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「成田ソラあんぱん」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」の「地元特産品」と「コラボ」した「スイーツ」「成田ソラあんぱん」です。

 「成田市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北部中央」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)に位置する「市」で「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)や「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)などで知られており、「業務核都市」に指定されています。
 「成田市」は、「成田山新勝寺」、「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)の「二大霊場」を有する「門前町」として栄え、明治期には「宮内庁下総御料牧場」が置かれるなど、1950年代まで「観光」と「農業」の「振興」を「二大施策」とした「田園都市」でした。
 「成田市」は、1960年代に入りますと「市」の「南東部」に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)の「建設」が決定され、1978年(昭和53年)の「空港開港」と「高度経済成長」とともに、「市域」の「経済・産業構造」に「多大」な「変化」がもたらされる事になります。
 「成田市」は、かつては「純農村」でありましたが、現在では「農業人口」は減少し「都市近郊農業型」へと転換しています。
 その反面「成田市」は、「空港関連」の「サービス業」など「第三次産業」が生まれ、新たな「雇用」が創出されました。
 また「成田市」は「観光面」ではかつて程の「活況」は無くなりつつありますが、「成田山新勝寺」では現在も「正月三が日」だけで270万人以上、「年間」約1000万人もの「参拝客」で賑わう、「全国屈指」の「霊場」の「まち」として成り立っています。
 「成田市」は、1986年(昭和61年)には「一極集中」の「回避」を「目的」とする「業務核都市」に指定され、「千葉県」からは「千葉新産業三角構想」の「中核都市」として位置付けられています。
 「成田市」は、「国」の「構造改革特別区域法」に基づき2003年(平成15年)4月21日に「国際空港特区」、同年5月23日に「国際教育推進特区」に認定されました。
 「成田市」は2006年(平成18年)3月27日、「香取郡」「下総町」、「大栄町」を編入しました。

 「地元の特産品とコラボしたスイーツを作って成田をもっと元気にしたい!」「空飛ぶあんぱんを作ろう」、「地元の食材を使った新しいあんぱんを成田国際空港から世界に広めよう」と、そのような「思い」を持ち、「希望」を持った「成田市」の「女子職員有志」の7人が立ち上がり、2011年9月に「成田ソラガール」を結成しました。

 その後「成田市」では、2011年(平成23年)に「成田ブランド推進プロジェクトチーム」の「皆さん」により「ご当地グルメ」を通じて、より多くの「人」に「成田」をPRできるよう「あんぱん」の「開発」を進めてきました。
 誰もが「気軽」に味わうことができ、「地元」の「食材」を使って作れるもので、「空港」と「地域」が一体となった新たな「魅力」をPRできるのは、「和」と「洋」の「要素」が「一体化」した「あんぱん」しかないと、そのような「プロジェクトチーム」の熱い「思い」から、「開発」がスタートしたそうです。
 「成田市」では、「市内」の「事業者」の「方」・「農家」の「皆さん」などから「アドバイス」を受けながら、「地元」に愛され、今まで「成田」を知らなかった「人」も魅了するような「あんぱん」を目指して、「開発」に取り組んできました。
 その後、「成田ソラガール」と「成田市内」の「事業者」の「皆さん」、「農家」の「皆さん」が1年以上かけて開発し、「地元」の「名産品」を使って作成した「成田独自」の「オリジナルあんぱん」が「成田ソラあんぱん」が誕生したそうです。
 「成田ソラあんぱん」は、2012年(平成24年)7月1日から「販売」が始まり、その後も新しい「種類」の「あんぱん」を作成するため、日々「試行錯誤」をされていたそうです。
 「当時」の「販売」されていた「成田ソラあんぱん」は、「上質な大人の味」「鉄砲漬けあんぱん」(製造者・成田ビューホテル)(210円税込)、「ヘルシー&ビューティー」「レンコンさつまいもあんぱん」(製造者・成田ビューホテル)(210円税込)、「牧場の牛乳×ピーナツバター」「ピーナツあんぱん」(製造者・成田ゆめ牧場)(250円税込)、「パン好きにはたまらない」「ハード生地さつまいもあんぱん」(製造者・下田康生堂ぱん茶屋)(200円税込)だったそうです。
 「鉄砲漬けあんぱん」ですが、「成田ビューホテル」「2Fコンビニエンスショップ」で販売されており、「レンコンさつまいもあんぱん」は、「成田ビューホテル」「2Fコンビニエンスショップ」で販売されており、「ピーナツあんぱん」ですが、「成田ゆめ牧場」()「牧場内ビーズニーズ」と「成田ゆめ牧場」「COWCOW」、「momom花崎町店」で販売されており、「ハード生地さつまいもあんぱん」ですが、「下田康生堂ぱん茶屋」で販売されています。

 その後、「成田市」では、「ご当地スイーツ」「成田ソラあんぱん」の「新規事業者」を募集し、その「新作」「7種類」が「市内3事業者」によって開発され、8月20日に「認証式」が8月25日の「成田ふるさとまつり」では「試食」と「販売」が行われたそうです。
 新しく「認証」された「成田ソラあんぱん」ですが、「知的障がい者施設」「アーアンドディだいえい」(津富浦)は、「サツマイモ」「ベニアズマ」を使用した「成田ソラあんぱん」を開発し、「パン屋」「ブーランジェリーカフェ プチメゾン」(美郷台)は、「サツマイモ」「紅まさり」や「ピーナツ」を使った「成田ソラあんぱん」「2種類」を開発、「ANAケータリングサービス成田工場」は、「ニンジンジュース」や「地酒」、「みそ」、「果肉」が「黄色いクリームスイカ」を「材料」に「成田ソラあんぱん」「4種類」を開発したそうです。
 「アーアンドディだいえい」が開発した「成田ソラあんぱん」は、「併設店」「空とぶパンだ」などで購入でき、「ANAケータリングサービス成田工場」が開発した「成田ソラあんぱん」は、「成田国際空港」の「全日空ラウンジ」での提供、「ANAクラウンプラザホテル」での「販売」が予定されているそうです。

 「成田ソラガール」と「市内」の「事業者」・「農家」の「皆さん」が1年以上かけて開発した「地元」の「おいしいもの」を使った「新しい」「あんぱん」、「ご当地スイーツ」「成田ソラあんぱん」。
 「成田」を愛する「人」は「必食」の「ご当地スイーツ」を買いに「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「成田市」のいろいろな「人々」の「思い」が「ぎゅっ」と詰まった「成田ソラあんぱん」のひとつ「ハード生地さつまいもあんぱん」は、「JAL」の「成田〜ボストン便」「初フライト」の「お土産」に採用されたそうです。



