行方市」とともに「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。
 「神栖市」は以前、「農業」と、「漁業」が中心の「地域」でしたが、1960年(昭和35年)に始まった「鹿島開発」によって、「世界的」にも珍しい「堀込式人工港」「鹿島港」を「核」に、「鉄鋼」・「石油」を中心とした「重化学コンビナート」の「まち」として発展、「工場立地企業」からの「税収」により「財政」は豊かで、「福祉」が充実しており、「県外」からの「転入者」も多く、このため「鹿嶋市」との「広域市町村合併構想」は、「自主財源」の「確保」の「観点」から「合併」をしなかったそうです。

 「神栖市」の「波崎地区」(旧・波崎町)は、「太平洋」に面し、「夏」涼しく「冬」温暖な「気候」であることから、「アウトドアスポーツ」を「観光」の中心に据えており、「海水浴」、「マリンスポーツ」から「サッカー」、「テニス」、「トライアスロン」に至るまで幅広い「スポーツ」が楽しめるそうです。
 中でも「波崎海水浴場」(2016年7月22日・2014年7月13日・2012年7月13日・2011年7月19日のブログ参照)は、「環境省」の「快水浴場百選」に選定されています。
 また「神栖市」「波崎地区」では、特に「民間」の「サッカーグラウンド」を70面以上有しており、「サッカー合宿」の「メッカ」として「全国的」に有名です。

 「神栖市」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面し、「南」は「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)(常陸利根川)が流れています。
 「神栖市」には、かつては「広大」な「面積」を誇った「池」「神之池(ゴウノイケ)」(2012年3月27日のブログ参照)がありましたが、現在は「鹿島開発」のため、一部を残して大部分が埋め立てられています。
 「神栖市内」の「商業地域」ですが、「国道124号線」沿いを中心に広がっており、「鹿行地域(ロッコウチイキ)」では「最大級」といえる「鹿島セントラルホテル」や、「アトンパレスホテル」といった「宿泊施設」の他、「ショッピングセンター」・「専門店」・「量販店」・「チェーン店」等の「郊外型ロードサイド店舗」が数多く立ち並んでいます。
 ちなみに「鹿行地域」の「鹿行」とは、「茨城県」「南東部」の「地域」を指す場合に使われている「名称」で、「名称」の「由来」ですが、「鹿島郡」の「鹿」と、「行方郡」の「行」からとった「鹿」「行」が由来となっており、「鹿行地域」ですが、「太平洋」「鹿島灘」と、「霞ヶ浦(カスミガウラ)」に挟まれた「地域」を指すそうです。

 「神栖市文化センター」(以下「文化センター」と表記)は、「茨城県」「神栖市」「溝口」にある「公共施設」で、「開館年月日」は昭和56年(1981年)5月23日です。
 「文化センター」「大ホール」の「収容人数」ですが、1026名(1F席 552名・2F席 474名・内 車椅子 6名)と、「親子席」5組、「舞台」ですが、「間口」18.5m、「高さ」8m、「奥行」15mとなっています。
 「文化センター」「楽屋」ですが、4室あり、「楽屋1」(和室)は18.6平方m(鏡4・姿見1・洗面1)、「楽屋2」(和室)は29.1平方m(鏡8・姿見1・洗面1)、「楽屋3」(洋室)は25.2平方m(鏡11・姿見1・洗面1)、「楽屋4」(洋室)は62.2平方m(鏡11・姿見2・洗面2)、「楽屋事務局」は11.8平方m、「主催者事務室」(正面入口横)24平方m、「シャワー室」2となっています。
 「文化センター」「リハーサル室」は、「公演前」の「リハーサル」や、「ホール控え室」として利用されており、「アップライト」・「レッスンバー」「常設」で、68.4平方mとなっており、「屋外ステージ」は709.1平方m、「駐車場」は378台収容となっています。
 なお「文化センター」は、「(公財)神栖市文化・スポーツ振興公社」により、管理されています。

 「神栖市」では、「男女共同参画計画」(かみすハートフルプラン)の「基本理念」である「女男(ひと)にやさしくできるまち・かみす」の「実現」に向け、広く「男女共同参画社会」に対する「理解」と、「意識」の「高揚」を図るとともに、「生涯学推進計画」における「生涯学習によるまちづくり」の「推進」のために、「神栖市民」の「生涯学習」の「成果」や、「活動状況」の「発表」の「機会」を提供する「男女共同参画」「かみす市民フォーラム」を開催しています。
 今年(2017年)で10回目の「開催」となる「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」ですが、「料理研究家」「浜内千波」さんを「講師」に迎え、「講演」を行い、「オープニングアトラクション」、「開会」、「表彰」、「男女共同参画」に関する「展示」や、「生涯学習」を体感できる「ブース」、「生涯学習人材バンク」「講師」による「発表」・「体験」を行うそうです。
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」ですが、2月25日(土)に「神栖市文化センター」「大ホール」を「会場」に開催され、12時00分「開場」、14時00分「オープニングアトラクション」、14時15分「開会」、14時30分から「講演」、16時00分「閉会」となっています。
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」の「入場料」ですが、「無料」となっており、「テーマ」ですが、上述のように「知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習」となっています。
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」ですが、「性別」に関係なく、一緒に「仕事」や、「家事」・「育児」を行う「男女共同参画」、「生涯」にわたり、楽しく学ぶことを続けていく「生涯学習」、この2つを「皆」でちょっと考えて、楽しむ場なのだそうです。

 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」の「講師」ですが、「浜内千波」さん(料理研究家)で、「講演テーマ」ですが、「健康で笑顔のある毎日は家庭の食生活から」となっています。
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」の「講演」ですが、「食材」の「美味しさ」を引き出す「コツ」や、あの「食材」の隠れた「働き」等、「マル秘ネタ」の「紹介」もあるそうで、「パパ」・「ママ」、「家族」皆で「必聴」となっています。
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」では、「講演」に伴い、下記のような「来場」の「呼びかけ」を行っています。

 「講演テーマ」「健康で笑顔のある毎日は家庭の食生活から」

 お料理は毎日のことで、大変ですよね。
 でも、毎日の積み重ねが家族の健康をつくり、明るい会話のある家庭を築くと思います。
 「おいしいね」「今日はこんなことがあったの」・・・。
 家庭料理を通してこんな会話が飛び交うささやかな幸せのお役に立てればと心から思っております。

 原文まま表記

 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」「講師」「浜内千波」さんの「プロフィール」は、下記の通りです。

 1955年(昭和30年)徳島県生まれ。
 1980年(昭和55年)ファミリークッキングスクールを東京に開校、校長に就任以来、「家庭料理をちゃんと伝えたい」「料理は、もっともっと夢のある楽しいもの」という思いから、テレビ番組や講演会、雑誌や書籍の執筆活動などを積極的に行っている。
 そのユニークでクリエイティブな発想には定評があり、食品メーカーや外食産業をはじめ、広告業界等幅広い分野で活躍している。

