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「関万歳(せきまんざい)」(九十九里町)
 本日ご案内するのは、近隣市「九十九里町」「皇産霊神社」で2月11日(祝・火)に開催されます「関万歳(せきまんざい)」です。

 「皇産霊神社」は、「山武郡」「九十九里町」「片貝」(上総国山辺郡)にある「神社」で、「旧社格」は「郷社」です。
 「皇産霊神社」は、「俗称」・「産土さま(うぶすなさま)」と呼ばれ、「地域」の「人々」に親しまれている「神社」で、「皇産霊神社」「本殿」は、「九十九里町」の「町指定文化財」に指定されています。
 「皇産霊神社」の「御祭神」ですが、「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」、「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」、「神皇産霊神(カミムスビノカミ)」を「主祭神」として祀っています。

 「皇産霊神社」は、天慶年間(938年〜946年)の「創建」と伝えられ、応時は「本隆寺」を「別当寺」として「第六天神宮」と称していましたが、明治の「神仏分離令」で、「天御中主神」・「皇産霊靈神」・「神皇産靈神」を「御祭神」とし、「社号」を「皇産霊神社」と改め、大正2年(1913年)「郷社」に列しました。

 「皇産霊神社」では、「毎年」「正月13日」は「祭礼日」で、昔の「3村」の「各部落」から「氏子」が「太鼓」などを載せた「山車」を先頭に「囃子」で囃しながら「皇産霊神社」へ向かい、「幟(のぼり)」を「鳥居」前に並列し、「神官万歳」を唱え「福」の「種」を撒いたそうです。
 寛政6年(1794年)「小関村」と「片貝村」の「水争い」から「堰」を作り、「水」を分け合うようになったことを祝い「漫才」が行われていたという「伝承」があり、「関万歳」になったと伝えられており、また「獅子舞」・「かっこ舞」の「奉納」もあるそうです。

 「関万歳」は、「皇産霊神社」の「祭礼」で、上記のように寛政6年(1794年)、「小関村」、「片貝村」の「水争い」から「堰」を作り、「水」を分け合うようになったことを祝い、「関万歳」(漫才が行われたという「伝承」もあり)現在の「関万歳」になったと伝えられています。

 「関万歳」の「祭り」では、「昔」の「3村」の「鎮守」である「須原区」・「正一稲荷神社」、「屋形区」・「恵比寿神社」、「西の下区」・「八坂神社」から、「氏子」が「太鼓」などを載せた「山車」を「先頭」に「囃子」を囃しながら「皇産霊神社」へ向かうそうです。
 「関万歳」では、多くの「出店」や「獅子舞」・「かっこ舞」の「奉納」があるほか、「福」の「種蒔き」と呼ばれる「神事」が行われます。

 「関万歳」「当日」ですが、上記のように「昔」の「3村」の「鎮守」である「須原区」・「正一稲荷神社」、「屋形区」・「恵比寿神社」、「西の下区」・「八坂神社」から、「氏子」が「太鼓」などを載せた「山車」を「先頭」に「囃子」を囃しながら、「鞨鼓舞」や「獅子舞」の「舞手」や「関係者」が「皇産霊神社」へ向かい、「神社」の「隣近所」の「民家」で休息します。
 その頃「皇産霊神社」には多くの「参拝客」が集まり、「皇産霊神社」「境内」に設けられた「特別舞台」で行われる「手品」を見学するそうです。
 そしてまず「須原区」の「鞨鼓舞」の「メンバー」が「近所の民家」から入り、「神前」で「お払い」を受けたあと「特別舞台」で「鞨鼓舞」を行われ、「鞨鼓舞」は「一人立三匹」で「鞨鼓」(鼓)は持たないそうです。
 「獅子舞」は「龍顔」で、「舞台」「正面」に「語弊」を3本立て、比較的ゆったりと約20分間舞い、「舞手」は「小学生」で、この「鞨鼓舞」は、この後行われる「獅子舞の厄払い」(場所を清める)のために「舞い」だといわれています。

 「関万歳」では、「獅子舞の厄払い」に続き、「餅まき」が行われます。
 「餅まき」の「餅」ですが、「紅白」の7〜8cmの「丸餅」で、1個づつ「ビニール」で包まれ、「餅」には10〜20個に1個の「割合」で「赤」、「黒」などの「紙」が入っており、それぞれ「ラーメン」、「タッパー」などが当たるそうです。
 「餅まき」は、「昔」は「福の種まき」といい、「餅」と「籾種」と「赤大豆(ささげ)」といったものをまき、これを「家」の「神前」に供え、「丘万作」・「浜大漁」・「家内安全」を祈ったといわれていますが、現在は「餅」のみがまかれるそうです。
 「餅まき」は、「関万歳」中3回行われる「鞨鼓舞」、「獅子舞」、「獅子舞」の後に3回行われ、「餅」は豪勢に「計」4俵(約240kg)もまかれます。

 「鞨鼓舞」は、「小学生」のみの「舞手」が舞いますが、「鞨鼓舞」に続いて行われる「屋形区」・「西の下区」の「獅子舞」は、それぞれ「小学生」と「青年」の「2組」づつが舞うそうです。
 「獅子舞」は、「2人立1匹」で、「小学生」は「獅子」には「道化」が「面」を付けて現れ、「獅子」を「餌」で釣ったり、からかったりし、「舞」は「手振り」、「足運び」など熟達した「白熱」の「演技」だそうです。
 「関万歳」にも参加する「西の下」の「獅子舞」は、「八坂神社」に伝承されており、この「獅子舞」は、文政2年(1819年)に「八坂神社」が「創建」されたときに、「江戸」の「魚河岸」から「神輿」が寄贈され、その「神輿」の「露払い」として「獅子舞」を伝習されたのが「はじまり」とされていおり、「西の下区」の「獅子舞」は「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 なお「関万歳」は「昔」、旧1月13日〜14日で催行されていましたが、数十年前から現在の2月11日に行われるように変わったそうです。

 「九十九里」の「丘万作」「浜大漁」の「守護神」である「古社」「皇産霊神社」で行われる「祭礼」「関万歳」。
 この機会に「九十九里町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「関万歳(せきまんざい)」詳細

 開催日  2月11日(祝・火)

