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「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月4日(日)に開催されます「内陣神楽(ナイジンカグラ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
 また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
 「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
 また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
 「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
 この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。

 「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この形式の「社殿」としては「最大級の規模」となっています。
 「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
 「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
 「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
 この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
 「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。

 「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
 また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
 「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5mほど移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
 「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
 「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)、「団碁祭(ダンキサイ)」(2015年12月5日のブログ参照)が執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。
 「内陣神楽」ですが、「香取神宮」で執り行われている「祭典」で、12月4日(日)に催行されます。
 「内陣神楽」は、「香取神宮」「内陣」の「御扉」が開かれ、「香取神宮」「殿内」では、「少年達」による「舞」が奉納されるそうです。
 「内陣神楽」「当日」は、14時00分から、「香取神宮」「本殿」内の「清祓(キヨハライ)」の「儀」(「内陣」の「煤払(ススハラ)い」)に続き、17時00分から「氏子」の「少年達」による「大和舞」が奉奏されるそうです。
 なお、この「祭典」(内陣神楽)ですが、「外部」の「人」の「見学」や、「参列」は無い「祭事」となっているそうです。
 「内陣神楽」ですが、昔は「香取神宮」「本殿」の「内陣」が開くことから、恐れ多いとして、この「夜」、「地元」の「氏子」であっても「夜」の「参拝」をすることを遠慮していた(外出をせずに室内で慎んでいる事が習わしだったと言われる)といわれているそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で執り行われる「暮三祭(クレサンサイ)」のひとつに数えられる「祭事」「内陣神楽(ナイジンカグラ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「内陣神楽(ナイジンカグラ)」詳細

 開催日時 12月4日(日) 17時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」では、11月30日「大饗祭(タイキョウサイ)」(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、翌日(12月1日)「賀詞祭(ガシサイ)」、12月4日に「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、12月7日に「団碁祭(ダンキサイ)」と、「夜」の「祭典」が続きます。
 特に、12月7日に執り行われる「団碁祭」は、「だんご祭」とも呼ばれ、「祭典」の「終了後」に「お団子」が分けられ、この(団碁祭)「お団子」にちなんで、「香取名物」の「厄よけ団子」があるわけなのだそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3230 |
| 地域情報::香取 | 10:34 AM |
「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」(栄町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「栄町」「安食小学校」「体育館」および「駐車場」「特設ステージ」、「さわやか通り」で12月4日(日)に開催されます「いっさいがっさいフェスティバル2016」、「第2回少子化克服鍋まつり」です。

 「栄町」は、「千葉県」の「北部中央」、「利根川流域」に位置している「印旛郡」に属する「まち」です。
 「印旛郡」「栄町」は、かつて「同名」の「新潟県」「南蒲原郡」「栄町」がありましたが、「新潟県」「南蒲原郡」「栄町」に隣接する「三条市」および「南蒲原郡」「下田村」との「新設合併」によって「三条市」となり、廃止したため、現在「自治体」としての「栄町」は唯一のものとなったそうです。

 「印旛郡」「栄町」の「歴史」ですが、古く紀元前からすでに「丘陵地」を中心に「集落」が形成され、その跡に「貝塚」が残っており、多くの「石器」や、「土器」が出土しています。
 特に有力な「豪族」を埋葬したものと推定される「岩屋古墳」(国指定史跡)(2012年2月27日のブログ参照)をはじめ、110余基が「龍角寺地区」から「酒直地区」に点在しています。
 また、奈良時代前期には「江戸」と、「東北方面」からの「物資」の「流通」を「河川」に依存していたことから、「印旛郡」「栄町」は「中継基地」として、大変な「にぎわい」を示していたといわれています。

 明治22年(1889年)に「安食村」、「北辺田村」、「龍角寺村」、「酒直村」、「矢口村」、「須賀村」、「麻生村」の7村及び、「安食卜杭新田飛地」が合併して「境村」となり、同年に「布鎌請方新田」他15村が合併し、「布鎌村」となりました。
 また「境村」は、明治25年(1892年)には「安食町」と改称し、その後、昭和29年(1954年)に「豊住村」(現在は「成田市」)の一部を編入しました。
 そして、翌年の昭和30年(1955年)12月1日には、「安食町」と、「布鎌村」が合併し「印旛郡」「栄町」が誕生しました。
 「印旛郡」「栄町」は、昭和47年(1972年)の「水と緑の田園観光都市」「構想」の「策定」により、「印旛郡」「栄町」の新たな「施策」の「展開」と、「成田線」の「電化」に伴い、「東京」への「通勤圏」となりました。
 「印旛郡」「栄町」は、昭和47年(1982年)以降は、「民間大規模住宅地開発」の「進展」が、大きな「要因」となり、「住宅都市」へと大きく変貌し、現在に至っています。
 「印旛郡」「栄町」の「通勤率」ですが、「成田市」へ25.2%、「東京都」「特別区部」へ12.5%(いずれも平成22年国勢調査)となっています。

 「印旛郡」「栄町」は、「坂東太郎」と呼ばれる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)とを繋ぐ「長門川」、「将監川」が流れ、「岸辺」からは「カワセミ」の飛び交う「姿」を見ることができる「水と緑の田園都市」となっています。
 「千葉県」「北部」に位置する「印旛郡」「栄町」は、上記のように「利根川」と、「印旛沼」に囲まれた「自然」豊かな「まち」で、「栄町」には、1300年の「歴史」を誇り、有名な「龍伝説」(2012年3月5日のブログ参照)の伝わる「龍角寺」(2012年1月2日のブログ参照)や、「方墳」では「関東最大級」の「岩屋古墳」、「子孫繁栄祈願」の「大鷲神社」(2014年12月1日のブログ参照)、昭和51年(1976年)に開館し、江戸時代の「佐倉」の「城下町」を「モデル」とし、様々な「体験」ができる「人気施設」「房総のむら」、「総面積」約32ha(ヘクタール)の「自然」豊かな「敷地」に約78基の「古墳」がある「千葉県立風土記の丘」、明治時代の「歴史」ある「建造物」「旧学習院初等科正堂」など「見どころ」が数多くある「まち」です。
 ちなみに、現在の「印旛郡」「栄町」の「人口」ですが、平成28年(2016年)12月1日現在、「総人口」21301人、「男性」10430人、「女性」10871人、「世帯数」8927世帯となっています。

 「安食小学校」(栄町立安食小学校)ですが、「印旛郡」「栄町」「安食」にある「公立小学校」です。
 「安食小学校」の「学区」ですが、「上町」、「台下」、「辺引」、「鷲町」、「仲町」、「下町」、「松ヶ丘」、「田中」及び、「安食1丁目」から、「安食3丁目」までの「区域」となっており、「栄町」の「中心地区」に位置しているため、古くからある「商店」や、「農家」の「皆さん」が多い「学区」ですが、近年「東京」や、「成田」の「ベットタウン化」している「地区」も一部にあるそうです。
 「安食小学校」の「沿革」は、下記の通りです。

 1873年(明治6年)2月23日 大乗寺を仮校舎として開校。鷲谷学級と称す。

 1888年(明治21年)5月10日 高等小学校認可される。安食尋常高等小学校と改称。

 1908年(明治41年)4月 酒直尋常小学校廃校。安食小学校酒直分教場となる。

 1927年(昭和2年)7月14日 酒直分教場新築落成。

 1947年(昭和22年)4月10日 国民学校を小学校と改称。

 1949年(昭和24年)4月1日 酒直分教場廃止。酒直小学校となる。

 「いっさいがっさいフェスティバル」(2015年12月11日・2013年12月6日・2012年12月1日・2011年12月5日のブログ参照)は、「水と緑のまち」「栄町」が主催する「イベント」をまとめて行う「恒例行事」で、「産業祭」、「健康福祉祭」、「年金クイズ」等を同時に「いっさいがっさい」行う「フェスティバル」となっています。
 「いっさいがっさいフェスティバル」には、一日中「町民」をはじめ、「近隣」からも「見学」に訪れる「人」で賑わっています。

 「いっさいがっさいフェスティバル2016」ですが、12月4日(日)に「安食小学校」「駐車場」及び、「体育館」周辺で開催される「イベント」で、「栄町」のいっさいがっさいが一堂に会し、盛大に行われます。
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」ですが、「お得」な「生活情報」、「お買い物」等「お楽しみイベント」が盛り沢山となっています。
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」の「会場」、「イベント名」、「内容」は、下記の通りです。

 いっさいがっさいフェスティバル2016

 12月4日(日)

 10時00分〜14時00分

 「安食小学校体育館駐車場」

 出張コスプレの館
 家族で忍者等のコスプレをして、イベントを楽しもう!