 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」の「プログラム」は、下記の通りです。

 12時00分〜14時00分 男女共同参画に関する展示や生涯学習を体感できるブース、生涯学習人材バンク講師による発表・体験

 14時00分〜 オープニングアトラクション (石神幼稚園)

 14時15分〜 開会 (あいさつ、表彰)

 14時30分〜 講演 (料理研究家 浜内千波さん)

 16時00分 閉会

 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」の「会場」「神栖市文化センター」「ホワイエ」、「中央公民館」「小ホール」では、上述の12時00分から14時00分まで「展示」・「発表」・「体験」が行われ、「内容」は、下記の通りです。

 「神栖市文化センター」「ホワイエ」

 12時00分〜14時00分

 ハンドトリートメント体験とアロマに関する展示 (香りの森)

 ことば遊び、俳句づくり体験 (ときめきの会)

 折り紙体験、展示 (籔谷邦宏)

 和洋裁編物の展示と小物作り体験 (鹿島和洋裁編物教授所連合会)

 バルーンアート作り・ジャグリング体験 (萩原雅人)

 「中央公民館」「小ホール」

 12時00分〜13時00分

 舞台上

 太極拳の発表・表演 (吉井美智子)

 舞台下

 フラダンスの発表・体験 (konikoni飯塚)

 13時00分〜14時00分

 舞台上

 太極拳の発表・表演 (太極拳気楽々)

 舞台下

 スポーツ吹き矢体験 (池田恵美子)

 「中央公民館」2階「視聴覚室」

 13時00分〜14時00分

 ボイストレーニングと腹式呼吸の発声法体験 (小野寺いち子)

 また「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」では、「未就学児」のための「託児室」が用意され、「無料」で利用できるそうです。
 なお「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」「託児室」ご利用の方は、2月15日(水)までに、「神栖市」「市民協働課」(0299-90-1171)へ「電話」で申し込みとなっています。

 「神栖市民」の「憩いの場」「神栖市文化センター」、「中央公民館」で開催される「男女共同参画」、「生涯学習」の2つを「皆」で考え、楽しむ「イベント」「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」。
 この機会に「神栖市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」詳細

 開催日時 2月25日(土) 12時〜

 開催会場 神栖市文化センター、中央公民館 茨城県神栖市溝口4991-4

 問合わせ 神栖市市民協働課 0299-90-1178

 備考
 「第10回かみす市民フォーラム〜知ろうよ男女共同参画 体験しようよ生涯学習〜」「当日」は「会場」の「駐車場」の「台数」に限りがありますので、「お車」で来場の方に、できるだけ「乗り合い」でお越しくださいと呼びかけています。

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| 地域情報::神栖 | 10:08 PM |
「ひな祭りイベント」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で2月26日(日)に開催されます「ひな祭りイベント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を左折し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(ヨコシバヒカリインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に産声をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、手塩をかけた「恵み」の「農産物」等の数々を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の間で数回の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に必要に応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」等が「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても豊富で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される方が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「ひな祭り」は、「日本」において、「女子」の健やかな「成長」を祈る「節句」の「年中行事」で、「女あそび」とも呼ばれるそうです。
 「ひな人形」(「男雛」と「女雛」を中心とする「人形」)には「雛あられ」や、「菱餅」を供え、「桃の花」等をも飾って、「白酒」や、「ちらし寿司」等の「飲食」を楽しむ「節句祭り」です。

 江戸時代までは「和暦」(太陰太陽暦)の3月の「節句」(上巳、桃の節句)である3月3日に(現在の4月頃)に行われていました。
 明治の「改暦」以後は一般的に「グレゴリオ暦」(新暦)の3月3日に行うことが一般的になりましたが、一部の「地域」では、引き続きに「旧暦」3月3日に祝うか、「新暦」4月3日に祝うそうです。
 (「東北」・「北陸」等「積雪」・「寒冷地」に多いそうです。)

 「旧暦」の3月3日は、「桃の花」が咲く「時期」であるため、「桃の節句」と呼ばれることが多いそうです。
 また、江戸時代には9月9日の「重陽の節句」に「雛人形」をもう一度飾る「後(ノチ)の節供」という飾る「習慣」があったそうです。
 「香川県」「三豊市」の「旧仁尾町」では、「雛祭り」は行わず、「八朔」に「雛人形」を飾るそうで、これは、戦国時代に「仁尾城」が落城したのが「旧暦」3月3日であったためとされています。

 「兵庫県」「たつの市」「御津町」「室津地区」では、「ひな祭り」を「旧暦」8月1日に行っていました。
 「室津追考記」によりますと、永禄9年1月11日(1566年2月1日)、「室山城主」・「浦上政宗」の「次男」・「清宗」と「小寺職隆」の「娘」との間で挙げた「結婚式」の「夜」に、かねてより「対立関係」にあった「龍野城主」・「赤松政秀」の「急襲」を受けて「政宗」は「清宗」もろとも戦死し、「花嫁」も亡くなり「室山城」は落城したそうです。
 「室津」の「人々」は、この「出来事」を悼み、「非業の死」を遂げた「花嫁」の「鎮魂」のために3月3日ではなく、半年遅れの「八朔」に「雛祭り」を延期したとされます。
 戦後、この「風習」は長く途絶えていましたが、近年になって「町おこし」の「一環」の「八朔のひな祭り」として復興されたそうです。

 「雛祭り」はいつ頃から始まったのか「歴史的」には判然とせず、その「起源説」は複数あるそうです。
 平安時代の「京都」で既に「平安貴族」の「子女」の雅びな「遊びごと」として行われていたとする「記録」があります。
 その当時においても、やはり小さな「御所風」の「御殿」「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられています。
 初めは「儀式」ではなく「遊び」であり、「雛祭り」が「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためなのだそうです。
 一方、平安時代には「川」へ「紙」で作った「人形」を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として「雛人形」は、「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になったそうです。

 江戸時代になり「女子」の「人形遊び」と「節物」の「節句の儀式」と結びつき、「全国」に広まり、飾られるようになったそうで、3月の「節句の祓」に「雛祭り」を行うようになったのは、天正年間以降のことだと推測されています。
 江戸時代初期には「形代」の名残を残す立った形の「立雛」や、座った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていましたが、これらは「男女一対」の「内裏雛」を飾るだけの物であったそうです。
 しかし、「飾り物」としての「古の形式」と、「一生の災厄」をこの「人形」に身代わりさせるという「祭礼的意味合い」が強くなり、「武家子女」等「身分」の高い「女性」の「嫁入り道具」の「家財」のひとつに数えられるようにもなったそうで、そのため自然と華美で贅沢なものになっていったそうです。
 時代が下ると「人形」は「精巧さ」を増し、「十二単」の「装束」を着せた「元禄雛」、「大型」の「享保雛」等が作られましたが、これらは「金箔張り」の「屏風」の前に「内裏」の「人形」を並べた立派なものだったそうです。
 享保年間からは、「人々」の「消費」を当時の「幕府」によって規制するため一時的に「大型」の「雛人形」が禁止されたそうです。
 「御触書宝暦集成」十五では、

