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「平成25年度銚子市成人式」(銚子市)
 本日二つ目にご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で1月12日(日)に開催されます「平成25年度銚子市成人式」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併し、発展してきました。

 「銚子市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」に位置し、「全国屈指」の「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)の「まち」でもあり、「市」の「北部」には「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れており、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
 「銚子市」は、「首都」「東京」から100km圏内、上記のように「関東平野」の「最東端」に位置し、「北」は「利根川」、「東」と「南」は「太平洋」に面しています。
 「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年12月20日・12月8日・12月6日のブログ参照)と「漁業」で発展し、「農業」は「露地野菜」を中心に発展した「観光都市」です。

 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市」で最も高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は「北総台地」「最高峰」となっています。
 「銚子市」では、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、「比較的」「農業」に適しています。

 「銚子市」は、「周囲」が「海」、「川」に囲まれているため「海洋性気候」となっており、「湿度」は高めであり、「気温」は「年間平均気温」が約15℃で「夏」涼しく「冬」暖かい「気温」となっています。
 「銚子市」の「夏場」は、「関東平野部」の「都市」では珍しく「日中」でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったになく、「熱帯夜」になることもあまりありません。
 一方、「冬場」は「南九州」並みに「温暖」で「気温」が「氷点下」になることはほとんどなく、「雪」が降ることは非常に珍しいそうです。
 また「銚子市」では、「トマト」、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月5日のブログ参照)、「スイカ」、「イチゴ」(2011年1月18日のブログ参照)など「海洋性気候」に適した「野菜」や「果物」が栽培されています。
 また「銚子市」は、「年間」を通して「比較的」「風」が強く、「風力発電所」の「風車」が34基稼働しています。

 「銚子市青少年文化会館」は、「市民会館」、「児童文化センター」・「都市青年の家」からなる「施設」で、それぞれの「機能」を活かしながら「総合的」に運営しています。
 また「銚子市青少年文化会館」は、「自主文化事業」を通して「芸術文化」に親しめる「機会」を提供することにより、「地域文化」の「向上」を図っています。
 「銚子市青少年文化会館」は、「市民」の「憩いの場」、「交流の場」として多くの方に利用されています。

 「銚子市青少年文化会館」の「施設内容」ですが、「市民会館施設」として「大ホール」、「楽屋」等、「児童施設」として「中ホール」、「小ホール」、「展示室」、「工作室」、「プラネタリウム室」等、「青年施設」として「会議室」、「和室」、「学習室」、「視聴覚ライブラリー室」等となっています。

 「成人式」とは、「日本」の「地方公共団体」などが、「成人式」を行う「年度内」(多くは「成人の日」付近)に「成人」に達する「人々」を招き、「激励」・「祝福」する「行事」(イベント)、「講演会」や「パーティー」を開いたり、「記念品」を贈ったりするそうです。

 「成人式」の「由来」ですが、「成人」を祝う「儀礼」は古くからあり、「男子」には「元服」・「褌祝」、「女子」には「裳着」・「結髪」などがあり、「文化人類学」や「民族学」では、こうしたものを「通過儀礼」(イニシエーション)のひとつとして扱います。
 「日本」における「今日」の「形態」の「成人式」は、「終戦」間もない1946年(昭和21年)11月22日、「埼玉県」「北足立郡」「蕨町」(元・蕨市)において実施された「青年祭」が「ルーツ」となっています。
 「敗戦」により「虚脱」の「状態」にあった当時、「次代」を担う「青年達」に明るい「希望」を持たせ励ますため、当時の「埼玉県蕨町青年団長」「高橋庄次郎」氏が「主唱者」となり「青年祭」を企画、「会場」となった「蕨第一国民学校」(現・蕨市立蕨北小学校)の「校庭」に「テント」を張り、「青年祭」の「プログラム」として行われました。
 この「青年祭」「成年式」が「全国」に広まり、現在の「成人式」となりました。
 「蕨市」では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年(昭和54年)の「成人の日」には「市制施行20周年」、「成人の日制定30周年」を記念して「蕨市内」の「蕨城址公園」に「成年式発祥の地」の「記念碑」が「蕨市」によって建立されました。

 「蕨市」の「青年祭」に「影響」を受けた「国」は、1948年(昭和23年)に「公布」・「施行」された「祝日法」により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の「趣旨」のもと、「翌年」(1949年)から1月15日を「成人の日」として制定し、それ以降、ほとんどの「地方」で「成人式」は「この日」に行われるようになったそうです。
 その後、1998年(平成10年)の「祝日法改正」(通称・ハッピーマンデー法)に伴って、2000年(平成12年)より「成人の日」は「1月第2月曜日」へ移動しています。

 「新成人」の「定義」、「成人式」の「参加対象」となる「成人」は、「前年」の「成人の日」の「翌日」から「その年」の「成人の日」までに「誕生日」を迎える「人」を「祝う日」となっています。
 しかし、最近(特にハッピーマンデー制度導入以降)は「前年」の「4月2日」から「その年」の「4月1日」に「成人」する「人」を「式典参加」の「対象」にする、いわゆる「学齢方式」が定着するようになっています。
 「年齢方式」の場合、「誕生日」の遅い「早生まれ」の「人」が「他」の「参加者」が殆ど「見ず知らず」の「人」になってしまったり、「ハッピーマンデー制度」により「その年」の「成人の日」は「19歳」で「翌年」の「成人の日」は「21歳」という「ケース」がある(1987年1月9日〜13日生まれの場合など)ためとも言われています。

 「他」に「北海道」「札幌市」と「広島県」「広島市」では、この「1年間」に「20歳」の「誕生日」を迎える「人」を「成人式」「参加」の「対象者」とする「暦年方式」が用いられていたそうです。
 しかし、「大学受験」で「1浪」しただけで「式典参加」が「困難」になる場合が多いうえ、「前年」に「他市町村」で「成人式」の「対象」とならなかった「人」が「翌年」、「進学」や「転勤」で転入した場合、2年続けて参加できなくなるなど「若者」の「不評」が多かったことから、「両市」とも2000年以降は「学齢方式」に変更されています。
 1960年代までは、「新成人」は半数以上が既に「社会」に出ている「勤労青少年」でしたが、1970年代以降、「大学・専門学校進学者」(率)の「増加」や「中卒・高卒就職者」の「減少」から、「新成人全体」に占める「在学者」の「割合」も「年々」増加しており、現在に至っているそうです。

