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2015,11,24, Tuesday
本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で11月25日(水)に開催されます「菅原大神秋の例祭」です。
「菅原道真(スガワラノミチザネ)」公は、「日本」の平安時代に活躍された「貴族」、「学者」、「漢詩人」、「政治家」で、「参議」・「菅原是善(スガワラコレヨシ)」公の「三男」として生まれ、「官位」は「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」「太政大臣」に就かれていた「人物」です。
「菅原道真」公の「菅原家」は、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」に「起源」をもち、「曾祖父」「菅原古人」公の時代に、「学問」をもって「朝廷」に仕える「家柄」となっていたそうです。
「菅原道真」公の「祖父」「菅原清公(スガワラノキヨキミ/キヨトモ)」公と「父」「菅原是善」公は、ともに「大学頭」・「文章博士」に任ぜられ「侍読」も務めた「学者」の「家系」であり、当時は「中流」の「貴族」であったそうで、「母方」の「伴氏」ですが、「大伴旅人(オオトモノタビト)」公、「大伴家持(オオトモノヤカモチ)」公ら「高名」な「歌人」を輩出しています。
「菅原道真」公の「正室」は「島田宣来子」(「島田忠臣」の「娘」)、「子」は「長男」・「高視」や「五男」・「淳茂」をはじめ「男女」多数で、「子孫」もまた「学者」の「家」として長く続き、特に「高視」の「子孫」は「中央貴族」として残り、「高辻家」・「唐橋家」をはじめ「6家」の「堂上家」(半家)を輩出しました。
「菅原高視」の「曾孫」・「道真五世」の「孫」が「孝標」で、その「娘」「菅原孝標女(スガワラノタカスエノムスメ)」(「更級日記」の作者)は「菅原道真」公の「六世」の「孫」に当たるそうです。
上記のように「菅原道真」公の「祖父」「清公」公は「私塾」を設け、「同所」からは「朝廷」の「要職」に「数々」の「官人」を輩出し、「菅原家」は「一大学閥」となっていったそうです。
「菅原道真」公は、「類(タグ)い」まれなる「才能」の「持ち主」であり、「人々」から厚い「信頼」を得ており、その「ご生涯」は、「政略」による「左遷(サセン)」など「波瀾万丈(ハランバンジョウ)」のものでした。
「菅原道真」公は、「幼少の頃」より「学問」の「才能」を発揮され、わずか 5歳で「和歌」を詠まれるなど、「神童」と称されていました。
「菅原道真」公が「幼少期」につくったとされる「漢詩」ですが、下記の通りとなっています。
月夜見梅花
月耀如晴雪 梅花似照星
可憐金鏡転 庭上玉房馨
月の輝きは晴れたる雪の如し
梅花は照れる星に似たり
憐れむべし 金鏡転じ
庭上の玉房の馨れることを
今夜の月の光は、雪にお日さまが当たった時のように明るく、
その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
なんて素晴らしいのだろう。
空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。
「菅原道真」公は、さらに「勉学」に励み、「学者」としての「最高位」であった「文章博士(モンジョウハカセ)」となり、「栄進」を続けられ、「青年期」は「学問」だけではなく、「弓」にて「百発百中(ヒャッパツヒャクチュウ)」の「腕前」を披露されるなど、「文武両道」に傑出した「人物」として、「その名」を馳せていました。
「菅原道真」公が「京都」から「讃岐国」の「長官」として赴任された際、疲弊していた「国」を建て直すなど「善政」を行い、「住民」に大変慕われました。
その「実績」が「宇多天皇」に認められ、「菅原道真」公は、「京都」に戻り、厚い「信任」を受け、ますます「政治」の「中心」でご活躍されました。
「菅原道真」公は、寛平6年(894年)、「唐」(当時の「中国」)の「国情不安」と「衰退」を「理由」に「遣唐使(ケントウシ)」「停止」を建議され、後の「国風文化」の「開花」に大きな「影響」を与えました。
その後「菅原道真」公は、「右大臣」に任じられ、「国家」の「発展」に尽くされていましたが、「左大臣」「藤原時平」の「政略」により、「身」に「覚え」のない「罪」によって「大宰府(ダザイフ)」に突如「左遷(サセン)」されることとなってしまいました。
「菅原道真」公は、「ご家族」とも十分な「別れ」も許されないまま「京都」を離れる際、「ご自宅」の「梅の木」に「別れの歌」を詠まれたそうです。
「京都」を離れる際に、「菅原道真」公が詠まれた「和歌」ですが、下記の通りとなっています。
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。
「菅原道真」公は、「大宰府」では、「衣食」もままならぬ、厳しい「生活」を強いられながらも、「皇室」の「ご安泰」と「国家」の「平安」、また「ご自身」の「潔白」をひたすら「天」にお祈りされ、「誠」を尽くされました。
「菅原道真」公は、延喜3年(903年)2月25日、その清らかな「ご生涯」を閉じられました。
「菅原道真」公の「死後」、「天変地異(テンペンチイ)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の「対象」となったそうです。
「菅原道真」公の「死後」、「朝廷」でも「無実」が証明され、「人」から「神様」の「御位」に昇られた「菅原道真」公は、「太宰府天満宮」に「永遠」に静まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集めており、一般に今日(コンニチ)の「天神さま」の「ご利益」とされているのは、「受験合格」、「詩歌・文筆・芸能上達」、「農業守護」、「商売繁盛」、「病気平癒」といったものだそうです。
「菅原道真」公は、「福岡県」「福岡市」「中央区」「天神」に鎮座する「水鏡天満宮」(水鏡神社)の「御祭神」として祀られており、「水鏡天満宮」(水鏡神社)には、下記の「由来」が伝えられています。
この神社は一名水鏡天満宮という。
社伝によると延喜元年(901年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その地に社殿を建てて水鏡天神(スイキョウノテンジン)、又容見天神(スガタミテンジン)といった。
慶長17年(1612年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永18年(1641年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。
社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。
尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学生の時揮毫したものである。
(鳥居扁額ですが、「北側」は黒田家13代目で貴族院副議長にもなった黒田長成揮毫のもので、南側が昭和の首相広田弘毅の小学生の時の揮毫といわれています。)
現在の「水鏡天満宮」は、上述のように、当初建設された「場所」から移転されていますが、それは戦国時代に「福岡藩」の「初代藩主」となった「黒田長政」が「水鏡天満宮」を「福岡城」の「鬼門」にあたる「場所」、「東」の「鎮守」の「思い」を込めて移したためだそうで、そのまま現在の地に鎮座しています。
また、「水鏡天満宮」(水鏡神社)(水鏡天神)(容見天神)ですが、「菅原道真」公が「博多」に上陸された際、近くの「川」(現在の「薬院新川」)に「自分」の「姿」を映し、やつれた「姿」を嘆き悲しんだことにちなんで建立されたそうです。
「菅原大神」ですが、「銚子市」「桜井町」に鎮座する「桜井里」の「鎮守」で、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「菅原大神」「社殿」ですが、1987年(昭和62年)に建立されており、「菅原大神」の「敷地」187坪の「境内」には「萱葺流造」の「本殿」が建っています。
「菅原大神」は、「菅原大神」という「名」の通り、「菅原道真」公を祀る「神社」で、「菅原道真」公は、上記のように「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集め、「地元」では「天神さま」と呼ばれ、「菅原大神」は「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に知られています。
「銚子市」の「西部」、となりまち「東庄町」(2012年4月15日のブログ参照)に程近い「市内」「桜井町」に鎮座している「菅原大神」は、「古来」より「桜井の鎮守」として「遠近」の「信仰」があつく、「別名」「子宝神社」とも呼ばれています。
「菅原大神」では、毎年「春」の2月25日(2015年2月23日・2014年2月23日・2013年2月19日・2012年2月20日・2011年2月21日のブログ参照)、「秋」の11月25日(2014年11月25日・2013年11月24日・2012年11月24日・2011年11月23日・2010年11月22日のブログ参照)に、「例祭」が行われ、「菅原大神」の「例祭」には、多くの「参拝客」で賑わいます。
「菅原大神」の「春」、「秋」の「例祭」が賑わう「理由」ですが、「子宝」に恵まれない「婦人」が、「菅原大神」に奉納されている「子宝石」(子産石)を「お腹」に当て「祈念」し抱くと「子宝」に恵まれる(授かる)といわれている「伝承」(いい伝え)によるものです。
「菅原大神」には、「大小」90個の「子宝石」(子産石)と呼ばれる「丸い石」が「社(ヤシロ)」に奉納されており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると伝えられていることから、上記のように「菅原大神春の例祭」、「菅原大神秋の例祭」には「子宝祈願」にお越しになる「方」や、「子宝」に恵まれた「方」の「お礼参り」にお越しになる「方」で賑わうそうです。
「菅原大神秋の例祭」ですが、11月25日(水)8時00分から「受付」を行い、「式」が始まる前に、「記帳」と「玉串料」(祈願料)3000円からを納め、11時00分から「例祭」が行われるそうです。
「菅原大神秋の例祭」では、上記のように「子宝祈願」が行われ、「神主」による「祈祷」、「詔(ミコトノリ)」と「神主」の「話」が終わると、記帳した「順」に、「菅原大神」「神殿」の「前」に出て、「榊(サカキ)」を奉納し、参拝します。
その後、「菅原大神春の例祭」では、「子宝石」(子産石)を抱き、「子宝石」(子産石)を「お腹」に当てて「子宝」を祈願するそうです。
そもそも「菅原大神」の「子宝石」(子産石)は、昔「菅原大神」から離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」を祀った「御産宮(ゴサンノミヤ)」という「神社」に納められていたものだったそうです。
それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されたそうで、以来「菅原大神」は「子授けのご利益」を得たいと願う「人々」が参拝するようになっていったそうです。
「桜井の鎮守」「菅原大神」で開催される「子授けのご利益」を祈念・感謝する「秋」の「神事」「菅原大神秋の例祭」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「菅原大神秋の例祭」詳細
開催日時 11月25日(水) 8時〜
開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60
玉串料 3000円〜 (祈願料)
問合わせ 銚子市観光商工課 0479-24-8707
備考
「菅原大神」の「子宝石」(子産石)ですが、昭和60年上半期(1985年4月から10月5日)に放映されました「NHK朝の連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子宝石」(子産石)を抱き、「子授け」の「ご利益」を祈る「シーン」が「放映」されたことで、「その名」が「全国的」に広まったそうです。
「菅原道真」公を祀る「天神信仰」の「神社」は「全国」に約10400社にのぼり、その「総本宮」ともいえる「北野天満宮」(京都)と、「太宰府天満宮」(福岡)をはじめ、「各地」の「天神社」・「天満宮」では、毎月、「命日」の25日前後に「天神祭」が行われており、なかでも「大阪天満宮」で行われる「天神祭」(7月25日)は、「全国」でも「有数」の「盛大」な「夏祭り」として「有名」です。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2724 |
| 地域情報::銚子 | 11:35 AM |
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2015,11,21, Saturday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「地球の丸く見える丘展望館」「2F」「映像ブース」で11月29日(日)に開催されます「語り 夢二ひと夏の恋」です。
