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2016,03,31, Thursday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で4月2日(日)に開催されます「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」です。
「山倉大神(ヤマクラタイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(「下総国」「香取郡」)で、「社格」は「村社」です。
「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。
「山倉大神」の「由緒」ですが、弘仁2年(811年)の「創建」で、「大六天王社」の「総社」として、古くから、「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「観福寺」に遷座、明治3年(1871年)「山倉大神」と改め、上記のように「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。
「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に、4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」で、「山倉大神」「本殿」は、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」「山倉」の「山倉大神」に伝わる「神楽」で、「山倉大神」で奉納される「伝統芸能」・「奉納神楽」です。
「山倉大神」の「神楽」の「はじまり」は、定かではありませんが、明治の中期から「村」をあげて、「天下泰平」、「万民法楽」、「五穀豊穣」を願って、「白川流十二座神楽(シラカワリュウジュウニザガクラ)」を奉納し、現在に至っています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、現在、昭和42年(1967年)に結成されました「山倉芸能保存会」の「皆さん」により、受け継がれています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」は、長い間、4月3日に奉納されていましたが、「今」は、「4月第1日曜日」に奉納されています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。
1 猿田彦
2 稚児(幣束)舞
3 天鈿女之命
4 手力男之命
5 八幡
6 三宝荒神
7 稚児(扇)舞
8 恵比寿・火男
9 田神(稲荷)
10 保食之命
11 種播
12 〆切(須佐男之尊)
(もとは「乙女」と「榊葉」の「演目」を加えた「十二座」で構成)
「神楽」「白川流」については、「第65代花山天皇」の「王子」・「清仁親王」の「王子」「延信王」が、「神祇伯」(「大宝令」に制定された「神祇」の「祭祀」を司り、「諸国」の「官社」を総管した「神祇官」の「長官」)に任じられ、「明治維新」まで、その「後胤」が、世襲してきた「白川家」に伝わる「神道」の「流れ」と考えられています。
大正10年(1921年)3月30日発行の「香取郡誌」によりますと、大正2年(1913年)に「白川家」の「末裔」「白川子爵」が「参詣」し、枯れた「龍燈松」の「側」に「小株」を「手植え」したと書かれています。
「由緒」ある「山倉」の「古社」「山倉大神(ヤマクラタイジン)」に伝わる「奉納神楽」「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」詳細
開催日時 4月2日(日) 13時〜17時頃
開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1
問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224
備考
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の現在、演じられている「舞」の「原型」を確立され、「指導」されたのは、「菅谷新之助」氏なのだそうです。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」にも指定されています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2892 |
| 地域情報::香取 | 05:25 PM |
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2016,03,31, Thursday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「小見川城山公園」で4月1日(金)〜5月8日(日)の期間開催されます「水郷おみがわ桜つつじまつり」です。
「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」・「山田町」・「香取郡」「小見川町」・「栗源町(クリモトマチ)」の「1市3町」が合併(新設合併)し、誕生した「市」です。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」に接し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には、「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「香取市」「南部」は「山林」と「畑」を「中心」とした「平坦地」で、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「一角」を占めています。
「香取市」には、「日本」の「原風景」を感じさせる「田園」・「里山」や、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「利根川」周辺の「自然景観」をはじめ、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつである「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「舟運」で栄えた「佐原のまち」には「日本」で初めて「実測日本地図」「大日本沿海輿地全図」を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)、江戸時代から昭和初期に建てられた「商家」や「土蔵」が、現在も、その「姿」を今に残し、「関東地方」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている「佐原の町並み」など「見どころ」が多い「市」であり、「香取市」は「水」と「緑」に囲まれ、「自然」・「歴史」・「文化」に彩られた「まち」として知られてい
ます。
「香取市」「小見川地区」は、「香取市」「東部」に位置する「水辺」と「自然」に恵まれた「地域」です。
「香取市」「小見川地区」「中心部」は「低地」で、「西部」と「東部」に「丘陵」が見られ、「小見川地区」は、「水の郷百選」に選ばれており、「水と緑の文化」をはぐくむ「まち」として知られています。
「香取市」「小見川地区」にも「佐原地区」と同じように、「利根川」の「舟運」で栄えた「老舗」が「今」も残り、「先祖」から続く「家業」を引き継いで「商売」を続けている「店舗」もあり、「風情」のある「佇まい」は、今も「小見川地区」「市街」のところどころに残っています。
「水郷の小江戸」(北総の小江戸)「佐原」の「東」、「銚子」へ向かう途中に位置する「小見川」は、江戸時代から「利根川舟運」の「中継港」、「街道の要衝」、「宿場町」、さらに「小見川藩の陣屋町」として発展してきました。
「小見川」は、現在の「国道356号線」である「佐原銚子街道」と「地方道28号線」である「旭街道」が合流し、江戸時代初期には、すでに「小見川宿」として発展しており、「周辺舟運」を背景に「小見川」は町場化していったそうです。
さらに「小見川」は、「銚子」から「江戸」「間」を結ぶ「内川廻り」の「中継港」しての「機能」に加え、「周辺農村」及び「干潟地方」から「八日市場方面」に渡る「広域米」や「諸産物」を集め、「江戸方面」へ積み出す「利根川水運」の「集散地」として発展していきました。
当時の「小見川」では、2と7の日には「六斎市」が開かれ、他に「須賀神社」、「妙剣神社」の「祭礼市」も開かれるほど賑わっていたそうです。
江戸期の「小見川」は、「本町」・「新町」を初め、「8町」に分かれる「規模」であり、「醸造業」も盛んで発達しており、「小見川」の「醸造業」ですが、「醤油」5軒、「酒蔵」4軒、「濁酒」5軒の「記録」があり、現在も「小見川」には、1軒の「酒蔵」と、1軒の「醤油醸造業」が存続しています。
「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)は、「香取市」「小見川」で、「桜」や「躑躅(ツツジ)」の「名所」として知られている「公園」です。
「小見川城山公園」ですが、「城山」の名前の通り、平安時代にかけ、「豪族」「栗飯原氏」の「城」が築かれたと伝えられる「小見川城址」があり、今でも「本丸跡」に「土塁」、「空堀」、「土橋」、「曲輪」といった「城」の一部が残っているほか、古代の「城山古墳群」と呼ばれる「古墳群」もあります。
ちなみに「小見川城址」は、1199年(建久10年)に「栗飯原朝秀」氏が、築城したと伝えられています。
「栗飯原氏」は、中世の「下総国」「香取郡」「小見川郷」(現・香取市小見川)「一帯」を領した「千葉氏」の「古族」です。
「栗飯原」は、「アイハラ」、「アイバラ」と読み、平安時代末期、「平常長」「四男」・「栗飯原常基」を「祖」とし、戦国末期までの約五百年、「小見川周辺」を領していたそうです。
「小見川城山公園」は、「茨城県」と「千葉県」を繋(ツナ)ぐ「利根川」を跨(また)いだ「小見川大橋」から「国道356号線」「小見川大橋入口交差点」から「千葉県道・茨城県道44号線」「成田小見川鹿島港線」「成田方面」へ0.7kmのところに位置しています。
「小見川城山公園」は、「下総台地」(北総台地)上に位置するため、「小見川市街地」や「鹿嶋・神栖方面」を望むことができます。
「小見川城山公園」内には、「遊具」が整備された「アスレチック広場」や「チビッコ広場」、「わんぱく広場」のほか、「茶会」や「華道」などの「集まり」もできる「数寄屋造り」の「清風荘」などあり、「清風荘」ですが、「有料」で借りることができる「施設」となっており、「子ども」から「大人」まで利用できる「公園」となっています。
「小見川城山公園」には、70種あまり、約6000本の「様々」な「樹木」が植えられ、「四季」を通じて、いろいろな「花木」が楽しめる「公園」となっています。
「小見川城山公園」ですが、「四季」の中でも「春」には、1000本の「染井吉野(ソメイヨシノ)」と4000本の「躑躅(ツツジ)」が「小見川城山公園」の「山一帯」に咲き乱れ、「北総随一」の「花見の名所」であり、「桜の名所」として知られています。
ほかにも「小見川城山公園」では、「夏」の「紫陽花(アジサイ)」や「百日紅(サルスベリ)」、「秋」の「アベリア」や「金木犀(キンモクセイ)」などが咲き、「行楽」に訪れる「花見客」、「家族連れ」の目を楽しませています。
「小見川城山公園」で、「桜」、「躑躅」が咲き誇る3月下旬から5月初旬にかけて「水郷おみがわ桜つつじまつり」(2015年3月31日・2014年3月30日・2013年3月30日・2012年3月24日のブログ参照)が開催されています。
また「小見川城山公園」ですが、「千葉県さくらの名所20選」にも選定されています。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」は、1931年(昭和6年)に「小見川」に「鉄道」が開通されたことを「きっかけ」に始まったとされている「イベント」です。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「はじまり」ですが、1945年(昭和20年)代後半に「小見川」の「観光協会」の「皆さん」が「城山」(小見川城山公園)に「ボンボリ」を灯し、今のかたちの「桜まつり」の「原形」ができ、現在まで「桜つつじまつり」が開催され続けられています。
当時の「小見川城山公園」は、「個人所有」の「別荘」であったそうで、その後、「城山」は「町」(旧・小見川町)に寄付され、「城山公園」として整備され、以前より盛大な「桜まつり」として現在に引き継がれています。
「桜」は「香取市」の「木」として、また「小見川」の「春のシンボル」として、80年以上にわたり、多くの「人々」から愛され続けている「桜まつり」として「水郷おみがわ桜つつじまつり」は行われています。