 「平成25年度銚子市成人式」は、「成人の日」の「前日」の1月12日(日)10時から「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で開催される「催し」です。
 今年(2014年)の「成人式」「該当者」ですが、平成5年(1993年)4月2日から平成6年(1994年)4月1日までに生まれた「人」で、「銚子市」に「住民登録」がある「人」が649人(男・349人/女・300人)、「市外」に在住していますが「故郷」・「銚子」で「成人式」を迎える「人」90人(男・45人/45人)で、「合計」739人の「出席」が見込まれているそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」では、10時から15分間は「小・中学校時代」の「卒業アルバム」から収録した「音と映像によるスイートメモリーズ」を上映し、「幼さ」を残した「小・中学生時代」の「写真」などが写し出されるそうです。
 その後「平成25年度銚子市成人式」では、10時20分から「式典開始」となり、「鈴木猛志」「銚子市教育委員長」の「開会の言葉」、「国家斉唱」につづいて「オペラ歌手」・「越智まりこ」さん「リード」により「銚子市歌」が斉唱されます。
 「平成25年度銚子市成人式」では、「式辞」を「越川信一」「市長」、「激励の言葉」を「石毛之行」「千葉県議会議員」、「信田光保」「千葉県議会議員」、「根本茂」「銚子市議会議長」が述べ、「若者たち」を祝福するそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」の「成人の抱負」を発表するのは「旧・第四中学校」「代表」の「大内秀恭」さんと「旧・第八中学校」「代表」の「鈴木春菜」さんの「二人」が行い、「今」まで歩んできた「道」、そして支えてくれた「家族」や「友人たち」への「感謝」、「将来」の「抱負」を述べるそうです。
 「平成25年度銚子市成人式」の「フィナーレ」は「ちょうし少年少女合唱団」による「歌」「君をのせて」を歌い、「閉式の言葉」は「銚子市社会教育委員」の「岩瀬益子」「委員長」が述べるそうです。
 ちなみに今年の「成人たち」に贈られる「記念品」は今までと「趣向」を変え、「千葉県指定伝統工芸品・萬祝染コースター」となっているそうです。

 「銚子市青少年文化会館」で開催される「恒例行事」「平成25年度銚子市成人式」。
 「新成人」の「多幸」を祈念しています。

 「平成25年度銚子市成人式」詳細

 開催日時 1月12日(日) 10時〜

 「平成25年度銚子市成人式」「スケジュール」

 10時00分 音と映像によるスイートメモリーズ

 10時20分 式典

 11時00分 終了予定

 開催会場 銚子市青少年文化会館大ホール 銚子市前宿町1046

 問合わせ 銚子市生涯学習課社会教育班 0479-24-8739

 備考
 となりまち「神栖市」も「成人の日」の「前日」1月12日(日)に「神栖市文化センター」「大ホール」にて「平成25年度神栖市成人式」が開催されます。
 ちなみに「神栖市」で「新成人」(対象・平成5年4月2日から平成6年4月1日に生まれた人で市内在住(住民登録あり)または「実家」が「市内」の「方」)となる「人数」ですが、 1009人だそうです。

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| 地域情報::銚子 | 05:46 PM |
「小高のはだか参り」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「妙長寺」から「八坂神社」で1月12日(日)に開催されます「小高のはだか参り」です。

 「匝瑳市(そうさし)」は、「千葉県」「北東部」の「市」で、2006年(平成18年)1月23日に「八日市場市」と「匝瑳郡」「野栄町」が合併して誕生し、発足時の「人口」は約4万2000人だったそうです。
 (現在の「匝瑳市」の「人口」は39235人です。(平成25年12月31日現在))
 「匝瑳市」の「市名」の「由来」は「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことだそうで、「匝瑳市」は、「竹内正浩」さんの「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」として紹介されています。
 「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「小高のはだか参り」は、毎年「成人の日」の「前日」、午後10時(22時)〜11時(23時)頃に行われる「恒例」の「真冬」の「水ごり行事」です。
 「小高のはだか参り」には、「妙長寺」の「門前」に集まった「下帯」1本の「若者たち」が「辻」で「水垢離(みずごり)」をし、「身」を清めた後、「駆け足」で約500m離れた「八坂神社」まで行き、「無病息災」・「家内安全」・「五穀豊穣」を祈願するそうです。
 「小高のはだか参り」では、「帰り」は「手」を取り合い、「ヒーヒーガンガン」と面白い「かけ声」をあげながら戻ってきて、最後は「お供え餅」も奪い合って終わるそうです。

 「小高のはだか参り」の「参加者」は40人前後と「規模」は小さな「祭り」ですが、「奇祭」として「遠方」からの「見物客」も「年々」増えているそうです。
 「小高のはだか参り」の「見どころ」のひとつ「水垢離」では、汲み置かれた「水」を「手桶」で勢いよく浴びる「場面」です。
 「水垢離」の「場面」ですが、凍(い)てつく「寒さ」の中での「水垢離」の際、「体」から「湯気」が湧き出て、その「勇壮さ」に見ている者も興奮してしまうそうです。

 「小高のはだか参り」の「始まり」は、今から300年前、あるいは500年前から行われてきたといわれていますが、詳しい「資料」が残っていないため、どのようにして行われてきたのかは定かではありませんが、「小高のはだか参り」でお参りされる「八坂神社」は「男性器」を模った「棒」が祀られている「子宝の神様」でもあり、「小高のはだか参り」が「成人の日」の「前夜」に行われていることからも、「子孫繁栄」を願って始められたのではないかといわれています。
 (「小高のはだか参り」は、江戸時代後期に「日蓮宗」の「僧侶」の間で行われていた「水垢離」の「行」が「起源」という「説」もあり、以後、「八坂神社」の「子授け信仰」と結びつき今日の「姿」の「お祭り」として定着したともいわれています。)

 「小高のはだか参り」が行われる「匝瑳市」では、「小高のはだか参り」「会場」近くには「駐車場」はないため、

 「近所のご迷惑にならないようご協力ください。」

 と呼びかけています。

 「真冬」の「飯高地区」「小高」の「寺社」「妙長寺」から「八坂神社」で行われる「勇壮」な「祭り」「小高のはだか参り」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小高のはだか参り」詳細

 開催日時 1月12日(日) 22時〜23時頃

 開催会場 妙長寺〜八坂神社
 匝瑳市小高194(妙長寺)
 匝瑳市東谷498(八坂神社)

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「小高のはだか参り」では、「参加希望」の「問い合わせ」が時々あるそうですが、「真冬」の「夜」の「水垢離」はとても寒く、実際の「参加者」は、「小高のはだか参り」を終えると「地元・近所」の「家」の「お風呂」を借りているため、「一般人」の「参加」は事実上「無理」があるようです。
 また「小高のはだか参り」の「会場」「妙長寺」、「八坂神社」には「トイレ」がありませんのでご注意下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1959 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:45 AM |
「新年献詠祭被講式」(香取市)
 本日二つ目にご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月14日(火)に開催されます「新年献詠祭被講式」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」にある「神宮」で、「式内社」(名神大社)であり、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」が祀られています。
 「香取神宮」は上記のように「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「御称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 また江戸時代から「人気」であった「東国三社参り」(2010年10月23日のブログ参照)は、「お伊勢参りのみそぎの三社参り」として篤い「信仰」を集めています。
 ちなみに「東国三社」とは、「香取市」の「香取神宮」、「茨城県」「鹿嶋市」の「鹿島神宮」、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)の「三社」のことです。