 「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」

 という制限が見られます。
 しかし、この「規制」を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる「精巧」は極めた小さな「雛人形」(わずか数センチの大きさ)が流行したそうです。

 江戸時代後期には「有職雛」とよばれる「宮中」の雅びな「装束」を正確に再現したものが現れ、さらに今日の「雛人形」に繋がる「古今雛」が現れ、また18世紀の終わり頃から「雛子人形」が現れ、幕末までには「官女」・「随身」・「仕丁」等の「添え人形」が考案されました。
 「雛飾り」は「嫁入り道具」や、「台所」の再現、「内裏人形」につき従う「従者人形たち」や「小道具」、「御殿」や「雛飾り」等急速に「セット」が増え、「スケール」も大きくなっていったそうです。
 「江戸」で製作された「古今雛」には「原舟付」等の「作家もの」があり、「ガラス製」の「玉眼」も比較的早く用いられたそうで、「京都製」に「玉眼」が入るのは幕末だそうです。
 また、「関西」及びその影響を受けた「地方」では「台所用具」や「御殿」が用いられましたが、「江戸」では用いられなかったそうです。

 この度(タビ)「ふれあいパーク八日市場」では、3月3日の「ひな祭り」に先立ち「ひな祭りイベント」を2月26日(日)に開催するそうです。
 「ひな祭りイベント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」を「会場」に10時00分から14時00分まで行われ、「内容」ですが、「琴」の「演奏」や、「茶会」を行う「イベント」となっています。

 「匝瑳」の「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「催し」「ひな祭りイベント」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ひな祭りイベント」詳細

 開催日時 2月26日(日) 10時〜14時

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」「レストラン」「里の香」の「営業時間」は、下記の通りです。

 平日 11時00分〜14時30分(ソフトクリームは16時30分迄)
 土・日 11時00分〜15時00分

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| 地域情報::匝瑳 | 10:12 AM |
「坂田城跡梅まつり」(横芝光町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「横芝光町」「坂田城跡梅林」で2月25日(土)〜3月12日(日)の期間開催されます「坂田城跡梅まつり」です。

 「横芝光町」は、「千葉県」「北東部」に位置し、「首都」「東京」から約70km、「県庁所在地」「千葉市」から約40km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)からは約20kmの「位置」にあります。
 「横芝光町」ですが、上記のように2006年(平成18年)3月27日に「山武郡」「横芝町」と、「匝瑳郡」「光町」が合併し、新たに発足しました。
 「横芝光町」は、「合併前」の「横芝町」と、「光町」は、「別」の「郡」(歴史的にはそもそも「上総国」と、「下総国」という別の「令制国」)に所属していましたが、現在の「横芝光町」ですが、「山武郡」に属しています。
 「横芝光町」の現在の「人口」ですが、「総人口」24452人、「男性」12022人、「女性」12430人、「世帯数」9622世帯となっています。
 (2017年2月1日現在)

 「横芝光町」の「形状」ですが、「東西」約5km、「南北」約14kmと「南北」に細長く、「面積」は66.91平方km、「北」は「香取郡」「多古町」と、「山武郡」「芝山町」、「東」は「匝瑳市」、「西」は「山武市」に接し、「南」は「白砂青松」の続く「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)が広がり、「太平洋」に面しています。
 「横芝光町」の「地勢」ですが、「中央部」から「南部」にかけては「平坦地」が続き、「北部」は緩やかな「丘陵地帯」を形成しており、かつて「上総」、「下総」の「国境」でもあった「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)における「最大」の「河川」「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)が、「横芝光町」「中央部」を「北」から「南」に向けて流れています。
 「横芝光町」の「気候」ですが、「黒潮」の「影響」を受け、「年平均気温」は15度、「年間降水量」は1300mm程度で、「夏」涼しく、「冬」暖かい「海洋性気候」となっています。

 温暖な「気候」と、肥沃(ヒヨク)な「大地」に恵まれ、「横芝光町」では、良質な「農産物」が生産されています。
 「横芝光町」では、「畜産」も盛んに営まれ、「養豚農家」が数多く、「町営東陽食肉センター」は「千葉県内第2位」の「処理実績」をあげています。
 「横芝光町」では、今後「付加価値」の高い「農産物」、「農業体験」・「交流」の「拠点施設」など、新たな「展開」を図っていくそうです。
 また「横芝光町」の「工業」ですが、「成田空港圏」の「地の利」を生かして「企業誘致」を進め、さらに「海老川沼」周辺の「土地利用」も検討されているそうです。
 また「横芝光町」は、「産業」・「文化」・「スポーツ」の「魅力」を複合した特色ある「観光地づくり」を行っており、活気ある「商業地づくり」も目指しているそうです。
 上記のように「横芝光町」の「産業」は、「農業」・「工業」・「商業」、そして「観光業」とバランスがとれた発展をしており、活気を生んでいます。

 「横芝光町」の「主産業」である「農業」ですが、上記のように「南北」に細長く「平坦地」が多い「横芝光町」の「地形」と、「夏」涼しく「冬」暖かい「海洋性気候」といった「農業」に適した「自然環境」を活かし、発展しています。
 「横芝光町」の「農業」は、「水田農業」を中心に「露地野菜」や、「施設園芸」は「スイートコーン」、「ネギ」がよく知られ、「トマト」、「カボチャ」、「ブロッコリー」などの「栽培」も盛んに営まれています。
 また「横芝光町」には「いちご栽培農家」も存在し、12月から5月にかけて、おいしい「いちご」がたくさん収穫されています。

 「横芝光町」の「農業」に従事する「若者たち」は「高収益作物」に取り組んでおり、「ハウス内」で、「ミニトマト」、「メロン」や、「水耕ミツバ栽培」、近年では「シクラメン」など「花き栽培」も行うなど、「経営の効率化」を考え、「パソコン」を導入し「効率化」を実現しているそうです。

 「横芝光町」を代表する「農産物」といえば「長ネギ」で、昭和43年(1968年)頃から「麦」の「裏作」として「秋冬ネギ」の「栽培」が盛んになり、昭和47年(1972年)には「国」の「産地指定」を受けています。
 「横芝光町」では、昭和40年から50年代にかけて「宝米地区」や、「小田部地区」の「台地畑」が整備されたことも、「ネギ栽培」を後押ししました。
 その後も「栽培方法」の「改良」が重ねられ、現在は「春ネギ」、「秋冬ネギ」とともに上述の「国」の「産地指定」を受け、「ひかりねぎ」の「ブランド名」で、「市場」で高く評価されています。
 また「横芝光町」では、「夏ネギ」の「栽培」にも力を入れ、「周年出荷」を実現しています。
 また「横芝光町」では、「特産品」「ひかりねぎ」の「エキス」を贅沢(ゼイタク)に抽出して造られている「ねぎのど飴」も、「特産品」として売り出しています。
 「ねぎのど飴」には、「ひかりねぎ」の「エキス」のほか、「キンカンエキス」や、「ショウガエキス」も加えられ、「マイルド」で、「のど」にやさしい「飴(アメ)」に仕上げられています。