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| 地域情報::成田 | 10:26 AM |
「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田観光館」で9月1日(日)〜9月28日(土)の期間開催されます「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「真言宗智山派」の「大本山」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れます。

 「成田山新勝寺」「開山の祖」「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、この地に「成田山新勝寺」を開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある「大変」に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の「他」にも「京都」に「遍照寺」を開山しておられます。
 「寛朝大僧正」は、当時としては「第一級」の「文化人」で「芸事」にも秀で、「東密声明」の「中興の祖」とも言われています。
 「声明(しょうみょう)」とは「日本」の「伝統芸能」のひとつで、「仏典」に「節」をつけて唄え、「儀式」に用いられる「宗教音楽」のことです。
 「寛朝大僧正」は、「空海」が伝えたものを「基礎」とした、「真言声明」の「作曲」・「整備」につとめたと言われています。

 「芸事」に「造詣」の深い「寛朝大僧正」に「縁」あってか、「成田山新勝寺」は「歌舞伎」とも大変深い「つながり」があります。
 「歌舞伎」の「市川宗家」の「屋号」は、「成田屋」で、この「成田」は、実は「成田山」の「成田」が「ルーツ」なのだそうです。
 「初代市川團十郎丈」の「父親」は、現在の「成田市」「幡谷」出身で、「初代團十郎丈」は、「子宝」に恵まれず、「成田山」で祈願したところ「願い」が叶って「2代目」を授かったのを大変喜んで「屋号」を「成田屋」としたと言われています。

 江戸時代末期、寛政・天保年間の頃、「庶民」の「娯楽」である「歌舞伎」にも「制限」が加えられ、「江戸」を追放された「七代目」は「成田山」に程近い「延命院」に「身」を寄せたそうです。
 現在では、この「延命院」跡は「成田山表参道」を行き交う「参拝客」が「腰」をおろして休める「ポケットパーク」として整備されています。
 以来、現在の「十二代目」に至るまで「市川宗家」と「成田山新勝寺」は大変深い「縁」で結ばれており、「市川宗家一門」は「節目節目」に「成田山」の「参拝」を続けてきたそうです。
 「成田山新勝寺」では、「市川宗家」が奉納した「品々」を、「寺宝」として大切に保管しているそうです。

 「市川團十郎」(新字体・団十郎)は、「歌舞伎役者」の「名跡」で、「屋号」は「成田屋」、「定紋」は「三升(みます)」、「替紋」は「杏葉牡丹(ぎょようぼたん)」、「役者文様」は「釜輪ぬ(かまわぬ)」です。
 「市川團十郎家」は「歌舞伎」の「市川流」の「家元」であり、「歌舞伎」の「市川一門」の「宗家」でもあります。
 その長い「歴史」と数々の「事績」から、「市川團十郎」は「歌舞伎役者」の「名跡」のなかでも最も「権威」のある「名」とみなされています。

 「團十郎」と「関わり」の深い「名跡」に「市川海老蔵」があります。
 「前期」の「市川團十郎」には「團十郎」→「海老蔵」と襲名する「例」が目立ち、「後期」にはこれが逆転して「海老蔵」→「團十郎」と襲名する「例」が目立つようになっています。
 「先代」の「十二代目市川團十郎丈」が最初に襲名したのが「市川新之助」、その子で「当代」の「市川海老蔵」が最初に襲名したのも「市川新之助」であったため、「市川宗家」では「新之助」→「海老蔵」→「團十郎」と襲名するのが「通例」だと誤解されがちですが、実際にかつて「新之助」を名乗った者がのちに「團十郎」を襲名したのは、この「十二代目」の他には「七代目」と「八代目」があるのみです。

 なお「團十郎」の「名跡」はその「圧倒的」な「存在感」とは裏腹に、「代々」のうち「半数」は何らかの形で「非業」な「最期」を遂げられていることでも知られているそうです。
 すなわち、「初代」は「舞台上」で「共演」の「役者」によって刺殺され(満44歳)、「三代目」は「公演先」の「大坂」で「病」を得て「江戸」には戻ったものの「2か月後」に死去(満21歳)、「六代目」は「風邪」をこじらせて急死(満21歳)、「八代目」は「公演先」の「大坂」で「謎」の「自殺」を遂げ(満31歳)、「十一代目」は「團十郎襲名後」わずか「3年半」で病死(満56歳)、そして「十二代目」が「9年間」に及ぶ「壮絶」な「闘病」もむなしく力尽きたことは「記憶」に新しく(満66歳)、「代々」の「墓」は「青山霊園」にあるそうです。

 「成田観光館」は、「成田山新勝寺」の「表参道」沿いにある「成田」の「観光情報」を紹介する「観光情報館」です。
 「成田観光館」の「入口」には「ポケットパーク」があり、「観光」の「合間」にゆったりと「休憩」することが出来ます。
 「成田観光館」「館内」は「1階」に「観光情報コーナー」があり、「成田市内」の「観光スポット」をわかりやすく紹介しています。
 また「成田観光館」「2階」からは「成田祇園祭」()で実際に曳き廻される「豪華絢爛」な「山車」を見学することができ、「勇壮」な「お祭り」に思いを馳せることが出来ます。
 「成田観光館」「3階」の「展示室」では様々な「展示」を行います。
 「成田観光館」では、「1階」の「ご案内カウンター」で「専門職員」に「成田」の「観光情報」を尋ねることができます。

 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」は、今年(2013年)の2月に急逝されました「第十二代市川團十郎丈」を偲んで「(社)成田市観光協会」主催で開催される「展示会」です。
 上記のように「市川宗家」と「成田山新勝寺」、「成田市」との「ご縁」は、「初代團十郎丈」以来300余年にわたる、深い「不動尊信仰」によって結ばれ、数多くの「不動明王霊験記」を上演されるなど、今日に至るまで連綿と継承されています。
 殊に「第十二代團十郎丈」には、「團十郎襲名奉告お練り」や「成田山開基記念」の「御開帳」や「特別行事」に併せて、その都度「奉賛のお練り」や「成田山大本堂」前での「奉納演舞」を開催しており、「成田」の「人々」とも深い「縁」で結ばれています。
 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」では、「成田山新勝寺」所蔵の「ゆかり」の「品々」を通して、「歴代團十郎」との深い「縁」を鑑賞できる「展示会」となっているそうです。

