本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉山観福寺(かんぷくじ)」で明明後日(しあさって)の12月7日(金)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。
明治8年、「香取市域」は「千葉県」に属するようになり、明治22年の「町村制」の「施行」により、「佐原地区」には「佐原町」などの「9町村」(後に「8町村」)、「小見川地区」には「小見川町」など「5町村」、「山田地区」には「府馬村」など「3村」、そして「栗源地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
その後、「香取市」の前身である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は昭和26年から昭和30年にかけての「合併」により成立し、「栗源町(くりもとまち)」はこれ以前の大正13年には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
そして平成18年3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の「1市3町」が合併して、「香取市」が誕生しました。
「観福寺」は、「香取市」に2つあり、ひとつは、「香取市牧野」(旧「佐原市」)にある「真言宗豊山派」の「寺院」「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)で、もうひとつは、「香取市山倉」(旧「香取郡山田町」)にある「真言宗豊山派」の「寺院」「山倉山観福寺」です。
今回ご案内する「観福寺」は、「香取市山倉」にある「山倉山観福寺」ですので、「観福寺」の「山倉の鮭祭り」にお越しの際にはお気をつけ下さい。
「山倉山観福寺」の「御本尊」は「大六天王」で、明治3年まで「山倉大神」の「別当」を務め、「神仏分離」により「山倉大六天」などと知られていた「大六天王」を祀っていた「山倉大神」から「観福寺」に遷座したそうです。
「山倉山観福寺」は、811年(弘仁2年)「円頓」によって創建され、数年後「弘法大師」「空海」がこの「寺」に入り「修行」したといわれています。
また「山倉山観福寺」は、「関東八十八ヶ所霊場」の「第45番札所」として知られています。
「関東八十八ヶ所霊場」は「一番」の「聖観世音菩薩」を「御本尊」とする「慈眼院」通称「高崎観音」(群馬県高崎市)から始まり、「八十八番」「第聖歓喜天」を「御本尊」とする「歓喜院」通称「妻沼晴天」(埼玉県熊谷市)までの「八十八ヶ所」を指します。
「山倉山観福寺」と「山倉大神」でそれぞれ行われる「初卯祭」は、「鮭」を奉納することから「別名」「鮭祭り」と呼ばれています。
「言い伝え」によると近くの「栗山川」(2月18日のブログ参照)に上がってきた「鮭」を初めて捕らえた「人」が、「鮭」の「頭」に「大の字」があったので、これは「山倉」の「大六天様」への「進献もの」と奉献したことに始まったといわれています。
また、「龍宮」から供せられた「龍宮鮭」ともいわれ、「山倉の鮭祭り」の「鮭」の「由来」には「諸説」があります。
また「山倉山観福寺」に伝わる「伝承」ですが、「お堂」にこもり「断食修行」を続けた「弘法大師」のもとに「竜神」が「鮭」を供え、それを「大師」が「村人」に分け与えると「病」が癒えたと伝えられています。
「山倉の鮭祭り」が近づくと、きまって「鮭」が「栗山川」を遡上してきたため、この地の「人々」は「鮭」を「おしゃけさま」と読んで崇めており、現在でもわずかですが「栗山川」の「鮭」が奉納されるそうです。
「お堂」にこもり「断食修行」を続けた「弘法大師」のもとに「竜神」が「鮭」を供え、それを「大師」が「村人」に分け与えると「病」が癒えたと伝える「伝承」の残る「山倉山観福寺」では、「初卯祭」が行われ、「鮭」を献上する「古式ゆかしい行列」が組まれた厳かに「旧暦」の「霜月」「初卯の日」に「鮭」を奉納します。
「山倉」の「古刹」「山倉山観福寺」で行われる「香取市」「山田地区」に古くから伝わる「伝統行事」「山倉の鮭祭り」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」詳細
開催日 12月7日(金)
開催会場 山倉山観福寺 香取市山倉1934-1
問合わせ 0478-79-2802
備考
「山倉の鮭祭り」の行われる「香取市」「山田地区」では、「鮭」は貴重な「タンパク源」となっていたようで、そのため「鮭」を「メイン」とした「お祭り」が「晩秋」に行われていたようです。
ちなみに「山倉の鮭祭り」ですが、12月の「初卯の日」に決められていた「お祭り」でしたが、「人集め」が「困難」となり、「山倉大神」では「12月の第1日曜日」に変更されましたが、「山倉山観福寺」では、「暦」にならい「初卯の日」に行っているそうです。
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地域情報::香取 | 02:46 PM |