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「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で2月3日(火)に開催されます「節分追儺式」「節分祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(きっこうさん)・(かめがせやま)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」では、毎年2月3日に「古式」に則り「節分祭」、「節分追儺式(せつぶんついなしき)」が執り行われています。
 本年(2015年)も「香取神宮」では、「立春」「大吉」に迎えるにあたり、「厄」をお祓いするため、2月3日(火)に「香取神宮」「本殿」にて、「節分祭」・「節分追儺式」が斎行されます。
 「節分追儺式」ですが、明治時代の「初期」から伝わる「香取神宮」「独特」の「厄払い」の「行事」で、「節分追儺式」では、「御祓い(おはらい)」、「祝詞奏上(のりとそうじょう)」の後、「剣」を「手」に舞う「神人追儺の儀(しんじんついなのぎ)」が行われ、「香取神宮」「本殿」で「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」を打ち鳴らす「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」を行い、そして「音」に驚いた「赤鬼」、「青鬼」が飛び出してくると「福娘」に扮した「二人」の「巫女(みこ)」が

 「鬼は外!」

 と「豆」をぶつけ、「香取神宮」「拝殿」の「外」へ追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。

 「節分追儺式」の「儀式」が終わりますと、「香取神宮」「節分祭」が斎行されます。
 「香取神宮」「節分祭」では、「香取神宮」「拝殿」の「廊下」に、「大相撲」「力士」や「福男」、「福女」らが登場し、待ち構える「参拝客」の「皆さん」に、「福男」・「福女」約100名が「鬼は外!」と「かけ声」で、「豆まき行事」を執り行い、「福豆」・「福銭」等が、まかれるそうです。

 明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていた「わが国」「屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「新春・恒例」の「人気行事」「節分追儺式」「節分祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(火) 13時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「節分追儺式」「節分祭」「当日」は、大変込み合いますので、「豆まき」の際は、押し合わないように呼びかけており、また、「現場」の「警察官」の「指示」に従って下さいとのことです。
 「節分追儺式」「節分祭」が行われる「香取神宮」では、「境内」や、「旧参道」の「梅の花」が、ほころび始め、あちらこちらにも、小さな「春」の「足音」が見つけられているようです。



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「平成27年成田山新勝寺節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で2月3日(火)に開催されます「平成27年成田山新勝寺節分会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因(ちな)み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を「今」に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の「5棟」が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山新勝寺節分会」(2014年1月26日・2013年1月25日・2012年1月30日・2011年1月31日のブログ参照)ですが、毎年2月3日に催行されている「成田山新勝寺」「恒例」の「人気行事」です。
 「成田山新勝寺節分会」には、毎年「正月」の「初詣」に匹敵する「参拝客」で賑わい、「場所取り」をする「人」が出るほどの「人気」がある「節分会」として知られています。

 「平成27年成田山新勝寺節分会」ですが、今年(2015年)は、「国家安穏・万民豊楽・五穀豊穣・天禍為福」に加え、「東日本大震災被災地復興」への「祈り」を込め、「恒例」の「特別追儺豆まき式」が厳(おごそ)かにも「盛大」に執り行われます。

 「震災に勝つ!福は内!」

 と「平成27年成田山新勝寺節分会」は、「復興」への「祈り」を込めた「大発声」が「成田山新勝寺」「境内」に響き渡ります。
 「平成27年成田山新勝寺節分会」には、「戸羽太」「陸前高田市長」をお迎えする「予定」で、「特別参加年男」の「皆さん」と「共」に「東日本大震災」「早期復興」を祈願するそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」では、「特別年男」として「力士」の「皆さん」や「芸能人」の「方々」が参加し、「節分会」を盛り上げています。
 「特別年男」として「力士」の「皆さん」や「芸能人」の「皆さん」が「節分会」(豆まき)に参加するようになったのは、「現在」の「大本堂落慶記念」の「翌年」である昭和44年(1969年)に「NHK」「朝の連続テレビ小説」の「出演者」と「大相撲」の「力士」を招いたのが「最初」で「今日(こんにち)」まで続いているそうです。
 「平成27年成田山新勝寺節分会」では、「成田山開運豆まき」と「特別追儺豆まき式」を行う「予定」になっており、「大相撲力士」の「皆さん」や「NHK」「大河ドラマ」の「出演者」が「豆」を撒(ま)くことで知られているのは、「特別追儺豆まき式」で、今年も下記の「方々」が「第1回目」と「第2回目」に参加する「予定」となっています。

 「平成27年成田山新勝寺節分会」「特別追儺豆まき式」「スケジュール」

 1回目 11時00分〜

 2回目 13時30分〜

 3回目 16時00分〜

 「大相撲力士」(予定)