 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」では、「成田山新勝寺」所蔵の「歴代團十郎」の「ゆかり」の「品々」が展示されます。
 「見どころ」は、「十一代目團十郎」が「舞台」で着用し、「成田山」に奉納した「勧進帳弁慶」の「衣装」だそうです。
 「勧進帳弁慶」の「衣装」には、「成田山御本尊不動明王」を表す「カンマン」という「梵字」が「衣装」に配され、この「梵字」は「成田山新勝寺」の「御護摩札」にもしたためられており、「成田屋」「市川宗家」の篤い「不動信仰」をうかがい知ることができます。
 また江戸時代に作成された「浮世絵」の数々の「展示」され、「市川家」の「歌舞伎十八番」、「ゆかり」の「浮世絵」も展示され、「浮世絵」を愛でながら、「お家芸」「歌舞伎十八番巡り」を楽しめるそうです。

 また「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」では、「写真パネルでみる團十郎丈」と題し「写真パネル展」も展示されます。
 「十二代目市川團十郎」も「成田山新勝寺」の様々な「節目」に参詣され、多くの「思い出」を残されており、「市川宗家」に伝わる「成田山」への「感謝の心」を、現在の「人達」に「歌舞伎」を通して伝えることで「成田山」を支えてくれたそうです。
 「華」があり「豪快」で「骨太」な「芸」で多くの「人々」を魅了した「十二代目市川團十郎」は、「歌舞伎会」の「大看板」「成田屋」の「屋号」と共に「成田」の「名声」を高めていただいた「功績」に感謝し、「成田山」に残る「写真」とともに、「十二代目市川團十郎」の「在りし日」の「姿」を振り返るそうです。

 「成田」の「観光情報」の「発信」している「成田観光館」で行われる「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」詳細

 開催期間 9月1日(日)〜9月28日(土)

 開催会場 成田観光館 成田市仲町383-1

 開館時間 10時〜16時 (入場は15時半まで)

 入場料  無料

 問合わせ 成田観光館 0476-24-3232

 備考
 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」が開催される「成田観光館」の「休館日」ですが、期間中は9月2日(月)・9日(月)・17日(火)・24日(月)となっています。
 「市川團十郎展〜成田屋の成田山との深い縁と十二代目を偲ぶ〜」では、「成田山開基1070年祭記念大開帳」での、「十二代目市川團十郎丈」と「十一代目市川海老蔵丈」の「奉納演舞」が「ビデオ上映」されるそうです。




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| 地域情報::成田 | 08:59 PM |
「成田山みたま祭盆踊り大会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「弘恵会田町駐車場」で8月23日(金)・24日(土)に開催されます「成田山みたま祭盆踊り大会」です。

 「成田市」は、「面積」約214平方km、「人口」は131240人(男性 66088人、女性 65152人、世帯数 57365世帯)(平成25年7月現在)、「千葉県」の「北部中央」に位置する「中核都市」です。
 「成田市」の「北」はとうとうと流れる「坂東太郎」・「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)をへだてて「茨城県」と接し、「西」は「県立自然公園」に指定されている「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「東」は「香取市」と接しています。

 「成田市」の「市」の「西側」には「根木名川」、「東側」には「大須賀川」が流れ、それらを取り囲むように「広大」な「水田地帯」や「肥沃(ひよく)」な「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「畑地帯」が広がっています。
 「成田市」「北部」から「東部」にかけての「丘陵地帯」には「工業団地」や「ゴルフ場」が点在し、「南」には「日本の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)・「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)があります。
 また「成田市」の「市」の「中心部」である「成田地区」は1000年以上の「歴史」がある「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「門前町」として栄え、毎年多くの「参拝客」で賑わいます。
 「成田市内」にはほかにも数多くの「寺社」が点在しており、豊かな「水」と「緑」に囲まれた「伝統的」な「姿」と「国際的」な「姿」が融和した「都市」です。

 「成田山新勝寺」は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつ、「成田のお不動様」として親しまれている「関東三大不動」のひとつである「日本屈指」の「名刹」です。
 「成田山新勝寺」は、「寛朝大僧正」が天慶3年(940年)に開山した「真言宗智山派」の「大本山」で、「御本尊」の「不動明王」は、平安時代、「嵯峨天皇」の「勅願」により「弘法大師」が「一刀三礼」、「敬慮」な「祈り」を込めて彫り開眼し、「朝夕」に「天下泰平」・「五穀豊穣」・「万民豊楽」の「護摩法」を修せられた「霊験」あらたかな「ご尊像」だそうです。
 「成田山新勝寺」は、「朱雀天皇」の天慶2年(939年)、「平将門の乱」「平定」の為、「寛朝大僧正」によって「当地」に遷座、「成田山」が開山されました。

 「成田山新勝寺」の「寺名」は一般には「成田不動」あるいは単に「成田山」と呼ばれることが多いそうです。
 「成田山新勝寺」では、「年間」に約1000万人の「参詣者」が訪れ、「年中行事」も数多く企画されています。
 なお「成田山新勝寺」は、2008年(平成20年)4月に「開基1070年」迎えています。
 (正確には、2008年は「開基1068年」にあたりますが、「成田山新勝寺」では「開基1000年祭」を1938年(昭和13年)に祝ったため、2008年を「開基1070年」としています)
 「成田山新勝寺」では毎年「千葉県警」は「正月」の「初詣客数」を発表しており、その「数」は2006年(平成18年)では「275万人」、2007年(平成19年)は約「290万人」となっており、「明治神宮」に次ぐ「全国2位」となっており、「千葉県内1位」となっています。
 「成田山新勝寺」「駐車場」ですが、「成田山新勝寺」周辺に「民間」・「市営」合わせて20箇所あり、「正月」は40箇所となるそうです。

 「成田山みたま祭盆踊り大会」(2012年8月18日・2011年8月21日のブログ参照)は、昭和8年8月、「成田山新勝寺」の「新更会」の「主催」により、「第1回盆踊り大会」が開催されたのが「始まり」という古い「歴史」のある「盆踊り大会」です。
 その後、昭和12年頃より「戦没者」の「御霊」の「供養」をするため、「社団法人成田市観光協会」の「前身」である「参光協会」と「成田山交道会」が「成田山みたま祭盆踊り大会」として開催し、今に続いているそうです。

 「成田山みたま祭盆踊り大会」では、「成田市民軽音楽団」の「軽快」な「演奏」、「成田不動太鼓」の力強い「太鼓」の「音色」に合わせて、「会場」に集まった「踊り手達」が、「やぐら」を「二重三重」の「輪」で囲みます。
 「成田山みたま祭盆踊り大会」「踊り手」は、「地元女人講」を中心とした「近在」の「ご婦人達」をはじめとした「大勢」の「皆様」で、「浴衣姿」も美しく、「可憐」な「踊りの輪」が広がっていくそうです。
 「成田山みたま祭盆踊り大会」では、「各交通会社」に勤務する「スタッフ」や、その「ご家族」をはじめ、「ご友人」の「皆様方」にも参加いただいており、本年(2013年)は8月23日(金)に「JAL」(日本航空株式会社)の「皆様」、8月24日(土)には「ANA」(全日本空輸株式会社)の「皆様」に参加していただくそうです。

