本日ご案内するのは、近隣市「山武市」「白幡八幡神社」で今週末の9月11日(日)に催行されます「白幡八幡神社講社祭」です。
「白幡八幡神社講社祭」の行われる「八幡神社」は、寛和元年(985年)に大和国城下郡(奈良県磯城郡)僧「妙香上人」がこの地に訪れ、「阿弥陀如来像」を奉納し、「如来寺」(般若院)を創建しました。
そして、鎮守の神として山城国の「岩清水八幡宮」(京都府八幡市の「男山」に鎮座)より「御神影」を勧請し、寺院の隣地に「八幡神社」を建立したのが起こりであるそうです。
「八幡神社」の御祭神は、「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」・「天照大神(あまてらすおおみかみ)」・「天児屋根命(あまのこやねのみこと)」・「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」・「大山昨命(おおやまさくいのみこと)」・「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が祀られ、地元の人々は「白幡八幡」と称しているそうです。
「岩清水八幡宮」は、長久3年(1030年)の「平忠常の乱」を鎮圧するために派遣された「源頼信」が、永承元年(1046年)に「八幡神」を氏神として以来、「源氏」の武将たちの守護神となっています。
治承4年(1180年)に「安房」に逃れた「源頼朝」は、鎌倉に上る途中、この神社に参詣し、白幡と15本の「矢」を奉納して「源氏」の再興と武運長久を祈願したとされています。
「源頼朝」は、のちのすべての戦いに勝利し、文治元年(1185年)にこの神社に「社殿」と「神宝」を寄進し、建久7年(1196年)には「大願成就」の大祭が盛大に行われたと言われています。
また慶長19年(1614年)正月に「徳川家康」は、九十九里方面で「鷹狩り」を行ったとき、この神社が「源氏」と関わりの深いことから、参拝に立ち寄ったといわれ、毎年「東金御殿山」の「根接ぎの竹」を奉納することを約束したという伝承があります。
「八幡神社」の「社殿」ですが、元禄2年(1689年)に全焼したとの記録があり、その後再建されたそうです。
ちなみに現在の「社殿」は、昭和41年(1966年)3月に建立されたそうです。
「八幡神社」の敷地817坪の境内には「本殿」(銅板葺神明造)、「幣殿」(銅板葺)、「拝殿」(銅板葺破風造)、「社務所」(瓦葺平家造)が建ち並んでいます。
「白幡八幡神社講社祭」は、旧暦の9月7日、「八幡宮」の祭礼の「御旗」を結ぶ「御神竹」を「東金」の「御殿山」から「八幡宮」への行事です。
この祭礼(お竹取りの行事)は、「いざりばた」で織られた「御旗」を「御神竹」に結び災難、厄除けとしての「神事」だそうです。
祭礼の服装は上着(保存会ハッピ)、下着(ステテコ)を着用し、当番制により、8〜16人位で行うそうです。
祭礼で用いられる「御旗」を作る「御旗織行事」ですが、特定の資格を持った女性が潔齋し、旧暦の9月1日、6日、8日の3日間、「いさりばた」を使って「社殿」で「御旗」を織り、出来上がった「御旗」は祭礼当日、社前の「竹の台」に、「御殿山」から運ばれた「竹」に吊るして立てられます。
この行事は「源頼朝」が「八幡神社」に「白旗」を献じた「故事」にならっているもので、古来「神」への奉仕者たる「機織女」の伝統が、「源家」の「白旗」に付会したものであるようです。
祭礼で用いられる「いさりばた」ですが、「八幡神社」の「別当職」の「般若院」が元禄2年(1689年)に全焼した直後に制作されたものと推察されており、「杉材」を使い「手斧削り」で作られているそうです。
古来より続く伝統的な地域の催し「白幡八幡神社講社祭」を見に、お出かけしてみてはいかがでしょうか?
「白幡八幡神社講社祭」詳細
開催日時 9月11日(日) 10時〜15時
開催会場 白幡八幡神社 山武市白幡824
「講社祭」演目
「猿田彦命」、「天鈿女命」、「神子舞(稚児舞)」、「三宝荒神」、「種蒔」、「カンカン能(稚児舞)」、「蛭子舞」、「八幡大神」、「稲荷之舞」、「出雲切」
問合わせ 山武市経済環境部農商工・観光課 0475-80-1202
備考
神事「白幡八幡神社講社祭」は、「山武市」の「市指定無形文化財」になっており、それに先立ち行われる「御機織」神事につかわれる「いざりばた」は「千葉県」の「県指定文化財」になっています。
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地域情報::九十九里 | 09:43 AM |