 「下総国一宮」「香取神宮」は、「四季折々」の「風情」で迎えてくれる「荘厳」な「香取の森」の中に鎮座しています。
 「香取神宮」の約37000坪の「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 「香取神宮」「境内」の「神社」ですが、「奥宮」、「鹿島新宮」、「又身神社」、「桜大刀自神社」、「匝瑳神社」、「向栄神社」ほか「九社」が祀られています。
 「香取神宮」では、弘仁3年(812年)以降、20年ごとに「式年遷宮」が定められていましたが、元禄13年(1700年)に「香取神宮」「本殿」が建立されてからは、「遷宮」は行われなくなったそうです。
 また「香取神宮」では、12年に一度、「香取神宮式年神幸祭」が「午年(うまどし)」に行われており、「午年」である本年(2014年)の4月15日(火)・16日(水)の「二日間」「盛大」に執り行われます。

 「献詠(けんえい)」とは、「宮中」や「神社」などに、「自作」の「詩歌(しいか)」をたてまつる(献上する)こと、また、その「詩歌」のことです。
 「住吉大社」では「新年献詠祭」、「松苗神事」、「観月祭」と「年三回」にわたって「献詠祭」が行われており、これらすべて「一般の方」からも「歌」を募集しているそうです。

 「新年献詠祭被講式」は、「香取神宮」「新春」の「恒例」の「祭事」で、「新年」「最初」(始め)に「香取神宮」「御神前」に「短歌」を奉納する「神事」です。
 「新年献詠祭被講式」では、「香取神宮献詠会員」より献ぜられた「短歌」を、「古来」から伝わる「独特」の「節(ふし)」を付けて「短歌」を歌い、「香取神宮」「御神前」に奉納するそうです。
 「新年献詠祭被講式」の「見学」ですが、「香取神宮」「社殿」の「外」からとなるそうです。

 「由緒」ある「香取の森」に鎮座する「香取神宮」で行われる「新春恒例」の「歌会始」「神事」「新年献詠祭被講式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新年献詠祭被講式」詳細

 開催日時 1月14日(火) 10時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「新年献詠祭被講式」は、上記のように「香取神宮」の「神様」に「短歌」を献上する「祭事」ですが、「宮内庁」の「歌会始」に倣(なら)い、催行されるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1974 |
| 地域情報::香取 | 06:37 PM |
「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」で1月12日(日)に開催され「8区間」22.9kmを駆け抜ける「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「岬」あり、「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 また「銚子市」は、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「歴史」と「伝統」を実感できる「醤油工場」(2010年12月20日・12月8日・12月6日のブログ参照)、さらには、これらの「産業基盤」から産出される「豊富」で「新鮮」な「食材」や「特産品」を備えるなど、多くの「地域資源」に恵まれた「魅力」あふれる「まち」です。

 「銚子市」の「位置」・「地勢」ですが、「首都」「東京」から100km、「東経140度50分」、「北緯35度44分」、「関東平野」の「最東端」に位置しています。
 「銚子市」は、「北」は「利根川」を隔て「茨城県」の「神栖市」に対し、「東」から「南」は「太平洋」に臨み、「利根川」沿い「北西方面」は「東庄町」(2012年4月15日・4月5日のブログ参照)と、「太平洋側」「南西方面」は「旭市」と接しています。
 「銚子市」の「面積」は83.91平方kmで、「沖」を流れる「暖流」・「寒流」の「影響」を受け、「夏」は涼しく「冬」は暖かい「気候」となっています。

 「青木半治」氏(2011年1月4日のブログ参照)は、「日本」の「スポーツ指導者」、「日本陸上競技連盟」「第5代会長」で、「日本体育協会」「第11代会長」また「国際陸上競技連盟」と「アジア陸上競技連盟」でも「役員」を歴任し、「副会長」を務め、後に「終身名誉副会長」を務められました。

 「青木半治」氏は、「千葉県」「長生郡」「太東村」(現「いすみ市」)出身で、「旧制銚子商業学校」(現在の「千葉県立銚子商業高等学校」)卒業、1938年(昭和13年)に「早稲田大学」「商学部」を卒業されました。
 その後「青木半治」氏は、「日立製作所」に入社し、同年「日本陸上競技選手権大会」の「砲丸投げ競技」で「優勝」、その後は、「三徳工業」、「昭和電工」を経て、1945年(昭和20年)に独立し、1946年(昭和21年)「青木金属工業株式会社」を設立、「会社経営」の傍(かたわ)ら、「母校」の「早稲田大学」「陸上部監督」を務められました。
 また「青木半治」氏は、「早稲田大学」「陸上部監督」を務めた際の「部員」に、元「衆議院」「議長」の「河野洋平」氏が入部されていたそうです。

 その後「青木半治」氏は、1959年(昭和34年)に「日本陸上競技連盟」の「常務理事」、1961年(昭和36年)に「理事長」に就任、同年に「日本体育協会」「評議員」及び「理事」に就任されました。
 その後「青木半治」氏は、上記のように「日本陸上競技連盟」、「日本体育協会」、「国際陸上競技連盟」、「アジア陸上競技連盟」でも活躍され、「陸上競技」の「発展」に寄与されました。
 「青木半治」氏は、数多くの「功績」を残し、2010年(平成22年)5月30日、「急性心不全」のため「東京都内」の「病院」で94歳で死去されました。

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「陸上競技会」を率先されてきた「青木半治」氏の「名前」を冠し、今年(2014年)で「65回目」を数える「歴史」ある「銚子市」の「新春」を彩る「駅伝大会」で、「銚子市内」や「観光名所」を駆け抜ける「一大スポーツイベント」です。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「大会」の「主旨」ですが、「体育」・「スポーツ」の「普及」及び「中学生」相互の「親睦」を図り、「スポーツ」を通して「心身」の「健全」な「育成」と「社会体育」の「振興」を推進するために開催されています。

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「大会」の「歴史」ですが、「終戦後」の「混乱期」である1949年(昭和24年)、「青木半治」氏を「筆頭」に、「銚子市内」に集った「陸上競技愛好者」により「協議会」が開かれ、「協議」は

 「戦後の混乱した世相から、スポーツを通じて何事にも全力であたる気構えをつくろう」

 との「意見」で一致したそうです。
 そして翌昭和25年(1950年)、「千葉県立銚子商業高校」「陸上競技部」が「運営」の中心となり、「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「第1回大会」が開催されたそうです。
 「第1回大会」の「参加範囲」は、「銚子市」、「海上郡」、「匝瑳郡」、「香取郡」の「16校」が参加し、「八日市場中学校」が2時間26分19秒の「記録」で「優勝」したそうです。
 以降「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は「回」を重ねる毎に「参加校」も増加し、現在では「80校」を超える「関東近県」では「最大規模」の「駅伝大会」となっています。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「第42回大会」より、当時「日本体育協会」「会長」であった「青木半治」氏より、「本大会」に「カップ」が寄贈され、「青木半治杯」の「名」を冠することとなりました。
 ちなみに「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」ですが、平成7年(1995年)に「日本陸上競技連盟創立70年記念式典」に於いて、「本大会」が高く評価されたそうです。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、例年「問題」となっていた「国道356号線」及び「銚子大橋」(2010年12月17日のブログ参照)付近の「渋滞」を解消するため、「第58大会」から「数回」に及ぶ「コース」の「変更」が行われ、「現在」の「コース」となっています。

