本日二つ目にご案内するのは、近隣市「印西市」「阿夫利(あふり)神社」で明明後日(しあさって)の7月28日(土)に開催されます「阿夫利神社祭礼」「神輿の梯子立て」です。
「印西市」は、「東京都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「成田国際空港」から約15kmに位置し、「西」は「我孫子市」・「柏市」・「白井市」に、「南」は「八千代市」・「佐倉市」・「酒々井町」に、「東」は「成田市」・「栄町」に、「北」は「利根川」を隔てて「茨城県」に接しています。
「印西市」は、「南東部」に「印旛沼」、「北西部」に「手賀沼」、「北部」は「利根川」に囲まれ、「標高」20〜30m程度の平坦な「台地」と、「湖沼」周辺の「低地」により構成されています。
また「台地」と「低地部」の「境」には、「低地部」から「台地」に入り込む「谷津」と呼ばれる「地形」と「斜面緑地」によって、「地域」の「特徴的」な「景観」が形成されています。
「地質」は、「台地」が「洪積層」に属し「関東ローム層」からなっており、「低地部」は「沖積層」に属し一般に肥沃(ひよく)な土地が広がっています。
「阿夫利神社」は、明和2年(1765年)の建立で、「浦部の石尊」(「石尊様」)と呼ばれ「地域の人々」に親しまれています。
「阿夫利神社」の「御祭神」は、「石凝留命(いしこりどめのみこと)」・「日本武尊(やまとたけるのみこと)」・「石裂命(おざくのみこと、いわさくのみこと)」・「根裂命(ねさくのみこと)」を祀っています。
「阿夫利神社」「境内」(1150坪)には、「本殿」(瓦葺)、「幣殿」(瓦葺)、「拝殿」(瓦葺)が建ち並びます。
「伝説」によると、明和元年(1764年)に「銚子」の「海底」より2個の「青石」を引き揚げ、議論の末、「村史」の「神夢」から「当地」に鎮祭されたといわれています。
詳しく紹介しますと「以下」(次)の「伝説」となっています。
「明和元年(1764年)に銚子の海底より二個の青石を引き揚げた。
そのあと、村人に様々なご利益が起きるようになり、この石を村の鎮守とするか、相模の石尊社(大山阿夫利神社)に奉納するか、議論の末、村史の神夢により当地に鎮祭されたそうだ。」
それからこの地では、「石尊信仰」が始まるようになり、「通称」「石尊様」と崇められるようになったそうです。
「阿夫利神社祭礼」は、「祭礼」「神輿の梯子立て」や「浦部の石尊まつり」といわれています。
「阿夫利神社祭礼」では、「神輿」が「浦部の鳥見神社」より「宮内・本郷」を渡御し、「白幡」の「八幡宮」に奉じ、「各地区」を渡御していた「神輿」が「阿夫利神社」に到着します。
「阿夫利神社」境内の長い「石段」(階段)を登り来る「雄姿」と「境内」での「梯子立て」は「阿夫利神社祭礼」の「最大の見せ場」になっています。
登りきるといよいよ「梯子立て」が始まります。
「阿夫利神社」「石段」の上で行われる「神輿の梯子立て」では、「担ぎ棒」(「長さ」約6mの「タテ棒」2本、約2mの「ヨコ棒」2本)の先を「地面」につけ、「神輿」を「梯子」のように立て、「地面」に勢いよく倒します。
「地響き」をたてて「地面」に叩きつけ「諸悪」を払う「まつり」は「夏」の「暑さ」を払う「勇壮な」儀式のようです。
「見物客」の「大歓声」の中、「地響き」をたて何度も何度も「神輿」を「地面」に叩きつけ「悪」を祓います。
「神輿の梯子立て」ですが、今にも「神輿」を壊さんばかりに何度も繰り返すなかで、「担ぎ手」は素早くよけ、「見物人」は「大歓声」をあげます。
ちなみに「神輿の梯子立て」の「神輿」は、「欅(ケヤキ)」の厚い「板」でできているそうです。
また「阿夫利神社祭礼」では、「雅楽殿」において「浦部の雅楽」が奉納されるそうです。
地域で親しまれている「浦部の石尊」「阿夫利神社」で行われる「祭礼」「神輿の梯子立て」。
この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「阿夫利神社祭礼」「神輿の梯子立て」詳細
開催日時 7月28日(土) 21時頃
開催会場 阿夫利神社 印西市高西新田石尊227
問合わせ 印西市経済政策課 0476-42-5111
備考
「阿夫利神社祭礼」で奉納される「浦部の雅楽」は、「千葉県」の「県指定無形文化財」に指定されています。
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地域情報::成田 | 10:14 AM |