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「浄国寺お宝巡り」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「浄国寺」で2月16日(木)で行われる「浄国寺お宝巡り」です。

 「浄国寺」(2010年11月23日のブログ参照)は、「銚子市春日町」にある「一立山 無衰院 浄国寺」という「浄土宗」の「寺院」で、創建は1255年(建長7年)「記主禅師」(然阿良忠上人)が開山したと伝えられています。

 「浄国寺」境内には、樹齢100年にも及ぶ「雌雄一対」の「大銀杏」、「松」、「梅」などの「古木」があり、「開花時期」には多くの人が訪れます。
 「浄国寺」の「庭」は「銚子のおすすめスポット」のひとつで、特に樹齢300年以上になる「梅」の「木」が有名です。
 また「浄国寺」の「梅」(2011年2月4日のブログ参照)は、「銚子地方」の「標本木」(標準木)で、「銚子」の「春」の「訪れ」を知らせる「木」として知られています。

 今月の2月7日(火)に、「銚子地方気象台」(2011年1月5日のブログ参照)の「職員」が、「浄国寺」境内にある「標本木」の数輪の「開花」を確認、「銚子地方」の「梅」の「開花」が宣言されました。
 「梅」の「開花宣言」されましたが、「浄国寺」境内に約50本ある「白梅」や「紅梅」の「木」に見られる「花びら」は数えるほどで、多くの「枝」には膨らみかけの「つぼみ」なので、見頃は少し先のようです。

 「浄国寺」には、「松尾芭蕉」や「渡辺華山」、「小林一茶」など、多くの「文人・墨客」が訪れていたようです。
 「浄国寺」境内には、「松尾芭蕉の句碑」があり、古くから文化人と繋がりがあったことを今に伝えています。

 また「浄国寺」では、昨年(2011年)3月11日に発生した「東日本大震災」と「福島第1原発事故」で「避難生活」を余儀なくされている「子どもたち」や「放射線量」が高く限られた時間しか外で遊べない「福島の子どもたち」を「銚子」に招き、「銚子の自然」と「心の交流」、「子守唄」の癒しの力によって、リフレッシュしてもらう催し「子ども寺子屋イン銚子」(2011年11月24日のブログ参照)など「社会貢献活動」を積極的に行っていることでも知られています。

 今回行われる「浄国寺お宝巡り」ですが、開催日2月16日(木)に「第一部」「第二部」の2回行われます。
 「お宝巡り」「第一部」、「第二部」共に先着各20名定員の企画で、参加締切は明日(2月13日)までとなっています。

 当日の流れですが、「住職」による「寺宝」解説が行われ、その後「銚子ボランティアガイド観光船頭会」による「浄国寺」境内、「寺宝」案内となっています。

 「銚子の名刹」「浄国寺」の「寺宝」が見られるこの機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「浄国寺お宝巡り」詳細

 開催日時 2月16日(木) 10時〜 14時〜

 開催会場 浄国寺 銚子市春日町23

 スケジュール

 第一部

 9時45分 受付開始

 10時00分 住職による「寺宝」解説

 10時20分 銚子ボランティアガイド観光船頭会による境内「寺宝」案内

 11時00分 解散

 第二部

 13時45分 受付開始

 14時00分 住職による境内「寺宝」解説

 14時20分 銚子ボランティアガイド観光船頭会による境内「寺宝」案内

 15時00分 解散

 問合わせ 銚子市産業観光部観光商工課観光班 0479-24-8707

 備考
 今年(2012年)の「銚子地方」の「梅」の「開花」ですが、昨年(2011年)より26日遅く、平年と比べても18日遅いそうです。













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| 地域情報::銚子 | 10:28 AM |
春のお献立♪になりました
旅の楽しみのひとつはお食事音符

本日よりお夕食が春のお献立になりました。

旬の食材を意識して取り入れたメニューとなっております。


喜んでいただけますようにハート






竹コースのお客様のお食事です。


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| 地域情報::銚子 | 10:31 PM |
「銚子電鉄」の「沿革」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子電鉄」の「沿革」です。

 「銚子電鉄」は、全長6.4kmある「銚子駅」から「外川駅」までの10駅を約20分で結ぶ「観光客」の皆さんに人気の「電車」です。
 「銚子電鉄」の距離は、「芝山鉄道」(千葉県・2.2km)、「紀州鉄道」(和歌山県・2.7km)、「岡山電気軌道」(岡山県・4.7km)、「水間鉄道」(大阪府・5.5km)、「流鉄」(千葉県・5.7km)に次いで、全国で6番目に短い「鉄道」なのだそうです。

 「銚子電鉄」の「沿革」ですが、「銚子」から「犬吠埼」、「外川」方面に至る「鉄道」の「敷設」を「総武鉄道株式会社」(「総武本線」を敷設した会社)が、「外川」まで延長しようとしたことから始まります。
 「総武鉄道株式会社」が、1901年(明治34年)5月1日に「免許」を取得しましたが、「利用者」の増加が見込めないなどの理由で「敷設」を断念。
 その後、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)や13代目「田中玄蕃」、「小野田周斎」など「銚子」の有力者の間で「鉄道敷設」の議論が起こり、1909年(明治42年)12月9日に「銚子人車鉄道」の「計画」を「政府」に申請。
 「計画」によれば、「銚子駅」から「外川」までの「本線」と、途中で「犬吠埼灯台」までの「支線」を「敷設」するものでしたが、結局は実現しませんでした。