 開催会場 皇産霊神社 山武郡九十九里町片貝前里地区

 問合わせ 九十九里町教育委員会 0475-70-3192

 備考
 「関万歳」ですが、「九十九里ポータルサイト」にて「動画」がアップされています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1991 |
| 地域情報::九十九里 | 12:55 PM |
「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」(匝瑳市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「松山庭園美術館」で2月1日(土)〜4月13日(日)の期間開催されます「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」です。

 「松山庭園美術館」(2011年2月25日のブログ参照)は、「此木三紅大(コノキミクオ)」氏の「アトリエ」を公開した「私設美術館」です。
 「松山庭園美術館」の「展示品」ですが、「数々」の「名画コレクション」と「茶道具」を中心に展示されています。
 「松山庭園美術館」「庭園」内には、「地域」の「文化交流」の「拠点」として「企画展示室」、「長屋門」、「見晴らし亭」、「茶室」などが点在し、「四季折々」の「自然」を愛でながら「野外彫刻」も楽しめます。

 「松山庭園美術館」「収蔵作品」ですが、「ヨーロッバ絵画」、「国内著名作家作品」、「茶道具」、「琴コレクション」とうとなっています。
 「松山庭園美術館」「庭園」の「裏」には、「大桑」(「高さ」11m、「根回り」3.1m)が聳(そび)え、「樹木」(「黒松」、「枝垂れ萩」、「紅葉」の「林」)や「草木」(「さつき」、「椿(つばき)」、「桜(さくら)」、「百日紅(さるすべり)」、「桔梗(ききょう)」)などがあり、「四季」を通して楽しめる「庭園」を有しています。

 「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」は、「松山庭園美術館」で行われる「企画展」で上記のように2月1日(土)から4月13日(日)の期間開催されています。
 「出井保勝」氏は、1932年(昭和7年)「静岡県」「浜松市」の生まれで、「千葉県」「印旛村」に「アトリエ」を構えて20年になるそうです。
 「出井保勝」氏は、「金沢美術工芸大学」で「油絵」を学び、「フリーデザイナー」、「アートディレクター」を経て、「美術雑誌」、「建築雑誌」等の「出版社」を経営。
 60歳を前に、「全て」の「職」を退き、現在まで「画業」に専念。
 一時期は「トライアングル・シリーズ」という「三角形」の「幾何学模様」に「色彩」を織りなす「作品」に取り組み、「無限」の「創造世界」に没頭したそうです。
 「難解」と思われがちの「抽象絵画」ながらも、「出井保勝」氏の「作品」は、「明快」で楽しく、「心地」よい「世界」を創り出しています。
 一方、「コノキ・ミクオ」氏は、1937年(昭和12年)「東京都」の生まれで、「少年時代」から「画家」を志し、「苦学」して「武蔵野美術大学」を卒業後、「ローマ・アカデミア美術大学」に留学。
 「洋画家」でありながら、「ガンダ彫刻」に目覚め、「仕事」の「半分」は「立体作品」に取り組んでいるそうです。
 最近は、「海外」でも注目される「ガンダ彫刻」。
 「ガンダ」とは、「千葉県」「銚子近辺」で使われる「言葉」で、古くなったり、「用」をなさなくなった物、「道具」などの「鉄屑」のこと。
 「コノキミクオ」氏によって「ガンダ」はよみがえり、生きた「鉄」の「アート」が「心」に語りかけてくる、そのような「思い」がするそうです。
 この「二人」の「コラボレーション」は、まさに「互い」の「作品」を引き立て合い、融合して面白くなっているそうです。
 「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」では、「油彩画」、「アクリル画」など「200号」の「大作」や、生き生きとした「ガンダ達」など合わせて約100点を展示。
 「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」では、「生命讃歌」の「ワクワク感」を多くの「方々」が味わえる「企画展」になっているそうです。

 「庭園」が素晴らしい「松山庭園美術館」で開催される「企画展」「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」詳細

 開催期間 2月1日(土)〜4月13日(日)

 開催会場 松山庭園美術館 匝瑳市松山630

 開館日  金・土・日・祝祭日のみ開館

 入館料  一般 800円 小中生 400円

 開館時間 10時〜17時 

 問合わせ 松山庭園美術館 0479-79-0091

 備考
 「松山庭園美術館」では「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」「ガンダ・アートと幾何学的抽象絵画の対話」の「開催期間中」、「同時開催」で「茶道具名品展」も開催しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2015 |
| 地域情報::匝瑳 | 05:18 PM |
「妙光山観福寺」「節分会」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で2月3日(月)に開催されます「妙光山観福寺」「節分会」です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩」を祀っています。
 「妙光山観福寺」の「創建」ですが、「寺伝」によりますと、寛平2年(890年)、「尊海僧正」の「開基」といわれています。
 「妙光山観福寺」は、「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」の篤い「信仰」を受け、中世以降「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになり、江戸時代には「末寺五十三ヶ寺」をもつ「中本山」として「厄除大師信仰」の「中心」となって「庶民」の「信仰」を「一身」に集めたそうです。

 「妙光山観福寺」「境内」の「大師堂」には、「弘法大師像」が安置され、「川崎」(川崎大師)、「西新井」(西新井大師)とともに「日本三大厄除大師」に数えられています。
 「妙光山観福寺」は「北総」の「名刹」として知られ、「妙光山観福寺」は、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「鐘楼」など、堂々とした「境内」となっています。
 「妙光山観福寺」「本堂」は、文化8年(1811年)、「鐘眞和尚」が再建したもので、「大師堂」は、文化12年(1829年)「秀珍和尚」が建立したものです。
 「観音堂」は、「妙光山観福寺」「御本尊」である「聖観世音菩薩像」が安置されており、元禄年間に「春海和尚」が建立、「不動堂」には、「身丈」5尺、「総高」8尺の「不動明王像」を安置しており、文化15年(1818年)「快恵和尚」により再建されています。
 「妙光山観福寺」には、その他、「鐘楼」、「毘沙門堂」があり、「毘沙門堂」は平成17年(1995年)に「量賢和尚」により建立されています。

 「妙光山観福寺」の「寺宝」ですが、「釈迦如来」・「薬師如来」・「地蔵菩薩」・「十一面観世音菩薩」の「金銅製懸仏(かけぼとけ)」4体の「国指定重要文化財」が含まれ、「墓域」には「日本全国」を「測量」して歩き、「日本最初」の「実測日本地図」「大日本沿海輿地全図(ぜんにほんえんかいよちぜんず)」を完成させた「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「墓」もあるそうです。
 (「伊能忠敬」の「墓」には「髪」と「爪」を納めているそうです。)
 また「妙光山観福寺」には、古い「下総板碑」など「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。