 「成田山みたま祭盆踊り大会」では、「ハツラツ」とした「若さ」に溢れる「笑顔」の「輪」が「幾重」にもあふれ、「皆様」とても楽しく踊っており、「滞在中」の多くの「外国人」の「皆様」も「参加」になっており、「各国」の「文化交流」の「場」としても楽しめる「盆踊り大会」は、「国際都市」「成田」ならではの「光景」が広がるそうです。
 「成田山みたま祭盆踊り大会」には、「子供」に「大人気」の「成田市観光キャラクター」の「うなりくん」(2013年1月3日・2011年1月15日のブログ参照)も登場し、「会場」を盛り上げ、「休憩時間」には、「お子様達」に「お菓子」が配られるそうです。
 また「成田山みたま祭盆踊り大会」では、「会場」に集まっている「皆様」に「うちわ」を配布し、20時過ぎには「成田」の「夜空」に「打ち上げ花火」も打ち上げられるそうです。

 「成田山新勝寺」まで「徒歩2分」の位置にある「駐車場」「弘恵会田町駐車場」で開催される古い「歴史」のある「お祭り」「成田山みたま祭盆踊り大会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「成田山みたま祭盆踊り大会」詳細

 開催日時 8月23日(金)・24日(土) 19時〜21時半

 開催会場 弘恵会田町駐車場 成田市田町331-1

 問合わせ 社団法人成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田山みたま祭盆踊り大会」は、8月23日(金)・24日(土)の「両日」「雨天」の「場合」は8月25日(日)に順延されるそうです。
 「成田山みたま祭盆踊り大会」では、8月23日(金)は、19時から「戦没者慰霊」と「新盆精霊」、「先祖供養」の「法要」が「成田山新勝寺」の「僧侶」により執り行われ、そのあと「盆踊り」が開始されるそうです。

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| 地域情報::成田 | 04:01 PM |
「十七夜講(じゅうしちやこう)・サマーフェスティバル」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「芝山仁王尊」「観音教寺」で8月17日(土)に開催されます「十七夜講(じゅうしちやこう)・サマーフェスティバル」です。

 「芝山仁王尊」「観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)は、「山武郡」「芝山町」にある「天台宗」の「寺院」で、「山号」は「天応山(天應山)」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
 「芝山仁王尊」「観音教寺」は、上記のように「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の「寺院」で、「正式名称」を「天應山観音教寺福聚院」というそうです。
 「芝山仁王尊」「観音教寺」は、「上総国薬師如来霊場第28番」(結願)、「新上総国三十三観音霊場第33番」(結願)、「東国花の寺百ヶ寺千葉6番札所」としても知られています。

 「芝山仁王尊」「観音教寺」の「由緒」ですが、奈良時代末期、人皇第四十九代「弘仁天皇」の宝亀11年(780年)の「正月」、「平城京」が「雷火」に襲われ、「皇室擁護」の「寺院」が多く焼失したため、「諸国」に命じて新たに「仏寺」を建てせしめたそうです。
 「芝山仁王尊」「観音教寺」は、天応(天應)元年(781年)「勅命」により、「征東大使」「中納言 藤原継縄」公がこの「布令」の下に「当地」に「寺院」を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
 「芝山仁王尊」「観音教寺」は、天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に「甍(いらか)」の「数」を増やし、近隣に八十余字の「子院」を置くに至ったと伝えられています。
 その後「芝山仁王尊」「観音教寺」、中世に「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の「崇敬」を受け、許多の「仏田」が寄進され、永く「祈願所」として栄えますが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の「影響」を受け、「観音教寺」も「全山灰土」と化したと伝えられています。
 やがて江戸時代に入り「芝山仁王尊」「観音教寺」は「徳川幕府」の「庇護」の下、「十万石」の「格式」を持つ「伴頭拝領寺」として「関東天台」の「中核」となす「寺院」になったそうです。

 特に「芝山仁王尊」「観音教寺」は、「火事泥棒除け」「厄除け」の「仁王尊天」として「大江戸」の「庶民」の「信仰」を集め、「いろは四十八組」の「町火消」が「纏(まとい)」を「先頭」に競って参詣していたと伝えられています。
 現在でも「芝山仁王尊」「観音教寺」には、「有名」な「新門辰五郎」の旧「を組」の「記念碑」が「境内」に建っており、その「信仰」が今日(こんにち)まで「連綿」として伝えられていることが分かります。
 以上のことから「観音教寺」は、「火事除け」「泥棒除け」の「仁王尊」として知られ、「芝山仁王尊」とも呼ばれています。

 「十七夜講(じゅうしちやこう)〜精霊会〜」は、「ご先祖」を供養する「お盆」の「伝統行事」として、江戸時代に「端」を発する「縁日」の「宵祭り」で、近年では「芝山」周辺地域の「夏の風物詩」として「町民」や「近隣」の「人々」にも親しまれています。
 「十七夜講〜精霊会〜」では17時から「芝山仁王尊」「観音教寺」「本堂」にて「放生会(ほうしょうえ)法要」、「総回向法要」を行った後、18時から「洗浄池」で「灯籠流し」を行うそうです。
 「十七夜講」は、毎年8月17日に「芝山仁王尊」「観音教寺」で行われる「恒例行事」で一昨年(おととし)に引き続き、「芝山仁王尊」「観音教寺」「境内」に沢山の「灯籠」を配して「精霊」を供養する「万燈会」を厳修するそうです。
 昨年(2012年)「十七夜講」「万燈会」では、「大地震」の「犠牲者」の供養し、一日も早い「被災地」の「復興」と「原発事故」の「収束」を祈る、多くの「僧侶」による「天台声明」をお唱えする「法要」を行ったそうです。
 また「万燈会」「灯籠」の「献燈」に「協力」を行い、「一基」500円の「献燈料」は「義援金」として「東日本大震災」の「被災地」へ届けたそうです。

 「芝山仁王尊」「観音教寺」では、「東日本大震災」で「被害」を受けた「三重塔」の「修復工事」も昨年(2012年)終了し、3年ぶりに「十七夜講・サマーフェスティバル」を再開し、「芝山仁王尊」「三重塔」前に「真夏」の「祭典」が復活するそうです。
 「十七夜講・サマーフェスティバル」の「タイムスケジュール」ですが、以下の通りとなっています。

 17時00分 放生会

 18時00分 総回向法要

 18時30分 灯籠流し

 19時00分 サマーフェスティバル(沖縄音楽とエイサー)