 1912年(明治45年)になって「銚子人車鉄道」の「発起人」たちは、改めて「銚子」〜「外川」間に「蒸気鉄道」の「敷設」を申請、1913年(大正2年)1月15日に「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立。
 同年12月28日に「銚子」〜「犬吠」間が開業し、途中に「仲ノ町(なかのちょう)」、「観音」、「本銚子(もとちょうし)」、「海鹿島(あしかじま)」の「駅」を設置しました。

 念願が叶った「銚子遊覧鉄道」ですが、開業当初より「経営」は不振であったとのことです。
 そのような中、1914年(大正3年)7月に「第一次世界大戦」が勃発すると、「鉄材」の「価格」が高騰したことを機に、「銚子遊覧鉄道」が「経営不振状態」を理由に、「重役会議」で「鉄材」を売ることで「総資本金」を回収することが出来ると判断、「レール」や「蒸気機関車」、「客車」、「貨車」を売却し、「銚子遊覧鉄道」は、1917年(大正6年)11月20日に廃止しました。
 (公式な営業廃止日は11月30日だそうです。)

 残った旧「線路用地」ですが、廃止時の「沿線住民」との協定により、何らかの「交通手段」のために用いることとされていた為、売却できず、「駅舎」などもそのまま残っていて「会社清算人」が保有していたそうです。
 翌年の3月に「銚子遊覧鉄道」の旧重役が中心となり、「政府」に対して「国鉄」の「犬吠延長」に働きかけたそうですが、実現しませんでした。
 ちなみに旧「線路用地」は、一時「犬吠埼の老舗ホテル」の「自動車部」が運行する「乗合自動車(バス)路線」として利用されており、これは「日本最初」の「自動車専用道路」と考えられているそうです。

 1921年(大正10年)10月13日、旧「銚子遊覧鉄道」の「発起人」などによって「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、「路線」も「外川」まで延伸され、1923年(大正12年)7月5日に開通しました。
 しかし「銚子鉄道」は「ガソリン機関車」を利用し運行していましたが、故障続きであったそうです。
 そのため、「鉄道省」から「蒸気機関車」を借用して運行していました。
 ついに「ガソリン機関車」が故障が多いことや「借用」での「蒸気機関車」の運行から「鉄道省」より「文書勧告」されてしまいました。

 そこで「文書勧告」に対し、「銚子鉄道」は、「蒸気動力」ではなく、「電化」することを選んだそうです。
 当時「銚子鉄道」「大株主」の「子息」が「長野県」の「伊那電気鉄道」(現在のJR飯田線の一部)の「取締役」になっていた関係があり、結び付きがあったことから、「増資資金」の「全額」を求めて工事が進められ、1925年(大正14年)7月1日に「電化」開業しました。
 またその際、使用する「電車」は、「伊那電気鉄道」で不要になった3輌を譲り受けました。
 同じ日に、「上下線」が交換可能な「笠上黒生駅」を設置。
 「電化」後の「経営」は順調で、「松岸」や「川口」方面への延長が計画されましたが、実現しませんでした。
 1931年(昭和6年)6月21日には、「君ヶ浜駅」が設置されました。

  その後、「太平洋戦争」(第二次世界大戦)末期の1945年(昭和20年)7月19日・20日にかけて受けた「爆撃」(銚子大空襲)で「仲ノ町車庫」と「電車」1輌、そして「変電所」が焼失してしまい、「電車」の運行が不可能になってしまったそうです。
 この時「銚子鉄道」で「廃線」の方針が打ち出されかけましたが、「電気」が無いだけでは「廃線」が出来ないと結論。
 「蒸気機関車」を「国鉄」から借用して同年12月3日に「運行」を再開したそうです。

 「空襲」の被害を受けた「変電施設」は「新潟県」の「蒲原鉄道(かんばらてつどう)」(1999年(平成11年)4月廃線)から中古の「発動発電機」を譲り受け「変電所」が復旧し、1946年(昭和21年)6月10日から「電車」運転が復活。
 そして、1948年(昭和23年)8月20日、現在の「銚子電気鉄道株式会社」と改称され、現在に至っています。

 幾多の困難、情勢に翻弄されながらも、時代と共に生き抜いてきた「銚子電鉄」。
 今日も「銚子電鉄」は「銚子市内」を元気に運行をしています。

 備考
 「銚子電鉄」の「外川駅」は、2007年(平成19年)4月に、「日経新聞」から発表された「訪ねる価値のある駅ベスト10」で、「外川駅」が見事、第10位に入りました。
 「外川駅」の「木造の古い駅舎」と「待合室」内部は、「ローカル線」である「銚子電鉄」の「終点駅」の雰囲気を盛り上げています。













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| 地域情報::銚子 | 10:25 AM |
「銚子の節分祭」「節分会」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」の「市内各所」で明日2月3日(金)に開催されます「節分祭」「節分会」です。

 2月3日(金)の「節分」で、「銚子市」の「神社」や「お寺」などで「節分祭」「節分会」を開催し、「福は内」、「鬼は外」の「かけ声」が響きわたり、「善男善女」が「福豆」にあやかろうと大賑わいを見せるそうです。