 また「妙光山観福寺」は、「春」の「桜」、「夏」の「緑」(新緑)、「秋」の「紅葉」に代表される「四季」の「景観」の「美しさ」(趣)でも知られており、「四季折々」の「景観」を見に多くの「参拝者」や「観光客」、「地元客」が訪れています。
 特に「妙光山観福寺」は、「枝垂れ桜」の「美しさ」で知られています。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「御本尊」「聖観世音菩薩」を祀っている「北総」の「名刹」「妙光山観福寺」では、毎年2月に「節分会」を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」ですが、14時30分から「法要」(40分ほど)が行われ、「妙光山観福寺」「本堂」前の「特設舞台」で「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や「年男」による「豆まき」となるそうです。

 「妙光山観福寺」「節分会」の「見所」のひとつは、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による「600巻」の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「仏教」の「経典」を「バラバラ」と広げながら「一斉」に「お経」を唱えるというもので、滅多(めった)に見ることのできない「貴重」な「光景」で「迫力満点」だそうです。
 「妙光山観福寺」「節分会」の「僧侶」や「年男」による「豆まき」では、「福豆」や「福銭」が撒かれるほか、「景品」も当たるそうです。

 「北総」の「名刹」「妙光山観福寺」で開催される「恒例」の「豆まき式」「節分会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(月) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-50-1212

 備考
 「香取市」には、「観福寺」が2つあり、もうひとつの「観福寺」(山倉山観福寺)(2010年12月3日のブログ参照)は「香取市」「山倉」に鎮座している「寺院」で、「山倉山観福寺」は「山倉の鮭まつり」(2013年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2001 |
| 地域情報::香取 | 12:16 PM |
「芝山仁王尊節分会」(芝山町)
 本日ご案内するのは、近隣市「芝山町」「芝山仁王尊」「観音教寺」で2月3日(月)に開催されます「芝山仁王尊節分会」です。

 「観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)は、「山武郡」「芝山町」にある「天台宗」の「寺院」で、「山号」は「天應山(天応山)」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「観音教寺」は、上記のように「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の「寺院」で、「正式名称」を「天應山観音教寺福聚院」、「開山」から実に1200余年にもなる「県内有数」の「古刹」です。
 「天應山観音教寺福聚院」は、「上総国薬師如来霊場」「第28番」(結願)、「神上総国三十三観音霊場」「第33番」(結願)、「東国花の寺百ヶ寺」「千葉6番札所」としても知られています。

 「観音教寺」の「由緒」ですが、奈良時代末期、人皇第四十九代「弘仁天皇」の宝亀11年(780年)の「正月」、「平城京」が「雷火」に襲われ、「皇室擁護」の「寺院」が多く焼失したため、「諸国」に命じて新たに「仏寺」を建てせしめたそうです。
 「観音教寺」は、天応(天應)元年(781年)「勅命」により、「征東大使」「中納言 藤原継縄」公がこの「布令」の下に「当地」に「寺院」を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
 「観音教寺」は、天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に「甍(いらか)」の「数」を増やし、近隣に八十余字の「子院」を置くに至ったと伝えられています。
 その後「観音教寺」は、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の「崇敬」を受け、許多の「仏田」が寄進され、永く「祈願所」として栄えましたが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の「影響」を受け、「観音教寺」も「全山灰土」と化したと伝えられています。
 やがて江戸時代に入り「観音教寺」は、「徳川幕府」の「庇護」の下、「十万石」の「格式」を持つ「伴頭拝領寺」として「関東天台」の「中核」となす「寺院」になったそうです。

 「観音教寺」は、「火事泥棒除け」・「厄除け」の「仁王尊天」として古来より「大江戸」の「庶民」の「信仰」を集めており、「いろは四十八組」の「町火消」が「纏(まとい)」を「先頭」に競って参詣していたと伝えられています。
 また「観音教寺」については、以下のように伝えられています。

 「江戸の商家で芝山のお札を貼らない店(タナ)はない。」

 以上のことから江戸時代から「火事・泥棒除けのにおうさん」として「庶民」に「絶大」な「人気」があったことが伺えます。
 現在でも「観音教寺」には、「有名」な「新門辰五郎」の旧「を組」の「記念碑」が「観音教寺」「境内」に建っており、その「信仰」が今日(こんにち)まで「連綿」として伝えられていることが分かります。
 以上のことから「観音教寺」は、「火事除け」・「泥棒除け」の「仁王尊」として知られていることから「芝山仁王尊」とも呼ばれています。
 「芝山仁王尊」「観音教寺」「境内」には、鎌倉時代初期に作られた「厄除け」で「有名」な「御本尊」「十一面観世音菩薩」や「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されている「三重塔」などがあります。

 「節分」は、「各季節」の始まりの「日」であり「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の「前日」のことですが、「節分」とは「季節を分ける」ことをも意味しており、江戸時代以降は特に「立春」(毎年2月4日ごろ)の「前日」を指す場合が多いようです。
 「節分」は、「季節」の「変わり目」であり、「季節」の「変わり目」には「邪気(鬼)」が生じると考えられており、それを追い払うための「悪霊払い行事」が「全国各地」で執り行われています。
 「節分の行事」ですが、「宮中」での「年中行事」であり、「延喜式」では、彩色した「土」で作成した「牛」と「童子」の「人形」を「大内裏」の「各門」に飾っていたそうです。

 「追儺」とは「大晦日」(12月30日(旧暦))の「宮中」の「年中行事」であり、平安時代の初期ごろから行われている「鬼払いの儀式」で、「鬼やらい」や「鬼遣らい」、「鬼儺」などとも「表記」され、「儺(な)やらい」とも呼ばれています。
 「追儺」はもとは「中国」の「行事」であり、「宮廷」の「年中行事」となり、現在の「節分」の「元」となった「行事」なのだそうです。

 「芝山仁王尊節分会」は、「芝山仁王尊」「観音教寺」で行われる「節分会」で、「芝山仁王尊節分会」には、毎年多く「参加者」がある「催し」です。
 「芝山仁王尊節分会」では、「大般若転読」・「除災招福護摩」・「星祭」を権修するそうです。
 「大般若転読」ですが、古来より「大般若経」の「風」に当たるだけで「除災招福」の「功徳(くどく)」が得られると言われているそうです。
 また「芝山仁王尊節分会」「法要」終了後、「観音教寺」「三重塔」前「特設舞台」にて「鬼やらい」の「寸劇」と「豆まき」が行われます。
 「芝山仁王尊節分会」「豆まき」ですが、「芝山周辺地域」の「名士たち」が「年男」・「年女」として「特設会場」に上がり、「豆まき」や「景品」の「福まき」をするそうです。