 物産販売
 どらまめ商品、新鮮野菜、焼菓子、フランクフルト、焼き鳥、綿あめ、羊かん、プリン等

 ミニゲーム
 魚釣り、輪投げ

 人権・行政相談PR
 啓発物資の配布

 福祉車両の展示
 福祉サービスで活躍中の福祉車両を展示

 家庭系ごみ減量化PR
 家庭ごみ肥料無料配布、生ゴミ減量の方法教えます。

 水素で走る燃料電池自動車展示
 燃料電池自動車MIRAIの展示、新しい食のスタイル「ちば食べエコ」PR
 マイカップ持参の方限定チーバくんオリジナルステッカープレゼント

 ふるさと納税・定住移住PR
 町の定住移住とふるさと納税の紹介
 (ボックスティッシュ無料配布)

 「さわやか通り」

 のら市
 山菜おこわ、野菜、焼き芋の販売

 「安食小学校体育館」

 健康まつり
 脳卒中予防紹介、肺活量・血管年齢測定をして自分の体をチェック

 高齢者就業機会情報発信
 高齢者向けの就業情報の発信
 (粗品配布)

 若者就労相談
 若者サポートステーションによる就労相談

 消費生活相談
 ゲームに参加して粗品プレゼント

 住宅なんでも相談
 住宅耐震診断や改修など住宅に関する心配ごと相談

 家庭ごみ減量化PR
 知って得する家庭ごみの分別方法、粗大ごみのリサイクル品抽選会

 軽スポーツ体験教室
 手軽にできるスポーツ吹き矢の体験教室

 福祉バザー
 福祉団体によるバザー

 歳末たすけあい募金活動
 イベント会場で見かけたらぜひご協力を!

 MOA美術館印旛児童作品展
 栄町児童の入賞作品を展示

 PTAバザー
 安食小学校と栄中学校両校のPTAによるバザー

 ※都合により内容、時間等は予告なく変更する場合があります。

 また昨年(2015年)「栄町」は「町制施行60周年」を迎え、「栄町町制施行60周年記念事業」として「いっさいがっさいフェスティバル2015」と同時開催で、「第1回少子化克服なべまつり」を開催しました。
 昨年に引き続き「栄町」では、今年(2016年)も「いっさいがっさいフェスティバル2016」と同時開催で、「第2回少子化克服なべまつり」を12月4日(日)に開催するそうです。
 「第2回少子化克服なべまつり」ですが、寒い「冬」は「鍋」でぽかぼか、11店舗の「鍋」を「食べ比べ」できる「イベント」で、「子授け」・「安産」・「夫婦円満」を願い、「魂生大明神」の「曳き廻し」も行われるそうです。
 「第2回少子化克服なべまつり」の「会場」、「時間」、「イベント名」、「内容」は、下記の通りです。

 第2回少子化克服なべまつり

 12月4日(日)

 「安食小学校体育館駐車場特設ステージ」

  9時45分〜     開会セレモニー(主催者、来賓あいさつ)

 10時00分〜10時30分 なべまつりPRタイム(なべまつり出店者による店舗のPR)

 10時40分〜11時00分 どらむ君健康づくり体操(どらむ君オリジナル健康体操で、食事前に軽く運動!)

 11時10分〜11時50分 吹奏楽演奏(栄中学校吹奏楽部による演奏)

 11時50分〜12時00分 お笑いミニライブ(お馴染み!ゴールデンボーイズのお笑いライブ)

 12時00分〜12時15分 バルーンパフォーマンス(ドゥビ伊藤による家族で楽しめるバルーンショー)

 12時20分〜12時50分 地域密着型吹奏楽団演奏(栄町吹奏楽団「ドラムウィンドアンサンブル」の演奏)

 12時50分〜13時30分 大道芸(栄町出身「たっきゅさん」によるジャグリング)

 13時30分〜14時00分 和太鼓演奏(下総栄太鼓による和太鼓演奏)

 「安食小学校体育館」

 10時30分〜11時30分 赤ちゃんはいはいレース(負けられない戦いがそこにあるんだ!)(事前申込み)

 「さわやか通り」(体育館前)

 10時00分〜14時00分 子育て支援アプリ「すくすく栄」(アプリをダウンロードすると先着150名に素敵なプレゼント!)

 10時00分〜14時00分 お子さまの手形をとろう!(小学校までのお子さまの手形を色紙にとろう!)(先着150枚)

 10時00分〜14時00分 なべコーナー

 健ちんじる(北総栄病院)
 芋煮汁(出舟)
 ゆめのミルクスープ鍋(成田ゆめ牧場)
 大相撲千賀ノ浦部屋特製ちゃんこ(舛ノ山後援会)
 黒豆味噌を使った豚汁(栄町商工会女性部)
 大和いも入りもつ煮(栄町商工会青年部)
 雑煮(栄町農業委員会)
 カレー鍋(栄町観光協会)
 野菜たっぷりトマト鍋((株わたや))
 江戸野菜鍋(房総のむら)
 クラムチャウダー(栄町青少年相談員連絡協議会)

 10時15分〜12時30分 魂生大明神曳き廻し(子授け・安産・夫婦円満の神として祀られた男根の本尊を会場内で曳き廻す)

 「歴史」ある「安食小学校」「体育館」および「駐車場」「特設ステージ」、「さわやか通り」で開催される「恒例・人気イベント」「いっさいがっさいフェスティバル2016」、「人気イベント」「第2回少子化克服鍋まつり」。
 この機会に「栄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」詳細

 開催日時 12月4日(日) 9時45分〜

 開催会場 安食小学校体育館および駐車場特設ステージ、さわやか通り 印旛郡栄町安食305

 問合わせ 栄町産業課産業振興班 0476-33-7713

 備考
 「いっさいがっさいフェスティバル2016」「第2回少子化克服鍋まつり」が開催される「栄町」では、12月3日(土)から5日(月)の期間に「安食酉の市」(安食の酉市)、「とりまち」(2015年12月10日・2014年12月1日・2013年12月3日・2012年11月30日・2011年12月5日のブログ参照)が行われます。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3218 |
| 地域情報::成田 | 10:36 AM |
「第12回あさひ寄席」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「千葉県東総文化会館」で12月4日(日)に開催されます「第12回あさひ寄席」です。

 「千葉県東総文化会館」ですが、「旭市」「ハ」に所在する「公共文化施設」です。
 「千葉県東総文化会館」ですが、「自然」との「共生」、「魅力」ある「屋内外空間」の「創生」、「遠目」に映える「シンボル」などを「基本構想」にして設計され、「千葉県東総文化会館」は、「千葉県民」及び「旭市民」に「芸術文化」の「創作発表」、「鑑賞」の「場」を提供することを通じて「県民文化」の「発展」に寄与することを「目的」に建設された「公共文化施設」となっています。

 「千葉県東総文化会館」の「施設」は、平成3年(1991年)6月1日に開館した「公共文化施設」で、「千葉県東総文化会館」の「建設面積」4724.88平方m、「延床面積」5941.07平方mとなっており、「千葉県東総文化会館」の「構造」ですが、「鉄骨鉄筋コンクリート造り」、「地下1階地上3階建て」、「駐車場面積」28台(主催者用)となっています。
 「千葉県東総文化会館」の「大ホール」の「収容」ですが、900席(固定席)(1階・座席数768席、2階・座席数132席)となっており、その他「千葉県東総文化会館」「小ホール」の「収容」ですが、302席となっています。
 「千葉県東総文化会館」「大ホール」の「間口」ですが、16.0m(8間5尺)、「奥行」は15.5m(8間4尺)、「高さ」は9.5m(5間2尺)となっています。
 「千葉県東総文化会館」「小ホール」の「間口」ですが、10.0m(5間3尺)、「奥行」は8.2m(4間3尺)、「高さ」6.0m(3間2尺)となっています。
 「千葉県東総文化会館」では、数多くの「催し」、「イベント」、「コンサート」等が開かれています。

 「柳亭市馬(リュウテイイチバ)」ですが、「落語家」の「名跡」で、「当代」は「4代目」(「三遊亭市馬」から考えると「8代目」)です。
 なお、現代の「4代目」「柳亭市馬」の前に「4代目」(「三遊亭市馬」として)襲名した「落語家」もいらっしゃいますが、廃業しています。

 現在の「4代目」「柳亭市馬」「師匠」ですが、1961年(昭和36年)12月6日生まれの「落語協会」「所属」の「落語家」であり、2014年(平成26年)より「落語協会」の「会長」を務められています。
 「柳亭市馬」「師匠」は、「大分県」「豊後大野市」「緒方町」出身の「落語家」で、「本名」は「右藤泰幸(ウトウヤスユキ)」氏、「出囃子」は「吾妻八景」、「紋」は「丸に花菱」です。

 「柳亭市馬」「師匠」の「初」の「高座」ですが、1981年(昭和56年)4月1日、「池袋演芸場」においてで、演じた「演目」ですが、「道灌(ドウカン)」であったそうです。
 ちなみに、「道灌」ですが、「江戸発祥」の「落語」であり、「初代」「林家正蔵」の「咄本」「笑富林」(1833年刊)に「原型」が見られ、「若手」が「鍛錬」のために演じる、いわゆる「前座噺」のひとつで、「3代目」「三遊亭金馬」「師匠」や、「5代目」「柳家小さん」「師匠」らは、「晩年」まで長く「同演目」を「得意ネタ」としていたそうです。

 その後、「柳亭市馬」「師匠」は、「柳派」の「正統派落語」「保守本流」として確固たる「地位」を築いたそうです。
 「柳亭市馬」「師匠」ですが、「仲間内」では(落語関連の)「雑学王」と呼ばれるほど、「ネタ」に関する「由来」や、「こぼれ話」等を知っているそうです。

 「柳亭市馬」「師匠」の「趣味」ですが、「流行歌」を聴き、歌うことだそうで、「芝居」とくに「歌舞伎見物」も「趣味」だそうです。
 また「柳亭市馬」「師匠」は、「美声」の「持ち主」として知られており、「プロ」の「歌手」(社団法人日本歌手協会会員)でもあるそうで、「音曲ネタ」(「掛取万歳」など)を得意とし、「相撲甚句」などを披露するそうです。