 「銚子市内」では「若宮八幡宮」、「妙福寺」(2011年4月27日のブログ参照)、「満願寺」(2010年12月11日のブログ参照)、「銚港神社」、「白幡神社」、「渡海神社」(2010年12月28日のブログ参照)、「海上八幡宮」、「東光寺」(2011年4月23日のブログ参照)、「立正佼成会」、「御嶽山」などで、「震災復興」の「祈り」を込めて、「豆まき」を行うようです。

 今回はその中で「若宮八幡神社節分祭」、「妙見宮節分祈祷会」、「立正佼成会の節分会」、「東小川町の御嶽山」、「満願寺節分会善男善女結縁」、「東光寺節分会」をピックアップします。

 「若宮八幡神社」では、19時半から「節分祭」を行います。
 「年男奉賛料」は5000円で、「御神璽祈願札」、「福豆付木製一合升」、「福袋」、「寿司」、「直会宴御神酒接待」。
 「若宮八幡神社」では、「一般参拝者」の皆様にも「福券」を入れた「豆撒き」を行いますので、ご参集下さいと呼びかけています。
 なお、「若宮八幡神社」「福引商品」は、「特別賞」は「御神酒」5升 1名、「金賞」は「御神酒」3升 2名、「銀賞」は「御神酒」2升 3名、「銅賞」は「御神酒」1升 12名だそうです。

 「妙見宮節分祈祷会」は14時30分より「節分追儺祈願大法要」厳修、「熱祷祈願料」は1願主5000円で、「節分会祈祷大札」、「福豆授与」となっています。
 「祈願例」は「開運勝利」、「家内安全」、「除厄開運」、「除災得幸」、「家運隆昌」、「社運隆昌」、「身体健全」、「當病平癒」、「進学成就」、「安産祈願」、「交通安全」、「商売繁盛」、「大漁満足」などだそうです。

 「立正佼成会の節分会」は10時から市内長塚町の「立正佼成会銚子教会」で行われるそうです。

 「東小川町の御嶽山」では、年毎(としごと)に新しい歳の「星」を祭って「悪事災難」を免れるよう、また善い年は一層善くなるよう祈るそうです。
 「立春」を迎えるにあたり、「追儺式」を行い「邪気」を祓い、新しい年が無事幸福になるよう祈祷し、「厄除け」、「星祭り」ご祈願するそうです。
 「東小川町の御嶽山」は、18時受付、19時「祭式」で「玉串料」8800円だそうです。

 「じゅんれいのてら」「満願寺」では「満願寺節分会善男善女結縁」を13時から、「勝運招福大護摩供」、「追儺豆まき」、「坊入接待」を行うそうです。
 (定刻30分前までに参集)
 「善男善女結縁祈願料」は1万円で、「結縁」を申し込まれた方はもれなく「勝運招福祈祷札」、「福枡」、「福酒」、「福銭」、「料理」付で、「坊入」できるそうです。
 また「特別善男善女結縁祈願料」は2万円(特別供物付)で、特別祈願申し込みの方には「観世音お福分け・特別勝運招福酒」を拝呈するそうです。
 2月3日(金)の「節分会」当日は、「善男善女」の方へも「福引」(豪華景品多数)用意しているそうです。

 「舟木山東光寺」では「東光寺節分会」を11時半から開催し、「東光寺節分会」の特徴は「裃姿(かみしもすがた)」の「善男善女」が「豆まき」をすることで、由緒正しい「節分」が味わえます。
 また、隣の「東光保育園」から「ちびっ子たち」が足を運び、「お菓子」や「福豆」をキャッチする姿も見受けられるそうです。

 市内各所で行われます「節分祭」「節分会」に足を運んでみてはいかがでしょうか?

 備考
 「東光寺」にある「マキの群落」は、「銚子市観光協会」が選んだ「銚子百選」(2011年1月1日・2日・3日・4日のブログ参照)に認定されています。

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| 地域情報::銚子 | 08:03 AM |
「温泉ファン感謝デー」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、当館「犬吠埼観光ホテル」で明日(あす)1月31日(火)に開催する「温泉ファン感謝デー」です。

 毎月月末(つきづえ)に開催しています「温泉ファン感謝デー」。
 「温泉ファン感謝デー」は、日頃からご愛顧いただいています「地元」「銚子」の「皆様」やご贔屓いただいています「お客様」への「感謝」、「天然温泉」(豊富な「効能」)への「感謝」、「犬吠埼地区」また「先祖代々の土地」への「感謝」といった様々なことに「感謝」するために行っているイベントです。

 「温泉ファン感謝デー」利用(営業)時間は、朝10時〜14時(終了)となっていて、「時間内」で当館自慢の「天然温泉」を利用できます。

 「温泉ファン感謝デー」のご利用の手順ですが、「当館ロビー前」「受付」にて、「お名前」、「ご住所」、「ご連絡先」(電話番号、携帯電話も可)を記入後、お履き物をスリッパに履き替え、そのまま「天然温泉」の「大浴場」「露天風呂」となります。
 なお、「温泉ファン感謝デー」では、タオル・バスタオルはご自宅からご持参下さい。

 また「温泉ファン感謝デー」当日は、こちらも当館自慢の「海」の見える「宴会場」2会場を「湯上がり」後の「休憩」に開放。
 さらに「宴会場」のひとつで「カラオケ」が「無料」で利用可能。
 楽しいひとときをお過ごしいただけるよう準備しています。
 (カラオケは順番を守って皆で楽しく歌って下さい。)