「地球の丸く見える丘展望館」は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「天王台」にある「施設」で、「銚子市」から「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」を受け、運営しています。
「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)は、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「高所」(73.6m)である「愛宕山」の「頂上」に位置する「展望観光スポット」です。
「地球の丸く見える丘展望館」からの「眺望」ですが、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せます。
「地球の丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」から360度の「大パノラマ」が広がり、緩やかに「弧(コ)」を描いた「水平線」によって、「その名」の通り、「地球の丸さ」を実感できる「展望施設」となっています。
「地球の丸く見える丘展望館」からは、「銚子市」が「三方」を「水」に囲まれている様子が実感でき、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、上述の「屏風ヶ浦」に至る「海岸線」を望め、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を堪能できるそうです。
「地球の丸く見える丘展望館」には、「地球の丸さ」を実感できる「展望スペース」(屋上)を筆頭に、「銚子」の「特産品」「地酒」・「醤油」をはじめ、「豊富」な「お土産」・「名産品」が揃った「お土産コーナー」(売店)(1F)、「季節ごと」に行われる「各種企画展」が「定期的」に催される「イベントホール」(企画展示室)(2F)、「常設展示」として2012年に認定されました「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)「関連資料」の「展示」をしている「銚子ジオパーク展示場」(2F)、「銚子海洋研究所」の「イルカウォッチング」(2010年12月19日のブログ参照)で撮影された「写真」の「展示」(2F)、「イルカウォッチング」もしくは「銚子のPR」「映像」を映す「映像鑑賞コーナー」(2F)、「銚子沖」(名洗沖)で「実験稼働中」の「洋上風力発電」の「解説」(2Fエントランス)、「展望スペース」に
向かう途中にある「眺望」のよい「休憩スポット」「喫茶コーナー」・「展望ラウンジ」「くつろぎスペース」「カフェ330」(3F)があります。
「地球の丸く見える丘展望館」の「イベントホール」ですが、上記のように「季節ごと」に、「写真展」や「絵画展」など「各種企画展」が行われており、多くの「観光客」、「地元客」の「皆さん」が訪れています。
「竹久夢二(タケヒサユメジ)」(2011年5月28日のブログ参照)(1884年(明治17年)9月16日〜1934年(昭和9年)9月1日)は、「日本」の「画家」・「詩人」で、「本名」は「竹久茂次郎(タケヒサモジロウ)」です。
「竹久夢二」は、「数多く」の「美人画」を残しており、その「抒情的(ジョジョウテキ)」な「作品」は「夢二式美人」と呼ばれ、「大正ロマン」を代表する「画家」で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともあり、また、「児童雑誌」や、「詩文」の「挿絵」も描いたそうです。
「竹久夢二」は、「文筆」の「分野」でも、「詩」、「歌謡」、「童話」など創作しており、なかでも、「詩」「宵待草」には「曲」が付けられて「大衆歌」として受け、「全国的」な「愛唱曲」となりました。
また、多くの「書籍」の「装幀(ソウテイ)」、「広告宣伝物」、「日用雑貨」のほか、「浴衣(ユカタ)」などの「デザイン」も手がけており、「日本」の「近代グラフィック・デザイン」の「草分け」のひとりともいえます。
「竹久夢二」は、「彼自身」の独特な「美意識」による「夢二式美人画」と呼ばれる「作品」の多くは、「日本画」の「技法」で描かれ(軸物や、屏風仕立てで遺る)、また、「洋画」(キャンバスに油彩)「技法」による「女性像」や、「風景画」も遺されています。
好んで「様々」な「表現形式」を試みたそうですが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された「書籍」の「表紙」や、「広告美術」などが多くの「目」に触れ、「大衆人気」という形で「脚光」を浴びたのであったそうです。
「竹久夢二」ですが、一時は「中央画壇」への「憧れ」もあったようですが、受け入れられず、終生
「野」にあって新しい「美術のあり方」を模索したそうです。
「世の動き」としてみた場合、「当時の画壇」では「様々」な「芸術思潮」が交錯し、ある意味で「胎動期」の不足のさなかであったそうです。
「都市」における「大衆文化の開花」による「消費生活の拡大」を背景とした、新しい「応用美術」としての「デザイン」というものの「黎明の時代」であり、「夢二」もこれに着目したそうです。
「竹久夢二」「生涯」の「後期」にいたっては、「彼」の「図案家」としての「才能」の「実績」において、「生活」と結びついた「美術」を目指し、あるいは「産業」と融合すべきとの「理念」を持ち、むしろ「積極的」に、「商業美術」(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の「概念」を描いていたようです。
「竹久夢二」の「榛名山産業美術研究所」の「構想」や、「先進欧米視察」への「野望」がこのことを裏付けています。
「竹久夢二」の「画集」、「詩文集」・「童話」は21世紀に入っても「様々」な「装丁」で刊行されています。
「竹久夢二」の関わった「女性達」ですが、「竹久夢二」の「恋愛遍歴」についても「数々」の「評伝」があり、「自身」の「日記」や、「手紙」などで語られる「愛の言葉」は、後世の多くの「創作」の「題材」ともなっています。
特に、下記3人が「夢二をめぐる3人の女性」として、しばしば取り沙汰されています。
たまき
1882年(明治15年)7月28日〜1945年(昭和20年)7月9日、石川県金沢市出身、本名は岸他万喜。
戸籍上唯一妻となった女性である。
兄を頼って上京後、結婚歴があり死別した前夫との間に二児があった。
自立のために早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店「つるや」に、夢二が客として毎日店に通いつめた挙句、2ヶ月後には結婚にいたった。
2年後には離婚するが、その翌年に再び同棲、そして、別居を繰り返す。
夢二が彦乃を知った後の大正4年(1915年)、たまきと画学生東郷鉄春(青児)との仲を疑い、富山県の海岸で夢二がたまきの腕を刺すことによって破局を迎え絶縁にいたる。
しかし、たまきは結核療養中の夢二を信州まで見舞い、また夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。
彦乃
1896年(明治29年)3月29日〜1920年(大正9年)1月16日、山梨県南巨摩郡西島村(現・身延町西島)生まれ、本名は笠井ヒコノ。別名に山路しの。
日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。
夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。
たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、大正7年(1918年)九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。
父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。
御茶ノ水順天堂医院に入院した彦乃は、そのまま短い人生を終える。
夢二は彦乃を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。
「彦乃日記」をのこす。
お葉
1904年(明治37年)3月11日〜1980年(昭和55年)10月24日、秋田県出身、本名は永井カ子ヨ。
上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。
藤島武二、伊藤晴雨らのモデルをつとめた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲、渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯をもつ。
大正13年(1924年)、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住んだ。
一児をもうけるが夭折。
翌14年にお葉は自殺を図り、半年後に別離する。
後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。
「夢」と「憧れ」に生きた「叙情詩画人」「竹久夢二」は「房総」に魅せられたひとりで、とくに「銚子」の「海岸」は「夢二」の「詩心」をかきたてたらしく、3回も訪れているそうです。
なかでも3度目は、明治44年(1911年)8月29日から9月6日までの「長期滞在」であったそうで、この時、「宵待草」の「詩想」が生まれたといわれています。
大正2年(1913年)11月「実業之日本社」「発行」の「どんたく」に、「原詩」の「八行詩」に改作して掲載されています。
「宵待草」原詩
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心ともなき
想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな
「宵待草」
待てど 暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬさうな
大正7年(1918年)秋、この「詩」に「多忠亮(オオノタダスケ)」(当時・宮内庁雅楽部勤務)が「曲」をつけ、「宵待草」は「大ヒット」したそうです。
「宵待草」ですが、「哀愁」に満ちた「詩」と、「感傷的」な「メロディー」は、多くの「人たち」に愛唱され歌い継がれています。
なお「宵待草」は本来、「植物学的」には「マツヨイグサ(待宵草)」が正しく、「ツキミソウ(月見草)」などと「同種」の、群生して「可憐」な「花」(待宵草は黄色、月見草は白〜ピンク)をつける「植物」のことで、「竹久夢二」は後になって「誤り」に気づいたそうですが、「歌」が「有名」になりすぎたので訂正しなかったそうです。
「竹久夢二」は明治40年(1907年)夏に続いて明治43年(1910年)8月、別れたはずの「妻」「たまき」をつれて「銚子」の「海鹿島(アシカジマ)」を訪れました。
当時の「文人・墨客」が利用した「民宿」「宮下」に投宿、この時、「夢二」は「お島さん」という「女性」と「恋仲」になっています。
「宮下」の「南隣」に住む「元」「北海道」「福山藩士」「長谷川康(コウ)」の「三女」「賢(カタ)」が、その人であるといわれています。
翌年8月29日、「夢二」は再び「海鹿島」を訪れましたが、すでに「お島さん」の「姿」はなく、「お島さん」は、「鹿児島」の「教師」のもとに嫁いでいたそうです。
「夢二」は「お島さん」のいない「海鹿島海岸」をさまよい、「夏の日」の「恋」を追憶しながら「宵待草」の「詩」をつくりました。
「海鹿島」にある「詩碑」は、昭和46年(1971年)2月に、「房総夢二会」の「皆さん」により建立され、「長方形」の「コンクリート碑」には、「銅版」に刻んだ「詩文」と、「夢二像」がはめ込まれています。
「語り 夢二ひと夏の恋」ですが、「地球の丸く見える丘展望館」で開催される「イベント」で、11月29日(日)に行われます。
「語り 夢二ひと夏の恋」の「開演」は、13時30分、15時30分となっており、「観劇時間」は、30分位だそうです。
「語り 夢二ひと夏の恋」の「内容」ですが、「竹久夢二」が「避暑(ヒショ)」で訪れた「銚子」を「舞台」に、「宵待草」の「歌」と共に、「夢二」が見ていた「ロマン」あふれる「銚子」を語るそうです。
「語り 夢二ひと夏の恋」の開催される「地球の丸く見える丘展望館」には、「竹久夢二」の「木版画」も展示してあるそうです。
「地球の丸さ」が実感できる「人気スポット」「地球の丸く見える丘展望館」「2F」「映像ブース」で開催される「催し」「語り 夢二ひと夏の恋」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「語り 夢二ひと夏の恋」詳細
開催日時 11月29日(日) 開演 13時半〜 15時半〜
開催会場 地球の丸く見える丘展望館 2F映像ブース 銚子市天王台1421-1
入館料 大人 380円 小中学生 200円 65歳以上 330円
営業時間 9時〜17時 (10月〜3月)(晴天時は日没まで)
※4月〜9月は、9時〜18時半