 「柳亭市馬」「師匠」ですが、2010年(平成22年)12月、「落語協会」「理事会」にて2011年(平成23年)からの「副会長」「就任」が決まり、「兄弟子」である「柳家小三治」「師匠」が「会長」として率いる「落語協会」を「幹部」として支えていくことになったそうです。
 ちなみに「副会長」「就任」決定の「時点」で49歳というのは「歴代」の「副会長」を見渡しても「異例の速さ」であり、「人事」と、「香盤」は直接連動しないにせよ「大抜擢」として「話題」となったそうです。
 また、2014年(平成26年)には「柳家小三治」「師匠」の「後任」として、「柳亭市馬」「師匠」は、「落語協会」「会長」を引き継いでおり、52歳での「会長」就任は「落語協会」「発足後」「最年少」なのだそうです。
 「柳亭市馬」「師匠」の「略歴」は、下記の通りです。

 1980年(昭和55年)3月 大分県立竹田高等学校卒業

 1980年(昭和55年)3月 5代目柳家小さんの門下で「小幸」。

 1984年(昭和59年5月)二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。

 1993年(平成5年)9月 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。

 2008年(平成20年)7月 「山のあな ねぇ あなた」(ポニーキャニオン)で歌手デビュー。

 2010年(平成22年) 落語協会理事となる。

 2010年(平成22年)12月 落語協会理事会にて副会長に決定。

 2011年(平成23年) 副会長就任。

 2014年(平成26年)6月 落語協会理事会にて落語協会会長に就任。

 「初代」「林家三平(ハヤシヤサンペイ)」(本名・海老名泰一郎)(エビナヤスイチロウ・旧名・栄三郎(エイザブロウ))は、「東京都」「下谷区」(現在の東京都台東区)「根岸」出身、「旧制明治中学」卒業、「明治大学」「商学部」入学、「通称」ですが、「根岸」、「出囃子」は「祭囃子」でした。
 「初代」が「林家三平」を名乗り続けた「理由」は、下記の通りです。

 三平は、二つ目の時点で既に時代の寵児、そして落語協会の次代を支える若手の筆頭となっていた。
 真打への昇進ともなれば、落語協会としてもやはり前座名でない立派な名を与える必要があった。
 5代目小さんは、自らの前名「柳家小三治」を三平に譲る事を考えた。
 小三治は柳派の出世名である。
 これをもって彼を柳派の正式な一員とし、ホープとして育てる事を約束するようなものである。
 そして都合のいいことに、三平本人の父の前名でもある。

 一方、師匠7代目橘家圓蔵もまた、自らの前名「月の家圓鏡」を三平に名乗らせたいという意向を持ち、様々な画策を行った。
 圓蔵は圓蔵で三平を橘家のホープ、そして自らの後継としたかったのである。

 三平は師匠圓蔵案(師匠の名を襲名)を一貫して拒み続けた。
 しかも小さん案(父の名を襲名)も受け入れず、結局どの名跡も襲名する事は無く「林家三平」のままで真打になったのである。
 (5代目柳家小さん「咄も剣も自然体」)
 そして、三平の名を一代で大看板にした。

 結局月の家圓鏡の名は弟弟子の橘家舛蔵が襲名した。
 三平がテレビで人気を博していた頃、舛蔵改め圓鏡は、主にラジオのトーク術で人気を博し、三平同様演芸界のスターダムにのし上がってゆくことになる。
 のちの8代目橘家圓蔵である。

 「初代」「林家三平」は、「テレビ時代の申し子」と謳われ、「テレビ」が生んだ「最初」の「お笑いブーム」、「(第一次)演芸ブーム」の「火付け役」かつ「中心的存在」であり、また「爆笑王」の「盛名」をほしいままにしました。
 「初代」「林家三平」の「家族」ですが、「東宝名人会」「専属」「7代目」「林家正蔵」の「実子」で「長男」であり、「初代」「林家三平」の「長女」は「海老名美どり」さん(峰竜太夫人)、「次女」「泰葉」さん(春風亭小朝元夫人)、「長男」は「9代目」「林家正蔵」(前名・林家こぶ平)、「次男」(前名・林家いっ平)が「2代目」「林家三平」(妻は国分佐智子)を継いでいます。
 「初代」「林家三平」の「妻」は「海老名香葉子」さん(教育再生会議委員)、「義兄」は「釣竿職人」の「中根喜三郎」(妻・香葉子の兄)氏、「孫」は「下嶋兄」氏(美どりと峰の息子)、「林家たま平」(9代目正蔵の息子)です。

 「林家三平」「師匠」は、1970年(昭和45年)12月11日生まれの「日本」の「落語家」で、「タレント」、「本名」は「海老名泰助(エビナタイスケ)」氏、「出囃子」は「祭ばやし」、「前名」は、「林家いっ平」、「2代目」「林家三平」と表記されることもあります。
 「林家三平」「師匠」は、「落語協会」「真打」で、かつては「タレント」として「ホリプロ」にも所属していたそうです。
 「林家三平」「師匠」は、「ねぎし三平堂」「堂長」で、「英語」が得意であり、「中国語」も話せるそうで、2016年(平成28年)5月より「笑点」の「大喜利メンバー」となっています。
 「林家三平」「師匠」の「略歴」は、下記の通りです。

 1989年(平成元年)11月 大学在学中に林家いっ平として林家こん平に弟子入り。

 1993年(平成5年)11月 二つ目昇進。

 1999年(平成11年) シンガボールで東京の落語家では初となる英語落語を披露。

 2002年(平成14年)9月 真打昇進。第19回浅草芸能大賞新人賞受賞。

 2009年(平成21年)3月21日 林家三平を襲名。

 2011年(平成23年) 徳島県美馬市観光大使に就任。

 2016年(平成28年) 5月29日分より、笑点新メンバーに加入。

 「あさひ寄席」ですが、平成17年(2005年)7月1日、「旭市」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」、「香取郡」「干潟町」の1市3町が合併し、新しく「新・旭市」が誕生した「年」の12月から始まった「催し」(寄席)で、今年(2016年)で「12回目」を数える「催し」です。
 ちなみにはじめて行われた「第1回あさひ寄席」には、「三遊亭小遊三」「師匠」、「のいるこいる」、「玉川カルテット」、「堺すすむ」といった「方々」が出演されたそうです。

 「第12回あさひ寄席」ですが、上記のように「千葉県東総文化会館」「大ホール」を「会場」に、12月4日(日)13時00分「開場」、13時30分「開演」で開催される「催し」です。
 (「第12回あさひ寄席」の終演(予定)は15時30分です。)
 「第12回あさひ寄席」は、「全席指定」となっており、「入場料」は「一般」3000円(消費税込み)、「65歳以上」2500円(消費税込み)となっています。
 「第12回あさひ寄席」の「出演者」ですが、「柳亭市馬」「師匠」、「林家三平」「師匠」、「堺すすむ」、「母心」、「桂竹千代」他となっています。

 「第12回あさひ寄席」の「チケット販売開始」は、2016年(平成28年)9月29日(木)10時00分から行われており、下記の「チケット販売所」にて、「チケット」(入場券)を販売しています。
 (チケット発売初日に限り、1人4枚まで)

 「チケット販売所」

 三川屋駅前店 旭市ロ633-10 0479-63-5681

 三川屋国道店 旭市ニ436-2 0479-63-7181

 サンモールインフォメーション 旭市イ2676 0479-63-9201

 向後文具店 旭市ニ6464 0479-62-1060

 ラブイシカワ 旭市ニ233-1 0479-62-0902

 千葉県東総文化会館 旭市ハ666 0479-64-2001

 いいおかユートピアセンター 旭市横根1365-25 0479-57-6060

 旭市干潟公民館 旭市堀之内22-1 0479-55-5728

 旭市教育委員会生涯学習課(海上支所1階) 旭市高生1 0479-55-5728

 「芸術文化」が鑑賞できる「公共文化施設」「千葉県東総文化会館」「大ホール」で開催される「プロ」の「噺家」、「芸人」の「共演」「第12回あさひ寄席」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第12回あさひ寄席」詳細

 開催日時 12月4日(日) 13時(開場) 13時半(開演)〜15時半

 開催会場 千葉県東総文化会館大ホール 旭市ハ666

 入場料  一般 3000円 65歳以上 2500円

 定員   900名

 問合わせ 旭市教育委員会生涯学習課文化振興班 0479-55-5728

 備考
 この度(タビ)「千葉県東総文化会館」では、「受付カウンター」に「鳥取県中部地震災害義援金」の「募金箱」を設置し、お預かりした「義援金」は、「日本赤十字社」「千葉県支部」を通じて、被災された「皆様」にお届けするそうです。

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| 地域情報::旭 | 06:52 PM |
「安食酉の市」(安食の酉市)(栄町)
 本日ご案内するのは、近隣市「栄町」「大鷲神社」で12月3日(土)〜5日(月)の期間開催されます「安食酉の市」(安食の酉市)です。

 「大鷲神社」ですが、「印旛郡」「栄町」「安食」(下総国下埴生郡)に鎮座する「神社」で、「大鷲神社」の「旧社格」ですが、「無格社」です。
 「大鷲神社」の「御祭神」ですが、「天乃日鷲命(アマノヒワシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」、「少名彦命(スクナビコノミコト)」、「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」を祀っています。
 「大鷲神社」の「由緒」ですが、「創祀」の「年代」は明らかではありませんが、「日本武尊」が「東夷征討」の際、「錦旗」を建て「仮」の「御野立所」とし、「祖神」を奉斉して仰ぎみると、「大鷲」が飛来して「道標」となり、「目的」を達成したとの「言い伝え」によるものだそうです。