 また「温泉ファン感謝デー」当日は、各種「定食」(普段の「営業日」と変わらず「刺身定食」(1000円)「金目定食」(1500円)など)をご用意するほか、「温泉ファン感謝デー」当日限定の「500円ランチ」も用意しています。
 また寒い日が続いていますが、当館自慢の「ラーメン」(700円)も用意しています。

 「温泉ファン感謝デー」では、「温泉パスポート」の「割安販売」を実施。
 「温泉パスポート」とは、「温泉入浴回数スタンプカード」のことで、「温泉入浴料金」1回あたりの「料金」(通常入浴料大人1000円〜)がリーズナブルな「料金」で入れる「温泉ヘビーユーザー」の皆さんや「地元のお客様」、「近隣市町村の皆様」に指示されている「温泉回数スタンプカード」です。

 盛り沢山の「犬吠埼観光ホテル」のイベントに皆様のお越しをスタッフ一同お待ちしております。

 備考
 「天然温泉」「大浴場」「脱衣所」内と「湯上り処」には「マッサージ機」があり、「無料」で利用できます。
 (順番を守ってご利用下さい。)

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| 地域情報::銚子 | 07:42 AM |
「小野田周斎」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」の偉人「小野田周斎」です。

 「小野田周斎」は、「銚子病院」「院長」、「千葉県会議員」を歴任し、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)・「今井健彦」とともに「銚子港」改修(1月24日のブログ参照)に尽力した「人物」です。

 また「銚子遊覧鉄道」の廃止をうけて、大正11年(1922年)に開業した「銚子鉄道」(開通は大正12年)の「初代社長」に就任。
 現在の「銚子電鉄」の前身である「銚子鉄道」に「力」を尽くしたことで知られています。

 「小野田周斎」は、1865年(慶応元年)1月に「紀州宮原村」(現在の「和歌山県有田市」)に生まれました。
 若くして「御前(みさき)家」に入り、「千葉県立医学校」で学び、1891年(明治24年)に創設された「私立銚子病院」に招かれて「院長」に着任したそうです。

 「小野田周斎」は、1898年(明治31年)に「小野田耕斎」の「養子」となります。
 1904年(明治37年)、「日露戦争」に「赤十字社医員」として「従軍」。
 その前年の1904年(明治36年)に「海上郡会議員」に当選、続いて1909年(明治42年)に「千葉県会議員」に当選し、以来「四期15年」にわたり、「地方行政」の「振興発展」に尽力されました。

 その当時に「地元有志」間で「銚子漁港」修築の「議論」が起こると、「衆議院議員」(当時)「濱口吉兵衛」を助けて東奔西走(とうほんせいそう)した結果、1925年(大正14年)に「千葉県営事業」としての「工事」が実現となったそうです。

 「小野田周斎」は、「海上郡医師会長」、「海上郡会議長」、「千葉県会正副議長」等を歴任し、「地方開発」に大きく貢献されました。

 また、1917年(大正6年)11月3日に「営業廃止」となった「銚子遊覧鉄道」を、1921年(大正10年)10月13日に「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、1923年(大正12年)7月5日に開通しました。

 開通した「銚子鉄道株式会社」の「初代社長」に「小野田周斎」が就任したそうです。

 「銚子鉄道」の「沿革」ですが、「銚子」から「犬吠埼」、「外川」方面まで至る「鉄道」の敷設は「総武鉄道株式会社」(総武本線を敷設した会社)が、「外川」まで路線を延長したもので、1901年(明治34年)5月1日に「免許」を取得しましたが、「利用者」の増加が見込めないなどの理由(用地買収に失敗し、予定路線の土地が値上がりした為という報道もあったそうです)で「敷設」を断念しました。

 その後、「濱口吉兵衛」や「13代目田中玄蕃」、「小野田周斎」など「銚子」の「有力者」の間で「鉄道敷設」の議論が起こり、1909年(明治42年)12月9日に「銚子人車鉄道」の計画を「政府」に申請したそうです。
 計画によれば、「銚子駅」から「外川」までの「本線」と、途中で「犬吠埼灯台」までの「支線」を「敷設」するものでしたが、結局は実現しませんでした。
 ちなみに「人車鉄道」とは、「線路」上の「小型」の「車輌」を「人間」が押して走らせる「トロッコ」なのだそうです。

 1912年(明治45年)になって「銚子人車鉄道」の「発起人たち」は、改めて「銚子」から「外川」間に「蒸気鉄道」の「敷設」を申請、1913年(大正2年)1月15日に「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立、同年12月28日に「銚子」〜「犬吠」間が開業し、途中に「仲ノ町」、「観音」、「本銚子(もとちょうし)」、「海鹿島(あしかじま)」の「駅」を設置しました。

 しかし「銚子遊覧鉄道」は経営不振であったため、4年後の1917年(大正6年)に廃止となったそうです。

 1921年(大正10年)10月13日、旧「銚子遊覧鉄道」の「発起人」などによって、「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得し、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、「路線」も「外川」まで延伸され、1923年(大正12年)7月5日に開通したそうです。
 こうして開業した「銚子鉄道株式会社」の「初代社長」が「小野田周斎」であったそうです。

 また「小野田周斎」は、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)「今井健彦」とともに「銚子漁港」改修に尽力された人物でもあります。

 幾多の「困難」があり、難航を極めた「銚子漁港」改修は頓挫寸前になりながらも、「濱口吉兵衛」らと共に「関係各省庁」へ働きかけた結果、工事認可が下り着工、40数年かかり「日本有数」の「漁港」となりました。