この度(タビ)「小見川城山公園」では、4月1日(金)から5月8日(日)の期間「恒例」の「水郷おみがわ桜つつじまつり」が開催されます。
上記のように「北総随一」の「桜の名所」として知られる「小見川城山公園」は、「ソメイヨシノ」などの「桜」1000本と、「躑躅」4000本が「山一帯」に咲き乱れ、「昼夜」問わず「花見客」が訪れ、特に「夜」、「城山公園案内所」周辺と「赤橋」周辺は、「開花宣言」の日から、約2週間「ライトアップ」され幻想的な「夜桜」が楽しめるそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」では、「開催期間中」に「イベント」が行われます。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「イベント内容」ですが、「野点(ノダテ)」、「お花見コンサート」、「路上パフォーマンス」、「水郷小見川観光物産販売所」となっています。
「野点」ですが、4月2日(土)・3日(日)に行われる「イベント」です。
「野点」は、「小見川城山公園」「清風荘」にて「両日」とも、10時00分から開催されるそうです。
「お花見コンサート」ですが、4月3日(日)に行われる「イベント」です。
「お花見コンサート」は、「小見川城山公園」「噴水広場」にて、12時00分から開催されます。
「お花見コンサート」の「出演者」、「スケジュール」は、下記の通りです。
12時00分〜 小見川吹奏楽団
13時00分〜 ハラウ・フラ・オ・ナヘナヘ・メレアナ
13時30分〜 ピア・ダンス(ピア・ダンス研究会)
14時00分〜 オミザイル(2011年8月17日のブログ参照)
14時25分〜 HIDEKI Number
14時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
「路上パフォーマンス」ですが、4月3日(日)に行われる「イベント」です。
「路上パフォーマンス」は、「小見川城山公園」「城山公園案内所」前で11時00分開催されます。
「路上パフォーマンス」「出演者」、「スケジュール」は、下記の通りです。
11時05分〜 オミザイル
11時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
「水郷小見川観光物産販売所」ですが、4月1日(金)から4月中旬までの「期間」オープンする「物産販売所」です。
「水郷小見川観光物産販売所」では、「小見川酒販組合」により「おみがわ物産品販売」、「地酒」、「酒蔵」の「甘酒」や、「焼きいも」など販売しているそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」4月2日(土)・3日(日)の2日間、「無料シャトルバス」が運行するそうです。
「無料シャトルバス」「通行時間」ですが、10時00分から17時00分までとなっており、「小見川支所」から「城山公園案内所」まで運行することになっています。
なお「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の「小見川城山公園」内では、下記の「事項」を「禁止」するそうです。
1 ロープ等による場所取り。
2 通行の妨げとなる場所(清風荘前など)に敷物を敷いての飲食。
「北総随一」の「桜の名所」「小見川城山公園」で開催される「恒例」の「桜まつり」「水郷おみがわ桜つつじまつり」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「水郷おみがわ桜つつじまつり」詳細
開催期間 4月1日(金)〜5月8日(日)
開催会場 小見川城山公園 香取市小見川4380-1
問合わせ 水郷小見川観光協会 0478-50-1212
備考
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の3月27日(日)・4月2日(土)・3日(日)に「交通規制」が行われます。
「交通規制場所」ですが、「城山公園下」が、10時00分から17時00分まで「車両通行止め」となるそうです。
なお、「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の4月3日(日)ですが、「城山公園内」が11時00分から13時00分まで「車両通行止規制」となるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2890 |
| 地域情報::香取 | 10:23 AM |
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2016,03,30, Wednesday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」で4月1日(火)〜15日(金)の期間開催されます「佐原のさくら祭り」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られ、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」左手に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀られています。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ広大な「山林」の中にあり、「香取の森」は荘厳で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として大切に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも称されています。
この地域は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成され、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。
「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く自生しています。
「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があります。
また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも有数な「スポット」であり、学術的にも貴重なものなのだそうです。
「下総国一宮」「香取神宮」ですが、「四季折々」の「風情」を醸しており、「初春」の「梅」、「春」の「桜」、「夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」と「四季」を通じて「自然」と触れあえる「スポット」であり、「散策スポット」でもあるそうです。
「春」の「香取神宮」では、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」、「ヤマザクラ」を「中心」に、15種類、約700本の「桜」が植えられており、「見頃」を迎えると「香取神宮」「表参道」・「旧参道」には「桜のトンネル」ができ、「参拝客」や「花見客」で賑わいます。
その他の「香取神宮」の「観桜スポット」ですが、「黄門桜」、「桜の馬場」があげられます。
「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にある「桜」で、「水戸黄門」として有名な「徳川光圀」の手植えの「桜」と伝えられています。
「桜の馬場」ですが、「神殿」の「裏側」にあり、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが、数百本あり、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で賑わいます。
「佐原公園」(諏訪公園)(2012年2月17日のブログ参照)は、「JR佐原駅」(2015年9月20日のブログ参照)の程近くにある「公園」で、「佐原公園」(諏訪公園)「高台」からは「佐原の市街地」や「利根川」、「水郷一帯」が一望でき、「香取市民」の「憩いの場」として親しまれている「公園」です。
「佐原公園」(諏訪公園)内「石段下」には、1919年(大正8年)に建立された「日本最初」の「実測地図」「大日本輿地全図」(通称・「伊能図」)を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「銅像」があり、「佐原公園」(諏訪公園)には「展望台」、「児童遊園」、隣接して「佐原野球場」、「佐原庭球場」(テニスコート)などがあります。
「佐原公園」(諏訪公園)は、「春」には「ソメイヨシノ」を「中心」に、約200本の「桜」が咲き誇り、「香取市」「佐原」の「花見の名所」・「桜の名所」として知られています。
見晴らしの良い「高台」にあり、「桜の名所」として有名な「佐原公園」(諏訪公園)は、「香取市」きっての「夜景スポット」でもあります。
「佐原公園」(諏訪公園)からは、「JR佐原駅」周辺の「町並み」と、開かれた「水郷一帯」周辺が見渡せ、まさに「歴史文化」に彩られ、「水郷情緒」豊かな「佐原」ならではの「風景」・「夜景」を見ることができます。
「佐原公園」(諏訪公園)の「展望台」からの「眺め」ですが、「北総一」の貴重な「夜景スポット」といえます。
「両総用水」は、昭和8年(1933年)9年(1934年)と続いた「田大干ばつ」を契機として、昭和18年(1943年)に「工事」に着手し、「戦争」による中断を経て、昭和40年(1965年)に完成した「総延長」78kmにも及ぶ「日本」でも有数の長大な「農業用水施設」です。
「両総用水」の「水源」は「利根川」の「佐原」にあり、900mの「第1導水路」を経て、「第1揚水機場」により、23m上の「北総台地」(下総台地)に汲み上げられます。
その「水量」は「毎秒」17平方mで、「市内」から見える大きな「送水管」が印象的です。
「両総用水」は、「千葉県」「北東部」の「利根川」「沿岸地域」の「排水」と、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)「南部」の「地域」への「農業用水」の「供給」を目的とした「用水路」で、「両総農業用水」とも呼ばれ、「疎水百選」に選定されています。
「両総用水」は、「香取市」「佐原」の「第1揚水機場」で「利根川」から「取水」し、「香取市」「伊地山」で「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に流し込み、「栗山川」「下流」の「山武郡」「横芝光町」「寺方」の「第2揚水機場」で再度取水し、「東金市」や「茂原市」などの「九十九里平野」「南部」まで「農業用水」を供給しています。
「両総用水」の「全取水量」ですが、14.47m3/s、「用水」を供給している「受益面積」は約20000ha(ヘクタール)になるそうです。
「両総用水」「幹線」は、「第1揚水機場」から「栗山川」「源流」までの「北部幹線」と、「第2揚水機場」までの「栗山川部分」、「第2揚水機場」からの「南部幹線」により成り立っており、「北部幹線」と「栗山川部分」を「房総導水路」と共用しています。
「両総用水」「第1導水路」から「第1揚水機場」にかけては「水資源公団両総用水管理事務所」が管理しています。
「両総用水」には非常にたくさんの「随道」があり、「銘文」が数多く残っていて、完成から30年以上を経た「歴史の重み」を感じさせる証でもあります。
「両総用水」「桜並木」ですが、昭和26年(1951年)「旧・佐原市」誕生の折、「4ヶ町村」が合併した「記念」に、植樹されたといわれています。
「佐原のさくら祭り」(2015年3月29日・2014年3月30日・2013年3月31日・2012年3月25日のブログ参照)は、「佐原」の「観桜スポット」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)を「会場」に行われている「恒例」の「催し」で、昨年(2015年)から「両総用水」も加わり、3会場での開催となるそうです。
「佐原のさくら祭り」「期間中」には、「香取市」「佐原」の「桜の名所」である「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」に「桜」が咲き誇り、3会場は、多くの「花見客」、「観光客」で賑わいます。
「香取神宮」「会場」では、「表参道」に「雪洞」が飾られ、「夜間」は「ライトアップ」され、「香取神宮」「参道」の「玉砂利」を踏みしめながら幻想的な「夜桜見物」ができます。
「香取神宮」「会場」では、「香取神宮」「境内」「奥」に位置する「桜の馬場」や「香取護国神社」付近が、「お花見のベストスポット」となっており、「桜」をじっくりと愛(メ)でたり、「お花見」をしながら、「お弁当」を食べることのできる絶好の「スポット」となっています。