問合わせ 地球の丸く見える丘展望館 0479-25-0930
備考
「地球の丸く見える丘展望館」で開催される「語り 夢二ひと夏の恋」ですが、「観劇無料」、「別途」「入館料」が「必要」となっています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2834 |
| 地域情報::銚子 | 10:20 AM |
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2015,11,17, Tuesday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「1階」「展示ホール」で11月22日(日)〜12月20日(日)の期間開催されます「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで「2番目」の「市」として誕生しました。
その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
現在の「銚子市」の「人口」ですが65704人、「世帯数」は27689世帯となっています。
(2015年(平成27年)11月1日現在)
「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」で、「銚子市」の「産業」ですが、「気候風土」を活かした「農業」、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」となっています。
「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など美味しい「野菜・果物」が栽培されています。
「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」を生産しています。
「銚子ポートタワー」は、「利根川」「河口」近くにあり、「銚子漁港」を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。
「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。
「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
また1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。
「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。
「YPC」こと「読売写真クラブ」ですが、1982年(昭和57年)に誕生した「アマチュア写真愛好家」が集う「全国組織」の「写真クラブ」です。
「YPC」(読売写真クラブ)ですが、「北海道」から「鹿児島」まで39クラブ、6000人を超す「会員」の「皆さん」が「写真活動」しているそうです。
「YPC」(読売写真クラブ)の39クラブですが、下記の通りとなっています。
北海道・東北
北海道YPC
青森YPC
秋田YPC
宮城YPC
山形YPC
福島YPC
関東・甲信越
小山YPC
栃木YPC
茨城YPC
群馬YPC
山梨YPC
新潟YPC
長野YPC
埼玉YPC
千葉YPC
多摩YPC
神奈川YPC
東京YPC
東海
東海YPC
浜松YPC
北陸
北陸YPC
近畿
奈良YPC
大阪YPC
京都YPC
神戸YPC
滋賀YPC
和歌山YPC
中国・四国
山陰YPC
下関YPC
岡山YPC
広島YPC
愛媛YPC
高知YPC
九州・沖縄
佐賀YPC
鹿児島YPC
大分YPC
熊本YPC
させぼYPC
福岡YPC
「YPC」(読売写真クラブ)所属の「千葉YPC」ですが、「会長」「小菅信博」氏、「副会長」「小高常志」氏、「本部事務所」「読売新聞」「千葉支局」の「クラブ」で、「千葉YPC」は、「入会金」1000円(入会時のみ)、「年会費」4000円(8月1日以降の入会は半額)となっています。
「千葉YPC」は、平成25年(2013年)10月に「創立30周年」を迎えており、「モデル撮影会」「年」3回、「移動例会」「年」4回、誰でも「応募」できる「公募展」を毎年9月に募集しているそうです。
千葉YPC 詳細
所在地 千葉市中央区中央4-15-3 読売新聞千葉支局
電話番号 043-225-2001
「銚子ポートタワー」では、「千葉YPC」「銚子支部」の「会員」の「皆さん」が撮影した「作品」を展示する「写真展」「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」を開催するそうです。
「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」ですが、「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」を「会場」に開催され、「開催期間」ですが、11月22日(日)から12月20日(日)までとなっており、「開催時間」ですが、8時30分から17時00分まで、「入場料」ですが、「1階」「展示ホール」は「入場」「無料」となっています。
「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」ですが、「千葉読売写真クラブ」「銚子支部」こと「千葉YPC」「銚子支部」の「皆さん」が撮影した「銚子市」や、「香取郡」「東庄町」などで行われた「イベント」や、「風景写真」を展示する「恒例」の「写真展」となっています。
「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」「作品内容」は、「自然」の「猛威」や、「祭り」の「ワンシーン」を切り取った「作品」や、「わぁ、きれい!」と思わず見とれてしまう「作品」など「バラエティ」に富んでいるそうです。
「銚子」の「展望の名所」「銚子ポートタワー」「1階」「展示ホール」で開催される「晩秋」の「写真展」「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」詳細
開催期間 11月22日(日)〜12月20日(日)
開催時間 8時半〜17時
開催会場 銚子ポートタワー1階展示ホール 銚子市川口町2-6385-267
問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500
備考
「銚子ポートタワー」「1階」「展示ホール」で開催される「千葉YPC銚子支部写真展」「銚子の素顔」ですが、「最終日」の12月20日(日)は、8時30分から17時00分までとなっていますので、ご注意下さい。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2739 |
| 地域情報::銚子 | 10:23 AM |
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2015,11,15, Sunday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」で11月18日(水)〜12月8日(火)の期間開催されます「漁師たちの絵画展2015」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで「2番目」の「市」として誕生しました。
その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
現在の「銚子市」の「人口」ですが65704人、「世帯数」は27689世帯となっています。
(2015年(平成27年)11月1日現在)
「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」で、「銚子市」の「産業」ですが、「気候風土」を活かした「農業」、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」となっています。
「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など美味しい「野菜・果物」が栽培されています。
「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」を生産しています。
「外川漁港(トカワギョコウ)」(2013年1月4日のブログ参照)は、「銚子市」「外川町」にある「第2種漁港」で、「銚子市」の「南部」に位置し、「外川漁港」「背後」には「台地」があり、「外川漁港」周辺の「集落」は「斜面」と、「低地」にあります。
「外川漁港」は、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「区域内」にあり、「東側」は「犬吠埼」、「南側」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」から「九十九里浜」に続いています。
「外川漁港」の「沿革」ですが、1658年(万治元年)「紀州」「有田郡」「広村」出身の「崎山治郎右衛門」氏によって「本浦」「築港」。
その後、「外川漁港」は、1661年(寛文元年)に「新浦」の「竣工」、その後「外川漁港」は、1952年(昭和27年)2月29日に、「第2種漁港」に指定されています。
ちなみに「外川漁港」の「水揚げ」される「主(オモ)」な「魚種」ですが、「金目鯛(キンメダイ)」、「アカムツ」、「クロムツ」となっています。
「銚子ポートタワー」は、「利根川」「河口」近くにあり、「銚子漁港」を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。
「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。
「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
また1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。
「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。
この度(タビ)「銚子ポートタワー」では、「銚子」・「外川」の「絵」が好きな「漁師さんたち」が書いた「絵画」を展示する「絵画展」「漁師たちの絵画展2015」を開催するそうです。
「漁師たちの絵画展2015」ですが、「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」を「会場」に開催され、「開催期間」ですが、11月18日(水)から12月8日(火)までとなっており、「開催時間」ですが、10時00分から17時00分まで、「入場料」ですが、「2階」「展示ホール」は「入場」「無料」となっています。
「漁師たちの絵画展2015」の「内容」ですが、「地元」「銚子」の「風景」や、「静物画」などが「繊細」な「タッチ」で描かれており、「会場」では「自分」の描いた「作品」を誇らしげに話す「姿」に
「えっ!この強面(コワモテ)の漁師さんが描いたの?」
と「驚き」を隠せないそうです。
「漁師たちの絵画展」では、「銚子」・「外川」の「絵」が好きな「漁師さんたち」を「中心」に結成された「いわし会」の「会員」の「皆さん」が「漁」の「合間」に描いた「油彩画」など30点余りが展示されているそうです。
「銚子」の「展望の名所」「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」で開催される「銚子の海」と「まち」をこよなく愛する「皆さん」の「絵画展」「漁師たちの絵画展2015」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「漁師たちの絵画展2015」詳細
開催期間 11月18日(水)〜12月8日(火)
開催時間 10時〜17時
開催会場 銚子ポートタワー2階展示ホール 銚子市川口町2-6385-267
問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500
備考
「銚子ポートタワー」「2階」「展示ホール」で開催される「漁師たちの絵画展2015」ですが、「最終日」の12月8日(火)は10時00分から16時00分までとなっていますので、ご注意下さい。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2738 |
| 地域情報::銚子 | 10:22 AM |