 「坂田城跡梅林」は、「JR総武本線」「JR横芝駅」から「北西」に1.8km、「徒歩」で約25分の「ふれあい坂田池公園」に隣接する「坂田城跡」にあります。
 「ふれあい坂田池公園」ですが、「坂田城跡」に隣接する「公園」で、「ふれあい坂田池公園」には4万本を超える「桜」や、「ツツジ」等の「樹木」が植えられ、「野鳥」も多く訪れています。
 「ふれあい坂田池公園」では、「運動広場」、「子供の広場」、「花見の広場」、「野球場」、「テニスコート」等があり、「気軽」に「スポーツ」が楽しめ、憩える「レクリエーションゾーン」となっています。
 「坂田城」ですが、15世紀の中頃、「千葉氏」によって築城された「城」といわれ、「坂田城」は、「本丸」、「一の丸」、「二の丸」、「三の丸」、「四の丸」で構成され、「坂田城」は、「台地」「全体」にわたっており、400年以上破壊されることなく、当時の「遺構」が現存する「千葉県内」でも「貴重」な「城跡」なのだそうです。
 「坂田城」は、戦国時代に周辺を支配していた「井田氏」が築城したと伝えられる、「千葉県内」でも「屈指」の「大規模」な「中世城郭」でした。
 中世の「城郭」は、「石垣」や、「水堀」を多用して主に「平地」に築かれた近世の「城郭」とは異なり、「土」を切り盛りして造られた「土塁」・「空堀」・「腰曲輪」、そして「空堀」等を組み合わせ、「大地」や、「丘陵」を巧みに利用して築城されています。
 現在も「坂田城跡」「台地上」に「土塁」・「空堀」等が残っており、「遊歩道」を歩きながら、「巨大」な「土塁」や、幅広い「空堀」を見ることができるそうです。
 「坂田城跡」では、「杉木立」の「本丸跡」を過ぎると、見事に手入れされた「老木」の「梅林」が少しずつ見えてきて、「坂田城跡梅林」の「中心地」ですが、「坂田城」「本丸」から約1km先の「四の丸」付近に位置しているそうです。

 「坂田城跡」の「梅林」、「坂田城跡梅林」ですが、「坂田城跡梅林組合」の「皆さん」が、「梅酒」や、「加工用」に出荷している「梅」の「耕作地」で、「観光梅林」ではないため、知る人ぞ知る隠れた「梅林」であり、「農家」の方が「出荷用」に作っている「県下最大級」といわれる「梅林」です。
 「坂田城跡梅林」には、「樹齢」約50年の「巨木」約1000本の「梅の木」が林立し、2月下旬から3月中旬にかけて凛とした「純白」の「花」が一斉に咲く「景観」が圧巻だそうです。
 「坂田城跡梅林」の「梅」の「種類」ですが、「梅酒用」の「白加賀」という「白梅」が90%以上で、その他に「紅梅」や、「小梅」等が観賞できるそうです。
 「坂田城跡梅林」は、「テレビ放映」や、「各種」「観光雑誌」への「掲載」により、一躍「有名」になると共に、「県下最大級」の「梅林」として「関東近県」にまで知れわたるようになったそうです。

 「坂田城跡梅林」を管理している「坂田城跡梅林組合」と、「横芝光町観光協会」は、「坂田城跡梅林」の「魅力」を広く知っていただくために、毎年2月に「坂田城跡梅まつり」を開催しています。
 「坂田城跡梅まつり」では、「期間中」「梅農家」(坂田城跡梅林組合)による「梅農家売店」「梅のおみせ」が2月25日(土)から3月12日(日)までの「期間」に、「手作り」の「梅加工品」や、「漬物」の「直売」の他、「横芝光町」の「地元農産物」の「販売」も予定しています。
 また「坂田城跡梅まつり」では、「期間中」(2月25日〜3月12日)の「毎週末」(毎週・土・日曜日)に、11時00分頃から「数量限定」で、「芋雑煮」の「無料サービス」(数に限りがあります)も予定しているそうです。
 さらに「坂田城跡梅まつり」では、「横芝光町観光協会」、「横芝光町商工会」による「梅まつり会場」も設置され、「毎週」「土・日曜日」に限定で「イベント」を開催するそうです。
 「梅まつり会場」では、「横芝光町」の「公式マスコットキャラクター」(ゆるキャラ)「よこぴー」(2013年9月1日のブログ参照)の「よこぴーグッズ販売」、「甘酒無料サービス」(9時00分〜)、「物産販売」(横芝光町商工会)、「懐かしの遊びコーナー」、「梅干しの種とばし大会」(参加費無料)等が行われるそうです。
 「梅干しの種とばし大会」ですが、その名の通り「梅干し」の「種」をとばす「イベント」で、「梅干しの種とばし大会」「暫定1位」は、「横芝光町」の「公式」「twitter(ツイッター)」で確認でき、「梅干しの種とばし大会」「シーズンチャンピオン」には後程(ノチホド)「梅干し1年分」をプレゼントするそうです。

 「梅農家売店」「梅のおみせ」と、「梅まつり会場」の「位置関係」ですが、「横芝中学校」付近「坂田城跡梅林」「梅林入口」から「梅農家売店」「梅のおみせ」までは「徒歩」で約20分となっており、「梅農家売店」「梅のおみせ」から「梅まつり会場」までは「徒歩」で約15分となっています。
 ちなみに「坂田城跡」の「梅加工品」は、「坂田城跡梅林組合」でしか買うことができず、「梅農家」の「皆さん」が「愛情」・「真心」を込めて作った「梅加工品」は、「合成着色料」や、「保存料」は一切使っておらず、昔ながらの「味」を楽しめるそうです。

 「坂田城跡梅まつり」の「梅の花」を楽しんだ後、「車」で10分程行くと、「横芝光町」の「特産品」が揃う「ひかり直売所」(2012年6月25日のブログ参照)があります。
 「ひかり直売所」は、「地元」「横芝光町商工会」が実施した「むらおこし事業」が「きっかけ」で設立された「直売所」です。
 「ひかり直売所」の取り扱っている「新鮮野菜」、「特産品」ですが、「長ネギ」、「トマト」、「小松菜」、「米」、「切り餅」、「卵」、「生花」、「ねぎのど飴」、「ねぎ入りソーセージ」、「純米酒」「光鬼米」となっています。

