本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「多古町」「香取市」「富里市」など「千葉県」「北部一帯」にかかる「台地」「下総台地」です。
「下総台地」は、「千葉県」「北部一帯」(「中部」から「北部」)にかかる「台地」で、一般的には旧「下総国」の「台地」の「部分」を指し、「北総台地」とも呼ばれていますが、正確な「定義」は存在しません。
上記のように「下総台地」はその大部分が「下総国」に入っており、「上総(かずさ)国」の一部が含まれ、「南東」に広がる「上総台地」と合わせて「両総(りょうそう)台地」ともいいますが、「上総」・「下総」両「台地」の「地形面」が同一のため、「広義」の「下総台地」には「上総台地」も含まれているそうです。
「下総台地」の「概要」ですが、「鹿島川」〜「印旛沼」を挟み、「千葉県」「北西部」の「野田市」から「船橋市」にかけての「台地」と、「北東部」の「成田市」や「香取市」を中心とする「台地」とに大別され、「香取市」や「東庄町」などの「北東部」の「利根川」沿いでは50mを越える所もありますが、「標高」は概ね20m〜40mでありながら「起伏」が続く「台地」です。
「下総台地」は「北」に低くなっており、10m〜20mの「崖」をもって「利根川低地」へと落ち込んでいて、「西」は「江戸川」に面しています。
また「下総台地」「東端」は、「九十九里平野」(7月6日のブログ参照)に接し、「九十九里浜」の「海岸線」に並行して30m〜50mの「急崖(きゅうがい)」が「直線状」に続いています。
「第四紀」「洪積世」(「更新世」)に形成された「地形」で、「台地下層」に古い「粘土層」、その上に「浅海堆積物」の「下総層群」(「成田層」)上の「最上部」に「火山灰」からなる「赤土」の「関東ローム層」が3〜6mの厚さで堆積したなだらかで安定した「地層」であり、「南側」の「上総層群」が露出しており、「房総丘陵」とは「地質的」に異なっているそうです。
旧「上総国」である「市原市」や「木更津市」などの「台地」の部分も含めて「下総台地」と呼ばれることもあり、また「両総台地」と呼ばれることもありますが一般的ではなく、「利根川」を挟んで「北側」にある「常陸台地」と併せて「常総台地」と呼ぶことの方が多いそうです。
「下総台地」「縁辺部」は「侵食」により「樹枝状」の無数の「谷」が切り込んでおり、「谷津田」が拓かれました。
しかし、「台地」の奥の部分は「生活用水」の入手が困難なことから「集落」はあまり形成されずに「原野」が広がっており、江戸時代には「小金牧」(「黄金五牧」)や「佐倉牧」(「佐倉七牧」)などといわれる「徳川幕府」(「江戸幕府」)直轄の「馬」の「放牧地」が広がっていたそうです。
明治時代に入るとこうした「原野」は「陸軍」(習志野原)の「施設」や「御料牧場」(三里塚)として開発され、また「版籍奉還」によって「失業状態」に陥った「士族」らに大規模な「開墾」を行わせるために(「士族授産」を目的とした)、「下総台地」の各地に入植させたそうです。
13の「入植地」にはそれぞれ「開墾」の「順序」により新しい「地名」が付けられ、13の「入植地」は、「東京新田」と総称されたそうです。
「士族授産」を目的とした明治以降の「開拓」によって新しい「農業集落」が発生し、「下総台地」「中央部」の「八街(やちまた)」、「富里(とみさと)」などは、「経営規模」が大きく「専業率」も高い「畑作農業地域」をなしています。
また「下総台地」「西部」は「江戸川」を挟んで「東京都」と接し、「都市化」が進行して「住宅地」や「商工業地」が拡大していますが、「野菜生産」を主とした「近郊農業地域」も混在しています。
明治以降の「入植地名」と「現在の所在市町村」は以下の通りとなります。
1 初富(はつとみ) 鎌ヶ谷市
2 二和(ふたわ) 船橋市
3 三咲(みさき) 船橋市
4 豊四季(とよしき) 柏市
5 五香(ごこう) 松戸市
6 六実(むつみ) 松戸市
7 七栄(ななえ) 富里市
8 八街(やちまた) 八街市
9 九美上(くみあげ) 香取市
10 十倉(とくら) 富里市
11 十余一(とよいち) 白井市
12 十余二(とよふた) 柏市
13 十余三(とよみ) 成田市 多古町
「下総台地」は昨今では、なだらかで安定した「地層」であることが「利点」となり、特に「都心」に近い「北西部」の「東葛(とうかつ)地域」や「印旛地域」では「千葉ニュータウン」など多くの「団地」が建設され、「都市化」が進行しています。
また「下総台地」「北東部」でも「成田国際空港」や「成田ニュータウン」などが建設されていますが、それ以外の「地域」では「畑」が広がり、「西瓜(すいか)」・「落花生」・「里芋(さといも)」・「薩摩芋(さつまいも)」などが栽培されています。
「下総台地」では「強風」が吹くと乾燥した「畑」の「赤土」が「砂ぼこり」として舞い上がり、「下総の砂嵐」は強い「南西風」が吹く「春先」の「風物詩」となっています。
「砂嵐」を防ぐために造成された「山武杉」の「防風林」と「落花ぼっち」(「落花生」を乾燥させるため「畑」の中に積み上げたもの)は「八街市」周辺における「特徴的」な「農村風景」として「文化庁」の「農林水産業に関連する文化的景観」にあげられています。
「北縁」は「利根川」、「西縁」は「江戸川」に囲まれ、「南縁」は「東京湾」に臨み、「南東」は「房総丘陵」に接し、「東縁」は「九十九里浜低地」に接する「関東平野」の「南東部」を占める「台地」「下総台地」。
「首都圏」や「成田国際空港」の「ベットタウン」として発展し、また「首都圏の野菜供給基地」として現在も「農業」が盛んに行われ、栄えている「地域」です。
備考
「下総台地」は「北総台地」ともいわれ、東西の広がりが約90kmで「日本」でも「最大規模」の「台地」です。
「下総台地」は、「台地」を覆っている「粒子」の細かい「礫(つぶて)」を含まない柔らかな「火山灰土壌」のため、「多品目」の「野菜生産地帯」を形成し、「都心」への重要な「野菜供給基地」となっています。
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地域情報::成田 | 08:40 AM |