 「大鷲神社」の「境内坪数」ですが1026坪、「大鷲神社」の「本殿」ですが、「本屋」、「向拝」の「軸部」、「縁廻り」、「柱間」等の「壁板」には、極めて「装飾的」な「彫刻」が施されています。
 「大鷲神社」「本殿様式」ですが、「千鳥破風」&「唐破風」付きの「一間社入母屋造」だそうです。
 「大鷲神社」「本殿」では、特に「本屋」と、「向拝」を繋ぐ「海老紅梁」は「竜の丸彫り」になっており、「千葉県内」でも「駒形神社」等、数例となっています。
 現存する「大鷲神社」「本殿」ですが、「擬宝珠金具」の「刻名」により、天保2年(1831年)の「造営」とされ、「栄町」の「町指定有形文化財」に指定されています。

 「大鷲神社」ですが、「大鷲様」と親しまれている「神社」で、江戸時代に「春日の局(カスガノツボネ)」が「竹千代君(タケチヨギミ)」の「出世」を祈り、「念願」がかなって「徳川三代将軍」「徳川家光」公となって現れたことから、「大鷲神社」は「出世開運」・「商売繁盛」・「子授祈願」の「守護神」として周知されたそうです。
 「大鷲神社」では、「江戸幕府」「将軍就任」の「御礼」として、「春日の局」より「将軍」の「船」の「軸先(ジクサキ)」として飾った「金の大鷲」(金色の鷲)を「祝い」として奉納されており(願い受け)、今も「大鷲神社」の「社宝」として大切に保管されているそうです。

 また「大鷲神社」が鎮座する「旧・安食村(アジキムラ)」は、「麻の産地」で、「下総(シモウサ)」の「総」は、「麻」を意味するともいわれ、「大鷲神社」「御祭神」の「天乃日鷲命」も「麻植の神」として知られており、「大鷲神社」「境内社」(本殿下)の「魂生大明神」(御利益は五穀豊穣・縁結び・子授け・安産・夫婦和合)には「ご神体」の「男根」(高さ2.5m、周囲)2.3mが奉納されており、「大鷲神社」「例大祭」には「木製」の「ご神体」が巡行するそうです。
 「大鷲神社」の「由緒」の「説明文」には、下記のように記されています。

 当神社の鎮座地である安食は、元は下総国埴生郡安食村とよばれ、古言によると下総国の「総」は布(麻)のことを表し、麻の縁の地であったと思われます。
 主祭神の天乃日鷲尊は、その子孫代々麻植の神として神功があり、麻に係わりのある当地においても祭神になっております。
 文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、明治二六年頃より大鷲神社と言うようになりました。
 また、江戸時代に春日局の崇敬が非常に厚く、竹千代君が三代将軍となったとき、そのことを祝い、将軍の船の軸先に魔除けとして飾ってあった金の大鷲を将軍より願い受けて奉納したといわれ、現在、宝物として保存され出世開運の神として知られています。

 「安食の酉市」(2015年12月10日・2014年12月1日・2013年12月3日・2012年11月30日・2011年12月5日のブログ参照)は、「出世開運」・「商売繁盛」・「子授祈願」の「守護神」として親しまれている「大鷲神社」で、毎年12月に行われる「酉の市」です。
 「安食の酉市」の「はじまり」ですが、江戸時代頃といわれ、「伝統」ある「お祭り」として、「近隣」の「茨城県」や、「東京都」等、「近県」からも、多くの「人」が集まり、「賑わい」をみせていたそうです。
 「安食の酉市」ですが、例年「大鷲神社」の「例大祭」に合わせ行われており、「安食の酉市」は「関東」で最も遅くに行われる「酉の市」として知られており、上述のように12月「最初」の「酉の市」に、「大鷲神社」周辺で開催されています。
 「安食の酉市」「当日」は、「商売繁盛」、「家内安全」、「学業成就」等を願った「演技開運熊手」が「人気」の「熊手市」等が、「大鷲神社」周辺の「会場」に所狭しと「熊手」が並ぶそうです。

 「安食酉の市」(安食の酉市)ですが、1年の「無事」に感謝し、来る「年の幸」を願う「酉の市」で、今年(2016年)の「安食酉の市」(安食の酉市)の「開催期間」ですが、12月3日(土)から12月5日(月)となっており、「初日」の12月3日(土)は「一の酉」、「中日」の12月4日(日)は「二の酉」、「トリ」を飾る12月5日(月)は「三の酉」となっています。
 また「大鷲神社」「例大祭」「期間中」には、「とりまち」と称して「神社」下「広場」を「会場」に、「カラオケ発表会」をはじめとして、「和太鼓」・「民舞踊」・「刃物研ぎ」等の「イベント」が行われ、「露店商」等も出店し、賑わいます。
 「安食酉の市」(安食の酉市)「とりまち」の「タイムスケジュール」、「内容」、「主催団体」は、下記の通りです。

 12月3日(土)〜5日(月)

  8時00分〜19時00分 例大祭(大鷲神社)

 12月3日(土)

  9時55分〜10時00分 開会宣言(酉市実行委員会)

 10時00分〜12時15分 カラオケ発表第1部(酉市カラオケ実行委員会)

 12時15分〜12時45分 歌謡ショー(成田みつる、京一夫&ちづる、武田和子)(順不同)

 12時45分〜13時00分 ドラム君健康体操(ドラム君健康づくり体操サポーター)

 13時00分〜15時30分 カラオケ発表第2部(酉市カラオケ実行委員会)

 12月4日(日)

 11時10分〜11時15分 開会宣言(酉市実行委員会)

 11時15分〜13時30分 民舞踊(栄町舞踏連盟)
           歌謡ショー(王春華)

 13時30分〜13時50分 歌謡ショー(堀カズアキ、水上純)(順不同)

 13時50分〜14時00分 舞踊(門田有真(小学5年生)、大木幸子)

 14時00分〜14時30分 ドラム君健康体操(ドラム君健康づくり体操サポーター)

 14時30分〜15時00分 ザ演歌(酉市カラオケ実行委員会)

 15時00分〜15時30分 大道芸(たっきゅうさん)(栄町出身)

 15時30分〜16時00分 和太鼓演奏(下総栄太鼓)

 10時00分〜16時00分 刃物研ぎ(栄町建設協同組合)

 10時15分〜12時30分 魂生大明神曳き廻し(酉市実行委員会)

 ※主催者の都合により内容・時間に変更がある場合があります。

 なお「安食酉の市」(安食の酉市)に催される「歌謡ショー」に出演した「歌手」は、「ヒット曲」が生まれるという「伝説」もあるそうです。
 「安食酉の市」(安食の酉市)の「会場」「大鷲神社」には、下記の「看板」が建てられています。

 琴を奏する彫刻の不思議

 毎年、十二月に行われる酉の市で大鷲神社境内の特設舞台で唄った当時無名に近い歌手達が翌年のNHK紅白歌合戦に出場を果すという不思議が続きました。
 それは音楽を習う姿のこの彫刻の発する神秘なエネルギーなのだろうか?
 又張り出した縁回りの彫刻には筆を持って採点を付けるような神様の姿も見える。
 ちなみに、近年酉市舞台で唄った歌手は瀬川暎子を始め、三笠優子、松原のぶえ、鳥羽一郎、冠二郎等で、今は日本を代表する歌手として活躍されております。

 大鷲神社社務所

 ※看板・内容を文中まま表記。

 「由緒」ある「大鷲神社」下「広場」で開催される「関東一」遅い、1年の「無事」に感謝し、来(キタ)る「年の幸」を願う「酉の市」「安食酉の市」(安食の酉市)。
 この機会に「栄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「安食酉の市」(安食の酉市)詳細

 開催期間 12月3日(土)〜5日(月)

 開催時間 10時〜16時

 開催会場 大鷲神社 印旛郡栄町安食3620-1

 問合わせ 安食酉の市実行委員会 0476-33-7713

 備考
 「安食酉の市」(安食の酉市)が開催される「栄町」では、「クリスマスシーズン」から「バレンタインデー」・「ホワイトデー」にかけ、「JR安食駅」を中心に「鮮やか」に彩られる「イルミネーション」が点灯する「安食駅前シーズンイルミネーション」が行われています。
 「安食駅前シーズンイルミネーション」ですが、今年(2016年)は昨年(2015年)より「会場」をさらに拡大して開催されているそうで、「幻想的」な「光」に包まれた「JR安食駅」「駅前」で楽しむことができるそうです。
 「安食駅前シーズンイルミネーション」「詳細」は、下記の通りです。

  「安食駅前シーズンイルミネーション」詳細

 開催期間 12月2日(金)〜2017年(平成28年)3月14日(火)

 点灯時間 17時00分〜0時30分

 開催会場 JR成田線JR安食駅周辺

 主催   栄町

 協賛   成田国際空港株式会社(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)