 往時を偲ばせる「坂田城跡」に開かれている約1000本もの「梅林」が見事な「坂田城跡梅林」で開催される「恒例イベント」「坂田城跡梅まつり」。
 この機会に「横芝光町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「坂田城跡梅まつり」詳細

 開催期間 2月25日(土)〜3月12日(日)

 開催時間 9時〜15時

 開催会場 坂田城跡梅林 山武郡横芝光町坂田登城

 問合わせ 横芝光町観光協会 0479-84-1215

 備考
 「坂田城跡梅まつり」の「会場」「坂田城跡梅林」の「梅」の「開花状況」ですが、「横芝光町」の「公式」「twitter(ツイッター)」で確認できるそうです。
 「坂田城跡梅まつり」は、「荒天」の場合は中止となるそうです。
 「坂田城跡梅まつり」の「会場」「坂田城跡梅林」には、「菜の花畑」もあり、現在「菜の花畑」も満開だそうで、「無料」で「摘み取り」もできるようですので、「会場内」の「受付」までお越し下さいとのことです。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:13 AM |
「和良比はだか祭り(ワラビハダカマツリ)」(四街道市)
 本日ご案内するのは、近隣市「四街道市」「和良比皇産霊神社(ワラビムスビジンジャ)」で2月25日(土)に開催されます「和良比はだか祭り(ワラビハダカマツリ)」です。

 「千葉県」「北部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」に隣接する「四街道市」は、「東京都心」へも40km圏内にあり、「首都圏」の「ベットタウン」として発達してきました。
 「東西南北」、四つの「街道」が交わっていることから「四街道」の「市」の「名前」のとおり、「人」と「情報」と「産物」の「交流地」でもある「四街道市」ですが、江戸時代には「佐倉藩」の「領内」で、「幕末」の「藩主」は「老中」・「堀田正睦」だったそうです。
 「堀田正睦」ですが、江戸時代末期の「大名」・「老中首座」で、「下総佐倉藩」の「第5代藩主」であり、「正俊系」「堀田家」「9代」です。
 「堀田正睦」の「経歴」は、下記の通りです。

 文政8年(1825年)3月 家督相続。従五位下・相模守に叙任。

 文政12年(1829年)4月12日 幕府の奏者番となる。

 天保5年(1834年)8月8日 寺社奉行を兼帯し、備中守に遷任。
 (先任同役に土屋相模守彦直がおり、同役同士が同じ官職に任官しない内規により、遷任)

 天保8年(1837年)5月16日 大阪城代に異動し、従四位下に昇叙。備中守如元。

 天保8年(1837年)7月9日 大納言(徳川家祥=後の家定)付老中に異動。侍従を兼任。

 天保12年(1841年)3月23日 本丸老中に異動。

 天保14年(1843年)閏9月8日 老中御役御免。溜間詰格となる。

 安政2年(1855年)10月9日 老中再任。老中首座となる。勝手入用掛を兼帯。

 安政3年(1856年)10月17日 外国御用取扱兼帯。

 安政3年(1856年)月日不詳 名を正睦と改める。

 安政5年(1858年)1月8日 幕府使者となり上洛。

 安政5年(1858年)4月20日 帰府。

 安政5年(1858年)6月1日 養君(世継ぎ徳川慶福=後の家茂)御用。

 安政5年(1858年)6月23日 老中御役御免。帝鑑間席となる。

 大正4年(1915年)11月10日 贈従三位。

 「堀田正睦」の「学問」に関する「特徴」は、「知識」の「コレクション」ではなく「体系的」な「学問」を志向した「結果」として、幕末と明治に「有為」の「人材」を育成した点にあります。
 「手塚律蔵」を招いて「日本」で初めて「英語」の「体系的」な「研究」を始めさせたこともそのひとつであり、「堀田」〜「手塚」「人脈」からは「西周」、「神田孝平」、「津田仙」、「内田正雄」、「大築尚忠」、「三宅秀」といった「人物」が輩出され、また「佐倉藩」「人脈」は安政年間の「蝦夷地調査」、明治の「沼津兵学校」「教授陣」等「多方面」に関わっていったそうで、「木戸孝充」も一時期は「手塚門下」であったそうです。
 上述のように「堀田正睦」は、「蘭学」、「学問」を推奨したため、「四街道市」の「旧跡」にも「名残」があるそうです。
 「四街道市」は、上記のように「都心」から40km圏内、「県庁所在地」「千葉市」「中心部」からも8kmと「利便性」の高い「立地条件」である事から、「JR四街道駅」周辺や「マンション」や「住宅地」が立ち並び、「首都圏」の「ベットタウン」として発展しており、また、「再開発」の進む「四街道駅」「南口」からは、228基もの「ガス灯」が立ち並び、「長さ」も約2300mと「日本一」の「長さ」を誇るそうです。
 一方、「四街道市」では、「梨」、「落花生」などの「生産」が盛んな「近郊農業地帯」でもあります。

 「四街道市」ですが、上記のように「千葉県」「中北部」の「内陸」に位置し、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「南」に位置する「自治体」で、「南」と「西」に「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」(花見川区、稲毛区、若葉区)、「北」と「東」に「佐倉市」が隣接しており、「四街道市」の「市」の「東縁」を「利根川水系」の「鹿島川」が「印旛沼」(2011年2月3日のブログ参照)へと「北流」しています。
 「四街道市」の「市」の「中央部南方」を「JR総武本線」が「南東」から「北西」に、「四街道市」の「中央部北方」を「東関東自動車道」が「東西」に走っており、「四街道市」の「中央部南方」に「四街道駅」が、「四街道市」の「北東部」に「物井駅」と「東関東自動車道」の「四街道IC(よつかいどうインターチェンジ)」があり、「四街道市」の「南部」を「国道51号線」が「南東」から「北西」に走っており、「吉岡交差点」は、「交通情報」の「渋滞情報」でよく登場するそうです。

 「四街道市」の「市域」「大半」は「印旛沼」「南側流域」の低い「台地」となっており、「樹枝状」の「谷津田」が多数切れ込んでいるそうです。
 「四街道市」の「主要」な「谷津田」は、「東部」から「南部」の「鹿島川」とその「支川」、「中央部」の「手繰川」「源流」、「西北部」の「勝田川」「支川」となっており、「西部」のごく一部が、「津川水系」「葭川(ヨシカワ)」の「流域」となっています。
 「四街道市」「全体」として「印旛沼」へ流れ込む「河川」に沿った、「南」が高く「北」が低い「微傾斜」となっており、「四街道市」の「最低標高点」は、「最北端」の「鹿島川」へ「小河川」が流れ込む「合流点」で、約5m、「四街道市」の「最高標高点」は、「最南部」の「吉岡新開」の「御成街道」付近で、40m強となっています。