「佐原公園」(諏訪公園)「会場」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」、「提灯(チョウチン)」や、大小600個の「雪洞」で「ライトアップ」されます。
上記のように「佐原のさくら祭り」3会場では、「ライトアップ」された「桜」が、幻想的な「雰囲気」を醸し出し、「佐原のさくら祭り」ならではのひと味違った「風情」を味わう「夜桜見物」ができるようになっています。
なお「佐原のさくら祭り」3会場では、「食べ物」・「アルコール」の「持ち込み」は「可能」ですが、「カラオケ」は「不可」となっています。
「両総用水」の「桜」ですが、「川」の「両側」の「桜」が「川面」に映(ハ)え見ごたえのある「観桜スポット」です。
「両総用水」の「桜」ですが、昨年(2015年)から「雪洞」が飾られ、「日没」から「ライトアップ」されるそうです。
「佐原の桜の名所」「下総国一宮」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」で開催される「恒例」の「桜イベント」「佐原のさくら祭り」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「佐原のさくら祭り」詳細
開催期間 4月1日(金)〜15日(金)
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
佐原公園(諏訪公園) 香取市佐原イ1020
両総用水
問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」の4月第1土曜日・日曜日の4月2日(土)3日(日)に「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、4月14日(木)に「例祭」(2012年4月13日のブログ参照)、「例祭」の翌日4月15日(金)に「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が執り行われます。
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| 地域情報::香取 | 10:23 AM |
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2016,03,28, Monday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で4月2日(土)・3日(日)に開催されます「御田植祭(オタウエサイ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」「神社」で、「下総国一宮」です。
「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソウコウリン)」に先だち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたと「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」即位ののち、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」・「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把余をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年ごとの例とされました。
「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を派遣、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。
古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬寄進し、近世に入って「徳川家康」が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」などを造営したそうです。
「関東」、「東北地方」に「本社」勧請(カンジョウ)の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の表れとみられます。
「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧8か町村」の「氏子」が出ての「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」ごとの「式年大祭」の「神幸」は盛大で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
ほかにも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」たちの「手」で行われます。
「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多いそうです。
「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財)、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。
「香取神宮」「鳥居」から「参道」「脇」は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」などがみられ、「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」などがあり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」「指定」の「天然記念物」に指定されています。
「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の折に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して実生の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
(貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」御手植えの「クロマツ」があるそうで、「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
また、「香取神宮」「社殿」脇には、「三本杉」があります。
「三本杉」ですが、「源頼義」「参拝」の折に、
「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」
と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
(三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三枝に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)
「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「参道」から見ると「亀」に似ており、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。
千葉県指定天然記念物
香取神宮の森
昭和49年(1974年)3月19日指定
この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。
草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。
昭和60年(1985年)2月1日
千葉県教育委員会
「御田植祭(オタウエサイ)」は、「寺社」や「皇室」の「領田」で行われる「行事」であり、「稲作の成功」をあらかじめ祝う「予祝」の「神事」及び「芸能」です。
「新春」の「予祝行事」として行われるものと、「田植え」の「時期」に行われる場合とがありますが、どちらも「農作業の行程」を模擬的に演じ、「豊作」を祈念するものです。
「日本人」と「稲作」との、長く深い係わりを示すものとして、「日本全国」に、この種の「行事」が伝承され、それを行うための「組織」も「地域」によって異なりますが、「収穫」までの「全生産過程」を演じる例は少なく、「田植」で終わる、いわゆる「御田植祭」が多いといわれています。
苦しい「田植え」の「作業」を楽しくしようとする「方法」として、「田植歌」を歌いながら、「田植え」をするという「風習」があり、「田の神」を祀って「豊穣」を願う「農耕儀礼」と結びつき、「祭礼」となったのが起源とされますが、歴史的には「権門」による「勧農」があり、その模倣や展開の結果として、多くの「地域」で行われるようになったともいわれています。
このようなことから、「地域」を代表する古くからの「寺社」の「年中行事」として伝えられている場合が多く、いずれも「農作業」の「行程」を模擬的に演ずることが「中心」ではありますが、それぞれの「地域」ごとに「様々」な「芸能」の「要素」が伝えられ、特徴ある「行事」が伝承されています。
「香取神宮」「御田植祭(オタウエサイ)」(以下「御田植祭(オタウエサイ)」と表記)ですが、その年の「五穀豊穣」を祈る「香取神宮」の「祭事」で、「通称」「かとりまち」ともいわれる「祭事」で、「大阪」の「住吉大社」の「御田植神事(オタウエシンジ)」、「三重」(志摩)の「伊雑宮(イザワノミヤ)」の「磯部の御神田(イソベノオミタ)」とならび、「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。
ちなみに「伊雑宮」ですが、「伊勢神宮」の「別宮」で、「磯部の御神田」ですが、毎年6月に行われる「神事」で、「磯部の御神田」と「住吉大社」の「御田植神事」は、「国指定重要無形文化財」に指定されています。
「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「史料」によると、明徳2年(1391年)には、既に行われていたと記載されており、それ以前から行われていたといわれています。
「御田植祭(オタウエサイ)」は、4月の「第1土曜日」、「第1日曜日」に行われ、「1日目」(初日)の「耕田式」と、「2日目」の「田植式」からなる「祭事」(神事)が行われています。
「御田植祭(オタウエサイ)」1日目(初日)は、「香取神宮」「拝殿」前で「耕田式」が行われるそうです。
「耕田式」ですが、「苗長」を「先頭」に、「牛方」が「五色絹」に彩られた「牛」の「耕機」をつけて牽き、その後ろから「緋」の「袴」をつけ、「鎌(カマ)」を手にした「少女」、「直垂(ヒタタレ)」を着け、「鋤(スキ)」を手にした「男」、同じく「鍬(クワ)」を持った「男」、そして「白衣緋袴」に模様の入った「襷(タスキ)」をかけ、背に「花笠」を背負った「田舞」の「少女」8人、「華傘」をさしかけられ肩車された「早乙女役」の「稚児」8人が、「庭上」に入るそうです。
「鎌入れ」の「所作」、「鋤入れ」・「鍬入れ」の「所作」に続き、「牛」により「代掻き」が行われ、「少女」8人が「苗長」から受け取った「早苗」を手に「田舞」をし、「年配者」の「早乙女手代」による「田植え」の「所作」をもって「耕田式」は終わるそうです。
「御田植祭(オタウエサイ)」2日目では、1日目(初日)と同様、「香取神宮」「拝殿」前にて「露払」・「鎌取」・「老姥」や「華傘」の「稚児」が「庭上」へ進み、「少女」の「田舞」の後、「田植え歌」によって「早乙女手代」が「田植え」の「所作」を行うそうです。
「香取神宮」「拝殿」前の「神事」が終わると「参道」から「斎田」(御神田)へと向かい、「献餞」、「祝詞(ノリト)奏上」などの「神事」が執り行われた後、「早乙女手代」が「田植え歌」を唄いながら、「斎田」(御神田)の「田植え」をするそうです。
ちなみに「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「午年」の「式年祭」の年だけは、「日曜日」の1日のみ斎行となっており、2014年は1日のみ斎行されました。
今年(2016年)の「五穀豊穣」を祈念する「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、例年通り、「初日」4月2日(土)は、「香取神宮」「本殿」前にて「耕田式」を、「二日目」は「香取神宮」「本殿」前での「儀式」の後、「斎田」(御神田)に向かい、「田植式」を斎行するそうです。
「御田植祭(オタウエサイ)」が終了しますと、「香取地方」では本格的な「田植え」が始まるそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で斎行される「日本三大御田植祭」のひとつに数えられる「祭事」「御田植祭(オタウエサイ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「御田植祭(オタウエサイ)」詳細