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| 地域情報::成田 | 10:36 AM |
「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で12月2日(金)〜2017年(平成29年)1月9日(祝・月)の期間開催されます「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られ、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「3代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」は、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「JR鹿島神宮駅(カシマジングウエキ)」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「宮下」4丁目にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「鹿島線」の「駅」です。
 「JR鹿島神宮駅」は、「鹿島線」の「途中駅」ですが、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」の間は、「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」からの「乗り入れ列車」が運行されるのみで、「鹿島線」の「旅客列車」は運行されていないそうです。
 これは「両社」の「接続駅」である「鹿島サッカースタジアム駅」が「臨時駅」であり、「サッカー試合開催日」等「特定の日」を除き「列車」が通過するためなのだそうです。
 そのため、「JR鹿島神宮駅」が「大洗鹿島線」(水戸)「方面」と、「JR線」「香取・佐原方面」の「運転系統上」の「区切り」の「駅」であり、正式な「大洗鹿島線」「接続駅」となっています。
 しかし、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」間は「JR東日本」の「所轄区間」であるため、「同区間」の「運賃計算」は「JR」のものとなるそうです。

 また、「JR鹿島線」から「JR成田線」・「JR総武本線」「経由」で「JR東京駅」へ直通する「特急列車」「あやめ」(2015年(平成27年)3月13日に定期運行は終了しています。)の「始発駅」となっていましたが、「定期列車」の「あやめ」は「JR鹿島神宮駅」から「JR佐原駅」(約20分)間は「各駅」に停車する「普通列車」となり、「特急料金不要」で乗車できましたが、2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「あやめ」は「定期列車」としては廃止され、「佐原」から「特急」となる「普通列車」も消滅しています。

 「快速列車」にも「特急列車」と同じ「経路」で「東京」まで、さらにその先の「JR横須賀線」まで直通する「列車」が存在しましたが、2004年(平成16年)10月16日の「ダイヤ改正」で「下り」1本(エアポート成田から佐倉駅で分離する車両)を除いて消滅しましたが、2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「上り」1本「総武快速線」「直通列車」と「JR佐倉駅」で併合する「東京行き」が再び設定されています。
 「JR鹿島線」の「JR延方駅(ノブカタエキ)」から「JR鹿島神宮駅」間に「北浦橋梁」があり、「北浦橋梁」は「長大」な「橋梁」であり「強風」の「影響」を受けやすく、「JR鹿島線」は、しばしば「速度規制」や、「運転中止」になるそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「歴史」ですが、下記の通りです。

 1970年(昭和45年)8月20日 日本国有鉄道の駅として開業。

 1970年(昭和45年)11月12日 鹿島神宮駅〜北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間貨物線延長開業。

 1978年(昭和53年)7月25日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ開始。

 1983年(昭和58年)12日1日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ廃止。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業。同線から鹿島神宮駅へ乗り入れ開始。

 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

 2006年(平成18年)3月31日 みどりの窓口を閉鎖。

 2006年(平成18年)4月1日 「もしもし券売機Kaeruくん」供用開始。同時に駅員の当直勤務がなくなる。

 2009年(平成21年)3月14日 東京近郊区間に編入される。

 2012年(平成24年)3月5日 「もしもし券売機Kaeruくん」撤去。指定席券売機を供用開始。

 「JR鹿島神宮駅」の「駅構造」ですが、「島式ホーム」1面2線を有する「高架駅」であり、「ホーム」は嵩上げされていないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「直営駅」(早朝夜間駅員不在)であり、「管理駅」として「JR潮来駅」・「JR延方駅」・「JR鹿島サッカースタジアム駅」を管理しているそうです。
 「JR鹿島神宮駅」には、「自動券売機」・「指定席券売機」が設置されており、「JR鹿島神宮駅」「構内」に「KIOSK(キヨスク)」等はないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「のりば」ですが、「1番線」は「大洗鹿島線」「上り」「(臨)鹿島サッカースタジアム・新鉾田・大洗・水戸方面」、「2番線」は「JR鹿島線」「上り」「潮来・佐原・成田・千葉・東京方面」となっており、「通過電車」は「1番線」を通過するそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「1番線」を「上下本線」とした「一線スルー構造」であり、「1・2番線」いずれも「両方面」からの「到着」及び「出発」が可能です。
 「JR鹿島神宮駅」「ホーム」は、11両編成までに対応しており、「貨物列車」「行き違い」のため、「線路有効長」はかなり長いそうです。

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」(2012年12月5日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」で毎年12月に行われている「恒例行事」で、「JR鹿島神宮駅」前で「イルミネーション」を実施し、約13万球の「光のアート」が楽しめる「イルミネーションイベント」です。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」では、「鹿島臨海鉄道」・「鹿島神宮駅」「駅前」の「ロータリー」や、「鹿島神宮」へと通じる「レンガ通り」を中心に「イルミネーション」で「ライトアップ」され、実際の「街路樹」を利用した「高さ」15m、約8000球で、電飾する「ツリー」が「メイン」となっており、他に「サブツリー」、「ミニツリー」が点在しています。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」ですが、

 「市の玄関口を賑やかにしよう」

 と、「鹿嶋市」と、「鹿嶋市民」、「企業」等、約15団体が協力し合い、「電飾」の「デザイン」から「取り付け」までを行っている「手作りアート」で、「関係各位」の「皆さん」で1日ががりで取り付けたあと、「KASHIMA光のアート・ギャラリー事務局」が、1週間ほどかけて、手直しし、完成させているそうです。
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー」では、「メインツリー」が毎年「色」を変えており、その年々で「色」が変わるそうです。

 今年(2016年)も「鹿嶋の冬の風物詩」「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」が「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)を「会場」に開催され、12月2日(金)から2017年(平成29年)1月9日(祝・月)までの期間、17時00分から23時00分まで点灯するそうです。
 (大晦日から元旦は夜通しライトアップ)
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」は、例年通り「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」を中心に「ライトアップ」され、「駅前ロータリー」の「サブツリー」を中心とした「イルミネーション」が施され、また「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)も「イルミネーション」で彩られます。

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」では、「特別イベント」として、「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」、「年越しライトアップ」が行われます。

 「点灯式」&「オープニングコンサート」ですが、12月2日(金)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」で、17時30分からの「点灯式」と、その後に「オープニングコンサート」が行われます。
 「点灯式」&「オープニングコンサート」では、「冬の夜空」に「ライトアップ」の「光」と、「子どもたち」の明るい「歌声」が「会場」に広がるそうです。
 「クリスマスコンサート」は、12月22日(木)12時00分から行われる「イベント」です。
 「クリスマスコンサート」は、「地元」「鹿嶋」の「かしま少年少女合唱団」「虹kids(キッズ)」の「皆さん」による「合唱」等の「コンサート」が行われます。
 ちなみに「虹kids」ですが、3歳から「高校生」までの約60人でつくる「地元」「鹿嶋」の「合唱団」で、8年前の「KASHIMA光のアート・ギャラリー」「イベント開始時」から毎年「クリスマスコンサート」に出演されているそうです。
 「年越しライトアップ」ですが、12月31日(土)17時00分から2017年(平成29年)1月1日(祝・日)朝6時00分まで行われる「イベント」です。
 「年越しライトアップ」は、上述のように「大晦日」から「元旦」にかけて開催される「イベント」で、「鹿島神宮」への「初詣」に訪れる「人々」に喜ばれているそうです。

 「鹿嶋の玄関口」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で開催される「恒例」の「イルミネーションイベント」「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」詳細

 開催期間 12月2日(金)〜2017年(平成29年)1月9日(祝・月)

 点灯時間 17時〜23時

 開催会場 JR鹿島神宮駅 駅周辺 鹿島神宮へ向かう坂の両側

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「KASHIMA光のアート・ギャラリー2016」「期間中」に行われる「関連イベント」「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」等の「各イベント時」には「温かい飲物」等の「無料サービス」があり、「鹿嶋市公認マスコットキャラクター」の「ナスカちゃん」や、「塚原卜伝」(2011年11月29日のブログ参照)「全国キャンペーンキャラクター」で、「鹿嶋市観光協会」の「マスコットキャラクター」「ぼくでん」くんも登場するそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:36 AM |
「賀詞祭(ガシサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月1日(木)に開催されます「賀詞祭(ガシサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・11月6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」で、「下総国一宮」です。
 「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソンコウリン)」に先立ち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたことで、「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」の後、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
 本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
 「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」、「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年毎の「例」とされました。
 「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
 また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬、奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」公が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬、寄進し、近世に入って「徳川家康」公が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」公が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」等を造営したそうです。
 「関東」、「東北地方」に「本社」「勧請(カンジョウ)」の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられます。
 「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」が「総出」の「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎の「式年大祭」の「神幸」は「盛大」で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 他にも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で行われます。
 「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2015年11月28日・2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)等、他にも「特殊神事」が多いそうです。
 「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財) 、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。

 「香取神宮」「鳥居」から「香取神宮」「参道」脇は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」等がみられ、「香取神宮」「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」等があり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
 「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
 「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の「折」に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して「実生」の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
 (貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
 「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」「御手植え」の「クロマツ」があるそうで、「香取神宮」「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
 「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
 また、「香取神宮」「社殿」脇には「三本杉」があります。
 「三本杉」ですが、「源頼義」公「参拝」の「折」に、

 「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」

 と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
 (三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し、「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三岐に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があり、その脇の「社叢」に「タケ」が侵入しているそうです。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」等が見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」が「地中」に埋まった「要石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」 はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中にある小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」等も指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「香取神宮」「参道」から見ると「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
 「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
 「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。

 千葉県指定天然記念物

 香取神宮の森

 昭和49年(1974年)3月19日指定

 この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミ等の巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
 また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
 この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シカラシ・シロタモ等の常緑広葉樹が多くみられる。
 草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダ等のシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウラン等の草木類が数多く自生している。
 スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。