 「四街道市」の「市名」の「由来」ですが、「四街道駅」から「西」に500mほどの「場所」(現在の「四街道十字路」)に、「北 成田山道」、「南 千葉町道」、「東 東宇がね(東金)道、馬渡道」、「西 東京、船橋道」という「名」がついたそうです。
 (「和良比地区」に「字・四海道」も存在します。)
 ちなみに近くには「御成街道」や「千葉街道」、「成田街道」や「佐倉街道」(年貢道)がありますが、「成田街道」と「佐倉街道」が交わるのは「佐倉城下」であり、これらの「街道」は、「四街道」の「地名」とは直接関係がないそうです。

 「和良比皇産霊神社(ワラビムスビジンジャ)」ですが、「四街道市」「和良比地区」に鎮座する「神社」で、「和良比皇産霊神社」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」が祀られています。
 「和良比皇産霊神社」は、「JR四街道駅」の「南」1km程の辺り、「千葉郊外」の「住宅地」の「外れ」に鎮座しています。
 「和良比皇産霊神社」は、「和良比どろんこ祭り」が行われていることでも知られている「神社」ですが、もともとは「大六天」が祀られていた「和良比大六天社」であったそうです。
 古くに勧請されたといわれている「和良比大六天社」の他に「建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)」と、「高皇産霊大神」が祀られていたそうです。
 江戸時代、「和良比皇産霊神社」は、もとは「西」に数百m離れた「字御屋敷」という「場所」に鎮座していたそうで、そこは「神仏習合」の「地」で、同じ「建物」の「半分」が「真言宗豊山派」の「吉祥院」(創建年不明)という「寺院」、残りの「半分」が「皇産霊神社(ミムスビジンジャ)」となっていたそうです。
 明治時代の「神仏分離令」により、「真言宗豊山派」「吉祥院」と、「皇産霊神社」を分離、「皇産霊神社」を「大六天社」に合祀し、現在に至るかたちとなっていったそうです。
 その結果、「字御屋敷」には「真言宗豊山派」「吉祥院」、「字中山」には「皇産霊神社」が、鎮座するかたちになり、現在でも、その名残として、「和良比皇産霊神社」「社殿」に掲げられている「額」には、「大六天」とあります。

 「和良比はだか祭り」ですが、「和良比皇産霊神社」と、「神社」「隣」の「和良比ヶ丘公園」内「神田(シンデン)」で行われる「神事」・「伝統行事」です。
 「和良比はだか祭り」の「原型」ですが、明治初年に「真言宗豊山派」「吉祥院」から「和良比皇産霊神社」が遷宮する際に執り行われた「まつり」とされており、古くは「和良比皇産霊神社」に合祀されている「厄除神」として「信仰」の篤い「大六天」の「まつり」であったそうで、「御遷宮」の際に「御手洗池(ミタラシイケ)」(神田)で水ごりした「習慣」が「はじまり」といわれています。
 現在「和良比はだか祭り」は、「子供」の「無病息災」、「五穀豊穣」を祈る「まつり」として行われています。
 「和良比はだか祭り」ですが、「和良比皇産霊神社」で執り行われる「神事」には、「一般」の「参加」はできないそうですが、「和良比皇産霊神社」「隣」「和良比ヶ丘公園」内「神田」で行われる「幼児祭礼」、「泥投げ」、「騎馬戦」は、「一般」の「参加」もできるそうです。

 「和良比はだか祭り」は、上記のように「五穀豊穣」と、「厄除け」を祈る「和良比皇産霊神社」の「伝統行事」で、「通称」「どろんこ祭り」として広く知られています。
 「和良比はだか祭り」「当日」ですが、「豊作」を祈願する「神事」で始まり、「裸衆祭礼」、「神田」(または「御手洗池」)で、「しめ縄」の「わら」を「稲」に見立て「田植え」をするそうです。
 「和良比はだか祭り」の「神事」では、30〜40人の「締め込み」の「裸衆」が身を清めた後、上記のように「和良比皇産霊神社」「社殿」の「注連縄(シメナワ)」の「わら」を「稲」に見立てて、「神社」の下にある「神田」で、「田植え」を行い「豊作」を祈ります。
 続いて「和良比はだか祭り」では、「幼児祭礼」、「騎馬戦」、「泥投げ」と続き、「通称」「どろんこ祭り」の「名称」の通り、「泥だらけ」の「お祭り」となるそうです。
 「幼児祭礼」ですが、「子ども参り」となっており、この日に備えて着飾った「満1歳未満」の「赤ん坊」(幼児)を抱え、「神田」にて「額(ヒタイ)」に「泥」を塗るそうで、「赤ん坊」(幼児)の「額」に塗ってもらうことで「厄除け」になると伝えられています。
 「幼児祭礼」で「赤ん坊」(幼児)への「祝福」が終わると、「裸衆」に「御神酒(オミキ)」が振る舞われ、「和良比はだか祭り」は、いよいよ「メインイベント」ヘ、「騎馬戦」に続いて「壮絶」な「泥合戦」を3回繰り広げるそうです。
 「和良比はだか祭り」の「泥合戦」(泥投げ)の「合間」には、「和良比皇産霊神社」「境内」で「焚き火」を囲み「裸衆」が「暖(ダン)」をとり、さらに「酒」(御神酒)が入るそうです。
 「暖」をとり、「酒」の「勢い」もあることから、「和良比皇産霊神社」に「裸衆」の「熱気」があふれ、3回行われる「壮絶」な「最終戦」(最終合戦)ですが、「酔い」も手伝い、激しい「泥」の「投げ合い」が行われるそうです。
 「和良比はだか祭り」では、参加している「ふんどし姿」の「裸衆」が「泥まみれ」になるばかりでなく、「裸衆」にも「泥」が飛んでくる「迫力」がある「まつり」で、最後は、「神社総代」(神職)の「胴上げ」を行い、「和良比はだか祭り」はお開きとなるそうです。
 「和良比はだか祭り」「日程」は、下記の通りです。

 開催日  毎年2月25日

 開催時間 13時00分頃〜15時00分頃

 当日次第

  時間   内容

 11時00分〜 祭礼(神事・氏子のみ)
 (見学不可)

 13時00分〜 裸衆祭礼(お祓い)、幼児祭礼(子ども参り)、泥投げ・騎馬戦、総代胴上げ
 (一般見学可)

 15時00分頃 終了

 「和良比地区」の「産土神」「和良比皇産霊神社」で開催される「神事」・「伝統行事」「和良比はだか祭り」。
 この機会に「四街道市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「和良比はだか祭り」詳細