 「芝山仁王尊節分会」では、以下の「内容」で行われます。

 13時〜  法要(大護摩道場)
 14時頃〜 鬼やらい(三重塔前)

 法要内容 除災招福護摩
      台密星祭供養
      大般若転読

 鬼やらい 鬼の寸劇、豆まき

 「芝山」の「古刹」「芝山仁王尊」「観音教寺」で開催される「芝山仁王尊節分会」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「芝山仁王尊節分会」詳細

 開催日時 2月3日(月) 13時〜

 開催会場 芝山仁王尊観音教寺 山武郡芝山町芝山298

 問合わせ 芝山仁王尊観音教寺 0479-77-0004

 備考
 「芝山仁王尊」「観音教寺」では、毎月第4の「土・日曜日」には「お宝・ノミの市」(「骨董市」と「フリーマーケット」)が、行われ、「人気」を博しているそうです。





















| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2003 |
| 地域情報::成田 | 12:43 PM |
「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」(匝瑳市)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で2月2日(日)に開催されます「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年12月21日のブログ参照)は、「都市と農村総合交流ターミナル」として、「地場産業」の「振興」と「地域」の「活性化」、「都市」と「農村」の「交流」を「目的」に、「匝瑳市」(「産業振興課」主管)が「設置」・「管理」をしています。
 「ふれあいパーク八日市場」「施設内」における「農特産物コーナー」、「花・植木見本園」、「郷土料理レストラン 里の香」の「運営」については、「ふれあいパーク八日市場有限会社」が行っており、「ふれあいパーク八日市場」隣には「飯塚沼農村公園」があります。
 (「飯塚沼農村公園」は「ふれあいパーク八日市場」「本館」を抜けるとあります。)

 「ふれあいパーク八日市場」「農特産物コーナー」では、「取り扱うもの」は「可能」な限り「地元」で生産された「旬」の「野菜」や「果物」、「加工品」、「切り花」をはじめ、「手作り味噌」、「落花生煎餅」などの「特産品」や「手工芸品」が所狭しと並んでいます。
 また「農特産物コーナー」では、「地元産コシヒカリ」など、「お米」の「量り売り(はかりうり)」もしています。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産物コーナー」には、「地元農家」が「まごころ」を込めて作った「新鮮」な「野菜」が「毎朝」入荷し、「都会」から来られた方に限らず、「近隣」の「方々」にも「大好評」で、すべての「商品」には、「生産者名」が記入され、「生産者」の「顔」が見える「安心」な「野菜」を提供しています。

 また「ふれあいパーク八日市場」「花・植木見本園」は、「匝瑳市」の「主要産業」のひとつである「造園業」の「フラッグシップ的」な「園芸販売施設」となっており、大小さまざまな「花」・「苗」・「植木」をはじめとして、「温室」には「季節の鉢物」等が所狭しと並んでいます。
 「ふれあいパーク八日市場」「花・植木見本園」は、「匝瑳市」の「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)と「自他」ともにいわれる「由縁」が垣間見れる「施設」となっています。

 この度(たび)「ふれあいパーク八日市場」では「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」を開催されます。
 「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」ですが、「簡単」な「ベーコン作り」と「原木しいたけ」の「植菌体験」を行い、「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」では、「ベーコン作り」の「待ち時間」に「植菌体験」を行うそうです。
 ちなみに「植菌」とは、「原木」に「穴」をあけて、「椎茸菌」を打ち込む「作業」なのだそうです。

 「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」の「参加費」ですが2000円で、2000円の「内訳」は「ベーコン」約500gと「植菌」後の「原木」1本となっており、「募集人数」は20名程度となっています。
 なお「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」では、「原木」は700円で、「ベーコン」は1200円で「追加可能」となっているそうです。

 「週末」には何かがある「ふれあいパーク八日市場」で開催される「人気イベント」「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」詳細

 開催日時 2月2日(日) 10時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ベーコン燻製&しいたけ植菌体験」に参加される際は、「軍手」、「エプロン」、「三角巾」、「ベーコン持ち帰り用」の「容器」、「昼食」(ふれあいパーク八日市場でも購入可)をお持ち下さいとのことです。





















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| 地域情報::匝瑳 | 06:13 PM |
「鹿島神宮節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(月)に開催されます「鹿島神宮節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「御船祭」が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)より「3日間」「御船祭」が行われます。
 (「前日」8月31日(日)午後には「御座船清祓式」が執り行われます。)

 「鹿島神宮」では、今年(2014年)も「節分の日」の2月3日(月)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮節分祭」は、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、「1回目」は15時から、「2回目」は18時からの「2回」「豆まき」が催行されます。
 「鹿島神宮節分祭」「豆まき」は、「神事」・「追儺(ついな)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び「鏑矢(かぶらや)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をします。
 「鹿島神宮節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮節分祭」「豆まき」では

 「福は内」

 とだけ「声」をかけます。
 「鹿島神宮節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や「年男」・「年女」から「福豆」や「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと「手」を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮節分祭」「2回目」の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と「一緒」にまかれる「福分け」では「豪華」な「福」がいただけるそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「毎年」「盛大」に開催される「鹿島神宮節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(月) 15時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 8299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮節分祭」では、例年「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「選手」も「参加」され賑わいます。
 ちなみに「昨年」(2013年)の「鹿島神宮節分祭」では、「サッカー」「Jリーグ」の「鹿島アントラーズ」から1989年(昭和64年・1月1日〜1月7日、平成元年・1月8日〜12月31日)生まれの「年男」、「川俣慎一郎」「選手」のほか、「中田浩二」「選手」、「本山雅志」「選手」、「遠藤康」「選手」、「相撲界」から「錣山親方(しころやまおやかた)」(元「寺尾関」)や「豊真将関(ほうましょうぜき)」などが「参加」され「豆まき」を行いました。

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| 地域情報::鹿島 | 10:16 AM |
「水神社」「永代大御神楽」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「水神社」で2月2日(日)に開催されます「水神社」「永代大御神楽」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏にあり、「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」となだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」の「市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。
 「旭市」は、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、平成17年(2005年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」が誕生しています。