 昭和60年(1985年)2月1日

 千葉県教育委員会

 「賀詞祭(ガシサイ)」ですが、「香取神宮」で執り行われる「中祭」で、「大饗祭(タイキョウサイ)」が滞(トドコオリ)りなく催行されたことを「言」祝ぐ「祭事」であり、「賀詞祭」では、「香取神宮」「神前」に「蓬莱台(ホウライダイ)」が設けられるそうです。
 「蓬莱台」ですが、「蓬莱山(ホウライザン)」(中国、古代における想像上の神山で、三神山(蓬莱、方丈、瀛(エイ)州)のひとつ)をかたどって作った「山形」の「台」です。
 「蓬莱台」では、その上に、「松竹梅(ショウチクバイ)」・「鶴亀」・「翁(オキナ)」と、「嫗(オウナ)」等を取り合わせて飾り、「祝儀」に用いるものです。
 「蓬莱台」には、「鮒(フナ)」や、「柚子(ユズ)」が供えられているそうです。
 「祭事」(賀詞祭)には、古くは「雁(カリ)」と、「鯉(コイ)」が供えられていたことから、「雁鯉祭り」ともいわれているそうです。
 (「賀詞祭」は「よごとまつり」とも呼ばれています。)
 現在、「賀詞祭」では、「鴨」をお供えするそうですが、「腹」を上に向けて「うたた寝」をした「姿」の珍しい「お供え」が供えられる(捧げられる)そうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「師走(シワス)」の「祭事」「賀詞祭(ガシサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「賀詞祭(ガシサイ)」詳細

 開催日時 12月1日(木) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3214

 備考
 「香取神宮」では、「師走」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」(2015年12月5日のブログ参照)が執り行われており、3つの「祭典」を纏(マト)めて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3229 |
| 地域情報::香取 | 05:34 PM |
「スターライト☆ファンタジー2016」「スターライト☆フェスタ」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「旭市海上公民館」及び「海上支所」前で12月4日(日)〜2017年(平成29年)1月14日(土)の期間開催されます「スターライト☆ファンタジー2016」と、12月18日(日)に開催されます「スターライト☆フェスタ」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 現在の「旭市」の「人口」は、67281人(男・33070人、女・34211人、世帯数・25781世帯)です。
 「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に対等合併し、新「旭市」として「スタート」しています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の全域に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
 「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や、「サーフイン」(サーフスポット)で賑わっています。
 なお「旭市」の「九十九里浜」は、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。

 「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の「主」な「名所」・「旧跡」「レジャースポット」(観光スポット)は、下記の通りです。

 大原幽学遺跡(国の史跡)(2012年11月15日・11月13日・2011年2月6日のブログ参照)

 玉崎神社(本殿、拝殿及び狛犬は「千葉県指定有形文化財」)(2012年1月1日のブログ参照)

 熊野神社(神事「熊野神社の神楽」は千葉県指定無形民俗文化財)(2013年3月16日・2012年3月17日のブログ参照)

 鎌数伊勢大神宮(神事「鎌数の神楽」は千葉県指定無形民俗文化財)(2013年3月25日のブログ参照)

 八坂神社(「太田のエンヤーホー」は千葉県指定無形民俗文化財)(2012年7月23日・2011年7月24日のブログ参照)

 刑部岬(ギョウブミサキ)(2012年5月26日のブログ参照)

 飯岡灯台

 飯岡刑部岬展望館〜光と風〜(2011年1月27日のブログ参照)

 屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)(2016年3月2日・2012年5月20日のブログ参照)

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)

 飯岡風車群

 矢指ヶ浦温泉

 矢指ヶ浦海水浴場(2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海岸・海水浴場(2012年7月17日のブログ)

 長禅寺(2011年5月18日のブログ参照)

 龍福寺と龍福寺の森(2011年5月5日のブログ参照)

 岩井不動堂・キャンプ場

 東漸寺(トウゼンジ)(2012年2月28日のブログ参照)

 水神社永代大御神楽(千葉県指定無形民俗文化財)(2013年1月28日・2012年2月3日のブログ参照)

 「旭市」の主だった「祭事」・「催事」・「イベント」は、下記の通りです。

 西宮神社例大祭「とがらしごぼう」(2011年1月17日のブログ参照)

 旭市飯岡しおさいマラソン大会(2012年2月3日のブログ参照)

 袋の溜池春のヘラブナ釣り大会(2011年4月15日のブログ参照)

 旭市袋公園桜まつり(2012年3月29日のブログ参照)

 長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会(2012年5月4日のブログ参照)

 飯岡海浜花火大会(2010年7月23日のブログ参照)

 旭市いいおかYOU・遊フェスティバル(2010年7月24日のブログ参照)

 旭砂の彫刻美術展(2012年7月16日のブログ参照)

 旭市七夕市民まつり(2010年8月4日のブログ参照)

 袋の溜池秋のヘラブナ釣り大会(2010年10月22日のブログ参照)

 黒虎相撲(2011年11月1日のブログ参照)

 旭市ふるさとまつり・ひかた(2011年11月3日のブログ参照)

 いきいき旭・産業まつり(2011年11月3日のブログ参照)

 海上産業まつり(2010年11月21日のブログ参照)

 「旭市」は通年として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、冬暖かく、夏涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の肥沃(ヒヨク)な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」などの「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」などの「花卉栽培」などが行われています。
 「旭市」の「基幹産業」のひとつ「農業」ですが、「旧・海上町」では、「大豆」や「マッシュルーム」、「花卉栽培」など盛んに営まれており、「生産者」の「新規事業」への「取り組み意欲」も旺盛で、「まち」として「都市と農村の交流」を「目的」にした「食料と農業に関する基本協定調印式」なども行われ、「旧・干潟町」は、「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)を干拓した「干潟八万石」を「中心」に「県内有数」の「穀倉地帯」となっており、「米」や「蔬菜(ソサイ)」、「ミニトマト」、「ヤマトイモ」、「落花生」などを産し、「養鶏」、「養豚」などの「畜産加工品」も盛んに営まれています。
 特に「旧・干潟町」の「萬歳地区」は、「干潟八万石」が育んだ、「安心」・「安全」な「ブランド米」「萬歳米」の「産地」として知られており、「萬歳」の「由来」ですが、「千歳」、「萬歳」いつまでも栄えるように、との「願い」を込めて名付けられています。
 「旧・飯岡町」では、「メロン」の「飯岡貴味(イイオカタカミ)メロン」、「いちご」の「女峰」、「さちのか」、「とちおとめ」、「トマト」の「桃太郎」等が盛んに営まれており、「旧・旭市」では、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)、「キュウリ」、「トマト」、「梨」、「花卉栽培」が盛んに営まれており、「関東有数」の「畜産加工品」の「中心地」として知られています。
 「旧・飯岡町」、「旧・旭市」の「いちご」は、「ハチミツをかけたような甘さ」と表現され、「夜冷育苗」や「山上げ育苗」などの「促成栽培」によって11月から「市場」に出回り、「収穫」の「ピーク」をずらしながら、「初夏」まで常に高い「品質」を保っており、現在でも「旭市内」で「いちご狩り」が楽しめ、「直売所」もあります。
 「旧・旭市」「農産物」の中でも特に「キュウリ」は、「国指定産地」であり、「県内1位」の「出荷量」を誇り、代表する「野菜」のひとつで、「越冬キュウリ」や「春キュウリ」は特に「有名」で、「路地物」が出回らない11月〜6月の「時期」にみずみずしい「キュウリ」を供給しており、「トマト」も「国指定産地」となっており、「生産額」でも「国内トップクラス」を誇り、「旭市独自」の「ブランド」である「味彩トマト(アジサイトマト)」は、ほどよい「甘味」と爽やかな「酸味」が評判で、7月頃から9月下旬まで収穫されています。

 「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。

 「旭市海上公民館」ですが、「旭市」の「公共施設」で、「旭市海上公民館」の「開館時間」ですが、9時00分から22時00分までとなっています。
 「旭市海上公民館」の「施設概要」は、下記の通りです。

 ホール
 図書室
 和室
 展示観覧室
 第1研修室
 第2研修室
 第3研修室
 第4研修室
 茶室
 多目的ホール
 陶芸室
 ラポート24

 「スターライト☆ファンタジー」(2015年12月12日・2014年12月6日・2013年12月1日・2012年11月29日のブログ参照)は、「旭市商工会」「青年部」が主催し、「スターライト委員会」が担当している「事業」で、「旭市」の「年の瀬」の「風物詩」として定着している「イルミネーションイベント」です。
 「スターライト☆ファンタジー」ですが、今年(2016年)で「16回目」を数える「イルミネーションイベント」となっています。

 「スターライト☆ファンタジー2016」ですが、12月4日(日)から2017年(平成29年)1月14日(土)までの「期間」開催される「イルミネーションイベント」で、「スターライト☆ファンタジー2016」「点灯時間」ですが、17時00分から21時00分までとなっています。
 「スターライト☆ファンタジー2016」は、上述の「旭市海上公民館」前「広場」を「メイン会場」として「イルミネーション」により装飾された「光のオブジェ」が「冬の街」を「幻想的」に演出した「イルミネーションイベント」です。
 「スターライト☆ファンタジー2016」の「メイン」の「イルミネーション」ですが、色鮮やかな「電飾」に彩られた「高さ」12mの「メインツリー」が中心となっています。
 「スターライト☆ファンタジー2016」「期間中」は、毎日17時00分になると「会場」である「旭市海上公民館」と、その周辺に飾り付けられた「光のオブジェ」が点灯するそうです。

