本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」の偉人「小野田周斎」です。
「小野田周斎」は、「銚子病院」「院長」、「千葉県会議員」を歴任し、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)・「今井健彦」とともに「銚子港」改修(1月24日のブログ参照)に尽力した「人物」です。
また「銚子遊覧鉄道」の廃止をうけて、大正11年(1922年)に開業した「銚子鉄道」(開通は大正12年)の「初代社長」に就任。
現在の「銚子電鉄」の前身である「銚子鉄道」に「力」を尽くしたことで知られています。
「小野田周斎」は、1865年(慶応元年)1月に「紀州宮原村」(現在の「和歌山県有田市」)に生まれました。
若くして「御前(みさき)家」に入り、「千葉県立医学校」で学び、1891年(明治24年)に創設された「私立銚子病院」に招かれて「院長」に着任したそうです。
「小野田周斎」は、1898年(明治31年)に「小野田耕斎」の「養子」となります。
1904年(明治37年)、「日露戦争」に「赤十字社医員」として「従軍」。
その前年の1904年(明治36年)に「海上郡会議員」に当選、続いて1909年(明治42年)に「千葉県会議員」に当選し、以来「四期15年」にわたり、「地方行政」の「振興発展」に尽力されました。
その当時に「地元有志」間で「銚子漁港」修築の「議論」が起こると、「衆議院議員」(当時)「濱口吉兵衛」を助けて東奔西走(とうほんせいそう)した結果、1925年(大正14年)に「千葉県営事業」としての「工事」が実現となったそうです。
「小野田周斎」は、「海上郡医師会長」、「海上郡会議長」、「千葉県会正副議長」等を歴任し、「地方開発」に大きく貢献されました。
また、1917年(大正6年)11月3日に「営業廃止」となった「銚子遊覧鉄道」を、1921年(大正10年)10月13日に「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、1923年(大正12年)7月5日に開通しました。
開通した「銚子鉄道株式会社」の「初代社長」に「小野田周斎」が就任したそうです。
「銚子鉄道」の「沿革」ですが、「銚子」から「犬吠埼」、「外川」方面まで至る「鉄道」の敷設は「総武鉄道株式会社」(総武本線を敷設した会社)が、「外川」まで路線を延長したもので、1901年(明治34年)5月1日に「免許」を取得しましたが、「利用者」の増加が見込めないなどの理由(用地買収に失敗し、予定路線の土地が値上がりした為という報道もあったそうです)で「敷設」を断念しました。
その後、「濱口吉兵衛」や「13代目田中玄蕃」、「小野田周斎」など「銚子」の「有力者」の間で「鉄道敷設」の議論が起こり、1909年(明治42年)12月9日に「銚子人車鉄道」の計画を「政府」に申請したそうです。
計画によれば、「銚子駅」から「外川」までの「本線」と、途中で「犬吠埼灯台」までの「支線」を「敷設」するものでしたが、結局は実現しませんでした。
ちなみに「人車鉄道」とは、「線路」上の「小型」の「車輌」を「人間」が押して走らせる「トロッコ」なのだそうです。
1912年(明治45年)になって「銚子人車鉄道」の「発起人たち」は、改めて「銚子」から「外川」間に「蒸気鉄道」の「敷設」を申請、1913年(大正2年)1月15日に「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立、同年12月28日に「銚子」〜「犬吠」間が開業し、途中に「仲ノ町」、「観音」、「本銚子(もとちょうし)」、「海鹿島(あしかじま)」の「駅」を設置しました。
しかし「銚子遊覧鉄道」は経営不振であったため、4年後の1917年(大正6年)に廃止となったそうです。
1921年(大正10年)10月13日、旧「銚子遊覧鉄道」の「発起人」などによって、「銚子鉄道」の「敷設願」を「鉄道省」に提出、1922年(大正11年)6月20日に「免許」取得し、同年9月29日に「銚子鉄道株式会社」を設立し、「路線」も「外川」まで延伸され、1923年(大正12年)7月5日に開通したそうです。
こうして開業した「銚子鉄道株式会社」の「初代社長」が「小野田周斎」であったそうです。
また「小野田周斎」は、「濱口吉兵衛」(1月23日のブログ参照)「今井健彦」とともに「銚子漁港」改修に尽力された人物でもあります。
幾多の「困難」があり、難航を極めた「銚子漁港」改修は頓挫寸前になりながらも、「濱口吉兵衛」らと共に「関係各省庁」へ働きかけた結果、工事認可が下り着工、40数年かかり「日本有数」の「漁港」となりました。
「小野田周斎」は、その功績を讃えられ、「新生浜公園」の一角に「頌徳碑」が建立されています。
現在の「銚子漁港」「銚子電鉄」の為に尽力された「小野田周斎」は、「濱口吉兵衛」とともに、今も「銚子市」を見守っています。
備考
「小野田周斎頌徳碑」と「濱口吉兵衛像」のある「新生浜公園」には、「永照稲荷神社」や「水神宮」が鎮座しています。
「永照稲荷神社」は、寛永12年(1635年)に「豊後」の「佐伯」氏が「銚子浦」「利根川」沿いに祀ったことに始まります。
亨保19年(1734年)に「者殿」遷座、昭和46年に「現在地」に遷座し「永照稲荷大明神」と改称しました。
「新生浜公園」では、「鎮座地」に南面して、「永照稲荷」が鎮座し、その隣に北面して「水神宮」が鎮座しています。
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地域情報::銚子 | 08:30 AM |