 「水神社」は、1301年に創建され、「旧・海上町」「後草地区」では古くから「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「神社」です。
 「水神社」の「鳥居」ですが、天和3年(1683年)建立の「銘」がある「鳥居」で、「石鳥居」としては「千葉県」でも古い「鳥居」なのだそうです。
 しかし「水神社」「石鳥居」は、1971年(昭和46年)に「台風25号」のために倒れ、「貫」が折れてしまい、取り替えたそうです。
 また「水神社」の「鳥居の様式」ですが、「明神鳥居」となっており、「願主別当金蔵院住持長宝石工 六兵衛作之」の「銘」が読むことができます。

 「水神社」「永代大御神楽」は、「旭市」「後草地区」の「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「水神社」で毎年2月の「第1日曜日」に奉納されている「神楽」です。
 「水神社」「永代大御神楽」は、鎌倉時代から800年も続いており、「永代大御神楽」の「内容」ですが、「豊年万作」を記念して「春先」に奉納した「岩戸神楽」の「系列」といわれる「内容」となっています。
 「水神社」「永代大御神楽」は、古式ゆかしい「衣装」に「身」を包んだ「優雅」な「舞」は、いにしえの「情景」を今に色濃く伝えています。

 「水神社」「永代大御神楽」は「昔」、「旧暦」の2月8日の「村祈念」に行われていましたが、その後「新暦」の2月1日に「日程」が変わり、現在「水神社」「永代大御神楽」は2月の「第1日曜日」に実施されています。
 「水神社」「永代大御神楽」では「オドウ」(当番制)と決まった「家」から「神社」に参進の上、「神楽殿」(神楽舞台)で演舞することになっています。
 「水神社」「永代大御神楽」の「特長」ですが、「オドウ」と呼ばれる「当屋制」が残っていることで、「後草地区」は「字(あざ)後草区」(335戸)と「字(あざ)広原区」(約600戸)で構成され、1年交代で「オドウ」を務めており、2010年(平成22年)の「オドウ」は「後草区」の「担当」であったそうです。

 「水神社」「永代大御神楽」の「内容」は「記紀神話」に基づく「岩戸神楽」で、「手力男」が「具体的」に「岩戸」を開ける「所作」がないそうで、これは「千葉県」「北東部」の「下総神楽」の「特長」なのだそうです。
 「水神社」「永代大御神楽」の「内容」ですが、「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」の「乱暴」な「行状」に怒り「天の岩戸」に隠れた「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「神話」を演じるものとなっています。

 「水神社」「永代大御神楽」は次の「十二座」から成り、以下の通りとなっています。

 1 猿田彦命(さるたひこのみこと)(天狗)
 2 天鈿女命(あまのうずめのみこと)
 3 三(参)宝荒神
 4 八幡大神
 5 天手力夫命(あまのたぢからのみこと)
 6 榊葉
 7 稲荷保食命(稲荷キリ)
 8 田神(田ノ神)・種播(稲荷と狐)
 9 春日大神
 10 恵比寿大黒
 11 乙女の命(乙女)
 12 素盞鳴尊(すさのおのみこと)(〆切)

 となっています。
 (現在9「春日大神」は40年以上演じていないそうです。)

 「後草地区」の「鎮守」「水神社」で行われる「古式」ゆかしい「伝統神楽」「水神社」「永代大御神楽」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水神社」「永代大御神楽」詳細

 開催日時 2月2日(日) 12時頃〜

 開催会場 水神社 旭市後草1923

 問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728

 備考
 「水神社」「永代大御神楽」に使われる「神楽面」は16面だそうです。
 また「水神社」「永代大御神楽」は「千葉県」の「県指定無形文化財」(昭和29年指定)に指定されています。

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| 地域情報::旭 | 01:46 PM |
「豊ヶ浜運動公園(とよがはまうんどうこうえん)」「豊ヶ浜フットサル場」オープン(神栖市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「神栖市」「豊ヶ浜運動公園とよがはまうんどうこうえん」「豊ヶ浜フットサル場」オープンです。

 「神栖市」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面し、「南」は「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)(常陸利根川)が流れています。
 「神栖市」にはかつては「広大」な「面積」の「池」「神之池(ごうのいけ)」(2012年3月27日のブログ参照)がありましたが、現在は「鹿島開発」のため一部を残して「大部分」が埋め立てられています。
 「神栖市」は、2005年(平成17年)8月1日に「神栖町」と「波崎町」が合併し、「人口」9万人余り(当時)の「市」として誕生しました。
 (2014年1月末日現在「神栖市」の「総人口」は94433人(うち「外国人住民」2103人))

 「神栖市」は、「茨城県」の「最東南端」に位置する「市」で、隣接している「鹿嶋市」とともに「鹿島臨海工業地帯」を形成しています。
 また「神栖市」は、「鹿嶋市」、「潮来市」、「鉾田市」、「行方市」とともに「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。
 「神栖市」は以前「農業」と「漁業」が中心の「地域」でしたが、1960年(昭和35年)に始まった「鹿島開発」によって「世界的」にも珍しい「堀込式人工港」「鹿島港」を「核」に、「鉄鋼」・「石油」を中心とした「重化学コンビナート」の「街」として発展、「工場立地企業」からの「税収」により「財政」は豊かで、「福祉」が充実しており「県外」からの「転入者」も多く、このため「鹿嶋市」との「広域市域合併構想」は、「自主財源」の「確保」の「観点」から「反対」されており、「鹿嶋市」との「合併」は合意されていません。

 「神栖市」の「旧・波崎町地区」は「太平洋」に面し、「夏」涼しく「冬」温暖な「気候」であることから「アウトドアスポーツ」を「観光」の中心に据えており、「海水浴」、「マリンスポーツ」から「サッカー」、「テニス」、「トライアスロン」にいたるまで幅広い「スポーツ」が楽しめるそうです。
 (「波崎海水浴場」(2012年7月13日・2011年7月19日のブログ参照)は、「環境省」の「快水浴場百選」に選定されています。)
 「神栖市」では特に「民間」の「サッカーグラウンド」は「70面」以上有しており、「サッカー合宿」の「メッカ」として「全国的」に有名です。

 「フットサル」(Futsal)は、「基本的」には「室内」で行われる「サッカー」(Soccer)に似て非なる「競技」です。
 「フットサル」は、長らく「非公式」に行われ「統一ルール」というものが存在しませんでしたが、1989年に「国際サッカー連盟」(FIFA)が「フットサル」も管轄することとなり、1994年には「世界共通」の「統一ルール」をまとめています。