 「十七夜講・サマーフェスティバル」では、「シューベルトまつだ」さんの「島唄ライブ」、「成田美ら海会」の「エイサー」、「フリージア」の「ライブ」となっています。

 「芝山」の「古刹」「芝山仁王尊」「観音教寺」で行われる「夏の風物詩」「十七夜講・サマーフェスティバル」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「十七夜講・サマーフェスティバル」詳細

 開催日時 8月17日(土) 17時〜

 開催会場 芝山仁王尊観音教寺 山武郡芝山町芝山298

 問合わせ 芝山仁王尊観音教寺 0479-77-0004

 備考
 「芝山仁王尊」「観音教寺」「三重塔」ですが、江戸時代の天保7年(1836年)「銅板平葺」、「高さ」24.98mの「建造物」で、「千葉県」の「県指定文化財」に指定されています。

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「下総ふるさとふれあい納涼まつり」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「下総運動公園」で8月16日(金)に開催されます「下総ふるさとふれあい納涼まつり」です。

 「成田市」は、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北部中央」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)に位置する「市」で、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)や「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)などがあることで知られており、「業務核都市」に指定されています。

 「成田市」は、「成田山新勝寺」、「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)の「二大霊場」を有する「門前町」として栄えてきました。
 「成田市」は明治期には「宮内庁下総御料牧場」が置かれるなど、1950年代まで「観光」と「農業」の「振興」を「二大施策」とした「田園都市」だったそうです。
 「成田市」は1960年代に入ると「成田市」の「南東部」に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)の「建設」が決定され、1978年の「空港開港」と「高度経済成長」とともに、「市域」の「経済」・「産業構造」に「多大」な「変化」がもたらされる事になり、かつて「成田市」は「純農村」でしたが、現在では「農業人口」は減少し「近郊農業型」へと転換しています。
 その反面、「成田市」では「空港関連」の「サービス業」など「第三次産業」が生まれ、新たな「雇用」が創出され、また「観光面」ではかつて程の「活況」は無くなりつつあるそうですが、「成田山新勝寺」では現在も「正月3が日」だけで270万人以上、「年間」1000万人もの「参拝客」で賑わう、「全国屈指」の「霊場」の「まち」でもあります。
 1986年には「成田市」は「一極集中」の「回避」を「目的」とする「業務核都市」に指定され、「千葉県」からは「千葉新産業三角構想」の「中核都市」として位置付けられています。
 また「成田市」は「国」の「構造改革特別区域法」に基づき2003年(平成15年)4月21日に「国際空港特区」、2003年5月23日には「国際教育推進特区」に認定され、「成田市」は、2006年(平成18年)3月27日、「香取郡」「下総町」、「大栄町」を編入しています。

 「成田市」は、「首都」「東京都」から50km圏内、(「成田国際空港」は「都心」から65km圏内)、「県庁所在地」「千葉市」から30km圏内に位置し、「面積」は、213.84平方kmで「千葉県」の「県土」の4.1%、「市」の「南西部」に「門前町」(旧市街地)と「ニュータウン」が、「南東部」の「丘陵地帯」に「成田国際空港」があり、これらの「地域」を除くと殆どが「農村地帯」となっています。
 「成田市」の「市」の「西部」にある「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「北辺」の「茨城県」との「県境」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)から「農業用水」の「取り組み」を行っており、「利根川」は「成田市民」にとって「重要」な「水源」でもあります。

 「下総運動公園」(フレンドリーパーク)は、豊かな「緑」に囲まれ、のんびりとした「風情」のなかに、「スポーツ」、「文化施設」、「ふれあい広場」を配した「総合施設」です。
 「下総運動公園」の「施設」は「野球場」(夜間照明付き)、「テニスコート」(夜間照明付き)、「ゲートボール場」、「こども広場」、「ふれあい広場」、「サイクルロード」、「運動広場」、「キャンプ場」や「歴史民俗資料館」、「市共同施設」、「多目的ホール」があります。

 「下総運動公園」「野球場」は、「グラウンド面積」10835平方m(センター110m、両翼87m)、「照明設備」4基もあります。
 「テニスコート」ですが、「広場面積」17600平方m、「施設内容」は「400m走路」、「芝生広場」(11809平方m)、「芝生スタンド」となっています。
 「キャンプ場」ですが、「施設面積」3000平方m、「施設内容」は「炊事場」、「野外卓」、「トイレ」となっています。
 「サイクルロード」は、「周回延長」1.5km、「幅員」7〜11mとなっています。
 「ふれあい広場」は、「広場面積」5420平方m、「施設内容」は「芝生広場」、「野外ステージ」となっており、「こども広場」は、「アスレチック遊具」、「砂場」等があります。

 「下総ふるさとふれあい納涼まつり」(2012年8月13日・2011年8月13日のブログ参照)は、「ふるさとふれあいづくり」を「テーマ」に、「下総運動公園」内で催される「納涼祭」でで、今年(2013年)で「第27回」を迎える「イベント」です。
 「下総ふるさとふれあい納涼まつり」では、「キャラクターショー」をはじめ、「ステージイベント」、「豪華景品」の当たる「大抽選会」や「盆踊り」、「模擬店」など「多彩」な「イベント」で盛り上がるそうです。

 「第27回下総ふるさとふれあい納涼まつり」は、上記のように「ふるさとふれあいづくり」を「テーマ」に開催され、「キャラクターショー」をはじめ、「ステージイベント」、「郷愁」を覚える「和太鼓」、「豪華景品」の当たる「大抽選会」や「盆踊り」、「模擬店」など「多彩」な「イベント」が盛りだくさんだそうです。
 「第27回下総ふるさとふれあい納涼まつり」の「内容」ですが、「下総中学校吹奏楽部」の「演奏」、「太鼓と盆踊り〜和太鼓の力強い演奏〜」、「大抽選会」、「打ち上げ花火」となっています。

 「フレンドリーパーク」「下総運動公園」で行われる「夏祭り」「第27回下総ふるさとふれあい納涼まつり」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第27回下総ふるさとふれあい納涼まつり」詳細

 開催日時 8月16日(金) 16時〜

 開催会場 下総運動公園 成田市高岡1435

 問合わせ 下総ふるさとふれあい納涼まつり実行委員会(東商工会下総支所内) 0476-96-2839

 備考
 「第27回下総ふるさとふれあい納涼まつり」に参加される方は、「駐車場」が少ないため、「公共交通機関」をご利用下さいとのことです。

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| 地域情報::成田 | 11:17 AM |
「夜間開館」「2013夏休み飛行機工作教室」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で8月13日(火)〜15日(木)の期間開催されます「夜間開館」「2013夏休み飛行機工作教室」です。