開催日時 4月2日(土)13時〜
4月3日(日)13時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「御田植祭(オタウエサイ)」が斎行される「香取神宮」では、斎行時が「桜」の「開花時期」であることから、斎行時に「香取神宮」「境内」に「桜」が咲き誇り、「祭事」に一層の「彩り」を添えているそうです。
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| 地域情報::香取 | 06:10 PM |
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2016,03,28, Monday
本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「諏訪神社」で4月1日(金)〜3日(日)の期間開催されます「笹川の神楽」です。
「諏訪神社」(諏訪大神社)は、「香取郡」「東庄町」「笹川」に鎮座する「神社」で、「諏訪さま」、「諏訪大神」と呼ばれ、親しまれています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「御祭神」ですが、「建御名方命(タケミナカタノミコト)」・「事代主命(コトシロヌシノミコト)」・「大国主命(オオクニヌシノミコト)」をお祀りしています。
「諏訪神社」(諏訪大神)は、「農耕」・「漁業」・「武道」・「商業」の「神」として広く信仰されています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「創祀」ですが、大同2年(807年)に「坂上田村麻呂」「将軍」が、「東征」の折に「武運長久」・「海上安全」を祈願し、勧請したと伝えられています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「境内」には、「スダジイ」が生い茂っていて、「諏訪神社」(諏訪大神)「境内」の「スダジイ」ですが、「千葉県の巨樹・古木200選」に選定されています。
「諏訪神社」(諏訪大神)には、「相撲の神様」「野見宿禰命(ノミスクネノミコト)」の「石碑」があることで知られています。
「野見宿禰命」は、「土師氏」の「祖」として「日本書紀」などに登場する「人物」です。
「野見宿禰命」ですが、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」の14世の「子孫」であると伝えられる「出雲国」の「勇士」で、「垂仁天皇」の「命」により「当麻蹴速(タイマノケハヤ)」と「角力」(相撲)をとるために、「出雲国」より召喚され、「蹴速」とお互いに蹴り合った末に、その「腰」を踏み折って勝ち、「蹴速」が持っていた「大和国」「当麻の地」(現・「奈良県」「葛城市」「當麻」)を与えられるとともに、以後「垂仁天皇」に仕えたといわれています。
「諏訪神社」(諏訪大神)では、4月と7月に2回「例大祭」が行われており、4月の「諏訪神社例大祭」には、「笹川の神楽」が奉納され、7月の「諏訪神社例大祭」では、「奉納相撲」と、「山車」の「曳き廻し」が「盛大」に行われています。
今回ご案内している「笹川の神楽」ですが、「諏訪神社」(諏訪大神)の「春季例祭」に奉納されている「奉納神楽」で、「諏訪神社」(諏訪大神)「境内」にある「神楽殿」で、「笹川の神楽」が行われます。
「笹川の神楽」の「由緒」ですが、建久2年(1191年)「千葉成胤」が「源頼朝」の「武運長久」を祈り、「千座神楽」を奏したのが、「はじまり」といわれています。
現在、「笹川の神楽」は、7つの「区」が「回り番」で担当し、「練習」を重ねた「若者」によって、毎年「4月第1土曜日」に開催されています。
「笹川の神楽」は、8年以上続く「源氏」ゆかりの「神楽」で、「古今和歌集(コキンワカシュウ)」の「語句」を解説する「古今伝授(コキンデンジュ)」で「有名」な「東常縁(トウツネヨリ)」は、「千葉氏」の「直系」にあたり、その「東常縁」によって、「総社」「信州諏訪大神」の「神楽」と融合させた「形」で、文明7年(1475年)に「今」の「十六座神楽」が誕生したそうです。
「笹川の神楽」は、上記のように「十六座神楽」で、「土師流」から出たもので、「お能」と呼ばれる「謡」が「特徴」となっています。
「笹川の神楽」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。
天狗の面 (猿田彦大神)
小屋根の面
太玉の命の面
乙女の面 (おかめ)
手力の面
八幡太郎の面
榊原の面
宇受女命(ウズメノミコト)の面
恵比寿の面
等と、なっており、「神楽演目」の「間」に「巫女舞」が加わります。
「笹川の神楽」ですが、毎年「4月第1土曜日」を「本神楽」、前日を「宵神楽」といい、「本神楽」の「翌日」に「神能」といって、7つの「区」によって、「回り番」で開催されています。
「笹川の神楽」では、その年、「当番」となった「地区」の「青年達」が「先輩」の「教え」を受けて、「舞台」に立つそうです。
ちなみに、今年(2016年)の「笹川の神楽」の「当番区」は、「宿浜区」となっているそうです。
今年(2016年・平成28年)の「笹川の神楽」ですが、3日間開催され、4月1日(金)12時00分から21時45分まで行われる「笹川の神楽」は、「宵神楽」、4月2日(土)12時00分から22時00分まで行われる「笹川の神楽」は、「本神楽」、4月3日(日)の「笹川の神楽」は「神納」となっています。
なお、4月3日(日)「笹川の神楽」「神納」ですが、「能面」を取って舞う「神楽」だそうで、「当番区」の「宿浜区」が行うそうです。
「笹川の神楽」「当日」「朝」は、まず「神職」の「家」から「神社」まで「時間」をかけて「お練り(行列)」を行い、この「時間」が長い程、その「年」は「豊作」であるといわれているそうです。
「お練り(行列)」では、「鉄砲打ち」や「拍子木」が賑やかに「音」を添え、「行列」が、「諏訪神社」(諏訪大神)につくと、「境内」「神楽殿」で「天狗の舞」から始まるそうです。
これも「時間」が長い程、「豊作」といわれています。
上記のように「笹川の神楽」の「演目」ですが、「天狗の舞」(猿田彦命)、「三宝荒神」、「天児屋根命」、「天太玉命」、「乙女命」、「手力男命」、「八幡太郎」、「榊原の神」、「宇受女命」、「恵比寿神」、「お供」、「稲荷大神」、「狐」、「種子まき」、「受持神」、「素盞鳴命」の16座で、「神楽」「演目」の「間」に「女子」の舞う「神子の舞」が加わるそうです。
「神子」ですが、4人で、「土」を踏まず「肩車」で往来し、また、「舞」の「演目」によっては「謡」が加わり、それぞれの「神」の「由来」や「神威」が語られるそうです。
「由緒」ある「笹川」の「古社」「諏訪神社」(諏訪大神)で開催される800年以上続く「源氏」ゆかりの「十六座神楽」「笹川の神楽」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「笹川の神楽」詳細
開催期間 4月1日(金)〜3日(日)
開催時間 12時〜22時
開催会場 諏訪神社 香取郡東庄町笹川い580
問合わせ 東庄町観光協会 0478-86-6075
備考
「笹川の神楽」ですが、「東庄町」「近郷」でも「有名」な「伝統芸能」で、「笹川の神楽」は、昭和40年(1965年)4月27日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
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| 地域情報::香取 | 10:15 AM |
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2016,03,27, Sunday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で3月29日(火)〜5月15日(日)の期間開催されます「第83回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」です。
「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。
「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。
「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅方面」)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
なお「樋橋」ですが、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。
「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。
「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(タタ)え、その「功績」を余すところなく紹介している「記念館」です。
以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から相当な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が手狭であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んで「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。
「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や、「伊能図」の数々が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「性格さ」と、「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や、「伊能忠敬関連資料」などが展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。
「伊能忠敬記念館」の「展示」の「概要」ですが、「佐原時代」、「全国測量」、「伊能図の完成」、「地図の世界」と分けられ、「内容」は、下記の通りです。
佐原時代
伊能忠敬50歳までの前半生を紹介
伊能忠敬は、50歳で江戸に出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいておりました。
全国測量
隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介
江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。
55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
伊能忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。
伊能図の完成
伊能図の数々を紹介
伊能図には、1821年(文政4年)完成の「大日本沿海輿地全図」(大図214枚縮尺36000分の1、中図8枚縮尺216000分の1、小図3枚縮尺432000分の1)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。
いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
(国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)
地図の世界
日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介
伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が紹介された19世紀以前において、ヨーロッパの人々は日本の姿をどのように理解していたのでしょうか。
ヨーロッパから見れば極東の地である日本については、さまざまな憶測やとぼしい地理的情報に基づいて描いていました。
また、同時に日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのでしょうか。
地図はその時の時代観、宗教観、目的によってさまざまな形をとります。
見ても楽しく興味深いものです。
「伊能忠敬関連資料」ですが、平成22年(2010年)6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の「資料群」です。
「国宝」に指定された「資料」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」に分類され、「伊能忠敬」の「全国測量」に関る「資料」のほか、「孫」の「忠誨(タダノリ)」の「資料」も含まれています。