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2015,11,14, Saturday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「水産物卸売センターウオッセ21」で2015年(平成27年)11月14日(土)〜2016年(平成28年)1月11日(祝・月)の期間開催されます「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、「東京」から100km圏内、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年12月20日・2010年12月8日・2010年12月6日のブログ参照)と「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)で発展、「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」です。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(標高73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」に適しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通り「地球の丸く見える」「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」は、下記の通りです。
犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)
地球の丸く見える丘展望館
銚子ポートタワー(2010年9月3日のブログ参照)
銚子漁港
銚子電鉄(2012年2月11日のブログ参照)
銚子マリーナ(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)
水産物卸売センターウォッセ21(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)
犬吠埼温泉郷
外川の町並み(2010年12月13日のブログ参照)
「銚子市」は、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「銚子漁港」、「歴史」と「伝統」を実感できる「醤油工場」、さらには、これらの「産業基盤」から産出される「豊富」で「新鮮」な「食材」や、「特産品」を備えるなど、多くの「地域資源」に恵まれた「魅力」あふれる「まち」です。
「銚子市」の「産業」ですが、「農業」、「漁業」、「醤油醸造業」、「水産加工業」、「観光業」などとなっています。
特に「温暖」な「気候」を活かした「農業」や、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」などが盛んに営まれています。
「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など、美味しい「野菜」・「果物」が栽培されています。
「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年10月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」、「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」(醤油)を生産しています。
「水産物卸売センターウォッセ21」は、「銚子市」「川口町」に平成3年(1991年)6月23日にオープンした「銚子市」の「第3セクター」「銚子水産観光株式会社」が「9億2千万円」をかけて建設した「海産物の販売」や「銚子の特産品」を「紹介」・「販売」をしている「観光商業施設」です。
「水産物卸売センターウオッセ21」では、オープン当初、15軒の「海産物業者」が出店していたそうで、現在、「水産物卸売センターウオッセ21」には、14店舗の「店」と、「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」に「シーフードレストランうおっせ」が営業しています。
「水産物卸売センターウオッセ21」ですが、「Aブロック商店街」と「Bブロック商店街」からなり、それぞれの「店ごと」に「逸品」が揃っています。
「水産物卸売センターウオッセ21」「Aブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。
活きな魚や網元 久保甚
水産加工品 つじの
無形文化財 銚子ちぢみ (2012年1月11日のブログ参照)
食事どころ 魚座屋
海産物全般 ヤマワカ
練り物・磯揚げ 嘉平屋 (2010年9月4日のブログ参照)
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Bブロック商店街」の「店舗」ですが、下記の通りとなっています。
旬味処 たかね
キッチンライフ 銚子東洋
味処 まほろば
濡れせん・銚子地酒 海風 (2011年12月11日のブログ参照)
高級干物 一政
ふるさとの味 しだや
さかな工房 かねまた水産
干物工房 あてんぼう
となっています。
「水産物卸売センターウオッセ21」の「Aブロック商店街」、「Bブロック商店街」で買った「商品」は「宅急便」で送ることができるので、「クーラーバック」がなくても安心なのだそうです。
また「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」には、上記のように「シーフードレストランうおっせ」があり、「ウオッセ21」の「中庭」には、「中庭休憩所」、「自動販売機コーナー」があります。
「水産物卸売センターウオッセ21」「隣地」には、「利根川」「河口」、「銚子漁港」を見下ろし、「三方」を「水」に囲まれた「銚子市」を感じられる「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」「銚子ポートタワー」があります。
「銚子ポートタワー」ですが、「千葉県」により、「水産物卸売センターウオッセ21」と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工された「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘」や、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「地球の丸く見える丘展望館」のある「愛宕山」、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく、「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。
なお「水産物卸売センターウオッセ21」から「銚子ポートタワー」には、「水産物卸売センターウオッセ21」4Fから、「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。
この度(タビ)「水産物卸売センターウオッセ21」では、毎年「年末年始」を含む「恒例」の「イベント」「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」を開催するそうです。
「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」ですが、例年ですと、12月に入ってから行われていましたが、今年(2015年)は、2015年(平成27年)11月14日(土)から2016年1月11日(祝・月)の期間開催されます。
「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」は、「期間中」に、「水産物卸売センターウオッセ21」でお買い上げ、お食事、2000円毎(ゴト)に、「抽選券」を1枚差し上げ(プレゼント)するそうです。
「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」「抽選券」をお持ちの「方」は、「抽選」に参加でき、「抽選」で、「総額」130万円の「商品券」が当たるそうです。
「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」の「賞品」(お買い物券)は、下記の通りです。
水産物卸売センターウオッセ21大感謝セール賞品(お買い物券)
特賞 30000円/10本
一等 10000円/20本
二等 5000円/40本
三等 3000円/200本
なお、「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」「当選発表」ですが、「等賞」のみ「ホームページ」で「後日」発表、「一等以下」は「発送」をもって「発表」に代えさせていただくことになっています。
「水産物卸売センターウオッセ21」で開催される「恒例」の「セールイベント」「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「水産物卸売センターウオッセ21」「大感謝セール」詳細
開催期間 2015年(平成27年)11月14日(土)〜2016年(平成28年)1月11日(祝・月)
開催会場 水産物卸売センターウオッセ21 銚子市川口町2-6529-34
営業時間 8時半〜17時
問合わせ 水産物卸売センターウオッセ21 0479-25-4500
備考
「水産物卸売センターウオッセ21」ですが、「年中無休」で営業しています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2808 |
| 地域情報::銚子 | 09:58 AM |
|
2015,11,08, Sunday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市内」で11月15日(日)に開催されます「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、「東京」から100km圏内、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年12月20日・2010年12月8日・2010年12月6日のブログ参照)と「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)で発展、「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」です。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(標高73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」に適しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通り「地球の丸く見える」「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」は、下記の通りです。
犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)
地球の丸く見える丘展望館
銚子ポートタワー(2010年9月3日のブログ参照)
銚子漁港
銚子電鉄(2012年2月11日のブログ参照)
銚子マリーナ(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)
水産物卸売センターウォッセ21(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)
犬吠埼温泉郷
外川の町並み(2010年12月13日のブログ参照)
「銚子マリーナ」は、「銚子市」「潮見町(シオミチョウ)」にある「国指定」「海洋性リクリエーション施設拠点港湾」「名洗港」内にある「外洋マリンリゾート施設」で、1999年(平成11年)4月に開業、「収容隻数」1000隻整備されています。
「銚子マリーナ」周辺には、「銚子マリーナ海水浴場」(2013年7月21日・2012年7月19日・2011年7月16日のブログ参照)、「銚子マリーナ海浜緑地公園」(2014年7月6日のブログ参照)など新しい「レクリエーション施設」が整備されています。
「銚子マリーナ海水浴場」は、これまでに数多くの「マリンスポーツ」の「大会会場」となっており、「銚子ビーチバレー大会」(現在行われていません)や、「水上バイク全国大会」、「ライフセイバー大会」、「銚子マリーナトライアスロン大会」(2015年9月30日・2014年10月1日・2013年10月2日・2012年10月4日・2011年9月29日のブログ参照)等が開かれています。
「銚子マリーナ海浜緑地公園」は、「銚子」の「名勝」のひとつである「屏風ヶ浦」を「東端」から見渡す「公園」です。
「銚子マリーナ海浜緑地公園」へは、「県道286号愛宕山公園線」・「銚子ドーバーライン」を「東」へ走り、「途中」の「名洗インター」で降り、「県道254号銚子公園線」との「丁字路」に出て「右折」、100mほどで「信号」のない「三差路」を斜め右方向へ向かい、「名洗港臨港道路」を600mほど進み、「信号」のない「丁字路」を右折し(いずれも「銚子マリーナ」への「案内表示」あり)、右折後、さらに「奥」へ進み「道なり」に「左」へ90度曲がった「右側」に「公園」があります。