 「芝山町」は、「千葉県」の「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のほぼ「中央」に位置し、「山武郡」の「最北端」、「首都」「東京」から60km圏の「地点」にあり、「東」は「香取郡」「多古町」、「南」は「山武郡」「横芝光町」と「山武市」、「南西」に「富里市」、「北」は「成田市」、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
 「芝山町」は、「東西」8.4km、「南北」10.5km、「面積」43.47平方km、おおむね「平坦」で「東」に「高谷川」、「西」に「木戸川」が流れ、この「流域」は「稲作地帯」になっています。
 また「芝山町」は、「西北部」の「丘陵地」では「畑作」がさかんです。
 「芝山町」の「名称」は、昭和30年7月、「二川村」と「千代田村」が合併したとき、「議会」において「知名度」と「信仰的」に名高い「芝山仁王尊」「観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)、「歴史」に残る明治2年に設置された「柴山藩」のことを考慮して「芝山町」と称しました。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「成田国際空港」に隣接する「山武郡」「芝山町」にあります「日本最初」の「航空専門」の「博物館」です。
 「航空科学博物館」は、平成元年(1989年)8月1日に開館して以来、「航空ファン」、「航空マニア」、「観光客」、「地元客」の「皆さん」に愛され、賑わっている「観光スポット」です。
 また「航空科学博物館」は、近年「人気」の「社会科見学」できる「スポット」なので「子どもたち」にも「人気」のある「施設」となっています。

 「航空科学博物館」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「原寸大模型」や「ピストンエンジンコーナー」などの「展示物」をはじめ、「飛行機のあゆみ」の展示、「飛行機の体験コーナー」等充実した「内容」となっています。
 さらに「航空科学博物館」「屋外展示場」には「新聞社」で活躍した「セスナ」、「ヘリコプター」など10機以上の「航空機」を展示し、「有料搭乗」も「可能」な「航空機」もあるそうです。
 「航空科学博物館」は「成田国際空港」に隣接するため(「空港」「北側」に立地)、「展望展示室」からは、「ガイド」の「説明」を参考に「成田国際空港」に離着陸する「航空機」を見ることができます。
 また「航空科学博物館」では、「年間」を通じ、様々な「イベント」(行事)、「企画展」を行っており、「人気」を博しています。

 「夜間開館」ですが、「航空科学博物館」の「企画」で、「航空科学博物館」「開館時間」を9時00分から20時00分まで開館し、「成田国際空港」の「夜景」を「航空科学博物館」から観賞でき、堪能できるそうです。

 「2013夏休み飛行機工作教室」ですが、「航空科学博物館」で行われる「イベント」で「1F多目的ホール」で開催されます。
 「2013夏休み飛行機工作教室」は、8月13日(火)・14日(水)・15日(木)に開催され「各回」「先着」30名となっており、「当日」「受付」で申し込みを受け付けるそうです。
 「2013夏休み飛行機工作教室」13日(火)は「プロペラ飛行機教室」を13時00分から14時15分頃まで行い、14日(水)は「ストロー飛行機教室」を13時00分から14時15分頃まで行い、15日(木)は「紙ブーメラン教室」を13時00分から14時15分頃まで行うそうです。
 「2013夏休み飛行機工作教室」は、「入館料」のみで参加でき、「参加料」「無料」で行われます。

 「航空専門」の「観光スポット」「航空科学博物館」で開催される「お盆イベント」「夜間開館」「2013夏休み飛行機工作教室」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「夜間開館」詳細

 開催期間 8月13日(火)〜15日(木)

 「2013夏休み飛行機工作教室」詳細

 開催期間 8月13日(火)〜15日(木)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 9時〜17時(通常は10時〜)(最終入館は16時半まで)

 休館日  7月21日(土)から8月31日(土)は無休(通常は月曜日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、8月10日(土)・12日(月)・13日(火)・14日(水)・15日(木)に「1F多目的ホール」にて1日2回「夏休みエアロ・フィルム上映会」を上映するそうです。
 「夏休みエアロ・フィルム上映会」の「1回目」は11時00分から「偉人たちの夢」「ライト兄弟」(29分)「小学校高学年以上向け」(2000年)(科学技術振興機構製作)、「2回目」は15時00分から「THE MAKING スペシャル版」「ボーイング777のできるまで」「小学生以上向け」(1999年)(科学技術振興機構製作)となっています。

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| 地域情報::成田 | 12:21 PM |
「滑河観音四万八千日(なめかわかんのんしまんはっせんにち)」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「龍正院(りゅうしょういん)」(滑河観音)で8月9日(金)に開催されます「滑河観音四万八千日(なめかわかんのんしまんはっせんにち)」です。

 「龍正院」(滑河観音)は、平安時代初期の承和5年(838年)「慈覚大師」の「開基」と伝わる「坂東33ヶ所観音霊場」の「第28番札所」で、「宗派」は「天台宗」の「寺院」です。
 「龍正院」(滑河観音)の「御本尊」ですが、「十一面観世音菩薩」で、「延命」・「安産」・「子育て」の「守り本尊」として「参詣者」が後をたたない「寺院」として知られています。

 「龍正院」(滑河観音)「本堂」は、元禄11年(1698年)建立の「八間四面」の広壮な「建物」で、「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されており、「龍正院」(滑河観音)「境内」には「千葉県」の「県文化財」の「法印塔」、「夫婦松」などがあり、「春秋」の「坂東札所参拝シーズン」には、「観光バス」が「龍正院」(滑河観音)に連なります。
 「龍正院」(滑河観音)「仁王門」ですが、室町時代末期の「建築」、「滑河観音」の「山門」で、「茅葺き屋根」の「素朴」で「温かみ」のある「山門」は、「国指定」の「重要文化財」に指定されています。
 また「龍正院」(滑河観音)「境内」には「しもうさ七福神」(2012年1月18日のブログ参照)の「毘沙門天」もお祀りしています。

 「龍正院」(滑河観音)「境内」は、とても美しく、落ち着いた「佇(たたず)まい」で、その中に睦まじく「樹齢」を重ねた「名木」「夫婦松」(アカマツ)が茂っており、昭和40年(1965年)4月27日に「成田市」の「市指定文化財」に指定されています。
 また「龍正院」(滑河観音)「夫婦松」に併置されている「句碑」は寛政5年(1793年)の「銘」で

 「観音の いらか見やりつ 花の雲」

 の「松尾芭蕉」の「句」が刻まれ、「龍正院」(滑河観音)にも「心」が通じるものがあるそうです。
 この「句」は、貞亨3年(1686年)、「松尾芭蕉」43歳の「時」の「句」と言われており、「病気」で「深川」の「芭蕉庵」に寝ていた時に作ったと言われています。