 「小野田周斎」は、その功績を讃えられ、「新生浜公園」の一角に「頌徳碑」が建立されています。

 現在の「銚子漁港」「銚子電鉄」の為に尽力された「小野田周斎」は、「濱口吉兵衛」とともに、今も「銚子市」を見守っています。

 備考
 「小野田周斎頌徳碑」と「濱口吉兵衛像」のある「新生浜公園」には、「永照稲荷神社」や「水神宮」が鎮座しています。
 「永照稲荷神社」は、寛永12年(1635年)に「豊後」の「佐伯」氏が「銚子浦」「利根川」沿いに祀ったことに始まります。
 亨保19年(1734年)に「者殿」遷座、昭和46年に「現在地」に遷座し「永照稲荷大明神」と改称しました。
 「新生浜公園」では、「鎮座地」に南面して、「永照稲荷」が鎮座し、その隣に北面して「水神宮」が鎮座しています。













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| 地域情報::銚子 | 08:30 AM |
「銚子漁港」の「歴史」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港」の「歴史」です。

 「銚子漁港」は、全国屈指の「水揚げ高」を誇る「漁港」で、「沿岸・沖合・遠洋漁業」の基地として「全国」から「漁船」が集まります。

 「魚市場」に水揚げされる「魚」は、「カニ類」から「マグロ」まで多種多様ですが、「イワシ」・「サバ」・「サンマ」・「カツオ」・「マグロ」などが中心で、主に「首都圏」へ出荷される他、地元で「缶詰」や「干物」などの「水産加工物」に加工されます。

 「銚子港」の「歴史」は、1654年(承応3年)に「利根川」が「東」へ流れを変えられてから始まります。
 「東廻り海運」として「東北地方」から出港した「お蔵米船」や物資が「銚子」へ入港した後、「高瀬船」に積み替えて、「利根川」と「江戸川」を使い「江戸」へ運ぶ輸送方法の確立により、「銚子湊」は「江戸」と「東北地方」をつなぐ「ターミナル都市(港)」として位置付けられるようになったそうです。

 明治時代に入り、「東廻り海運」が衰退すると「銚子の湊(みなと)」は「商港」から「漁港」へと転換していきました。

 しかし「銚子漁港」は、嘗(かつ)て「日本」の「三大海難所」のひとつに数えられていました。

 「利根川」の河口付近に「千人塚」(銚子市川口町)というところがありますが、1616年(慶長19年)10月25日「銚子沖」に吹いた「突風」によって亡くなった千人以上の「漁民」を葬った場所といわれています。

 昔の「利根川」河口付近は「川幅」が狭く、「川底」には大きな「岩」があり、その上「水深」が浅く、「干潮時」と「満潮時」の「潮の流れ」は急で、一年中「風」が強く吹き「波」が荒い場所であったそうです。

 1910年(明治43年)3月12日にも、「漁船」80隻、「漁民」千人以上が遭難しました。
 当時の「船頭歌」でも「阿波の鳴門か 銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」 などと諷されていました。

 何度も「遭難」が繰り返される中、「銚子の町民」や「漁民」らの間から「河口」を広げ「水深」を深くし、「安心・安全な漁港」を造って欲しいという「要望」が上がったそうです。

 しかし「銚子漁港」は、大正時代になっても「港」の形態は昔のままで、わずかに「防波用の施設」や「桟橋(さんばし)」がある程度でした。

 「銚子港」を本格的、また近代的に改造する工事が始まったのが、1925年(大正14年)開始の「千葉県営事業」として行われた「銚子漁港修築工事」いわゆる「銚子築港(ちょうしちっこう)」です。

 当初の計画では、現在の「銚子港」に近い「外港(がいこう)」と「運河」を持つ「港」にするもので、「銚子漁港」の規模は、「外港・中港・内港」を有する「壮大な構想」であったそうです。

 「構想」では、「外港」はいずれも1000m前後の「防波堤」を「外洋」に突き出して「港域」を形成し、その内部にさらに「防波堤」を出して「内港」を形成するようになっており、「中港」と「内港」は「陸地」を掘削した「人工の航路」つまり「運河」で結ぶようになっています。

 そして「内港」は「第一漁船渠(ぎょせんきょ)」(「第二市場」・銚子市川口町)と「第二漁船渠」(「第一市場」・銚子市新生町)に分けられるというものでありました。

 ですが「港湾工事」の「技術・工法・機材等」が格段に進歩した時代と違って、人力がまだ相当の比重を占めていたこの時代に、これだけの工事を構想したことは、壮大でありすぎたようです。

 このような「銚子漁港」の工事にたどり着くまでには、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)や「今井武彦」、「小野田周斎」の尽力が多大であったようです。

 しかし、「技術的な問題」や「工事費の問題」が発生。
 特に「工事費」については、「国」と「銚子港」を利用すると思われる「関係府県」(東京府・神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・宮城県・福島県・茨城県・千葉県)で負担する方向で進んでいましたが、関係府県のうち半分が拒否した為、結果的には半額の「国庫補助」を受けて「千葉県」単独で建設することになりました。

 ところが今度は、「利根川」河口に「堤防」の「建設」や「埋め立て」を行うことは「治水」上、重大な影響があるとして、「国」から「工事認可」が下りないという問題が出て、計画は頓挫寸前までなってしまったそうです。