ちなみに「国宝」とは
「国が指定する重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」
と評価され指定された「資料」のことです。
「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」ですが、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」となっており、「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」は、下記の通りです。
「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」
「地図・絵図類」787点
採色された伊能図、その元となった下図(シタズ)、測量経路の風景を鳥瞰図的に描いた麁絵図(アラエズ)、各測量地から提出された参考絵図などがあります。
伊能図の作成過程をうかがい知り、また各地の測量技術を明らかにできる貴重な資料群です。
「文書・記録類」569点
日本全国測量中の日記、山などの方位を測った山島方位記、夜に天体観測した星の観測記録、先生である高橋至時の御用日記、測量御用の辞令や先触、伊能忠敬の孫である伊能忠誨(タダノリ)が作成した星図などの資料です。
「書状類」398点
伊能忠敬直筆の書状のほか、息子景敬、娘イネなどの親族、先生の高橋至時・高橋景保、尾形謙二郎や坂部定兵衛など弟子たち、友人の江川英殻・久保木清淵や諸藩の役人との書状があります。
「典籍類」528点
伊能忠敬が学んだ暦学書、測量書、和算書や測量に関わる中で集めた地理書などがあります。
「器具類」63点
地上測量の器具には、量程車や半円方位盤、象限儀(小)などが、天体観測の器具には、緯度測量に使う象限儀(中)、経度測定に使う水揺球儀があります。
また、地図を作成する時に使った烏口や地図記号の印もあります。
特に伊能忠敬の孫の伊能忠誨が使用した水揺球儀もあり、国内でも有数のコレクションとなっています。
「第83回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」ですが、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」で、3月29日(火)から5月15日(日)の「期間」行われるそうです。
「第83回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」開催に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように「鑑賞」を呼びかけています。
当館所蔵の国宝「伊能忠敬関連資料」には、地図や測量道具だけでなく、伊能忠敬に関わるさまざまな資料が含まれており、全体は5つの部門に分類されます。
地図・絵図類・文書・記録類、書状類、典籍類、器具類のそれぞれから、厳選した実物資料を展示し、国宝「伊能忠敬関連資料」の持つ奥深い世界を紹介していきます。
「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を余すところなく紹介している「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「第83回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第83回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」詳細
開催期間 3月29日(火)〜5月15日(日)
開館時間 9時〜16時半 (最終入館〜16時)
開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1
入館料 大人500円 小・中学生250円
休館日 月曜日 (祝日の場合は開館) 年末年始
問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118
備考
「伊能忠敬記念館」、「伊能忠敬旧宅」の「標準見学時間」ですが、「伊能忠敬記念館」は、20分から30分となっており、「伊能忠敬旧宅」は、5分から10分となっています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2961 |
| 地域情報::香取 | 10:12 AM |
|
2016,03,24, Thursday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「道の駅・川の駅水の郷さわら」で3月26日(土)・27日(日)に開催されます「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」です。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」(2013年3月19日・2012年3月29日のブログ参照)は、「千葉県」の「北東部」、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に指定された雄大な「景観」を楽しむことができる「香取市」「佐原」の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「川辺」にある「道の駅」「川の駅」です。
「香取市」「佐原」ですが、「利根川水運」の「物資集散」の「地」として栄えた「水郷の商都」であり、「利根川」の「支流」「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)沿いに発達した「小江戸」と呼ばれる「古い町並み」が残り、現在「佐原の町並み」は往時をしのばせる風情ある「人気観光スポット」となっており、「道の駅・川の駅水の郷さわら」から、「香取市」「佐原地区」内の「まちなか」に向かうと「佐原の町並み」があります。
豊かな「水」と「緑」に囲まれた「水郷佐原」の「風土」は、「佐原小唄」でも
「佐原よいとこ水の郷(サト)」
と唄われており、「道の駅・川の駅水の郷さわら」の「名称」の「由来」となっています。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」には、隣接した「観光船乗り場」や「プレジャーボート」等の「係留桟橋」、「大型駐車場」、「レンタサイクル」、「レンタルボート」もあり、「利根川」周辺の「観光拠点」として利用されています。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」は、「道の駅」と「川の駅」の「機能」を有する「施設」で、多くの「利用客」で賑わう「人気観光スポット」です。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」では、「地場産」の「素材」を、ふんだんに使った「加工品」や「名産品」を多数取り揃えている「特産品直売所」を有し、「道の駅・川の駅水の郷さわら」「特産品直売所」では、「香取市」の「生産者」が「心」をこめて生産した「安心」・「安全」・「新鮮」な「野菜」を「畑」から直送しており、「安心」・「安全」・「新鮮」な「野菜」を求めに、「連日」多くの「買い物客」で賑わっています。
また「道の駅・川の駅水の郷さわら」では、「地場産品」を用いた美味しい「お料理」を提供している「フードコード」があり、「フードコード」「店舗」ですが、「和食」を提供している「あやめ」、「イタリアン・洋食」を「提供」している「温々(ヌクヌク)」、「うどん・そば処」の「さわら麺処」、「ラーメンショップ」の「らーめん桃太郎」の4店舗が入っています。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」の「事業区域面積」ですが、約16.9ha(ヘクタール)となっており、「川の駅水の郷さわら」と「道の駅水の郷さわら」「概要」は、下記の通りです。
「川の駅・水の郷さわら」
所在地 〒287-0003 香取市佐原イ4051番地-3
問合わせ TEL 0478-52-1138 FAX 0478-52-1122
営業時間 (防災教育展示)
9時30分〜16時30分
営業時間 (佐原河岸、水辺交流センター)
9時00分〜17時00分
休館日 月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始、施設点検日 (防災教育展示、佐原河岸、水辺交流センター)
延床面積
車両倉庫 約360平方m
河川利用情報発信施設(防災教育展示等) 約1490平方m
水辺交流センター 約830平方m
「道の駅水の郷さわら」詳細
所在地 〒287-0003 道の駅・水の郷さわら 香取市佐原イ3981番地-2
問合わせ TEL 0478-50-1183 FAX 0478-50-1185
営業時間
特産品直売所・フードコード
9時00分〜19時00分 (4月〜9月)
9時00分〜18時00分 (10月〜3月)
(年中無休、施設点検日等を除く)
駐車場
普通車146台、大型車22台、身障者用4台、大型自動二輪車21台 (24時間・年中無休)
トイレ
男13、女12、多機能1 (24時間・年中無休)
休憩・情報コーナー (24時間・年中無休)
延床面積 約1110平方m
「道の駅・川の駅水の郷さわら」の「施設整備」の「目的」は、下記の通りです。
本施設は、佐原広域交流拠点PFI事業として、国土交通省と香取市が協働で行っている事業であり、平成18年度からPFI事業を進めるための検討委員会や有識者等委員会を開催し、平成20年(2008年)7月10日に特定目的会社(SPC)PFI佐原リバー(株)が事業者となりました。
当該事業は、直轄河川事業でのPFI手法を採用した全国初の試みであり、国土交通省が施工する高規格堤防(スーパー堤防)上に設置される、地域交流施設(道の駅)と平常時は河川利用者等への情報発信として防災教育等に利用すると共に、災害時には水防活動の拠点となる施設(川の駅)が一体となって整備されるものです。
利根川下流部における防災拠点としての利用の他、利根川の自然環境を活かしたカヌー等の水辺の利用拠点や利根川における舟運による交通と道路による交通との利便性を活かした交通の交流拠点ともなるものです。
香取市は、江戸時代より利根川水運の物流拠点として栄え、古い町並みが残されており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されているなど、これら地域文化を活かした、川からのまちづくりを推進し、都市再生を目指す拠点施設整備を行っています。
ちなみにPFI事業とは、下記の通りです。
PFIとは、国や地方公共団体が各々単独で行っていた公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用することにより、国や地方公共団体が直接実施するよりも効率的かつ効果的に公共サービスを提供できる新しい事業手法であり、PFI法にもとづき実施します。
我が国のPFIに対する方針としては、公的債務の深刻化に鑑み、1999年(平成11年)7月に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(通称PFI法)」を策定しています。
PFI事業に携わる事業者は、本事業の遂行のみを目的とする特別目的会社(SPC)を設立し、事業を実施します。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」は、「災害時」の「災害対策施設」の「機能」を有していますが、平常時は「防災教育」や「水辺」の「利用拠点」として有効活用されています。
「道の駅・川の駅水の郷さわら」の「防災施設」(主要諸室)は、下記の通りです。
災害対策支援室 (平常時) 施設事務所、多目的研修室
待機室、河川情報室 (平常時)防災教育展示室
災害対策資材倉庫
自家発電気室 (平常時)防災教育展示室
水防従事者案内所 (平常時)総合案内所
情報収集室 (平常時)多目的研究室
屋外水防従事者便所 (平常時)施設利用者用便所
水防倉庫
水防従事者控え室 (平常時)飲食施設
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」ですが、「人気観光スポット」「道の駅・川の駅水の郷さわら」が今年(2016年)で6周年を迎えるにあたり開催される「記念イベント」です。
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」開催に際し、「道の駅・川の駅水の郷さわら」では、下記の「コメント」をされています。
おかげさまで水の郷さわらは6周年を迎えました。
お客様と共に今日のこの日を迎えられることがとても嬉しく、心より感謝申し上げます。
何度訪れても新しい発見がある、魅力的な直売所づくりにこれからも励んで参ります!