 「四万八千日」(2012年8月7日・2011年8月7日のブログ参照)は、「龍正院」(滑河観音)で行われる「夜祭」で、この日は「観音様」の最も深い「ご縁」がいただける「日」で、この「日」にお参りすると、「4万8000日分」お参りしたのと同じ「御利益(ごりやく)」があると言われています。
 「四万八千日」当日は、新しい「仏様」と二年目の「仏様」の「精霊棚」にお供えするための「お札」と「鬼灯(ほおずき)」を求めて「龍正院」(滑河観音)では、近隣より多くの「善男善女」が訪れ、賑わいます。
 (「新盆」を迎える「家」では、「観音様」と「地蔵様」の「お札」や、「鬼灯(ほおずき)」を求め「朝」から「参詣者」が訪れ賑わいます。)
 「四万八千日」では、「夜」に「大護摩」も焚かれ、様々な「願い」を「観音様」にたくすのですが、「露店」並ぶ「夜の参道」は、しみじみとした「雰囲気」と賑々しい「夏祭り」の様子とで、殊に「趣」のあるものとなっています。

 「成田」の「古刹」「龍正院」(滑河観音)で開催される「夏」の「御縁日」「滑河観音四万八千日」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「滑河観音四万八千日」詳細

 開催日  8月9日(金)

 開催会場 龍正院(滑河観音) 成田市滑川1196

 問合わせ 龍正院(滑河観音) 0476-96-0217

 備考
 「龍正院」周辺には、「小御門神社」(2013年4月28日・2012年4月28日のブログ参照)、「昌福寺」、「成田ゆめ牧場」(2012年5月12日・2010年8月24日のブログ参照)などがあります。
 また「龍正院」は、毎年11月18日に、「滑河観音木まち」(2012年11月11日・2011年11月13日のブログ参照)が行われる事でも知られています。

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| 地域情報::成田 | 11:48 AM |
「収蔵資料展」「パンナム」「親子プラモデル教室」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で8月1日(木)〜10月27日(日)の期間開催されます「収蔵資料展」「パンナム」と8月4日(日)に開催されます「親子プラモデル教室」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」についてその「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に開館しました。

 「航空科学博物館」は、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」で構成されています。
 「航空科学博物館」1階「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」があり、1階「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC-8シュミレーター」(パイロット訓練用シュミレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」2階「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。
 「航空科学博物館」4階は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「成田空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」5階では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に離着陸する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」屋外には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」や「セスナ195」「朝風」等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「パンナム」こと「パンアメリカン航空」(英・Pan American Airways/Pan American Airways/Pan Am、通称・パンナム)は、「アメリカ合衆国」に存在した「航空会社」です。
 「パンナム」は「日本」での「呼び方」であり、当時の「日本」での「CM」や「広告」でも「パンナム」を使用していましたが、より「英語」に近い「発音」は「リエゾン」した「パナム」だそうです。

 「パンナム」は、「民間航空」が「各国」で盛んになってきた1927年に設立され、最初は「カリブ海路線」ならび「南アメリカ」を結ぶ「国際線」を運航し、その後1930年代には「路線網」を「ヨーロッパ」や「アジア太平洋地域」をはじめとした「世界各国」へ拡大しました。

 「パンナム」の「経営者」である「ファン・トリップ」会長の「強力」な「リーダーシップ」と「アメリカ政府」の「庇護」の元、「国際航空」の「黎明期」である1930年代から、「第二次世界大戦」や「冷戦期」を挟み、「海外旅行」の「大衆化」、「低価格化」が進んだ1980年代にかけて「名実」ともに「アメリカ」の「フラッグ・キャリア」として「世界中」に「広範」な「路線網」を広げていました。

 「パンナム」は、「国内線」をほとんど持たなかったものの、「アメリカ」のみならず「世界」の「航空業界内」での「影響力」も大きく、「アメリカ」初の「ジャンボ旅客機」である「ボーイング707」や、「世界最初」の「超大型ジェット旅客機」である「ボーイング747」といった「ボーイング」を「代表」する「機材」の「開発」を後押しした他、「世界一周路線」の「運航」や「ビジネスクラス」の「導入」、「系列ホテルチェーン」「インターコンチネンタルホテル」の「世界的展開」など、後に「他」の「航空会社」が後追いして取り入れた「ビジネスモデル」を率先して取り入れていました。

 しかし、1960年代後半より「世界的」に「海外旅行」が「大衆化」し「価格競争」が激化する中、「高コスト」の「経営体質」を改善できなかったことや、1970年代に「ジミー・カーター政権下」で導入された「航空自由化政策」「ディレギュレーション」の「施行」、その後の「国内航空会社」の「買収」の「悪影響」により次第に「経営」が悪化し、1991年12月4日に「会社破産」し消滅しました。

 「パンナム」は、その「知名度」を生かすべく、「ブランド」と「ロゴ使用」の「権利」を引き継いだ「別会社」が同じ「塗装」と「ブランド」で「近距離国際線」と「国内線」を運航し、形だけは「一時的」に復活していたものの、結局「経営」を「軌道」に乗せることはままならず、2008年2月一杯で「運航停止」となっており、現在「同名」の「航空会社」としての「運航」は行われていないそうです。

 「収蔵資料展」「パンナム」ですが、「航空科学博物館」の「企画展」で「館内」2階「東棟展示室」で開催されます。
 「収蔵資料展」「パンナム」の「内容」ですが、かつて「圧倒的」な「ブランド力」で「世界」の「空」に君臨した「パンアメリカン航空」の「航空科学博物館」「収蔵品」の中からその「関連資料」をご紹介するそうです。
 「収蔵資料展」「パンナム」ですが、8月1日(木)〜10月27日(日)の「期間」に行われ、「費用」は「入館料」のみとなっています。

 「親子プラモデル教室」ですが、8月4日(日)13時から15時まで行われる「イベント」で「航空科学博物館」1階「多目的ホール」で開催されます。
 「親子プラモデル教室」の「内容」ですが、「プラモデルメーカー」「ハセガワ」の「講師」の「指導」のもと、「親子」で「プラモデル制作」を行うというものです。
 「親子プラモデル教室」の「定員」は「親子先着」30組60名で、1組、「保護者」を含め2名まで、「対象者」は「小学校」3年生〜6年生となっており、「参加希望者」が「定員」に達し次第「締め切り」となるそうです。
 「親子プラモデル教室」の「費用」は1組1000円(1組1キットまで)となっています。

 「航空専門」の「施設」が充実している「航空科学博物館」で開催される「収蔵資料展」「パンナム」と「親子プラモデル教室」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「収蔵資料展」「パンナム」詳細

 開催期間 8月1日(木)〜10月27日(日)

