本日ご案内するのは、となりまち「旭市海上」「雷神社(らいじんじゃ)」です。
昨年4月10日(土)、11日(日)、12日(月)に行われました「式年三社銚子大神幸祭」(「第54回式年銚子大神幸祭」)。
「式年三社銚子大神幸祭」は、「堀河天皇」の康和4年(1102年)、「銚子高神」の「高見の浦」一帯で「大津波」が起き、大規模な「東国の天変地異」の模様が「海神」の怒りとなって遠く「京都」まで「恐慌」を伝えていたそうです。
「京都朝廷」は、この災害を鎮まるために勅命を発し、「銚子」への「御神幸祭」がこの年に初めて斎行したそうです。
以来、9回までは毎年執り行われ、10回目以降の以後900年の間は20年周期で「御神幸」が執り行われてきました。
「式年三社銚子大神幸祭」は、古式豊かな行列となって「銚子街道」を一路「外川」に向かいます。
「銚子市内」には18ヵ所の「関所」も設けられ「全国屈指」の「大神幸祭」が執り行われました。
ハイライトは、4月11日(日)、「銚子外川浦」の「お浜降り」(船による「海上渡御」と「御潮汲み」の祭典)で、大勢の観衆の中行われました。
「雷神社」は、「御神幸祭」の「三社」(「雷神社」、「豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)」、「東大社(とうだいしゃ)」(4月24日のブログ参照))のひとつで、「三社」ともに創建は「景行天皇」に由緒をもつ共通性を持っていて、このような「複数社」の「神社」による「式年御神幸祭」は、全国的にも珍しいそうです。
「雷神社」は、「旧郷社」・「海上郡十三郷総鎮守」で、御祭神は「天穂日命(あめのほひのみこと)」「別雷命(わけいかづちのみこと)」(「玉依姫命」の子供)を合祀しています。
「御祭神」のうち、「天穂日命」は「出雲」の「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」の「御子神」であり、その御子「建日良鳥命(たけひらとりのみこと)」の曽孫にあたる「久都伎直(くずきのあたえ)」が古代下「海上地域」を統治する「国造」になった際に「祖先神」であった「天穂日命」を「東国鎮護」として祭ったものだそうです。
「別雷命」は、793年に「京都賀茂別雷神社」(上賀茂神社)より勧請(御分霊を迎え)したもので、時の「桓武天皇」より「雷大神」の称号を賜っています。
「雷神社」の伝承ですが、今から1900余年前の西暦123年に「景行天皇」が皇子「日本武尊」の「東国征討」の跡を巡幸し、「椿の海」(香取の海)(4月17日のブログ参照)の東端に立ち「東国鎮護」の一社を創建した事に始まるといわれています。
また「式年三社銚子大神幸祭」の三社(「雷神社」「豊玉姫神社」「東大社」)は「姉妹親子神社」だそうです。
「雷神社」周辺は「要害山」といわれ、「見広城址」に隣接し、戦国期には「嶋田」氏が居城していたそうです。
また「氏子地域」は古代には「海上郡干潟四十六郷」の時代を経て、「江戸期」以降は「海上郡十三郷」の「総鎮守」。
ちなみに「海上郡十三郷」とは、「見広」、「大間手」、「倉橋」、「蛇園」、「清滝」、「岩井」、「幾世」、「松ヶ谷」、「長尾」、「高生」、「後草」(広原を含む)、「琴田」、「江ヶ崎」(いずれも旭市を含む)のことを指します。
「雷神社」の現在の社殿は明治43年造。
「雷神社」社殿は、平安時代の炎上や、隣接していた「見広城」落城時の兵火、明治37年の不審火等により、現社殿は当時の氏子の皆さんの誠意により建てられたものなのだそうです。
また地域に親しまれている「雷神社」は、地域によっては「鳴神様」などとも呼ばれています。
「雷神社」の所在地ですが、「JR総武本線」「飯岡駅」から北東2kmの地に鎮座しています。
境内には、古式ゆかしい「木造鳥居」(正面鳥居・第二鳥居)が立ち、「社叢(しゃそう)の杜(もり)」が鬱蒼(うっそう)と茂っている環境で、木漏れ日の古木が立ち並ぶ参道を歩くと、社殿前の空間が一気に広がり、清々しい気配が溢れているそうです。
また境内にある樹齢600年といわれる大樹の下に点在している小さな「祠(ほこら)」を大切に手入れされていて、神社の風格を感じることが出来ます。
「東総三社」のひとつである「海上(うなかみ)」の総鎮守「雷神社」。
古い歴史を感じさせる社に訪れてみてはいかがでしょうか?
「雷神社」詳細
所在地 旭市見広
備考
「雷神社」氏子の「海上町倉橋地区」に伝承されている「倉橋の弥勒三番叟」は、昭和42年3月に「千葉県」の「県指定無形文化財」に指定されています。
この「三番叟」は、「御神幸祭」全体の露払のため、縦に並び舞ながら進んで行くという形態をとっており、これは全国的に珍しいものだそうで、請われて「国立劇場」で舞ったこともあるそうです。
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地域情報::旭 | 11:56 AM |