「銚子マリーナ海浜緑地公園」の「駐車場」ですが、「無料」で、「近隣」には「千葉科学大学」があり、「敷地内」からは、「東洋のドーバー」と呼ばれ、近年「日本のナ・パリ・コースト」と呼ばれる「屏風ヶ浦」の「断崖絶壁」の「壮大な風景」を望み、「旭市」の「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)まで「パノラマ」を見渡せ、「銚子ジオパーク」(2012年9月25日のブログ参照)「屏風ヶ浦ジオサイト」にも指定されています。
ちなみに「ナ・パリ・コースト」(Na Pali Coast)とは、「カウアイ島」の「北西部」に約21kmにわたって続く「海岸線」で、「垂直」に切り立った「断崖」が「複雑」に入り組む「姿」が美しい、「カウアイ」の「代表的」な「景勝地」です。
「第1回銚子半島ハーフマラソン(CHOSHI PENINSULA HALF MARATHON 2013)」(2013年11月1日のブログ参照)は、「銚子市」の「市制施行80周年」を記念し開催された「イベント」で、一昨年(オトトシ)(2013年)初めて行われた「マラソン大会」です。
「銚子市」で初めて開催された「ロードレース」「第1回銚子半島ハーフマラソン(CHOSHI PENINSULA HALF MARATHON 2013)」は、11月3日(祝・日)に開催され、「(公財)日本陸上競技連盟公認コース」となっており、「第1回大会」では、3117人の「ランナー」が参加し、「銚子市」の「風光明媚」な「海岸線」を駆け抜けました。
昨年(2014年)の「第2回銚子半島ハーフマラソン(CHOSHI PENINSULA HALF MARATHON 2014)」ですが、11月9日(日)に開催され、「晩秋」の「銚子路」を2749人の「ランナー」が疾走しました。
なお、「銚子半島ハーフマラソン」ですが、「コース」の飽きさせない「レイアウト」、美しい「犬吠埼」の「海岸線」を含む「風光明媚」な「眺望」が「評価」され、「開催」「第2回目」にして「全国ランニング大会100選」に選定されています。
今年(2015年)で「3回目」となる「銚子半島ハーフマラソン」「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」ですが、11月15日(日)に開催され、「晩秋」の「銚子市内」を駆け抜けます。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「コース」ですが、「銚子マリーナ特設会場」を「スタート」(ゴール地点)し、「外川」、「長崎」を抜け、「犬吠埼」、「君ヶ浜」などの「風光明媚」な「変化」に富んだ「海岸線」から、「歴史」ある「銚子市」の「中心市街地」を駆け抜ける「往復コース」となっており、「ハーフマラソン」の「折り返し地点」は「NTT銚子」前、「10kmレース」の「折り返し地点」は、「君ヶ浜しおさい公園」前となっています。
(詳しいコースは下記「詳細」参照)
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「種目」は、下記の通りです。
ハーフマラソン 9時30分スタート
男子29歳以下
男子30歳代
男子40歳代
男子50歳代
男子60歳代
男子70歳代
女子29歳以下
女子30歳代
女子40歳代
女子50歳代
女子60歳代
女子70歳以上
10kmレース 10時00分スタート
男子29歳以下
男子30歳代
男子40歳代
男子50歳代
男子60歳代
男子70歳代
女子29歳以下
女子30歳代
女子40歳代
女子50歳代
女子60歳代
女子70歳以上
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「参加資格」ですが、「日本陸上競技連盟」「登録者」および「本大会」「規定」の「コース」を走る「自信」があり、「自己」の「健康」について「異常」のないことを確認した「一般競技者」(ただし、18歳以上に限り、高校生不可)、「ハーフ出場」で「陸連登録者」の「方」は必ず「申込書」に「登録番号」・「登録都道府県名」・「所属先」を記入となっています。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「申込方法」ですが、「インターネット」または、「振替用紙」による「申込」となっており、「申込締切」は2015年9月4日(金)、「インターネット」での「エントリー」には、「RUNNET」の「会員登録」(無料)が必要となり、「参加料」とは「別」に「手数料」がかかり、「振替用紙」による「申込」ですが、「専用振替用紙」(コピー不可)に「必要事項」に記入の上、「参加料」を添え、「ゆうちょ銀行」または、「郵便局窓口」で申し込みとなっています。
(振込手数料 130円)
ちなみに「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」「参加料」ですが、「ハーフマラソン」は5000円、「10kmレース」は4000円となっており、「制限時間」ですが、「ハーフマラソン」は2時間40分、「10kmレース」は1時間30分となっています。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」「表彰」ですが、「各種目」とも「第6位」までに「メダル」と「賞状」が授与され、その他「特別賞」も用意され、「マラソン参加者」の「皆さん」には、「参加賞」として「オリジナルタオルマフラー」、「シューズバック」がもらえるそうです。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「ゲストランナー」ですが、「前回」、「前々回」に引き続き「ものまねアスリート芸人」「M高史」さんが参加されるそうです。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」「スタート・ゴール地点」の「銚子マリーナ特設会場」では、すっかり「名物」となった「炭火焼きサンマ」の「無料配布」、「跳ね太鼓」の「披露」などが予定されており、「大会」を盛り上げるそうです。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」の「記録計測」、「競技規則」は下記の通りです。
記録計測
記録はランナーズチップで計測します。
計測チップはシューズに装着してください。
手に持ったり、ポケットに入れて走らないでください。
フィニッシュ後に回収いたします。
チップを紛失したり、返却がない場合は実費を負担していただきます。
完走者には、当日記録証を配布いたします。
競技規則
平成27年度日本陸上競技連盟競技規則及び本大会規定による。
競技上の注意点
1 当日の受付はありません。
ナンバーカードセットは事前に送付いたします。
忘れた場合は、1000円にて再発行となります。
2 ナンバーカードは前後に2枚装着してください。
3 計測用チップは必ずシューズに装着してください。
4 参加者は、大会中係員の指示に従ってください。
5 自己都合による申込後の種目変更、また、過剰入金・重複入金の返金はいたしません。
「銚子市内」を駆け抜ける「晩秋」の「ロードレース」「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」詳細
開催日時 11月15日(日) 6時(受付)〜 8時(開会式)〜 9時(スタート)〜
開催会場 銚子マリーナ特設会場(スタート・ゴール地点) 銚子市潮見町
銚子市内
ハーフマラソンコース
千葉科学大学(スタート・ゴール)〜外川漁港〜長崎丁字路〜太陽の里〜犬吠埼灯台〜黒生十字路〜後飯町信号〜和田町エバト薬局〜飯沼観音〜銀座通り〜NTT前(折り返し地点)
10kmレースコース
千葉科学大学(スタート・ゴール)〜外川漁港〜長崎丁字路〜太陽の里〜犬吠埼灯台〜君ヶ浜しおさい公園(折り返し地点)
問合わせ 銚子半島ハーフマラソン実行委員会事務局(10時〜17時/月・祝日の翌日は除く) 0479-24-9559
備考
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」は、「雨天決行」で行われます。
「第3回銚子半島ハーフマラソン〜さんまマラソン〜」では、「荒天」、「地震」、「風水害」、「事件」、「事故」等、「大会主催者」の「不可抗力」による「大会中止」の場合においては、「参加料」は返金されないそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2723 |
| 地域情報::銚子 | 10:26 AM |
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2015,11,01, Sunday
本日ご案内するのは、地元「銚子市」「飯沼観音」、「飯沼山圓福寺」で11月6日(金)・7日(土)・8日(日)の期間開催されます「第三回寺宝展」です。
「円福寺」(圓福寺)(2012年2月19日のブログ参照)は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「馬場町」に鎮座する「真言宗」の「寺院」で、「山号」は「飯沼山」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」です。
「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知られる「円福寺」(圓福寺)は、「日本一」の「流域面積」を誇る「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「河口」、「日本一の水揚げ量」を誇る「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)(第1卸売市場)(2010年12月18日のブログ参照)の近くにあり、「銚子市」の「中心」に位置していたことから、「市街」は、その「門前町」として発展してきました。
「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)の「門前」「西側」は、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)(2011年10月1日のブログ参照)となっており、「門前」「東側」には「島田総合病院」や「今川焼」の「さのや」(2010年12月16日のブログ参照)があります。
「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、「寺伝」によりますと、724年(神亀元年)「漁師」が「海」で、「十一面観世音菩薩」を「網」ですくい上げ、その後弘仁年間(810年〜824年)、この地を訪れた「弘法大師」「空海」が開眼したとされています。
「飯沼山観世音縁起絵巻」によりますと
神亀元年(七二四)毎夜、海上に光を放つものがあり、海人が怪しんでいたところ、ある漁夫に観音さまの夢告があり、世間の衆生を救いたいので汝の網によって出現したいとのこと。
そこで網を投じたところ、御丈二尺余の十一面観音像が瑪瑙石(メノウイシ)を脇ばんで出現なされたとある。
その時に天から降米の奇瑞があったので「飯沼」という地名がある由。
「坂東霊場記」はこのことを
「石の如く罪重くして苦海に沈む衆生をもらさず浄土の岸へ救い上げんとの救世の悲願を示し玉ふ」
と綴っており、そして「お像」を感得した「漁夫」は出家して「観音さま」に仕え、「おこり除けの法師」として「諸人」を救ったと伝えています。
「飯沼山圓福寺」(円福寺)には、のちに「弘法大師」が来られ、「御本尊」の「蓮座」を造られ、「開眼の秘法」を修ぜられたといわれています。
その時、この地の「海上長者」は「大師」の「高徳」を敬慕して、深くこの「御本尊」さまに帰依(キエ)し、「財宝」を傾けて「壮麗」なる「堂舎」を建立したとされています。
「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、上記のように鎌倉時代以降、この地を治めた「海上氏」の「帰依」を受け、「寺運」は興隆したそうです。
「飯沼山圓福寺」(円福寺)には、鎌倉時代から足利時代にかけての「古文書」が多いそうですが、そのほとんどが「海上氏」「関係」のものなのだそうです。
「海上氏」ですが、「千葉氏」「第五世」の「千葉常胤」な「六男」の「胤頼」が、この地にあって「東氏」を称し、その「孫」の「胤方」が「海上の庄」を与えられて「海上氏」を名乗ったそうです。
「胤方」の「次男」「盛胤」が正安元年以前に、それまで兼ねていた「飯沼寺」「別当職」を「弟」の「長胤」にゆずり、その「子孫」が「代々」「寺」を継いだそうです。
康安三年に「宗快」が「円福寺」の「住持」、のちの「上超」・「弘恵」もいずれも「海上氏」「出身」であるそうです。
「観音堂」も天正六年(一五七八)「海上氏」によって「方八間」のものが建立され、また「円福寺」「十ヶ坊」の「存在」は、足利時代からこの「寺」が「海上氏」「保護」のもとに「学山」であったことを語るものといわれています。
なお「銚子市史」に
「飯沼観音が、その撰(坂東札所としての指定)に入った理由は、鎌倉幕府に重きをなした東氏・海上氏の指示するところたるに依るのみならず、その推挙があったためかと思考される」
と記しているほどに「海上氏」との「因縁」は深いそうです。