 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、「8区間」22.9kmの「起伏」に富んだ「コース」となっています。
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「銚子市街地」から「外川」、「犬吠埼」をめぐって「早春」の「銚子半島」を一周する「総延長」22.9kmの「コース」を、「関東各地」の「中学生」の「皆さん」が駆け抜け、「コース」は8つの「区間」に分けられており、「スタート地点」から「5区」の「地球が丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)までの「高低差」は60m以上に及び、「選手たち」は「タスキ」を繋ぎ、約1時間強で「コース」を走り抜きます。
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の詳しい「コース」ですが、以下の通りとなっています。

 1区 (4.9km) シンボルロード・駅前大通り 河岸公園(2013年8月16日のブログ参照)前〜名洗

 2区 (2.8km) 名洗〜銚子市漁業協同組合外川支所

 3区 (3.1km) 銚子市漁業協同組合外川支所〜千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口

 4区 (2.0km) 千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口〜地球が丸く見える丘展望館

 5区 (2.3km) 地球が丸く見える丘展望館〜犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)

 6区 (2.8km) 犬吠埼灯台〜黒生

 7区 (2.0km) 黒生〜川口神社(2010年12月22日のブログ参照)

 8区 (3.0km) 川口神社〜市役所

 ゴール     銚子市役所前

 また「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「レース」前後には「交通規制」が行われますので、「駅伝大会」「当日」は「コース道路上」の「駐車禁止」と「交通規制」について呼びかけています。
 (詳しくは「銚子市」HP参照)

 「新春」の「銚子半島」を疾走する「歴史」ある「駅伝大会」「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」詳細

 開催日時 1月12月(日) 11時半〜 (受付8時〜)

 開催会場 銚子市内各所 (コースは上記参照)

 問合わせ 銚子市体育館内駅伝担当 0479-24-9559

 備考
 「青木半治杯」「第65回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「当日」の「駅伝大会」の「様子」を「ストリーミングサービス」を用いて「リアルタイム」で中継するそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:04 AM |
「髭撫(ひげなで)祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「側高神社(そばたかじんじゃ)」で1月12日(日)で開催されます「髭撫(ひげなで)祭」です。

 「側高神社」は、「香取市」「大倉」にある「神社」で、「社格」は「香取神宮摂社」、「郷社」で「利根川」「下流域」には「そばたか」と「社名」を読む「神社」が多く分布していますが、「当社」「側高神社」はそれらの「本社」とされています。
 「側高神社」の「創建」ですが、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と同じ、「神武天皇18年」の「創建」と伝えられ、「側高神社」「御祭神」は昔から「神秘」とされており、明らかではないそうですが、現在は「一般名称」として「側高大神」と称されています。
 「香取郡誌」では、「主祭神」を「高皇産霊尊(たかむすびのみこと)」・「神皇産霊尊(かみむすびのみこと)」、「相殿神」を「天日鷲命(あめのひわしのかみ)」・「経津主命(ふつぬしのみこと)」・「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」・「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」・「姫御神(ひめみかみ)」としています。
 この「御祭神」の中に「忌部氏系」の「天日鷲命」が見られることと「側高神社」の「成立」との「関係性」が指摘され、また「経津主神」(香取神宮御祭神)の「后神」が「御祭神」であるという「説」もあります。
 「側高神社」は、「香取神宮」「第一」の「摂社」であり、慶長・元禄と「江戸幕府」の「造営」があり、1908年(明治41年)に「大倉」「字石神代」の「落文神社(おとしぶみじんじゃ)」と「大倉」「字一夜山」の「一夜山神社」(「痘痩除け」として「信仰」)が合祀されました。

 「側高神社」の「概史」ですが、「香取志」には「側高神社」は「香取神宮」の「第一摂社」とあり、古くより「香取神宮」との「関係」が深かったことがうかがわれます。
 寛元元年(1243年)の「文書」には「香取神宮」とともに「造替」があったことが見え、鎌倉時代には「社殿」は「一間」で「茅葺」、「作料官米」30石が「造営」に充てられた「旨」が見えます。
 慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)の「江戸幕府」による「香取神宮」「修造」の際にも、同時に「側高神社」の「修造」が行われ、これらの「古文書」には「脇鷹」「曽波鷹」という「表記」も見られるそうです。
 「側高神社」は、1916年(大正5年)「御大礼記念」として「社殿」を改造、1931年(昭和6年)には「国鉄成田線」「工事」のために「神井」を「現在地」の「鳥居」脇に移設、「県道」(現「国道356号線」)から「階段」を新設しています。
 (現在は通行不可)

 「側高神社」の「社伝」では、上記のように「香取神宮」と同じ「神武天皇18年」の「創建」といわれています。
 また「側高神社」「社伝」には、以下のような「伝承」が残っています。

 昔、「側高神」が「香取神」の「命」により、「陸奥」(東北地方)の「馬」2000疋を捕えて、「霞ヶ浦」の「浮島」まで帰ってきたところ、「陸奥神」が「馬」を惜しんで追いかけてきました。
 そこで「側高神」は「霞ヶ浦」を「干潮」にして「馬」を「下総」に渡らせ、次いで「満潮」にして「陸奥神」を渡れなくしたといわれています。

 以上の「伝承」から、「側高神社」が、古代に担った「役割」が推察されます。
 また「側高神社」の「末社」「落文神社」には、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「神」が「香取神宮」の「神」に「文」を出し、「使いの鹿」が「漁師」に狙われた「時」に「文」を落とし、その「心労」のために死んだ「鹿」を祀ったもの、後に「文」が見つかった「場所」が近くの「披露」との「伝承」があります。

 「側高神社」の「文化財」ですが、「本殿」が「千葉県」の「県指定有形文化財」(昭和57年4月6日指定)に指定されています。
 「側高神社」「本殿」は、「一間社流造」の「本殿」で、「採色文様」や「彫刻」には桃山時代の「建築様式」の「特色」が見られます。
 「側高神社」は、「香取神宮」の「修造」との「関係」や「建築様式」から、慶長年間に「畿内」「出身」の「名工」に学んだ「工匠」の「手」と見られており、「側高神社」「本殿」は、「地方色」の強い「建築物」で、「貴重」なものとして、上記のように「千葉県」の「文化財」に指定されています。

 「髭撫祭」は、約800年前・鎌倉時代の建保2年から続いている「側高神社」に伝わる「伝統行事」で、「香取神宮」「御祭神」「経津主神」の「御神徳」を称え「国土の平安」・「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「質朴勇壮」な「酒祭」です。
 「髭撫祭」は、「氏子」の間で「祭り当番」を引き継ぐ「儀式」として、「西側」に座した「当番」が「東側」に座す「新当番」に「酒」を勧める際、「立派」な「髭」を撫(な)でることから「ひげなで祭」と呼ばれるようになりました。