 ここで危機感を持った「銚子」は「地元選出議員」の「濱口吉兵衛」や「香取郡」選出の「今井健彦」を動かし、「関係各省庁」へ働きかけたそうです。

 その結果、1925年(大正14年)8月、ようやく「国」から工事認可が下り、同年11月21日に「起工式」が行われました。
 ただ「認可申請」した「設計」通りでは無く、「第二漁船渠」(第一市場)の「護岸・埋め立て・浚渫(しゅんせつ)」だけであったそうです。

 しかし「銚子漁港」はその後、「第三次」(昭和38年〜44年)、「第四次」(昭和45年〜47年)、「第五次」(昭和48年〜51年)、「第六次」(昭和52年〜56年)、「第七次」(昭和57年〜62年)、「第八次」(昭和63年〜平成5年)、「第九次整備計画」(平成6年〜13年度)の実施により、念願であった「運河」の建設や「外港」の建設、「堤防」や「港湾道路」及び「港湾施設」の設置、「黒生地区」の埋め立て、「漁港」内の「浚渫」などが行われたことで今の「日本」を代表する「漁港」になりました。

 現在は、「広域漁港整備計画」(平成14年〜23年度)の実施により、「大消費地」である「首都圏」を控えた「水揚げ拠点港」として「水産物」を安定供給する「総合漁業基地」の確立を目指して、更なる「整備」が進められています。

 尚「銚子漁港」は、1951年(昭和26年)7月10日に、「漁港」の「利用範囲」が全国的なものを表す「第三種漁港」に指定され、次いで1960年(昭和35年)3月21日に、「第三種漁港」の中で、「水産業」の「振興」上、特に重要な「漁港」を現す「特定第三種漁港」に指定されたそうです。

 備考
 「銚子漁港」には1944年10月1日に「日本国有鉄道」(国鉄)「総武本線」の「貨物駅」であった「新生駅」からの「引き込み線」が開通しました。
 引き込まれた「専用線」は、「銚子漁港」で水揚げされた「魚介類」を「東京都民」に提供するために、戦時中に建設されたものだそうです。
 後に「専用線」は「トラック輸送」への転換が進み、廃止となり、現在「中央市場前」まで延びていた「構内」の「線路の跡地」は「駐車場」として利用されています。













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| 地域情報::銚子 | 10:19 AM |
「濱口吉兵衛」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」の「偉人」「濱口吉兵衛」です。

 「濱口吉兵衛」は、「ヒゲタ」を「ヤマサ印」、「亀甲萬印」と共に「醤油界」における「ブランド」としての地位を確立、明治後期「中央財界」で活躍し、「矢野恒太」とともに「第一生命」を興した「人物」として知られています。
 「銚子醤油」(現「ヒゲタ醤油」)・「千葉県水産社長」、「濱口理事」、「武総銀行取締役」、「第一相互貯蓄銀行」・「東京護謨工業」・「第一生命」・「豊国銀行」・「利根織物監査役」等歴任されました。

 「濱口吉兵衛」は、1868年(慶応4年)7月「紀州広村」(現在の「和歌山県有田郡広川町」)に生まれます。
 8代目「濱口吉右衛門」(熊岳(ゆうがく))の「第四子」で「名」は「茂之助」。
 「東京帝国大学」卒業。
 卒業後、兄の「9代目濱口吉右衛門」が、「政界・経済界」で活躍して多忙であった為、しばらくの間、兄を助けて「家業」に携わりました。

 1892年(明治25年)、「濱口儀兵衛」(悟洞)と一緒に「海外視察」したが、その際に「儀兵衛」から「醤油醸造」について様々なことの「教え」を受けることが出来たそうです。

 1901年(明治34年)「武総銀行」を設立して「取締役」となり、翌年から3年間は「第一生命保険相互会社」の「監査役」も務めました。

 1904年(明治37年)に、兄の「濱口吉右衛門」家から分家し、初代「濱口吉兵衛」を名乗りました。

 1906年(明治39年)、「田中玄蕃」の「出蔵(でぐら)」が売りに出た時、「儀兵衛」の勧めで買い取ったそうです。
 この時、「儀兵衛」が以前に廃業した「醸造元」から譲り受けていた「ジガミサ」という「商標」を譲渡されました。

 1907年(明治40年)、「豊国銀行」設立に参加して「監査役」になる他、「東京護謨工業」や「第一相互貯蓄銀行」の「監査役」などを歴任しました。

 1913年(大正2年)、「銚子遊覧鉄道株式会社」(「銚子電気鉄道」の前身)及び「銚子ガス株式会社」の「社長」に就任。

 1914年(大正3年)に「家業」を、「田中玄蕃」や「深井吉兵衛」とともに「銚子醤油合資会社」(「ヒゲタ醤油」の前身)として発展させました。
 そして、4年後に「株式会社化」した時に「初代社長」となりました。

 1920年(大正9年)から「衆議院議員」(二期8年)となった後は、「銚子港」の修築を関係各方面に訴え続けたことで、「国庫補助」による「県営工事」が実現しました。

 「濱口吉兵衛」が「初代社長」を務めた「銚子遊覧鉄道(ちょうしゆうらんてつどう)」は、「観光開発」を目論んで建設され、「銚子駅」から「犬吠埼」を結んでいました。

 「銚子遊覧鉄道」の「沿革」ですが、1891年6月1日に開通した「総武鉄道」の開通と、「漁業」・「醤油醸造業」・「石材業」の繁栄に支えられた「銚子」界隈では、その貨物運搬と「犬吠埼」への「観光客」に応える「交通基盤」の「整備」が求められていましたことに始まりました。