「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、江戸時代には「十間四面」の「大本堂」が造営され、この「お堂」が戦災前まで「広壮」な「姿」を見せていたのは「人」のよく知るところなのだそうです。
天正19年、「徳川家康」に「朱印」を賜り、「諸堂」を整備、「飯沼山圓福寺」(円福寺)「五千六百余坪」の「境内」には「仁王門」・「鐘楼」・「薬師堂」・「大師堂」があり、安政2年(1855年)刊の「利根川図志」では
「境内に見せ物 軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑はし」
と、その「盛況」を写しており、それは遠くはるばる「江戸」から詣で来る「膳男膳女」、それに特に「航海」、「漁師」の「人たち」の「熱心」な「参詣者」をはじめ、「巡礼者」による「賑わい」であったそうで、「飯沼山圓福寺」(円福寺)は「隆盛」を極めていたそうです。
その当時「飯沼山圓福寺」(円福寺)ですが、現在の「本坊」と、「観音堂」とは「地続き」であったそうで、「今」は「仁王門」の「道」を「右」へ、「大通り」を横切って200mほど行くことになり、「納経」は、この「本坊」で受けつけており、「飯沼山圓福寺」(円福寺)「本坊」には「円福寺古記録」など「古文書」をはじめ、「江戸」の「俳人」・「古帳庵」の「句碑」、「天保水滸伝」で知られる「侠客」「銚子の五郎蔵」の「墓」などがあるそうです。
しかし、1945年(昭和20年)「銚子大空襲」があり、「多宝塔」以下「観音堂」、「仁王門」、「鐘楼」、「太子堂」、「馬頭観音堂」、「二十三夜堂」、「茶枳尼天堂」、「龍蔵大権現堂」など「諸堂」を焼失したそうです。
その後、「銚子のシンボル」である「観音堂」の「再建」は、昭和46年(1971年)に「衆庶」の「信助」により「見事」に完了。
「飯沼観音」の「境内」の「大仏」は「銚子」「近在」の「人たち」(衆庶)の「喜捨」(信助)で、正徳4年(1714年)に鋳造され、平成20年(2008年)「五重塔」(形式「三間五重塔婆」「総高」33.5m)の「完成」に伴い、現在の「場所」に移っています。
「飯沼観音」ですが、「一般」に「観音さま」の「呼び名」で親しまれており、「飯沼観音」「境内」には、上記のように「江戸」の「豪商」・「古帳庵」の「句碑」などがあり、「日本」における「河川測量」の「原点」である「飯沼水準原標石(イイヌマスイジュンゲンショウセキ)」が存在し、「文化財」としても、「歴史的」、「学術的」にも「価値」があるそうです。
1872年(明治5年)12月「オランダ人」「リンド」により「水準原標石(スイジュンゲンショウセキ)」(2011年2月21日のブログ参照)が設置され、これを「起点」として「日本水位尺」が定められたそうです。
「水準原標」とは、「水準測量」(「高さ」を測る「測量」)を行う「時」の「原点」となる「点」のことだそうです。
また「飯沼観音」は、「坂東三十三観音霊場(バンドウサンジュウサンカンノンレイジョウ)」(2010年10月13日のブログ参照)の「二十七番札所」として「信仰」を集めています。
なお、「飯沼山圓福寺」、「飯沼観音」ですが、「日本百観音」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」となっています。
この度(タビ)、「飯沼観音」、「飯沼山圓福寺」では、11月6日(金)から8日(日)9時00分から16時00分までの「3日間」、「第三回寺宝展」を開催するそうです。
「第三回寺宝展」ですが、「由緒」ある「飯沼観音」、「飯沼山圓福寺」に所蔵されている「寺宝」の「一部」を「拝観無料」で公開している「人気」の「催し」で、毎回「大勢」の「観光客」、「歴史ファン」、「マニア」の「方々」で賑わうそうです。
「第三回寺宝展」では、平安時代から江戸時代までの「絵」を持つ「本」二十二点、「絵巻物」五点、「奈良絵本」三点、「古写本」二点、「江戸版」「好色一代男」・「菱川師宣」「女歌仙新抄」・「黒本」に「黄表紙」などの「絵入り版本」十二点を展示するそうです。
「第三回寺宝展」の「展示品」ですが、下記の通りとなっています。
「展示品」
大般若波羅蜜多経巻第三百七十四 1軸
源氏物語 幻 1帖
大般若波羅蜜多経巻第二百四十五 折本 1帖
鏡破翁絵詞 1軸
児今参絵巻 2巻存上1軸
伊勢物語 2巻2冊
三十六歌仙 1冊
大織冠 1冊
落窪草紙絵巻 1軸
十二月遊び図巻 1軸
竹取物語 3巻合1帖
鉢かつき 3巻3帖
四十二のものあらそひ 横1冊
文正草子 3巻横3冊
女歌仙新抄「菱川師宣」画 1冊
好色一代男 8巻8冊
辨慶一代記 5巻合3冊
錦百人一首あつま織 1冊
俳諧三十六歌僊 1冊
御所奉公東日記 万亭応賀著・歌川芳虎画 18冊合9冊
年中行事絵巻(十二月風俗画巻) 1軸
また「第三回寺宝展」「開催期間中」の11月7日(土)・8日(日)の午前1回、午後1回の1日2回、「慶應義塾大学」「付属研究所」「斯道文庫」「佐々木隆浩」「教授」による「和書」の「解説」が行われるそうです。
(11月6日(金)は展示のみ)
「由緒」ある「銚子」の「観音さま」「飯沼観音」「飯沼山圓福寺」で開催される「貴重」な「品々」を「拝観」できる「催し」「第三回寺宝展」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第三回寺宝展」詳細
開催期間 11月6日(金)〜8日(日)
公開時間 9時〜16時
開催会場 飯沼観音 銚子市馬場町1-1
飯沼山圓福寺 銚子市馬場町292
問合わせ 飯沼山圓福寺 0479-22-1741
備考
「第三回寺宝展」の「会場」「飯沼観音」には、「駐車場」が完備され、「普通自動車」100台、「大型バス」10台「駐車」「可能」となっています。
なお「飯沼観音」では、11月19日(木)に、「境内」にある「飯沼水準原標石」にて、「土木学会選奨土木遺産認定式」が行われるそうです。
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| 地域情報::銚子 | 10:35 AM |
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2015,10,24, Saturday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」で11月1日(日)〜15日(日)の期間開催されます「第68回銚子菊花展(菊花大会)」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、「東京」から100km圏内、「関東地方」の「東部」、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「全国屈指」の「漁港のまち」で、「市」の「北部」には「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が流れ、「銚子市」で「太平洋」に注いでいます。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」(2010年12月20日・2010年12月8日・2010年12月6日のブログ参照)と「漁業」(2012年1月24日のブログ参照)で発展、「農業」(2011年6月15日・2月19日のブログ参照)は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」です。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市」には、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「愛宕山」(標高73.6m)があり、「水田」は「台地山間」の「谷津田」と「利根川」沿いに広がっており、「畑地帯」は「台地」の「平坦部」に位置し、比較的「農業」に適しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と、「北総台地」(下総台地)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通り「地球の丸く見える」「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」、「見どころ」は、下記の通りです。
犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)
地球の丸く見える丘展望館
銚子ポートタワー(2010年9月3日のブログ参照)
銚子漁港
銚子電鉄(2012年2月11日のブログ参照)
銚子マリーナ(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)
水産物卸売センターウォッセ21(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)
犬吠埼温泉郷
外川の町並み(2010年12月13日のブログ参照)
「銚子市」は、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「銚子漁港」、「歴史」と「伝統」を実感できる「醤油工場」、さらには、これらの「産業基盤」から産出される「豊富」で「新鮮」な「食材」や、「特産品」を備えるなど、多くの「地域資源」に恵まれた「魅力」あふれる「まち」です。
「銚子市」の「産業」ですが、「農業」、「漁業」、「醤油醸造業」、「水産加工業」、「観光業」などとなっています。
特に「温暖」な「気候」を活かした「農業」や、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」などが盛んに営まれています。
「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など、美味しい「野菜」・「果物」が栽培されています。
「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年10月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」、「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」(醤油)を生産しています。
「銚子ポートタワー」は、「利根川」「河口」近くにあり、「銚子漁港」「第3卸売市場」を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘」や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。
「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。
「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
また1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。
「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。
「銚子菊花展」(2014年10月31日・2013年11月4日・2012年10月29日・2011年10月31日のブログ参照)は、「銚子菊花会」(林廣二・会長)の「皆さん」が出展されている「菊花」の「展示会」です。
「銚子菊花展」は、毎年「秋」に「銚子ポートタワー」を「会場」にして開催される「恒例」の「催し」で、「ファン」の間で、「人気」のある「イベント」として知られています。
「銚子菊花展」は、今年(2015年)で「68回目」を数える「歴史」ある「催し」で、「第68回銚子菊花展(菊花大会)」では、例年と同様に、「銚子菊花会」「会員」13名の「皆さん」が「丹精」込めて育てた「菊花」約200鉢を「展示」・「鑑賞」することができます。
馥郁(フクイク)たる「菊」の「香り」を「胸いっぱい」に吸い込みながら、「日本」ならではの「伝統美」「菊花」を鑑賞できる「第68回銚子菊花展(菊花大会)」では、「身」も「心」も清らかに澄み渡って、「体」の「底」から「リフレッシュ」すること「うけあい」な「催し」となっています。
「第68回銚子菊花展(菊花大会)」で展示される「菊花」ですが、「盆養」(三本立単鉢)をはじめ、「ダルマ」、「福助」、「盆栽」、「懸崖(ケンガイ)」、「ジャンボ福助」などとなっています。
「銚子菊花会」は、昭和22年(1947年)に「前身」の「錦秋会」として発足し、「第1回菊花展」を「飯沼観音」(2010年11月24日のブログ参照)「境内」で開催したのが「始まり」なのだそうです。
「錦秋会」の「発足時」の「会員」は、わずか4名であったそうですが、「戦後」の「荒廃」した「雰囲気」、「空襲」で「焼野原」となり、復興しようとしている「銚子」を、「菊花」の清らかな「美しさ」で「応援」しようと以来、長年にわたり「活動」を続けてきたそうです。
現在、「錦秋会」は、「銚子菊花会」として「会員数」も13名に増え、毎年「秋」の「銚子菊花展(菊花大会)」にて、「銚子菊花会」「会員各位」が「愛情」を注いで育てた、多くの「菊花」の「晴れ姿」を、「市民」の「皆さん」や、「園芸ファン」に楽しんでもらっているそうです。