 「スターライト☆ファンタジー2016」「開催期間中」には、「イベント」が行われており、「イベント日」である12月18日(日)に「旭市海上公民館」前「会場」を「メイン会場」として、「スターライト☆フェスタ」が開催され、「豪華景品」が当たる「お楽しみ抽選会」や、「各種催し」等が行われます。
 「スターライト☆フェスタ」の「内容」は、下記の通りです。

 スターライト☆フェスタの主なイベント

 点灯式

 某有名テーマパークペアチケットが当たる抽選会

 キラキラミニトレインの運行

 地元高校生によるクリスマス生演奏

 小中学生によるキッズダンス等、ステージショー 他

 模擬店など

 なお「スターライト☆フェスタ」「お楽しみ抽選会」の「抽選券」ですが、「高校生」以下の「人」を対象だそうで、「イベント当日」(12月18日(日))14時00分から「抽選会」「受付」となっており、「抽選券」は「先着」1000名となっています。

 「旭市民」が集う「旭市海上公民館」及び「海上支所」前で開催される「光のオブジェ」が「冬の旭」を彩る「イルミネーションイベント」「スターライト☆ファンタジー2016」と、「ミニトレイン」の「運行」や、「抽選会」が行われる「イベント」「スターライト☆フェスタ」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「スターライト☆ファンタジー2016」詳細

 開催期間 12月4日(日)〜2017年(平成29年)1月14日(土)

 点灯時間 17時〜21時

 開催会場 旭市海上公民館前及び海上支所前 旭市高生1

 「スターライト☆フェスタ」詳細

 開催日時 12月18日(日) 15時〜(抽選会受付14時〜)

 開催会場 旭市海上公民館前及び海上支所前 旭市高生1

 問合わせ 旭市商工会 0479-62-1348

 備考
 「スターライト☆ファンタジー2016」ですが、「荒天」の場合は中止となるそうです。
 「スターライト☆フェスタ」も、「荒天」の場合は中止となるそうです。

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| 地域情報::旭 | 10:12 AM |
「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「2階展示ホール」で12月2日(金)〜12月5日(月)に開催されます「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」です。

 「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」近くにあり、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
 「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
 「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
 なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
 また「銚子ポートタワー」1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、「銚子ポートタワー」4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
 なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。

 「水産物卸売センターウォッセ21」は、「銚子市」「川口町」に平成3年(1991年)6月23日にオープンした「銚子市」の「第3セクター」「銚子水産観光株式会社」が9億2千万円をかけて建設した「海産物の販売」や「銚子の特産品」を「紹介」・「販売」をしている「観光商業施設」です。
 「水産物卸売センターウオッセ21」では、オープン当初、15軒の「海産物業者」が出店していたそうで、現在、「水産物卸売センターウオッセ21」には、14店舗の「店」と、「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」に「シーフードレストランうおっせ」が営業しています。
 「水産物卸売センターウオッセ21」ですが、「Aブロック商店街」と「Bブロック商店街」からなり、それぞれの「店ごと」に「逸品」が揃っています。

 「水産物卸売センターウオッセ21」「Aブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 活きな魚や網元 久保甚

 水産加工品 つじの

 無形文化財 銚子ちぢみ (2012年1月11日のブログ参照)

 食事どころ 魚座屋

 海産物全般 ヤマワカ

 練り物・磯揚げ 嘉平屋 (2010年9月4日のブログ参照)

 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Bブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 旬味処 たかね

 キッチンライフ 銚子東洋

 味処 まほろば

 濡れせん・銚子地酒 海風 (2011年12月11日のブログ参照)

 高級干物 一政

 ふるさとの味 しだや

 さかな工房 かねまた水産

 干物工房 あてんぼう

 となっています。

 「水産物卸売センターウオッセ21」の「Aブロック商店街」、「Bブロック商店街」で買った「商品」は「宅急便」で送ることができるので、「クーラーバック」がなくても安心なのだそうです。
 また「水産物卸売センターウオッセ21」「2F」には、上記のように「シーフードレストランうおっせ」があり、「ウオッセ21」の「中庭」には、「中庭休憩所」、「自動販売機コーナー」があります。

 「クリスマス」(英・Christmas)は、「イエス・キリスト」の「降誕」(誕生)を祝う「ミサ」(降誕を記念する日)です。
 「クリスマス」ですが、12月25日に祝われますが、「正教会」のうち「ユリウス暦」を使用するものは、「グレクリオ暦」の1月7日に該当する「日」に「クリスマス」を祝うそうです。
 「キリスト教」に先立つ「ユダヤ教」の「暦」、「ローマ帝国」の「暦」、およびこれらを引き継いだ「教会暦」では「日没」を「一日の境目」としているので、「クリスマス・イウ゛」と呼ばれる12月24日「夕刻」から「朝」までも、「教会暦」上は「クリスマス」と同じ日に数えられ、「教会」では「降誕祭」といった表記もあるそうです。
 なお、「キリスト教」で最も「重要」な「ミサ」と位置づけられるのは「クリスマス」ではなく、「復活祭」なのだそうです。

 「クリスマス」の「概要」ですが、「新約聖書」には、「イエス・キリスト」の「誕生日」に特定する「記述」はないそうです。

 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

 「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。
 わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」

 〜マタイによる福音書第2章第1・2節(口語訳聖書)〜

 「恐れるな。
 見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
 きょうダビデの町に、あなたがたのために求主がお生まれになった。
 このかたこそ、主なるイエス・キリストである。」

 〜ルカによる福音書第2章第10・11節(口語訳聖書)〜

 「キリスト教」においても「クリスマス」は「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、「イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけではありません。
 「イエス・キリスト」が降誕した「日」がいつにあたるのかについては、古代から「キリスト教」内でも様々な「説」がありました。
 (例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)
 「降誕祭」とは別に、「西方教会」では1月6日に「キリスト」の「公現」を祝い(公現祭)、12月25日の「生誕祭」は、遅くとも345年には「西方教会」で始まったそうで、「ミトラ教」の「冬至の祭」を転用したものではないかといわれています。
 「キリスト教圏」では、「クリスマス」には主に「家族」と過ごし、「クリスマスツリー」(常緑樹で、一般にモミの木)の下に「プレゼント」を置き、「プレゼント」を贈る「気持ち」である「愛の日」でもあるそうです。

 「クリスマスツリー」の「習慣」は、「中世ドイツ」の「神秘劇」で「アダムとイウ゛の物語」を演じた際に使用された「樹木」に由来しているそうです。
 また「クリスマスツリー」に「飾りつけ」や、「イルミネーション」を施す「風習」は、19世紀の「アメリカ合衆国」で始まったそうです。
 「サンタクロース」ですが、「キリスト教」の「聖人」である「奇蹟者」「聖ニコライ」(ニコラウス)の「伝説」が「起源」とされています。
 「正教会」では、「正式」な「フルネーム」としては

 「主神我が救世主イイススハリストスの降誕祭」

 として祝われる(イイスス・ハリストスはイエス・キリストのギリシャ語読み)そうです。
 「エルサレム総主教庁」、「ロシア正教会」、「グルジア正教会」と、「非カルケドン派教会」である「コプト正教会」は「グレゴリウス暦」1月7日(ユリウス暦の12月25日に当たる)に「降誕祭」を祝いますが、「ギリシャ正教会」、「ブルガリア正教会」等では「グレゴリウス暦」の12月25日に執り行い、「正教会」では、「降誕祭」と、「神現祭」(主の洗礼祭・降誕祭の12日後)とは「奉神礼」として「一連」のものであり、「構造」は同じです。
 「降誕祭」の「祭前期」には「聖列祖の主日」で「原祖アダム」以来の「キリスト」の「肉」に縁る「先祖」を、「聖世祖の主日」では「神」の「祖父母」「イオアキム」と、「アンナ」ら「歴代」の「義者」を祭ります。

 この度(タビ)、「銚子ポートタワー」では、「銚子市」「愛宕町」の「愛宕絵画教室」に通う「生徒」さんたちの「作品展」「Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」を開催するそうです。
 「Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」は、「銚子ポートタワー」「2階展示ホール」を「会場」に開催されている「作品展」で、今年(2016年)で「17回目」を数えるそうです。
 「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」ですが、12月2日から5日(月)まで「銚子ポートタワー」「2階展示ホール」を「会場」に開催され、「開催時間」ですが、10時00分から17時00分までとなっています。
 「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」の「内容」(作品)ですが、「油彩画」、「水彩画」をはじめ「彫刻」など「バラエティ」に富んだ「内容」(作品)となっています。
 また「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」では、「子供たち」が描いたかわいい「クリスマスポスター」も併せて展示されるそうです。
 なお「銚子ポートタワー」「2階展示ホール」は、「入場無料」となっています。

 「銚子」の「人気観光スポット」「銚子ポートタワー」「2階展示ホール」で開催される「作品展」「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」詳細

 開催期間 12月2日(金)〜12月5日(月)

 開催時間 10時〜17時

 開催会場 銚子ポートタワー2階展示ホール 銚子市川口町2-6385-267

 入館料  大人380円 小人200円 65歳以上330円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「第17回Comet展&子供たちのクリスマスポスター展」ですが、「最終日」の「閉会時間」は15時00分までとなっていますので、ご注意下さい。

