本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「東大社」です。
来月(5月)はじめから開催されます「雲井岬つつじまつり」会場の「雲井岬つつじ公園」のとなりに位置する「東大社」。
「東大社」は「香取郡東庄町」にある「神社」で、「旧社格」は「県社」。
「玉依姫尊(たまよりびめのみこと)」を「主祭神」とし、「鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」を配祀しています。
(「玉依姫尊」は、「綿津見大神(わたつみのおおかみ)」(海神)の子で「豊玉姫」の妹、「鵜葺草葺不合尊」も「豊玉姫」の子であり、「玉依姫尊」の夫。)
「東大社」の由緒ですが「景行天皇」が「東国巡幸」の折に、「春臣命」に命じて一社を造営、「玉依姫尊」を祀って「東海の鎮護」としたことがはじまりであるといいます。
以来「歴代天皇」の崇敬が篤く、康和4年(1102年)に「堀河天皇」より「総社玉子大明神」の称号を受け、享徳3年(1454年)には「後花園天皇」から「勅額」が贈られている。
「歴代天皇」のほか、寿永3年(1184年)「源頼朝」が「御厨一処」を寄進し、「徳川家康」も天正19年(1591年)に神領10石を寄進したそうです。
また「下海上」の「総社」として「東荘」(別称「橘荘」、中世「下総国海上郡」の荘園)の「総氏神」として遠近の信仰が篤く、特に「東氏」は社殿を造営し、あるいは「神領」を奉納するなど代々崇奉したそうです。
応永2年(1395年)に「東左馬助胤家」が社殿を造営、現在の社殿は「本殿」は文政9年(1826年)に、「拝殿」は文政10年(1827年)に再建されたものです。
「東大社」は明治6年(1873年)「郷社」に列し、大正8年(1919年)には「県社」に列しました。
「東大社」の「例祭」は「堀河天皇」「康和4年」、「海上郡高見浦」(現在の「銚子市外川町あたり」)の海上が荒れに荒れ、治まらなかった為、当時「海上郡総社」であった「東宮」に宣旨があり、臨時の祭礼を行ったところ海は治まり陸上は大豊作になったと伝えられ、その日が「4月8日」であることから「例祭」をこの日に行われているそうです。
銚子への「御神幸」は毎年8度行われていましたが、10回目からは20年毎に銚子までの「大神幸」、その間2年毎に利根川河畔の「さくらいの里」まで「小神幸」の制に改められて現在に至っているようです。
「東大社」の一番大きな催事は、満20年ごとに行われている「式年大神幸祭」。
「式年大神幸祭」は「海上町」の「雷神社」、「小見川町」の「豊玉姫神社」と3社合わせて「御神幸」することになっています。
そして、「式年大神幸祭」では、重い「神輿」をそれぞれの地区を引き継ぎながら「銚子市外川町」までの約20キロを行列します。
長い歴史を誇る「東大社」の神社裏の「雲井崎(くもいがさき)」は古くから「神苑」として造園され、「つつじ」と「桜」の名所として名高く、桁沼耕地の彼方に「利根川」、また「太平洋」を望むことが出来るようです。
由緒ある「東庄町」の「県社」「東大社」に訪ねてみてはいかがでしょうか?
「東大社」詳細
所在地 香取郡東庄町宮本434
問合わせ 0478-86-4405
備考
銚子では「大神幸祭」を何回拝んだかを長生きの尺度として「オオジン様」の「オオミユキ」と呼び心待ちにしている方もいるようです。
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地域情報::香取 | 11:26 AM |