 横綱 白鵬

 大関 稀勢の里

 前頭 隠岐の海

 前頭 遠藤

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」出演者(予定)

 井上真央  (杉文 役)

 伊勢谷友介 (吉田松陰 役)

 東出昌大  (久坂玄端 役)

 優香    (杉寿 役)

 長塚京三  (杉百合之助 役)

 上記の方々は1、2回目のみの「参加」となります。

 なお、「平成27年成田山新勝寺節分会」「当日」は、「剣守(けんまもり)」(剣札)が1回につき365体、「大豆」が3回で860kg、「殻付落花生」が3回で400kg撒かれるそうです。
 「大豆」860kgと「殻付落花生」400kgですが、「3回分」の「合計」となっており、「剣守」(剣札)ですが、「1回」につき「今年1年間」の「日数分」である365体をまくそうです。

 「平成27年成田山開運豆まき」ですが、「成田山新勝寺」「大本堂」の「内陣」でのみ行われる「特別」な「行事」で、「御護摩祈祷」ののち、「御本尊」「不動明王」の「御宝前」で「豆まき」を執り行うそうです。
 「成田山新勝寺」では、「平成27年成田山開運豆まき」への「参加者」の「一般募集」をしています。
 「平成27年成田山開運豆まき」ですが、下記の通りとなっています。

 開催期日 2月3日(火)

 開催時間 9時30分〜、12時30分〜、15時00分〜

 開催会場 成田山新勝寺大本堂内(御護摩祈祷にて)

 参加料  1名 10000円(記念品付)
 (年齢、性別は問いません。当日申込及びお子様も可)

 集合場所 開始時刻の30分前(大本堂1階表玄関)

 募集数  各回 100名(定員に達し次第、締切)

 記念品  開運豆まき記念御札
      成田山節分会福枡(福豆入り)
      剣守(けんまもり。節分会限定授与の御守)

 服装   自由(当日、開運豆まき追儺羽織が貸し出されます。)

 申込方法 成田山新勝寺光輪閣総受付、または現金書留郵便での申し込み。

 問合わせ 成田山新勝寺「節分会開運豆まき」係 0476-22-2111(大代表) 電話受付時間 8時〜16時

 また「平成27年成田山新勝寺節分会」「当日」は、「成田山表参道」周辺で「交通規制」が行われますのでご注意下さい。

 「交通規制」

 10時00分〜18時00分

 JR成田駅〜成田山山門(「鍋店」角)

 10時00分〜16時00分

 JR成田駅〜薬師堂

 尚、「平成27年成田山新勝寺節分会」「当日」の「混雑状況」によっては「規制時間」が延長されることもあるそうですので、「現場」の「警備員」の「指示」に従って「通行」下さいとのことです。

 「真言宗智山派」の「大本山」「成田山新勝寺」で開催される「人気」の「開運豆まき」「特別追儺豆まき式」「平成27年成田山新勝寺節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成27年成田山新勝寺節分会」詳細

 開催日時 2月3日(火) 
 特別追儺豆まき式 11時〜、13時半〜、16時〜
 成田山開運豆まき 9時半〜、12時半〜、15時〜

 開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111

 備考
 「成田山新勝寺節分会」では、「福は内!」のみ唱え、「鬼は外!」とは唱えないそうです。
 これは、昔からの「慣(なら)わし」で、「成田山新勝寺」「御本尊」「不動明王」のもとには、「鬼」はいないということから、唱えないそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」は、上記のように「転禍為福」・「五穀豊穣」を願って、毎年「立春」の「前日」に執り行われています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2423 |
| 地域情報::成田 | 10:06 AM |
「宗吾霊堂」「節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」で2月3日(火)に開催されます「節分会」です。

 「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)こと「鳴鐘山東勝寺」は、「成田市」「宗吾」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「鳴鐘山」となっています。
 「鳴鐘山東勝寺」ですが、「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」、「宗吾様」と広く呼ばれており、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」として親しまれています。

 「鳴鐘山東勝寺」の「創建年代」等については「不詳」ですが、「鳴鐘山東勝寺」「寺伝」によりますと「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定した際の「戦没者」のために「建立」・「創建」したといわれています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され、「下方字鐘打」に移ったそうです。
 その後「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。

 上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」に祀られている「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の時代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、当時の「佐倉藩」の「苛政」を治められた「人物」です。
 当時の「佐倉藩」は、「苛政」は治められたものの、「義民」「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「直訴」したことの「咎」に問われ、「磔(はりつけ)刑」に処され、承応2年(1653年)8月3日に処刑されてしまいました。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」は、その「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を諡号(しごう)し、以来「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」・「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。