 「フットサル」の「名称」の「由来」ですが、「futbol」(スペイン語)・「futebol」(ポルトガル語)と、「室内」を表す「salon」(スペイン語)・「salao」(ポルトガル語)の「合成語」、「スペイン語」の「futbol de salon(フットボール・デ・サロン)」(意味は「室内で行うサッカー」)の「名称」が、いつの間にか短く略され、「フットサロ」→「フットサル」と変化して、定着していったようです。

 「フットサル」の「歴史」ですが、「フットサル」が始まった「説」は二つあるそうです。
 まず、一つは「南米」を中心に発展してきた「サロンフットボール」とは「弾まないボール」のことで、「サロンフットボール」は、1930年(昭和5年)に「ウルグアイ」で考案されたそうで、また「ブラジル」でも同様のものが考案されたそうです。
 「フットサル」の「最初」の「統一ルール」は、「サンパウロ」で出版されたものとされており、「サロンフットボール」は、その後「南米全域」へと広まっていったそうです。
 「フットサル」は、1965年(昭和40年)からは「南米選手権」が開催され、1979年(昭和54年)まで続けられ、1961年(昭和36年)には、「国際サロンフットボール連盟」(FIFUSA・Federacion International de Salon・Futsal Federation)が設立され、1982年(昭和57年)に「世界サロンフットボール選手権」が「サンパウロ」で開催され、後に「世界フットサル協会」(AMF・Asociacion Mundial de Futbol de Salon・World Futsal Association)となりました。

 もう一つは、「サッカー」の「母国」「イギリス」より発祥して「ヨーロッパ」や「アメリカ」、「オーストラリア」などに広まった「インドアサッカー」です。
 「インドアサッカー」は「普通」の「サッカー」と同じ「ボール」を使って、「壁」も使って行われる「競技」です。
 「インドアサッカー」は「ルール」や「名称」も「国々」によってまちまちで、「スペイン」では「フットボール・サラ」、「ドイツ」では「ハレン・フースバル」、「イタリア」では「カルチェット」、「オランダ」で「ザール」と呼ばれるものがそれに当たります。
 「ヨーロッパ」では、「ザール」の「ルール」を元にして「UEFA」が「インドアサッカー」の「ルール統一」を図ったそうです。
 「FIFA」は、こうした「ミニサッカー」が「世界中」に広まるのをみて「ルール」の「統一」を始め、1989年(昭和64年(1月1日〜7日)・平成元年(1月8日〜12月31日))には「初」の「世界大会」を「オランダ」で開催しました。
 「第2回」の「大会」は「香港」で開催され、「FIFA」と「FIFUSA」による「ルール」の「統一化」が図られました。
 このときの「ルール」の「問題点」を改正し、1994年(平成6年)より「競技名」を「フットサル(FUTSAL)」と改められました。

 「豊ヶ浜運動公園(とよがはまうんどうこうえん)」は、「神栖市」「波崎」にある「公園」で、「波崎体育館」に程近くにある「公園施設」です。
 「豊ヶ浜運動公園」の「面積」は0.31ha(ヘクタール)(間口200m×奥行139mぐらい)で、「開設日」は1976年(昭和51年)となっています。
 「豊ヶ浜運動公園」「周辺」には、上記のように「波崎体育館」、「豊ヶ浜野球場」(軟式野球専用グラウンド・センター118m、両翼88m)、「波崎プール」(現在は休止中)などがあります。
 ちなみに「波崎体育館」の「内容」ですが、「競技場」(面積1490.75平方m(44.5m×33.5m)「バスケットボール」2面・「バレーボール」3面・「バトミントン」8面)、「柔道場」(面積158.76平方m(12.6m×12.6m)「柔道」1面(たたみ98畳))、「卓球室」(面積147平方m(14.0m×10.5m)「卓球台」4台)、「トレーニング室」(面積86.04平方m(13.68m×6.29m))、「研修室」(面積148.84平方m(12.2m×12.2m)「剣道」1面)、「控室」(面積22.6平方m「小会議室」)、「和室」(面積88.2平方m(12.6m×7.0m)「たたみ」56畳)となっています。

 「豊ヶ浜運動公園」では、「波崎地域」の「地域力」を高めるため、「砂丘荘」「跡地」「周辺」を「一体的」に整備することにより「イメージアップ」を図り、「地域住民」の「交流」と「賑わい」を創出するために「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」に基づく「砂丘荘跡地周辺整備事業」を行っていました。
 「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」の「趣旨」、「目的」ですが、「国民宿舎」「砂丘荘」「跡地」「周辺」約7haについて、「集積」する「スポーツ関連施設」などの「既存施設」の「有効活用」を図りながら、「民間活力」の「導入」を「視野」に入れた「核施設」と「地域」の「活性化」や新たな「魅力」の「創出」に向けて、「計画地全体」の「整備」を目指した「土地利用」を「具現化」するための「基本計画」となっていました。
 「砂丘荘跡地周辺土地利用基本計画」の「対象地区」ですが、「神栖市」「波崎地域」、「対象地区内」には、「国民宿舎」「砂丘荘」「跡地」及び「波崎体育館」、「豊ヶ浜運動公園」(野球場)、「波崎プール」などの「スポーツ施設」が集積しており、周辺には「はさき生涯学習センター」、「はさきおさかなセンター」、「童子女の松原公園」(2012年5月29日のブログ参照)などが立地しているとともに「日本の海水浴場88選」に選ばれた「波崎海水浴場」と「波崎漁港」も隣接している約7haの「用地」で、「用地」はほとんどが「市有地」ですが、一部「民有地」(約4000平方m)も含んでいるそうです。

 「砂丘荘跡地周辺整備事業」により「豊ヶ浜運動公園」「周辺」は2012年12月に整備され、新しく「豊ヶ浜運動公園」(砂丘荘跡地エリア)が開園し、広い「公園内」には「芝生広場」や「ゴムチップ」で舗装された「園路」、「休憩所」として「あずまや」などがあり、「多目的」に楽しめる「公園」に整備されたそうです。
 (芝生内は現在養生期間のため立ち入り制限中)
 そして、この度(たび)「豊ヶ浜運動公園」では、「波崎体育館」「脇」に「豊ヶ浜フットサル場」が新しくオープンしました。