 開催日時 2月25日(土) 13時〜

 開催会場 和良比皇産霊神社 四街道市和良比692

 問合わせ 四街道市産業振興課 043-421-6134

 備考
 「四街道市」ですが、その名の通り、四つの「街道」、「東」・「東金道」・「馬渡道」、「西」・「船橋道」、「南」・「千葉町道」、「北」・「成田山道」が交わる「場所」であり、「人」、「物」、「情報」の「交流地」でもあり、「JR四街道駅」から「南西」へ500m程行(イ)った「四街道十字路」の「傍ら」には、「駒形方面」の「道標石塔」が立っているそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:13 AM |
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| お知らせ | 08:35 PM |
「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「稲生神社」、「子安神社」(子安社)で2月19日(日)に開催されます「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」です。

 「稲生神社」は、「匝瑳市」「亀崎」に鎮座する「神社」で、毎年2月中旬の「日曜日」に「稲生神社」「境内」に祀られている「子安神社」(子安社)で、「女性だけ」の「仏教行事」「如意輪参り」(2016年2月11日・2014年2月11日・2013年2月15日・2012年2月16日・2011年2月12日のブログ参照)が行われていることで知られています。
 「稲生神社」は、「国道296号線」が、「県道109号線」が交差する「交差点」から、「国道296号線」を「南東」へ1.4km進み「右折」し、「道なり」に300m進んだ「右側」に鎮座しています。

 「如意輪参り」は、「稲生神社」「隣」の「亀崎コミュニティーセンター」「横」の「養淨(寿)寺」から、「稲生神社」までを「万燈」を「先頭」に踊りながら練り歩き、更に「稲生神社」「境内」の中で踊るそうです。
 「如意輪参り」ですが、「如意輪観音」の「子安信仰」に基づく「安産祈願」の「行事」で、「地元」の「人々」によりますと、400年の「歴史」があるそうです。
 「亀崎の如意輪参り」は、上記のように江戸時代から続く「安産祈願」の「行事」で、「女人講」の「子安信仰」から始まったと伝えられ、「稲生神社」「境内」に祀られている「子安さま」を踊りながら詣でるそうです。

「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」「当日」の「流れ」ですが、「如意輪参り」「出発」前「養淨(寿)寺」(亀崎コミュニティーセンター)に、昼過ぎに、艶(アデ)やかに着飾った「着物」にお揃いの「襷(タスキ)」をかけた「踊り手」の「女衆」と、「囃子方」をつとめる「男衆」が集まります。
 そして「養淨(寿)寺」を出た「女人講」は、400m程離れた「稲生神社」まで、短い「道中」を「大杉囃子」等を踊りながら歩き、その際「大榊」を「先頭」に、「花万燈」、「踊り」の「行列」が続くそうです。
 「女人講」ですが、現在「亀崎の如意輪参り保存会」の「皆さん」により継承されており、「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」ですが、「匝瑳市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。

 「稲生神社」「境内」の小さな「子安社」(子安神社)には、「三種」の「軸物」「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」、「子安観音」、「如意輪観音」を吊るして飾り、「御神酒(オミキ)」と、「おにぎり」が供えられて、「稲生神社」に到着後「女人講」は、「習わし」により「稲生神社」「境内」の「子安社」(子安神社)を「時計回り」に3周しながら、「大杉囃子」に合わせて踊るそうです。

 「大杉囃子」が踊り終わると、次に「奉納踊り」として「いそべ」、「松かざり」、「大漁節」の3曲を「稲生神社」「社殿」前で「男衆」が演奏し、「女人講」「全員」が「お囃子」に合わせて「子安社」(子安神社)の前に並んで「踊り」を奉納します。
 「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」では、「踊り」「奉納」後、「女性たち」が「安産祈願」の「御神酒」をいただき、「供え物」の「おにぎり」を「参詣者」に配って終了となります。

 「豊栄地区」「亀崎」に鎮座する「稲生神社」、「子安社」(子安神社)で行われる江戸時代から伝わる「伝統行事」「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「亀崎の如意輪参り(カメザキノニョイリンマイリ)」詳細

 開催日時 2月19日(日) 12時〜

 開催会場 稲生神社、子安社(子安神社) 匝瑳市亀崎130

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「如意輪観音」の「姿」は、「観音菩薩」が「如意宝珠」の「三昧(サンマイ)」(「精神」を集中して「心」を乱さない状態)に入った「姿」ともいわれ、その「柔和(ニュウワ)」な「姿」から「女性」の「徳」を表現し、「如意輪観音」を祀る「女人信仰」の「十九夜講」(「女性」は「お産」や、「月経」で穢(ケガ)れた「身」であるので「死後」は「血の池地獄」に落ちるとされ、救済されるには「女人講」に集まって「如意輪観音菩薩」に祈るようにと「各宗派」が説いていたとされる。)が江戸時代後期に「安産」や、「子育て」の「子安信仰」に変化していったそうです。
 ちなみに「三昧」(サマーディの音写)とは、「仏教」における「禅定(ゼンジョウ)」、「ヒンドゥー教」における「瞑想(メイソウ)」において、「精神集中」が深まりきった「状態」のことで、「サマーディ」の他の「漢字」で「音写」に、「三摩堤」、「三摩地」等もあり、一般に9段階の「到達点」があるとされています。
 「千葉県」「北部」には、「子安塔」が多く見られることから、「女人講」も盛んであったといわれています。

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| 地域情報::匝瑳 | 03:55 PM |
「平成29年成田の梅まつり」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山公園」で2月17日(土)〜3月5日(日)の期間開催されます「平成29年成田の梅まつり」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」に鎮座する「真言宗智山派」の「寺院」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、「弘法大師」「空海」が敬刻開眼した「不動明王」の「御尊像」を「御本尊」として開山された「不動尊信仰」の「総府」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、正月3が日には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、古来より、「お不動さま」の「御霊験」・「御利益」は数限りなく、数多の「信仰」を集め、「成田山新勝寺」は、今日(コンニチ)では毎年1000万人を超える「参詣者」を迎える「関東地方」「有数」の「著名寺院」です。
 「全国有数」の「広大」な「敷地」を誇る「成田山新勝寺」「境内」には、「車」の「祈祷」をする「交通安全祈願殿」、「自然」豊かな「公園」、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)や、「成田山仏教図書館」等多くの「施設」を有しています。
 「成田山新勝寺」ですが、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、皆様の「祈り」が一体となり「清浄な願い」となって現れるそうです。

 「成田山新勝寺」は、平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に正面に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」等が建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の背後の一段高くなった地には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)等が建っており、「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「成田山表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」にある165000平方mもの「広大」な「広さ」を誇る「成田山公園」は、「春の訪れ」を告げる「梅」、「桜」、そして「新緑」と、「秋」の「紅葉」、「雪景色」など、「四季折々」の「表情」を楽しむことができる「憩いの場」として、「成田山」の「ご参詣」の「皆様」や、「市民」から大変親しまれています。
 「成田山公園」は、「旧・齋藤家」「夏の別荘」や、「澁澤榮一邸」等を手がけた「庭師」、「2代目」「松本幾次郎」により昭和3年(1928年)に完成しました。
 以来、「自然」が織り成す「四季」を通じて変化に富んだ、「日本庭園」ならではの情緒豊かな「風景」を作り出し、「野鳥」や、「虫たち」の「オアシス」となるほど「自然」に近い「状態」の「公園」として、幾年ものあいだ大切に守られてきました。
 「成田山公園」「園内」「各所」には、「松尾芭蕉」や、「高浜虚子」等、「著名」な「文人達」の「句碑」が建っており、当時の「成田」でも「俳句」や、「歌」をたしなんでいたという事を物語っており、「公園」の「自然」の中にも様々な「先人の知識」や、「足跡」が残されています。