 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」、「旧客殿」などとなっています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「持仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
 また「宗吾御一代記館」では、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説されています。
 また「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「御札」から「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれた「名前」からわかるそうです。

 「宗吾霊堂」「節分会」ですが、「吉例」に則り、「立春」の「前日」に開催しており、「年男」はもちろん、「女性」のみ(特別)の「豆まき」も執り行われているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」では、「大本堂」「行道縁」から「福豆」、「紅白餅」、「小銭」、「お菓子」などが、まかれるそうです。
 「宗吾霊堂」「節分会」の「開催時間」ですが、「年男」が11時からと、16時からの「2回」となっており、「特別年女」が14時からとなっています。
 ちなみに「豆まき」をされる「方」は、「裃(かみしも)」を着て、上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「大本堂」の「行道縁」から「豆まき」ができ、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」にて「裃」や「福枡」など用意されているそうです。
 (「豆まき」の「参加」は「有料」となります。)

 「宗吾霊堂」「節分会」の「修行料」、「取扱い」ですが、下記の通りとなっています。

 修行料

 年男   30000円

 特別年女 15000円

 取扱い

 年男   裃着用・御護摩札・御供物・福守り・福豆・福枡・祝膳

 特別年女 裃着用・御護摩札・御供物・福守・福豆・福枡

 *ご参加ご希望の方は、締切は1月28日ですが、なるべく早くお申し込み下さい。

 また「宗吾霊堂」「節分会」では、「向島鳶職組合」の「皆さん」による江戸時代より引き継がれている「伝統行事」「梯子乗り(はしごのり)」の「実演」(妙技)が「呼び物」になっており、11時と16時に披露されるそうです。
 「宗吾霊堂」「節分会」には、「厄落とし」のために「何十年」も続けて参加される「方」も数多く見受けられるそうです。

 「由緒」ある「成田の名刹」「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」で開催される「節分追儺式」「節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「宗吾霊堂」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(火) 11時〜、14時〜、16時〜

 開催会場 宗吾霊堂 成田市宗吾1558

 問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3132

 備考
 「成田」といえば「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)が「先」に思い浮かぶ方がいらっしゃると思いますが、「成田山新勝寺」は、「鳴鐘山東勝寺」よりも、新しい「寺」という「意味」で、この「名」(成田山新勝寺)がつけられているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「梵鐘(ぼんしょう)」(応長元年(1311年)在銘)ですが、「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。

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| 地域情報::成田 | 10:06 AM |
「鹿島神宮」「節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(火)に開催されます「節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 上記のように「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(えぞ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」では、今年(2015年)も「節分の日」の2月3日(火)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮」「節分祭」ですが、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、「1回目」は15時00分から、「2回目」は18時00分からの「2回」「豆まき」が催行されます。
 「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」ですが、「神事」・「追儺(ついな)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び、「鏑矢(かぶらや)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をするそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には、「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」では、

 「福は内」

 とだけ「声」をかけるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や「年男」・「年女」から「福豆」や「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと「手」を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」「2回目」の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と「一緒」にまかれる「福分け」では「豪華」な「福」がいただけるそうです。
 なお今年(2015年)の「鹿島神宮」「節分祭」の「特別豆まきゲスト」ですが、「かしま大使」である「研ナオコ」さん、「相川七瀬」さん、そして「鹿島アントラーズ」「OB」の「本田泰人」さん、「熊谷浩二」さん、「長谷川祥之」さん、「剣聖」「塚原卜伝」(2011年11月29日のブログ参照)を「モデル」にした「塚原卜伝」「NHK大河ドラマ化推進キャラクター」「ぼくでん」くん、「鹿嶋市」「公認マスコットキャラクター」の「ナスカちゃん」が「登場予定」となっているそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「盛大」に開催される「恒例」の「節分行事」「節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(火) 15時〜、18時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「節分祭」では、例年「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「選手」また「OB」の「皆さん」、「角界」や「芸能人」も「参加」され、賑わうそうです。
 ちなみに昨年(2014年)の「鹿島神宮」「節分祭」では、「歌手」の「相川七瀬」さん、「大相撲」の「錣山親方」(元「寺尾関」)、「豊真将関」、「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」「OB」の「奈良橋晃」さん、「奥野僚右」さん、「本田泰人」さんが参加されたそうです。
 なお「鹿島アントラーズ」の「現役選手」「不参加」ですが、「宮崎キャンプ」中のため、「OB」の「皆さん」のみの「参加」となったそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:06 AM |
「妙光山観福寺」「節分会」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で2月3日(日)に開催されます「節分会」です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」を祀っています。