 「髭撫祭」は、「1月第2日曜日」の午後に行われる「地区」の「当番引き継ぎ行事」(「他地区」でいう「オビシャ」)で、始められた「当初」から、「弓」を射らず、「祭当番」の「引き継ぎ式」(引渡し式)と、「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念する「杯事」のみを行います。
 「髭撫祭」では、まず「神職」により、「祭当番」の「引き継ぎ式」(「神祭」をする「当番」の「引き継ぎ式」)が行われ、それに続き、「七引き合いの杯事」が行われます。
 「七引き合いの杯事」では、「羽織袴(はおりはかま)」を着た「新旧当番地区」の「人」が「互い」に向き合って座り、「髭(ひげ)」を撫(な)でたら大きな「椀(わん)」で「お酒」を飲みあうそうです。
 これは「髭」をなでられた「新当番」は「大椀」で「何杯」でも応じなければならない「作法」によるものだそうで、「髭撫祭」では上記のように「紋付きはかま姿」で「大仰」に「カイゼル髭」を撫(な)でる「姿」が「笑い」を誘うなんとも「ユーモラス」な「奇祭」だそうです。
 また「髭撫祭」「当日」に「会場」である「側高神社」「境内」では「甘酒」などもふるまわれ、「寒さ」を忘れて楽しめるそうです。
 「髭撫祭」は、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」(昭和52年6月1日指定)に指定されており、「千葉県」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。

 「香取神宮」との「関係」の深い「香取神宮第一摂社」「側高神社」で開催される「伝統」ある「ユーモラス」な「奇祭」「髭撫祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「髭撫祭」詳細

 開催日時 1月12日(日) 13時半〜

 開催会場 側高神社 香取市大倉5

 問合わせ 側高神社 0478-57-1545

 備考
 「髭撫祭」の「会場」「側高神社」には、「四箇の甕」と呼ばれる4つの「甕」があります。
 「四箇の甕」は、「春の甕」、「夏の甕」、「秋の甕」、「冬の甕」と呼ばれる「4つの甕」で、「四箇の甕」は、それぞれの「甕」の中の「雨水量」が「その年」の「降水量」を占うと伝えられています。

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| 地域情報::香取 | 11:46 AM |
「栢田仁組獅子舞(はくたじんくみししまい)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「栄地区」「栢田(はくた)」で1月8日(水)に開催されます「栢田仁組獅子舞(はくたじんくみししまい)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」からは70km圏、「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)である「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあります。
 「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。

 「匝瑳市」の「総面積」は、101.78平方kmで、「緑」豊かな恵まれた「大自然」と「歴史」のある「まち」です。
 「匝瑳市」の「北部」は、「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、「里山」の「自然」が多く残されています。
 「匝瑳市」の「南部」は、「平坦地」で「市街地」を除いてほとんどが「田園地帯」となっており、「白砂青松」の続く「九十九里海岸」(九十九里浜)(2012年5月11日のブログ参照)に面しています。
 「匝瑳市」の「気候」は、「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気候」は15度、「東京周辺」に比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」は約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」は「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 (現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、39235人となっています。(平成25年12月31日現在))
 「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。
 「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用しており、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「匝瑳市」「栄地区」ですが、「匝瑳市」の「前身」「旧・野栄町」の「旧・栄村」にあたる「地区」です。
 「旧・栄村」の「創設」ですが、「栢田」・「川辺」・「堀川」の「3村」が合併し設置されました。
 「栄村」に合併された「3村」は、「戸長役場」の「所轄」および「学区」ともに「単一」である上に、「各村」とも「農・漁業」を「生業(なりわい)」として「人情」、「風俗」、「生活」の「状態」を同じくし、さらに「用水施設」の「経営」・「使用」につき「関係地域」のみにおいて「共同」の「関係」をもつなど、「合併」に「適当」な「状態」にあったそうです。
 「新村名」は、「新村」の「繁栄」に対する「村民」の「希念」を表微して「栄村(さかいむら)」と「命名」されたそうです。

 「匝瑳市」「栄地区」「栢田」では、毎年1月8日、「初茶飯」の「祝い日」に「五穀豊穣」と「無病息災」を祈り、「獅子舞」が「地区」の「各戸」を回って「悪魔払い」をする「栢田仁組獅子舞」が行われています。
 「栢田仁組獅子舞」は、「大人」2人であやつる「獅子」が、上記のように「仁組集落」内の「各戸」を回って「悪魔払い」をすることで、「五穀豊穣」・「無病息災」を祈念する「伝統行事」です。

 「栢田仁組獅子舞」の「起源」ですが、以下の通りとなっています。

 天明年間(1781年〜1788年)の「飢饉(ききん)」や「不作」、「大凶作」が相次ぎ、「上総」や「下総」の「国」に「疫病」が「大流行」しました。
 その折、「上総」の「国」「作田」の「住人」(名前不詳)が、「五穀豊穣」と「無病息災」を祈念して「獅子舞」なる「民俗劇」をつくりだし、「下総」の「国」「木戸村」(現在の「横芝光町」)までこの「芸能」をひろめたといわれています。
 「獅子舞」は、更に「隣」の「木戸村」から「栢田村」「仁組集落」の「有志」が習い、「旧正月」に「各家」をまわり「悪魔払い」をするようになったといわれています。
 「栢田仁組獅子舞」は、戦中から昭和46年(1971年)ころまで中断したそうですが、現在は、「地区」の「全戸」で「保存会」を結成して「伝統」を守っているそうです。

 「栢田仁組獅子舞」では、「獅子舞」の「獅子」が「伴奏」の「囃子」に合わせ、「仁組集落」の「家」をめぐり、「平獅子」、「狂い獅子」、「梯子獅子」などを行い、なかでも「高さ」12mの「梯子」の「上」で舞う「獅子」が「栢田仁組獅子舞」の「特徴」だそうです。
 「栢田仁組獅子舞」の「獅子」は、上記のように「二人立ち獅子舞」で、「演目」は「平獅子の舞」、「鳥刺し」、「和唐内」、「釣り玉」、「梯子獅子」、「狂い」があり、「村回り」では、「平獅子」が舞われるそうです。
 「栢田仁組獅子舞」は、上記のように「仁組地区」、「栢田地区」、「新川(にいかわ)地区」で行われています。

 「栢田仁組獅子舞」が行われる「当日」は、20数軒の「家」に「獅子」が上がり、「笛」や「太鼓」の「音」に合わせて「華麗」な「舞い」を「披露」し、「獅子舞」の「訪問」を受けた「家庭」の「人達」は、「自分」の「体」を「獅子」に触れてもらう(噛んでもらう)と「縁起」がいいと云われ、それぞれが「新年」への「幸せ」を願うそうです。

 「栄地区」「栢田」に伝わる「五穀豊穣」「無病息災」を祈念する「伝統行事」「栢田仁組獅子舞」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「栢田仁組獅子舞」詳細

 開催日  1月8日(水)

 開催会場 匝瑳市栄地区 匝瑳市栢田5931

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「栢田仁組獅子舞」は「作田流」の「獅子舞」で、「作田流」は、「他」の「流儀」と「比較」し最も「動き」の早い「勇壮」な「獅子舞」とされ、さらに、「七間」におよぶ高い「梯子」の上での「梯子獅子」の「芸」は「高度」な「技術」を「必要」とするそうです。
 「栢田仁組獅子舞」は、1984年(昭和59年)2月24日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::匝瑳 | 08:49 AM |
「常世田薬師」「御本尊御開帳」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「常灯寺」で1月8日(水)に開催されます「常世田薬師」「御本尊御開帳」です。