 「豊ヶ浜フットサル場」の「施設概要」ですが、「フットサルコート」1面(40m×20m)の「人工芝」の「フットサル場」となっており、「夜間照明設備」が完備されているそうです。
 「豊ヶ浜フットサル場」の「利用開始日」は2月1日(土)からとなっており、「利用時間」は9時から21時となっています。
 「豊ヶ浜フットサル場」の「予約」ですが、「2月分」の「予約受付」は「波崎体育館」で1月24日(金)より「窓口」「受付」「開始」し、1月25日以降は「電話予約」もできるようになっています。
 ちなみに「豊ヶ浜フットサル場」の「予約」は、「毎月」「最初」の「営業日」から「次月」の「予約」ができるそうです。
 (利用料金は下記「詳細」参照)

 「砂丘荘跡地周辺地区整備事業」により新しく開園した「豊ヶ浜運動公園」内にオープンした「豊ヶ浜フットサル場」。
 この機会に「神栖市」「豊ヶ浜運動公園」「豊ヶ浜フットサル場」で「汗」を流してみてはいかがでしょうか?

 「豊ヶ浜運動公園」「豊ヶ浜フットサル場」詳細

 所在地  茨城県神栖市波崎9579

 利用時間 9時〜21時
 利用開始日は2月1日〜 予約開始は1月24日(金)から「波崎体育館」で予約、25日(土)以降は「電話」による「仮予約」可

 利用料金 神栖市内520円 神栖市外1570円

 問合わせ 波崎体育館 0479-44-5581

 備考
 「豊ヶ浜運動公園」「フットサル場」の「利用」の際、「営利目的」で利用される場合は「別料金」が派生するそうです。
 また「豊ヶ浜運動公園」「フットサル場」の「照明設備」を利用される場合は「別途」210円かかるそうです。

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| 地域情報::神栖 | 09:53 AM |
「ヴァレンタイン企画」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で2月9日(日)に開催されます「ヴァレンタイン企画」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に隣接する「施設」で、「山武郡」「芝山町」にある「人気」の「日本最初」の「航空専門」「科学博物館」です。
 「航空科学博物館」には、「YS-11試作1号機」、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大レプリカ」、「DC-8」の「フライトシュミレーター」、「ボーイング747」の「客室」の「実物大モックアップ」、「成田国際空港」の「模型」などが展示され、「航空科学博物館」「4F」には「成田国際空港」を一望する「展望レストラン」等があります。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、1977年(昭和52年)「地元自治体」の「山武郡」「芝山町」より「成田空港」の「開港」に関連した「博物館」「建設」の「要望」が「運輸大臣」(当時)に提出されました。
 1984年(昭和59年)「博物館」の「建設」・「運営」の「事業主体」となる「財団法人航空科学振興財団」が設立、1988年(昭和63年)に「博物館」「工事」に「着工」、1989年(平成元年)8月1日「航空科学博物館」が開館しました。
 「航空科学博物館」は、1994年(平成6年)に「入館者」100万人を達成、1999年(平成11年)「成田空港」「第1ターミナルビル」内に「ミュージアムショップ」「バイプレーン」を開店、2004年(平成16年)1月18日に「入館者」300万人を達成しました。
 2011年(平成23年)6月23日に「成田国際空港株式会社」が「航空科学博物館」「敷地」(駐車場)内に「成田空港闘争」の「史実」や「反対派」の「ヘルメット」などを展示した「資料館」「成田空港 空と大地の歴史館」を建設し開館、2012年(平成24年)4月1日「公益財団法人航空科学博物館」に移行しています。

 「航空科学博物館」では、「航空」や「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」さまざまな「催し」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」、「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」「航空グッズ」の「販売」(航空ジャンク市)等の「各種イベント」も開催されています。

 「ヴァレンタインデー」あるいは「セントヴァレンタインズデー」(英・St.Valentine's day)は、「2月14日」に祝われ、「世界各地」で「男女」の「愛」の「誓いの日」とされています。
 もともと、269年に「ローマ皇帝」の「迫害下」で殉職した「聖ウァレンティヌス」(テルニのヴァレンタイン)に由来する「記念日」だと、主に「西方教会」の広がる「地域」において伝えられてました。

 「ヴァレンタインデー」の「起源」は「諸説」あり、「ローマ帝国時代」にまでさかのぼるとされる「説」があります。
 当時、「ローマ」では、「2月14日」は「女神」・「ユノの祝日」であったそうで、「ユノ」は「すべての神」の「女王」であり、「家庭」と「結婚」の「神」でもありました。
 翌「2月15日」は、「豊年」を祈願する(清めの祭りでもあります)「ルペルカリア祭」の「始まる日」であったそうで、当時若い「男たち」と「娘たち」は「生活」が別であったそうです。
 「祭り」の「前日」、「娘たち」は「紙」に「名前」を書いた「札」を「桶の中」に入れることになっており、「翌日」、「男たち」は「桶」から「札」を1枚ひきました。
 ひいた「男」と「札」の「名」の「娘」は、「祭り」の間「パートナー」として「一緒」にいることを定められていたそうで、そして多くの「パートナーたち」はそのまま「恋」に落ち、そして「結婚」したようです。

 「ローマ帝国」「皇帝」・「クラウディウス2世」は、愛する「人」を「故郷」に残した「兵士」がいると「士気」が下がるという「理由」で、「ローマ」での「兵士」の「婚姻」を禁止したといわれています。
 「キリスト教」の「司祭」であった「ウァレンティヌス」(ヴァレンタイン)は「秘密」に「兵士」を結婚させていましたが、捕らえられ、処刑されたとされ、「処刑の日」は、「ユノの祭日」であり、「ルペルカリア祭」の「前日」である「2月14日」があえて選ばれました。
 「ウァレンティヌス」(ヴァレンタイン)は「ルペルカリア祭」に捧げる「生贄(いけにえ)」とされたといわれており、このため「キリスト教徒」にとっても、この日は「祭日」となり、「恋人たちの日」となったというのが「一般論」とされています。