 「妙光山観福寺」の「創建」ですが、「寺伝」によりますと、寛平2年(890年)、「尊海僧正」の「開基」といわれています。
 「妙光山観福寺」ですが、「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」の厚い「信仰」を受け、中世以降「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになり、江戸時代には「末寺五十三ヶ寺」をもつ「中本山」として、「寺領」三十石を有し、「幕府」から七年に一度の「年始独礼」の「拝謁」を許されたそうです。
 「妙光山観福寺」ですが、「由緒」正しさのゆえに、「僧侶」の「叙任」や「法衣」の「色」の「許可」を与える「権限」を持つ「院室兼帯」の「寺院」とされた一方で、「妙光山観福寺」での「修行」に入る前の「基礎的」な「教育」を施す「地方壇林所」として「学徒」の「教育」にあたり、更には「大師信仰」の「中心」となって「庶民」の「信仰」を集めたそうです。

 「妙光山観福寺」「境内」ですが、「山門」をくぐると「正面」には、「住職」の「御駕篭」を運ぶ「担ぎ手」が上り下りしやすいように、「一段」の「高さ」が低く「奥行き」が広くとられた「一歩半の石段」が緩やかに続き、「一歩半の石段」をのぼりきり、「木々」に覆われた、薄暗い「参道」を抜けると「弘法大師」の「像」が迎えてくれ、「妙光山観福寺」の「広大」な「境内」には、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「鐘楼」などあり、「妙光山観福寺」は、「堂々」とした「構え」となっており、「北総」の「名刹」として「風格」があるそうです。
 「妙光山観福寺」「境内」の「大師堂」ですが、「川崎」(川崎大師)、「西新井」(西新井大師)とともに「日本三大厄除大師」に数えられ、「大師堂」ですが、文政12年(1829年)「秀珍和尚」が建立、「弘法大師」を安置しています。
 「妙光山観福寺」「本堂」ですが、文化8年(1811年)、「鐘眞和尚」が建立したものだそうです。
 「観音堂」ですが、「妙光山観福寺」「御本尊」である「聖観世音菩薩」「像」が安置されており、元禄年間「春海和尚」が建立、「不動堂」には、「身丈」5尺、「総高」8尺の「不動明王」「像」を安置しており、文化15年(1818年)「快恵和尚」により再建されています。
 その他「妙光山観福寺」「境内」には、「鐘楼」、「毘沙門堂」、「位牌堂」、「毘沙門堂」が建ち、「鐘楼」は、文化8年(1811年)建立したもので、「毘沙門堂」があり、「位牌堂」は、文化年間に建立され、「毘沙門堂」ですが、平成7年(1995年)に「量賢和尚」が建立したそうです。

 「妙光山観福寺」の「寺宝」ですが、「釈迦如来」・「薬師如来」・「地蔵菩薩」・「十一面観世音菩薩」・「金銅製懸仏(かけぼとけ)」4体の「国指定重要文化財」が含まれ、「墓域」には「日本全国」を「測量」して歩き、「日本最初」の「実測日本地図」を作った「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「墓」もあるそうです。
 (「伊能忠敬」の「墓」には、「髪」と「爪」を納めているそうです。)
 「妙光山観福寺」には、古い「下総板碑」など、「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。

 また「妙光山観福寺」ですが、「春」の「桜」、「夏」の「緑」(新緑)、「秋」の「紅葉」に代表される「四季」の「景観」の「美しさ」(趣)でも知られており、「四季折々」の「景観」を見に、多くの「参拝者」や「観光客」、「地元客」が訪れており、特に「妙光山観福寺」では、「枝垂れ桜」の「美しさ」で知られています。
 そのため、「妙光山観福寺」では、「ドラマ」や「映画」などの「撮影地」としても多く用いられており、2013年(平成25年)「NHK大河ドラマ」「八重の桜」では、「地元」の「方々」が「会津藩士役」「エキストラ」として参加するなか、「妙光山観福寺」「本堂」を「会津」の「黒谷本陣」に見立てて「撮影」が行われたそうです。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」を祀っている「北総の名刹」「妙光山観福寺」では、例年2月3日に「節分会」(節分追儺式)を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)ですが、14時30分から40分ほど「法要」が行われ、その後「妙光山観福寺」「本堂」前の「特設舞台」で、「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や「年男」による「豆まき」が行われるそうです。

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)の「見どころ」のひとつですが、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による「600巻」の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「経典」を「バラバラ」と広げながら、一斉に「お経」を唱えるというもので、滅多(めった)に見ることのできない「貴重」な「光景」なのだそうで、「迫力満点」の「転読」が繰り広げられるそうです。
 また「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)では、「僧侶」や「年男」による「豆まき」が行われ、「豆まき」では「福豆」や「福銭」が撒かれるほか、「景品」も当たるそうです。