 「総武鉄道」が「延長計画」を1900年5月10日に「外川」までの「延長建設」を認可されましたが、1904年5月12日に「免許」を返納。
 1909年には、当時「木更津」・「野田」等に進められていた「県営軽便鉄道」の流れを受けて、「銚子人車鉄道」が再び「県営鉄道」としての実現を試みましたが「千葉県」の「資金的援助」を得るに至らず断念となってしまいました。

 再び1912年に施行された「軽便鉄道補助法」に着目した当時「富士瓦斯紡績株式会社」の「社長」であった「浜口吉右衛門」や「ヒゲタ醤油」の創業者「田中玄蕃」等が「株主」となって1913年1月15日、「蒸気鉄道」としての「運営」を目指した「資本金」15万円の「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立、同年12月に念願であった「銚子」から「犬吠」間が開通しました。

 「銚子遊覧鉄道」は「蒸気鉄道」として開業しましたが、「経営不振」で「第一世界大戦」のおり、「鉄」が高騰したため「レール」や「機関車」を売却してしまい「廃止」となってしまったそうです。

 また「濱口吉兵衛」は、「銚子漁港」改修にも力を注ぎました。

 その昔、「銚子漁港」周辺は「日本三大海難所」のひとつとして数えられ、当時の「船頭歌」にも「阿波の鳴門か 銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていました。

 特に「利根川」の「河口」付近にある「千人塚」には、1616年(慶長19年)10月25日に「銚子沖」に吹いた「突風」により亡くなった千人以上の「漁民」を葬ったといわれ、また1919年(明治43年)3月12日にも、「漁船」80隻、「漁民」千人以上が遭難したそうです。

 昔の「利根川」「河口」付近は「川幅」が狭く、「川底」には「大きな岩」があり、その上「水深」が浅く、「干潮時」と「満潮時」の「潮の流れ」が急で、一年中「風」が強く吹き「波」が荒い「場所」でありました。

 何度も「遭難」が繰り返される中、「銚子の町民」や「漁民」らの間から「河口」を広げ「水深」を深くし、「安心・安全」な「漁港」を造ってほしいという「要望」が上がり、「銚子醤油株式会社」(現「ヒゲタ醤油」)「社長」の「濱口吉兵衛」を「千葉県水産株式会社」「取締役社長」に抜擢し、「安全な港」に修築できるように、「県」や「国」に訴えて貰うことにしたそうです。

 以後、「県」や「国」が調査し、「川底」の「爆破」をし「水深」を深くする事を試みるものの、返って「流れ」が急になり、やもなく中止、別の案では、「救助砲」(「救助ロープ」を打ち出す「砲台」)を設置するものの、いざ使用してみると、「船」まで届かず全く意味を成さなかったそうです。

 以後、「濱口吉兵衛」は悩み、「漁民」を危険な「状況」から救うため、また「国」へこの実情を訴えるために「国会議員」になる「決意」をしたそうです。

 その後、「国会議員」となった「濱口吉兵衛」は、「千葉県議会議員」であった「小野田周斎」と共に「銚子漁港」改修に全力を注ぎ、「銚子港修築案」がついに「国会」を通過、「国」から援助を得ることが決まったそうです。

 1925年(大正14年)12月「修築工事」が始められ、1932年(昭和7年)11月に竣工しました。

 1937年(昭和12年)「濱口吉兵衛」の「功績」を讃え、「新生河岸公園」に「銅像」が建立されましたが、1943年(昭和18年)、戦時供出されました。
 その後、1955年(昭和30年)「濱口吉兵衛」の「銅像」は再建されました。

 「濱口吉兵衛」の「銅像」は、今も「銚子漁港」の方を向き、「銚子市」の発展を見守っています。

 備考
 「濱口吉兵衛」の兄「濱口吉右衛門(9代)」(容所)は、「慶應義塾」を出て、「醤油醸造販売業」、「植林事業」を営んでおりました。
 のちに「衆議院議員」となり「財政整理国本培養論」を建策して重視されました。
 「濱口吉右衛門」は「鐘淵紡績」重役、「富士瓦斯紡績」・「九州水力電気」・「高砂製糖」社長、「豊国銀行」頭取、「朝鮮銀行」幹事、「濱口」代表社員、「猪苗代水力電気」取締役等を歴任しています。











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| 地域情報::銚子 | 09:56 AM |
「湾岸幕張パーキングエリア」(銚子までのお楽しみ)
 本日ご紹介するのは、「東京」また「千葉県東葛地区」方面から当地「犬吠埼」までの道中、高速道路「東関東自動車道」上り下りの「千葉市美浜区」にあるPA「湾岸幕張パーキングエリア」です。

 「湾岸幕張パーキングエリア」は、「東関東自動車道」「習志野本線料金所」の「宮野木本線料金所」にあります。
 「下り線」のPAを利用する際には、「本線料金所」で「左端」ないし「左から2番目」の「ゲート」を通らないと「進入」は難しいです。
 「上り線」はPA「出口」にも「料金所」が設置されており、「本線」渋滞時にはPA内の「料金所」に向かおうとする「車」が続出するので注意を要します。
 「上り線」のPAからは「京葉線」の「京葉車両センター」が一望できるそうです。