 「常灯寺(じょうとうじ)」(2011年1月11日のブログ参照)は、「銚子市」「常世田町」にある「真言宗智山派」の「寺院」で、「山号」は「常世田山」です。
 「常灯寺」の「御本尊」は「薬師如来」だそうで、「常世田山常灯寺」は「地名」と「御本尊」の「名称」から「常世田薬師(とこよだやくし)」と呼ばれています。

 「常世田薬師」こと「常灯寺」の「創建年代」等については「不詳」だそうですが、「伝承」によりますと、「行基」によって開創された「寺」であると伝えられています。
 「常灯寺」は、「目」の「病気」に「御利益」があるとされ「人々」に篤く信仰され、「常世田薬師」と呼ばれ、広く親しまれていました。
 また「常世田薬師」「常灯寺」は、江戸時代から明治時代にかけ、「東総の三薬師」のひとつとして「隆盛」を極めていたそうです。
 ちなみに「東総の三薬師」とは、「銚子市」の「常灯寺」、「旭市」の「尾背川薬師寺」、「匝瑳市」の「泉養院」(現在、廃寺)だったそうです。
 「常世田薬師」「常灯寺」「本堂」ですが、「正面」9m、「側面」10.8mの「寄棟(よせむね)造り」で、「茅葺屋根」の「仏堂」でした。
 「常世田薬師」「常灯寺」「本堂」「内部」は、「手前」3.6mを「外陣(げじん)」、「奥」の5.4mを「内陣(ないじん)」とし、「内陣」に「宮殿(くうでん)」を安置した「須弥壇(しゅみだん)」を設けており、「宮殿」は、1.8m四方の「大規模」なもので、「禅宗出組(ぜんしゅうでぐみ)」と「板蟇股(いたかえるまた)」を付し、「正面」と「背面」に「扉」を設けており、「本堂」と同時期のものと考えられているそうです。
 「宮殿」の「軸部」の「様式」は、「自然石」の「礎石」上に「丸柱」を建て、「柱」上に「台輪(だいわ)」を置き、「組物」は「唐様二手先(からようふたてさき)」で、「中備(なかぞなえ)」に「蓑束(みのづか)」を用いています。
 「内外陣」の「境」は、「舞良戸(まいらど)」と「格子戸(こうしど)」を用いて仕切り、「天井」は「格天井(ごうてんじょう)」、「建立」は、「棟札」によりますと1673年(寛文13年)で、「県内」の江戸時代前期の「密教系仏堂」の「代表例」といわれているそうです。
 現在「常世田薬師」「常灯寺」は、「保存整備事業」のために「解体修理」(2011年2月15日のブログ参照)を行っており、昨年(2013年)、本年度(2014年)に「修復」を行い、来年(2015年)3月末に修復される予定になっています。

 「常世田薬師」「常灯寺」を「開創」されたといわれている「行基」ですが、「日本」の奈良時代の「僧」で、天智天皇7年(668年)に生まれたそうです。
 (677年4月に生まれたという説あり)
 「行基」は、「僧侶」と「国家機関」と「朝廷」が定め「仏教」の「一般民衆」への「布教」を禁じた時代に、「禁」を破り「畿内」を中心に「民衆」や「豪族層」を問わず広く「仏法」の「教え」を説き「人々」より篤く「崇敬」されました。

 また「行基」は、「道場」・「寺」を多く建てたのみならず、「溜池15窪」、「溝」と「堀9筋」、「架橋6所」を、「困窮者」のための「布施屋」9ヶ所等の「設立」など「社会事業」を「各所」で行ったと伝えられています。
 「行基」は、「朝廷」からは度々(たびたび)弾圧されたそうですが、「奈良の大仏」(「東大寺」ほか)「建立」の「事実上」の「責任者」として招聘され、「尽力」されたそうです。
 この「功績」により「行基」は、「東大寺」の「四聖」の「ひとり」に数えられています。

 「常世田薬師」「常灯寺」には、「寺宝」である「木造薬師如来坐像」があります。
 「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」ですが、「像高」140.9cm、「坐幅」約100cmあり、「ヒノキ寄木造り」で「坐像」「全面」に「漆箔(しっぱく)」を施(ほどこ)してあり、「金色(こんじき)」に輝いています。
 「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」は、「仏像」のふくよかな「顔」、「流麗(りゅうれい)」な「衣文(えもん)」など「随所」に平安後期の「特徴」(定朝様式)を残している鎌倉時代初期の「代表的」な「仏像」(作例)なのだそうです。
 「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」の「台座」は、仁治年間に修理された「八角形」の「裳懸座(もかげざ)」で、「金色燦然(こんじきさんぜん)」としています。
 「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」の「光背(こうはい)」の「高さ」232cm、「光背」の「頂部」に「胎蔵界大日如来」と「脇侍(きょうじ)」「二尊」を導き、「左右」に6躯ずつ「合計」12体の「飛天」が配され、まばゆいばかりに輝いているそうです。
 「飛天」の「数」ですが、「薬師如来」の「十二誓願(せいがん)」に合わせたものであろうと「推測」されており、「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」「像胎内」に「多数」の「墨書銘(ぼくしょめい)」があり、これにより1243年(明治4年)、「仏師」「豪慶」によって修理したと伝えられています。
 「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」ですが、1955年(昭和30年)1月に「千葉県」の「県指定文化財」となり、1959年(昭和34年)6月27日に「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されています。

 「常世田薬師」「御本尊御開帳」は、「常世田薬師」「常灯寺」で「年」に一度開催される「行事」で、、上記のように「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されている「寺宝」「木造薬師如来坐像」を御開帳されるそうです。
 「常世田薬師」「御本尊御開帳」ですが、1959年(昭和34年)以前は「秘仏」であった為、2年に一度、「旧暦」の8月15日の「真夜中」に「御開帳」が行われたそうです。
 「当時」の「御開帳」では、「寺」への「道沿い」にはたくさんの「提灯(ちょうちん)」が連なり、「参拝者」が後を絶たず、「鳴り物」の「音」や「御詠歌(ごえいか)」が響き渡っていたそうです。
 「常世田薬師」「御本尊御開帳」ですが、現在は、「初薬師」にあたる毎年1月8日の午前7時から正午まで「冷蔵庫」を開けて「御開帳」(一般公開)が行われています。
 「常世田薬師」「御本尊御開帳」に合わせて「常灯寺」では、「お札」の「授与」、「常世田町内会」による「甘酒」の「御接待」が行われ、また「参拝者」のうち「希望者」には「御朱印」を押してもらえるそうです。
 ちなみに「常世田薬師」「常灯寺」の「御朱印」を「体」に押してもらうと「無病息災」の「御利益」があると言われています。

 現在、「常世田薬師」「常灯寺」では、上記のように「常灯寺」「本堂」(千葉県指定文化財)の「解体修理」を行っており、「解体修理」にともない、新しい「本堂」「屋根」の「部材」となる「銅板」の「寄進」を募っています。
 ちなみに「銅板」には「お願いごと」、「ご芳名」を記すことができるそうです。