 「日本三大厄除弘法大師」に数えられる「北総の名刹」「妙光山観福寺」で開催される「節分追儺式」「妙光山観福寺」「節分会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(火) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-52-2804
      香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「香取市」には、2つの「観福寺」があり、もうひとつの「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」(2011年12月3日のブログ参照)で、「山倉の鮭まつり」(2011年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

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| 地域情報::香取 | 10:06 AM |
「満願寺」「節分会・追儺豆まき」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「満願寺」で2月3日(火)に開催されます「節分会・追儺豆まき」です。

 「満願寺」(2010年12月11日のブログ参照)は、「銚子市」「天王台」にある「真言宗」の「寺院」です。
 「満願寺」の「御本尊」ですが、「十一面観世音菩薩」で、「寺名」ですが、「補陀洛山満願寺」と呼ばれます。
 「満願寺」「御本尊」の「十一面観世音」ですが、「京都」の「仏師」「松久朋琳」・「宗琳」「作」で、「像高」一丈三尺(約4.3m)、「御州檜」に刻まれた美しい「尊像」で、昭和49年「弘法大師」ゆかりの「坂東二十七番」「飯沼山圓福寺」(2012年2月19日のブログ参照)「本尊」「写し」の「尊像」として「造顕」「奉安」されています。
 「満願寺」は、「徳道上人」が「創設」以来の「巡礼」の「歴史」と「伝統」を受け継いで開設されたそうです。

 「満願寺」の「歴史」ですが、1974年(昭和49年)4月の「満願寺建立発願」から始まり、1976年(昭和51年)12月に、「銚子市」「犬吠埼」(「小畑池」から「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)へ通じる「道路」沿いで、現在は「ホテル」の「駐車場」になっている場所)に「本尊仮奉安所」を建立したそうです。
 そして、1978年(昭和53年)4月に「天王台」の「現在地」を「建立地」に決定し、同年12月に「仮本堂」を建て、1981年(昭和56年)6月に「本堂」を建立しました。
 その後は、1982年(昭和57年)3月に「鎮守堂」、同年12月に「行堂」(薬師堂)、1983年(昭和58年)6月に「四国霊場本尊奉安満願堂」、同年10月に「百観音霊場本尊奉安満願堂」、1984年(昭和59年)12月に「中門」が完成して「第1期建立計画」が完了し、1985年(昭和60年)4月に「落慶法要(らっけいほうよう)」が行われました。
 続いて1987年(昭和62年)6月に「本堂」「奥殿」、1988年(昭和63年)12月に「鐘楼」・「交通安全祈祷殿」・「文殊堂」・「寺務所」、1990年(平成2年)11月に「大師堂」が完成して「第2期建立計画」が完了し、「開創十五周年慶讃大法会(きょうさんだいほうえ)」が行われました。
 更に1999年(平成11年)6月に「本堂」「向拝」・「開山大塔」の「完成」及び「諸仏」の「奉安」を行い、「第3期建立計画」が終了したそうです。
 同年6月からは「第3期建立計画」の「延長」として、2003年(平成15年)10月に「仁王門」が完成した他、「時期」は戻りますが、2002年(平成14年)6月に「駐車場」から「本堂」へ行く為の「介護用エレベーター」、同年12月に「烏枢沙摩(ウスサマ)明王堂」(トイレ施設)などが完成して「一連」の「計画」が終了し、2004年(平成16年)6月に「開創三十周年開山大祭大法会」が行われました。
 「第3期建立計画」で建立された「開山大塔」は、「満願寺」「本堂」「正面」から「直結」した「金色舞台造り」の「さざえ堂様式」の「建物」で、「塔内」「最上部」に「釈迦三尊(しゃかさんぞん)」、「地下」に「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」を「奉安」し、それをつなぐ「らせん状階段」には、「三十三変化観音像」と、「一千巻」の「写経文(しゃきょうもん)」を納めた「三百三十三勝縁寳筒(しょうえんほうとう)」が「奉安」されています。