 「湾岸幕張パーキングエリア」の供用開始日は1982年4月27日で、「東関東自動車道」「習志野TB」から0.3km、「湾岸千葉IC」から2.9kmの位置にあります。

 「湾岸幕張パーキングエリア」「上り線」(市川方面)の「施設概要」ですが、「駐車場」「大型」43台、「小型」64台、「車椅子用」1台、「トイレ」「男性」大10・小18、「女性」28、「車椅子用」1となっています。
 「施設内容」ですが、「スナックコーナー」(5時00分〜23時00分)、「ショッビングコーナー」(5時00分〜23時00分)、「自動販売機コーナー」、「ハイウェイ情報ターミナル」となっています。

 「下り線」(潮来方面)の「施設概要」ですが、「駐車場」「大型」47台、「小型」72台、「車椅子用」1台があります。
 「トイレ」は「男性」大10・小18、「女性」28、「車椅子用」1となっています。
 「施設内容」ですが、「スナックコーナー」(5時00分〜23時00分)、「ショッビングコーナー」(5時00分〜23時00分)、「テイクアウトコーナー」(10時00分〜20時00分)、「STARBUCKS COFFEE(スターバックスコーヒー)」(7時00分〜22時00分)、「宝くじ・toto売り場」(8時00分〜17時00分)、「自動販売機コーナー」、「ハイウェイ情報ターミナル」となっています。

 「湾岸幕張パーキングエリア」の「上り線」の次のPAは、「湾岸市川・銀座・横浜方面」「市川PA」(首都高速道路 湾岸線)で、「下り線」の次のPA・SAは「千葉北・成田空港・潮来方面」は「酒々井PA」(2011年12月25日のブログ参照)、「東金・山武成東・横芝光方面」は「野呂PA」(東金有料道路)、「市原・君津・富浦方面」は「市原SA」(館山自動車道)となっています。

 「湾岸幕張パーキングエリア」の「おすすめ」ですが、「上り線」は、「ぴーなっつ最中」だそうです。
 「ぴーなっつ最中」は「成田山表参道」に「暖簾(のれん)」をかまえる「老舗和菓子屋」「なごみの米屋」(2011年1月25日のブログ参照)の人気「お菓子」です。
 「ぴーなっつ最中」の「パッケージ」に描かれている「ぴーちゃん」の中に時々「クローバー」を握りしめた「ハッピーぴーちゃん」が隠れているそうです。
 「下り線」の「おすすめ」は、「mamourS」(株式会社アイアールエフ)で、手軽でスタイリッシュな「東京土産」「資生堂パーラー」プロデュースです。
 女性のお客様中心に大人気な「逸品」なのだそうです。

 新春の「犬吠路」の際のお立ち寄りスポット「湾岸幕張パーキングエリア」。
 お出かけの際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

 備考
 「湾岸幕張パーキングエリア」の「下り線」の「STARBUCKS COFFEE(スターバックスコーヒー)」には、「テラス席」もあります。













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| 地域情報::銚子 | 09:53 AM |
「第8回門前・軽トラ市」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子銀座通り(ココロード銚子)」で明明後日(しあさって)の1月22日(日)で開催されます「第8回門前・軽トラ市」です。

 昨年(2011年)6月5日(日)から始まりました「門前・軽トラ市」(2011年6月3日のブログ参照)。
 「門前・軽トラ市」は、「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)の門前に広がる「銚子銀座通り(ココロード銚子)」(2011年10月1日のブログ参照)を「歩行者天国」にして、「軽トラ」で「銚子」を元気にする目的で定期的(月いち)に開催されています。

 今回「8回目」を迎える「門前・軽トラ市」では、これまでと同様に、「地元野菜」、「工芸品」や「お総菜」など満載の「軽トラ」で「銚子銀座通り(ココロード銚子)」が埋め尽くされます。

 「第8回門前・軽トラ市」では、「お正月」ならではの「餅つき大会」を実施。
 「餅つき」で使用する「お米」は「千葉県」の「新品種」で「餅」にすると「のび」が良く、「こし・ねばり」がある「ふさのもち」(萬歳米)を使用。
 「大人用」「子供用」の「杵(きね)」と「臼(うす)」を用意するそうです。
 「つきたてのお餅」は「お汁粉」に入れて100円で販売するそうです。
 ちなみに「餅つき」は11時と11時45分頃の2回行うそうです。
 また、となりまち「旭市」の「萬歳米」の美味しい「お雑煮」などが出店されるそうです。

 盛り沢山のイベント「第8回門前・軽トラ市」の開かれる「銚子市」に訪れてみませんか?

 「第8回門前・軽トラ市」詳細

 開催日時 1月22日(日) 10時〜15時

 問合わせ 銚子銀座商店街振興組合 0479-25-1666

 備考
 「第8回門前・軽トラ市」では「銚子民謡保存会」・「銚子紫友会」の「お囃子」も登場。
 また、「福島県」「浪江町」の「伝統工芸品」「大堀相馬焼」の「湯呑」、「マグ」などを「吉川陶器店」店頭にて当日販売。
 これらは3月11日の「地震」から生き残った少数の「品」だそうで、安全性は確認済の「商品」だそうです。

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| 地域情報::銚子 | 09:50 AM |

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