原文まま表記
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」では、「道の駅」の「催し物」と、「川の駅」の「催し物」が行われ、盛り沢山の「イベント内容」で開催されます。
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」の「道の駅」の「催し物」ですが、「ガラポン大抽選会」、「特設会場」での盛り沢山の「販売」、「企画」、「ゲーム」、「くじ」となっています。
「ガラポン大抽選会」ですが、「レシート」1000円につき1回「大当たり」の「チャンス」がある「抽選イベント」(無くなり次第終了)です。
「ガラポン大抽選会」の「景品」は、下記の通りです。
1等 コシヒカリ (3kg)
2等 かきもち
3等 道の駅大福
4等 道の駅クッキー
5等 詰め放題 当日のお楽しみ!
6等 ペットボトルドリンク
7等 ポケットティッシュ
「特設会場」の「販売」、「企画」、「ゲーム」、「くじ」ですが、「米のすくい取り」、「地元米の試食」、「きのこの試食販売」、「ビンゴゲーム」、「さつまいも品種当てクイズ」、「輪投げ」、「三角くじ」、「ゴム鉄砲」、「水の郷キャラクターによる果樹のPR」、「輪投げ」、「ポップコーン販売」(大200円、小100円)、「サツマイモスティック」(100円/杯)、「つきたてもちのお雑煮」(100円)、「ひもくじ」(100円)、「創業祭感謝花くじ」(100円)などが行われます。
「フードコード」では、下記の「サービス」・「割引」が行われます。
「あやめ」
カレーライス 100円引き!
「さわら麺処」
えび天 半額!ちくわ天 半額!
「らーめん桃太郎」
お食事ご注文のお客様ゆでたまごサービス!
「温々ぬくぬく」
マルゲリータピザLサイズ100円引き ソフトクリームいちご50円引き
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」の「川の駅」の「催し物」ですが、「ポニー引き馬乗馬体験」、「水の郷さわらスタンプラリー」、「水辺コンサート」、「太極拳ショー」、「カヌー体験乗船」、「モーターボート体験乗船」、「子供広場」、「香取警察署移動交番」となっています。
「ポニー引き馬乗馬体験」は、「人気者」の「ポニーちゃん」に乗って「お散歩」する「体験」で、「乗馬料」無料、3月27日(日)のみの開催となっています。
「水の郷さわらスタンプラリー」ですが、「スタンプ」を全部集めて、「プレゼント」をもらえる「企画」です。
「水辺コンサート」ですが、優しい「音色」を奏でる「コンサート」で、「出演」ですが、「香取ガットクラブ」の「皆さん」が出演されるそうです。
「太極拳ショー」ですが、「体験指導」等が行われるそうです。
「モーターボート体験乗船」は、「迫力満点」の「モーターボート」に乗れる「体験」で、「料金」ですが、「大人」500円、「子供」300円となっており、「幼児」は無料だそうです。
「モーターボート体験乗船」の「乗船時刻」は、10時00分から16時00分までの間で、「乗船人数」に達し次第、随時「出港」となっています。
「カヌー体験乗船」は、「利根川」で「春」の「自然」を満喫する「体験」で、「対象年齢」ですが、満10歳(保護者同伴)からとなっており、「カヌー体験乗船」の「料金」ですが、お一人さま500円、「体験時刻」は10時00分から12時00分、13時00分から15時00分(30分毎、定員あり)で行われます。
「子供広場」では、「ブロック遊び」などが楽しめ、「香取警察署移動交番」は、「道の駅・川の駅水の郷さわら」「大型駐車場」内に「設置」され、「緊急時」は「不参加」となるそうです。
その他「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」「川の駅」の「催し物」として「照明車・ポンプ車展示」、「利根川パネル展示」が「提供」「国土交通省」で行われ、2F「災害対策室」で「利根川舟運を学ぼう」が行われるそうです。
「人気観光スポット」「道の駅・川の駅水の郷さわら」で開催される「盛り沢山」の「イベント」や「体験コーナー」が設けられる「記念祭」「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」詳細
開催日時 3月26日(土)・27日(日) 9時〜
開催会場 道の駅・川の駅水の郷さわら
「川の駅水の郷さわら」詳細
所在地 〒287-0003 香取市佐原イ4051番地-3
問合わせ TEL 0478-52-1138 FAX 0478-52-1122
営業時間 (防災教育展示)
9時30分〜16時30分
営業時間 (佐原河岸、水辺交流センター)
9時00分〜17時00分
休館日 月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始、施設点検日 (防災教育展示、佐原河岸、水辺交流センター)
「道の駅水の郷さわら」詳細
所在地 〒287-0003 道の駅水の郷さわら 香取市佐原イ3981番地-2
問合わせ TEL 0478-50-1183 FAX 0478-50-1185
営業時間
特産品直売所・フードコード
9時00分〜19時00分 (4月〜9月)
9時00分〜18時00分 (10月〜3月)
(年中無休、施設点検日等を除く)
備考
「感謝!感激!6周年!!大感謝祭」「ガラポン大抽選会」の「レシート」ですが、「当日」の「レシート」のみ有効となっています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2883 |
| 地域情報::香取 | 10:42 AM |
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2016,03,17, Thursday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「八重垣神社」で3月20日(日)に開催されます「新里(ニッサト)の白川流十二神楽」です。
「八重垣神社」は、「香取市」「新里(ニッサト)」に鎮座する「神社」です。
「八重垣神社」の「御祭神」ですが、「健(建)速須佐雄命(タケハヤスサノオノカミ)」・「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」・「大名牟遅神(オオナミチノカミ)」・「豊宇氣比賣神(トヨウケビメノカミ)」・「武御名方神(タケミナカタノカミ)」を祀っています。
「八重垣神社」の「創建」ですが、延元3年(1338年)に勧請し、「八重垣尊神」として創祀(創建)されたそうです。
上述のように「八重垣神社」ですが、「八重垣尊神」と呼ばれましたが、享徳4年(1455年)に「妙見宮」となり、天保2年(1831年)に「紗劔大明神」と改め、「明治維新」の際には、元に戻り、現在の「社号」に改称したそうです。
その後、「八重垣神社」は、明治44年(1911年)に、「字原之台」の「稲荷神社」、「諏訪神社」の「両神」を合祀されています。
「八重垣神社」「敷地」858坪の「境内」には、「本殿」(銅板葺流造)、「幣殿」(銅板切妻造)、「拝殿」(銅板葺入母屋造)、「神楽殿」(亜鉛板葺入母屋造)が、立ち並びます。
また「八重垣神社」ですが、「境内」の「スギ」(スダジイが有名)が「目」につくそうです。
「環境省」「巨樹データベース」には、「スダジイ」が1本登録されているのみだそうですが、「八重垣神社」の「スギ」も「幹囲」3mを超え、「巨木」の「域」に達しているそうです。
「八重垣神社」の「スダジイ」ですが、「本殿」の斜め後方、小さな「塚」の上に立っているそうです。
「八重垣神社」の「スダジイ」ですが、「樹高」8m、「目通り幹囲」6.3mとなっています。
「新里の白川流十二神楽」ですが、文化元年(1804年)、時の「名主」「高木伊八郎」氏が「大願主」となり、「長嶋重左衛門」氏、「金親清右衛門」氏、「高橋市左衛門」氏、それぞれの「願主」が相議り、広く「村」内外の「賛同」を得て、「永代神楽講」を起こしました。
「新里の白川流十二神楽」では、「神楽道具」、「湯釜」など奉納して、「天下泰平」、「万民安泰」、「五穀豊穣」を祈って、「八重垣神社」「例大祭」(御神楽祭)の3月20日に奉納されたのが、始まりとされています。
「新里の白川流十二神楽」は、明治45年(1912年)より昭和30年(1955年)に至る「43年間」を、「後進」の「指導育成」に「菅谷新之助」氏があたったそうで、「菅谷新之助」氏は、「神楽技」「全般」にわたり、「奥義」を極め、これを受けて、数多くの「人々」が「協力」・「支援」をし、「伝承」に努力したそうです。
「新里の白川流十二神楽」ですが、上記のように、文化4年(1807年)から「八重垣神社」「例祭」(3月20日)にて「奉納」を続けていましたが、戦時中は、「稚児舞」だけの「継続」になってしまいましたが、昭和23年(1948年)から、「氏子青年団」に「継承」を依頼し、昭和51年(1976年)(昭和50年ともいわれています)に「伝統」を後世に伝えようと「保存会」(新里芸能保存会)が結成され、「白川流十二神楽」を「継承」しているそうです。
「新里の白川流十二神楽」ですが、昭和54年(1979年)、「有志」の「寄進」により、「湯神楽」・「駒寄」・「四神旗」等が復元され、「祭」の「すべて」が「昔」と同じように行われ、「氏子」が「一丸」となって「伝統芸能」の「維持」・「継続」に努めています。
「新里の白川流十二神楽」ですが、「猿田彦」から始まり、「須佐之男命」まで、「十二座」からなる「十二座神楽」です。
「新里の白川流十二神楽」の「演目」は、下記の通りです。
猿田彦(サルタヒコ)
乙女
手力男之命
八幡
三宝荒神
鈿女
榊葉
田人(稲荷)
受持之命
種まき
須佐之男(スサノオノ)尊(〆切)
となっています。
(「演目」の「間」で、「稚児舞」(「朝日の舞」・「夕日の舞」)あり)