 「満願寺」には、古くから「信仰」に支えられた「西国」・「坂東」・「秩父」「百観音霊場」や、「弘法大師」が開かれた「四国八十八ヶ所」を勧請し、その他「諸国霊場」を「満願成就」した「人々」の「浄財」で「吉報東端」、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)の切りたった「愛宕山」の「中腹」「岩肌」を「背」に、5000坪の「景勝地」の「境内」に「寺務所」(巡礼の会本部事務所)、「本堂」、「文殊堂」、「不動堂」、「行堂」(修養道場)(薬師堂)、「霊場本尊奉安満願堂」、「修行大師像」(木彫)「奉安」の「大師堂」、「鐘楼」、「鎮守堂」、「烏枢沙摩(ウスサマ)明王堂」、「開山大塔」、「諸国霊場」の「お砂踏場」があり、「中門」「左手」より「本堂」へ向かうと「観音巡礼」の「元祖」「徳道上人」と「閻魔大王」が「奉安」され、つづいて「四国八十八ヶ所本尊」(木彫「松久朋琳」・「宗琳」「作」・昭和49年造顕)が「奉安」されています。
 また「満願寺」「本堂」「向拝」には、「宝塔様式金色舞台造り」の「二層」の「さざえ堂」が建立され、「堂内」には「三百三十」の「勝縁宝筒」・「三十三観音像」が「安置」され、「本堂」の「天井」には「百観音本尊御影」・「三百三十」の「椿絵」があります。
 「満願寺」は、「開山」以来、「全国各地」の「霊場巡拝」の「巡礼」はもとより、多くの「全国」の「有縁」の「人々」が参拝しに訪れ、「願いがかなう観音様」として深く「信仰」されています。

 「満願寺」では、毎月18日の「縁日」は、「観音経」「読誦会」(11時から)が開かれ、「大護摩供」を厳修し、「修養道場」で、「季節」の「味」をいかした「一汁一菜」の「精進薬膳ガユ」の「接待」と、「一度」に60名入れる「大浴場」(「薬師堂」「地下」)で「薬湯」(無料)(9時から16時まで)に入ることができ、「近隣」はもとより「東京方面」からの「参拝者」で賑わうそうです。
 (「参加希望者」は「前日」までに「申し込み」が「必要」です。)

 「満願寺」ですが、「坂東二十七番」「圓福寺」の「奥ノ院」でもありますが、上記のように「坂東巡礼」をはじめ、「諸国霊場」を「巡拝満願」した「有縁」の「人」の「浄財喜捨」によって「開創建立」されたことから、これから「巡礼発願」する「人」から「満願成就」した「人」までの「サービスセンター」としての「役割」をはたすべく「巡礼」・「へんろ」に関する「全国」の「霊場」の「資料収集」をはじめ、「巡拝案内」から毎月「東京」を「中心」に「巡拝団」を募り、「百八十八霊場」はもとより「地方霊場」の「巡拝」「年十五回」以上、三十有余年間続けているそうです。

 「節分」は、「雑説」のひとつで、「各季節」の「始まり」の「日」(「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」)の「前日」のことで、「節分」とは「季節を分ける」ことをも意味しています。
 江戸時代以降は、特に「立春」(毎年2月4日ごろ)の「前日」を指す場合が多く、この場合、「節切月日」の「大晦日」にあたるそうです。

 「節分」の「概要」ですが、「季節」の「変わり目」には「邪気」(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための「悪霊ばらい行事」が執り行われています。
 「節分」の「行事」ですが、「宮中」での「年中行事」であり、「延喜式」では、「彩色」した「土」で作成した「牛」と「童子」の「人形」を「大内裏」の「各門」に飾っていました。
 「土牛童子」ともいわれ、「大寒」の「日」の「前夜」の「夜半」に立てられ、「立春」の「日」の「前夜」の「夜半」に撤去されました。
 「延喜式」によりますと、「土偶」(土人形の意)も「土牛」も、「各門」での「大きさ」は同じで、「土偶」は「高さ」2尺で、「方」1尺5寸・「厚さ」2寸の「板」を立てます。
 「土牛」は、「高さ」2尺・「長さ」3尺で、「長さ」3尺5寸・「広さ」1尺5寸・「厚さ」2寸の「板」を立てます。
 「陽明門」および「待賢門」には、「青色」のものを、「美福門」および「朱雀門」には、「赤色」のものを、「都芳門」、「皇嘉門」、「殷富門」および「達智門」には、「黄色」のものを、「藻壁門」および「談天門」には、「白色」のものを、「安嘉門」および「偉鑒門」には、「黒色」のものを、立てるそうです。
 「公事根源」十二月には、

 「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」

 とあります。
 これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれたそうです。

 「新日本紀」慶雲三年十二月の条によると706年にこの「追儺」が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とあります)、室町時代に使用されていた「桃の枝」への「信仰」にかわって、炒った「豆」で「鬼」を追い払う「行事」となって行ったそうです。
 「臥雲日件録」(瑞渓周鳳)によりますと、1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されています。
 近代、上記の「宮中行事」が「庶民」に採り入れられたころから、「節分」「当日」の「夕暮れ」、「柊」の「枝」に「鰯」の「頭」を刺したもの(柊鰯)を「戸口」に立てておいたり、「寺社」で「豆撒き」をしたりするようになったそうです。