 「年」に一度「常世田薬師」「常灯寺」で1月8日午前中のみ開催される「行事」「御本尊御開帳」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「常世田薬師」「御本尊御開帳」詳細

 開催日時 1月8日(火) 7時〜12時

 開催会場 常灯寺 銚子市常世田町53-1

 問合わせ 銚子市教育委員会生涯学習課文化班 0479-24-8739

 備考
 「常世田薬師」「常灯寺」の「本堂」は附随して「宮殿」、「棟札」とともに、1979年(昭和54年)3月2日に「千葉県」の「有形文化財」(建造物)に指定されています。

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| 地域情報::銚子 | 09:02 AM |
「漕出式(こいでしき)」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港」「外川漁港」で1月6日(月)に開催されます「漕出式(こいでしき)」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)河口から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成りています。
 また「銚子市」は「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)、「歴史」と「伝統」が実感できる「醤油工場」(2010年12月20日・12月8日・10月6日のブログ参照)、さらには、これらの「産業基盤」から算出される「豊富」で「新鮮」な「食材」や「特産品」を備えるなど、多くの「地域資源」に恵まれた「魅力」あふれる「まち」です。

 「銚子漁港」は、「全国」で「屈指」の「水揚げ高」を誇る「首都圏」の「台所」です。
 「銚子漁港」では「魚」を大量に積んだ「船」が「全国各地」から入港しています。
 そんななか、たくさんの「漁船」が連なる「銚子漁港」の前で「軒」を接しているのが「銚子の台所」「魚市場」(2011年1月26日・2010年12月18日のブログ参照)です。
 「銚子」の「魚市場」は「活気」に溢れ、その日に「水揚げ」された「魚介類」を次々と売りさばいていきます。
 「銚子市」では、「観光客」の「皆さん」でも「旬の味」を気軽にお買い求めできるように、「水産物卸売センター」「ウォッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)があり、「ウォッセ21」では、「旬の魚」が「市価」よりも2〜3割ほど安く買い求められ、まとめて買うと更に安くしてもらえる場合もあるそうです。

 「銚子漁港」に「水揚げ」される「魚」ですが、「春」は「上り鰹(ノボリガツオ)」、「めひかり」(正式名称「アオメエソ」)、「真鯛(マダイ)」、「ホウボウ」、「ヤリイカ」(2010年11月20日のブログ参照)、「サヨリ」、「花鯛(ハナダイ)」、「マトウダイ」等が「水揚げ」され、「夏」には「磯ガキ」(2012年5月28日のブログ参照)、「マコガレイ」、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「バイガイ」、「本鮪(ホンマグロ)」、「キハダマグロ」、「メイタカレイ」等が「水揚げ」されています。
 「秋」は「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鯖(サバ)」(2013年11月21日のブログ参照)、「車海老(クルマエビ)」、「マルガニ」(正式名称「ヒラツメガニ」)、「サルエビ」、「ボタンエビ」、「舌平目(シタビラメ)」が「水揚げ」され、「冬」には、「ビンナガマグロ」(ビンチョウマグロ)、「鮟鱇(アンコウ)」(2010年11月19日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「メカジキ」、「金目鯛」、「ムツ」、「メヌケ」、「蛸(タコ)」、「メバチ」、「メダイ」等が「水揚げ」され、一年を通して様々な「旬の魚」が「水揚げ」されています。

 「外川漁港(とかわぎょこう)」(2013年1月4日のブログ参照)は、「銚子市」にある「第2種漁港」で、「銚子市」の「南部」に位置し、「外川漁港」「背後」には「台地」があり、「外川漁港」周辺の「集落」は「斜面」と「低地」にあります。
 「外川漁港」は、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「区域内」にあり、「東側」は「犬吠埼」、「南側」は「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に続いています。

 「外川漁港」の「沿革」ですが、1658年(万治元年)「紀州」「有田郡」「広村」出身の「崎山治郎右衛門」氏によって「本浦」「築港」。
 その後「外川漁港」は、1661年(寛文元年)に「新浦」の「竣工」、1952年(昭和27年)2月29日に「第2種漁港」に指定されています。
 ちなみに「外川漁港」の「水揚げ」される「主」な「魚種」ですが、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年10月17日のブログ参照)、「アカムツ」、「クロムツ」となっています。

 「漕出式」は、「年」の「始め」、「航海の安全」と「大漁」を祈願して「漁船」が「川口沖合い」を航行することで、「漕出式」は、「乗り初め(のりぞめ)」とも呼ばれています。
 「漕出式」ですが、「銚子」の「正月の風物詩」のひとつで、上記のように「航海の安全」と「豊漁」を祈願して行っています。
 「銚子」は、上記のように「日本有数」の「水揚げ量」を誇る「漁業のまち」で、江戸時代「魚」を追い求めて北上した「紀州の漁師たち」により「外川漁港」が築かれて以降、「親潮」と「黒潮」がぶつかり合う豊かな「漁場」や「利根水運」などの「地の利」に恵まれ、「銚子の漁業」は発展してきました。

 新しい「年」の「初め」、「漁師たち」はことさら「縁起」を担ぎ、「昔」から「年初め」の「良い日」を選んで「漕出」を行っていたようです。
 「銚子漁港」で「漕出」を行う「船」は、全て「海」を見下ろす「格好」に鎮座する「漁師の守り神」である「川口神社」(2010年12月22日のブログ参照)で祈願するそうです。

 「漕出式」では、「昔」は「海」から「川口神社」にお参りする際に、「港」から出た「船」を「左」へと旋回させて「神社前」で「お神酒(おみき)」を上げたそうです。
 「左」へ「旋回」する「理由」ですが、「船の神様」が「船」の「左側」に座っているからという「伝承」にならって行われていたそうです。
 現在、「漕出式」では、「川口神社」付近に「導流堤」ができて「航路」が狭くなったこともあり、「神社前」で旋回する「船」は少なくなりましたが、「各船」思い思いに「お神酒」を上げ、参拝しています。
 「漕出式」は「銚子漁港」だけでなく、「外川漁港」でも見ることができます。

 「漕出式」とは、上記のように今年一年の「航海」の「安全」と「豊漁」を願い、「色」鮮やかな「大漁旗」を「風」になびかせた「船」が、「列」をなして「新春」の「海」へ繰り出す「漁師たち」の「仕事始め」に当たる「伝統的行事」です。
 上記のように「漕出式」では、出港する「漁船」に「大漁旗」を掲揚しており、「遠目」にも鮮やかな「大漁旗」は、「銚子」らしい「色彩」で、「冬の海」に映え、「見事」な「光景」となっています。
 「大漁旗」をなびかせた「船」が次々と出港する様子は「活気」にあふれ、「勇壮」で「見事」な「銚子」ならではの「新年の光景」と言えるものです。
 「漕出式」では、「漁師たち」が、「神社」へ向かって「手」を合わせ、「水面」に「お神酒」を注いだり、「海水」で「甲板(かんぱん)」を清めて祈願します。
 「漕出式」は、「銚子漁港」、「外川漁港」で行われ、「銚子漁港」では2014年1月6日(月)8時00分から、「外川漁港」では2014年1月6日(月)9時00分から行われるそうです。