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| 地域情報::銚子 | 05:19 PM |
「山倉の鮭祭り」「山倉大神」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で12月4日(日)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 「香取市」の「沿革」ですが、1875年(明治8年)「香取市域」が「千葉県」に属するようになり、1889年(明治22年)の「町村施行」により、「佐原地区」には「佐原町」等の9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」等5町村、「山田地区」には「府馬村」等3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は1951年(昭和26年)から1955年(昭和30年)にかけての「市町村合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の1924年(大正13年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は、「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」ですが、「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する(鎮座する)「茨城県」「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「山倉大神(ヤマクラダイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「山倉大神」の「社格」ですが、「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオノオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「創建」ですが、弘仁2年(811年)の創建で、「山倉大神」の「由緒」ですが、「悪霊退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「山倉大神」は「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現・本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)となっています。
 「山倉大神」「境内」には、「本殿」の他に「神楽殿」、「御輿殿」等があるそうです。
 「山倉大神」「本殿」ですが、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。

 「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「山倉山観福寺」に遷座し、遷座されたおり「地名」から1871年(明治3年)に「山倉大神」と改め、上記のように「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。

 「山倉大神」には、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」が催行されています。
 「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯(ハツウ)」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
 その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(ソジョウ)してきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉大神」では、毎年12月、上述のように「栗山川」に回帰してきた「鮭」を供える「祭礼」「山倉の鮭祭り」が行われます。
 この「初卯祭」、「山倉の鮭祭り」は、元々「霜月(シモツキ)」の「初め」の「卯の日」に行われていましたが、「旧暦廃止」以後に12月7日と定められ、「山倉山観福寺」では、12月7日に「山倉の鮭祭り」が、「山倉大神」では、現行通り「初卯の日」に催行されています。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」の「氏子」11組のうち2組が交代で、「当番」を務め、「総行司」や、「猿田彦」、「魚類勝手」といった様々な「役」で、100人近くが参加するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の「前日」(宵宮)では、「魚類勝手」の5人が「鮭の護符」を作るそうです。
 「鮭の護符」ですが、「塩漬け」にした「鮭」の「切り身」と、「黒焼き」にした「鮭」を「粉末」にしたもので、「鮭の護符」は、特に「風邪」に「効果」があるとされ、「山倉の鮭祭り」の「当日」は「護符」を求める「参詣客」で、「山倉大神」「境内」は賑わうそうです。
 「山倉の鮭祭り」「当日」ですが、まず「烏帽子姿(エボシスガタ)」の「献幣使(ケンペイシ)」や、「鮭」をささげ持つ「猿田彦」、「唐櫃」を担いだ「行列」が組まれ、「額殿」や、「拝殿」で「神事」を行うそうです。
 「山倉の鮭祭り」が、終了すると「昼頃」からは「直会(ナオライ)」(宴)がはじまり、「民謡」や、「踊り」といった「出し物」もあり、「午後」は「神輿」の「巡行」が行われ、「神輿の巡行」では、「白」の「狩人」を着た「白丁(ハクチョウ)たち」が、

 「キッタサァーキッタサ」

 の「かけ声」とともに、「露店」が立ち並ぶ「山倉大神」前の「坂道」の「通り」を、「山倉山観福寺」の前まで下り、向かいの「吉野屋旅館」を「御旅所」として「祭事」を執り行うそうです。
 現在は「車道」となっている「通り」も、昔は「山倉大神」への細い「参道」に過ぎず、その「脇」を流れてきた「栗山川」の「支流」まで「鮭」が昇ってきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「古社」「山倉大神」で催行される「古式」ゆかしい「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉大神」詳細

 開催日時 12月4日(日) 11時〜

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 山倉大神 0478-79-2706

 備考
 「山倉大神」で催行される「山倉の鮭祭り」ですが、2005年(平成17年)3月29日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 戦前の「山倉の鮭祭り」「初卯祭」は、「関東一円」に組織された「山倉講」の「参詣」で「興隆」を極めていたそうで、「山倉大神」に残る「奉納額」や、「絵馬」等は「東京」や、「横浜」の「団体」からのものが多く見られ、その「名残」をとどめています。

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| 地域情報::香取 | 10:11 AM |
「大饗祭(タイキョウサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で11月30日(水)に開催されます「大饗祭(タイキョウサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神宮」です。
 「香取神宮」ですが、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に拠を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々創建したと伝えられています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建され、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として、「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年()には「官弊大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官弊大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇紀元十八年始めて宮柱を此の地に建て、爾来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 爾来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年十一月常陸及び本州諸要津の海夫に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅野長政、木村重茲をしと制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附し神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く之を新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、異類退散の祈祷を行はしめ、爾後屡祈祷の綸旨あり、白銀及び御米を寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寶式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官弊大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陸陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼報告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間に在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寶も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年国寶に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之に區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、返田神社、本郡奮返田に在り
 一、大戸神社、本郡大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、膽男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。

 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竈・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭等の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陣御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て遷宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風に存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。

 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」・「香取」・「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」に指定されている「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」等があり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」公が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、目にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」(扁額)は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「水戸光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの「新宝類」が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」が鬱蒼(ウッソウ)と茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「大饗祭(タイキョウサイ)」は、「香取神宮」「御神前」にて「新穀」を献じて、「五穀豊穣(ゴコクホウジョウ)」を感謝する「大祭」です。
 「大饗祭」は、「香取神宮」の「御祭神」である「経津主大神」が、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神」と共に「国土の平定」をした際、「功績」のあった「神々」の「労」を労(ネギラ)って「宴」を開いたという「故事」により斎行されるそうです。
 「大饗祭」では、「お茶」や、「お花」の「奉納行事」や、「巫女(ミコ)」による「悠久の舞」が奉納されます。
 「大饗祭」は「香取神宮」「独特」のもので、「香取神宮」「御神前」に供する「神饌(シンセン)」が大変珍しいといわれており、多くの「研究家」や、「カメラマン」が「取材」・「見学」に訪れることで知られています。

 「香取神宮」「大饗祭」は、「旧暦」の10月、「神無月」の「最終日」に、「出雲の国」での「会合」を終えた「東国三十三国」の「神々」が、「留守」を守っていた「香取神宮」「御祭神」「経津主大神」のもとへ「報告」に立ち寄るそうです。
 (「大饗祭」には、「諸説」あり、「神無月」に「出雲大社」で「神様」の「総会」があり帰ってきた「神様」の「長旅」を「ごちそう」で「おもてなし」をすることからはじまったともいわれています。)
 「香取神宮」では「神々」を迎えるための「神饌」(食饌)と呼ばれる「特別」な「食べ物」が、「神官たち」の「手」によって準備されます。
 あらぶる「神々」のために用意される「ご馳走」(神饌)ですが、「鴨羽盛」(雌雄2羽の鴨が羽ばたくような姿で供されます)、「鳥羽盛」、「盃」、「箸」、「海菜」、「餅」、「柚子」、「鮒」、「腹子」、「鱠(ナマス)」、「干魚」、「撰切」、「塩水」、「巻行器(マキホカイ)」、「酒」等38台あり、「巻行器」は「巨大」な「おにぎり」のようなものなのだそうで、「高さ」は1mはあろうかというものなのだそうです。
 「大饗祭」の「豪快」な「料理」の数々はあつまる「神々」の「豪快さ」を物語っているようです。

 「晩秋」、「初冬」に行われる「大饗祭」は、上記のように「東国三十三国の神々」を招いての「饗応の祭り」で、「香取神宮」ならではの「特殊神饌」が用意されます。
 「大饗祭」では、「水郷特産」の「真薦(マコモ)」で組んだ「巻行器」と呼ぶ「工夫」を凝らした「独特」の「容器」に「飯」を盛ります。
 また「水郷」に群れる「鴨」を捕らえ、「雌雄一対」の「鴨」をさばき、「内臓」を取り出し、再び「羽根」を広げたように三方に飾りあげた「羽盛」、「鴨の内臓」や、「鮭」、「フカの切り身」を組み合わせ、三方の上に盛りつけた「鮭」の「鳥羽盛」等が、「香取神宮」「神饌殿」で準備されます。

 「大饗祭」では、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「水運」で栄えた「詩情」豊かな「佐原の町並み」が「夕暮れ」に沈む頃、「徳川綱吉」公が1700年(元禄13年)に再建した「香取神宮」「本殿」前「参道」に「篝火(カガリビ)」が焚かれ、「香取神宮」「参道」は「荘厳(ソウゴン)」な「雰囲気」になるそうです。
 その後、「大饗祭」では、「笛」、「太鼓」の「楽」が始まり、「神官たち」が「香取神宮」「参道」に用意された「所定の位置」につき、「神饌」が「神官たち」の「手」から「手」へと受け渡され、「香取神宮」「神饌殿」から「香取神宮」「拝殿」の「祭壇」に飾られます。
 そして「祭衣」を着た「子どもたち」が「楽の音」に誘われるように「優雅」に「大和舞」を踊り、「厳粛」にして「素朴」な「神事」が終わると、「巻行器」の「飯」は「無病息災(ムビョウソクサイ)」を祈る「参拝者」に下げられるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で執り行われる「幻想的」で「香取神宮」ならではの「神事」「大饗祭(タイキョウサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大饗祭(タイキョウサイ)」詳細

 開催日時 11月30日(水) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で執り行われる「神事」「大饗祭」の「起源」ですが、はっきりとわからないそうですが、至徳4年(1387年)2月、応永10年(1403年)正月に執行した「記録」があるそうです。

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| 地域情報::香取 | 10:34 AM |

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