本日ご案内するのは、近隣市「芝山町」の「芝山仁王尊」「観音教寺(かんのんきょうじ)」です。
「芝山仁王尊」「観音教寺」は「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の寺院で、正式名称を「天應山観音教寺福聚院」です。
奈良時代末期、人皇第四十九代「光仁天皇」の宝亀11年(780年)の正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建てせしめたそうです。
天応(天應)元年(781年)勅命により「征東大使」「中納言 藤原継縄」公がこの「布令」の下に当地に寺院を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に甍(いらか)の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられています。
その後、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の影響を受け、「観音教寺」も全山灰土と化したと伝えられています。
やがて江戸時代に入り「徳川幕府」の庇護の下、十万石の格式を持つ「伴頭拝領寺」として「関東天台」の中核となす寺院になったそうです。
特に「火事泥棒除け」「厄除け」の「仁王尊天」として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の「町火消」が纏(まとい)を先頭に競って参詣していたと伝えられています。
現在でも有名な「新門辰五郎」の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日まで連綿として伝えられていることが分かります。
(「観音教寺」「柴山仁王尊」HPの歴史より抜粋)
「観音教寺」の山号は「天応山」、関東有数の古刹。
江戸時代には「成田」の「不動尊」とともに民間の信仰を集めていたようです。
また「観音教寺」の「御本尊」は「十一面観世音菩薩」であり、「新上総国三十三観音霊場第33番(結願)」の寺です。
また「上総国薬師如来霊場28番(結願寺)」、「東国」「花の寺百ヶ寺」(千葉16番)となっています。
「山武郡芝山」に「天台宗」の古刹あり。
「芝山仁王尊」「観音教寺」に拝観してみませんか?
「芝山仁王尊」「観音教寺」詳細
所在地 山武郡芝山町芝山298
問合わせ 0479-77-0004
備考
「芝山仁王尊」「観音教寺」の本堂隣には「芝山はにわ博物館」があります。
「国指定史跡」「殿塚・姫塚」出土の「はにわ」、「県指定文化財」9点を含む「はにわ」等を一括展示しているそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=475 |
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地域情報::成田 | 09:53 AM |