 「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」に広がる「風光明媚」な「成田山公園」では、「四季折々」の「草花」や、「風景」を楽しむことができ、「平均樹齢」50年を越える約500本の「紅梅」や、「白梅」が植えられています。
 「成田山公園」の「梅」は、例年2月中旬から3月中旬にかけて咲き、「成田山公園」は「梅の香り」でいっぱいになります。
 「成田の梅まつり」(2016年2月18日・2015年2月17日・2014年2月16日・2013年2月11日・2012年2月9日・2011年2月10日のブログ参照)は、「成田山公園」を「会場」に行われている「催し」で、「成田」の「新春・恒例行事」として、「園内」の「梅」が色づく2月から3月にかけて行われています。
 「成田の梅まつり」は、毎年約1ヶ月間にわたり開催され、「期間中」の「週末」を中心に様々な「イベント」を開催、訪れる方に「おもてなし」を行っています。

 「平成29年成田の梅まつり」ですが、2月18日(土)から3月5日(日)までの「期間」、「成田山公園」を「会場」に行われ、「期間中」の各「土・日曜」に「イベント」を開催するそうです。
 「平成29年成田の梅まつり」「期間中」の「イベント」ですが、「観梅の演奏会」、「甘酒進上」、「表千家観梅の野点」、「観梅の投句コンテスト」、「氷の彫刻展」、「草木染」「華の集い展」となっています。

 「観梅の演奏会」は、「成田山公園」の「梅」を愛(メ)でながら「伝統音楽」を楽しむ「催し」で、毎回大勢の「お客様」が「春」を奏でる「音色」に耳を傾け、「好評」を得ている「催し」です。
 「観梅の演奏会」「演奏会場」は、「成田山公園」内の「西洋庭園」で、「伝統音楽」の「演奏会」を行います。
 「観梅の演奏会」は、11時00分からと、13時30分からの1日2回行われ、「開催日」、「演奏会出演者」は、下記の通りです。

 2月18日(土) 筝 (清翔会)・尺八 (竹樹会)

 2月19日(日) 筝 (清翔会)・尺八 (竹樹会)

 2月25日(土) 津軽三味線 (通若会社中)

 2月26日(日) 津軽三味線 (佐藤通弘・通芳)、民謡

 3月4日(土) 二胡 (ワン・シャオフォン)

 3月5日(日) 二胡 (ワン・シャオフォン)

 「甘酒進上」ですが、「米麹」を使って、その場で、手作りした「甘酒」を「無料」で配る「おもてなし」で、ほんのりとした「甘さ」は、「公園散策」で冷えた「指先」や、「体」を芯から温めてくれます。
 「甘酒進上」は、「期間中」の各「土・日曜」の10時00分から15時00分まで「成田山公園」「園内」「西洋庭園」にてふるまわれます。

 「表千家観梅の野点」は、「表千家成田市茶道会」の「協力」により、「無料」で行われる「催し」で、「期間中」の各「土・日曜」に開催され、「会場」は、「文殊の池」上「梅林」、10時00分から15時00分(受付終了は14時30分)まで行われます。
 「表千家観梅の野点」「先生」の「スケジュール」は、下記の通りです。

 2月18日(土) 八尾 宗保 先生

 2月19日(日) 矢澤 宗文 先生

 2月25日(土) 行方 宗岑 先生

 2月26日(日) 阿地 宗玲 先生

 3月4日(土) 熊谷 宗光 先生

 3月5日(日) 諸岡 宗清 先生

 となっており、「表千家観梅の野点」では、初めて「お茶」を召し上がる方でも気軽に参加できるそうです。

 「観梅の投句コンテスト」は、「成田の梅まつり」「恒例」の「投句コンテスト」で、「兼題」は「梅」となっており、1人2句以内「未発表」の「作品」に限り応募・受付しています。
 「観梅の投句コンテスト」の「投函箱設置場所」は、「成田山公園」「西洋庭園」及び「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)「大本堂」前に設置されるそうです。
 「観梅の投句コンテスト」の「賞」は、「秀句」9句、「入選」20句となっており、「秀句」9句は、下記の「賞」となっています。

 成田山新勝寺貫主賞

 成田市長賞

 成田市議会議長賞

 京成電鉄株式会社賞

 JR成田駅賞

 宗吾霊堂賞

 三橋鷹女賞

 成田商工会議所賞

 一般社団法人成田市観光協会賞

 「氷の彫刻展」は、「期間中」の「最終日」3月5日(日)に「成田山新勝寺」「大本堂」前「広場」周辺で開催される「イベント」で、「氷の彫刻展」では、四角い「氷柱」を「職人たち」の手により、様々な形に作り上げていく様子を目の前で見ることができ、「冬」ならではの「氷の彫刻展」が並ぶ様は圧巻だそうです。
 「氷の彫刻展」「スケジュール」は、下記の通りです。

 10時15分 開会式
 (大本堂正面階段踊り場/雨天時・第一講堂)

 10時30分 競技開始

 12時30分 競技終了・審査

 13時00分 特別大護摩参詣「成功成就」

 14時15分 表彰式

 「草木染」「華の集い展」は、2月26日(日)から3月5日(日)までの「期間」、「成田観光館」で行われる「展示会」で、「自然」の「草花」を「染料」として、「スカーフ」や、「タペストリー」等の「大小」様々な「布地」に染み込んだ「作品」が展示され、「自然」の持つ「色彩」を堪能できるそうです。
 「草木染」「華の集い展」ですが、9時00分から17時00分まで(入館は16時30分まで)となっており、「月曜日」は「休館」となっています。

 「四季折々」の「表情」を見せる「風光明媚」な「庭園」が美しい「成田山公園」で開催される「新春・恒例」の「催し」「平成29年成田の梅まつり」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成29年成田の梅まつり」詳細

 開催期間 2月18日(土)〜3月5日(日)

 開催時間 10時〜15時

 開催会場 成田山公園 成田市成田1

 備考
 「平成29年成田の梅まつり」でふるまわれる「甘酒」ですが、弘化4年(1847年)頃「創業」の「糀店」の「麹」を使用しており、「天然」の「甘味」が利いた「糀」の「甘酒」となっています。
 なお「甘酒進上」ですが、「雨天」の場合、「中止」だそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:54 AM |

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