「銚子菊花展(菊花大会)」の「菊花作品」は、「姿形」も「様々」で、「懸崖づくり」や、大きな「菊花」を競い合う「作品」、「盆栽風」の「もの」など「バラエティー」に喜んでいるのが「特徴」だそうです。
「第68回銚子菊花展(菊花大会)」の「会期中」の11月2日(月)に、「菊花大会」を開催するそうです。
「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」を「会場」に行われる「菊花大会(菊花展)」では、参加した「会員」の「励み」となるよう「千葉県知事賞」をはじめ、「銚子市長賞」など多くの「関係機関」や、「企業」の「協力」により、「優秀花」15点を表彰するそうです。
なお「菊花大会」ですが、「審査」は9時30分から開始するそうです。
「銚子ポートタワー」「1階展示ホール」で開催される「銚子」の「秋・恒例」の「催し」「第68回銚子菊花展(菊花大会)」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第68回銚子菊花展(菊花大会)」詳細
開催期間 11月1日(日)〜15日(日)
開催時間 8時半〜17時
開催会場 銚子ポートタワー1階展示ホール 銚子市川口町2-6384-296
問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500
備考
「第68回銚子菊花展(菊花大会)」に出展されている「銚子菊花会」の「年間」を通しての「活動」ですが、下記の通りとなっています。
栽培技術の講習会を年3回実施。
「さし芽の方法」
「三枝整技」
「定植の方法」
「ダルマ・福助の水耕栽培」の勉強
定例会を年3回実施し情報交換。
栽培技術向上のため、日帰り旅行による近郊の菊花展の視察を実施。
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| 地域情報::銚子 | 10:56 AM |
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2015,10,17, Saturday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「犬吠埼灯台」で11月1日(日)に開催されます「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」です。
「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、変化に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(標高73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。
「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」で、「銚子市」の「産業」ですが、「気候風土」を活かした「農業」、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」となっています。
「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など美味しい「野菜・果物」が栽培されています。
「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」を生産しています。
「犬吠埼」は、「関東平野」の「最東端」、「太平洋」に突出した「岬」で、「銚子市」の「利根川」の「河口」近くに位置し、「岬」には「世界灯台100選」にも選ばれています「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)が屹立しています。
また「犬吠埼」付近一帯は、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「景勝地」で、その「風光明媚(フウコウメイビ)」な「海岸線」は、かつて「数々」の「文人」・「墨客」が訪れ、魅了されており、「犬吠埼」には「高浜虚子」、「国木田独歩」(2011年6月1日のブログ参照)、「佐藤春夫」などの「歌碑」、「詩碑」が立っています。
「犬吠埼」「沿岸」には「遊歩道」が設けられており、「犬吠埼」「北側」は古くから「関東舞子」と呼ばれ親しまれており、1996年(平成8年)7月10日に「日本の渚百選」にも選ばれている「君ヶ浜」があり、「国土地理院」では「君ヶ浜」(「東経」140度52分21秒)を「関東」および「千葉県」の「最東端」としています。
「犬吠埼」は、「富士山」のような「高地」や「離島」を除けば、「日本国内」で最も早い「初日の出」を拝むことができる「スポット」です。
「君ヶ浜」ですが、「犬吠埼灯台」から「北」の「斜面」を下った「北側一帯」に広がっている「犬吠埼」に隣接した約1km程の「海岸線」で、「海鹿島(アシカジマ)」から「犬吠埼」まで「弧(コ)」を描いて連なる「砂浜海岸」です。
「君ヶ浜」は、「白砂青松」と「豪快」な「太平洋」が「眺望」できる「銚子」きっての「景勝地」であり、上記のように「別名」「関東舞子」の「愛称」で古くから「文人墨客」に愛されている「景勝地」であり、「若者」や「家族連れ」の「皆さん」の「憩いの場」となっています。
「君ヶ浜」の「由来」ですが、「昔」は「梅雨(ツユ)」の「頃」になると「霧(キリ)」が周辺(辺り)にたちこめ、「霧」が深くなる事が多いことから「霧ヶ浜(キリガハマ)」と呼ばれていたそうで、いつの頃からか「霧ヶ浜」が「君ヶ浜」と言われるようになったそうです。
「君ヶ浜」の「堤防の上」は以前「個人所有」の「土地」であった為、「夏」になると「地主」によっては「駐車料金」を徴収したり、「海の家」が立ち並んでいましたが、現在は「土地」を「銚子市」が買収し「君ヶ浜しおさい公園」として整備されています。
「君ヶ浜しおさい公園」内には、「温水シャワールーム」(有料)を備えた「休憩所」をはじめ、「遊歩道」や「芝生広場」が整備されています。
「君ヶ浜」の「特徴」のひとつは、「南北」約1.5ha(ヘクタール)、「幅」約100mの「松林」になっており、低く長く広がる様は「壮観」の「風景」です。
「君ヶ浜」周辺では「海」からの「風」が強い為、「松林」も低くしっかりと根付いており、「君ヶ浜」の「松林」は、「黒松」が「主木」で、「大葉夜叉倍子(オオバヤシャブシ)」、「山黄櫨(ヤマハゼ)」、「姫榊(ヒサカキ)」、「八手(ヤツデ)」、「紫式部(ムラサキシキブ)」などの「木」が自生しています。
また「海」と「反対側」の「県道」「脇」に広がる「松林」の中には、「散策路」が設けてあり、ちょっとした「森林浴」を楽しむことが出来るようになっています。
「犬吠埼灯台」は、「銚子市」の「はずれ」「犬吠埼」の「突端」に立つ「灯台」です。
上記のように「犬吠埼灯台」周辺は「水郷筑波国定公園」の一部となっており、「太平洋」を望む「景勝地」となっています。
「犬吠埼灯台」は、現在も稼働している「船舶」の「航行目標」「航路標識」で、その「外観」や「塔光」によって「位置」を示す「光波標識」の中の「夜標」として活躍しており、「犬吠」は、もとより「銚子市」の「象徴」として認識されています。
「犬吠埼灯台」は、「日本」を代表する「灯台」のひとつで「歴史的文化的価値」が高く、「Aランク」の「保存灯台」ともなっており、「犬吠埼灯台」は、上記のように「世界灯台100選」、「日本の灯台50選」にも選ばれています。
また「犬吠埼灯台」は、2010年(平成22年)5月20日に「国」の「登録有形文化財」にも登録され、また「犬吠埼灯台」は「最大」の「第1等レンズ」を使用した「第1等灯台」であり、「第1等灯台」ですが、「日本」に6つしかないそうです。
(「文化財登録原簿」へは4月28日に登録され、5月20日に「官報告示」)
「豪快」な「犬吠埼」の「突端」に、そそり立つ「犬吠埼灯台」は、「英国人」「リチャード・ヘンリー・ブラントン」の「設計」により完成した「西洋型第一等灯台」で、「日本」で「24番目」に点灯されました。
「犬吠埼灯台」は、「高さ」31.57mで、「国産煉瓦」を19万3000枚使用するなど、「日本の近代化遺産」としても大変「貴重」であり、平成10年(1988年)に「世界の歴史的灯台100選」・「日本の灯台50選」に選ばれたほか、平成22年(2010年)4月には「国」の「登録有形文化財」に登録されています。
「犬吠埼灯台」の「敷地内」には、2002年(平成14年)3月20日に開館した「犬吠埼灯台資料展示館」もあり、この「灯台」の「歴史」、「機能」・「役割」などを学べ、「初代犬吠埼灯台レンズ」(フレネル式第1等8面閃光レンズ)をはじめ、「貴重」な「資料」が多数展示されています。
「銚子市(犬吠埼)のシンボル」「犬吠埼灯台」の「管轄」は、「日本の海」を守り続ける「海上保安庁」「第三管区保安本部」が「管轄」しています。
「犬吠埼灯台」の「概要」(データ)は、下記の通りです。
「犬吠埼灯台」「概要」(データ)
位置 北緯35度42分28秒
東経140度52分07秒
所在地 銚子市犬吠埼9576
塗色構造 白色 塔形 煉瓦造り
レンズ 1等フレネル式
塔質 単閃白光 毎15秒に1閃光
実効光度 110万カンデラ
光達距離 19.5海里(約36km)
明弧 169度から65度まで
高さ 地上から頭頂まで31.30m
平均海面から灯火まで51.80m
初点灯 1874年(明治7年)11月15日
管轄 海上保安庁 銚子海上保安庁
明治7年(1874年)11月15日に「初点灯」した「銚子市(犬吠埼)のシンボル」「犬吠埼灯台」は、昨年(2014年)140周年を迎えました。
140年もの間、「犬吠埼灯台」は、「震災」・「戦災」など「幾多」の「試練」にもめげず、「海の安全」を守り、「陸」では「銚子随一」の「観光名所」として、また「銚子市民」の「心の支え」となってきました。
昨年「銚子市」では、「犬吠埼灯台」140年の「歴史」を振り返り、「未来」を展望し、「感謝の意」を込めて「記念事業」が行われました。
「灯台記念日」は、「日本」の「記念日」のひとつで、毎年11月1日となっています。
「灯台記念日」ですが、「日本最初」の「洋式灯台」である「観音崎灯台」の「起工日」が、1868年(明治元年)の「新暦」で11月1日(「旧暦」では8月30日)であることにちなみ、1949年(昭和24年)に「海上保安庁」により制定されたそうです。
「灯台記念日」「当日」は、「各地」の「参観灯台」への「参観」が全て「無料」で開放され、「社団法人日本燈光会」や、「各地」の「海上保安部」などで「記念行事」が行われています。
なお「灯台記念日」では、「普段」は公開されていない「灯台」が、この「前後」に「特別公開」され、「内部」に入れる場合もあります。
また、「灯台記念日」「当日」は、「灯台」周辺の「観光協会」などでも「各種」の「イベント」が行われ、「地元」の「名産品」の「即売会」などが行われることが多いそうです。
「銚子市」では、上述の11月1日の「灯台記念日」にちなみ、11月1日(日)9時30分から15時00分まで「国登録有形文化財」「登録」の「犬吠埼灯台」を「特別公開」しています。
「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」では、「犬吠埼灯台」の中を「自由」に「見学」ができ、「拝観料」が「無料」となるそうです。
また「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」では、下記の「イベント」が開催されるそうです。
犬吠埼灯台・霧笛舎・資料館の施設見学
海上保安官ミニ制服試着体験
海上保安官の業務紹介
職員募集等の資料配布
「銚子市(犬吠埼)のシンボル」「犬吠埼灯台」で開催される「灯台記念日イベント」「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」詳細
開催日時 11月1日(日) 9時半〜15時
開催会場 犬吠埼灯台 銚子市犬吠埼9576
問合わせ 銚子海上保安部管理課 0479-21-0118
備考
「犬吠埼灯台灯台記念日特別公開」ですが、「気象状況」や、「海難」等により「中止」になる場合もあるそうです。
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| 地域情報::銚子 | 10:18 AM |
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2015,10,08, Thursday
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「地球の丸く見える丘展望館」「2F」「企画展示ホール」で10月10日(土)〜11月29日(日)の期間開催されます「竹久夢二版画十二点展示」です。
「地球の丸く見える丘展望館」は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「天王台」にある「施設」で、「銚子市」から「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」を受け、運営しています。
