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「九十九里浜と矢指塚」の民話(多古町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「多古町」に伝承されている民話「九十九里浜と矢指塚」の民話です。

 「九十九里浜」は鎌倉時代以前は「玉の浦」と呼ばれており、現在の呼び名「九十九里浜」は「源氏」の「頭領」であった「源頼朝」の由来で名付けられたと言われています。

 「相模」の「石橋山」で「平家」に破れた「源頼朝」は船で「安房」の「勝山」に逃れてきたそうです。
 「源頼朝」は敗走しながらゆかりの兵を募り「房総各地」を巡り、たまたま果てしなく続く海岸線に出ました。
 その際「源頼朝」は「100本の矢」を用意して1里ごとに「矢」を突き刺したそうです。
 「矢」を刺すのは「軍略」として「距離」を測(はか)るためと「神域」を示して「悪霊」を払うためだといわれています。
 6町(1町は約109m)を1里として、1里ごとに「矢」を立てたところ99本に達したので「九十九里浜」と言われるようになったそうです。
 「飯岡町」の北にある「横根村」を起点に「源頼朝」の「矢さし」が始まり99本が「旭市」の「矢指ヶ浦」と呼ばれ残る1本を「多古町」の「次浦」に埋めたそうです。
 最後の1矢が埋められた跡が、「矢指塚」と呼ばれました。

 今回ご紹介する「多古町」で伝えられている「九十九里浜と矢指塚の民話」ですが、以上の通りです。

 「山武市蓮沼地区」には「箭挿(やさし)神社」があり、最後99本目の「矢」を立てた所が「旭市」の「矢指ヶ浦」と呼ばれ、埋められた跡が「矢指塚」と呼ばれています。
 「まん丸や 箭挿(やさし)が浦の 月の的」と「源頼朝」が詠んでいて「九十九里浜」は別名を「矢指浦」とも呼ばれているそうです。

 「源氏」「源頼朝」ゆかりの「九十九里浜と矢指塚の民話」。
 歴史に想いを馳せ「多古町」「九十九里浜」にお出かけください。

 備考
 「銚子市」の「歴史学者」・「和歌森太郎」氏の説によりますと、99本の「矢」を刺したのは「奥州平定」の帰途、「源義家」がここを通り「距離測定」のための「矢さし」をしたとされています。

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| 地域情報::成田 | 09:16 AM |

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