「新里の白川流十二神楽」ですが、現在は「昔」と同じように行われており、「氏子」の中には「女性」の「参加者」もいるそうです。
また「新里の白川流十二神楽」では、「神楽」の前に「湯立ての神事」が行われています。
「香取市」「山田地区」の「古社」「八重垣神社」で「伝承」されている「伝統芸能」「新里の白川流十二神楽」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「新里の白川流十二神楽」詳細
開催日時 3月20日(日) 14時〜17時
開催会場 八重垣神社 香取市新里983
問合わせ 香取市教育委員会生涯学習課 0478-50-1224
備考
「新里の白川流十二神楽」ですが、昭和56年(1981年)6月22日に、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。
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| 地域情報::香取 | 01:17 PM |
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2016,03,15, Tuesday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「香取護国神社」で3月18日(金)に開催されます「香取護国神社春季大祭」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。
この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。
「護国神社」ですが、明治時代に「日本各地」に設立された「招魂社」が、1939年(昭和14年)3月15日「交付」、同年4月1日に「施行」された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)によって「一斉」に「改称」して成立した「神社」です。
「招魂社」の「名称」ですが、「招魂」が「臨時」・「一時的」な「祭祀」を指し、「社」が「恒久施設」を指すため、「招魂社」の「名称」に、「矛盾」があるとして「護国神社」に改称されたそうです。
「護国」の「名称」ですが、1872年12月28日(明治5年11月28日)の「徴兵令詔書」の「一節」「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、1882年(明治15年)1月4日の「軍人直諭(グンジンチョクユ)」の「一節」「國家の保護に尽さば」など、「祭神」の「勲功」を称えるに、最も相応(フサワ)しく、既に「護国」の「英雄」等の「用語」が用いられて「親しみ」も深い、との「理由」で採用されたそうで、「護国神社」の「総数」ですが、1939年(昭和14年)4月時点で131社とされています。
「香取護国神社」は、上記のように「香取神宮」「参道」「左手」に鎮座し、1946年(昭和21年)9月に創建されました。
「香取護国神社」「御祭神」ですが、明治以降の「国難」に殉じた「香取郡」「出身」の「御霊」を「御祭神」としています。
「香取護国神社」では、「春」・「秋」、二度の「例祭」(大祭)が行われており、この度(タビ)「香取護国神社」では、「香取護国神社春季大祭」が3月18日(金)に斎行われます。
「香取護国神社春季大祭」では、「日清」・「日露」の「戦役」から、先の「大戦」で散華された「香取郡市」「出身」の「戦没者」の「英霊」をお祀りする「香取護国神社」の「春季大祭」が斎行されます。
「香取護国神社春季大祭」「当日」は、「香取神宮」の「巫女」による「浦安の舞」が奉奏されるそうです。
「香取護国神社」で奉奏される「浦安の舞」ですが、「御霊」を「お慰め」するため、行われるそうです。
「浦安の舞」は、「昭和天皇」の「御製」を「元」にした「神楽舞」で、「世界」の「恒久平和」を祈る「舞」だそうです。
なお「香取護国神社春季大祭」ですが、どなたでも「御参列」することが出来るそうですので、「希望」される「方」は、「香取神宮」「社務所」までお問い合わせ下さいとのことです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」「境内」に鎮座する「香取護国神社」で斎行される「行事」「香取護国神社春季大祭」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取護国神社春季大祭」詳細
開催日時 3月18日(金) 11時〜
開催会場 香取神宮 香取護国神社 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」の「桜」ですが、「美人桜」と「昔」から呼ばれており、「香取神宮」「境内」に、数百本 の「桜」があり、「ソメイヨシノ」や「大島桜」、「山桜」など「種類」も「豊富」で「比較的」長い「期間」楽しめます。
「香取神宮」の「桜」の「見頃」ですが、「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日のブログ参照)の「頃」といわれています。
ちなみに本年(平成28年・2016年)の「御田植祭」ですが4月2日(土)・3日(日)に斎行されるそうです。
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| 地域情報::香取 | 10:10 AM |
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2016,03,12, Saturday
本日ご紹介するのは、近隣市「神崎町」「鍋店神崎酒造蔵」、「寺田本家」、その他「周辺道路」で3月13日(日)に開催されます「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」です。
「神崎町」は、「香取郡」に属する「まち」で、「首都」「東京」の「東」約60km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から「北北東」に14km、「千葉県」の「北端中央部」に位置し、「北」は「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に面し、「南」は「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のなだらかな「丘陵地帯」が広がっており、「神崎町」の「まち」のほぼ「中央部」を「JR成田線」が通っています。
「神崎町」に隣接している「自治体」ですが、「東」は「香取市」、「西」と「南」は「成田市」に接するとともに、「北」は「利根川」を挟んで「茨城県」「稲敷市」と接しています。
「神崎町」の「面積」ですが、19.85平方km、「町」の「東西」は5.7km、「南北」6.2km、「地勢」ですが、概(オオム)ね平坦で、「南東部」は「丘陵」の起伏が多く、「畑」や「山林」が大半を占め、「北部」は「利根川」沿いに肥沃(ヒヨク)な「沖積低地」が開けている「自然」と「緑」が豊かな「まち」です。
「神崎町」の「行政区域」としての位置づけですが、明治4年(1871年)「新治県」に始まり、明治8年(1875年)以降は「千葉県」に属し、明治22年(1889年)4月「町村制施行」とともに「武田」、「新」、「毛成」、「吉原」、「植房」、「立野」、「大貫」、「郡」の8ヶ村が「米沢村」として、また、「神崎本宿」、「神崎神宿」、「松崎」、「小松」、「並木」、「今」、「高谷」の7ヶ村が「神崎村」として合併、翌明治23年(1890年)3月に「町村」が施行、「神崎町」となりました。
その後、昭和30年(1955年)4月、「神崎町」・「米沢村」が合併して「新生・神崎町」が誕生、さらに昭和41年(1966年)1月、「向野地区」が「茨城県」「東村」・「河内村」から「千葉県」に割譲され、「神崎町」に編入、現在に至っています。
昭和47年(1972年)には、「神崎町」では「工業団地」の操業も始まり、また近年は「自然」との「調和」を図りながら大規模な「宅地造成」や「道路整備」も進み、「緑」ある「自然環境」と恵まれた「歴史風土」の上に、調和のとれた「自然とふれあいのまち」を形成しているそうです。
「神崎町」の「人口」ですが、6301人、「世帯数」2396世帯(2016年3月1日現在)となっており、「神崎町」は、「千葉県」で一番「行政規模」の小さい「まち」となっています。
「神崎町」は、古くから「北総」の「穀倉地帯」として「農産物」に恵まれ、「地下水」も豊富であったため、江戸時代初期より「酒」や「醤油」などの「醸造業」が発展し、明治の時代には7軒の「酒蔵」と3軒の「醤油蔵」があり、「関東一円」に向け、「利根川水運」で「商品」が運ばれ、「神崎町」では、「醸造業」が盛んに営まれていました。
現在でも「神崎町」では、「仁勇・不動」の「醸造元」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)、「五人娘・香取」の「醸造元」「寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)といった江戸時代から続く2軒の「老舗酒蔵」が醸造し続け、魅力ある「銘酒」を醸(カモ)しており、「醤油」とともに昔ながらの「風味」を今に伝えています。
「神崎町」の「基幹産業」は、上記のように「農業」や「醸造業」ですが、近年は隣接する「成田国際空港」、「国道356号バイパス」や「圏央道」(首都圏中央連絡自動車道)「神崎IC(コウザキインターチェンジ)」等を基軸として、「長期的展望」に立った「都市基盤」の「整備」を進めてきました。