 「節分会」ですが、「節分」の「際」に、「主」に「仏教寺院」で執り行われる「法会」のひとつです。
 「節分会」では、多くの場合、「法要」とともに「豆撒き」が行われるそうです。

 「節分会・追儺豆まき」ですが、「満願寺」で行われる「恒例行事」で、2月3日(火)に催されます。
 「節分会・追儺豆まき」ですが、13時00分から行われ、「満願寺」には多くの「参拝者」、「豆まき」に訪れた「観光客」で賑わうそうです。

 「巡礼の寺」「満願寺」で開催されます「節分」に執り行われる「法会」「節分会・追儺豆まき」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「満願寺」「節分会・追儺豆まき」詳細

 開催日時 2月3日(火) 13時〜

 開催会場 満願寺 銚子市天王台9822-1

 問合わせ 満願寺 0479-24-8416

 備考
 「満願寺」では、毎年6月18日に「開山大祭」が行われているそうです。
 また「満願寺」「境内」には、6000本の「椿」が植えられ、「椿寺」として12月末から3月まで「花」が楽しめるそうです。
 「満願寺」では今後、「中門」「左側」に「五百羅漢堂(ごひゃくらかんどう)」を「建立」する「予定」で、「計画」が進められているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:49 AM |
「水神社永代大御神楽(すいじんじゃえいたいおおみかぐら)」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「水神社」で2月1日(日)に開催されます「水神社永代大御神楽(すいじんじゃえいたいおおみかぐら)」です。

 「水神社」ですが、1301年に創建された「旭市」「後草」に鎮座する「古社」で、「旧・海上町」「後草地区」では、古くから「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「神社」です。
 「水神社」の「鳥居」ですが、天和3年(1683年)建立の「銘」がある「鳥居」で、「石鳥居」としては「千葉県」でも古いとされる「鳥居」があります。
 しかし「水神社」「石鳥居」は、1971年(昭和46年)に「台風25号」のために倒れ、「貫」が折れてしまい、取り替えたそうです。
 また「水神社」の「鳥居の様式」ですが、「明神鳥居」となっており、「願主別当金蔵院住持長宝石工 六兵衛作之」の「銘」を読むことができます。

 「水神社永代大御神楽」ですが、「旭市」「後草地区」の「村の鎮守」として、深い「信仰」を集めてきた「水神社」で、毎年2月の「第1日曜日」に奉納されている「神楽」です。
 「水神社永代大御神楽」は、鎌倉時代から800年も続いており、「水神社永代大御神楽」の「内容」ですが、「豊年万作」を記念して「春先」に奉納した「岩戸神楽」の「系列」といわれる「内容」となっていますが、この「神楽」の「起源」は、実際には「不明」なのだそうです。
 (起源ですが、建久年間(1190〜1199年)に始まったという「説」もあります。)
 「水神社永代大御神楽」では、古式ゆかしい「衣装」に「身」を包んだ「優雅」な「舞」が披露され、いにしえの「情景」を「今」に色濃く伝えています。

 「水神社永代大御神楽」は「昔」、「旧暦」の2月8日の「村祈念」に行われていましたが、その後、「新暦」の2月1日に「日程」が変わり、現在「水神社永代大御神楽」は、上記のように2月の「第1日曜日」に実施されています。
 「水神社永代大御神楽」に参加されるのは、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」を奏する「後草」の20歳前後の「青年たち」で、「奉納」に係わる「諸準備」を行う「神楽世話人」は、「壮年期」の「男性」が「2年交代」で奉仕しているそうです。
 「水神社永代大御神楽」では、「オドウ」(当屋)(当番制)と決まった「家」から「神社」に参進の上、「神楽殿」(神楽舞台)で演舞することになっています。
 「水神社永代大御神楽」の「特長」ですが、「オドウ」(当屋)と呼ばれる「当番制」が残っていることで、「後草地区」は、「字(あざ)後草区」(335戸)と「字(あざ)広原区」(約600戸)で構成され、1年交代で「オドウ」(当屋)を務めており、2010年(平成22年)の「オドウ」(当屋)ですが、「後草区」の「担当」であったそうです。

 「水神社永代大御神楽」の「内容」ですが、「記紀神話」に基づく「岩戸神楽」で、「手力男」が「具体的」に「岩戸」を開ける「所作」がないそうで、これは「千葉県」「北東部」の「下総神楽」の「特長」なのだそうです。
 「水神社永代大御神楽」の「内容」は、「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」の「」「乱暴」な「行状」に怒り、「天の岩戸」に隠れた「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「神話」を演じるものとなっています。