 「親子プラモデル教室」

 開催日時 8月4日(日) 13時〜15時

 参加料金 1組1000円

 「航空科学博物館」詳細

 所在地  山武郡芝山町岩山1113

 開館時間 9時〜17時(〜16時半)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上から小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、8月10日(土)・12日(日)に「夏休みエアロ・フィルム上映会」を開催するそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:31 AM |
「開館24周年記念日」(芝山町)
 本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で8月1日(木)に開催されます「開館24周年記念日」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に隣接する「山武郡」「芝山町」にあります「日本最初」の「航空専門」の「博物館」です。
 「航空科学博物館」には、「YS-11試作1号機」、「アンリファルマン複葉機」の「実物大レプリカ」、「DC-8」の「フライトシュミレータ」、「ボーイング747」の「客室」の「実物大モックアップ」、「成田国際空港」の「模型」などが展示され、「4階」には「成田国際空港」を一望する「展望レストラン」等があります。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、以下の通りとなっています。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工

 1989年(平成元年) 8月1日開館

 1994年(平成6年) 入館者100万人を達成

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店

 2004年(平成16年) 1月18日 「入館者」300万人を達成

 2011年(平成23年) 6月23日 「成田国際空港株式会社」が当施設敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行

 となっています。

 この度(たび)「航空科学博物館」は、「開館24周年」を8月1日(木)に迎えることを「記念」し、「開館24周年記念日」を開催するそうです。
 「航空科学博物館」「開館24周年記念日」の「催し」の「内容」ですが、「来館」された方全員に「粗品」をプレゼントするそうです。

 「開館24年」を迎えた「日本初」の「航空専門」の「博物館」「航空科学博物館」で行われる「開館24周年記念日」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「開館24周年記念日」詳細

 開催日  8月1日(木)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 9時〜17時(最終入館16時半)

 休館日  月曜日(祝日の場合は翌日)
 (7月21日(土)〜8月31日(土)までは無休)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」は、通常10時から「開館」ですが、「8月中」は「朝9時」から開館するそうです。
 また8月1日(木)ですが、「航空科学博物館」「図書館」は「イベント」の為、休みとなるそうです。

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| 地域情報::成田 | 04:46 PM |
「麻賀多神社祭礼」(成田市)
 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「成田市」「麻賀多神社(まかたじんじゃ)」で7月28日(日)に開催されます「麻賀多神社祭礼」です。

 「麻賀多神社」は、「成田市」「台方」にある「神社」です。
 「麻賀多神社」は「式内社」で、「旧社格」は「郷社」、「印旛郡市」にある18社ある「麻賀多十八社」の「惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)」です。
 「麻賀多神社」の「御祭神」は、「和久産巣日神(ワクムスビノカミ)」と「稚日霊命(ワカヒルメノミコト)」(奥宮)です。
 ちなみに「麻賀多神社」の「御祭神」は、「五穀の神様」で「産業を司る神」として知られています。
 また「麻賀多神社」の「神社」の「社紋」が「麻の葉」であることから「安産」や「子供の守り神」でもあるそうです。

 「麻賀多神社」「本堂」の「奥」にある「大杉」は、「御神木」として「樹齢」1300年あまりと推定されており、「東日本一」の「大杉」といわれています。
 古来より「御神木」には「神霊」が宿るといわれ、「延命」・「長寿」の授かることでも「有名」で、昭和10年(1935年)に「千葉県」の「記念樹」「第1号」に指定されています。
 また、1944年(昭和19年)6月10日に「日月神示(ひつきしんじ)」が降ろされた場所としても知られています。

 「麻賀多神社」の「歴史」ですが、「社殿」によりますと、「景行天皇」42年6月晦日、「東征中」の「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が「当地」を訪れ、「杉」の「幹」に「鏡」を懸け

 「この鏡をインバノクニタマオキツガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」

 と言い、「伊勢の大神」を「遥拝」したのが、「麻賀多神社」の「起源」であるといわれています。

 応神天皇20年、「神八井耳命(カムヤイミノミコト)」の「8世」の「子孫」である「印旛国造」・「伊都許利命(イツコリノミコト)」が現在の「成田市」「船形」に「社殿」を造営し、その「鏡」を「御神体」として「稚日霊命」を祀りました。
 また「伊都許利命」は、「杉の木」の下から「7つの玉」を掘り出し、それを「御神体」として「和久産巣日神」を併せ祀りました。
 この「2神」は「真賀多真(勾玉(まがたま))の大神」と呼ばれたそうです。

 推古天皇16年、「伊都許利命」の「8世」の「子孫」の「広鋤手黒彦命(ヒロスキテクロヒコノミコト)」が、「神命」により現在の「成田市」「台方」に「和久産巣日神」を遷座し、それまでの「社殿」を「奥宮」としました。
 「延喜式神名帳」に「記載」の際、「真賀多真」が「三種の神器」の「ひとつ」と「同名」であるとして、「一字」取って「真賀多神社」と改称し、後に「一帯」が「麻の産地」であることから「麻賀多神社」に「社名」を改めたそうです。

 また「麻賀多神社」という「神社」は、上記のように「印旛郡市」に「台方」をはじめ、「成田市」に1社、「佐倉市」に11社、「酒々井町」2社、「八千代市」1社の計18社を数え、「全国的」に見ても珍しい「名前」の「神社」で、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)の「東側」から「南」にかけてにのみ存在する「神社」です。

 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、「麻賀多神社」「本殿」で行われる「例大祭」を皮切りに、「神官」・「榊(さかき)」・「神輿」・「太鼓」・「山車(だし)」などの「一行」が、「印旛沼畔」の「鳥居河岸」に向けて練り歩きます。
 また「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)「鳥居側」「神楽舞台」では、「ヒョットコ踊り」や「獅子舞」が披露されます。
 ちなみに「麻賀多神社祭礼」で披露される「獅子舞」は、「成田市」の「市指定無形文化財」に指定されています。

 「印旛郡市」にある「麻賀多十八社」の「惣社」「麻賀多神社」で行われる「祭礼」「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「麻賀多神社祭礼」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 麻賀多神社 成田市台方1

 問合わせ 麻賀多神社 0476-28-5736 (1日・15日の8時〜17時)

 備考
 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、平成19年より、7月「最終日曜日」開催となっています。
 また「麻賀多神社」の「社号」の「麻賀多」ですが、「麻の産地」・「麻縣」によるものという「説」、掘り出した「勾玉」を「霊代」としている「説」、「印旛沼」の「潟」から「真潟」という「説」、「豊城入彦命下毛野君弟真若君」から「真若田」という「説」、「御祭神」・「稚日霊命」から「真若」であるともいわれており、「諸説」あります。

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