 「海の男たち」の「仕事始め」、「銚子」の「正月の風物詩」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「漕出式」詳細

 開催日時 2014年1月6日(月) 8時〜(銚子漁港) 9時〜(外川漁港)

 開催会場 銚子漁港
      外川漁港

 問合わせ 銚子市観光協会 0479-22-1544

 備考
 「漕出式」は、「(一社)銚子市観光協会」が選出している「銚子百選」に選定されています。
 「漕出式」で「漁船」に掲揚している「大漁旗」は、「伝統的」な「萬祝式(まいわいしき)」という「染め方」によるもので作られています。
 「萬祝式大漁旗」は、「漕出式」、「進水式」など、「漁船」に飾られるほか、「結婚式」、「出産祝い」、「新築・開店祝い」などの「贈り物」として「人気」があります。

















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| 気まぐれ日記 | 07:29 PM |
「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で1月1日(祝・水)〜2月16日(日)の期間開催されます「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」です。

 「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)は、「成田山公園」内にある「書」の「総合専門美術館」で、「収蔵品展」や「企画展」を併せて、「年」6〜7回の「展覧会」が催されています。
 「成田山書道美術館」の広々とした「館内」には、江戸末期から現代までの「近代日本」の「書作」や「資料」などが「展示」・「収蔵」されています。
 「成田山書道美術館」では、「成田山公園」「公園内」の「自然」を生かした「美術館」らしい落ち着いた「空気」の中で「書」を楽しむことができます。
 「成田山書道美術館」の「横」には、「水」の落ちる「音」が「琴の音」のように聞こえる「水琴窟(すいきんくつ)」も見られるそうです。
 「成田山書道美術館」「周囲」は、「緑」に囲まれており「散策」に適しており、「周辺」には「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「本堂」、「霊光館」などがあります。

 「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」は、「成田山書道美術館」の「企画展」で上記のように1月1日(祝・水)から2月16日(日)までの「期間」開催されます。
 「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」に際し、「成田山書道美術館」では、「開催要項」を以下のようにご案内しています。

 平成21年に開基1070年を迎えた成田山新勝寺には、数多くの文化財が伝えられてきました。
 これらのなかには、不動明王図をはじめとする仏画や各種の古写経といった新勝寺ゆかりの仏教美術とともに、山水画や花鳥画など、美しい日本の風物を描いた絵画を見ることができます。
 とりわけ、江戸時代以降、成田山には多くの参詣客が訪れるようになりました。
 その賑わいを背景に、数々の芸術家が成田山を舞台に活躍し、多様な文化財を遺すこととなったのです。
 今回の展覧会では、成田山新勝寺で所蔵する、江戸時代以降の山水画や花鳥画などを中心に展示します。
 同時に、成田山書道美術館所蔵の屏風に仕立てられた書を出品します。
 初詣とあわせて、成田山の文化財をご堪能いただきたいと思います。

 「書」の「専門美術館」「成田山書道美術館」で開催される「新春」の「展示会」「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」詳細

 開催期間 1月1日(祝・水)〜2月16日(日)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 開館時間 9時〜16時(入館は〜15時半)

 休館日  月曜日(祝日の場合は翌平日)

 入館料  大人500円 大高生300円

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「新春特別展」「成田山の山水・花鳥」「収蔵優品展 特集-書の屏風」の「開催期間中」(1月1日〜2月16日)の「成田山書道美術館」は「無休」で営業するそうです。

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| 地域情報::成田 | 03:54 PM |
「煌めくガラス絵展」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「松山庭園美術館」で1月1日(祝・水)〜1月26日(日)の期間開催されます「煌めくガラス絵展」です。

 「松山庭園美術館」(2011年2月25日のブログ参照)は、「此木三紅大(コノキミクオ)」氏の「アトリエ」を公開した「私設美術館」です。
 「松山庭園美術館」の「展示品」ですが、数々の「名画コレクション」と「茶道具」を中心に展示されています。
 「松山庭園美術館」「庭園」内には、「地域」の「文化交流」の「拠点」としての「企画展示室」、「長屋門」、「見晴らし亭」、「茶室」などが点在し「四季折々」の「自然」を愛でながら「野外彫刻」も楽しめます。

 「松山庭園美術館」「収蔵作品」ですが、「ヨーロッパ絵画」、「国内著名作家作品」、「茶道具」、「琴コレクション」などとなっています。
 「松山庭園美術館」「庭園」の「裏」には、「大桑」(高さ、11m、根回り、3.1m)が聳(そび)え、「樹木」(「黒松」、「枝垂れ萩」、「紅葉」の「林」)や「草木」(「さつき」、「椿(つばき)」、「桜(さくら)」、「百日紅(さるすべり)」、「桔梗(ききょう)」)などがあり、「四季」を通して楽しめる「庭園」を有しています。

 「煌めくガラス絵展」は「松山庭園美術館」で行われる「企画展」で上記のように1月1日(祝・水)から1月26日(日)の期間開催されています。
 「ヨーロッパ」で「ステンドグラス」の「補修」として開発され描かれてきた「ガラス絵」は、「清(しん)」の時代の「中国」に渡り、さらに「日本」に伝わったのは、17世紀頃といわれています。
 当時は、「びいどろ絵」、「玉板油絵」などと呼ばれ、大変貴重なものだったそうです。
 18世紀には「司馬江漢」、19世紀には「葛飾北斎」なども描いていたようで、時代時代に、「著名」な「作家」の「余技」として伝わってきました。
 「ガラス絵」は平らな「板ガラス」の「裏側」に描かれます。
 それを「表側」から「ガラス」を透して鑑賞するそうで、そのため描くときは「左右」が「逆」になるそうです。
 また、「絵の具」の上に塗り重ねた「色」は、「表」からは見えないので、「描き方」も「通常」の「制作」とは「勝手」が違い、「様々」な「技法」や、「工夫」を凝らすなど「画家」にとってもその「効果」を楽しむことができて、「新鮮」な「魅力」となっているようです。
 「ガラス」を透して見る「絵」の「色」は、とても美しく、まるで「宝石」のような「耀き」見せます。
 「絵の具」を「チューブ」から押し出したときのあの濡れたままの「光沢」、そして、それは「ガラス」に密着しているため、永遠に変わらぬ「耀き」となります。
 今回の「煌めくガラス絵展」では、「ガラス絵」の「魅力」を多くの方に伝えたいと、「制作」を続けている「日本ガラス絵作家協会」の「会員」による「作品」を「展示」、「販売」もするそうです。

 「風情」ある「庭園」の中に佇む「松山庭園美術館」で開催される「展覧会」「煌めくガラス絵展」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「煌めくガラス絵展」詳細

 開催期間 1月1日(祝・水)〜1月26日(日)

 開館時間 10時〜17時(金・土・日・祝祭日のみ開館)

 開催会場 松山庭園美術館 匝瑳市松山630

 入館料  一般 800円 小中生 400円

 問合わせ 松山庭園美術館 0479-79-0091

 備考
 「煌めくガラス絵展」が開催される「松山庭園美術館」では、「同時開催」で「茶道具名品展」も行われるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=1982 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:17 AM |

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