「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)は、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「高所」(73.6m)である「愛宕山」の「頂上」に位置する「展望観光スポット」で、「眺望」ですが、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せます。
「地球の丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」から360度の「大パノラマ」が広がり、緩やかに「弧(コ)」を描いた「水平線」によって、「その名」の通り、「地球の丸さ」を実感できる「展望施設」となっています。
「地球の丸く見える丘展望館」からは、「銚子市」が「三方」を「水」に囲まれている様子が実感でき、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、上述の「屏風ヶ浦」に至る「海岸線」を望め、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を堪能できるそうです。
「地球の丸く見える丘展望館」には、「地球の丸さ」を実感できる「展望スペース」(屋上)を筆頭に、「銚子」の「特産品」「地酒」・「醤油」をはじめ、「豊富」な「お土産」・「名産品」が揃った「お土産コーナー」(売店)(1F)、「季節ごと」に行われる「各種企画展」が「定期的」に催される「イベントホール」(企画展示室)(2F)、「常設展示」として2012年に認定されました「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)「関連資料」の「展示」をしている「銚子ジオパーク展示場」(2F)、「銚子海洋研究所」の「イルカウォッチング」(2010年12月19日のブログ参照)で撮影された「写真」の「展示」(2F)、「イルカウォッチング」もしくは「銚子のPR」「映像」を映す「映像鑑賞コーナー」(2F)、「銚子沖」(名洗沖)で「実験稼働中」の「洋上風力発電」の「解説」(2Fエントランス)、「展望スペース」に
向かう途中にある「眺望」のよい「休憩スポット」「喫茶コーナー」・「展望ラウンジ」「くつろぎスペース」「カフェ330」(3F)があります。
「地球の丸く見える丘展望館」の「イベントホール」は、上記のように「季節ごと」に、「写真展」や「絵画展」など「各種企画展」が行われており、多くの「観光客」、「地元客」の「皆さん」が訪れています。
「竹久夢二(タケヒサユメジ)」(2011年5月28日のブログ参照)(1884年(明治17年)9月16日〜1934年(昭和9年)9月1日)は、「日本」の「画家」・「詩人」で、「本名」は「竹久茂次郎(タケヒサモジロウ)」です。
「竹久夢二」は、「数多く」の「美人画」を残しており、その「抒情的(ジョジョウテキ)」な「作品」は「夢二式美人」と呼ばれ、「大正ロマン」を代表する「画家」で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともあり、また、「児童雑誌」や、「詩文」の「挿絵」も描いたそうです。
「竹久夢二」は、「文筆」の「分野」でも、「詩」、「歌謡」、「童話」など創作しており、なかでも、「詩」「宵待草」には「曲」が付けられて「大衆歌」として受け、「全国的」な「愛唱曲」となりました。
また、多くの「書籍」の「装幀(ソウテイ)」、「広告宣伝物」、「日用雑貨」のほか、「浴衣(ユカタ)」などの「デザイン」も手がけており、「日本」の「近代グラフィック・デザイン」の「草分け」のひとりともいえます。
「竹久夢二」は、「彼自身」の独特な「美意識」による「夢二式美人画」と呼ばれる「作品」の多くは、「日本画」の「技法」で描かれ(軸物や、屏風仕立てで遺る)、また、「洋画」(キャンバスに油彩)「技法」による「女性像」や、「風景画」も遺されています。
好んで「様々」な「表現形式」を試みたそうですが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された「書籍」の「表紙」や、「広告美術」などが多くの「目」に触れ、「大衆人気」という形で「脚光」を浴びたのであったそうです。
「竹久夢二」ですが、一時は「中央画壇」への「憧れ」もあったようですが、受け入れられず、終生
「野」にあって新しい「美術のあり方」を模索したそうです。
「世の動き」としてみた場合、「当時の画壇」では「様々」な「芸術思潮」が交錯し、ある意味で「胎動期」の不足のさなかであったそうです。
「都市」における「大衆文化の開花」による「消費生活の拡大」を背景とした、新しい「応用美術」としての「デザイン」というものの「黎明の時代」であり、「夢二」もこれに着目したそうです。
「竹久夢二」「生涯」の「後期」にいたっては、「彼」の「図案家」としての「才能」の「実績」において、「生活」と結びついた「美術」を目指し、あるいは「産業」と融合すべきとの「理念」を持ち、むしろ「積極的」に、「商業美術」(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の「概念」を描いていたようです。
「竹久夢二」の「榛名山産業美術研究所」の「構想」や、「先進欧米視察」への「野望」がこのことを裏付けています。
「竹久夢二」の「画集」、「詩文集」・「童話」は21世紀に入っても「様々」な「装丁」で刊行されています。
「竹久夢二」の関わった「女性達」ですが、「竹久夢二」の「恋愛遍歴」についても数々の「評伝」があり、「自身」の「日記」や、「手紙」などで語られる「愛の言葉」は、後世の多くの「創作」の「題材」ともなっています。
特に、下記3人が「夢二をめぐる3人の女性」として、しばしば取り沙汰されています。
たまき
1882年(明治15年)7月28日〜1945年(昭和20年)7月9日、石川県金沢市出身、本名は岸他万喜。
戸籍上唯一妻となった女性である。
兄を頼って上京後、結婚歴があり死別した前夫との間に二児があった。
自立のために早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店「つるや」に、夢二が客として毎日店に通いつめた挙句、2ヶ月後には結婚にいたった。
2年後には離婚するが、その翌年に再び同棲、そして、別居を繰り返す。
夢二が彦乃を知った後の大正4年(1915年)、たまきと画学生東郷鉄春(青児)との仲を疑い、富山県の海岸で夢二がたまきの腕を刺すことによって破局を迎え絶縁にいたる。
しかし、たまきは結核療養中の夢二を信州まで見舞い、また夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。
彦乃
1896年(明治29年)3月29日〜1920年(大正9年)1月16日、山梨県南巨摩郡西島村(現・身延町西島)生まれ、本名は笠井ヒコノ。別名に山路しの。
日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。
夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。
たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、大正7年(1918年)九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。
父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。
御茶ノ水順天堂医院に入院した彦乃は、そのまま短い人生を終える。
夢二は彦乃を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。
「彦乃日記」をのこす。
お葉
1904年(明治37年)3月11日〜1980年(昭和55年)10月24日、秋田県出身、本名は永井カ子ヨ。
上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。
藤島武二、伊藤晴雨らのモデルをつとめた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲、渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯をもつ。
大正13年(1924年)、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住んだ。
一児をもうけるが夭折。
翌14年にお葉は自殺を図り、半年後に別離する。
後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。
「夢」と「憧れ」に生きた「叙情詩画人」「竹久夢二」は「房総」に魅せられたひとりで、とくに「銚子」の「海岸」は「夢二」の「詩心」をかきたてたらしく、3回も訪れているそうです。
なかでも3度目は、明治44年(1911年)8月29日から9月6日までの「長期滞在」であったそうで、この時、「宵待草」の「詩想」が生まれたといわれています。
大正2年(1913年)11月「実業之日本社」「発行」の「どんたく」に、「原詩」の「八行詩」に改作して掲載されています。
「宵待草」原詩
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心ともなき
想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな
「宵待草」
待てど 暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬさうな
大正7年(1918年)秋、この「詩」に「多忠亮(オオノタダスケ)」(当時・宮内庁雅楽部勤務)が「曲」をつけ、「宵待草」は大ヒットしたそうです。
「宵待草」ですが、「哀愁」に満ちた「詩」と、感傷的な「メロディー」は、多くの「人たち」に愛唱され歌い継がれています。
なお「宵待草」は本来、「植物学的」には「マツヨイグサ(待宵草)」が正しく、「ツキミソウ(月見草)」などと同種の、群生して可憐な「花」(待宵草は黄色、月見草は白〜ピンク)をつける「植物」のことで、「竹久夢二」は後になって誤りに気づいたそうですが、「歌」が有名になりすぎたので訂正しなかったそうです。
「竹久夢二」は明治40年(1907年)夏に続いて明治43年(1910年)8月、別れたはずの「妻・たまき」をつれて「銚子」の「海鹿島(アシカジマ)」を訪れました。
当時の「文人・墨客」が利用した「民宿」「宮下」に投宿、この時、「夢二」は「お島さん」という「女性」と「恋仲」になっています。
「宮下」の「南隣」に住む「元・北海道福山藩士」「長谷川康(コウ)」の「三女」「賢(カタ)」が、その人であるといわれています。
翌年8月29日、「夢二」は再び「海鹿島」を訪れましたが、すでに「お島さん」の姿はなく、「お島さん」は、「鹿児島」の「教師」のもとに嫁いでいたそうです。
「夢二」は「お島さん」のいない「海鹿島海岸」をさまよい、「夏の日」の「恋」を追憶しながら「宵待草」の「詩」をつくりました。
「海鹿島」にある「詩碑」は、昭和46年(1971年)2月に、「房総夢二会」により建立され、「長方形」の「コンクリート碑」には、「銅版」に刻んだ「詩文」と、「夢二像」がはめ込まれています。
この度(タビ)「地球の丸く見える丘展望館」では、「銚子」にゆかりのある「竹久夢二」の「版画」12点の「貸し出し展示」「竹久夢二版画十二点展示」を10月10日(土)から11月29日(日)の期間開催するそうです。
「竹久夢二版画十二点展示」ですが、「銚子市」「海鹿島町」の「思咢庵」より、上述の「竹久夢二」の「木版画」12点を「貸し出し展示」するもので、この「木版画」は「夢二郷土美術館」「秘蔵」の数百点の内より厳選された12点の「傑作」を「株式会社 京都版画院」「東京本社」が「高級木版画」として複製したものだそうです。
また「地球の丸く見える丘展望館」では、会期中「竹久夢二」と「銚子」の「つながり」も紹介するそうです。
「地球の丸さ」が実感できる「人気観光スポット」「地球の丸く見える丘展望館」「2F」「企画展示ホール」で開催される「厳選展示」「竹久夢二版画十二点展示」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「竹久夢二版画十二点展示」詳細
開催期間 10月10日(土)〜11月29日(日)
開催会場 地球の丸く見える丘展望館 2F映像ブース 銚子市天王台1421-1
入館料 大人 380円 小中学生 200円 65歳以上 330円
営業時間 9時〜17時 (10月〜3月)(晴天時は日没まで)
※4月〜9月は、9時〜18時半
問合わせ 地球の丸く見える丘展望館 0479-25-0930
備考
「竹久夢二版画十二点展示」の開催される「地球の丸く見える丘展望館」「2F」「企画展示ホール」を「ご見学」の際は、「入館料」が「必要」となります。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2832 |
| 地域情報::銚子 | 10:17 AM |
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