 「水神社永代大御神楽」ですが、「次」の「十二座」から成り、下記の通りとなっています。

 1 猿田彦命(さるたひこのみこと) (天狗)

 2 天鈿女命(あまのうずめのみこと)

 3 三(参)宝荒神

 4 八幡大神

 5 天手力男命(あまのたぢからのみこと)

 6 榊葉

 7 稲荷保食命 (稲荷キリ)

 8 田神(田ノ神)・種播 (稲荷と狐)

 9 春日大神

 10 恵比寿大黒

 11 乙女の命 (乙女)

 12 素盞鳴尊(すさのおのみこと) (〆切)

 となっています。
 以前は、この後「湯神楽」(湯立て)が行われていたそうです。
 (現在、9「春日大神」は、40年以上演じていないそうです。)
 「水神社永代大御神楽」では、最後に「神楽」の「舞台」上から「客席」に「新粉餅」を投げる場面があり、これを食べると「無病息災」になるといわれています。

 「水神社永代大御神楽」は、「旧・海上町」「後草地区」にある「水神社」で奉納されている「伝統神楽」で、「後草地区」で行われていることから「うしろぐさ神楽」とも呼ばれています。
 「水神社永代大御神楽」の「舞」ですが、「地区」の「方」が「年代」によって「役割分担」をしており、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」は、「地区」の20歳前後の「若者」が、その他、「準備」をする「神楽世話人」(40〜50歳くらいの男性)、「稚児(ちご)」(女子児童8人)も参加するそうです。

 「旧・海上町」「後草地区」の「鎮守」「水神社」で開催される「古式」ゆかしい「伝統神楽」「水神社永代大御神楽」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水神社永代大御神楽」詳細

 開催日時 2月1日(日) 12時頃〜

 開催会場 水神社 旭市後草1923

 問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728

 備考
 「水神社永代大御神楽」に使われる「神楽面」ですが、16面だそうです。
 また「水神社永代大御神楽」ですが、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」(昭和29年3月31日指定)に指定されています。

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| 地域情報::旭 | 10:22 AM |
「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で2月1日(日)に開催されます「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38756人となっており、「男性」19065人、「女性」19691人、「世帯数」14450世帯となっています。
 (平成26年12月31日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して「良好」なため、上記のように「温暖」な「気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の「主(おも)」だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「いちご」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ねぎ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県」「唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(わかしおぎゅう)」などが作られています。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 そして「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、上記のように「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「キャプテン☆C」ですが、「千葉テレビ放送」が制作した「ご当地ヒーロー」です。
 「キャプテン☆C」の「コスチューム」ですが、「青」と「黄色」を「基調」とした「戦隊ヒーロー」を模したもので、「青」は「千葉の青い海」、「黄色」は「千葉を代表する植物のナノハナ」を表現しているそうです。
 「キャプテン☆C」の「C」ですが、「Chiba」の「C」だけではなく、「Challenge」、「Chance」、「Charge」、「Communication」の「意味」もあり、「サッカー」において、「リーダーシップ」があるという「意味」の「キャプテンシー」にもなぞられているそうです。
 「ヒーロー」といえば「かっこよさ」が「重要視」されますが、「キャプテン☆C」は「ゆるさ」も「特徴」のひとつであり、「独特」の「ゆるヒーロー」という「ヒーロー像」を作り上げています。

 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「記念イベント」で、2月1日(日)10時00分から行われます。
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」は、「ふれあいパーク八日市場」の「レジ通過者」が600万人を達成した「事」を「記念」して開催される「イベント」で、「ふれあいパーク八日市場」では、「ご来店」に「感謝」して、「イベント当日」「お買い物」をしていただいた「方」に「記念品」をプレゼントするそうです。
 また、「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」では、「千葉テレビ放送」にて「放映中」の「キャプテン☆C」が「ふれあいパーク八日市場」に訪れ、「キャプテン☆C」が「ふれあいパーク八日市場」を「舞台」に「大活躍」するそうです。
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」の「キャプテン☆C」「登場時間」ですが、1回目は11時00分から、2回目は13時30分からの「1日」2回登場するそうです。
 また「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」では、「広場」にて「焼きそば」、「豚汁」、「焼きいも」の「販売」を実施し、「来場」の「お子様」には「ポップコーン」の「プレゼント」があるそうです。

 「匝瑳」の「人気スポット」で「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「記念イベント」「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」詳細

 開催日時 2月1日(日) 10時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」ですが、「雨天時」は「キャプテン☆C」の「握手会」のみ実施するそうです。





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| 地域情報::匝瑳 | 10:07 AM |

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