 「日本」では、「ヴァレンタインデー」は1958年(昭和33年)ころから流行したそうですが、ただし、その「内容」は「日本独自」の「発展」を遂げたものとなっています。
 「ヴァレンタインデー」は、「戦前」に来日した「外国人」によって「一部」行われ、「戦後」まもなく「流通業界」や「製菓業界」によって「販売促進」のために「普及」が試みられましたが、「日本社会」に定着したのは、1970年代後半であったそうです。
 「ヴァレンタインデー」は、「主として女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型ヴァレンタインデー」の「様式」が成立したのもこのころであったそうです。
 なお、「ヴァレンタインデー」に「チョコレートを渡すのがいいのでは?」と「最初」に考案して実践したのは、「大田区」の「製菓会社」だそうです。
 「現代日本社会」における「ヴァレンタインデー文化」の、「起源」、「普及過程」、「社会的機能」、「歴史的意義」などについては、「民俗学」、「社会学」、「宗教学」、「歴史学」(文化史、商業史)の「各分野」から研究されるべき「事項」でありますが、「ヴァレンタインデー」に関するまとまった「研究」は存在しないそうです。

 「日本」では「ヴァレンタインデー」に、「女性」が「男性」に「愛情」の「告白」として「チョコレート」を贈る「習慣」があります。
 「欧米」でも「恋人」や「お世話」になった「人」に「チョコレート」を贈ることはありますが、決して「チョコレート」に限定されているわけではなく、また「ヴァレンタインデー」に限ったことでもないそうです。
 「女性」から「男性」へ贈るのがほとんどという点と、「贈る物」の多くが「チョコレート」に限定されているという点は、「日本」の「ヴァレンタインデー」の大きな「特徴」でありますが、「最近」では、「チョコレート」にこだわらず、「クッキー」や「ケーキ」、「マフラー」などを贈る「人」もいるそうです。
 また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、「同性間」(主に女性)で贈り合ったりする「友チョコ」、「男性」が「女性」に渡す「逆チョコ」というものもみられます。

 「日本型ヴァレンタインデー」の「特徴」を整理すると、以下の3点となるそうです。

 贈答品にチョコレートが重視される点
 女性から男性へ一方的贈答である点
 (女性の)愛情表明の機会だと認識されている点

 このほか、「職場」における「贈答習慣」が強い点や、「キリスト教」との「直接的関連」はほとんど意識されていない点も「日本型ヴァレンタインデー」の「特徴」です。

 「ヴァレンタイン企画」ですが、「航空科学博物館」の「企画」で、2月9日(日)に行われます。
 「ヴァレンタイン企画」の「内容」ですが、「ヴァレンタインデー」(正式には2月14日)にちなみ行われる「企画」となっており、「航空科学博物館」に入館された「皆様」に「プチチョコレート」を「プレゼント」するという「内容」になっています。

 「航空科学博物館」「ヴァレンタイン企画」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ヴァレンタイン企画」詳細

 開催日  2月9日(日)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 9時〜17時

 休館日  月曜日(「祝日」の場合は翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、「クープ・ド・クール2014年ヴァレンタインイベント」と題し、「フランス」の「ヴァレンタイン村」から届く「メッセージサービス」を行っています。
 「日本」から「フランス」の「ヴァレンタイン村」に「想い」を記した「メッセージカード」を送ると「村長」がその「想い」を認め、「メッセージ」を承認した上で返信する「日本郵便」の「サービス」だそうです。
 「メッセージカード」には「村長」の「署名」と「オリジナルスタンプ」が押印され、また「フランス」から「日中」に届く「封筒」には、「フランス」の「デザイナーズ切手」に「ハート」の「消印」を押してお届けするそうです。
 イベント開催日時は以下の通りとなっています。

 2014年2月8日(土)・9日(日)・11日(祝・火)・14日(金) 11時00分〜16時00分

 「クープ・ド・クール」キット(切手代のみ)一部410円となっています。

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| 地域情報::成田 | 11:55 AM |
「香取神宮」「節分祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で2月3日(月)に開催されます「香取神宮」「節分祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪(12万3千平方m)ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 「香取神宮」「境内」は、「香取の森」と呼ばれ、「千葉県」の「県天然記念物」に指定されており、「広大」な「境内」には「老杉」がうっそうと茂り、「別名」「亀甲山」といわれています。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」(1953年(昭和28年)3月31日「国宝」指定)や「重要文化財」に指定されている「小瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)」(1953年(昭和28年)3月31日「重要文化財」指定)、「双竜鏡(そうりゅうきょう)」(1953年(昭和28年)11月14日「重要文化財」指定)などがあり、「香取神宮」には「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「節分祭」は、「古式」に則った「節分祭」・「節分追儺式(せつぶんついなしき)」が「毎年」2月に行っています。
 本年(2014年)も「香取神宮」では、「立春」「大吉」を迎えるにあたり、「厄」をお祓いするため、2月3日(月)に「香取神宮」「本殿」にて、「節分祭」・「節分追儺式」が「斎行」されます。
 「節分追儺式」は、明治時代の「初期」から伝わる「香取神宮」「独特」の「厄払い」の「行事」で、「節分追儺式」では、「御祓い(おはらい)」、「祝詞奏上(のりとそうじょう)」の後、「剣」を「手」に舞う「神人追儺の儀」、「香取神宮」「本殿」で「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」を打ち鳴らす「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」、「音」に驚いた「赤鬼」、「青鬼」が飛び出してくると「福娘」に扮した「二人」の「巫女(みこ)」が「鬼は外!」と「豆」をぶつけ「香取神宮」「拝殿」の「外」へ追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。

 「香取神宮」「節分祭」では、「儀式」「節分追儺式」が終わりますと「大相撲」の「力士」が「特別奉仕年男」として「豆撒き」が行われます。
 また「節分追儺式」の後に、「年男」「年女」や「大相撲」の「力士」らが並び、待ち構える「参拝客」がに「福豆」・「福銭」や「景品」の「引き換え券」などがまかれます。
 「景品」の「引き換え券」は、「地元商店街」からの「協賛景品」と交換することができるそうです。

 ちなみに今年(2014年)の「香取神宮」「節分祭」「節分追儺式」には、「大相撲」の「錣山親方(しころやまおやかた)」(元・寺尾関)、「豊真将関(ほうましょうぜき)」を「特別年男」にお迎えし、催行するそうです。

 「日本屈指」の「神宮」「香取神宮」で開催される「新春恒例の行事」「節分祭」「節分追儺式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「節分祭」「節分追儺式」詳細

 開催日時 2月3日(月) 13時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-2804

 備考
 「節分祭」「節分追儺式」が行われる「香取神宮」では、「境内」や、「旧参道」の「梅の花」がほころび始め、あちらこちらにも、小さな「春」の「足音」が見つけられているようです。





















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| 地域情報::香取 | 01:45 PM |

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