また「神崎町」では、「こうざき天の川公園」(2012年11月18日のブログ参照)、「こうざきふれあい自然遊歩道」、「神崎大橋」と「側道橋」「神東ふれあい橋」等を活用し、「まち」の「広域拠点性」をさらに強め、「神崎町民」が主役の「まちづくり」を目標に、上記のように「自然」と「調和」のとれた「自然と人とふれあいのまちづくり」を進めてきたそうです。
「神崎町」では、太古から続く「歴史」、澄んだ「空気」や、輝く「緑」、清らかで美味しい「水」、「自然」の「恵み」に満ちあふれた「大地」に、息づく「人々」が「発酵」を繰り返しながら、新たな魅力を生み出しており、「神崎町」は、近年「発酵の里こうざき」として「周辺自治体」に親しまれています。
現在「神崎町」は、緑豊かな「農村環境」でありながら、上記のように「圏央道」「神崎IC」や「国道356号バイパス」などの「整備」により「首都圏」への「アクセス」が容易となっているため、「道の駅」「建設計画」などを推進して「地域振興」に取り組まれています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」(2015年3月14日・2014年3月12日・2013年3月12日・2012年3月12日・2011年3月9日のブログ参照)は、300年以上の「伝統」を持つ2軒の「酒蔵」「鍋店(株)」と「寺田本家」を「中心」に、「両蔵」の「沿道」を歩行者天国にし、「酒蔵」周辺全体を「会場」にして行われる「イベント」です。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」は、「鍋店(株)」が主催している「仁勇蔵祭り」(2016年3月11日・2015年3月13日・2014年3月15日・2013年3月14日・2012年3月14日のブログ参照)と、「(株)寺田本家」が主催している「お蔵フェスタ」(2016年3月10日・2015年3月12日・2014年3月14日・2013年3月13日・2012年3月15日のブログ参照)を「中心」に、「味噌」や「ひしほ」といった「発酵食品」や「地元農産物」をはじめとした「発酵」、「醸造」を「中心」と「まち」をあげての「一大イベント」となっており、本年(2016年)は、「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」として3月13日(日)に開催されます。
「仁勇蔵祭り」は、「鍋店(株)」が、毎年3月に開催している「大人気」の「イベント」で、「発酵の里こうざき酒蔵まつり」の「メインイベント」のひとつです。
「仁勇蔵祭り」ですが、「鍋店(株)」の「メインブランド」である「仁勇(ジンユウ)」、「不動(フドウ)」のうちの「仁勇」の「名前」を冠しており、今年(2016年)で「18回目」を数える「イベント」です。
「第18回仁勇蔵祭り」(2016年3月11日のブログ参照)「当日」の「催し」ですが、「蔵見学」、「試飲会場」(無料試飲)、「蔵祭り限定酒販売」(世紀蔵会場)、「フードゾーン」(巽(タツミ)蔵会場)、「酒売店・お土産」(世紀会場)、「酒粕詰め放題」、「特設ステージ」(世紀蔵会場)となっています。
「お蔵フェスタ」は、「(株)寺田本家」が主催している「イベント」で、今年(2016年)で「10回目」を迎えます。
「お蔵フェスタ」は、「入場無料」(お申し込み不要・飲食等は別料金)で開催され、「イベント」は「環境」にやさしい「お祭り」を目指し、「(株)寺田本家」では、「ご来場」の際、「Myバック」・「My食器」・「My箸」や「買い物袋」をお持ち下さいと呼びかけています。
「第10回お蔵フェスタ」(2016年3月10日のブログ参照)の「内容」ですが、「本部」、「お酒の販売所」、「無料の試飲コーナー」、「蔵見学ツアー」、「どぶろく一杯100円」、「発酵クッキング」、「発酵コスメワークショップ」、「青空トークライブ」となっています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」の「開催内容」は、下記の通りです。
当日だけ販売される限定酒。
各蔵元の見学。
お酒の無料試飲。(一部有料)
ひしほ・しょうゆ・味噌・酒種発酵パンなど地元発酵食品。
地元農家の新鮮野菜。
歩行者天国では、露店と唄や踊りの披露、体験コーナーなど楽しいイベント盛り沢山。
なお「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」には、「地域物産」や「発酵食品」をはじめとした「露店」が「沿道」に並び、「商店街」も参加し、「イベント」を盛り上げ、「飲食・食料品のお店」や、「雑貨・衣料品などのお店」等、211店舗が出店されるそうです。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」では、「第18回仁勇蔵祭り」、「第10回お蔵フェスタ」の他、「フジハン醤油」、「鍋店(株)」付近「とまり木」等を「会場」に「イベント」が行われます。
「フジハン醤油」では、「旧・米蔵」が見学可となっており、13時30分と、14時15分から「高橋恵利佳」さんの「ピアノミニコンサート」が行われ、「蔵の上映会」と題し「ニワトリさんいただきます〜命の学習会〜」を11時15分と、13時45分から開催するそうです。
「鍋店(株)」付近「とまり木」では、「神崎町観光大使」「門戸竜二」さんによる「おいらん道中」が、10時30分出発し、「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」を盛り上げ、その他「神崎町PRマスコットキャラクター」「なんじゃもん」(2013年3月18日のブログ参照)も来場し、「イベント」を盛り上げてくれるそうです。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」では、「周辺道路」沿いに「ミニステージ」が設けられ、「祭囃子」と「踊りの競演」、「バンド演奏」等「ステージイベント」も行われます。
「ステージイベント」は、「第1ステージ」、「第2ステージ」と2ステージあり、下記の「スケジュール」で行われます。
第1ステージ
9時30分〜 オープニング
9時55分〜 神崎町歌謡クラブ連合会
10時20分〜 はなこりあ(よさこいアリラン)
10時45分〜 サクマミサコフラグループ
11時10分〜 門戸竜二
11時35分〜 細川敏夫サックス演奏
12時20分〜 プロ演歌歌手ステージ
日本クラウン 利根 明・藤原 けい
13時00分〜 芸座連・藤華連
13時35分〜 オカリナぽんぽこ一座
14時00分〜 オミザイル(2011年8月17日のブログ参照)
14時25分〜 サプライズあり!
14時40分〜 プロ演歌歌手ステージ
マイライフレコード 成田 みつる MEGU 飛び込みカラオケコーナー
第2ステージ
10時30分〜 You know Me
10時55分〜 オミザイル
11時20分〜 地元特産品無料大抽選会
(10時30分〜抽選券配布)
12時10分〜 オカリナぽんぽこ一座
12時35分〜 はなこりあ
13時00分〜 感謝の口笛師にしやん
13時25分〜 サプライズあり!
13時40分〜 サクマミサコフラグループ
14時05分〜 地元特産品無料大抽選会
(13時45分〜抽選券配布)
また「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」では、「酒蔵まつり写真コンテスト2016」も開催するそうです。
「酒蔵まつり写真コンテスト2016」「詳細」は下記の通りです。
応募方法
1 応募作品 A4サイズまたは、四つ切ワイドのプリント作品
2 応募点数 一人、3点以内
3 応募票 神崎町HP参照
作品送付先
「酒蔵まつり写真コンテスト実行委員会」事務局
〒289-0221 香取郡神崎町神崎本宿1909 青野正勝 方
応募締め切り
平成27年4月15日(水)必着
審査
酒蔵まつり写真コンテスト審査委員会による一次審査、及び二次審査
上記「詳細」は「神崎町」「HP」を参照下さい。
「歴史」ある「蔵元」「鍋店神崎酒造蔵」、「寺田本家」、その他「周辺道路」で開催される「発酵食文化」を満喫できる「大人気イベント」「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」。
この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」詳細
開催日時 3月13日(日) 11時〜16時半
開催会場 鍋店神崎酒造蔵 香取郡神崎町神崎本宿1916
寺田本家
その他周辺道路 香取郡神崎町神崎本宿1916
問合わせ 酒蔵まつり実行委員会(神崎町役場まちづくり課内) 0478-72-2114
備考
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」は、「雨天決行」となっています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」当日は、大変混雑が予想されますので、「公共交通機関」の「利用」を呼びかけています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」の開催される「会場」周辺は「交通規制」が行われ、一部が「車両全面通行止区間」、8時30分から16時00分まで「規制時間」となっています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり2016」「規制期間」は上述の通りですが、「規制期間」前後は、「準備」・「片付け」の「関係上」「路上」が混み合うため、「迂回」をお願いする場合がありますので、ご注意下さい。
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| 地域情報::香取 | 02:15 PM |
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